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『The fight of the sacred day 』
シュライン・エマ0086



 その日、鷺染・詠二は妹の横顔をチラチラと見ながら、落ち着かない素振りだった。 何かを言いたくて、それでも恥ずかしくて言えない、そんな彼の態度に聡明な妹の笹貝・メグルは気づいていたが、あえて声をかけないで置いていた。
 目の前に山と置かれた物に、簡単な魔法をかける。 贈られた人が幸せになりますように。そんな他愛もない魔法でも、かけて欲しいと願う人は沢山いる。
 何でも屋をやっている詠二とメグルは、イベント時には凄まじく忙しくなるのだが、どうしてだか今年は例年よりも仕事数が少なく、目の回るような忙しさと言うには程遠い。
「ねぇ、メグル」
 沈黙に耐えられなくなって、詠二が先に口を開く。
「今日って何の日だか知ってるよね?」
「バレンタインですよね。 ソレが何か?」
「う‥‥‥冷たいぞメグル! チョコは!?俺にチョコは!?」
「そんなの、あるはずがないでしょう」
 私は忙しいんです、誰かさんと違って。 そんな無言の主張に、詠二の綺麗な紫色の瞳にジワリと涙が浮かぶ。
「あるはずがないでしょうって、酷いぞメグル! 毎年いつもくれてたじゃないか!」
「毎年あげてるんですから、そろそろ飽きてください。 第一、お兄さんはホワイトデーには何も‥‥」
「メグルがチョコくれないと、“妹がチョコくれないロンリーナイト”歌っちゃうぞ! しかも、ハードロックで歌っちゃうからな!挙句、ワルツ踊っちゃうんだからな!マイムマイムも踊ってやるっ!」
「‥‥‥勝手にしてください」
 チョコ欲しいよーと、床に寝転がってジタバタする詠二を前に、メグルのイライラが最高潮に達する。
「五月蝿いですよお兄さん! そんなにチョコが欲しいなら、自分で買って来てくださいよ!」
「‥‥‥うぅ‥‥‥世の中にはチョコいっぱい貰って、ニコニコしてるヤツがたくさんいるのに、俺は実の妹にすらも貰えない‥‥‥。こ、こんなイベントなんてなくなってしまえーっ!!」
 叫ぶが早いか、詠二は部屋の奥から真っ黒な矢を取り出すと涙目でソレをメグルに見せつけた。
「覚えてるかメグル!この矢を!」
「それは‥‥‥!」
「この矢でカップルを射れば、たちまち仲が悪くなって大喧嘩!チョコいっぱい貰うヤツは、自分からチョコ作りたい欲求に襲われる!チョコを渡そうとしていた女の子は自分でソレを食べる事になり、チョコ売り場は俺みたいな恵まれない人にチョコを差し出すんだ!」
「バレンタインを目茶目茶にする気ですか!?」
「‥‥‥だって、だって‥‥‥メグルがチョコくれないって言うんだもん! こんなイベントなんてなくなっちゃえー!」
「たかがそんなことで人様に迷惑をかけようとしているなんて‥‥‥」
 怒りに震えながら、メグルはキッと顔を上げると既に見えなくなった兄の背中に向けて叫んだ。
「この、愚兄がーーーっ!!!」


☆ ★ ☆


 シュライン・エマは非常に怒っていた。 それこそ、髪の毛が逆立っているのではないかと思うほどに怒っていた。
「絶対に捕まえてやるわっ!」
 決意に燃えるシュライン口の中は、チョコの味でいっぱいだ。 彼氏のためにと一生懸命作ったチョコレートを、あろう事かシュラインは自分で食してしまったのだ。
 勿論シュライン自身は自分で食べる気など毛頭なく、草間・武彦に渡して喜んでもらうつもりだった。そしてそれは、今も変わっていない。
 では何故、そんなにも大事なチョコを自分で食べてしまったのか? それはあの忌々しい黒い矢が当たってしまったからだ。
 鷺染・詠二と言う名のチョコへの冒涜者が黒い矢を片手に一年に一度のバレンタインを滅茶苦茶にしたのだ!
「自分で食べたばかりか、武彦さんに電話までしたのよ私!」
 隣にいるメグルが、顔を引き攣らせながらコクコクと頷く。 どうやらメグルも引くくらいの怒オーラが全身から放出しているらしい。
「そのせいで武彦さんとは喧嘩しちゃったし‥‥‥ぜぇえぇええったいに許さないわ、詠二!」
 シュラインの綺麗な青色の瞳が鋭く光る。
「すみません、うちの愚兄が‥‥‥」
「メグルちゃんは何も悪くないのよ、メグルちゃんはなーんにも悪くないんだからね!?」
「あ、あの、シュラインさん、ちょっと喫茶店で一休みしませんか?」



