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『動き出す時間 止まる時間 』
蛍・ヨシノ0802)&エノア・ヒョードル(0716)&アレクサンドル・ヨシノ(0713)&(登場しない)


ライター:メビオス零



※ ※ ※

 頑丈な鉄の檻‥‥‥そうとも取れる程に強固に作られた大型の軍用車の中で、ジッとPCのディスプレイを見つめていた蛍 ヨシノは、静かに目を閉じた。集中しすぎたために熱を持っている眼球を押さえ、微かに緊張を持っている体を抱きしめる。
 ‥‥全ての準備は完了した。
 あの事故から、早三年。
 短いような、長いような‥‥怒濤のような三年間だった。
事の終わった研究所に出向き、その凄惨さに膝を折ったあの日‥‥研究データを組織に持ち帰り、自分に接続しているチップと同じ物を搭載された“ノスフェラトゥ”が、何をしたのかを知ったあの日から‥‥‥‥自分は様々なものが変わっていった。
その日々に、想いを馳せるような感慨はない。そんな物を持っていては、この場に到達する前にどこかで逃げを打っていた。
友を裏切り、親を欺き、娘を捨て置いてここに来た。唯一の理解者であるアレクサンドルでさえ、今ではどういう立ち位置に置いているのか、自分でも分からない。
もはや口にするのも抵抗を感じる。しかし不思議と冷え切った思考。
これを成せば、全てが取り戻せるだろうか? 悲願を達成し、今まで無くしたものを取り戻し、また数年前の、全てが起こる前のあの日々に戻──

(何を、馬鹿なことを‥‥)

 目を開き、思考に没頭していた頭を揺り動かす。まるで夢から覚めたように解放された脳は、即座に脳裏を過ぎった思考を否定する。
 ‥‥自分はどれだけのことをやって来たのか、自分で理解している。アレクサンドルの力を借り、組織の力を使い、ノスフェラトゥを回収するために入念な準備を進めてきた。その周囲に、自分にどれだけ近しい人間がいるのかを知った時も、応援を頼もうともせずに利用した。
 そんな自分が、以前の幸福な日々に戻ることが出来るか否か? 考えたとしても良い結果など出てこない。冷静な思考を持てば持つほどに絶望への道筋が見えてくる。
蛍は愚かではない。客観的に見て、自分がどんな人間になってしまったのかも理解している。
狂気に駆られているわけでもない。全てが終わったあとのことを考え、何かに打たれることもある。
‥‥歩みを止めようとしたことも、当初はあった。しかしそれでも、やらねばならないことは成さねばならない。それまでは、全てを終えた後のことなど考えてはいけない。そう自分に言い聞かせていた。
五年前のあの日、セフィロトより発掘された五枚のAIチップ‥‥‥‥
当初はブラックボックス化していたアレを仲間と共に研究し、その能力に心を奪われた。その存在理由にも気付かずに、ただその芸術的な機能に熱中した。
五枚のAIチップは、それぞれが個別に知識を集め、やがて統合体となる時の為に存在していた。もはや果たせぬとされるセフィロトの完成。あの審判の日に全てを絶たれた、人類の夢の世界‥‥
これの完成を夢見て果たせなかった科学者達の無念。その無念が生んだ最後の希望が、あのチップなのだ。そうとも知らずに、蛍達はそれに戦闘用の肉体を与えた。そして結果、それを失わせてしまった。
そうさせてしまったのは、自分と、その仲間達だ。しかも現在、その原因すら未だ掴めないままでいる。そんなこと、亡き科学者達の願いに共感し、科学の鬼となった蛍にとって許せることではない。全てを振り払ってでもノスフェラトゥを求め続けなければならなかった。失われたチップを回収し、失われた者達の悲願を成さねばならなかった。
 まるで呪いに突き動かされるように、蛍はその為に走り続けた。
 ‥‥‥‥そして、その時が来た。
 蛍の中にあるAIチップは、間断なく蛍に訴えかけてくる。
“もういい、もう十分”だと。
 実際にそう語りかけてくるわけではない。声も聞こえない。しかし感じるのだ。まるで人の気配や視線を感じる時のように、根拠もなしに“何か”を感じる。
 恐らくこのAIチップは、個々に様々な知識を溜め込んだ後に、それぞれのAIチップが寄り集まり、統合するように出来ている。それはまるで本能のように、AIチップの最下層に埋め込まれている命令である。それ故に、分かるまで時間が掛かった。いや、時間をかけても、ただ研究所で調べるだけでは誰も気付かなかっただろう。
自分自身に接続して補助脳として使用し続けた御陰で、微かに感じ始めた違和感に気付けるのだ。これは、扱っている者にしか分からない。それぞれが補助脳としての役割を果たすが為に、新たに得た知識に埋もれて見えてこないものだ。
ならば、あのノスフェラトゥはどうだろうか?
暴走を起こしたあの当初は、三体の自律機械化歩兵‥‥ノスフェラトゥ全ての学習型補助脳に一枚ずつ搭載されていた。しかし、研究所から脱出したノスフェラトゥは他の二機を破壊し、それを奪取している。
それ以降、この時脱出したノスフェラトゥ以外の二機は確認されていない。もしスペアパーツとして分解され、AIチップ二枚が奪取した一機に組み込まれていたとしたら‥‥

