▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『spring com 』
一条・里子7142)&(登場しない)

 今年の冬は、珍しく。都心でも雪が積もった。
 その僅かな雪にも足を取られて人は転び、車は滑ってバスも止まり、電車は音を上げて運休を決めるなど、世界に名だたる都市の交通機関の脆弱さは、ニュースにまでなる。
 たかが3cm、されど3cm。
 地方在住者が鼻で笑う積雪とて、慣れない者には鉄槌とも呼べよう。
 自然の猛威と呼ぶにはおこがましくも、それなりに人の力の限界を突きつけた冬将軍が、そんなささやかな文明の麻痺に、勝利の雄叫びを上げたかどうかは知らないが。
 瞬く間に真白く世界を染め上げた、雪を子供が喜ばないはずがない。
 そんな理由で、ここにもランドセルを背負った少年が、登校前の道端でせっせと雪を集めて歩いている。
 壁に積もったもの、道に張りだした庭木の枝、汚れていない雪を選んでは、手の中に握り込み、徐々に雪玉を大きく丸く整えて行く。
 手袋を濡らすのが嫌なのか、はたまた手触りを堪能したいのか、素手に雪玉を握り締めて嬉しそうな彼を、遠くから級友が呼んだ。
――雪合戦をしよう。早く行かないと溶けちゃうよ。
 日が高くなれば、僅かな雪は瞬く間に消えてしまう。
 遊びの誘いと手の中の雪と、心中で天秤にかけた彼は、道の隅っこに丸く固めた雪を、一つ二つと積み上げた。
 クーピーの黒い芯を折って二つ目として、小さな小さな雪だるまを作る。
 簡素ながらも出来映えには充分満足したのか、少年は道の端、出来るだけ塀の影になる位置へと押しやると、小さく「じゃぁね」と別れを告げて駆けだした。
 そのすぐ後。
 雪だるまは、足を滑らせて均衡を崩した歩行者の靴に蹴り砕かれた。
 胴の部分は壊れて粉々になり、頭は勢いにころころと転がって道の端、建物の狭間にささやかな雪溜まりの中に嵌るようにして止まった。
 横倒しに道を見る雪だるまの目は、片方、転がる途中に外れてしまったのか欠けてしまい、その小さな雪玉が人を模していたことに気づく者は最早ない。
 故に虚ろな黒目が、確かな意志を宿したことを知る者も、また居はしなかった。


 一条里子は、薄い雲の残る青空を見上げて、うんと大きく伸びをした。
 天を見上げる瞳はその空を映し、更に透明に光を深めたような青だ。
「今日は、本当にいいお天気」
目を細めて見る先には、冬の陽射しを注ぐ朝の太陽がある。
 陽光にきらめく金髪を後頭部に高く結い上げ、カシミアのタートルネックセーターにスリムジーンズ、その上からコートを着込んだだけで、防寒準備が完了となる東京の冬は実に身軽だ。
 北国経験者にとって、東京のささやかな雪などなんのその。降り出せば最低三日は雪に籠められる北海道の冬に比べれば、蚊に刺された程にも感じない。
 強いて言えば、洗濯物をベランダに出せないのだけは難だったが、本日の晴天でそれも帳消しである。
 家事を思考のメインに置いた実に主婦的な思考で、里子は機嫌良くワインレッドの傘を揺らしながら歩く。
 今は晴れているが、午後からの降水確率は50%の予報が出ており、雨が降るか降らないか、悩むくらいなら傘を持つの用心もまた、家庭を持ってからの里子の習い性である。
 本日は花屋のパートの日。いつもより早めに家を出て、散策がてら遠回りをしながら、職場に向かう道すがらである。
 商店街の中にあるフラワーショップは、徒歩通勤圏内な上、買い物にも便利、と里子にとってこの上なく有り難い立地だ。
 鼻歌交じりに、人様のお庭などを生垣越しに拝見しながら、何気なく角を左に曲がった里子は其処でぴたりと足を止めた。
 それまでの、冷たくもさわやかな空気が一転、重苦しく、どんよりと澱んで臭気すら錯覚するようなものに変わっている。
 地を這う冷気が足下を浸し、ある種の慣れた緊張が、里子の脳裏に警鐘を鳴らす。
 しかし、防御本能に近いそれに知らされずとも、眼前に広がる光景は、異常を認識するには充分過ぎる。
 駅前通りに向かう小路。
 元より、通勤・通学の為の人通りが多い道なのだろう……其処此処に、異変の影響を受けた学生、会社員の姿が点在し、事態はその苦難に手を貸そうとする人にまでも連鎖する。
