▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『ラビュリントスの涙 〜Minotauros〜 』
葉山龍壱(mr0676)&葉山鈴音(mr0725)

■00

 その圧倒的な建造物は、総て白大理石で出来ているようだった。
 滑らかな白さを湛えた壁は左右に曲線を描いて伸び、全体が円形をしているのだろうと想像させる。中心にかけて盛り上がった天井は高さ数メートルといったところで、外観から察するに内部は一層。現代東京から迷い込んだ者ならば、ドームを思い浮かべてもらえれば近いだろう。
 ともかく、そんな巨大な建造物を、あなた方とマリカは並んで見上げていた。
「この迷宮の中に、探してきてほしいものがあるの」
 迷宮? 探してくる? 口々に問いかけるあなた方に、マリカはこくんと頷く。
「一歩足を踏み入れれば迷うことは必定、なんて言われている大きくて複雑な迷路よ。道は渦巻き状に続いてるらしくて、その中央に神殿のような部屋があってね。そこに私の探している宝物──“ラビュリントスの涙”があるっていう話なの」
 ラビュリントスの涙。反芻するあなた方は、今一度建造物に目を遣った。
 この中に入って、その宝物を探して来いと? 思わず眉間にしわが寄るのも致し方ない。
「無理なことを頼んじゃってごめんなさい。でも私では入れないのよ。2人で門をくぐらなければ受け入れない、2人の想いの深さが影響を与える──これがこの迷宮のルール」
 だからあなたたちにお願いしてるってわけ。そう言って、マリカは背後に隠していた両手を取り出した。
 片手に握られていたのは赤い糸の毛玉。もう一方の手には、白銀に光る剣を携えている。
「この糸は細くて長く丈夫だから、迷宮の奥に入っても尽きないと思うわ。剣のほうは護身用に、扱いには注意してね。それから一人にひとつずつランプをあげるわ。ね、迷宮探索に便利でしょ?」
 ランプと糸が迷宮に入る上で必要なことは何となく解る。でも、どうして剣まで?
「……それはね、」
 マリカはそこで言葉を切り、扉を閉ざしたままの白い門に視線を投げかけると。
「迷宮には、2体の“魔物”が彷徨ってるそうよ。そして落とし穴やトラップもたくさんあるみたい。──気をつけて、探検してきてね」
 苦笑しながら、肩をすくめて見せた。


■01

 他に何か必要なものはないか、というマリカの確認に、葉山龍壱は「鞘を」と所望した。
 手渡された剣は抜き身だったのでそれを収めるべき鞘を。龍壱の寡黙な言葉から意図を了解したマリカは、お安い御用とばかりに剣の鎧を現出させた。
「それじゃあ私は糸を持っていくわ」
 剣を鞘に収めた龍壱の横で、彼の妹・鈴音が手を差し出す。
 マリカから毛玉を受け取った彼女は、それを手の内にきゅっと握り締めると傍らに佇む兄を見上げた。
 鈴音の紅い瞳に灯っているのは、常に変わらぬ龍壱への信頼の光だ。自分たちは今から未知なる迷宮の中へを足を踏み入れる、しかし兄が一緒ならば何も恐れることはないだろう。
「お兄ちゃん」
 想いそのまま、甘い声音で彼を呼ぶ。
「ああ」
 腰に剣を佩いた彼の左手に、指を絡めるようにして自分の手を繋ぐ。掌も指も総て自分より大きな兄の、頼もしい手。武具を扱う手なれども、自分に触れる時はこの上も無く優しい。
 そういうところが、とても、愛しい。
 だから、迷宮の中でも決して離れぬようにと強く握り締める。すると彼はちらと自分に目を遣って、それから──ぎゅっと。同様の力で応えてくれた、まるで、同じ想いなのだとでも言うように。
「仲がいいのね。妬けちゃうくらい」
 いたずらっぽく微笑むマリカに、鈴音はにこりと笑みを深め、照れも見せずにさらりと答える。──そうでしょう?
 龍壱は無言のまま、その手を引いた。

