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『心優しき兄のために 』
松浪・静四郎2377)&松浪・心語(3434)&(登場しない)

 松浪静四郎の義理の弟、心語は、聖都エルザードではなくエバクトに住んでいる。
 その日、心語の世話を焼きに弟の家を訪れていた静四郎は、弟の服を洗濯している最中にふと思い至った。
「そうでした……そろそろ、新しい服を作った方がよろしいかもしれませんね」
 心語はサバイバル精神旺盛な日常生活を送っている。おかげで服はつくろった部分が多く、お世辞にもきれいではない。
 新しい服を作ろうと言い出した兄に、心語は小首をかしげた。
「俺は……特に……気にしないが……」
「ダメですよ心語。身だしなみには気をつけないと」
「………」
 どうせすぐに破るだろうにな、とおぼろげに思う心語だったが、兄が楽しそうだったので言うのをやめた。
 静四郎は思考するように、頬に手をあてた。
「そうなったら生地を買いに行かなくてはいけませんね。エルザードの市場へ行きましょう。市場……へ……」
 楽しそうだった声が急に尻すぼみになる。
「……兄上……?」
 心語が不思議そうに兄を見た。
 静四郎はしばらく黙り込んだ。その額に脂汗が浮かんでいた。
「兄上……?」
 再度の呼びかけにようやく我に返ったかのように無理やりな笑みを作り、
「ええと……心語? 申し訳ありませんが、市場に一緒についてきてくれませんか」
「………? 構わないが……」
「お願いします。ぜひ、護衛として」
「……護衛……?」
 市場でなぜ護衛が必要なのだろうと、心語は首をひねった。
 だが静四郎は引きつった笑顔だけに、真剣さが伝わってくる。
「……分かった……付き合う……」
 とりあえずうなずいた。
 静四郎はほっとしたように、
「ありがとう、心語」
 と今度こそ確かな笑みを浮かべた。

 静四郎が市場を恐れる理由――
 実は彼は以前、市場でカマでマッチョな人魚に襲われたことがあった。
 カマッチョ人魚。その恐怖は尋常なものではない。
 まだ市場にいたらどうしよう――
 そう思えば、静四郎が市場に1人で行けないのも当然だった。
 しかし、心語がいれば大丈夫だ――
 心語はしきりに首をひねっていたが、カマッチョ人魚の恐怖は実際に味わった者にしか分からない。それ以前に弟に言いたくもない。あんなことやそんなこと。
 静四郎は弟の能力を信頼している。安心して、市場へ行く準備を進めた。

 ■■■ ■■■

 市場は盛況だった。
 人々の声が行き交い、活気にあふれ、生気に満ちている。
 静四郎と心語ははぐれないよう気をつけながら、目的である服の生地を売っている店を見つけた。
「新しい服ですし、前とは少し違うものを……」
「……兄上……俺はそんなに……気にしないのだが……」
「わたくしが気にします。この生地とこの生地と……ああ、この生地などいいかもしれない」
 不思議な柄を手にする兄を見て、心語が気味悪そうにしていたりもするが。
 とりあえず、静四郎の満足するだけの生地は手に入った。他に足りない裁縫用具なども買い足して、兄弟は市場を出ようと歩き出す。
 と――
 ふと通った路地の近く。
 その奥から……聞き覚えのある裏声。
 静四郎は硬直した。
「……兄上……?」
 心語は合わせて足を止めた。静四郎が小刻みに震えている。
「兄上……」
「いえ……何でも」
 そう言った静四郎は、明らかに“何でもない”様子ではなかった。
 ――路地裏から聞こえる声は、しかも何やら泣いている、ようだ――
 そんなものは知らない、聞こえない、いや無視してはいけない、現実を拒否してはいけない。
 ぷるぷる震えながらも、結局は良心が勝ってしまって。
「少し寄り道、いいですか、心語」
「………? 構わないが……」
 静四郎は恐る恐る、少し道をそれ、路地裏をのぞいた。
 そこにいたのは、