 それ程にも見事な路面凍結であった。
 つるりずるり、すってんころりん。
 擬音が聞こえそうな勢いで、そこここで人が転がる。
 道から離れてしまえばよさそうなものだが、住宅の密集地に逃げ場はなく、滑って動けずに居るのは家から出ようとした、或いは駅に向かおうとした人々のようだ。
 立ち上がろうとすれば手が滑り、壁に縋っても足が踏ん張れない。
 人によっては根性で以て腹ばいに、氷上を滑るペンギンの如く前に進もうとするが、その場合は滑りすぎ、電柱に絡まらないと止まらない。
 本人が必死さが見ているだけで伝わるからこそ、笑うべきか否かを悩む。
「どうして……」
ひくつく頬の筋肉を理性で抑え、里子は思わず背後を振り返った。
 自分の来た道は、ごく普通に乾いたアスファルトの路面が続いている。
 その小路に入った途端に、地面はキンと凍りつき、磨かれた鋼の如き輝きすら宿しているのだ。
 そんな俄スケートリンクに、感心している場合ではない。
 このまま放置しては、怪我人が出てしまう。
 平和に、静かに、穏やかに、トラブルとは無縁で過ごしたいささやかな願いと、眼前の事態との板挟みに煩悶する。
「あぁ! もう!」
お年寄りなら骨を折りかねない、と思えば看過も出来ない。
 そう、己の正義を礎に大儀を見出せば、里子に迷う理由はなかった。
 里子は一つ頭を振ってポニーテールを揺らし、ふ、と短く吐き出す息に、丹田に力を込める。
『霊感主婦りっちゃん』の出番です!
 という、気合いは心中で入れるのみに止めて目を眇める……里子の集中に意識は現実から剥離するようにして、違う異相に重なった。
 里子が回線を開く、と称する感覚の変化は、視界及び聴覚に、常人が捉えるものとは別の姿、声を得て世界の様相を一変させる。
 油断なく、ワインレッドの傘を逆手に持ち直した里子は、左の腰に寄せる位置で親指を支点に軸を支えた。
 剣道の構えに移る為の、最初の姿勢である。
 その間にも視界は次第に明瞭さを増し、細部の形を得た霊気は霧の形で里子の足下を漂い、低い呻きが空気を震わせた。
「ぐ、お、おぉぉぉ」
くぐもった声は、敵意をふんだんに含み、聞く者の恐怖を呼び起こす。
「儂の体は何処じゃあぁぁ……ッ」
声は他者に責を求め、怨嗟を撒き散らしている。この声の主が、事態を招いているに違いない。
「腕が消えた、足もないぞ! ……何処にもないぞおぉ!」
ならば、今は首のみということか。無念の声に里子は周囲に目を走らせ、それらしき霊体の姿を求めるが、すぐには見当たらない。
「耳はどこに、鼻も、髪も! ない、ないぞ! 儂の左眼は何処へ行った……!」
声のまま、あるべきパーツを削っていけば、それは凄惨な代物が脳裏に仕上がり、さしもの里子も総毛立つ。
 最近、そんな猟奇事件があったろうか……と記憶を探ろうにも、死者の怨みは年代を問わない。
 何れの時代の魂でも、思いや深度によって残り方は違い、時に過去に封じられていたものが、何かの拍子に顕在化することも有り得るのだ。
 パターン的に、首を落とされた武将の霊、とか。
 今までの経験から憶測を巡らせながら、里子は眉を寄せた。古い霊は面倒なのだ。
 その間に、探し求める声は哄笑に変わる。
「おのれぇ、世界中、儂と同じ姿にしてくれるぅッ!」
 そして滑り転ぶ人々に紛れて、浮遊する霊もまた滑って転んでを繰り返しており、対象は生死を問わず、無差別であるようだ。
 どのような恨みで為しているのか。
 声は近いのだが思う姿を求められず、里子は強まる冷気に焦りを滲ませながら四方を見回し……ふと、白い塊に気を引かれる。
 昨日積もった雪の名残、他の箇所はとうに消えているだけに、その白さはやけに目につく。
 そしてほぼ中央に一点、ぽつりと存在する黒も否応なく目立っていた。
 里子は首に傾きを持たせ、その黒に視点を合わせる。
 傾げる角度は更に深く、首の筋を限界まで伸ばして上体を傾けて……地面とほとんど平行に頭を傾けて、里子は抱いた疑問の答えを得る。
 雪の中に、すっぽりと埋まって黒いそれは、ゆきだるまの目なのだと、残った片目の窪みで知れた。
