『愛玩動物博覧会・裏 』

海原・みなも（1252）＆（登場しない）

　残暑はあるものの、暦の上ではもう秋。
　湿度が下がり、空気が澄んで、月の輪郭がはっきりと見えるようになった。
　今夜は三日月だ。細い月。その光を浴びながら、海原・みなも（うなばら・みなも）は地下への階段を降りた。
　暗い階段の先には、赤いドア。そっと開けば、そこはバーだった。中学生の少女には似つかわしくない場所。
「なァに？　お嬢ちゃん。うちにはお嬢ちゃんに飲ませられるものは置いてないワよ」
　色とりどりの酒瓶が並んだバーカウンターの中から、バーテンダー……ではなく、チャイナドレスの女がみなもにちらりと視線を流して言った。
「あの。裏の……愛玩動物博覧会のお仕事に、参りました」
　おずおずとみなもが紹介状を差し出すと、女は「あら」と目を丸くした。
「へえ……あなたみたいなお嬢ちゃんがねえ……あラまあ……あの方のお嬢さん……？　あら、まあ……」
　紹介状に目を通しながら、女はしきりに目を瞬いている。
「あの、スタッフ用の出入り口はこちらだと伺ったのですが……」
　みなもが不安になってきた時、女は紹介状を元通り折り畳んでみなもに返した。優美な動きをする指先が、きらりと光る。マニキュアだろうか。それとも、ラメのはいった化粧を施しているのだろうか。どちらにせよ、みなもは緊張して相手をよく見ることができない。
「そォよ。ここが、ひみつの入り口」
　赤い唇に妖艶な笑みを浮かべ、女はみなもを手招いた。酒瓶の並んだ棚が、横にずれて、その奥に通路が現れた。
　その暗い雰囲気に、みなもは僅かに息を飲んだ。女が、目を細める。微笑ましいものを見た、というような表情だ。
「こわい？」
「いえ。どういった主旨のイベントか、きちんと伺っております」
　みなもは頭を振った。
　怖くはない。ただ、やはり普通のイベントとは違うので、少し、緊張しているのだった。
　今回のアルバイトは、父を経由して紹介されたものだ。今回に限っては、裏、というのは非合法であるという意味だが、非人道的であるという意味ではない。
「案内するワ。ついてきて」
　女に手招かれ、みなもは暗い通路へと足を踏み入れた。


　　　　　　　　　＋＋＋＋＋＋


　まず、みなもは服を着替えることになった。スタッフの衣装として渡されたのは、黒いチャイナドレスだった。ひやりとした触り心地で、上等な絹サテンで仕立てられているのかと思ったが、違った。普通の布ではないのが、着てみればわかった。生きているように縮み、伸びて、みなものボディラインにぴったりと沿ったのだ。
　驚いていると、案内してくれた女が「お客様の目に触れるお仕事だかラね。きちんとしてないと」と笑みを浮かべた。
「不思議な肌触り……です」
　鏡の前で身支度を確かめながら、みなもは呟く。黒一色のチャイナドレスに、黒レースの長手袋。紗のヴェールは、どうやって身につけるのかと悩んでいたら、ふわりと勝手に宙に浮かんでみなもの顔を隠してくれた。
　何気ない制服にも、何らかの魔力が込められている。裏ゆえの、この技術。
「わかってると思うけど、あなたのお仕事は、受動的参加者さんたちの案内ね。情報“入れて”あげるかラ、ちょっと来て」
　女はみなもを手招くと、ヴェールの下の額をチョンと人差し指でつついた。その瞬間、情報がみなもの頭の中に流れ込んでくる。今日の仕事に必要な、施設内の構造や、今回の受動的参加者たち――“商品”や、“被検体”たち――についての情報。のみならず、買い手として訪れる能動的参加者たちの顔や名前まで。
「あ」
　不思議なことには耐性のあるみなもだが、勝手に脳内にデータがインプットされるのはおかしな感じで、思わず声が上がる。
「じゃあ、がんばって」
「はい！　あの、せいいっぱい、頑張らせていただきます！」
「ええ。また後でね、お嬢ちゃん」
　ぺこりと頭をさげたみなもに、可愛いものを見た、という顔で女は目を細め、くすくすと笑った。


