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『『キャンディの報酬』 』
ナーディル・K2606)&(登場しない)


 ジリジリと石畳を初夏の日差しが焼いた。法衣に似た黒い着物をまとう身には、厳しい天気だった。天使の広場の噴水前なら水場で少しは涼しいかと歌い始めたのだが、日陰のないこの場所はかえってつらい。一曲歌うと竪琴を置いて瓶から水を飲み、竪琴の音階を整えたらまた一口水を飲むという有様だ。
 歌の途中でも、乾きで喉は絡みついた。自慢の声が嗄れる。汗で弦を弾く指が滑る。もう音が緩み始めた。欠けた月に似たサウン・ガウ、この楽器は暑いと音が狂いやすい。
 風が長い髪を乱し、顔にかかった。歌いながらも楽器から手を離して髪を掻き上げる。なんてうっとうしい髪だ。
ずっと立ちっ放しで膝も足首もキシキシと鳴った。草履の底に感じる石畳のオウトツが痛くてたまらない。
 今日は客の財布の紐も堅くて、足元の器には数枚のコインしか集まっていなかった。この分では夕食はワイン無しだ。
 白い道の照り返しが眩しかった。
 はっと気付くと、声は、そう高くもない音を外していた。動揺を隠して道に立つ客らを見る。逆光で彼らの表情は見えない。

 広場をくるくると踊りながらこちらへ近づく子供の姿があった。粗末な木綿のワンピースに麻紐で髪を結んだ5、6歳の少女だった。口が大きく動いているので、何か歌っているようだ。横には野菜の駕籠を抱えた母親らしき女がいて、その歌を聞いて顔中のパーツを揺らして笑っていた。
 親なんて、どんな下手な子供の歌でも楽しく聞くのだろう。気楽なものだ。

 パラパラと観客の気のない拍手に追われ、吟遊詩人は店じまいの仕度を始めた。
「こんなに暑くては、聴いていただく皆様にも悪いので」と言い訳しながら。

* * * * *
 夕方にはもう酒場へと逃げ込んだ。稼いだコインは、ディナーでなく、ここでの憂さ晴らしに使うことに決めた。
 近くのテーブルに、早い時刻から既に出来上がっている集団がいた。依頼を無事にこなした冒険者の打ち上げらしく、彼らの談笑は賑やかを通り越して耳障りでさえあった。
「おう、そこに居るのはナーディル・Kじゃねえか。一曲歌ってくれよ。生きて帰った俺たちを祝福してよぉ」
 一人が吟遊詩人の存在に気付いて声をかけた。ナーディルは体を堅くして酒のグラスを握った。
「私は今夜は客で来たので。少し酒も飲んでしまいました」
 酔うと声の出も悪いし、紫煙のきついこの場所で歌うのは喉に悪そうだ。それにコイツらはもう酔いが回っていて、まともに歌なんて聴いてくれそうにない。
「礼ははずむぜ」と、男の一人が金貨をテーブルに置いた。
「知ってるぜ、ここんとこ広場でもあまり稼げてないんだろ?」
「・・・。」
 同情で、歌の仕事をくれると言うのか?私の歌を聴きたいわけでもないのに?
 ナーディルの両手はさらにグラスをぎゅっと握りしめた。白い手の甲に筋が浮き出た。
「そんな色気のない服で歌っているからさ」
「そうそう、歌う時にはサービスしないと。こんな風になあ」
 魔法使いらしい一人がおどけて立ち上がった。ローブをまとうその男は、わざと小指を立てて裾をたくし上げて脛毛だらけのふくらはぎを見せた。
 考えるより手が先だった。ナーディルはグラスの酒をそいつの顔にぶちまけた。