 欠けている左の目は解るが、髪と鼻と耳と足は元から存在しないのではなかろうか。
 腕も頑張れば着いていた可能性はあるが、体が見当たらない今、それを判断する術はない。
 本人の主張を汲んでみれば、確かに不満は多いだろう。
 しかし、どう贔屓目に見ても、掌サイズが関の山なサイズの雪だるまが吐くには、あの重低音の恨みは似つかわしくない。
 里子は、雪だるまと視線を合わせたまま口を噤み、胸中にその姿を評するに的確な言葉を探る。
 何か、適した表現があった筈……と、喉元まで出掛かっている里子の言葉を待ってか、或いは自分を認める者の存在は想定外だったのか、雪だるまも先と打って変わった沈黙を守っている。
 しばし、じっと雪だるまを見つめていた里子は、不意に合点が行って大きく頷いた。
「……ショボ!」
 片手が塞がっていなければ、手を打ちたい程すっきりしたが、雪だるまは気に食わなかったらしい。
「ショボい言うなあぁぁぁッ!」
やはり、原因は間違いなくこの雪だるまだ。
 サイズに見合わぬ重低音は、埋もれた雪から塀へと響きを伝え、それをスピーカー代わりにしている模様だ。
 流石、普段は雪の降らない都市を席捲した雪を材料としているだけあって、根性の座った雪だるまである……と感心ばかりもしていられない。
 今まで四方に散っていた悪意が、今は里子のみに向けられている。
「お前も同じ姿にしてくれるぅッ!」
言葉を操る割りに、会話をしようと言う気はないのか、即断即決した雪だるまから吹き付ける冷気に、里子は思わず顔を腕で庇おうとしたが、それを理性で止めた。
 こんなささやかな雪に屈しては、北国在住経験者の名が廃る。
「北海道の地吹雪はこんなものじゃないわ!」
気合いと喝を兼任した主張に、真正面からの冷風に耐え、里子は傘を正眼に構えた。
 ピシパキと音を立て、凍り付くアスファルトが領域を広げて、里子るまで伸びようとしている。
 転ばせるだけで、果たして同じ姿に持ち込むことが出来るかどうかは不明であるが、雪だるまの本気は伝わった。
 里子は凍結が足下に達するより先に、自ら踏み込んだ。
 スニーカーのゴム底は、氷を踏んでも容易く滑る筈はないが、里子の体重を流すように分散してしまう。
 親指に強く力を込めても均衡を保てず、里子は構えを崩して、両手でバランスを取ろうと腕を広げながら踏ん張った。
「お前も転べ! 砕けてしまえ!」
残念ながら、雪だるまの構成と違って骨と筋肉の組成を持つ人体は、転んだだけで砕けられるようには出来ていない。
「人を全滅させ、永遠の冬に世界を沈めてくれるわ!」
それを知ってか知らずかは別にして、雪だるまは高笑いに野望をぶちあげた……目標を高く掲げることはよいことだ。
 しかし、その壮大な野望が果たして実現可能かどうか、といえばまた話は別なのだが。
「させません!」
雪だるまの本気に真面目に応じ、里子は下段に傘を構えて体重の支点を軽く足を開いて移動させた。
 前後に軽く開いた足で体重を支え、且つ心持ち前に重心を持たせることで、摩擦抵抗が皆無な氷上を滑る。
 一度降り始めれば止むまでが長い北国の冬、昨夜の雪は踏み固められて氷となり、その上に積もる新雪に道のあちこちはトラップと化す。
 そんな土地で暮らしてきたのだ。足下の不安定さなど、里子の敵ではない。
 スケートの要領で自在に氷上を滑る里子は、迷うことなく吹き溜まりまで行き着くと、柄を下に持ち替えた傘で、勢いを殺さぬまま、ゴルフのスイングよろしく雪だるまの頭を打ち上げた。
 昨夜の冷え込みに、半ば凍りかけていた雪はじゃくりと音を立てて削れ、陽光にキラキラと輝きを放ちながら空を飛ぶ雪だるまの軌跡を彩る。
「何をするうぅぅぅッ!」
雪だるまが地から離れた途端に氷は溶け、人々はようやく安定した足場を得るに、そこ此処から思わず歓声が上がった。
 が、氷に足を取られていたのは、通勤・通学途中の人々である。
 お互いの労を口々に和気藹々と、しかしせかせかと駅へと向かう背を、里子は高く宙を舞って後、手の中にすっぽりと納まった雪だるまの首と共に見送った。
 自分のことに手一杯で、『霊感主婦りっちゃん』の活躍に気づいた者は居ない……しかし、里子は満足である。正義とは、人知れず行われてこそ真の価値を持つのだ。
