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『【戦闘の遺伝子 ー5】 』
高科・瑞穂6067)&鬼鮫(NPCA018)





 気持ち悪い。
 目が覚めたとき、腹の底で嘔吐感が渦巻いていた。
 どれくらい気を失っていたのか、左の胸がやたら痛い。
 乳房の下の肉が抉(えぐ)られ、血が固まって変色している。
 心臓なんて、素手で取れるもんですか。
 たとえ人外の力があったとしても。
 「……っく」
 そう信じたい。
 ジーンキャストのすべてに当てはまるかどうか分からないが、怪物の遺伝子が全開に覚醒すると、ヒトとしての理性はトンでしまうようだ。
 「目ぇ、覚めたか?」
 鬼鮫の、落ち着いた口調。
 戻ったみたい。
 おそらく途中で、我に返ったんだろう。
 「いけねぇなあ。戦闘ってのはいけねえ」
 その静かな声が、私の意識を落ち着かせる。そのせいで、気持ち悪さより、本来最初に感じるべき痛みが意識に上ってきた。
 「う、うぅ」
 呻いたが、鬼鮫は興味なさそうに自分のことを話しはじめる。
 「血だよ。血なんだよ。ああ、いけねえなあ。いけねえよ。お前を殺しちゃいけねえだよ」
 どうやら、私は生かされるようだ。
 「なんだあ? ホッとしたか?」
 鬼鮫が、横を向いて倒れる私の顔をのぞく。
 「じゃあ、寝とけ」
 いって、私の腹を蹴りつけた。
 痛すぎて、気が遠くなる。