 ココアを飲んで一息ついたシュラインは、先ほどまでの怒りはどこへやら、メグルに柔らかな笑顔を向けると「それじゃぁどうしましょうか」と、上品な女性らしく切り出した。
 メグルが武彦に電話をかけ誤解を解き、二人の仲が無事に元に戻ったからゆえの表情だった。
「詠二は今も黒い矢で色々な人の仲をこじらせてるのよね、きっと‥‥‥」
「えぇ、愚兄ですから」
「詠二が今何処にいるのか分からないし‥‥‥外に出れば、もしかしたら分かるかもしれないわ。喧嘩してるカップルの声とかを頼りにすれば詠二の移動した経路を把握できるでしょうし、そこから今何処にいるのか割り出すことも出来るかも知れないわ」
「そうですね、何せ愚兄ですから」
「それじゃぁ、出ましょうか」
「はい。愚兄ですみません‥‥‥」
 恥ずかしそうに俯いて頬を赤く染めているメグルは、いまいちシュラインの言葉を理解していないらしい。
 代金を払い、外に出る。 冷たい風がシュラインの漆黒の髪とメグルの銀色の髪を靡かせ、メグルがスカートを慌てて押さえる。
「それにしても、“妹がチョコくれないロンリーナイト”ってどんな曲なのかしら?」
「さぁ‥‥‥お兄さんの事ですから、死ぬほどくだらない曲に決まってますよ、絶対」
「うーん、でも興味あるわ。 ロックでもヘビメタでも演歌調でも構わないから歌ってみてくれないかしらねぇ」
「お兄さん、あれで歌は上手いんですよ」
「そうなの? 意外だわー」
 メグルと朗らかに会話をしつつ、意識は耳に向ける。 雑踏の中から人々の声を聞き取り、喧嘩をしているカップルの声をキャッチする。
「あたしが一生懸命作ったやつなのに、どうして不味いとか言うのー!?」
「不味いもんを不味いって言って何が悪いんだよ!」
「何で怒鳴るわけ!?」
「お前だって怒鳴ってるだろ!?」
 駆けつけてみれば、金色の長い髪をした女性と茶髪の髪を立てた男性が街中で言い争っているのが見える。 男性の背中にザックリと刺さった黒い矢が痛々しい。
「女性の方は頭に刺さってますよ‥‥‥」
 お化け屋敷で見る落ち武者を思わず思い出してしまう。 あれが普通の矢だったならば、二人とも確実に絶命していなくてはおかしい。
 シュラインとメグルはそっと二人に近付くと、黒い矢を抜いた。 矢は抜けた途端手の中でバラバラと崩れ、地面に到達する前に風に乗ってどこかへと流されていく。
 はっと顔を見合わせた二人が眉根を寄せ、暫くしてから手を握ると女性が甘えたような声を出した。
「なんかー、変な夢見てたみたーい。白昼夢ってやつかなぁ〜?」
「マジー?どんなの、どんなの?」
「あのねぇー、たっくんがぁー、まりの作ったチョコ不味いとか言うのー!酷くない、酷くない!?」
「えー、まりの料理は美味いのに酷いな!いくら白昼夢とは言え、俺の馬鹿ー!」
「えへへ、まり、たっくんのこと許すよー!」
「本当かまり、ありがとー!やっぱまりは超優しいな!それに超可愛いしー!」
 ‥‥‥矢が抜けた途端のバカップルぶりに、開いた口が塞がらない。
「多分、あの方のチョコは不味いんだと思います。黒い矢を射られた時、心の中に溜まっている些細な、それこそ自分では気がつかないような鬱憤が噴出するんですけど、完全な嘘が出てくることはありませんから」
「そうなの。‥‥‥それじゃぁあの男の子は彼なりに色々と頑張ってるのね」
 彼の胃を心配しながらも、シュラインの耳は次から次へと黒い矢の被害者達の音へと引き寄せられる。
 チョコを買いに走る人、おもむろにチョコをほうばる人、俺がチョコを作るんだー!と言って走ってどこかへと行こうとする人、次から次に矢を抜いていくが、追いつかない。
「多分私達が行こうとしている先に詠二がいるんで間違いないんだと思うのよ」
「そうですね。 お兄さんの先回りをしましょうか?」
「えぇ、そうするんだけど‥‥‥メグルちゃんにおつかいを頼みたいの」
「おつかい、ですか?」
 可愛らしく首を傾げ、シュラインの先の言葉を黙って待つ。
「チョコを買ってきて欲しいの。どんなのを買ってきてもらっても構わないんだけど、包装はメグルちゃんにしてもらいたいの」
「つまり‥‥‥」
「そのチョコを人質にしましょう」
「‥‥‥あれだけ作らないって言っておいたので、普通なら引っかからないでしょうけれど、なにせ相手はお兄さんですからね」
 遠い目をしながら虚ろに微笑むメグル。誰よりも詠二の事を知っているメグルは、彼が一般常識で括れない事を理解していた。
「きっと‥‥‥いえ、絶対に引っかかるでしょうね。なにせ相手はお兄さんですからね」
 溜息とともに吐き出された言葉は、1回目の時よりも重たい感情を纏っていた。