 だが、まだ問題は解決したとは言えない。
「……さて」
残る懸案は、雪だるまの処遇である。
「何をする貴様、儂は冬の支配者となるのだぞ! 世界を雪と氷に沈めて、春など来させるものか!」
首だけになった雪だるまは、先と打って変わって声も愛らしい。
 けれども口調は変わらず、偉そうに騒ぎ立てる雪だるまを見下ろした里子は、傘を脇に挟んで雪だるまを持つ左手に、右手を重ねた。
 一度握り固められた雪だるまの表面は粗目のようにざらつき、冷たさと相俟ってチクチクと肌に刺さる。
「な、何をする、まさか……!」
掌に包まれた雪だるまの、危機感の籠もった声に、里子はにっこり笑って両手に力を込める。
「問答無用です!」
ぐぐ、と両手の間で圧され、じりじりと形を変える雪だるまが悲鳴を上げるが。
 里子は、全く動じることなく、両手を捩るようにして『ぷちり』とそれを握り潰した。


「遅くなりまして!」
息せき切って職場に駆け込んみ時計を見上げた里子は、開口一番、店長に詫びて頭を下げた。
 出勤時間より3分遅れ……だが,遅刻は遅刻、平身低頭する里子を、穏やかに押し止め、店長は気遣わしげに反対に問う。
「いいえ、大丈夫ですよ。けど珍しいですね。何かありましたか」
いつもなら10分前には出勤して、準備にかかっている里子である。
 その心配そうな声に、里子はもう一度頭を下げると、手の内のものを頭上に掲げて見せた。
「あの……遅くなった理由がこれで、大変に申し訳ないのですが」
両手に掲げたそれは、小さな雪うさぎ。
「かわいいですねぇ……でも、片目はどうしたんですか?」
 葉っぱを耳に持って丸みの強い雪うさぎは、円な黒い瞳を持っているが、右眼しかない。
「最初から、目が一つしかなくて」
お叱り覚悟で雪うさぎを示した里子だが、店長は「そうだ」と呟くと、枝物の並ぶコーナーに足を向けた。
「南天、などいかがでしょうか」
温室育ちを別とすれば、冬は圧倒的に花が少なく、緑の葉や実を楽しむ枝が良く出る。
 店長はその中から、南天の一枝を取り出し、枝先につややかな実を爪の先でぷちりと摘み取って里子に差し出した。
「いいんですか?」
思わず手を出して受け取りながらも、売り物の提供に恐縮する里子に、店長はほのぼのと笑う。
「いいんですよ、目がないままは可哀想だ」
実を毟ってしまった南天を包装紙に包み、コレはうちの床の間用、と宣言されては買い取りも出来ない。
「……えぇと、南天まで頂いておいて、更に厚かましいお願いがあるんですが」
好意の上に胡座をかいて、更にお茶まで請求するようなものだが、形振りを構っていられない。
 里子の申し訳なさげな様子に、店長は表情を改めて先を促した。
「いえ、このままだと溶けてしまうので……冷蔵室の片隅にでも置かせて頂けたら、と」
里子の体温で、雪うさぎの体がいささか緩くなってる気がする。
「早く入れてあげてください」
火急的、速やかに。店長の判断は速かった。


 生花の為の冷蔵室の片隅、アレンジメント等を置く棚の上に雪うさぎはちょこんと座り、赤と黒の目で里子を見上げているかのようだ。
 雪うさぎの額を指先で撫で、白に映える黒と赤のお洒落な彩色に、里子は思わず微笑んだ。
 折角だから、和風のディスプレイに見せようという流れになり、雪うさぎは先の南天と共に並んでいる。
「……しばらくここで大人しくしてなさい」
勿論、これは先の雪だるまが元になっている。
 邪念というか何というか、よく解らない黒さは里子が潰した。
 今は喋らないし、冷気を無尽蔵に発したりもせず、外見の愛らしさと佇まいが慎ましく合致している。
 人の形を模したものには、何かが入り込みやすいし、何をどうしてあんな妙な願いを持つに到ったかは知れないけれど。
「春もいいものよ」
と、里子はそう片拳に力強く請け負って、硝子の引き戸を静かに閉めた。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
北斗玻璃 クリエイターズルームへ
東京怪談
2008年02月26日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.