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『Eden is phantom 』
桐生・暁4782)&鬼鮫(NPCA018)



 指先から滴り落ちる血には、必ず痛みが伴うはずだった。
 ――― 生きてるって感じがしないな、なんか
 痛みもなく鼓動にあわせて流れる鮮血に、暁は苦笑すると指先についた血を舐め取った。
「美味いのか?」
「や、わかんない」
「ふん、お前は分からない事だらけだな」
「それは徳治さんだって一緒でしょ」
 ニヤリと笑いながら目を細めた時、ふと暁の脳裏にある言葉が過ぎった。
 “エデンは人をダメにするの” どうして? “良い思い出も悪い思い出も、貴方が生きて来た道全てに靄をかけてしまうから。そのヴェールを、優しさの証だと言う人がいるわ。でも、私はそうは思わない”
 ――― これは、誰が言ったんだ‥‥‥?
 か細い少女の声は、確かにどこかで聞いた事があった。 瑠璃色の瞳に、漆黒の髪。胸の前で手を組み合わせた少女は、寂しそうな眼差しでそう言うと、目を閉じた。
 “未来しか示されていなくとも、未来はいずれ過去になる。過去を切り捨てることは、本当に良いことなの?”
 ――― あぁ、そうだ。これは、この台詞は‥‥‥
 ズキリと頭が痛み、暁はその場に膝をついた。額から汗が滲み、それ以上記憶を取り戻させはしないとでも言っているかのように、目の前が白く濁っていく。
 ――― 彼女はその後に、何て言った? 確か、確か‥‥‥
「“ Eden is phantom ”」



→ Eden Is Phantom START



 過去に残した大切な記憶は、時に人を縛り付ける。大切だからこそガラス細工のように繊細に扱わなければならず、大切だからこそ記憶の奥底に閉じ込める。時に浮上してくるその記憶は、必ずしも幸せを纏っているわけではない。大切な思い出に分類される記憶の中には、悲しいものも辛いものもある。思い出すたびに心を痛めつける記憶を手放そうとするたびに、思いなおして再び宝箱の中にしまいこむ。たとえどんな感情を伴ったとしても、記憶自体は大切な宝物だった。
 手放せない宝物。でも、見るたびに胸が痛む。 人は誰しも、大小を問わずそんな葛藤の中で生きている。生きてきた道が長ければ長いほど、記憶の宝物は増えて行く。
「どんな苦痛を伴ったとしても、思い出さなきゃいけない。そうでないと、あの世界からは抜け出せないんだ」
 桐生・暁のそんな言葉に、瑠璃色の瞳の少女が柔らかく頷いた。
「そう。エデンは人をダメにするの」
 胸の前で手を組み合わせ、寂しそうな瞳でそう呟いた少女は、ゆっくりと目を閉じた。
「良い思い出も悪い思い出も、貴方が生きてきた道全てに靄をかけてしまうのよ、エデンは」
 ――― あの時と同じ台詞だ‥‥‥
 暁がこの場所に足を踏み入れた時に、彼女は全く同じ事を言っていた。 あの時は何を言われているのか良く分からなかったが、今ならはっきりと分かる。
「そのヴェールを、優しさの証だという人がいるわ。でも、私はそうは思わない」
「「未来しか示されていなくとも、未来はいずれ過去になる。過去を切り捨てることは、本当に良いことなの?」」
 暁と少女の声が合わさり、顔を見合わせて微笑む。
「 Eden is phantom 」
「 Eden is phantom. 俺は、やっと幻から抜け出せたんだ‥‥‥」
「それはどうかしら」
 にっこりと微笑んだ少女が、優しく暁の身体を抱きとめると囁いた。
「終わりは、完全なる突き当りではないの。立ち塞がる壁を取り払った瞬間、始まりが姿を現す。再び始まる世界の中、貴方は今度こそ探さなくてはならない」
「何を‥‥‥?」
「 Eden is phantom. その、理由を。世界の完全なる終わりを」
 貴方はゼロからまた始めなくてはならない。記憶は封じられ、必要最低限のこと以外は失われる。
「けれど悲観することはないの。何故なら、貴方は今日と言う過去を手に入れたのだから。記憶に施された封を破る事が出来れば、思い出せるのだから」
 意識が暁の中からすり抜けていくかのような錯覚。急速に重たくなる瞼と、ぼやけて行く頭の中、暁は少女に手を伸ばした。
「また会いましょう」
 少女の冷たい手に触れた瞬間、暁の意識は闇に呑みこまれた。