☆ ★ ☆


「はーっはっは!バレンタインなんてなくなっちまえ、くそーっ!!」
 半べそになりながら高笑いをしつつ矢を射ていた詠二を見つけ、シュラインは両手を広げると進路を遮った。
「これ以上バレンタインを汚させはしないわ!」
「シュラインさん、そこをどいてくれないか!?俺はな‥‥‥俺は、バレンタインの日に生まれたサタンなんだー!」
 意味が分からないわ。 心の中でツッコミを入れつつ、シュラインは怯まなかった。
「チョコへの冒涜、絶対に許さないわ!」
「チョコなんてなぁ、カカオじゃねぇか!茶色じゃねぇか!甘いじゃねぇか!」
 だからなんだと言う話である。 色々と言っているものの、詠二もその先に続ける言葉を見失っているようだ。
「これからは糖分摂取は砂糖の時代だぜ!チョコの代わりにバッグには砂糖の小瓶を入れ、バレンタインには砂糖の塊を贈れば良いんだー!」
「詠二‥‥‥」
 完全に脳内回路がおかしな事になっているわ。 思わず不憫な視線を向けた時、メグルの凛とした声が空気を揺るがした。
「お兄さんがチョコを否定するなんて、寂しいです。 折角チョコを作ってきたのに‥‥‥」
 演技なんて出来ないメグルは、思い切り棒読みで言っていたが、詠二はそんな些細な ――― シュラインからしてみれば大きな事だが ――― ことには気づかない。
「ちょ、ちょちょちょちょちょチョコー!?」
 鼻息荒く突進してこようとした詠二の前に立ちふさがるシュライン。詠二がピタリと止まり、上目遣いでこちらを窺う。
「まずは矢を放しなさい!両手を上げるのよ!」
「でも‥‥‥」
「このチョコがどうなっても良いの!?」
 シュラインが手を差し出せば、メグルが素直にチョコをその上に乗せる。 どうするのかとハラハラしながら成り行きを見守っている詠二に笑顔を向け ―――――
「私、チョコ大好きなの。 メグルちゃんのチョコならきっと美味しいんで‥‥‥」
「そ、そ、そそそそ!!それ、俺の!俺のぉおおおっ!!」
「それじゃぁお兄さん、矢を足元に置いて両手を上げてください」
 メグルの言葉に渋々矢を置き、両手を挙げた詠二。 これにて悪夢のバレンタインは終わりかに思われたが‥‥‥誤解は解けたとは言え、シュラインは詠二によってかなりの精神的ダメージを被った。少しくらい返しても罰は当たらないだろう。
「チョコを渡す前に、1つ訊いておきたい事があるんだけど」
「なに?」
「“妹がチョコくれないロンリーナイト”ってどんな曲なの? どうせなら歌ってみてくれない?」
「良いけど‥‥‥それじゃぁ、まずは演歌で!‥‥‥手、下ろしても良い?マイクないと歌い難いし」
「お兄さん、マイクなんて最初からありませんよ」
「いや、手をこう‥‥‥マイクに見立てて、ね?」
 既に歌う気満々らしい詠二は、黒い矢のことなど忘れてしまっているかのようだ。 右手を丸め、口元に持って行くと驚くほどの美声で歌い始めた。
「♪夜中0時メグルに訊いたチョコはあるかと〜」