 押し開かれる白い扉。
 2人はランプをかざし、薄闇に閉ざされた迷宮へと一歩を踏み出した。


■02

 渦巻き状の道、とのマリカの言葉通り、迷宮内部の道は緩やかにカーブしながら奥へ奥へと続いていた。
 ランプが無ければ足元の確認に不自由するほどの明るさだが、かといって真の闇に閉ざされているという訳ではない。未明、もしくは宵闇の頃合といったところか。
 龍壱は視線を上──圧迫感を与えるほどに高い壁の上部へと視線を動かす。上にいけばいくほど明るさが増しているような、と気がついて、ドームの天井から外の明かりが差し込んででもいるのだろうか、と推察する。
 迷宮の中は静かだった。自分たちの足音だけが白い石の壁に響き、いっそ寒々しいほどだ。
「鈴音、疲れていないか」
 兄の気遣いに妹はふわりと微笑む。それから、繋いだ手をちらりと見て。
「大丈夫。……あ、お兄ちゃん」
 二人の足が止まる。目の前に、選択肢があった。
 道なりに真っ直ぐ進んでいく道と、左手──内側へ急カーブを描いている道、それから歩いてきた道を合わせれば三叉路になっている。二人は無言のままそれらを見比べる、道の先は明るさが乏しいせいで見通せない。
「どっちがいいのかしら」
 鈴音は首を傾げ、また龍壱を見上げる。
 彼は一瞬だけ逡巡したようだが、すっと分岐しているほうの道を指し。
「いいか?」
 鈴音は頷く。お兄ちゃんが選んだのなら異論は無いわ。
 元より、二人とも確固たる方針があるわけではない。悩むよりは直感を信じていけばいいだろう、との考えで一致しているので、歩みだした爪先にも不安は無かった。
 それに、マリカは「中央に神殿のような部屋」があり、そこに求める“ラビュリントスの涙”があるのだと言っていた。つまり中心に向かっていけばいいのだから、この勘はさほど的を外しているわけでもないだろう。
 と、そうして歩みを進めることしばし。二人の耳が同時にぴくりと反応した。

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……────。

 聞こえてきた地響きに、思わず立ち止まって顔を見合わせる。
 何か、とても、大きな音。静寂の詰め込まれた迷宮の中だからなお一層、その音は荒々しく二人の耳に届いた。
「何かしら、今の」
 鈴音が肩越しに振り返る。龍壱も同じ方向、来し方を見た。
 音は、自分たちがやって来た方から聞こえた……ような気がする。音が反響し過ぎるせいで確実とは言えないが。
「戻ってみる?」
 鈴音の問いかけに、しかし龍壱は首を横に振る。
「もしかすると、マリカの言っていたトラップの音かもしれない」
「それじゃあ、進んだほうが良さそうね」
 龍壱は腰に佩いた剣の柄に手を遣る。それからまた鈴音の手を引き歩き出した、奥へと。

 ────ヒュンッ。

 踏み出した足。突然耳を突いた風を切る音に、龍壱は反射的に身を翻した。
「きゃっ」
 鈴音の手を掴んだままその身を腕の中に抱き込み、肩をぶつける勢いで壁際へと庇う。カラン、と放り出された龍壱のランプが足元に転がった。
 何かが頬をかすめた感触、ちりり、と焼ける熱が頬に筋を残す。親指でぐいと拭えば、指の腹に付着した何か。明かりを掲げて確認するまでもない、血だ。
「鈴音、前言撤回だ」
「え? 何?」
「この先へは進めない」
 鈴音の返事を待たずして、龍壱は彼女の手を引き走り出す。その背を追うようにして、進もうとしていた方向からあの風切り音が襲い掛かってきた。
 今度は、無数に。
「矢?」
 走りながら鈴音が首を捻る。ヒュンヒュンッ、と音を携え飛んでくるのは数え切れない程の矢の切っ先。誰かが発射しているのか自動の罠なのか、確認出来ない道の奥からそれは雨あられと向かってくる。
 龍壱は一瞬眉を寄せた。そして急に駆ける足を止め、
「お兄ちゃん?」
 鈴音を引く手を離し、すぐさま剣の柄へと手をかける。そして迫り来る鏃に向かい────一閃。
 居合い抜きで放った斬撃に、半数が地に叩き落され、残りは二人を避けて飛んでいき、やがて重力に従って力尽きた。
 シン、と再びの静寂が迷宮に満ちる。矢のトラップはその一撃だけだったらしい。音は、それ以上しなかった。
「……ありがとう。守ってくれて」
 片膝をついた姿勢のままの兄の背に、鈴音は頬を寄せて囁く。龍壱は何も答えないまま身をひねり、剣を鞘に収めた手でその頭を撫でた。
 滑らかな銀糸の感触が、武具を扱う指先にすら優しい。顔を上げた鈴音の表情は微笑。口許が甘く、緩んでいる。
「ねえお兄ちゃん。やっぱり、道が分かれていた所に戻りましょうか。もうひとつの道のほうが、安全かもしれないわ」
 龍壱は立ち上がりながら頷く。そうしよう。

