『一文字のエッセンス 』

シュライン・エマ（0086）

□Opening
　迷い込んだ小さな小道。
　見つけた店舗は、小さくて、甘い匂いが漂っていた。
「あら、いらっしゃい。季節柄、でしょうね。貴方も迷い込んできたのね」
　カウンターには、小柄な老婆の姿があった。
「見ての通り、ここはチョコレートのお店よ。甘い甘い、チョコレート」
　確かに、店には色々なチョコレートが所狭しと並んでいる。
「ただ一つ、他のお店と違うところはね、仕上げのエッセンスに、貴方の思い描いた一文字をチョコレートに込める事ができるの」
　老婆は、にっこりと笑い不思議な事を言う。
「さぁ、貴方がチョコレートに込める想いの文字はなぁに？　それが、最後の仕上げのエッセンスよ」
　受け取る相手にその想いが届きますように。
　老婆は、願いを込めて一文字のエッセンスを加えるのだと言う。

■01
　また、不思議なところへ来てしまった。
　シュライン・エマは、甘い匂いのする店内を見回しながらゆっくりと歩く。
「うふふ。いらっしゃい、見ての通りここはチョコレートのお店よ」
　カウンターの向こう側で、小柄な老婆がシュラインに微笑みかけた。
「チョコレートのって事は、バレンタイン絡みよねぇ、やっぱり」
　シュラインの言葉に、老婆が頷く。
　店内はカントリー調のディスプレイで統一されていて、様々なチョコレートが展示されている。トリュフ、ガナッシュ、ガトーショコラ、プラリネ、ロシェ、その他にもチョコレートケーキやチョコレートスナックなどなど、実に様々なチョコレートが展示されていた。
「ええ、そうよ。でもね、ここが他のお店と違うところはね、仕上げのエッセンスに、貴方の思い描いた一文字をチョコレートに込める事ができるの」
「一文字、かぁ」
　老婆の言葉を聞いて、シュラインはむむむと唸る。
　バレンタインにチョコレートを贈るのはやぶさかではないのだけれど、贈る言葉を一文字選ぶとなると考えてしまう。
　しばらく考えたが、シュラインはショウケースに展示されているチョコクッキーの詰め合わせを指差して頷いた。
「武彦さんへだと、とても一文字で表しきれないし、うん、皆で食べるためのチョコクッキーとかにしようかな」
「ええ、ええ、それは構わないわよ。クッキーに込める言葉を教えて頂戴」
　老婆はそう言うと、ショウケースからチョコクッキーの詰め合わせを取り出す。
　マーブル、チップ、チョコレートと三種類のクッキーは、皆でつまむには丁度良いだろう。
「文字は、そうね、幸福の『幸』でお願いします」
「『幸』ね。了解よ、ふふふ、幸せいっぱい詰め込みましょうね」
　幸福の『福』はお正月を連想させるし、『幸』と言う文字はとても素敵な文字だと思う。それに、クッキーを取り出した時の、零の嬉しそうな顔が思い浮かぶ。こちらが幸せをもらいそうだ。
　そんな事を考えながら、シュラインは不思議な光景を見ていた。
　老婆は、チョコクッキーをテーブルに置き、ぱんと手を叩く。すると、老婆の両手がうっすらとひかりだした。
　次に、手を握り締め、クッキーにかざす。
　老婆が手を開くと、『幸』と言う文字がさらさらとチョコクッキーに溶けていった。