 むせび泣く、髪も髭も伸び放題のむさくるしい姿をしたカマッチョ……おそらく元人魚。

 静四郎は再度凍りついた。
 とてもではないが、気軽に近づける存在ではない。
 兄の後ろからひょこっとのぞいた心語は数秒の間無言になり、
「……見なかった……ことにしよう……兄上……」
 静四郎の服を引っ張り、「行こう……」と促す。
 確かに。あんなむさくるしい、この世のものとは思いたくない存在には近づきたくない。いやもう見なかった以前に、存在しなかったと思った方が精神衛生にいい。
 静四郎の心はそう訴えて、心語とともに身を翻せとつついてくる。つんつんではなくチクチクと。むしろザクザクと。
 見るな認識するな忘れてしまえなかったことにしてしまえ。
 しかしそんな心の声を吹き飛ばすかのように、カマッチョ人魚の雄々しい泣き声は大きくなった。
 まるで泣き声が静四郎たちをからめとろうとしているかのようだ――
 カマッチョ人魚の泣き声にからみつかれるのは、わかめにぐるぐる巻きにされるかのような感覚だった。肌によさそう――なわけがない。
 それでも、
「泣いている者を放ってはおけないでしょう」
 静四郎は弟を見て言った。
 たとえかつて恐ろしい目に遭わされた相手であっても、同情はする。泣いているのなら助けたい。静四郎は心優しい男だった。
「……兄上……」
 制止の声をかける心語を振り切り、勇気を振り絞って静四郎はカマッチョ元人魚に近づいた。
「どうしたのですか?」
 声をかけると、ぐすっひっくずずずとカマッチョ人魚は鼻をすすりあげた。
 そして、突然飛びかかるように、静四郎にすがりついてきた。
 わんわん泣きながら声を上げる。
「海が恋しいの、帰りたい……!」
「え……?」
 静四郎は当惑した。ぽんぽんと元人魚の背中を叩き、落ち着かせようとする。
 その頃にはため息をつきながら、心語も近づいてきていた。
 すがりついてひたすら泣くカマッチョに、静四郎は困惑の声で尋ねる。
「詳しく話してください。一体どうしたのですか?」
「ぐすっ。あたしたちカマ人魚は海のカマ魔女に頼んで人間の足をもらったけれど、人魚に戻るためにはまたそれ相応の報酬が必要なの……っ」
 ぐすぐすぐす。カマッチョは髭まで涙で濡らしながら、訴えてくる。髭からぼとぼととしずくが落ちた。
「だけど今のあたしはその日暮らし。そんな報酬、払うお金ないわ……!」
「………」
 再び盛大な泣き声。心語がうるさそうに顔をしかめた。
「……兄上……関わる、必要は……ない……」
「……いえ」
 すがりつかれたままの静四郎は、切ない目で元カマッチョ人魚を見下ろしていた。
 ――家に帰れない。それはどれほどの苦しみだろう。
 仲間の元に帰れない。それはどれほどの寂しさだろう。
 放って――
 おけるはずが、ない。
「ちょっと――離れてくれませんか? 今――」
 静四郎はカマッチョ人魚を押し離そうとした。
 カマッチョ人魚はここぞとばかりに静四郎にぎゅうと抱きついていてなかなか離れない。
「いい感・触……」
 陶酔した声が聞こえて、ぞぞぞと静四郎の背筋に悪寒が走る。
「は、離れてくださいませんか」
「いやよう」
「あの、離れて」
「あたしの悲しい心を慰めて……」
 ああ、とカマッチョは静四郎にすり寄った。
「あんたなら寂しいあたしを慰められる……! ねえ、このままでいましょ」
 いつの間にかハートマークを散らしながら静四郎に抱きつくカマッチョ。目的がずれている。
「……離れろ……」
 心語が後ろからカマッチョを引きはがした。
 どさっとそこら辺に放り出すと、ああ、とカマッチョ人魚は地面によよよと倒れこみ、さめざめと泣き始める。
 静四郎はほうと安堵の息をついた。
「ありがとうございます、心語」
「さあ……帰ろう、兄上……」
「いえ、待ってください」
