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『ラビュリントスの涙 〜Ariadne〜 』
千影・ー3689)&栄神・万輝(3480)

■00

 声が聞こえた気がした。
 魔物の、声が。

「……なし……グアああ……はな、し……きぃ……て、くれェアアあア!」

 魔物はまた頭を抱え込んで苦しげに叫び、悶え、身を捩る。
 しかしその獣の様な咆哮に、ひとひら、“ヒト”の音声が混じったかに聞こえたのは気のせいだろうか。
 いつまた拳が飛んでくるかもしれないと警戒しつつも、一度感じた違和感は泉の如く湧いて止まない。そして、攫われた“もう一人”の行方と安否も気になる。

 自分は、今決断を迫られているのだろう。
 ────この魔物を、どうするべきなのか。



「一緒に来た“もう一人”と別れられたら、外に出してあげる」

 迷宮の中心にあるという部屋の、そのまた中央で、少女はそう言った。
 ぐるり見回した結果、目に入ってくるのは白い石の壁ばかり。高い天井に嵌め殺しの窓はあるが、扉や出口といったものは確かに無さそうだ。「閉ざされた空間」とは、残念ながら口三味線ではないらしい。

 愉快そうに微笑む少女と向き合いながら、自分は考える。
 彼女は何者なのか、探し求める“ラビュリントスの涙”はこの部屋にあるのか。
 ────そして、自分はどう答えるべきなのか。


■01

 初めは、ぽかんと。
 丸くなった碧玉の瞳で少女を見つめていた栄神万輝は、やがてぱちぱちと2度瞬き。その頬がひくひくと引き攣る様に動いて。
「ちょっと! 何笑ってるのよ!」
 声を立てて笑い始めると、少女が顔を真っ赤にして怒鳴った。よほどカチンときたのだろうが、ああ勘弁、なかなか笑いを収められなくて、珍しく腹筋が痛いほどだ。
「あはは、だって、あんまりにも可笑しいこと言うんだから。別れる? 僕とチカが? そんなの、太陽が西から昇っても無理だね」
「……そうも完全否定されると腹が立つわね」
「僕だって、そうも答の決まりきったことを訊かれるとは思わなかったよ。オタガイサマ」
 眦に滲んだ涙を指先で拭って、改めて少女と向き合う。彼女は苛立たしげに唇を噛み締め、忙しなく髪の先を弄っていた。それはまるで癇癪を起こした子どもの様。──ふうん。何だかこの子、仕草が幼いな。
 少女への認識を情報としてひと思案。腕の中、弓から兎へ姿を変えていた静夜の毛並みを撫でながら、わざと余裕に満ちた口ぶりで続ける。
「あの子はね、僕の魂の欠片から生まれた僕の半身……そう、この子と同じ、何よりも大切な存在なんだ」
「ふん、手放せないくらい大事で仕方ないってことかしら?」
「言い回し訂正。手放せない、じゃなくて、そんなことはありえない。ここの違い、いい加減解ってもらえた?」
「……貴方、嫌い」
 少女は言い捨てると、くるり、踵を返し、足音を踏み鳴らして階段の上へ。そして台上の中心に立つと。
「話を戻すけど。つまり、出てく気ないんでしょう?」
 肩越しに、また心持ち顎を上向けて、少女は不遜な態度で声を降らせる。
「まあ、出て行けないんだろうね」
「だったら、もう、勝手にして」
 連れて来たのはそっちのくせに。傍若無人に振舞う少女に、万輝は静夜と顔を見合わせながら含み笑い。
 そこで漸く少女は自分のペースを取り戻したのだろう、あの嫌らしい微笑を浮かべてこう言った。
「部屋を歩くのは自由よ。精々探してみたら? “ラビュリントスの涙”を」



