▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『『雨宿りの葉陰で』 』
キング=オセロット2872)&(登場しない)


< 1 > 

 晴天を瞬きひとつで模様替えした雨雲から逃れ、キング=オセロットは緑香る木陰へと身を隠した。サイボーグの自分は雨に濡れて風邪など引く身ではないが、コートの無い今、シャツが濡れればポケットの煙草は簡単に湿気てしまう。
 上からよい香りが降りて来て、オセロットは思わず見上げた。花でなく葉がこれほど甘やかに香るとは。
「これは、桜の樹か・・・」
 ポツンと水滴がモノクルを襲った。レンズに落ちた水のせいで、葉桜が幻想的ににじんで見えた。
 前に、これに似たことが・・・。見覚えのあるストリート。ここは同じ場所かもしれない。オセロットは記憶の糸をたぐった。

* * * * *
 傘を持つのは鬱とおしい。元々荷物を持ち歩くのは好かなかった。
 そんな理由からキング・オセロットは傘をささない。豊かな金色の髪の、うねりが取れて背に張りつき、毛先から滴が垂れていようと。軍服に似たコートの中のシャツが濡れて体に張りつき、胸の谷間があらわになって男性の視線を浴びようと。彼女は一向に気に止めなかった。
 だが、さすがに、一服する時は木陰で雨をしのいだ。
 折り重なるような傘の人ごみを横切って、道の縁に端正に並ぶ樹木へと辿り着く。煙草を取り出そうとポケットを探っていて、寄り添った樹の、葉の香りに惹かれて天を仰いだ。仰いで初めて、雨宿りの樹が桜だと気づいた。花の時期にはあれほどもてはやされる樹だが、葉だけになると他の樹々と紛れて忘れ去られてしまう。水を含む緑は色に深みと艶があり思いのほか美しく、オロセットは新鮮な驚きを覚えた。
 広場へ続く人通りの多い道だ。確かにここは、春には桜並木だった。かつて、殆どの通行人が歩を緩めて花を愛でた。立ち止まって長い時間眺める者も多かった。
 だが、葉桜になった今。傘で顔を隠す人々は水たまりを踏まないよう足元を見るのに必死で、水滴に輝く葉桜を見上げようとはしない。何と競争しているのか、早い足取りで通りすぎていく。オロセットは、流れに逆らうようにゆっくりと紙巻の煙を吐きだす。

 その二人連れが目立ったのは、歩く速度が人々と違ったからだ。夫婦か恋人同士か。二つの傘は水面で揺れる葉のようだった。長身で大柄な男は、服装や雰囲気から冒険者であるように見えた。娘は堅気の町娘らしい。ピンクの傘のせいで、まっすぐの髪もソバカスだらけの頬も薄紅に染まっていた。彼女だけが夕焼けの中に居るようだ。
 傘の中から上を見上げたら、空も桜色に透けて見えるのだろうか。
 むつまじく歩く二人だったが、やがて口論を始めた。小柄な娘の傘のしずくが、全て男の胸元あたりへこぼれ落ちていたのだ。男は傘の大きさの甲斐なくびしょ濡れである。娘が笑って詫びながら自分の傘をたたむと、即座に男の傘が娘へと掲げられた。大きな傘の影が二人を覆う。始めからこうすればよかったと、笑い合った。二人の笑い声がオセロットの元まで届いた。
 と、娘が雨宿りするオセロットに気づき、「よかったらどうぞ」と傘を差し出した。
「いや、私は」
 傘を持たぬわけを告げようとしたが、好意で貸してくれようとする者に『持つのが面倒なので』と断るのも失礼な気がして、続く言葉を飲み込んだ。
 それに、周りが桜色に染まる世界に、少しだけ興味もあった。娘があまりに楽しそうにこの傘をさしていたからだ。
 オセロットは傘を受け取り、礼を述べた。
「お宅はどこか?どこへ返しに行けばいい?」
 娘は、大通りにある食堂の名を告げた。娘はその店の厨房で働き、二階の下宿に住むと言う。男も店の常連で、三日と空けずに食事に来ているとのこと。
 二人は、傘の流れの中を、ゆったりと一つの傘で去って行く