 そして元来た道を戻り始めた二人は、やがて奇妙な事実に出くわした。

「……あら?」
 その分岐点で立ち止まり、鈴音は首を傾げた。
 目の前に、道があった。しかしそれは先ほど見た分かれ道とは違う、十字路。前後と左右に伸びる4つの道だ。
「こんな道、行きに見た覚えはない、けど」
 鈴音に同意を求められ、龍壱も首肯する。今はひとつになってしまったランプに照らし出された光景は、歩いてきたどの道にも見当たらなかったものだ。
 そもそも、自分たちは一度しか選択をしていない。素直に戻ってきたのだから、最初にあの分岐路に当たらなければおかしい。
 一歩足を踏み入れれば迷うことは必定。龍壱の脳裏にマリカの言葉が甦る。そして閃いたある仮定。
 まさか、いやしかしそれならば辻褄が合う。
「お兄ちゃん、もしかして」
「ああ」
「さっきの大きな音。あれは、壁が……迷宮が形を変える音だったんじゃないかしら」
「そう考えると、理解できる」
「そうよね。この建物……動いてるのよ。だから──“迷宮”」

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……。

 先ほど聞いた音よりも大きな音が鼓膜を叩いた。近い、と感じて二人同時に振り向く。
 鈴音が数歩前へ進み出てランプをかざすと、ほの明かりの中、側壁から迫り出してきた壁によってまさに道が閉ざされゆく光景が浮かび上がった。
「……塞がれたな」
 ゴォン、と壁が壁にぶつかる轟音が尾を引き、龍壱が嘆息とともに吐き出した。
 元より正解のわからぬ道を進んでいる。ひとつ選択肢を潰されたこの事実が果たして吉なのか凶なのか判じることは叶わないが、何となく閉じ込められたようで良い気はしない。
「とりあえず進めないわけじゃないけれど……」
 語尾を濁した鈴音の言葉の続き、龍壱には質さなくても察せられた。仮にマリカから頼まれた目的を達成したとして……つまり、どうやって帰り道を見つけるか、だ。
「進むしかない、かしら?」
 言ってしまってから、鈴音は自分の声色に一抹の不安が滲んでいるのを感じた。その自覚が、怖れの色を濃くしてしまう。
 それから逃れたくて、ちらと見上げた兄はいつも通りの涼やかな表情だった。甘い言葉で慰めてくれたわけではないが、その硬質な表情を保つ揺るぎ無さが、逆に鈴音の心を少し落ち着ける。
「……進むことは、出来るものね」
 彼の左手を、またぎゅっと握り締めた。兄と繋がった手の温もりに、いつの間にか強張っていた肩の力が氷が溶けるようにして抜ける。
 大丈夫。──鈴音は思う。
 自分には兄がいる。兄と一緒にいられる、それだけで──大丈夫。
「行きましょう、お兄ちゃん」
 花の笑顔を向けた鈴音に、龍壱はほんの僅かだけ口許を綻ばせる。
 そうして二人歩き出した足取りは、互いへの信頼に支えられた確かなものだった。



『……そう。そうでなくっちゃ』

 ふふぅ、と。
 女の頬と唇が、愉悦と酷薄の入り混じる微笑を形作った。

『────壊す甲斐、ないでしょ?』


■03

 薄明かりに照らされた白い壁はどこまでも続き、果てのわからぬ道を二人の前へと延ばして止まない。
 あれから何度も分岐路に立ち止まり、選ぶたびに何がしかの罠に遭遇した。落とし穴、押し寄せる水、迫り来る天井。どれも龍壱が率先して攻略し、鈴音を何度もコートの内側へと抱き、守った。
 ひとつひとつのトラップは、難易度としてはさほど高度なものではない。だが、数が多いので確実に体力と精神力を奪っていくのも事実。それはどちらも感じていることであり、故に鈴音は身を挺してくれる兄を。
「お兄ちゃん」
 呼ぶことで、気遣い。
 龍壱は、それに視線を向けることで、妹の気持ちに答えた。
 ────それで、十分伝わるから。