 一方、万輝の消えた迷宮の片隅で。
 魔物が何か言いたげで、それがヒトの言葉になっていることに千影は気づいてはいた。──いたのだ、が。
「万輝ちゃん!? 万輝ちゃん万輝ちゃん万輝ちゃぁ〜ん!」
 身を翻して人型に戻った千影は、苦しむ魔物など眼中に無い様に(いや実際無いのだろう)辺りをきょろきょろと見回し、主の姿を求めて右往左往走って探す。
 やがてそれが徒労だと悟ったのか、ぺたん、と座り込んだのは万輝が残したランプと糸玉の前。それらを取り上げると、うぅ〜と唸って唇を尖らせた。
「……万輝ちゃん、傍にいないの。チカ、万輝ちゃんと一緒じゃなきゃダメなのに、万輝ちゃん、いないのぉ」
 呟き、振り向いた先には、漸う呼吸が落ち着いてきたらしい魔物の姿。
 喉元を押さえて低く唸る魔物は、恐らく、麻袋越しにこちらを見ていた。
 よいしょ、と千影は腰を上げ、てこてこと魔物に歩み寄る。先ほどまで一戦交えていた獣にランプを掲げ、上目遣いでこう訊いた。
「ねえ、うしさん、何か知ってる?」
「う……ウし……?」
「だってね、万輝ちゃん言ってたよ。迷宮に閉じ込められているのは、うしさんなんだって」
 入る前に万輝から受けたクノッソスの説明を、千影は彼女なりに解釈して覚えていたのだろう。迷宮を徘徊するのは牛頭人身のミノタウロス、だから、“うしさん”。
「お話聞いてって言ったよね。あたし、チカ。うしさんのお名前は?」
 にこり、微笑んだ無邪気で愛らしい少女の仕草に、魔物は、ともすると呆気にとられていたのかもしれない。
 その魔物からは、最早先刻までの攻撃的で狂暴な気勢を感じられない。本性が獣である千影はそれを本能的に感じ取っていて、何より守るべき主のいない今、この魔物を打ちのめす理由は千影には無かった。
「チカ、うしさんのお話聞いてあげるよ?」
 透き通る瞳で凝っと見つめてくる少女の眼差しに、魔物はしばし黙していた。
 ────だがやがて、ぽつりと。
「……ありがとう」


■02

 昔々のその昔。
 葡萄酒色なせると詠われた海原に、宝石の様な島々が浮かんでいた。
 その島のひとつに、白亜の迷宮があった。乾いた風に吹かれ蜂蜜色の陽射しが注ぐその迷宮は、しかし内側に闇がわだかまり、牛頭人身の魔物を孕んでいた。
 魔物には年毎生贄が捧げられ、一歩足を踏み入れれば二度と戻ること叶わぬ迷宮に、若き男女の悲鳴が魔物の咆哮とともに木霊した。
 しかしある時、ひとりの勇者が剣を携え迷宮へと乗り込んだ。勇者は島の姫の助けを借り、見事魔物を撃破する。迷宮はここに陥落し、勇者は姫へと戦果を告げた。
 姫よ感謝します、貴女のおかげで私を本意を遂げることが出来ました。
 姫は愛しき勇者の言葉に頬を染め、その胸に飛び込むとこう言った。
 素晴らしき方、どうぞ私をお連れください。私は貴方様のために肉親をも裏切りました、ですから。