『蛍、私だ。目標を確認した。これより誘導に入るが、大丈夫か?』
「‥‥ええ。こっちの準備も完了しているわ」

 ディスプレイに映し出されている文字を目で追っていた蛍に、外で作戦準備を進めていたアレクサンドル・ヨシノが声をかける。
 万が一の傍受を想定しているのだろう。暗号に暗号を重ねた通信音声には微かにノイズ混じっている。そんな音声では相手の感情の機微は量りにくい。しかし軍人時代に培った洞察力か、それとも連れ添いに対する思いやりからか‥‥‥‥アレクサンドルは、蛍の言葉に微かな違和感を感じていた。

『そうではなく‥‥』
「大丈夫。あなただけに、無理はさせないから」

 蛍の指が伸び、通信が途切れる。

(さぁ、これで終わらせるわよ)

 電子音が一定間隔で鳴り響き続けるだけとなった車内で、蛍は椅子から立ち上がり、壁に掛けてあった小さなスタンガンのような物を手にとって白衣の中に仕舞い込んだ。




※ ※ ※



 通信が切られたのだろう。アレクサンドルが手にしていた通信機からは、ツーッ、ツーッと言う小さな電子音のみが響いていた。

「‥‥蛍」

 事故から三年。ノスフェラトゥを追い続けていた連れ添いの蛍とは、僅かにだが違うような、それより以前の蛍に微かにでも立ち戻っていたような‥‥そんな違和感を感じていた。

「将軍。予定通り、全員配置に付きました」
「うむ。標的は?」
「現在作戦ポイントまで2?q地点。到着まで、推定10分ほどかかります」
「ならば良い。全員作戦通りにポイントで待機。指示を待て」
「はっ!」

 報告に現れた部下に指示を出し、アレクサンドルは心中から余計な思考を振り払った。
 蛍がどういう状態にあるのかは不明だが、アレクサンドルはノスフェラトゥ捕獲に全力を尽くすため、その思考を断ち切った。自分の妻を案じる思考を断ち切るなど、客観的に見れば非情とも取れる。しかしこの作戦には、自分だけでなく部下三名、そして何より妻である蛍本人が参加している。そんな作戦に集中する事は、何よりも優先されて然るべきだ。
 アレクサンドルは手にした双眼鏡で目標を確認してから、自らも予め決めていた場所に移動する。

(準備は万端。ここで決着を付けさせて貰うぞ)

 アレクサンドルのノスフェラトゥに対する執着は、ある意味蛍のそれよりも大きく、しかし別の路線を走る物だった。
 事故の起こった当日、停電が起きてノスフェラトゥ三機が暴走を起こした時に自分はその場にいた。現場でその光景を見ていた。ノスフェラトゥが接続されていたケーブルを引き千切り研究員を殺害し同型機を屠り逃走した現場に居合わせた。
 そして自分は‥‥‥‥何も出来なかった。
 竦んだわけでもない。ただ現場の突然の変化に僅かに混乱し、判断が遅れた。そして正気に戻った時には、既に何もかもが手遅れとなっていた。
 そして目の前に広がったのは、肉片と赤い液体の広がるあの光景‥‥‥‥

「‥‥そうだ。ここで‥‥必ず」

 握りしめた拳に力が篭もる。長きに渡って溜め込まれていた力を余すことなく出し切るように、アレクサンドルは拳を握りしめていた。




※ ※ ※




 ‥‥セフィロト内に人間が住むと言うことは、まず滅多にないことである。
 単純に食料や情報が滅多に入らないのと、第二にタクトニムの存在だ。
 この場所に住み着くという者は訳ありの逃亡者でもまずいない。どれほど屈強な猛者だろうと、外界と巨大なゲートで隔てられているこの場所では、まず一週間と持たずに音を上げる。何しろ二十四時間、寝る間もなくタクトニムを警戒しながら過ごさなければならないのだ。セフィロトに来るビジター達の中にも、遭遇した者から金品を横取りしようとする者も少なくなく、余程の事情がない限り仕事以外では近付かない。