「随分、歩いたわね」
 相変わらず自分たちの足音しか聞こえない道を、勘を頼りに行き続ける。
 壁の動く音は何度か耳にしたが、どこがどう変化を遂げているのかは知ることが出来ない。動き続ける壁、形を変える迷路。中央にある部屋までは、一体あと、如何ほどの道程か────。
「鈴音」
 と。
 龍壱が不意に歩みを止める。
 そして鈴音の前にすっと腕を、進行を阻むように伸べて。
「どうかしたの?」
「……聞こえないか?」
「また、壁の音?」
 鈴音は耳を澄ます。しかし、迷宮が唸る様なあの音はどこからも響いてこない。
「……違う。かすかに……」
 かすかに?
 龍壱は目を閉じ、瞑想でもするかの表情で何かに聞き入っている。その様子にただならぬ雰囲気を察し、鈴音も心を落ち着けて──しかし速まる鼓動を感じながら瞼を下ろして、龍壱の言う“何か”を探った。
 音、音。……何の、音?
「……鈴音、覚えているか」
「何を?」
「マリカが言っていたこと」
「ええと、迷宮には……あっ」
 はっと弾かれた様に目を開く。顔を上げれば龍壱の視線とぶつかり、共通の答を得た二人は見合わせたまま頷く。
 マリカはこう言っていた。

『迷宮には、2体の“魔物”が彷徨ってる』

 耳を劈く轟音が静寂を爆発させたのはその時だった。
 二人の数メートル先、明かりが届くほど近い場所で衝撃と噴煙が上がった。咄嗟のことに鈴音は身を竦ませ、龍壱は無意識の内に妹の身体を抱き寄せていた。
 もうもうと上がる粉塵。龍壱は薄明かりの中目を凝らす。
 徐々に晴れていく煙の下に、幾つもの影──瓦礫が横たわっているのに気づくまで数秒。それが壁の残骸だと推察したのは次の瞬間。そして、煙の中に巨体と思しき影を見つけたときにはもう。
「アアアアッ!」
「きゃぁっ!」
 鈴音を抱いて後ろに跳んでいた。
 そこに、煙を突っ切って放たれた拳の一撃が打ち込まれる。大理石の床がひび割れ抉れるのを、着地した龍壱は見てとった。
 ウウウウウウ、と唸り蹲っている拳の主は、盛り上がった胸板を反らし、腰に布を巻きつけただけの原始的な姿。2メートルはあろうかという巨体と隆々たる筋肉を誇る、恐らく大男だった。恐らく、と但し書きをしたのは、それの頭部がすっぽりと麻袋の様なもので覆われていたからで、喉元には首輪、それで袋を留めているようだ。
 魔物。龍壱は反芻する。
 これが、この迷宮の、魔物?
「アアーーッ!」
 魔物は天に向かって咆哮する。そして四方八方無茶苦茶な軌道で、文字通り岩をも砕く拳を振り回し始めた。
 鈴音を庇いながらじりじり後退しつつ、龍壱は見定めようとする。魔物の暴れ方は自分たちを狙っている、というよりは、周囲をむやみやたらと破壊しているように見える。ともすると、あの覆いで視界が遮られているせいかもしれない。ではなぜ、あんな戒めを自分に……?
 魔物は壁を床を余さず破壊し、一直線にではないが徐々に龍壱と鈴音の元へと迫ってくる。退くか、と龍壱が判断したとき。

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……。

「お兄ちゃん、後ろが」
 知らせる鈴音の声が上擦る。背後から響くあの音、龍壱はすぐさま状況を悟り、鈴音を抱えて地を蹴った。
 ────が。

 ゴォォォン……。

 あと一歩及ばず、目の前で道が閉ざされる。すなわち、退路が塞がれた。
 壁と魔物に挟まれたというあからさまな状況。龍壱は奥歯をぐっと噛み締め、それから鈴音を黒いコートの背に庇うと。
「ここを動くな」
 すらり、と抜き放った剣を構え暴れ狂う魔物と対峙する。
 でたらめに放った魔物の拳が眼前の空を切り、これ以上進まれては困るとその手首に斬撃を振り下ろした。

 ガッ!