『だから、私を────』



 少女は階段に脚を組んで腰掛けると、それきり声をかけてこなかった。
 一方の万輝は部屋の中を悠然と歩き回り、白い室内を検分していた。壁に挟まれた通路から急に連れて来られたせいか、ここは随分と広くそして明るく感じる。あの少女はこの部屋を「迷宮の中心」だと言っていた、それを信じるならばここにマリカの求める“ラビュリントスの涙”があるはずだ。
 そういえば彼女は「神殿の様な部屋」とも言っていたっけ。はて、神殿の様なとは何を指しているのか。何を以って、神殿は神殿になる?
「どう、何か見つかった?」
 万輝が思考を巡らせていると、不意に少女のほうから声をかけてきた。
 勝手にしてと言ったのに、さては相手にされなくてつまらなくなったのか。おやおやと心の中で肩を竦めつつ、万輝は台の向こう、段上の少女を見上げる。
「ここはキミの部屋? 扉もなくて、不便じゃない?」
「別に」
 素っ気無い返事、手を出せば逃げ退けば追ってか。
 経緯から察するに、この面倒くさい少女には瞬間移動の能力があるようだ。自分だけではなく、恐らくは自身が触れているものも任意の場所に運ぶことが出来るのだろう。だからこの部屋には出入り口が無い、必要が無い。
「ああそういえば、自己紹介がまだだっけ。僕は万輝。キミの名前は? ラビュリントスの妖精さん?」
「ようせい」
 ハンッ、と少女は鼻で笑う。
「そんな可愛いものじゃないって、貴方解って言ってるんでしょう?」
「拗ねて誤魔化して話を逸らして、かな。悪いけど、煙に巻かれるつもりはないよ」
「……やっぱり貴方嫌い。だから名前も教えてあげない」
 再び機嫌を損ねたらしい少女が、ふいと視線を明後日の方向に投げる。
 万輝はそれをわざと無視して、階段の手前の些か唐突な調度──白い台を中指でノックする。
「これね、この台。何も無い部屋の中で唯一これだけがあるなんて、意味ありげだよね。何か載せるの? ああ、テーブルかな」
 神殿とは、神を祀るための場所だ。地域や宗教に関わらず神は供物を求める、願いを叶えるための代償を捧げなければならない。例えばこんな台の上に、供え物を置いたりしないか?
「あと、キミが今座ってる階段だけど。その上、中2階っていうのかな。ロフトみたいな場所になってるだけで、なーんか中途半端な作りだよね。変なの」
 そして神殿には、神を象った像やイコンといったものが据えられる。例えばあの階段の上なんかに神像があったら、なるほど神殿の様な部屋と言えるのかもしれない。──そして今、像があってもよさそうなその位置に座っているのは、彼女だ。
 意図的に本意とはずれた文句で言及した万輝を、少女はちらと一瞥する。機嫌は、また直っている。
「バッカ」
「ひどいな」
 にこにこしているのはこっちが間違っているのが楽しくて、ってところか。だとしたら予想が当たってるのかもしれない。わっかりやすいの。
「それより、ねえ」
 階段のすぐ下にまで歩み寄り、彼女との距離を詰める。
「似た話を知っててね。迷宮の中に、魔物がいるっていう話。尤もそっちの話では魔物は、1体なんだけど」
 自分の話し声すら部屋中に響き渡る静寂に、違和感を覚えたのはその時だった。そういえばここには、壁が動く音が届いていない。今は止まっているのだろうか? それとも、単に聞こえてこないだけなのか。
「ここには2体いるって聞いてるんだ。1体は、多分さっき僕たちを襲ったあいつ。もう1体は、」
「心配?」
「ん?」
「その魔物の傍に残してきたあの子が心配?」
 どういう答を期待しているのか解るだけに、それをそのまま口にしてやるつもりはない。眉をくいと上げて、先刻の彼女の口調を真似した。
「別に。……ああそれか、キミのほうが心配? あの魔物、苦しんでたようだけど」
「いい気味よ」
 唾でも吐く様な言い方。
 そういえば、彼女が触れた途端に魔物は首を押さえて悶えだし、それを彼女は放っておいた。魔物と彼女に何らかの繋がりがあることは疑うべくもないが、その関係は良好とは言えなさそうだ。
「それでね、その話に出てくる迷宮は、檻なんだよね。魔物を囚え封じ込めておくための、ね。迷宮とは、惑わすもの、捕らえるもの、得体の知れぬ恐怖を内包するもの……ここは、どんな目的のために造られた迷宮なんだろう?」
「……何が言いたいの?」
 こっちの心中察せられないからって、そんな簡単に不機嫌になっちゃダメなんじゃない?
「特に意図は無いけど。ただ黙ってるだけでもつまらないしね、暇潰しだと思って相手してよ」
「……じゃあ、教えて。そのお話の魔物は、どうなるの?」
「倒されるんだよ、魔物の運命として」
「誰に?」
「勇ましい王子様に」
「違うわよ」
 ────そこで食いついたか。
 万輝は静夜を撫でながら、ほんの少しだけ目を細める。
 少女は忌々しげに唇を歪めて、こう言った。
「……あんな奴、王子様なんかじゃない」