「‥‥‥‥」

 そんな戦場のような場所に、エノア・ヒョードルはアジトを構えていた。
 徘徊するタクトニム達の移動ルート。近辺にあるショッピングモールや電子機器を取り扱っている高層ビルなどの位置を計算し、なるべく誰も来ないような場所を選択した。タクトニム達とて、闇雲に動き回っているわけではない。生物系ならば食料品を遠ざけておけばまず現れないし、機械系ならばセキュリティーの生きているビルから離れていれば良いだけである。
 加えてアジト周辺に巧妙な罠を仕掛けることによって、エノアはアジトをより安全な場所に仕上げていた。と言っても、罠は警報装置のようなものであって、殺傷力は皆無である。あまり派手な罠を仕掛けることは、“ここに居ます”と宣言するようなものだ。よって、こういった場所に配置する罠は、引っ掛かった相手がそうと気付かない程度の物が好ましい。
 エノアは仕掛けてある罠に変化がないかを横目で探りながら、瓦礫の中に紛れているワイヤーを跨いで歩を進めた。
と、そんな最中、チリチリと頭の中で火花が散るような痺れを感じ、歩みを止める。

「‥‥‥‥?」

 額に手を当て、一秒、二秒と動きを止めてから、特に異常はなしと判断した。頭痛のような痺れは残っている。しかしこれと言って、エノアはその痺れに対しての危機感を感じていなかった。三つあるAIチップに異常を検索させてみても、義体のどこにも異常は見つかっていない。ならば気に留めることもないはずだ。
 経験した戦闘や環境から得たデータを元に成長し、様々な知略を編み出すエノアでも、自身の体に対する危機感は薄かった。まるでそれがないわけではないが、思い起こせる最古の記憶からしてオールサイバーとしての記憶である。人間のように僅かな体の違和感。不調。まして頭痛などと言う物に対する対応手段に欠けていた。
 ‥‥それに、もしここで危機感を察していたとしても、既に手遅れであることには変わりはない。
 エノアはアジトであるビルに入り、三階にまで上がった所で異変に気が付いた。

(‥‥‥‥誰か居る)

 瓦礫があちこちに散乱する室内を前に、エノアは足を止めて目を細めた。そして腰に括り付けていた高周波ブレードに手をかけ、忙しなく上下左右に目を走らせる。
異変と言っても、極々些細なことだった。罠には変化はない。ワイヤーに何者かが引っ掛かることによって落ちる瓦礫もそのまま、床にばらまいた塵にも足跡は付いていない。しかしエノアは、微かに感じ取れる違和感を察知し、戦闘態勢に入っていた。
常人ならば気にも留めない違和感の正体‥‥それは、周囲に充満する空気だった。
普段よりも生暖かく、人の居る気配がある。
そのような小さな違和感ならば、玄人でも見逃すだろう。例え気付いたとしても、そもそもセフィロトとて完全に無人な訳ではない。訪れたのはビジターかタクトニムか‥‥それを思えば、さしておかしいものでもない。
が。ここは、エノアのアジトなのである。入念に仕掛けた罠をかいくぐってくる侵入者を、偶然迷い込んだ者で済ますつもりは毛頭ない。
 ‥‥‥‥頭痛が鳴りを潜める。ブレードに掛けた手に力が篭もる。一呼吸だけ大きめにとり、そこでピタリと止めて気配を窺う。視界には敵影なし。当然と言えば当然。では死角には?

「────」

 静寂が場を支配する。
 エノアはジッと気配を窺いながら、ビルの構造を思い起こしていた。
 現在位置は地上三階の室内で階段の目の前にあった部屋だ。本来ならば六階にまで続いている階段は崩れており、ここから先は各室内の天井に開いている穴を通って行かなければならない。その為、移動ルートは複雑になっている。
 エノアがこの場所をアジトとして選んだのは、電力が生きていたことと、身を隠しやすい‥‥と言う利点があったからだ。しかしもし、外に出ているエノアを待ち構えるとしたら、相手にとっても待ち構えやすい場所と言うことになる。脱出、侵入。どちらを選択するにも格好の場所。もし誰かと相対するとしたら、このビルの構造をより熟知していた者が生還する。
 ‥‥しかしそれならば、余す所なく罠を仕掛けるほどに熟知しているエノアの方に分があるだろう。
 エノアはブレードに力を篭め、足を床に擦らせながらジリジリと後退し‥‥‥‥躊躇なく体を回転させて背後の壁を斬りつけた。