■02
「さぁ、出来上がりましたよ」
「ありがとうございます」
　老婆が差し出したクッキーの詰め合わせを受け取る。
　シュラインは、それから、ふと顔を上げて老婆に訊ねた。
「ええと、お店に調理用のチョコはありますか？」
　店の中を見回してみたが、それらしいものは見当らない。商品としてのチョコレートばかり並んでいる。しかし、もしあるのなら、やっぱり手作りをしてみたい。
　すると、老婆はにっこりと微笑んで、頷いた。
「ええ、ええ、手作りするのね？　勿論、どんなチョコレートでも取り扱っているわよ。良かったら、調理場も使ってくださいな」
　そう言って、席を立ちシュラインを手招きする。
　カウンターの端が持ち上がるようになっており、そこから店の奥へと繋がっているようだ。
「それじゃあ、お言葉に甘えさせていただきます」
　シュラインは、ぺこりとお辞儀をして、老婆の後に続く。
「器具も調味料も、好きに使ってね。手作りするんですもの、愛しい方にプレゼントするチョコレートなんでしょうねぇ」
　老婆はキッチンの扉を開きながら、シュラインに笑顔を向けた。
　店は決して大きくなかったが、案内されたキッチンは立派なものだった。一通り器具は揃っているようだったし、調味料やデコレーション用品も種類豊富に取り揃えられている。
「じゃあ、出来上がったら教えて頂戴ね。冷やしながら持って帰れるように、クーラーボックスを用意してくるわ」
　調理用のチョコレートだけ貰っても良かったのだが、結局、老婆の申し出に甘える事にした。
　シュラインは、手渡されたエプロンを身につけ、腕まくりをする。
　チョコレートを湯せんで溶かしながら、件の人の顔を思い浮かべた。
　もしこのチョコレートに想いを込めるのなら、どんな言葉なのだろうか。ストレートに好きです？　愛しています？　それとも、いつも有難うかな？　いやいや、どうか危ない事に気を取られないで、かも……。
　考えるだけで迷ってしまう。
　いつも一緒にいるのだけれど、いつも目の届くところに居てくれるのだけれど、それだけ、伝えたい事だっていっぱいあった。
　老婆が一文字の想いをチョコレートに込めるように、シュラインは様々な想いを溶けはじめたチョコレートに願う。
「うーん、色々いっぱい詰め込みたいわね」
　自分で呟いて、笑ってしまった。
　そうだ、沢山の想いを詰め込もう。欲張りだけれど、そうやって色々考えるのも自分の一部なのだから。
　ビターチョコレートにお酒を加えほんのり大人の味に仕上げる。一粒一粒、形を作り冷やすまで、色々な想いを詰め込んだ。完成したチョコレートを老婆に見せると、一文字想いを込めてくれると言う。
「それじゃあ、健やかの『健』で」
「まぁ！　愛でも好でもないの？」
　老婆は驚いたようだけれど、その想いは料理しながらしっかりと込めた。
　だから、大丈夫。
　シュラインは、『幸』の想いが込められたチョコレートクッキーと『健』の想いが込められた手作りチョコレートを手に、老婆の店を後にした。

■03
「今日は、暇ですねぇ」
　まだまだ寒い日が続く。
　草間零は窓の外を眺めて、ほうと呟いた。興信所の端から端まで窓の結露を拭いたのだが、まだまだ掃除ができそうだ。
「ふっ、危ない話を昼間っから話す者など居ないさ。こんな日はきっと夜頃忙しくなる」
　草間武彦は、零のぐっさりとした一言に手を振るわせながら煙草をもみ消す。
　口にした言葉は冷静なものだったが、顔には悲しい影がさしていた。
　シュラインは、そんないつもの風景を眺めながら席を立つ。
「そろそろお茶にしない？　良い物があるの」
　事務の仕事をひとまず置いて、冷蔵庫から例のクッキーを持ち出す。
「わぁ、良い物って、何ですか？」
　零は、シュラインの後を追いかけるように、冷蔵庫へと向かった。手にした雑巾をバケツに戻し、きちんと手を洗う。その間に、シュラインはクッキーを皿に出し、応接間のテーブルに置いた。
「あっ、兄さん、クッキーですよ！　わぁ、こんなにあります」
　応接間に入ってきた零の視線は、真っ直ぐにクッキーに向かう。
　自然とあふれてきた笑顔を見ると、自分が世界に一つだけのダイヤモンドを取り出したような気分になった。
「待ってて、何か飲み物も用意するわ」
「あ、お手伝いします」
　もう一度シュラインが冷蔵庫前に引っ込むと、それを追うように零も続く。
　シュラインは自分の紅茶と武彦のコーヒーを用意し、零は日本茶を淹れた。二人で応接間に戻ると、相変わらず武彦は机の灰皿に煙草を押し付けている。もう煙も出ていない吸殻を無心で押し付けている。どうやら、本当に暇なので、気が緩んでいるようだ。
「女子供は甘い物が好きだな」
　ようやく顔を上げたと思ったら、武彦はぼんやりと頬杖をついてため息をついた。
「え？　兄さんは食べないんですか？　ほら、チョコレートとマーブルになったものもありますよ！　あ、これはチョコチップ」
　しかし、零の言葉に、びくりと肩を振るわせ武彦は固まる。
――欲しいのね、とっても。
　シュラインは、口元に笑いを浮かべて、武彦の机にコーヒーカップを置いてやった。
「武彦さんも一緒に食べましょう。沢山あるからね」
「お、おお。そこまで言うなら……」
　すると、武彦はふらふらとコーヒーカップを手に立ち上がる。客の気配が無いのを良い事に、今日は相当だらけているようだ。けれど、あのクッキーは是非とも食べて欲しいので、それ以上は黙っていた。
　ああ、それから、と、シュラインは武彦の鼻をちょこっとつつきながらシンプルにラッピングした小さな箱を差し出す。
「？」
「気が向いたら食べてね」
　そう、小さな声で囁き、ぽんと空いた手に乗せてやった。
　ねぇ、武彦さん、今日何の日だか知ってる？
　そんな野暮な事は言わないけれど、いつまでも健やかにと願いを込めたチョコレートを渡せてよかったと、シュラインは微笑む。
　テーブルで待つ零に向かって歩き出すシュラインの背後で、武彦は受け取った箱をゆっくりとポケットにしまい、照れたように頭をかいた。

