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『菓子の家の老婆 』
海原・みなも1252



1.
 気が付けば迷い込んでいた森の中、その家はあった。
 目の前に突然広がった光景を理解する前に、甘い香りがみなもの鼻先を掠める。
 そこにあったのはおとぎ話に出てくるようなお菓子の家。
 壁も屋根も窓も扉も、すべてが菓子で作られている家を呆気に取られて眺めていると、背後から声がした。
「甘いものは好きかい?」
 みなもが振り返れば、そこにはひとりの老婆の姿がある。
 皺が深く刻み込まれた顔には温和な笑みが浮かんでいた。
「あんた、甘いものは好きかい?」
 老婆は再びそう尋ねる。
「好きなら遠慮せずに食べて良いよ。何も気にしなくて良い。今日は年に一度、この菓子の家を振舞う日だからね」
 言いながら、ぱきりと老婆は壁についていた飴細工を折って見本を示すように口に放り込んだ。
「さぁ、お食べ」
 にっこりと老婆はこちらに向かって笑いかけた。
「あの……本当に良いんですか?」
 突然の出来事にみなもが困惑して聞き返しても、老婆は温和な笑顔のまま口の中に放り込んだ菓子を咀嚼している。
 それを見ていると、タイミングを計ったようにくぅと腹が鳴ったような気がしてみなもは顔を赤くしたが、幸い老婆は気付いていないようだ。
「お嬢ちゃん、甘いものは駄目なのかい?」
「い、いいえ。甘いものは大好きですけど……」
 慌ててみなもはそう答えたが、初めて出会った相手のものであるものを無遠慮に食べるようなことをして良いのだろうかという迷いもあった。
 だが、老婆はそんなみなもの様子に気付いたようにまたにっこりと皺だらけの顔をくしゃりと歪ませた。
「そうだねぇ、突然会っていきなりこれを食えというのも難しいかねぇ」
「いえ、その……」
 みなもがそれに答える前に「良いんだよ」と笑いながら老婆は菓子でできた扉を開いた。どうやら中へと招待する気らしい。
「外で立ったままというのは行儀が悪かったかねぇ。家の中に入ってゆっくりお食べ。それなら良いだろう?」
 その言葉にみなもは曖昧に頷きながら老婆に誘われるまま家の中へと入ることにした。


2.
 入った家の中は予想はしていたもののやはり全てが菓子で作られており、その光景にみなもは思わず目を丸くさせた。
 壁に天井、床に窓、家具にいたるまで全てが菓子で作られ、匂いがわからなくなってしまいそうなほど甘い香りが部屋中に立ち込めている。
 飴にチョコレート、バニラに蜂蜜、様々な菓子の香りが部屋の中でない交ぜになっていたが不思議と不快に感じることはなくこぞって食欲を程よく刺激してくる。
 くぅ、とまたみなもは自分の腹が鳴ったような気がして慌てて老婆や家の中を見たが、この家には老婆以外の住人はいないようで老婆自身はやはりみなものそんな様子に気付いたふうではない。
「さぁ、ここにお座り」
 そう言って老婆がしめしてくれたそれも飴でできた可愛らしい椅子だったが、身体に付かないようにという配慮かその上にはきちんとこれは菓子ではないハンカチが敷かれている。
 遠慮がちにみなもはそれに腰掛ける。テーブルも勿論菓子でできているがこちらは飴ではなく台はクッキーのようだ。
「そういえば、お嬢ちゃんの名前をまだ聞いてなかったね」
「あ、あたしはみなもです」
「みなもちゃんだね。みなもちゃんはお菓子は好きなんだね?」
「はい、あの……食べ過ぎて太らないくらいには」
 恥ずかしそうにそう答えると老婆はにっこりと笑って言葉を続けた。
「女の子らしい答えだねぇ。それじゃあ、まずはどれが良いかい? テーブルをかじっても良いし壁を削るのも良い。こっちに使ってるチョコは少し苦いけれどおいしいよ」
 視界に映るもの全てが食べることができ、またどれもおいしそうに見える菓子の家の中、みなもは少し考えてからテーブルの端をぱきんと折った。
「いただきます」
 丁寧にそう言ってからクッキーを口に入れる。途端、みなもの目はまた丸くなる。
「……おいしい」
 口の中に広がるクッキーの味はいままで食べたことがないほどおいしいものだった。コンビニなどで売られているものとは比べるだけでも失礼だと思ってしまう。
 素直にそう言ったみなもに老婆は満足そうに笑ってみせる。
「お口に合ったかい? そりゃあ良かった。さぁ、遠慮せずにもっとお食べ。今日は特別な日だからね」
 老婆の勧めに今度はみなもも遠慮はせず嬉しそうに頷いてもう一度「いただきます」と言ってからいろいろなものをけれど少しずつ食べてみることにした。
 ベッドのマットに使われていたふんわりとしたスポンジはしっとりしていて口の中が乾くことはないし、家具の芯に用いられている飴は果汁をそのまま固めたように味が濃い。チョコレートは口の中に入れた途端に蕩けて甘いものから少し苦いものまで様々だ。
 家具として普段も使われているのだろうかと考えるよりも、それらのおいしさのほうが先に口に飛び込んできて気にする暇もない。
「どれもすっごくおいしいです」
 ひとつひとつを食べながらみなもは丁寧に老婆にそれぞれの感想を言い、老婆はその言葉に嬉しそうに笑みを返す。
「そうかい、それは良かった。もっと食べて良いんだよ、今日来たお客さんはいくらでも食べて良いから遠慮しないであっちもお食べ」
 そう言って指差された先には薄い飴が幕のように貼られている傘がある。勿論、開かれたままだがみなもはその取っ手と幕の部分も食べてみる。
「おいしい」
 それ以外の言葉を忘れてしまったかのようにみなもは夢中で別の菓子を口に放り込んだ。