「ぬぅっ!」

 骨組みとして使われていた鉄骨が両断され、それを覆っていたコンクリートが四散する。
 壁を間に挟んで廊下側からエノアに接敵していたらしい男の野太い声が聞こえてきたが、刃は掠ってもいない。恐らくは壁を斬りつけたことで反対側に飛び出した瓦礫の石飛礫に怯んだだけだろう。セフィロトに来る者相手ではダメージは見込めない。エノアはそれを手応えから察し、舌打ちもせずに廊下に飛び出した。
 通常、突然相手の目の前に飛び出すことは自殺行為である。ついついやりがちではあるが、しかし相手の装備も力量も分からない状態では、最悪の時には的にしかならない。
 だがエノアは、躊躇なく飛び出していた。元より遠距離攻撃の為の装備はない現状、どうした所で接近戦をしなければならないのだ。ここで距離を取ることで、相手に間合いの優位を与えるつもりはない。まして今なら、エノアの攻撃によって相手も多少は怯んでいるはずだ。
プロならば一秒で立て直される僅かな隙‥‥‥‥そこに飛び込めずして、勝利はない。
 そうしてエノアは対峙する。見慣れた青い軍服。戦場で鍛えられた兵士の目。ある意味見慣れた、エノアを追跡し続けていた将軍の姿を‥‥‥‥



 そうして戦いは始まった。
 目前に躊躇なく現れたエノアから距離を取るべく、アレクサンドルが背後に向かって跳躍する。その途端、目の前を上段から振り下ろされた高周波ブレードが通り過ぎた。
ザガッ! と、まるで岩が叩き割られたような音が響き渡る。まだ叩ききられた壁の瓦礫が宙に舞っているが、そこに叩き斬られた床の瓦礫が混じっていく。

(やはり速いな)

 エノアの斬撃を目の当たりにしたアレクサンドルは、予想を上回る剣速と反応の速さに目を見張っていた。斬撃の速度も十分に恐ろしいものではあるが、それは義体のスペックを予め知っていたことで予想出来ていた。しかし攻撃に移るための反応と行動の速さは別だ。これはここまでの実戦によって培ってきた戦闘経験。壁を切り裂いた一撃目から、コンマ数秒で廊下に飛び出しトータル一秒掛けずに第二撃を繰り出した。
 ‥‥恐ろしく判断が速く、正確だ。
 二撃目を回避したアレクサンドルは、既に冷静な状態に戻っている。が、二撃目の回避は一撃目に反応して反射的に下がったに過ぎない。一撃目の時には、確かに一瞬だけ硬直‥‥戦慄していた。隙が確かにあったのだ。
もしあと僅かにでも、エノアが出てくるのが遅かったら、二撃目に合わせて銃弾を喰らわせるかカウンターで殴りかかることも出来ただろう。しかしその機は逸している。背後に跳躍したアレクサンドルは、エノアと距離を取って対峙した。

「‥‥‥‥」
「‥‥‥‥」

 二人の視線が交錯する。
 互いに相手にかける情はない。
いつかはこうして戦わなければならない境遇にある二人だ。いつこの時が来ても驚くようなこともなく、話すようなこともない。それはエノアを追い続けていたアレクサンドルだけでなく、追われていたエノアにとっても同じ事だ。いずれは殺し合う相手として、しっかりと調査も入れている。
 ‥‥対峙した時間など、それこそ一瞬に過ぎない。
 エノアが床を切り裂き階下にまで突き抜けたブレードを引き上げて疾走を開始し、それに合わせるようにしてアレクサンドルが後退する。
 その後退を見て、エノアは追いながらも相手の様子を窺った。
 対オールサイバー骨法の達人であるアレクサンドルならば、エノアとも接近戦は出来るだろう。これは事前に調査済み。ならば何故距離を取るのか。間合いを空けて銃器による応戦? 否。それならば壁に隠れている間に手にしている筈だ。現在のアレクサンドルは素手である。距離を空けては攻撃する手段はない。
 狭い廊下を疾走すること二秒弱。その間に反撃してくる気配はない。
一本道の廊下。反撃せずに後退する敵。左右には壁。背後には廊下と、突き当たりに窓が───

(罠ッ!?)

 咄嗟に真っ直ぐに疾走していた体を右側に揺らし、態勢を低くしようと足を曲げる。その瞬間、窓から飛び込んできた銃弾がエノアの左肩に抉り込んだ。

「ぐっ‥‥!」

 狙撃用に使われる大口径のライフル弾。対オールサイバー・タクトニム用に特に口径のでかい特注仕様。命中したのはちょうど肩の骨格に当たる部分で、左肩に激痛が走り、腕が上がらなくなる。
 回避しなければ、首を砕かれて即死していただろう。ゾッとするような想像が背筋を走り、最近になってようやく現れ始めた感情を撫でさする。
 ‥‥しかしそんなものに付き合っている暇はない。目の前には、手負いの虎を仕留めようと迫る悪鬼がいる!