 オセロットは、借りた傘を開いた。視界が薄紅で覆われる。夕焼けのドームに佇む気分だ。傘には地色より淡いピンクで桜の花びらが描かれていた。雨の中を歩いてみる。ざばざばと波音に似た雨の音は、傘無しで歩く時には味わえないものだ。上を仰ぐと、花びらの柄が、まるで本物が張り付いているような気分にさせた。
 葉桜の並木道を、まるで自分だけが花吹雪を受けながら歩くようだった。

 数日後、オセロットは傘を返しにその店へ出かけた。娘は厨房勤務なので姿は見えなかったが、ほどよく混雑した店の中、席に恋人の男を見つけ、彼に渡しておいた。
「ありがとうと伝えてくれ。とても楽しかったと」
「楽しかった?『助かった』じゃなくてかい?」
 男は怪訝な顔をしながら、フォークを置いて傘を受け取った。皿になみなみと注がれたシチューから香ばしい湯気が上がっていた。あの娘が作った料理なのだろう。生真面目なじゃがいもの面取りと、律儀に時間を計って焦がしたようなブロック肉。竈の火にソバカスの頬をほてらせて仕事する娘の様子が窺え、ほほえましかった。

 そんな出来事の後も、『傘を持ち歩くのは面倒だ』という考えを、オセロットは変えることはなかった。雨に降られた時に煙草が吸いたくなったら、木陰か軒先に入ればいいことだ。
 季節は移り、秋の長雨の季節となった。その夜、一服の為に借りた酒場の軒先。傘立てに無造作に押し込まれた傘に見覚えがあった。だが。こんな路地裏のすえた飲み屋にあのカップルが?
 別の女性の持ちものかもしれない。同じ傘など何十本と売られているだろう。傘は置き傘なのかずっと使われておらず、骨が一本折れて曲がっていたし、干からびた泥があちこちに張り付いていた。
 酒場の重い扉が開く。濃い香水と共に低いジャズの音が雨音に混じった。
「なんだ、客かと思ったら、雨宿りね」
 肩をあらわにした黒いドレス、元の表情も曖昧にするほどの化粧。店の女が軒先を覗いた。
「すまない。邪魔だったか?」
 女の厚い白粉の裏にソバカスが見え隠れした。様変わりしているが、あの時の娘のようだ。
「いえ、いいわよ。どうせこの雨じゃ客なんて来るもんですか。
 客の忘れもんでよけりゃ、ほら、傘、持って行きな・・・あれ?あなたと前に会った?」
 オセロットは初夏に傘を借りたことを告げ、改めて礼を言った。
「ああ、あの時の。
 あのひと月後くらいかなあ、あの人がクエストで死んで。みんなの同情の目がかえってつらくて、食堂もやめてしまった」
「亡くなった?」
「冒険者だからね、覚悟はしていたけれど。でも最初の一カ月はヤケ酒の日々だった。それを拾ってくれたのが、この店のママってわけ」
 煙草一本分の世間話をして、オセロットは軒先を後にした。路地裏から大きな辻へ出ると、雨風が強く吹き込んでオセロットの髪を乱した。泥と汚水にまみれた枯れ葉が石畳にへばりつく。踵にからむそれらをぬぐいながら、オセロットは雨に向かって歩いた。錆びた傘立てに突っ込まれたままのあの娘の『世界』は、いつかまた広げられることがあるのだろうか。

* * * * *
 オセロットは、あの時と同じ葉桜の下で傘の波を見送る。
 秋に葉を落とした樹は、今また甘く香る葉を蓄えて命を誇っていた。だが、どの葉も同じものはなく、地で朽ちた葉はもう二度と戻らない。
 青、黒、赤、水色、紫。鮮やかな傘は流れに乗って急いで行き過ぎる。それはそれで美しい、色のパレードだった。
 だが、また、ゆったりと踊るような薄紅の傘を見たい。

 紙巻を吸い終わると、オセロットは再び雨の雑踏へと戻って行った。


< END >
PCシチュエーションノベル(シングル) -
福娘紅子 クリエイターズルームへ
聖獣界ソーン
2008年06月13日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.