 手応えは、まるで岩の様だった。切っ先は僅か肌にめり込んだが、骨に届く前にその筋肉によって刃が止められる。堅い、思ったよりも頑丈な肉体に龍壱は顔を顰め、魔物の気がこちらへ向くよう攻撃を続けた。
 壁の手前で、鈴音は心配そうな表情で胸に手を当てている。狭い通路を龍壱はうまく立ち回り、魔物が鈴音に背を向ける格好になるよう誘導した。
 魔物は、致命傷こそ負ってはいないものの、自分が傷つけられていること、またその相手を認識しているのだろう。間合いを量り向かい合う龍壱に、魔物はウウウウと腹の底から響く唸り声を上げた。
「アアッ!」
 光源が乏しい中、龍壱は魔物の拳を寸前で避ける。そして懐に入り込み、──斬。腹から胸へと斬り上げる。しかしやはり深くまでは傷つけられない、流血は認めたがいいところ真皮までの傷。浅い。
 魔物はなおも暴れる。壁や床に穴を穿ち、崩し、その残骸で足場が不安定になっていく。
 ────……いや、これは。
 ふと龍壱は気がついた。魔物の壊した壁の向こう、よく考えればあれは新たな道が開通しているのだ。ならば鈴音を連れて避難できる。傷を負わせるのが難しい魔物を完全に斃そうとするより、逃げたほうが得策か。
 瞬時に判断を下した龍壱は、先ほどとは逆の軌道、魔物の背後に回りこみ待っていた鈴音の腕を掴む。
 驚く彼女に一言、
「行くぞ」
 彼女は何やらわかっていない様子だったが、自分が手を引くと決意に表情を引き締めてこくんと頷く。瓦礫積み重なった床を走り、魔物が壁に開けた穴を目指す。
 音か気配でそれを察したのだろう、魔物がこちらに身体を向けた。そしてまたあの拳。襲い来る一撃に龍壱は剣を振り上げる、受け止められるか弾けるか、確信の無いまま剣は魔物の拳へと────。

「アアアア…あ、あっ…!」

 ところが。
 次の瞬間、魔物は、突然動きを止めた。中空で拳が留まり、それがわなわなと小刻みに震えている。
 切っ先を叩きつけようとしていた龍壱は元より、咄嗟に瞑った目を恐る恐る開いた鈴音も、目の前に広がる光景に瞠目した。
 魔物は攻撃を止めた両手で何故か頭を抱え、うう、うう、とまるで苦しんでいる様。いや実際何かに悶えているようで、逃げるべき二人は呆気にとられ佇んでしまう。
「どうしたのかしら?」
 鈴音の問いに龍壱は答えることが出来ない。魔物はさらにもがきのたうち、そして。

『……期待外れね』

 声が、唐突に降った。


■04

 二人が駆け込もうとしていた壁の向こう側から、その人影は足音も密やかに現れた。
 ランプの光の輪の中に進み入って来たその人は、白いドレスを纏う女性──いやそう呼ぶには少し面差しが幼く、凡そ鈴音と同じ年頃かと窺われる。白は光沢から察するに絹か何か上質なもの。足元を隠すほど長いスカートを優雅に捌く淑女の足取りで、少女は魔物へと歩み寄った。
「何してるの? ダメよ、役に立たなくっちゃ」
 少女が魔物の腕に触れる。途端、魔物は首を押さえて呻きだした。ふオオふオオと吐き出す息が浅く切れ切れで、呼吸に苦しんでいるのだと嫌でもわかる。
「お兄ちゃん」
 鈴音がコートを引いて呼んだ。龍壱は突然の闖入者への警戒を怠らぬまま、彼女の声を聞く。
「魔物は2体いるって、マリカさんが言ってたわよね? ……もしかして」
 2体。まさか、あの少女が? 龍壱は眉を寄せながら柄を握り直す。
 悶え続ける魔物を見つめていた少女が、不意にこちらに振り向いた。
 ────そして、その瞬間に、消えた。
「!」
 きゃあっ、と声が上がったのは斜め後ろからだった。いつの間に移動したのか、現れたのと同じ壁の穴の前に少女が立っていた。そしてその腕の中には、自分の傍らにいるはずの鈴音の姿があった。
「鈴音っ」
「ダーメ」
 駆け出そうとした龍壱を少女は声で押し留める。
 鈴音の喉元に当てた彼女の指先がランプの光で見え、龍壱は息を呑んだ。鋭く長い5本の爪が、鈴音の白く細い首筋に凶器として押し当てられている。
「何をしに来たか知らないけれど……ふふ、貴方たちのおかげでこの迷宮も喜んでる。迷わせて、壊したいって……ね?」
「お兄ちゃ、」
 鈴音の語尾が紡がれるのを待たずして、二人の姿が掻き消える。あまりにも突然の出来事に思考がついていかず、鈴音が攫われたという事実は後から追いかけるように意識に上った。
 途端。
「グアあアああアア!」
 魔物が雄叫びを上げた。すぐさま察して龍壱は跳ぶ。
 立っていた場所が粉々に砕かれ、魔物はまた首を押さえながらもう一方の手を握り締めて床に壁にと打ち続ける。
 鈴音、鈴音。魔物の攻撃を避けながら龍壱は乱れそうな鼓動を整えようとしていた。一体鈴音は何処に連れ去られたのか、あの少女はマリカの言う魔物なのか。……鈴音、鈴音。
 せめて壁の穴へ飛び込もうと思うが、一段と激しさを増した魔物の攻勢がそれを邪魔する。逃げるべきか、ここで斃すべきか。判断を下そうとする龍壱の耳に、その時、声が聞こえた気がした。