 静四郎は自分の懐をさぐる。
 手に取り出したのは翡翠の帯止め――
 心語が眉をひそめた。
「……それは……生活の足しに……売ると……言っていた……」
「ええ。ですが」
 静四郎は柔らかい笑みを作って、涙を流し続けるカマッチョに帯止めを差出した。
「どうぞ。高価なものではありませんが、少しは足しになるかと思いますよ」
「………! あんたいいやつね!」
 カマッチョ人魚は顔をきらめかせて、奪い取るように翡翠の帯止めを手に取った。
 静四郎は嬉しそうにうなずく。
「……お人好しめ……」
 心語はぼやいた。兄のお人好しは今に始まったことではないが、今回はまたひどい。
 喜んでいるカマッチョ。マッチョ。マッチョな人魚が関わる海の魔女……
「……海の……魔女も……マッチョなのか……?」
 何となく尋ねてみる。
 カマッチョ人魚はうふんとウインクして、
「当・然・よ」
 むきっと筋肉むきむきポージングする。
 心語はしばらく考えた。兄が喜ぶことは――心語にとっても嬉しいことではある。
 このカマッチョ人魚を助ければ、兄は喜ぶわけだ。
 自分としてはさらさら興味がないのだが、心語にとって兄は重要な存在だった。従って、兄のためになら、行動もする。たとえ対象がカマッチョ人魚であっても。
「……マッチョなら……筋肉によく……海では……手に……入りにくいものも……喜ばれるだろう……」
 心語はおもむろに、何かが入った袋を取り出した。
「……持っていけ……」
 カマッチョ人魚は目をらんらんと輝かせた。
「あんたは好みじゃないけど、いいやつね!」
「……好みには……なりたくない……」
 カマッチョ人魚に袋を握らせる。
 人魚は立ち上がり、むきむきむきっとポージングした。元気いっぱいだった。
 その日暮らしと言っていたが、稼ぎの大半は筋肉の維持に使っていたのではないだろうか。
 カマッチョ人魚はうっふんと、ウインクしながら兄弟に礼を言った。
「ありがと、かわいい子たち。あたしこれで帰れるわ!」
「それはよかった。気をつけてお帰りくださいね」
「ん・もう。あんた一緒に来ればいいのにぃ」
「……それは勘弁してください」
「あん。やあよ人魚に戻ったあたしの方がいいな・ん・て。いずれ海に会いに来てくれる気なのね!」
「どこをどう曲解したらそうなるんですか」
「うふん。かわいいんだからぁ」
「……いいから……さっさと行け……」
 どごっと尻を心語に蹴飛ばされ、カマッチョ人魚は「あらいやん」とか言いながら、お尻を押さえつつ走っていった。
 その後姿が雑踏にまぎれるのを見送って、兄弟は嘆息する。
「……兄上……着替えた方が……いい……」
「え? ああっ」
 泣き濡れたカマッチョに抱きつかれていたせいで、着物が湿っていた。
 静四郎が困ったように苦笑する。心語は適当な布を取り出して、兄の服を拭いてやった。
「心語、協力してくれてありがとうございました」
「……大したことじゃ……ない」
 静四郎は笑って、弟の頭を撫でる。
「心語……」
「……なんだ……? 兄上……」
「先ほど渡したものは、何だったのですか?」
 心語はいったん口を閉ざし、それから言った。
「……兄上の買い物を待つ間に……納豆を見つけた……珍しいのでな……」

 海の中で納豆。
 果たしてどうなるのかは、兄弟の知るところではない。
 あのカマッチョが無事人魚に戻ることができたかどうか?
 それももちろん、兄弟の知るところではない……


<了>
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
笠城夢斗 クリエイターズルームへ
聖獣界ソーン
2008年05月12日

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