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『effigy 』
深海・志保6683)&(登場しない)

「あまり勉強していないのがいけなかった……」
深海志保は、幾度とない呟きを飽かず発して肩を落とした。
 道を歩く学生達の、ブレザーにチェックのスカートの一様の制服姿に、どんよりと暗雲を背負った志保の姿は別に意味でよく目立つ。
 両手に握り締めているのは、期末試験の答案用紙だ。
 すっかり皺ばんだそれを、開いては閉じ、開いては閉じしても、点数が変わろう筈もない。
 人に序列をつければ、必ず最下位は存在する……その座を入学してからこちら、何人たりとて明け渡さない志保の根性はある意味しっかり座っている。
 真っ赤に染まった紙面の×の多さ、一桁台の突破が快挙とすらいえる平均値に、周囲の反応は様々だ。
 解っているなら何故やらない、次からは頑張ろうね、永久就職しか道はないな、などと心が煮えたり温まったり凍えたり、多種多様な罵り励ましアドバイスを受けても、志保の心は少しも休まらない。
 と、いうよりも耳に入っていない。
 補習、及び追試の通達は、放課後の拘束に併せて、土日祝日返上の必要性も示唆されている。
 束縛される自由時間の多さを思えば、気落ちすることこの上ない。
 が、学校側とてやる気のない生徒を何とか進級させようと苦慮の末の措置であることは明白だ。
 後悔は、いつだって後からやって来る。
 勉強をしていなかった時間、何をしていたかと聞かれれば、志保は首を傾げるより他ない。
 芸術鑑賞に勤しんでいた、と胸を張れればいいのだが、志保にとって芸術に関する知識は常に一過性のもので、脳内に残ることはほとんどない。
 感動は確かに存在し、胸を打ち振るわせて満足することも多い。だが、それは楽しかった、きれいだった、という快さだけを残して、後には過ぎ去った時間がさらさらと、指の間からこぼれ落ちるばかりだ。
 果たして、学業を犠牲にしてまでのめり込んだ益はあるのか、と問われれば答えを見出せない志保である。
 因果応報とはいえ、憂鬱な勉強漬の毎日がやって来る……たとえ、途中で逃げ出すにしろ。
 志保はくんと顔を天に向け、学生鞄の中に答案用紙の束を文字通り突っ込んだ。
「……こうなったら」
その、某かの決意を滲ませた声音に、帰路を共にしていた級友達がギョッと足を止めた。
「早まるんじゃない、深海!」
「人間、勉強だけで価値が決るんじゃないよ!」
「そうだよ、ものを言うのは内申だけどね!」
慌てふためき、鞄に手を入れたまま「ふっふっふ」と不気味な含み笑いを零す志保を宥めようと、それでいて危害の及ばないだろう距離を保って説得にかかる。
「思い止まるんだ、深海!」
「青春の最中に、そんなに思い詰めないでよ!」
「そうだよ、どうせすぐ老いるけどね!」
フォローを落としてしまう一名に、「こーらー!」と怒りの矛先が向かう間に、志保の指先は目的の物を探り当てた。
「じゃじーん♪」
口で効果音をつけ、衆目を集めながら取り出したのは、一枚のチケットとそれに付属すると思しき三つ折りのパンフレット。
「こうなったらもー、気晴らしするしかないよね!」
何を取り出すつもりだという警戒に、ずさっと一歩退いた友人達を尻目に、志保はうきうきとパンフレットを検分し始めた。
 表はひたすらな黒と、月の如き真円の光。その中央には、背後から照らした光の輪郭に、人影だけが映し出されて見る物の興味をそそる。
 人影は、俯き加減の少女のようだ。僅かに光を透かした髪の一房ずつは丁寧に巻かれ、立てた襟元のレースの模様が、幼げな頬の線を強調している。
 ほとんど輪郭だけにも関わらず、少女の造作の美しさは想像に難くない。
 その美が、人の手によって造り出されたのだと告げる『Doll』の文字のみが、金箔で刷られている。
「ホラ、見てみて! この個展、都内でやるのすっごく珍しいんだって! え〜と何々? 仏に拠点を持つ……ってホトケ?! 仏様が作ったビスクドールってすごくない?! うわぁヤバい楽しみ!」
顔を覆うようにパンフレットを読み上げ……ようとして、最初から躓いている、フランスの略字の意味を違えているだけで、色々と壊滅的だ。
 パンフレットに鼻を押付けるように、隅々まで目を通しながら、志保は片手でぱたぱたと級友達を呼ぶ。
 けれども、一歩、二歩、三歩と足並みを揃え、志保を中心に放射状に遠のいた級友達は、申し合わせたかのように同時に四方に散った。