* * *


 数学の公式と睨めっこしていた暁は、机の上に置かれた時計に目を向けると背伸びをした。
 ――― もうこんな時間か‥‥‥
 明日にある試験の事も考え、早めに寝ておいた方が良いだろう。
 ――― 再々試験にまで落ちたら、良い加減ぶっ飛ばされそうだし
 その主語は、“両親に”ではない。鬼家庭教師と化している“友人に”だ。
 再試験と言うものは、再がプラスされるごとに合格点数が高くなっていく。再試験の合格点は50点、再々試験の合格点は60点、再々再試験の合格点は70点と、暁の高校の数学教師は10点ずつプラスしていく事を好んでいた。100点になったらお仕舞いで、留年決定となる。
 ちなみにテストは本試験の時のものを少しアレンジしたもので、再々試験以降は全く同じテストを使う。つまり、回答を丸暗記してしまえば100点も夢ではないのだ。 かなり寛大な“おまけ”だと思うが、再試験組みは随分と文句を言っていた。
 本試験で赤点を取ったお前らに口答えをする資格はない! と、彼らを叱ったのは誰であろう、暁の友人だ。彼は98点と言う学年最高点をマークした秀才だったが、数学以外はボロボロだった。もっとも、赤点を取っていないだけマシだが。
 そんな数学の秀才に付きっ切りで勉強を見てもらっていた暁だったが、再試験の点数は38点だった。散々友人に文句を言われたので、思わず「仕方ないじゃん!昨日は徹夜で遊んでたんだから!」と暴露してしまい、危うく短い生涯に終わりを告げるところだった。
「もう寝よ‥‥‥」
 一通り公式は頭に入っているはずだが、完璧ではない。 ベッドに潜り込み、次から次に公式を思い出しているうちに、暁の瞼はゆっくりと閉じて行った。



 冷たい風を感じ、暁は振り返った。
 合格の判が押されたテストが腕からすり抜け、足元に落ちる。軽い紙は廊下のタイルの上を滑り、瑠璃色の瞳をした少女がそれを拾い上げた。
「あ、ごめん」
 霞がかったような世界の中、目の前に立つ少女は鮮明に見えた。 クリアに見える彼女の存在によって初めて、暁は世界が霧に覆われていた事を知った。
 まるで夢の中にいるかのようにジワリと滲む世界で、暁は差し出されたテスト用紙に触れた。その瞬間、紙はボロボロになって崩れ落ちた。
「 Eden is phantom 」
「え?」
 完璧な発音で囁かれた英語に眉を顰めた。
「ここはエデンと呼ばれる場所」
 目をパチリと瞬かせ、暁は苦笑した。 わけの分からない事を言う子だと思いつつ、軽く首を振る。
「こんなとこが“エデン”なわけないじゃん! ただの学校だって」
 学校が大好きなの? そう問えば、少女は魅力的な微笑を浮かべて首を振った。
「エデンは人をダメにするの」
「えー? 学校って、人を良くするための場所っしょ? どうしてそう思うわけ?」
「良い思い出も悪い思い出も、貴方が生きて来た道全てに靄をかけてしまうから」
「思い出ったって‥‥‥」
 ズキリ。 頭が鈍く痛む。
「今が楽しければいーじゃん」
 思い出せない過去に小さな恐怖を覚えつつ、ヘラリと笑う。
「‥‥‥そのヴェールを、優しさの証だという人がいるわ。でも、私はそうは思わない」
 胸の前で手を組み合わせ、寂しそうな眼差しでそう言うと、目を閉じる。
「未来しか示されていなくとも、未来はいずれ過去になる。過去を切り捨てることは、本当に良いことなの?」
 ――― あれ?俺、こんなようなこと、どっかで聞いたような‥‥‥
 ズキン。 頭が酷く痛み、暁はその場に膝を折った。 暫くその体勢のまま痛みが通り過ぎるのを待ち、顔を上げる。微風が頬を撫ぜ、周囲を見渡してみるが、目の前にいた少女はどこかへ行ってしまった後だった。
 ――― なんだったんだろう、今のは‥‥‥
 軽く首を振り、立ち上がる。 前方からやって来る友達を見つけ、手を振りながら走り出す。 もうその時には、暁の心の中に渦巻いていた些細な疑問は霧散していた。