「‥‥!」

 狙撃を受けたことで体勢を崩したエノアに、アレクサンドルが迫っていた。咄嗟にブレードを振るうが、傷を負った左側に素早く回り込まれて避けられる。ブレードは片手で扱うことも勿論出来たが、片腕が動かないことによって左右のバランスが崩れ、先程までの剣速はない。

「ぬん!」

ドッ! 腹部に衝撃が走る。
 殴られたのだ‥‥と理解する時には、既にエノアは行動を起こしていた。ほぼカウンターに近いタイミングでアレクサンドルを蹴り付け、跳躍。殴られた衝撃を逃がしながら吹っ飛び、空中で態勢を立て直して距離を取った。
 吹き飛ばされた場所は室内。窓は二カ所。狙撃を警戒して壁を背にしてから義体の異常箇所を検索する。

(殴打された箇所に異常はなし。左肩の損傷は重度。稼働範囲六十%減)

 埋め込まれているAIチップが矢継ぎ早に報告を送ってくる。その報告に、エノアは眉をしかめて目を細めた。
 殴打されたダメージは極軽微だ。アレクサンドルは一切のサイバー化を行っていない人間なのだから、どれほどの怪力だとしてもオールサイバーの胴体に攻撃した所で効果は期待出来ない。
 それはアレクサンドルも分かっていたはずだ。だからこそ、エノアは思考する。何が目的で、特に頑強に作られている胴体部分を攻撃したか。この部屋に押し込むため? だとすれば、先程の狙撃のように、やはりこの部屋にも狙撃の照準が付けられているのだろうか。
 考えている間にアレクサンドルが動き出す。エノアも右手でブレードを持ち上げ、体勢を整えた。
 ‥‥優勢は、まだどちらにも傾いてはいなかった。
 片腕を壊され、狙撃の驚異に晒されながらも、エノアの戦闘力はアレクサンドルを上回っている。アレクサンドルは左側左側へと体を流しながら隙を見て攻撃を繰り出すが、エノアは巧みに受け流し、斬りつけ蹴り付けてくる。
 元より運動能力ではエノアが上だ。狙撃ラインに入れないというハンデがあるというのに、それでもアレクサンドルはエノアを捉え切れていない。

(化け物めっ)

 アレクサンドルはエノアのブレードをかいくぐって隙を探りながら、苦々しげにその戦闘能力を推し量っていた。
 ここまで目立つ負傷は受けていないアレクサンドルだが、決して楽な戦闘を行っているわけではない。既に十を超える斬撃を躱しているが、フェイントとして繰り出される柄の殴打や蹴撃の類は既に何発も喰らっている。ただ、自身が一撃で倒されるであろう攻撃のみを見極めて躱している状態だ。
 ‥‥このままではジリジリと追い詰められていくだろう。体力はオールサイバーに敵うわけもなく、アレクサンドルは“これ”という一撃を躱すため、甘んじてエノアの攻撃を受けることもあった。当然ダメージは少しずつ蓄積されていく。そんな持久戦に持ち込まれれば、アレクサンドルが勝てる道理はない。

(まだだ‥‥まだもう僅かにでも‥‥)

それが分かっていても、アレクサンドルは慎重に事を進めていた。
 既に仕掛けは打ってある。あとは、この相手にもソレが通じるのかどうか‥‥それを見極めなければならない。
 エノアの斬撃を回避し、アレクサンドルが後退する。エノアはそれを追わず、横目で窓の方を盗み見た。
 ‥‥時間を掛けたくないのは、エノアも同じだった。既に二人が戦闘に入ってから約五分が経過。もし仲間が外にいるとしたら、包囲するには十分過ぎる時間。時間が経過すればするほど、何者かが応援として現れる確率は高くなっていく。
 厄介なことに、アレクサンドルがやろうと思えば大勢の部隊を用意することも容易いことだ。本人が単独での戦闘を好むために、退役後は滅多にそのような部隊行動は見られないが、それでも組織での指揮官役に座っているのだ。万全を喫するとしたら、単独での行動は考えにくい。
ならば退却か? しかし目の前の相手がそうさせない。
 この相手にこのアジトを発見されたのだ。ならばここを抜け出したとしても、今度はさして時間を掛けずに同じ状況に陥るだろう。

(──ここで倒せれば!)