「……ウウ、なし……いて、アア……く、れ」



 突然開けた視界に、鈴音は戸惑った。
 少女に身を拘束され、兄を呼ぼうとした瞬間にぱっと景色が変わった。
 手元のランプとは違う明るさを感じて上を仰げば、遙か高い位置にある天井に円形の穴が穿たれ、そこに嵌められた曇り硝子越しに柔らかな光が差し込んでいる。
 見回すと、そこは大きな部屋だった。部屋、というと語弊があるだろうか。全てをあの白大理石で作られた開けた空間、目の前に鈴音の腰ほどの高さの台が、その向こうに階段、上りきったところに数メートル四方の広場がある以外、何の飾りも調度もない殺風景な場所だった。
「いらっしゃい」
 声に、ビクンと身体が跳ねる。
 少女が腕を解き、その檻からまろび出るように鈴音は振り返って、自分をここへ連れて来た張本人と対峙した。少女は軽くウエーブのかかった亜麻色の髪を後ろに払い、僅かだけ唇の端を上げる嫌らしい微笑み方をする。
 目鼻立ちは、美人とは言いにくい平凡さだ。少女は心持ち顎を上げ、鈴音を見下ろす視線をわざとしたようだった。
「この迷宮に、何しに来たの?」
「…………」
「ねえ、教えてよ。お客様は、貴女たちのほうでしょ?」
 当然、逡巡。やがて少女が答を待つのを止めないことを悟り、仕方なく口を開いた。
「頼まれたの。“ラビュリントスの涙”というものを、探してくるように」
 ラュビュリントスの涙。復唱した少女が、何故か鼻で笑った。
「……そんなもの、ありっこないわよ」
 ありっこない? 奇異な物言いに耳を留めた鈴音に、しかし少女はそれ以上言葉を紡がなかった。
 代わりに、「ところで」と切り出して。
「ひとつ、選んで?」
「選ぶ?」
「ここは迷宮の中心にあるの。見てわかる通り扉のない、閉ざされた場所よ。私が連れ出さない限り貴女ここから出られない。だから選んで、ここに留まるか、迷宮の外に出るか」
 思いがけない提案に鈴音は咄嗟に答えられない。少女はそれを見越していたかのように、こう続けた。
「でもね、迷宮の外に貴女を運ぶのはちょっと疲れるの。だから条件を出すわね」
「条件……って?」
 そこで、少女は我が意を得たりとばかりに──にこり、微笑む。

「外に出すのが貴女一人であること。……つまり、一緒に来たあの人と別れられたら、外に出してあげるわよ」


 (続く)  



━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛

【mr0676 / 葉山龍壱(ハヤマリュウイチ) / 男性 / 24歳 / 幻想装具学(幻装学)】
【mr0725 / 葉山鈴音(ハヤマスズネ) / 女性 / 18歳 / 禁書実践学(禁書学)】


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛

葉山龍壱様・葉山鈴音様

初めまして、辻内弥里と申します。この度は当ノベルにご参加くださいまして誠にありがとうございます。
OPにもありました通り、こちらは前編となっております。後編は3月5日より募集を開始する予定です。引き続いてのご参加、心よりお待ち申し上げております。
なお、キャラクタ描写などで何かご指摘・ご要望ございましたら、プレイングやファンレターなどでお寄せくださいませ。
それでは今回は、ありがとうございました。少しでも楽しんでいただけましたら幸いです。


Bitter or Sweet?・恋人達の物語 -
辻内弥里 クリエイターズルームへ
学園創世記マギラギ
2008年02月25日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.