 次に目が覚めたとき。
 両手首にひどい痛みを感じていた。
 全身の痛みはなぜか収まっていたが、気だるさが肉と骨に澱んでいる。そんな感覚。
 臓器やら身体の内部のあちこちで出血して、内側から腫れているせいだろう、呼吸をするたび、身体の中でいろいろな物が圧迫されて、胃のあたりから苦しくってしょうがない。
 目を開くと、露に濡れた石畳。首を回せば、そこが石牢だと分かる。
 地下牢か。
 こんな場所があるなんて、知らなかった。
 広さは納戸と同じ四畳半ほどだろうが、荷物がない分、とても広い。
 ガチャ、と重い鎖の音。
 両手首には、それぞれ鉄の輪が嵌められており、それに鎖がついている。その鎖が、背後の壁の上の方に繋がっていた。
 両手を鎖で吊るされた格好で、私は横座りに座っていた。
 その傾ぐ身体が、その自重が手首の鎖を引いていた。長手袋は外されていて、錆びた鉄が直に手首の肌を擦ってくれる。その痛みで、目が覚めたのに違いない。
 ひんやりとした石畳は濡れていて、ショーツは水滴を吸い、湿っていた。ブーツは履いたままだったから、ニーソックスはそんなに濡れてはいなかったが、水気はショーツの生地に染み込んで、繊維を伝ってガーターベルトを濡らしきってしまっていた。
 まったく、いやらしい。
 もはや原形をとどめていない、襤褸となったメイド服。血がこびりついた眼鏡と、首に巻いたチョーカーはまだついたまま。ブラとショーツ、ガーターベルトにニーソックス、編み上げブーツだけをつけた女が、両腕を吊るされて地下牢にいる。
 腕を持ち上げられているから、乳房が前に突き出ている。
 ブラがきつい。
 白のブラは血で汚れ、その血も黒く変色している。
 細かい刺繍の施されたブラは、乳房の膨らみ、その変なところに引っかかってる。
 あれ? と思う。
 私のブラ、フロントホックが外れてたはず。理性のトンだ鬼鮫が心臓を抉り取ろうとしたときに。
 「――あっ」
 急に赤面してしまう。
 あいつ。
 私のブラを、わざわざつけた?
 あの納戸から運び出すとき、恥ずかしくって着けたのか。
 しかも、こんな不格好に。
 くそ。
 なんか、変なことされるより、そっちの方がずっと嫌だ。
 「おっ」
 と、その男の声がした。
 「目が覚めたか」
 「お、鬼鮫!」
 鉄格子をくぐり、サングラスをかけた男が入ってくる。
 「威勢がいいな」
 「おまえ――」
 「薬が効いたか」
 なに?
 「薬?」
 「痛み止めだ。いろいろ、しゃべってもらうためによお」
 だから、あれだけの痛みがなくなっていたのか。
 「何を話せと?」
 「お前の組織。お前みたいな戦闘員が、あとどれくらいいるのか、だ。詳しく話してもらいたいな」
 「そんな時間、あるかしら?」
 「なに?」
 私は不敵な笑みを浮かべる。
 痛み止めのおかげで、いま、意識はすべて思考に回せる。
 「いま何時?」
 「夜の二時まで、あと少し、ってところだが」
 「じゃあ」
 ふふ、と私は薄く笑った。
 「今頃、一個部隊がここに到着する頃ね」
 「なんだと?」
 「ゃっ」
 鬼鮫は、私の髪を掴んで引いた。 
 「は、放してよ、痛い」
 「そりゃあ、本当か?」
 髪が引っ張られる痛みに、私は顔を歪め、目を細める。
 「残念だけど、もう時間よ。本当はね。私たちは、ここに何があるか知っているの。私は陽動。本当なら、あちこちに爆弾を仕掛けるはずだったんだけど、あなたの方が先に動いてくれちゃったから、残念」
 全部ウソ。
 でも、鬼鮫は動揺したようだ。
 「くっ、女ひとりで潜入たあ、おかしいと思ったんだ」
 それはうちが、慢性的な人手不足だから。
 「じゃあ、死んどくか」
 鬼鮫の右拳が左胸の下を打った。
 「ぅぅ」
 心臓が止まったかと思うくらいの衝撃だった。
 「なっ、なによ。私は、生かしておくんじゃなかったの?」
 「そんなにすぐに来るんじゃあ、お前の存在価値はねえ。ここにお前がいるってことは、自衛隊連中がIО2に反抗している証拠になった。だから、むざむざ殺しちゃ、政治的に使えねえ。だから、わざわざ生かしておいた。だが、そんなすぐ仕掛けてくんなら、そんな交渉、してる暇ねえだろうが。だから、死ね」
 「まっ――」
 また殴られた。
 今度は左拳で左頬を。
 「ま、待ちなさいよ。私、しぶといんだから」
 「ああ?」
 「速く逃げなきゃ、あなたこそ、死ぬわよ」
 鬼鮫が鼻で笑う。
 「いいさ」
 「え?」
 「お前。PKなんだろ? 俺ぁ、PKってのが嫌いなんだ。なんでだかは分からねえ、分からねえが。そうなんだ」
 「お、鬼鮫っ!」
 身じろいだが、鎖に繋がれた手が痛いだけ。
 その反動で、変な位置で着けられたブラのホックが弾けてしまった。胸がこぼれ、ブラは前を閉じていない紐状のベストみたいに垂れ下がった。
 その両方の乳房の間、胸の中央にアッパー気味の右ブローが入っていく。
 「なんだ? よっぽど見せてえのか、お前は」
 「や、やっぱり、あなたがホック付けたの? 変態」
 呻きながら、悪態をついてやる。
 「なんだあ? 運ぶときに、垂れて邪魔だから押さえただけだ」
 「垂れるくらい大きいんだから、しょうがないでしょ」
 私は立ち上がり、両手を掲げたまま壁に寄りそう。
 「うあ」
 思わず私は悲鳴を上げた。
 左膝が、変な方に曲がっている。それが見えた。
 痛み止めは強力なものらしく、今まですっかり忘れていた。
 「大丈夫か? これから死ぬのに、大変だな」
 「はんっ。私がPK? 超能力者? だから殺すの?」
 「ああ、そうだ」
 「じゃあ、殺す必要、ないわね」
 ブーツの中、右の親指をくいと動かす。
 その瞬間、つま先から鍵爪のついたワイヤーが飛んでいく。それが石壁に当たり、カランと音を立てて転がった。
 たいした殺傷能力はないから、実践ではまず役に立たない。崖から突き落とされたときに使え、なんて兵装部からはいわれているが、使ったことはない。
 「これで、引っ張っただけ」
 「なんだと?」
 誤魔化せるか。
 騙しきれるか。
 「興奮していて、小さい音が聞こえなかったようね。納戸の壁に跳ね返らせて、それで箱に引っかけさせたの」
 「こ、小賢(こざか)しい真似しやがって!」
 鬼鮫の右ブローを横によける。
 その一撃は、石壁の表層部を砕いていた。
 さらに左のパンチが飛んでくる。
 私は鎖を掴み、壁を蹴った。
 蹴るというより、その壁を駆けのぼった!
 右足だけで、壁を蹴り、鎖が、時計の九時の位置を指すくらいまでのぼっていった。
 ガチャガチャと、鎖が鳴る。
 壁に打ち付けられた鎖は強固。私の体重に引っ張られ、鎖はギンッと真っ直ぐ張られた。
 そして。
 私は宙を舞う。
 半裸の身体が旋回する。
 「おに、ざめぇっ!」
 パンチをはなった鬼鮫の後頭部に、踵落としを決めてやった。
 「ぬあぁっ!」
 頭を押さえる、鬼鮫が吼える。
 着地したとき、鎖のどこかが金属疲労で欠けたような音がした。
 逃げ切れる――
 そう思ったとき。
 殺気。
 猛烈な殺気。
 再び、鬼鮫のトロールの遺伝子が覚醒したのか!
 「PKだろうが、なんだろうが――殺してやる」
 「ま、」
 まずい。
 いま、まだ私は両手を吊るされた状態の無防備。
 この鎖を外すには、あとどれくらい衝撃を与えればいい?
 「高科瑞穂。お前は殺す」
 「くっ!」
 そのとき、サイレンが鳴り響いた。
 「なに?」
 鬼鮫が我に返る。
 「き、来たようね」
 来てくれた。
 さっき鬼鮫に話した、私が陽動係という作戦はウソ。
 だけど、それでも定時連絡の時間はとっくの昔に過ぎている。人手不足でも、人材不足なんだから、見殺しにはしない。逃げる隙を作るくらいの陽動くらい、してくれるのだ。
 「ちぃっ!」
 鬼鮫は舌打ちし、後ずさる。
 「覚えとけ。次、会ったとき、それがお前の命日だ」
 「ええ。覚えておくわ」