3.
 夢中で食べているうちに家の壁や窓は一部ずつが欠け、家具も同様になってしまっていたが、そのことにみなもが気付いたのは一通りの菓子を食べてみた後だった。
「す、すいません。あんまりおいしかったからつい……」
 途中から遠慮というものを忘れてしまっていた自分に赤面しながらみなもはそう老婆に謝ったが、やはり老婆は笑顔のままだ。
「どうして謝るんだい? おいしかったろう?」
「そうですけど、あの……おばあさんのお家をこんなにしちゃって」
 みなもの言葉に老婆はみなもが何に謝っているのかようやく気付いたようだったが、それでもそれを気にする素振りは一切見せない。
「良いんだよ。今日は特別な日なんだからみなもちゃんにこれだけ食べてもらえれば菓子も嬉しいだろうさ」
 そう言われたところでみなもが納得できるはずもなく、しかしこれだけ食べてしまった後から食べすぎを詫びても遅すぎる。
 そのとき、みなもはひとつのことに気が付いた。
「あの、このお家はどうやって直すんですか?」
「そりゃあ勿論新しい菓子を作ってだよ」
「この、えぇと、あたしが食べたもの全部……ですか?」
「勿論さ」
 老婆の答えにみなもは考える間もなく老婆に思ったことを口にした。
「じゃあ、新しいお家を作る手伝いをあたしにもさせてください」
 これだけの家を作るのにどれだけの材料や時間、手間がかかるのかはわからないが、みなもはこの家が元のようになるまで手伝うつもりでそう言った。
 だが、返ってきたのはみなもが予想していたものとは違っていた。
「大丈夫だよ。みなもちゃんは何もしなくてもそのままで」
「で、でも」
「良いんだよそのままで。あたしがちゃんと作ってあげるから」
 その言葉は老婆がひとりで菓子を作るという意味だと最初みなもは考えたが何処かに違和感を覚えた。
 いったいいまの言葉の何にだろうとみなも自身が気付く前に老婆がその答えを口にした。
「みなもちゃんでならさぞかしおいしい菓子ができるだろうからねぇ」
 え? とみなもは尋ねようとしたとき、ようやくそれに気付いた。
 足が動かない。いや、もっというのならば膝から下の感覚がない。
 まるでそこだけ自分の身体ではなくなったようなその感覚に慌ててみなもは下を向くと、そのまま目を大きく見開いた。
 そこにあったのはみなもの足ではない。いや、膝は繋がっているからもとはみなもの足であったはずだがそれが変化している。
 みなもの足が、いつの間にか飴細工のように変化していた。
「なに、これ……!」
 突然自分の身に起こったことが理解できずみなもはもはや感覚のなくなった足──正確には足であったものを動かそうと身を捩ったがそれはまったく動く気配がなく、それでもなお動かそうと力を入れたときその音が聞こえた。
 パキン。
 まるで無理に力を入れられた飴細工が折れたかのような音と共にみなもの足が膝から折れ、そのままみなもは反動で床に身体を投げ出される形になった。
 足が、折れた。それなのに痛みがない。まるでそんなものはなかったように。
「なに、なんなの……!」
 恐怖に震える暇もなく、次の変化がみなもの身体に起こる。
 先程まで小刻みに震えていた手の指が変化していく。ゆっくりと指が全て細いチョコレートへと変わっていく。
「ひっ!」
 悲鳴を上げることもできずみなもはただ自分の身に起こっていく変化を恐怖にこもった目で見ていることしかできない。
 だが、その間に身体の別の部分も変わっていく。
 髪の毛が、膝から上が、ゆっくりと全身が菓子へと変わっていく。
「あ、あたし……お菓子になってる……!」
「そうだよ。この家を食べた人間は菓子になるのさ」
 あまりの恐怖に忘れてしまっていた声にまだ人の身であるままの顔を動かせば、最初に出会ったときのまま温和な笑顔の老婆がみなもを見下ろしている。
「みなもちゃんも言ってくれただろう? この家の菓子はおいしいって。自分が楽しんだものは他の人にも分けてあげなきゃあねぇ。だから、今度はみなもちゃんが菓子に、この家になって来年訪れた人に楽しんでもらうんだよ」
 自分が行っていることが良いことだと信じて疑っていない老婆の声にぞっとする前にみなもはその言葉で理解した。
 先程まで自分が夢中になって頬張っていたあの菓子がいったいなんだったのか。何でできたものだったのか。
 本来なら、がたがたと震えて当然の出来事なのに、身体の大半が菓子へと変わってしまった今、みなもにできるのは恐怖に満ちた目で老婆に必死に救いを求めることだけだ。
 だが、いまでは恐れしか生まない笑みを浮かべたまま老婆はそんなみなもの様子さえ満足そうに眺めている。
「怖いかい? 苦しくはないだろうけど怖いだろうねぇ。でも、それはしかたがないんだよ。怖い思いをすればするだけ菓子を作ったとき味が良くなるんだ。おいしいものを作るのは何かと大変なのさ。でもその分、みなもちゃんを食べる人は心からおいしいと言ってくれるに違いないんだから良いことなんだよ」
 みなもには理解できない老婆の言葉に、しかしすでに舌もグミ状の菓子に変化してしまったみなもはもはや何も言うことができない。
(助けて、助けて!)
 ほとんどの部分が菓子と化してもみなもは尚も救いを求め続け、そしてそんな姿を老婆は嬉しそうに楽しそうに眺めていた。
 その姿を見ていた目も、しかしゆっくりと飴に変わり、それが仕上げであったようにみなもの思考は途切れた。