　　　　　　　　　＋＋＋＋＋＋


　バックヤードにある部屋では、色々な姿をした者たちがイベントの開始を待っていた。
　ほとんどが、爬虫類や、猫や犬の姿の混じった獣人。そのいずれも、戸籍を持たず、法に守られることのない者たちばかり。
　人間社会の中において、それがどんなに大変なことであるか。特に、姿形が人間とは違うというだけで、特別な魔力などを持たない種族の者たちなどは、そのほとんどが自力で生きて行く術を持たない。
　今夜開かれる裏の愛玩動物博覧会では、彼らは“商品”として扱われる。
　それだけを聞くと、非道が行われるような印象だが、実際は違う。
　買い手となる能動的参加者たちは、その経済力だけでなく、人間としての器の大きさも試され、厳選されている。
　彼らに買い取られることは、“商品”たちにとって、人間社会での居場所を得られることに等しいのだ。
　非合法ではあるが、人道的である、というのはそう言う意味である。
「０３番さん、０４番さん、１５番さん。こちらへ」
　みなもは、三人の子供たちの番号を呼んだ。
「はーい！」
「はァーい」
「……はい」
　猫の耳と目鼻を持った子供たちが、みなもの前に寄ってくる。
「おねーさん、なんかいい匂いだね」
「ねー。いい匂いね。おさかなさんみたいねー」
　尻尾をぴんと立て、好奇心いっぱいに纏わりついてくる、０３番と０４番。
「齧ったりしないでくださいね」
　みなもは苦笑する。人魚であるせいだろうか。猫な方々には、時々こういった反応を受ける。
「では、ご案内致しますね」
　みなもは子供たちを連れて部屋を出た。
　猫系の獣人は、子供に恵まれなかった夫婦や、子供の遊び相手を欲している親などに、特に人気がある。この子供たちにも、事前に何人もの予約が入っていた。
　これから、顔合わせとオークションによって、買い手が決定するのだ。
「ふふ。お外に出られるんだね」
「ね。楽しみね」
　廊下を歩きながら、０３番と０４番は目をきらきらと輝かせている。それに比べて、少し緊張気味なのが１５番だ。
「……優しい人に買ってもらえると、いいな……」
　呟くように言う彼女の手首には、癒えかけの微かな赤い痣がある。枷（かせ）の跡だ。
　猫獣人は人気がある。
　それは、非合法にして非人道的な者たちにとっても、良い商品になるという意味でもある。
　今回のイベントの主催側に、生まれた時から“商品”として育てられて今日の日を迎えた０３番と０４番と違い、１５番はタチの悪い組織によって売買され、少しの間だが酷い主の許で過ごしたことがある子供だった。
　それが、幸いにして助け出され、今夜また、新しい主人に売られて行こうとしている。
　みなもの頭の中には、そういう情報が入っていた。
「大丈夫ですよ。ここに来る方々は、良い方ばかりですから」
　少女の手を、みなもはそっと握った。ふわふわとした白い体毛に覆われた手の甲が、一瞬だけピクリと緊張して。
　それでも、みなもの声の優しさに、少女はこくりと頷いた。
　顔合わせの部屋に猫獣人の子供たちを送り届けて、みなもは胸の中で手を合わせる。
（どうか、良い人があの子を買ってくれますように）
　元の部屋に戻る途中、みなもは薄暗い廊下の片隅に、立ち往生している青年を発見した。
「どうかなさいましたか？」
「いやそれが、お恥ずかしいんですが」
　声をかけると、気まずげな顔でみなもを見る。迷子らしい。
　みなもの頭の中の情報と、その顔が一致した。“被検体”の一人だ。
「トイレに行ったら、戻れなくなって……」
　ついでに探検してみたら、戻れなくなったのだろう。
「特別治療相談のお部屋は、あちらになります」
　みなもは彼を先導してそこまで案内することにした。
　青年は、重い病にかかっている。現代医学では太刀打ちできない病だ。
　その病は、獣化で細胞を強化することにより治療出来る可能性がある。それは禁忌の技術であり、失敗のリスクもある。とはいえ、青年にとっては今、ただ一つ縋れるものなのだろう。
　それだから、今夜のイベントの“被検体”としての参加要請に応じたのだ。
「……君みたいな、普通の感じの人もスタッフに居るんだね。ちょっと意外だったなあ」
　裏というから、もっとおどろおどろしいものを想像していたと言って、青年は少し笑った。
　法的には認められず、普通の病院では絶対に行われない、危険の伴う治療。しかし、彼にとっては一筋の希望の光。
（法律にも“色々”ある――お父さんは、そう言っていました）
　青年を送り届け、みなもは息を吐く。
　法律は人を守るけれど、悪意を持つ人間はその網目を抜けて、非道を行う。そして罰せられることなく非道を繰り返す。
　そして法律がある故に、表立っては希望の光に縋れない者たちも存在する。
　本当は、法などなくても誰も傷つかずにすむ社会なら、それが一番良いのかもしれない。
　そうは行かないから、難しいのだと。いつか父が呟いていたことを、みなもは今実感していた。