 魔物の話を聞き終えて、千影は「うーん」と小首を傾げた。
 現れた時とは打って変わり、魔物は流暢な人の言葉で話してくれた。また万輝が語ってくれるほど解り易くはなかったが、おおよそ要点は掴めたと思う。魔物が理性を取り戻した今だからこそ自分に話しかけてきた理由も、そして魔物が自分に求めていることも、一応理解出来ている。──だからこそ、千影には不思議で堪らない。
「うしさんって、変」
「変?」
 訝しげな魔物の相槌に、千影は勢いよく首を縦に振る。
「だってうしさん、言ってることとやってることが全然違うもん。チカはね、万輝ちゃんのこと大好きだから傍にいるよ? 万輝ちゃんのこと大事だから守るし、優しくしたりされたり楽しいこと一緒にしたり、そういうのが、万輝ちゃんとだから嬉しいの。……でも、うしさんは違うみたい」
 魔物は答えない。
「うしさんがしてほしいことはね、チカ、万輝ちゃんのトコに行くから出来ると思うよ。でも、うしさんが本当はどうしたがってるのかは、チカ、わかんないよ」
「……君は、正しいことを言う」
 逡巡の間を挟んで答えた魔物の声は、先ほどの獣の唸り声ではなく穏やかな青年のそれ──弱弱しい、“人”の声だった。
「私は後ろめたさと好意を取り違えた。いや、それを解っていながら非難されるのが嫌で、自分にも彼女にも嘘をついたのだろう。嘘は歪みを生む、歪みは心を軋ませ……だから、私は」
「んもぉ〜う、うしさん、難しいことばっかりぃ〜。チカ、わかってあげられないよ?」
 ぺちぺち、と腕を叩く千影に魔物が微笑う。そして、ゆっくりと立ち上がると。「足止めをしてしまい申し訳ない。お詫びに、私が君の連れの許にまで先導しよう」
「あ、チカねぇ、万輝ちゃんのいる方向ならわかるんだよっ」
 ランプと糸玉を手に千影がえへんと胸を張る。
「あ、でもぉ。壁がバコンガコンッて動いて大変かも……うしさん、連れてってくれる?」
「ああ、最短距離で」
 言うなり、魔物が拳を側壁に叩きつける。黒獅子が手こずった岩石の如き一撃は壁を穿ち、千影は少々目を瞠った。
 壁が動くのならば壁を壊して真っ直ぐ進めば話は早い、だがそれは最悪の場合の強行突破だと考えていたからだ。まさか、いきなり実行に移されるとは。
「うしさん、大変じゃない? チカも手伝おうか?」
「いや、遠慮しておこう。これが私なりの礼だ。──それに万が一君に傷をつけでもしたら、君の連れに怒られてしまうだろう?」
 そこで魔物は柔らかく笑んだ──ような気がした。麻袋に覆われた表情が見えるはずは無かったのだけれど、千影はそう感じた。
 だから、笑顔で返した。
「うん! うしさん、お願いねっ!」


■03

 愛しい方。どうぞ、私を連れて行って。

 神の怒りを買った父、その父のせいで呪われた母。産み落とされた弟は、牛の頭と人の体をもつ魔物だった。
 弟は迷宮に閉じ込められ、私は毎年、その迷宮へと引きずられていく生贄の列を眺めていた。
 心が痛まないはず、ないでしょう? 殺されるために歩いていく同じ年頃の子の泣き顔を見て、何も感じないでいられるような娘じゃ、私はなかった。善人ぶるつもりはないけれど、悪人だって割り切れるほど大人じゃなかったもの。

 でも、ねえ、愛しい貴方。
 貴方は、迷宮の魔物を倒した。私の重く苦しい枷を断ち切ってくれた。
 だから、ここから連れ出して。弟を貴方に殺させた私は、もう、この島では生きていけないし。
 それに、貴方の傍にいたいの。お願い、お願い。
 私を、ここから攫って。

 ……そう、縋ったのに。

 貴方は私を置いて行った。連れて行くと約束したのに、結局、裏切った。
 だから、私は貴方を追いかけた。そして、その胸を貴方の剣で貫いた。
 私の手許に残ったのは、貴方の美しい顔だけ。首から斬り落とした、大好きな貴方の頭蓋を抱えて、私は弟の眠る迷宮に舞い戻った。