 エノアの足が動く。二人の間合いは三メートルほど開いていたが、一足もあれば事足りる。アレクサンドルもそれぐらいのことはわかっていたのだろう、何一つとして動揺もなく、エノアのブレードを迎撃する。
 ‥‥と思われた。が、当然ブレードを真っ向から受け止めるわけもない。繰り出された突きを、両足を滑らせるようにして体をずらして躱す。しかしそれは至極当然な行動でありエノアの予想を超える事ではない。ブレードが壁際に積まれていた瓦礫に突き刺さる。アレクサンドルがカウンターを取るようにしてエノアの顔面目掛けて拳を繰り出す。だが大振りの攻撃ではエノアには当たらない。ただ首を捻るだけで回避し、その拳が戻る前に手首を返し、ブレードの先端を瓦礫に突き刺したままでアレクサンドルに腕を伸ばす。まるでギロチンのように迫る刃を、アレクサンドルはブレードを握るエノアの右手を掴むことで停止させた。

「むっ! ぐっ‥‥」
「‥‥‥‥‥‥そんなことで」

 止められるわけもない。オールサイバーと人間の力比べでは結果は見えている。体格の大きなアレクサンドルでは、この刃を伏せて躱すことは出来ない。しかし片側は刃で、もう片方は瓦礫の山。退路は断たれている。アレクサンドルがエノアの手を掴んだのは、精々時間稼ぎにしかならないことだ。
 そう、時間稼ぎにしかならないことだ。エノアと組み合っている左手はすぐに震え始め、数秒も保ちはしない。その手が外れた瞬間、エノアの勝利が決定する。

「っ!」

 アレクサンドルが自由になっている片腕を引き戻す。しかし出来ることないとエノアは踏んでいた。体が密着するほどの近距離では、単純に力が物を言う。技術で覆そうにも、この状況下に対応出来る体術を持っているとは思えない。少なくとも、エノアが集めたデータには入っていない。
 それが油断だったのか‥‥エノアは引き戻されたアレクサンドルの狙いが、自分に向いていないと言うことに気付かなかった。

「ふん!」

 ゴッ! 引き戻される腕。そのアレクサンドルの肘が瓦礫に叩き付けられ、エノアの突きによって大きく開いていた壁の亀裂にトドメが刺され、そこから液状の物質が飛び出してきた。

「‥‥!?」

 瞬間、エノアの顔が強張った。
 この場所にエノアを誘い出して壁を破壊させることが目的だったのならば、この液体はエノアを倒すための仕掛けである。ならば触れるわけにはいかない。しかし、僅か数十センチという近距離から飛沫を上げて襲いかかった液体を躱すことなど、出来る筈もない。
 刃を引き抜いて後退し、全身に掛かった液体を振り払う。
 何らかの薬品? 猛毒? それならばアレクサンドルが間近にいる場所で仕掛けを発動させるわけがない。エノアは体に付いている液体を指先で拭い、そこから予想される敵の目的を瞬時に推察した。

(‥‥‥‥水?)

 それも塩水。飛沫の一つが口内に飛び込んできたため、そこから判別出来る。毒ではない。酸でもない。濃度は濃いが、只の塩水だ。それにどれだけの意味があったのか。
 目潰しか? 一瞬はそうも思ったが、すぐに違う回答に行き着いた。
 確かこれは、通電物質とも言わなかったか?

(‥‥‥‥しまっ───)

 気付いた時には、既に敵の攻撃は始まっていた。
バリッ! と小さな音が鳴り響いたかと思うと、部屋から飛び出そうと跳躍に備えて曲げられた膝がガクガクと震え、床から足へ、足から胴へ、そして更に上へと一瞬にして強烈な痛みが駆け上がる。
‥‥室内に仕掛けていたエノアの罠を隠れ蓑にした偽装トラップ。元々この部屋には、侵入者を判別するために床に塵を撒いていたため、“本当の床”が見えないようになっていた。この罠は更にその下。塵を隠れ蓑にし、知らぬ間に電気を通すための仕掛けが網のように張り巡らされていた。

(電圧はそう高くない! 相手は────)

エノアは体に強烈な痛みを感じながらも、まだ意識を繋ぎ止めていた。
オールサイバーの表皮には、電気や水分を遮断するための物質が仕込まれている。これは義体にとっては標準で備えられている物だ。本来は体内からの漏電を防止するための機能なのだが、これは外部からの電気ショックを緩和するためにも使われる。
しかし同室にいるアレクサンドルには、そうした機能も能力もない。当然軍服や靴などの装備には絶縁処理を施しているのだろうが、あの様な通電物質をぶちまける算段ならば“万が一”は十分にあり得る。それを想定して、電圧を“対人間”仕様のレベルにまで落としているのだろう。相手が昏倒する程度になるように。
本来ならば、その程度の電流ではエノアには大した効果は望めない。しかしそれは、エノアが万全の状態にある時のみの話だ。度重なる戦闘によって負傷し、疲弊していたエノアの体は電撃の侵入を許し、痛烈なダメージを受けている。
 ‥‥両足の人工筋肉が悲鳴を上げる。傷口のある左肩から痺れが走る。
 だが痛みに打ち震えているような時間はない。アレクサンドルはエノアに電流が効いていると判断した直後には、既に次の一手に入っている。