4.
 はっと息を呑んだその音にみなもは目を見開き、慌てて身体を跳ね起こした。
 どくどくと脈打つ音がひどく大きく聞こえ、みなもは必死に呼吸を繰り返す。
 徐々にその音も収まり、呼吸も整ってきたとき、ようやくみなもは大きく息を吐くことができた。
「あたし、いったい……」
 声もちゃんと出る。どうやら自分が夢を見ていたようだとみなもはゆっくりと考えた。
 おそるおそる掛けていた布団を上げて自分の足を見るが、当然それは菓子になどなっておらず見慣れたみなもの足があるだけだ。
「……夢だったのね」
 はぁ、とみなもはまた大きく息を吐いた。今度は安堵の意味もこもっている。
 先程までの体験はどうやら夢だったらしい。
 御伽噺のような菓子の家もその家に住む老婆も、そしてみなもの身に起こった思い出すだけで身体が震えるようなあの体験も。
 もう一度、みなもは息を整え大きく息を吐こうとした……そのとき、みなもの鼻にそれが漂ってきた。
 甘い菓子の香り。まるで、さっきまで見ていた夢の中で嗅いでいたような。
 慌ててみなもは周囲を見る。だが、部屋の中に菓子など置いていない。
 気のせい、そう片付けようとしたみなもの目に、それは見えた。
 視界に入るような位置にある前髪、その数本が変化している。
 それは、透明な飴細工に見えた。
 みなもが上げた悲鳴の中、パキンと何かが折れる音が聞こえた気がした。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)       ■
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1252 / 海原・みなも / 女性 / 13歳 / 中学生

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■         ライター通信                    ■
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海原・みなも様

いつもありがとうございます。
この度は、当依頼にご参加いただき誠にありがとうございます。
菓子の家に住む老婆は魔女、そしてそれを食べたものを材料にしてしまうという『本当は怖い童話』という雰囲気とのことでしたのでこのような話とさせていただきました。
お気に召していただければ幸いです。
またご縁がありましたときはよろしくお願いいたします。

蒼井敬 拝
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東京怪談
2008年02月29日

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