「♪メグルは言った冷たい目で〜」
「♪そんなのないわ、あるわけないわ、あっち行ってと〜」
「♪俺の心はズタボロさー」
「‥‥‥物凄く下らないし所々慌ててる感があるのに、歌が上手いせいで全てがどうでも良く思えてくるから凄いわね‥‥‥」
「何でも屋より歌手になった方が良い気がするんですよね‥‥‥」
 ノリノリで歌いきった詠二の周りには、ギャラリーが出来つつあった。 まだ歌い足りないらしい詠二が、今度はロックで!と声を上げ、周囲から拍手が巻き起こる。
「♪ずっと待ってたこの日を、ずっと夢に見てたこの日を」
「♪1年間楽しみにしてた、この日に全てをかけてた」
「♪それなのに、妹はくれないんだ、チョコくれない、酷くNE!?」
「♪枕濡らす、涙でぐしゃぐしゃ、俺の心もGUCYAGUCYA!」
「♪チョコ欲しいよチョコくれよ、俺のハートはBOROBORO!」
「歌詞が輪をかけて酷くなっているわ‥‥‥」
「それなのにギャラリーの皆さんは大興奮ですよ」
「そりゃぁね、あれだけ上手ければね‥‥‥」
 それから小1時間ばかり熱唱した詠二の前にはいつの間にか缶が置かれ、数万円の臨時収入を手にする事になっていた。



「詠二が歌が上手いのはよく分かったわ」
「それじゃぁ、メグルのチョコくれる!?」
 尻尾があれば絶対にパタパタと揺れていたであろう。そのくらい、詠二の顔は輝いていた。
「えぇ、あげるけれど‥‥‥」
 詠二の路上ライブの騒ぎの間に無くなっては大変だと予め回収しておいた矢をこっそり持つと、笑顔で走りこんできた詠二の頭にブスリと突き刺す。
「シュラインさん?」
 困惑気味のメグルを笑顔で振り返り、シュラインは詠二の肩をドンと押した。 詠二が目の色を変えてどこかへ走っていくのを横目で確認しながら、悪戯っぽく目を細める。
「たまには作ってもらう方も体験してみたいわよね」
「‥‥‥シュラインさんも草間さんに使ってみます?」
「詠二ならともかく、武彦さんのお菓子作りの腕は怖い気がするから遠慮しておくわ」
 二人でクスクスと笑いあった後で、メグルが細く白い腕を空へと突き出し背伸びをすると大きく深呼吸をした。
「シュラインさん、今からチョコ作りません?」
「私は武彦さんに作りなおすつもりだったけど、メグルちゃんは誰に?」
「愚兄でも、鷺染・詠二は私の大切なお兄さんですから」



END


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


 0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員

Bitter or Sweet?・PCゲームノベル -
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東京怪談
2008年04月21日

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