 迷宮には、魔物が棲んでいる。
 魔物になった私は、じゃあ、迷宮に棲むしかないわよね。
 魔物になった貴方と、ずっと、一緒に。



「そういえば、王子様に協力したお姫様がいたよね」
 少女の表情は変わらない、しかしそれが無理矢理取り繕っているだろうことくらい万輝には察せられた。
 だって視線がもうこちらを向いていない。組んだ膝に肘をついて、その手に顎を載せ下唇を突き出しているのだから解り易い。
「お姫様は、確か迷宮の魔物の姉だったよ。けれども王子様に恋をして、糸を渡したんだ。これで、迷宮から生きて戻ってきてほしいって」
「バカな女よね。尽くせば報われると思うなんて」
「おかげで、王子様は魔物を倒した後無事に帰ることが出来た。そして、お姫様と2人で島を脱出した」
「でも、王子様はお姫様を置いて行った」
 よく知ってるね。万輝は薄く笑う。
「残されたお姫様がどうなるかなんて、王子様は考えなかったのよ。……いいえ、どうなってもよかったんだわ」
 僅か目を伏せた彼女に、ここだ、と思った。間髪入れずに繋いだ。
「そんな扱われ方をして、悔しかった?」
「……知らない」
「王子様に戻ってきてほしかった?」
「知らないってば。嫌よ、もうやめて」
「まだ途中じゃないか。ねえ、糸を渡したのにそれは2人の絆にならなかったんだね。お姫様にとっては運命の赤い糸でも、王子様にとってはただの脱出の道具でしかなかったから。好きになった相手に酷い仕打ちを受けて、お姫様の心とプライドはずたずただ。好いていた分だけ憎しみが募った? 想いは出口の無い迷宮に囚われて──そう、ここに縛りつけられ囚われているのは僕じゃない、キミのほうなんじゃ」
「知らないって言ってるでしょお!?」
 立ち上がりながら声を限りに彼女が叫ぶ。その絶叫は部屋中にわんわんわんと木霊し、驚いた静夜がびくりと身を伏せた。
 しかし万輝にとっては想定内のこと。元より、本心を探るために怒らせること厭わない腹積もりだった。むしろ彼女は至極良い反応を返してくれたと言える。それが多少、呆れる結果だったとしても。
「辛い気持ちを他人にぶつけても、どうしようもないのに」
 ぽつりと漏らした呟きを少女は耳ざとく聞きつけたらしい。
 階段を一歩一歩踏みしめる様に降りてくる少女の頬が、興奮のせいか林檎色に紅潮している。息も荒く、舌がもつれて言葉が切れ切れだ。
「貴方に、何が、わかるって、いうのよっ。別れることがありえない、なんて、迷いなく答えられる、貴方に!」
 子どもっぽいというより、これではヒステリーじゃないか。迎え撃つ半身の姿勢で万輝は思う。
「ひとつ断っておくけど、僕とチカは恋人同士とはちょっと違うからね」
「恋人だとか、そういうんじゃ、だって、独りじゃなくて、呼べば答えてくれる、一緒にいてくれる、そういう人が、いるくせに!」
「あの魔物は? 一緒にいてくれる人、にはならないの?」
「あんなの、嫌々私の言うことを聞いてるだけじゃない! 餌が欲しくて服従する、犬と同じよ!」
「それは犬に失礼だよ。犬だって、飼い主を認めるからこそ命令を受け容れるんだ」
「うるさい!」
 階段を降りきった少女が、憎しみも露な双眸でこちらを睨みつけてくる。2人の間は距離にして数メートルもない、跳び掛られたら彼女の鋭く長い爪が鼻先に届くだろう。いや、彼女の能力を考えれば距離など意味は無いか。
 どちらにしても、退く気など毛頭無かった。こうして見つめ返すことこそが、彼女への最大の牽制だと解っていたからだ。
「ここは、何?」
 一度訊いた問いかけを、形を変えて投げてみる。
 少女は吐き捨てるように答えた。
「……ここは、私よ」
「キミ?」
 万輝の脳裏に、この部屋に来た時の遣り取りが甦る。
 ────ああ、貴方ね? 私の中を覗こうとした人。
「そうか、そういう意味、ね」
 迷宮の中のアリアドネ。糸を無くして囚われの身となった迷宮の女神。
「それでキミは僕にどうしてほしいの? 王子様になってほしいとか?」
「…………」
「何かをしてほしいわけじゃない、ただ自分が不幸だってことを見つめたくない、だから誰かにいじわるしてる。そんな顔してるね」
 少女の口が何か言おうと開きかけた。が、それはすぐさまはっとした表情にとって変わられる。中空を睨みつけた彼女は、突然金切り声を張り上げた。
「ちょっと、何してるのよ! 貴方、どれだけ私を裏切れば気が済むの!」
 ……貴方?
「嫌よ止めてよ連れて来ないで、私を、私をこれ以上みじめにしないでよぉ!」
 ドオンッ! と爆音が響いたのはその時だった。肩越しに振り返れば、壁が内側から破裂した──いや、向こう側から突き破られたのが見えた。
 もうもうと立ち昇る粉塵。その中で影が動いた瞬間、万輝は全てを悟った。
 そして、その名を呼んだ。
「チカ!」
「万輝ちゃんっ!」
 カツーン、と高い音がしたのは千影がランプを取り落としたからだ。跳ねるように駆けて来る半身に、あは、と笑って両腕を広げる。静夜が慌てて肩の上へと避難し、千影は迷い無く、その腕の中に飛び込んできた。
 千影の持っていた赤い糸の玉がその手をすり抜け飛んで行き、恐らくは背後の少女の元へと転がった。
「うにゃぁ〜ん、万輝ちゃんだあ! ごめんね万輝ちゃん、待った? あのね、チカ、うしさんとお話ししてたの」
「いや、僕は僕ですることがあったしね。それより、おかえり、チカ」
「たっだいまぁ〜!」
「……あ、チカごめん。圧し掛かられるとちょっと重いよ」
 じゃれついてくる千影を床の上に下ろし、万輝は改めて突破された壁のほうを見遣った。
 既に煙の晴れていたそこには、膝を突いて蹲る魔物の姿があった。先刻見た時のように荒い呼吸、苦悶を抑えようとしてか身体が小刻みに震えている。
 何があったのか。不審に思う自分に気がついたのだろう、千影が耳に顔を近づけこう囁く。
「うしさん、チカのために壁をたくさん壊したの。チカはやらなくていいってね、最後のすごーく分厚い壁も、ひとりでね」
 分厚い壁。なるほど、道理で部屋の中が静かなはずだ。
 と、千影の解説に相槌を打つ間もなく、魔物の傍らに少女の姿が現れた。咄嗟に後ろを確認すれば白い床に赤い糸玉が転がっているのみで、やはり瞬間移動したらしい。
 何をするつもりか。視線を戻すと、彼女は魔物の覆いを両手で掴み高く裏返った声で叫んだ。
「裏切り者ぉ!」
 途端にビクンッ! 魔物の巨体が跳ね──先ほどと同じだ、喉を絞る様に呻いて身を捩り、咆哮する。
 しかしやがてそれは治まって──ゆらり。立ち上がった姿は今までとはまるで違う無気力さ、引きずるような足取りでこちらへと歩いてきて、徐々にそれは駆け足に、叫び始めて、拳を高く掲げる。
 はっと身構える。すると千影が前に進み出た。
「うしさんっ! 首のが痛くて、またワケがわかんなくなっちゃったの? うしさんが万輝ちゃんを傷つけるなら、チカはうしさんも女の子もやっつけちゃうよ。うしさんがそうしてほしいって言ってたしね。でも、でもうしさんはそれでいいの? 本当はどうするのが良いって思ってるの? だってうしさん、」
「チカ」
「うしさん、あの女の子のこと、好きだって言ってたじゃない!」
「あああああああああ!」
 魔物が雄叫びを上げた。
 千影は万輝の前、庇う様に両腕を広げて動かない。
 万輝も千影の護りから逃げ出さない。
 そして────。