「ァ‥‥‥‥アァァァアアアアアア!!!」

 一直線に懐に飛び込んできたアレクサンドルを迎撃するため、エノアはブレードを握る手に渾身の力を込めて斬撃を繰り出した。電流が走ったのは、ほんの数秒足らず。しかし致命的な数秒間。その間に全身の力を削ぎ落とされたエノアの体は、エノアの意志にまるで付いてきていない‥‥‥‥
 アレクサンドルは繰り出された斬撃に飛び込んでエノアに当て身を喰らわすと、瞬時にエノアの右手首を掴み取って、捻り上げた。人間を模倣して作られた腕は、意志に反して仰け反るように伸びきってしまう。

「終わりだ」

 ゴギャッ! 鈍い打撃音と、金属が折れ曲がる甲高い音が入り混じる。
 高周波ブレードを握っていた右腕の肘が叩き折られた。本来ならば人間の打撃によって破壊されるようなことはあり得ない。しかし電流によって人工筋肉は弛緩し、右手首は押さえられたままだ。伸びきった腕は叩き折るには絶好の体勢に入っている。これほどの条件を備えていれば、本来の強度など問題にもならない。

「両腕は潰したぞ。これまでだ」

 折れたエノアの腕を押さえたまま、アレクサンドルが鋭利な視線をエノアに向ける。その視線は「降参しろ」と言っているわけではない。アレクサンドルが欲しがっているのはチップだけ。そのチップをどこに仕込んでいるかが分からないからこそ攻撃部位を両手足に絞っているのである。だがそれは、決して“生かしておく”のが目的、と言うのとも違うのだ。

(言われるまでもない)

 互いにやれる所までやるしかない。
 エノアはブレードを未だに取り落とさない右手首を反り返した。
 確かに右腕は折られたが、それでも配線が繋がっている以上、手は動くのだ。人間ならば腕を折られれば指の自由などろくに効かないだろうが、サイバー化されていれば話は別。アレクサンドルはエノアの腕を抑えているものの、視線はエノアの目に向いている。ブレードを持つ腕を、既に動かない物と思っている。
 手首を返す。高周波ブレードがアレクサンドルの死角で動く。零距離。刃は何の抵抗もなく滑るように動き────────



 アレクサンドルの首を両断した。



 眼前で吹き上がる血飛沫。手に残る感触は確かなもので、斬ったという手応えが残っている。
 膝はガクガクとした震えが止まり、戦闘が終了したという安堵感が込み上げる。あとは逃亡するだけか。しかしそれも、万が一の時のために作っておいた抜け道を使用すれば問題な────

「ば‥‥かな‥‥‥‥」

 エノアの手から高周波ブレードが落下し、床に突き立って停止した。
 手首には異常はない。いや、それは損傷があるか否か、という所から見れば異常がないと言うだけのことだ。異常はあった。あるべきではない衝撃を受けて、ブレードを取り落とした。
 ‥‥‥‥アレクサンドルの手刀が、エノアの手を殴りつけていた。
 それも五体満足。たった今目の前にあったはずのアレクサンドルの遺体は消滅し、眼前に無傷のアレクサンドルが現れている。

(‥‥幻影? いつから!?)

 エノアは今まで戦っていたアレクサンドルが、どこから本物でどこから幻影だったのかの判別が付かず、これまで潜ってきた戦闘で初めての戦慄を覚えていた。
 相手の五感をも騙しきるテレパス能力。作り出した自身の幻影の攻撃を五感を操作することによって本物のように見せ、攻防を行わせる。そして自分はエノアの“視界”を操作して身を隠し、ここぞという場面でのみ幻影と入れ替わるようにして姿を現す‥‥
 自身の能力をフルに使った戦闘法で、アレクサンドルはエノアを完全に捕らえていた。

「言っただろう。これで“終わりだ”」

 アレクサンドルの右手がエノアの首をガッチリと掴み取った。まるで絞め殺そうと言うかのように容赦のない握力に、エノアの頭部が固定される。
 ‥‥しかしまだ終わったわけではない。エノアの両足には、既に力が戻っている。
 エノアは床を蹴り、その反動を乗せてアレクサンドルの股間を蹴り上げてやろうと襲いかかり────

「────────あっ」

 一瞬、脳に電流が走ったような痛みが走ったかと思うと、まともな思考が全て吹き飛び、体が痙攣してしまう。蹴り上げようとした足も力を失い、ダラリと垂れ下がってしまう。
 そうなった所で、ようやくアレクサンドルはエノアの体を解放した。エノアは倒れまいと体に力を込めるが、体は全く言うことを聞こうとしない。原因を究明しようとAIチップに呼びかけて異常を探させようとするが、全くの無反応。それどころか騒々しいノイズ音が間断なく鳴り始め、エノアの思考が段々と塗り潰されていく。