 やっと合格したのかと安堵と溜息が混じった言葉をかけられ、暁はヘラリと笑いながら「ま、留年してもあんまかんけーないっつーか、むしろガッコの中ってけっこー甘いし?」と言って友達の肩を叩いた。
 社会は厳しいものだから、ぬるま湯のような学校にいられるのならばそっちの方が良いに決まっている。暁のそんな考えに、友人は苦笑いしながらも、留年しなくて良かったなと呟いた。
「じゃぁ、明日は寝坊しないようにな!」
「今日だって間に合ってたじゃん!」
「‥‥‥1時間目から来いっつってんだよ。4時間目からじゃなく」
「善処しまーす!」
 朝来てなかったら携帯で叩き起こすからな!と言う友人に手を振り、繁華街の方へと歩いて行く。折角テストも終わったのだから、目一杯遊ぼう。そう思いながら歩いていると、右手に続く細道にバリケードが築かれているのが見えた。
 昨日まではなかったはずなのにと首を捻り、とうとうここまで来たのかと顔を歪める。
「あんなの作ったところで、意味ないのに」
「同感だな」
 独り言に返事があり、暁は顔を上げた。 いつの間に隣に来ていたのか、ガッシリとした体つきの大柄な男が立っていた。
 綺麗に後ろに撫で付けた黒髪に、目元を隠すサングラス。手には棒状の物を持っており、赤いネクタイが強風に揺れる。どこからどう見ても、完璧な“怖い人”だった。
「あんた、だ‥‥‥」
 誰? そう尋ねようとした瞬間、男が鞘から刀を抜き、一気に振り下ろした。 風圧が頬を叩き、前髪が揺れる。暁の真横に振り下ろされた刀は、何かを切り裂いた。
 断末魔の叫びを上げ、ドロドロに腐った人型の何かが地面に崩れ落ちる。ジクジクと音を立てながら消えていく緑色の異形を見下ろしながら、暁は口を開いた。
「もうこんな所まで来てたんだ‥‥‥この街ももうヤバイかもね」
「どこだってそうだ」
「ま、俺が心配したところでどーしよーもないか。警察がどうにかするっしょ?」
「それはどうだかな」
「えー、市民が警察を信じてあげなくてどうするのさー!」
「数が増えてきている。警察だけでは対処しきれない」
「それはそうだろうね。ま、自分の身は自分でって事だよきっと」
「‥‥‥おまえの意見は曖昧すぎてよくわからん」
「あはっ、よく言われる。でもさ、盲目的に一つのことを信じてるより、柔軟性があった方が良いじゃん」
「おまえは、この世界に疑問を持っていないのか?」
「はあ?」
「おまえの名は?」
「名前? えー? 何、おっさん、俺に気でもあんのー?」
 ケラケラと笑いながら、俺は高いよ?と冗談を飛ばす。
「知らない人に名前は教えない主義なんだけど、あんた面白いから特別に教えたげる!俺の名前は‥‥‥」
 ふと言葉に詰まり、暁は笑顔を引っ込めた。
「何だ?自分の名前も忘れたのか?」
「な、わけないじゃーん。俺の名前は桐生・暁。で、おっさんは?」
「本名を訊いているのだとしたら、霧嶋・徳治だ」
「ふーん。ペンネームは?」
「‥‥‥馬鹿にしてるのか?」
「だってー!本名じゃない名前つったらペンネームしかないじゃん!それともなに?裏の名前とかってこっわーいモンでもあるわけ?」
「鬼鮫だ」
「‥‥‥厳ついペンネームだねー。それで恋愛小説書いてるとか、少女漫画描いてるとか言わないよね?」
 不機嫌そうに盛大な溜息を吐いた鬼鮫に、これ以上弄るのはよそうと、暁は話を切り替えた。
「それで、徳治さんはこの世界に疑問を持ってるってわけ?」
「おまえは持ってないのか?」
「そうだな‥‥‥疑問っつ−か、違和感はあるかな。何か忘れてる気がするんだけど、思い出せない、みたいな。やっばー、俺まだ若いのに!!」
「気持ち悪くないのか?」
「だってさ、俺みたいなのが記憶なんて無くっても別になーんも変わんないっしょ」
「俺に訊くな」
「つーか、徳治さんは記憶取り戻したかったりする?」
「当たり前だ」
「じゃあ手伝ってやろっかー? まァ、俺もこのままだとなんか気持ち悪いしィ」
「ふん、好きにすれば良い」
「んじゃ、好きにするってことで、徳治さん案内よろしくー!‥‥‥てか、そもそも記憶取り戻すためのアテでもあるわけ?」
「まあな」
 ――― Eden is phantom ―――
 ふと耳元で聞こえた声に、顔をあげる。 そう言えばさっき会った女の子も同じ事を言っていたと思い出しながら、先を歩く鬼鮫に続く。
 歩いているうちに鬼鮫が何処に向かっているのか分かり、暁は眉を顰めた。
「ねね、徳治さんもしかしてガッコ行こうとしてる?」
「ああ」
「えーでも俺、さっきまでいたけど、別になんとも無かったしー?」
 徳治さんの間違いじゃないの? そう続くはずだった言葉を呑み込んだ。
 路地の先に現れた学校は濃い霧に覆われており、腐臭が漂って来ている。 硬く閉ざされた門にはサビが浮き、校庭はひび割れた赤茶色の土、花壇には茶色く枯れた花が植えられていた。