 後を追おうにも誰を追えばいいのか、志保は咄嗟の判断がつかずにその場で立ち往生する。
「え? あれ? みんな何処行くの、ねー、観に行こうよ楽しいよー?」
選び倦ねると容易に動けない、人間心理の特性を正しく心得た、見事な逃走方法だった。


「みんな冷たいなー、付き合ってくれてもいいのにー」
けん、と小石を蹴るふりで、志保は一人ぼっちの寂しさを表現した。
 勿論、磨き上げられたデパートの通路に石が転がっていよう筈はなく、単に気分の問題である。
 とはいえ、そんな風に拗ねてみせても、芸術鑑賞に一人で臨むことなど志保にとっては及くに易く、進む足に迷いはない。
 芸術との出会いは、常に一期一会。
 絵画、彫刻、仏像、宝物、etc。自国他国を問わず、芸術と呼ばれるそれは志保の心を捉えて止まない。
 その、常には目にする機会のない存在と対峙できる貴重な機会を、わざわざ友人知人と予定を摺り合わせてなど、呑気をことをしていられる筈がなかった。
 その前向き、というより前のめりな姿勢が、学業が本分であるという志保の主張を自ら曲げて砕いて放り捨てさせ、勉学こそを疎かにさせる。
 何分にも、志保は学生である。一日の大半を学業に費やすべき身、その彼女が課外以外の時間を捻出しようとすれば、授業を犠牲にするしかない。
 その思想に合致しない行動が、全き本心ながら周囲に建前的に捉えさせ、先のように友人に愛想を尽かさせるのだが、それを当人が全く気にしていないのがまた難である。
 今、この瞬間も、補習の件もテストの結果も忘れ果て、期待に胸を膨らませながら、志保は催し場に辿り着いた。
 受付でチケットを渡し、返された半券を大切に鞄に仕舞い込むと、志保は弾む足取りで人形展の会場に足を踏み入れる。
「わぁ……」
志保は眼前の風景に、思わず感歎の声を上げた。
 通路を抜けて、また通路に入り込んだかと思う。
 天井は高く開いているが、少し広めの廊下程度の幅を取り、両側を木目調の壁を立てるに、広い会場を通路のように仕切って順路に沿って作品を眺める形を取っているのだと察する。
 床に敷かれた絨毯の毛足の長さが足音を吸い込み、全体的に落ち着いた色調は随所に配されたアンティーク家具の持つ独特の空気と相俟って、中世ヨーロッパの城に迷い込んだ心地さえした。
 そして其処此処に、展示の主役である、ビスクドールが並んでいる。
 ビスクの名の通り、陶器製の人形なのだが、肌に陶器の質感はなく透明感さえある小さな少女達は、思い思いの姿勢で佇んでいた。
 椅子に腰掛け、或いはチェストに上に並んで互いに凭れて支え合うどれもが、胸の内に抱ける程の大きさだ。
 頭身もさまざまに、豪奢と呼べるドレスを纏った彼女等は、穏やかに淡い微笑みを浮かべて虚空に視線を向けている。
「すてきー……?」
志保の語尾が疑問形なのは、妙に空気を重く感じたからだ。
 肌に触れる空気の奇妙に張った感触に、志保は首を傾げる。
 穏やかに、或いはあどけない表情を浮かべた少女の人形は愛らしく、絹糸で作られた柔らかな髪に触れたい衝動に駆られるが、触れるなという不粋な表示はない。
 客の良識に期待するにしても、作品に対してあまりにも無防備な様子に、自制を要する緊張感と、照明の明度の低さ、そして展示の古めかしい雰囲気。
 それ等を、拒まれているように感じているのだろうと、志保は無理から納得し、それ以上深く考えることはせず、順路に沿って進み始めた。
 奥へ突き当たれば、左へ折れ、と順路は広い会場を蛇腹に折る形で設定されているようだ。
 人形達の前には、簡単に製造年月日のみが記された小さなプレートが添えられ、人形が作成された時系列に展示されていることがすぐに解る。
 髪や瞳に肌の色、衣装もそれぞれに個性的な人形は、薄く唇を開いて、物言いたげな作品があるかと思えば、眠りに目を閉じたものもあり、それぞれの些細な変化は見るものを飽きさせない。
 そして、廉価品のように同じ顔をしたものは一つもない。
 製造年から見るに、常に新しい技法やモチーフを求めていることが、作品の流れで手に取るように解り、その為かたった一人の人形作家の個展にしては、かなり多作で規模が大きい。
「でも……何か、こう」
一歩一歩。進む毎に、志保は気持ちが沈むのに合わせ、重くなる足に首を傾げた。 
 人の手で造られた人の形は、年代が新しくなる程、より美しく、精緻になり……それに平行して、徐々に表情が喪われて行く。