　　　　　　　　　＋＋＋＋＋＋


「おつかれ様ァ」
　仕事を終えて着替えたみなもを、最初のバーカウンターで、チャイナドレスの女が迎えた。
「あなたを信用しないわけじゃナいけど、情報を“回収”させてもらうかラね。その情報を持ってるせいで面倒に巻き込まれる可能性も、ゼロじゃないから」
　女はまたみなもの額を、指先でチョンとつついた。
　す、と額の中を風が通り抜けたような、何かが出てゆくような感覚。
　気がつけば、女に与えられた今夜の情報――参加者たちの詳細データや、会場内の見取り図――が、すっぽりと頭の中から消えている。
「……あ」
「他言無用の秘密を胸に抱えるのは、苦しいことだしね」
　目を瞬くみなもに、女は片目を瞑った。
　こういった手順を踏むのも、裏の世界に生きているわけではないみなもを気遣ってのことなのかもしれなかった。
「また、気が向いたらアルバイトに来てね。私たちみたいに、後ろ暗いところばっかり見詰めて暮らしてるような連中ばっかりじゃ、やっぱりどうしても、ホラ、……雰囲気が暗くなっちゃってねエ」
　お世話になりました、と頭を下げたみなもに、女はひらひらと手を振った。
　その指が、きらりと光る。マニキュアやラメの化粧ではないということに、みなもは緊張が解けた今、気がついた。女の手の甲から指先にかけては、透明な蛇の鱗が生えていたのだ。
　女もまた、獣人か元被検体であったのかもしれない。
　みなもは赤い扉の外に出た。
　階段を上る。三日月は既に天頂を過ぎ、西の空に浮かんでいた。
　東の空が少し明るい。もうすぐ朝だ。
　ひんやりと冷たい風を頬に受け、みなもは小さく欠伸をした。明日は日曜。寝坊することになるだろう。
　色々な世界がある。今夜もまた、一つ新しい経験ができた。
　願わくば、あの会場に居た誰もが、イベントをきっかけに幸せを掴めますように。
　そう祈りながら、みなもは家路に就いた。



End.







＜ライターより＞
　いつもお世話になっております。階アトリです。
　ご発注の際にはこちらのミスでお手数をおかけしてしまい、本当に申し訳ありませんでした。
　裏の愛玩動物博覧会、ということで……今回は、いつもよりも妖しさ５割増し！を目標に書かせて頂いてみました。
　裏でも、非人道的ではないイベントというのは、本当にどこかの地下にありそうですね。
　みなもさんのような真面目な、とてもまっとうなお嬢さんが入ってきたら、他のスタッフさんなんかは癒されてしまうのではないかな……と思ったり。
　楽しんでいただけましたら幸いです。
　今年は秋が早いようで、いきなり夜に肌寒かったりしますので、ご自愛くださいませ。
　では。ありがとうございました！

PCシチュエーションノベル（シングル）

階アトリ

東京怪談

2008年09月01日