「なにこれ‥‥‥」
 ――― Eden is phantom ―――
 再び耳元でか細い声が聞こえ、暁は周囲を見渡した。 隣に徳治が立っているだけで、可憐な声を出せそうな人は誰一人としていない。
 ――― そもそも、これを言ったのは‥‥‥
 ズキン。 頭が痛む。 確かに聞いた事のある言葉で、確かに誰かが言っていた。そしてさっきまでそれを誰が言ったのか覚えていたはずなのに、いつの間にか記憶が抜け落ちてしまっていた。
「何をしている、早く行くぞ」
 苦労して門を開けた鬼鮫が中に入り、暁もソレに続く。
「 Eden is ‥‥‥」
 忘れないようにと声に出した言葉が霧散していく。 腐臭にかき消され、ねっとりと絡みつくような風に溶かされて行く。
 鬼鮫が刀を抜き、前方から襲い掛かる異形を切り伏せる。 暁もナイフを取り出して構えたが、鬼鮫の素早く正確な剣術の前に出番は無かった。
 刃についた緑色の粘液を振り落とし、鞘に収める。 赤茶色の地面に斑に落ちた緑色の液体を見下ろす。ジクジクと音を立てながら地面に吸い込まれていく様を見つめ、ふと何かが脳裏を過ぎった。
 “白い地面に落ちた、赤いなにか”
 ジクジクと音を立てていたのではなく、ジワリと滲んだ。
 “赤く染まる、冷たいなにか”
 それは寒い日のことだったように思う。
 ズキン。 頭が痛む‥‥‥
 ――― まるで思い出す事を拒んでるみたいだ
 それでも思い出さなくてはいけない。心の奥底でそんな叫び声が聞こえる。
 ――― どんな苦痛を伴ったとしても ―――
 そう、それは確か、暁自身が言った言葉だ。 けれど、その先に続く言葉は思い出せない。
 薄暗い廊下から教室の中を覗き込む。 腐りかけた机と椅子が倒れており、黒板は崩れ落ちている。
「さっきまではフツーのガッコだったのにー」
「1日に1回、繋がるんだ」
「繋がる?」
「多分、ここが出口だ」
「出口?」
「‥‥‥鸚鵡返しをするな」
「だってー!徳治さんって言葉たらなさすぎ!もっとさぁ、小学生に言うみたいに優しく丁寧に教えてくれないと」
「小学生なのか?」
「違うけどさ‥‥‥」
「つまり、この中にいる親玉を倒せば記憶が戻るはずだ」
「ふーん」
「ただし、1時間以内に探して倒さなくてはならない」
「うわー、制限時間つきなんだ。なーんかメンドイねー」
 ――― 終わりは、完全なる突き当りではないの ―――
 どこからか声が聞こえる。 暁の脳裏に瑠璃色のガラス玉が浮かぶ。
 ――― 違う。ガラス玉じゃない。瑠璃色の瞳だ‥‥‥
 確か、その言葉はとても大切なもののはずだ。その先に続く言葉を思い出さなければならない。 脅迫概念のような感情に捕われた時、鬼鮫が鋭い声を上げた。
 怒声に我に返り、咄嗟に左に避けたが肩口に鋭い爪の跡が3本つけられ、鮮血がトロリと流れ出す。
「何をしているんだ」
 冷たく言い放ち、刀で異形を切り伏せた鬼鮫が溜息をつく。
 指先から滴り落ちる血に、伴なわない痛み。
 ――― 生きてるって感じがしないな、なんか
 痛みもなく鼓動にあわせて流れる鮮血に、暁は苦笑すると指先についた血を舐め取った。
「美味いのか?」
「や、わかんない」
「ふん、お前は分からない事だらけだな」
「それは徳治さんだって一緒でしょ」
 ニヤリと笑いながら目を細めた時、ふと暁の脳裏にある言葉が過ぎった。
 “エデンは人をダメにするの” どうして? “良い思い出も悪い思い出も、貴方が生きて来た道全てに靄をかけてしまうから。そのヴェールを、優しさの証だと言う人がいるわ。でも、私はそうは思わない”
 ――― これは、誰が言ったんだ‥‥‥?
 か細い少女の声は、確かにどこかで聞いた事があった。 瑠璃色の瞳に、漆黒の髪。胸の前で手を組み合わせた少女は、寂しそうな眼差しでそう言うと、目を閉じた。
 “未来しか示されていなくとも、未来はいずれ過去になる。過去を切り捨てることは、本当に良いことなの?”
 ――― あぁ、そうだ。これは、この台詞は‥‥‥
 ズキリと頭が痛み、暁はその場に膝をついた。額から汗が滲み、それ以上記憶を取り戻させはしないとでも言っているかのように、目の前が白く濁っていく。
 ――― 彼女はその後に、何て言った? 確か、確か‥‥‥
「“ Eden is phantom ”」
「おい、どうした?」
 ――― Eden is phantom. 俺は、やっと楽園の幻から抜け出せたんだ‥‥‥ ―――
 ――― それはどうかしら ―――
 少女の声に合わせて、雪が舞い落ちる光景を思い出す。鈍色の雲から吐き出される雪は、血に滲み‥‥‥
「おい、おい!?」
 そこかしこから現れた異形を切り伏せながらも声を張り上げる鬼鮫の後姿を最後に、暁の意識は闇に呑まれた。