「ふふ。ようやく大人しくなったわね」

 背後から女の声がする。辛うじて動く眼球を動かし、倒れ込んだエノアを抱き起こす相手を視認する。

(‥‥白衣? この声、確か‥‥‥どこか‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥で‥‥‥‥‥‥‥────────)

 エノアの思考が、白く染まっていく。
 既に意識など朦朧としている。これまでに味わったことのない感覚がエノアを襲い、眠りにつく時のような脱力感が体を包む。もはやノイズも鳴りを潜め始めていたが、その代わりに無音の虚無が、まるでエノアを覆い隠すように迫っている。

「さぁ、あなたに預けた物を返して頂戴。大丈夫よ。この子達には、ちゃんと新しい体をあげるから」

 既に動かなくなった人形を大事そうに抱きしめながら、エノアを支えていた蛍は、エノアのAIチップを乗っ取りその体を強制停止に追い込んだ自らのサイバーアームを、エノアの体から引き抜いた。




※ ※ ※




 そうして、戦いは終わりを告げた。
 エノアの戦闘力を限界まで削ぎ落とし、アレクサンドルがエノアを拘束している間に蛍がエノアに接続する。
 直接エノアに回線を繋げるなど、出来るはずもない。しかしアレクサンドルによって両腕を潰されたエノアには、アレクサンドルの五感操作に逆らえるだけの気力も力もなく、体を固定されている間に背後でサイバーアームの端子を接続していた蛍を察することは不可能だった。

「ご苦労様。大丈夫かしら?」
「ああ。ようやく‥‥終わったか」

 アレクサンドルは激戦によって消耗した体を休ませながら、未だにけたたましく運動を続ける動悸を抑えていた。
 この戦い、アレクサンドルにとっても、決して楽な物ではなかった。
 予想を遙かに超えるエノアの体術。死角に回られようが狙撃の危機に晒されようが、決して揺れない精神。最後まで想像外の行動を取る戦術‥‥
 綱渡りのような戦いだった。幾重にも罠を張ったことによって得た勝利だが、そうでなければやられていただろう。決してこのような方法をとったことを、アレクサンドルは恥だとは思っていない。

「これで、三年‥‥いや、五年の悲願がようやく実を結ぶ」
「そう、そうね。 これでようやく‥‥‥‥」

 悲願の達成。三年間凍結していた願いに、ようやく手が届く。
 長年の積もり積もった想いが笑みを零させる。
 それはある意味、異様な光景だった。
 動かなくなった人形を抱きしめ、久方ぶりの笑みを浮かべる女‥‥
 アレクサンドルはこれから何が起こるのかを想像しながら、小さな狂気が終わる事を願っていた‥‥‥‥











★出演キャラクター★
0802 蛍・ヨシノ
0713 アレクサンドル・ヨシノ
0716 エノア・ヒョードル



★★後書き★★

 今回の発注を受けてまず私がしたことは、悲鳴を上げてベッドに入りガタガタブルブルと震えながら神様に命乞いをすることでした。
 エノアさん、クリスマスの時にはすいませんでした。今回の発注で有馬ライターの作品に出演していると言うことを知り、急遽そちらを読み込んだのですが‥‥‥‥こ、こんなに沢山の作品に出ていたのですね!
 クリスマスの時には素で気が付きませんでした。そっかぁ、そう言えば他の方々の作品に参加していれば、検索では出てこないんだよねぇ。あっはっはっ! ごめんなさい!! あの時にもちゃんと調査を入念にしていれば設定的におかしいことに気づけたのに!!
 今回は有馬ライターの作品を読み込んで続編という形で書かせていただきましたが、いかがでしたでしょうか?
 少々読み込みが足りないのでは‥‥と感じるかも知れません。案外、私が読んでいる作品以外にもこの物語に関わっている作品があるかも知れません。むしろその確率高そうで怖いです。計算の出演作は、結局一つしか見つかっていませんでしたし‥‥‥‥
 うぅ、あまり書いてても憂鬱になってしまう一方です。今回のことは心に入念に刻み込んで教訓と致しますので、作品に対する指摘や苦情などは情け容赦なく送っていただけたら幸いです。読むのは怖いけど、ちゃんと読みます。
 では、今回のご発注、誠にありがとうございました。
 またの発注がございましたら、これ以上ないほどに頑張らせていただきます。今回のは戦闘描写ばかりで面白味に欠けていたかも知れませんし。‥‥半分以上が戦闘って、胴なんでしょうかね? ァ、また憂鬱になってきた。引き上げます。
 では改めまして、今回のご発注、誠にありがとうございました(・_・)(._.)

PCシチュエーションノベル(グループ3) -
メビオス零 クリエイターズルームへ
PSYCHO MASTERS アナザー・レポート
2008年04月14日

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