 ドッ、と鈍い音が響いた。

「……何してるのよ、貴方」
 少女が呆然と呟くのと同時に、魔物の巨体がゆっくりと前のめりに倒れこむ。
 千影や万輝に振り下ろされるかに見えた拳は最後の最後で軌道を変え、己の胸へと叩き込まれた。──そう、魔物が自らの意志で行ったのを万輝は見た。
 麻袋に赤がじわりと浮き上がり、そこから流れ出た血色が白い床を汚していく。ああ、魔物が流す血は人間と同じ色を──そして運命と同じ赤い色をしているのか。
「うしさぁ〜ん……」
 見ると、千影の目許に大粒の涙が盛り上がっていた。潤んだ瞳で自分のほうを伺うので、万輝は苦味を感じながら首を横に振る。
 千影は魔物と話をしたと言っていた。一体どんな言葉が交わされたのかは知らないが、彼女は襲い掛かる魔物に必死で何かを訴えていた。それくらいには情が湧いたのだろう。
 かける言葉を考えあぐねて、万輝は千影の頭をぽふりと撫でる。彼女がうう、と唇を噛み締めた時、目の前に少女の背中が現れた。
「……これも、裏切ってるってこと?」
 少女が足元の魔物を見下ろす。千影は首を横に振った。
「うしさんは、ずっと自分が悪いって言ってたよ。でも、チカわかんなかったの。好きが大き過ぎて受け止められないってどういうこと? 好きだから止められなくて、好きだから言うこと聞いて、でも好きだから一緒にいたくないって、チカ全然わかんないよ。だってチカは、万輝ちゃんと離れたくな」
「チカ」
 言い募る千影を万輝が遮る。しぃっと人差し指を唇にあて、少女の──今は頼りなく見える細い背中を凝っと見つめた。
 そして気づいた。
「……そうか。“ラビュリントスの涙”って、もしかして」
 ラビュリントスとは、迷宮。この迷宮は、彼女自身。
 彼女の肩が、ひくりと動いたように見えた。
「……私は、もう、泣いたりしない」
「泣くのに飽きちゃって?」
「そうよ。だから、あげないわよ。だって私、貴方のこと、嫌いだもの」
 肩越しに振り向いた彼女の目には、言葉通り何も光っていない。
 そして、ふふぅ、と笑って見せた。一切の救いも慰めも拒否する強がり、それが最後だった。
「王子様は糸を手繰って迷宮を出て行くんでしょう? バイバイ、もう来ないでよね」