* * *


 数学の公式と睨めっこしていた暁は、机の上に置かれた時計に目を向けると背伸びをした。
 ――― もうこんな時間か‥‥‥
 明日にある試験の事も考え、早めに寝ておいた方が良いだろう。
 ――― 再々再試験にまで落ちたら、良い加減命の危険が‥‥‥
 勿論その主語は、“両親に”ではない。鬼家庭教師と化している“友人に”だ。
 明日は70点以上取らなければならないが、今日やったテストと全く同じ問題が出る。本日の暁の成績は58点だったので、明日は流石に大丈夫だろう。
「もう寝よ‥‥‥」
 一通り公式は頭に入っているはずだが、完璧ではない。 ベッドに潜り込み、次から次に公式を思い出しているうちに、暁の瞼はゆっくりと閉じて行った。



 冷たい風を感じ、暁は振り返った。
 合格の判が押されたテストが腕からすり抜け、足元に落ちる。軽い紙は廊下のタイルの上を滑り、瑠璃色の瞳をした少女がそれを拾い上げた。
「あ、ごめん」
 霞がかったような世界の中、目の前に立つ少女は鮮明に見えた。 クリアに見える彼女の存在によって初めて、暁は世界が霧に覆われていた事を知った。
 まるで夢の中にいるかのようにジワリと滲む世界で、暁は差し出されたテスト用紙に触れた。その瞬間、紙はボロボロになって崩れ落ちた。
「「 Eden is phantom 」」
 自然と口をついて出た言葉は、少女の可憐な声を合わさった ―――――



END
PCシチュエーションノベル(シングル) -
雨音響希 クリエイターズルームへ
東京怪談
2008年03月25日

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