 観る者の心を投影して、如何なる感情も映すように浮かべていた淡い表情すらも消え、初期の作品の抱き上げたいような愛らしさは、触れることすら憚られる怜悧さを滲ませ始めた。
 確かに少女の形であったそれ等は、より大人びた雰囲気を纏い、宙に向けるのみであった瞳は、視線の力で人の姿を捉える。
 何故。
 眼差しは、そう問い掛けている。
 人形達の、姿形は確かに美しい。
 豪奢な衣装に身を包み、人のように不自由を感じることもなく、ただ存在するのみに価値のある。
 けれど、最初から生きていない……それだけで、虚ろな人形達。
 どの人形もどの瞳も、何故、何故、何故と同じ言葉を繰り返し、主題のない問いを志保にぶつけながら、それでいて答えを求める様子はない。
 それは、狂気に似ている。
「美しいねぇ。やはり、この頃から凄味が増すね」
年配の夫婦が志保の後ろを、感歎の息を吐きながら通り過ぎていく。
 彼等は、人形の問いに気づいていないのだ。
 人を精密に模した以上に美しい人形達。その裡の虚に反響する、疑問。
 一度そうと認識してしまえば、志保の感覚は容易にそれを拾い上げ、手で耳を塞ごうとも、音ではない人形達の声は止むことなく、ひたすら問いを投げかけて来る。
 志保は鞄を胸に抱え、人形に目をくもることなく足早に歩き出した。
 展示会の順路は一通、戻る方が距離もあり、表示の年代から展示も終盤と判断し、志保は先を急ぐ。
 入場した時とは裏腹に、今は一刻も早く会場を出たかった。 
 観賞に足を止める、他の来場者の間を抜け、前だけを見据える。
 そうして目を合わせずとも、人形達の問いは志保を捉えようとし、会場の持つ独特の緊張感は、張り巡らされた糸の如き……焦りや怒り、そんな感情に似た問いかけに端を発するのだと知れた。
 志保は無意識に、感覚で先を探る。発達した第六感は、右に一体、左に二体というように、人形の存在を予め感知し、志保は顔を背けることで直視を避けて場を凌ぐ。
 そうして、漸く人形の気配のない場所、即ち順路の執着を察知して、志保は角を右へと曲がった。
 そして、思わず足を止める。
 通路を抜けた先には広く空間が取られており、その中心を幾つものライトが照らし出して、周囲の人だかりを黒く影絵のように写し出していた。
「あの人形は素晴らしい」
「最高傑作」
ざわざわと、口々に褒め称える言葉が洩れ聞こえるが、志保は半ば本能的な警戒で以て、人垣の中心にある……人形であろう展示を見ることなく、出口へ抜けようとした。
 その瞬間、ごく自然に。
 有り得ないタイミングで、人形と志保とが対面する位置で人の波が左右に分かれた。
 目を合わすまいとする志保の意思に反して足は止まり、視線は知らず人形に向かう。
 人形は、籐椅子に腰掛けている。
 天井からつり下げる形で、卵形に身を包むように作られたブランコに身を預けた少女の人形は人間と見紛う大きさで、立たせることが出来れば、志保の胸ほどもあろうか。
 その人形は美しさはそのまま、当初の作風に立ち返ったように淡い微笑を口の端に浮かべている。
「なに……?」
志保は、一歩退いた。
 人形の瞳の青さが、志保の眼差しを捉えて離さない。
 その視線の強さは意志を感じさせ、人形をに生きた少女と見紛うばかりの存在感を与える。
 けれど志保の印象を、志保自身が否定した。
――これは、嘗て、生きていた、少女だ。
 閃きは確信となり、志保が得心すると同時、背筋に走る悪寒に身を振るわせた。
「この人形は、一体なんなの?」
震えながら絞り出すように発した声に応えはなく、人形を眺めていた人々は……まるで彼女に支配されているかの如く、一様に無言で志保に眼差しを注いでいる。
 志保は身を翻して、順路を逆に駆け出した。
 あの、少女の人形の脇を抜けなければ出口には辿り着けないとなれば、取るべき手段は一つしかない。
 後から入ってきたと思しき来場者の奇異の目と、人形達の無言の問いを振り切るように、志保は入り口から会場を飛び出す。
 けれど、何処まで走っても、あの貫くような青い眼差しが追ってくるようで、志保は何処までも走り続けた。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
北斗玻璃 クリエイターズルームへ
東京怪談
2008年04月21日

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