■04

 糸を辿って戻る道すがら、壁は一度も行く手の邪魔をしなかった。どころかあの動く音すら聞こえずに、つまり彼女がもう手を出してくる気がないことが察せられた。
 扉を押し開け外に出ると、待ってくれていたらしいマリカがにこりと笑顔で出迎える。おかえりなさい。
「頼まれてた“ラビュリントスの涙”だけど、貰えなかったよ。悪いね」
 肩を竦めた万輝に、マリカは安心させる様に笑む。
「気にしないで、元々私が勝手にお願いしたことだもの。それより2人とも身体中埃まるけじゃない、きっと、大変な目に遭ったのね」
「うん、落とし穴とかねー……それから、うしさんが」
「あら、牛がいたの。馬や羊とかも?」
「ううん、うしさんだったの!」
「そう、牛さんだったの。ホルスタインかしら」
 微妙にずれている遣り取りに苦笑し、万輝は後ろ、白亜の迷宮を見上げた。千影もそれに気づき、同じ様に視線を投げる。
 あの中心には少女が──王子様に置いて行かれたお姫様が、これからも棲み続けるのだろう。この先も自分たちのような2人組を中に誘い入れては、ああして怒りと悲しみをぶつけるのだろうか────。
「ああ、でもねぇ」
 はたと思いついたようにそう言って、千影が迷宮からマリカへと視線を移す。
「本当は、うしさんじゃなかったんだよ。うしさんの身体なんだけど、うしさんじゃない頭だから、どっこもうしさんじゃないの。それで首輪でぎゅーってされると痛くってぇ、苦しくなって頭真っ白になるんだって」
「……千影、それ、どういうこと?」
 聞きとがめたのは万輝のほうで、千影は「うーんとね」と続ける。
「首から上は王子様で、首から下はうしさん……ってね、そんな風に言ってたかなぁ」
 意味を理解した万輝はそっと顔を顰める。
 マリカがそんな万輝に微笑んだ。
「裏切った男を貶めなければ気が済まなかった、それでいて傍に置いておきたかった。女の子は時として、心が魔物になるのよ」
「ねえそれ、キミも?」
「さあ、どうかしら」
 ────はぐらかすしー。
「じゃあ最後に、ひとつ大事なことを教えてあげるわね」
「「大事なこと?」」
 同時に発声した2人の姿を、マリカは眩しそうに見つめた。

「あのね。幸福によって流れる涙が、一番美しいものなのよ?」


了  



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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【3689 / 千影・ー(ちかげ・ー) / 女性 / 14歳 / Zodiac Beast】
【3480 / 栄神・万輝(さかがみ・かずき) / 男性 / 14歳 / モデル・情報屋】


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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千影様・栄神万輝様

こんにちは、辻内弥里と申します。前回に引き続きのご参加、誠にありがとうございます。そしてまたしても納品までお時間をいただいてしまい申し訳ありませんでした…すいません。
最終的に“ラビュリントスの涙”を手に入れることは出来ませんでしたが、魔物と少女の心にお2人の言葉が深く響いたようです。今後迷宮がどうなっていくのか、それは千影様と万輝様のご想像に一任することに致します。
それでは今回は、ありがとうございました。少しでも楽しんでいただけましたら幸いです。
Bitter or Sweet?・恋人達の物語 -
辻内弥里 クリエイターズルームへ
東京怪談
2008年03月24日

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