■Ending
「うわぁ、美味しいですねぇ」
「あら、本当。美味しいわねぇ」
　応接間のテーブルを挟み、シュラインと零が笑いあう。
　チョコレートクッキーは、しっとりとした口当たりで、上品な味がした。噛み締めるとふんわり香るチョコレートがにくい。バターもチョコレートも入っているはずなのに、いくつでも食べる事ができそう。
　零は、嬉しそうにマーブルクッキー、チョコチップクッキー、チョコクッキーを順番に手に取った。そして、クッキーを一口食べるたびに、明るい笑顔がこぼれる。その様子を見ているだけでも、幸せな気分だった。
　クッキーを飲み込み紅茶を口に運ぶと、自分の頬が緩んでいる事に気がつく。
　温かくて、幸せな気分だ。
　老婆の笑顔がふと脳裏をよぎる。
　ああ、確かに、幸せな気持ちが伝わるチョコレート。シュラインは、紅茶のカップをテーブルに置き、もう一つとクッキーに手を伸ばした。
「本当に、シュラインさん、こんなクッキーどこで手に入れたんです？　ねぇ、兄さん美味しいですねぇ」
　零はいつになくお喋りだ。
　にこにことクッキーをくわえて、武彦の方へ振り向いた。
　武彦は、自分の机に腰をあずけている格好で黙々と手渡されたクッキーを食べていたのだが、零に呼ばれてふと顔を真っ直ぐシュラインに向ける。
　そして、先ほどまでの呆けた顔を引っ込めて、代わりに口の端を持ち上げた。
「ああ、そうだな、……有難う、シュライン」
　そんな、不意打ちの言葉に、シュラインは手にしていたクッキーを落としそうになる。
　……驚いた、本当に。
　しかしそれも一瞬で、シュラインはすぐにリズムを取り戻し微笑み返した。
「どういたしまして、もう一ついかが？」
　シュラインの差し出したチョコチップのクッキーを、武彦は無言で頷いて受け取った。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号　／　ＰＣ名　／　性別　／　年齢　／　職業】

【0086　／　シュライン・エマ　／　女性　／　26歳　／　翻訳家＆幽霊作家＋草間興信所事務員】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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シュライン・エマ様

　こんにちは。いつもご参加有難うございます。
　バレンタインデーはいかがでしたでしょう？　今回、男性と向かい合っている時とは違い、舞台裏で色々思案してしまう。そんなシュライン様の新たな一面を教えていただきとても嬉しかったです。楽しく書かせていただきました。
　それでは、また機会がありましたらよろしお願いします。

Bitter　or　Sweet？・PCゲームノベル

陵かなめ

東京怪談

2008年02月29日