 鬼鮫は去った。
 「ふぅ」
 息をつく。
 生きのびた。
 まったく、とんだ相手だった。
 ジーンキャスト、IО2の鬼鮫。
 「恐ろしい、敵だった」
 呟いたとき、猛烈な痛みが全身を駆け巡る。
 痛み止めが切れはじめたようだ。
 「っな――」
 こ、これ。
 膝が痛い。
 いまなお骨を砕き、もいでいこうとしているような、それほどの激痛。
 いや、それと同じくらいの痛みがある。あばら骨に、両の腕に、肩に、胸に、腹に背中に。頭のあちこちに鈍痛が響く。耳がおかしくなったように、空気の音がくぐもって聞こえだす。
 「うあ」
 錆びた鎖をガチャガチャ鳴らし、私はのたうつ。
 これが、戦い。
 鬼鮫との戦い。
 さっきまでの、勝ったつもりの気分が台無し。
 せっかく逃げのびることができたのに。
 次会ったときが、私の命日。
 それは、本当かもしれない。
 私がいま、鎖に繋がれ、石牢に囚われているのは、そうなのだ。
 鬼鮫に、命を掴まれている、その状況を表している。
 「ふぅあぁっ」
 喘ぐように息を吐く。あまりに痛くて呼吸もままならない。
 もう体力がない。
 痛みにのたうつ力もない。
 冷たい石畳に膝をつく。
 私は両の手を上に掲げ、剥き出しの乳房を垂れる。
 私は、断頭台の前に引っ張り出された、かのマリー・アントワネットのような姿だろうか。
 首に巻いたチョーカーが、その気配が、嫌だ。ここは、断首される箇所だ。
 生きのびた。
 自由を得た。
 だが、それは与えられただけにすぎない。
 「鬼鮫――」
 あまりの痛みに、意識が薄らいでいってしまう。
 次に目が覚めたとき、そばにあいつがいないことを、ただ、いまは祈る――



PCシチュエーションノベル(シングル) -
秋月 淳 クリエイターズルームへ
東京怪談
2008年10月01日

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