 ナーディルに殴りかかろうとしたローブの男は仲間に羽交い締めにされ、ナーディルの方は店の女主人に腕を掴まれた。
「いつも冷静なあんたらしくないねえ。あんな酔っぱらいの戯言を」
 女主人はカウンターにナーディルを呼び寄せ、新しい酒をグラスにサービスした。
「色気を振り撒いて歌えだなどと。私の歌への侮辱です」
 ナーディルの心はまだ収まらず、唇は怒りで震えた。
「だって、お子様じゃあるまいし。あんたが大人の女である以上、野郎どもは歌に色や艶を期待するだろうよ。
 別に露出の高いドレスを着なくても、歌でそれは表現できるだろう」
「ああ、もう。色気色気色気!そんなものが歌に必要ですかっ?大人の女ってだけで、そんな期待をされるのなんて御免よ!
あなたにこれ以上話をしても無駄だわ」
 主人のドレスの、大きく開いた胸元や、深く切れこんだスリット。ナーディルはそれらに冷やかな視線を投げつける。
 主人もその態度に棘を感じ、眉を上げた。
「だったら、教会で賛美歌でも歌ってればいいでしょ!それとも白いドレスとリボンで、童謡でも歌えば?」
 二人はカウンター越しに睨み合った。
「まあまあ、二人とも。ナーディルはこれ以上呑まない方がいいよ?」
 隣に座った老いた女魔法使いが、なだめ役に回った。
「お茶でも飲んで、気を鎮めな」
 魔女がティーポットから注いだ茶を、ナーディルは何の疑いもなく飲み干した。
「冷めてるわ、このお茶」
「水出しの紅茶だからね。水出しだと若返るんだよ。20分蒸らしたから、20歳」
「えっ?」
 見る見るカウンターのテーブルが高くなっていった。背が縮んだのだ。長すぎる裄が手の甲を隠し、足が届かなくなった床へと草履がボトリポトリと落ちた。
 シンデレラ・ティーポット。噂には聞いたことがあった。熱湯から入れた茶だと加齢、水出しだと減齢するマジックアイテムだ。
 艶やかなグラスの面に、ぶかぶかの法衣を着た8歳の少女が映り込んでいた。
「な、なんてことするのっ!」
 声は驚くほど高く、まさに子供のものだった。鈴を鳴らすように高らかで、澄んでいる。
「色気を期待されずに歌えば、巧く歌えるんだろう?やってみれば?
 孫の服を貸してやるよ。
 なに、0時には元の姿に戻れるからさ」

 魔女の家で子供用のジャンパースカートを借り、一人とぼとぼと酒場へと戻る。
 子供の姿で歌ってみろって、あんな酒場で子供の歌がウケるわけがない。酔客をしらけさせるだけじゃないか。ナーディルは小声で文句を言いながら、天使の広場を通りかかった。
 まだ夕暮れに染まる街は、仕事から帰る者、夜遊びに出かける者が交錯する。夜は浅く、父を迎えに出た子供さえうろつく時刻だった。
 茜色の噴水の前に、昼間の自分が浮かんで見える気がした。集中を切らしチラチラと太陽を睨み、もっと歌う事よりももっと水をと望んでいた。遠くで歌う子供を見つめ、気楽でいいわねなんて心をささくれさせた。
 暑いからなんて、嘘。色気云々なんて、ただの言い訳。歌って糧を得る事に疲れていた。客の気に入るように歌えているか、いつも顔色を窺った。コインに見合う音程を保っているかばかりが気になった。

 歌ってみようか、今ここで。この姿ならナーディル・Kだとは誰も気付かない。音程が外れても、声がひっくり返っても、子供だからと笑ってくれるだろう。まだ夕方だし、8歳の女児が歌っても咎め立てされない。
 いや、でもサウン・ガウを。相棒の竪琴を酒場に置いて来てしまった。

 8歳の頃。私は竪琴を弾けなかった筈だ。どうやって歌っていただろう?
 風の音に合わせて歌っただろうか。鳥と一緒に歌っただろうか。
 荷馬車が行くコトコトという音も真似て歌った。六時の鐘と共に歌った。屋台のポップコーンマシンと歌い、大人達の靴が石畳を叩く音と歌い、街路樹の葉擦れと歌い、小犬や子猫と歌った。
 噴水の水鏡に映る自分。8歳の姿に、当時の自分の感覚がよみがえる。子供用の袖の膨らんだブラウス、その両手の指先まで。苺の飾りの赤いブーツの爪先まで。歌いたいという想いが満ちて行った。
 忘れていた。『ただ歌う』、ということを。

 噴水を背に、通りに向かって佇む。声を出すために少し足を開き、胸を張った。帰宅を急ぐ人々は不思議そうにちらりと目を止めると、そのまま行き過ぎる。
 今日は噴水の水音に合わせて歌おうか。それとも雑踏の靴音に?

 ナーディルは息を吸い込み、大きく口を開いた。体から、甘い蜜のような気持ちが溢れ出した。
 声は細かい光を放って夕闇に輝く。きらめきは少しずつ広がり、噴水を取り巻き、足を止める人々を覆い、広場全体へと広がって行った。
 鳴りやまぬ拍手、喝采の指笛、足元に投げられたキャンディの山。色鮮やかな包み紙に飾られた今夜の報酬も、ナーディルの目には入らない。唇から歌を紡ぎ出せる至福。少女は薔薇色に頬を紅潮させて歌い続ける。
 家並に掛かる三日月が、相棒のサウン・ガウの代りに澄んだ音色を奏でていた。


< END >
PCシチュエーションノベル(シングル) -
福娘紅子 クリエイターズルームへ
聖獣界ソーン
2008年05月14日

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