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『First Impression 』
天波・慎霰1928)&鈴城・亮吾(7266)&(登場しない)



 触らぬ神に祟りなしとは、昔の人は良くぞこんな素晴らしい言葉を残してくれた。
 もっと早く国語の時間に習ったこの言葉を思い出していれば、亮吾だってこんな悲惨な状況に陥ってはいなかっただろう。
「これでも口を割らないとは、強情だな」
 呆れたように呟かれた言葉だったが、その言葉には明らかに含み笑いが込められていた。
「それじゃぁ、俺ももっと本気で行かないとな」
 ニヤリ ――― 悪魔だってもっとマシな笑いをするだろうと思うほど、彼の笑顔は邪悪そのものだった。
 黒い瞳が輝き、少し長めの前髪が睫に引っかかって不自然に揺れる。
 黙っていれば近寄り難い雰囲気の整った顔立ちをした少年に見えないでもない目の前にいる“悪魔”は、亮吾の小さな頭をガシっと掴むと白い歯を見せて笑った。
「さぁて、どうしてやろうかな?」
「んっ‥‥‥ンんんっ、んんーーーーっ!!!!」
 悲痛な亮吾の叫びは、口元を塞ぐ天狗の面によって奪われた。



→ First impression START



 パチパチとキーボードを打つ音が無音の室内にやけに大きく響く。 この年齢の男の子にしては綺麗に整理された部屋の中、鈴城・亮吾は隣の部屋で寝ているはずの母親の事を気にしながら、画面に映し出される情報に見入っていた。
 電気の落とされた部屋は暗く、ノートパソコンの画面だけが亮吾の膝の上で目に痛いほど明るく輝いている。 お尻の下に敷かれた布団はお日様の匂いが微かにしており、天気の良い今日、母親が布団を干したのだという事が分かる。
 細かい文字を追っていた目が霞む。 亮吾は目を擦ると、胡坐を崩し、布団の上に寝転がった。枕を胸の下に入れ、パソコンを枕があった場所に置く。モゾモゾと動いて布団の中に身体を入れ、掛け布団を肩まで引き上げる。
 亮吾はかれこれもう二時間ばかり、パソコンに夢中になっていた。 14歳と言う年齢の彼は、本来ならば11時くらいには眠りにつかなければならない。パソコンの右下に表示されているデジタル時計は、すでに0時を回っていた。
 欠伸をかみ殺し、浮かんだ涙を人差し指の背で拭う。 明日も学校がある彼は、早く寝ないと朝に苦痛を強いられる事になる。朝だけの苦痛ならば良いが、授業中もおそらく睡魔がひっそりと亮吾を監視しているだろう。体育など、身体を動かす授業ならば良いが、椅子に座って教師の平坦な声を聞いているだけの授業では、眠気には勝てない。 毎度思うのだが、先生達は生徒を眠りに落としたいのだろうか?あの抑揚の少ない棒読みの声は、30分でも聞いていれば知らずのうちに眠気が襲い掛かってくる。
 そこまで分かっていて、それでも亮吾は画面に浮かんだ文字を追う事を止められないでいた。
 パソコンを始めたのは、確か学校の授業で分からない所があったからだったと思う。それはものの数分のうちに調べ終わり、まだ寝るにしては早い時間だったため、亮吾はそのままネットワーク上の情報を漁り始めた。
 誰が書いたのか分からない情報は、真偽の程が定かでないものが多いが、亮吾がいつも見るページに関して言えば、偽の情報は入っていない。 いくらありえなさそうな話であっても、嘘や創作は一切入っていない。
 このホームページは、特定の人物にしかたどり着けないようになっているらしく、右上にひっそりと出ているカウンターはいつだって少ししか回っていない。ネットワークを介して何かしらの力が篭められているのだろう。その部分から考えれば、このページを作ったのは能力者に違いない。そもそも、ここに出る情報はいつだって特殊な能力を持つ人の事ばかりだ。
 発火能力、重力操作、錬金術、この世には科学では解明できない能力が多く存在している。 幸か不幸か、そんな能力を宿してしまった人は意外と多い。亮吾だって、彼らの仲間だ。
 出ている情報を斜め読みする。自分で能力者だと理解している者もいれば、理解していない者だっている。理解していない者の多くはさして強い力を持っているわけではないが、時が経つに連れて強力なものに変わる場合もある。そうした場合、誰かが彼、または彼女に教えなくてはならない。
 数日前まで無自覚と出ていた少女が、いつの間にか自覚に変わっている。自分で気がついたのか、それとも誰かに言われたのか、亮吾には分からなかった。 彼女は先天性、生まれた時から能力を持っている人間だが、今までは能力の幅が小さいために自覚していなかったのだろう。
 ――― 突然自分の能力に目覚めるんだ。 ‥‥‥俺と変りはない、か
 後天性の能力者である亮吾は、彼女が自身の能力を知った時の戸惑いや内心の葛藤、驚きと恐れが理解できる気がした。
 ようこそ新しい世界へ
 皮肉げにそう唇を動かす。 亮吾は画面をスクロールすると、さらにその下に続いている人物を眺めて行った。
 結界師、魔術師、雪女、猫又、陰陽師、天狗 ―――――
「天狗‥‥‥?」
 慌てて口を押さえる。 さして厚くはない壁は、小さな音でも隣の部屋によく伝える。母親はまだ眠っていないだろうが、亮吾はもう眠る時間だ。こんな時間までまだ起きているのと、困ったように言う母親の顔が思い浮かび、亮吾は耳を澄ませて隣の部屋の様子を窺った。 どうやら母親は気づいていないらしい。ほっと安堵の溜息をつき、天狗と書かれた少年のデータを見る。
 名前は天波・慎霰。パッと見では読み方は分からないが、漢字の隣にローマ字で小さく読みが書かれている。 隠し撮りらしい写真は遠くから撮ったのか画像が荒いが、彼が黒い髪と黒い瞳をした少年であると言う事は分かった。 歳は亮吾と同じくらいだろうか?年齢のところを見れば、15歳、高校生だと出ている。どうやら一つ年上らしい。
 下校中に撮られたものだろう、着ているのは制服だった。 誰かに呼ばれて振り返る前のように、キョトンとした顔はまだあどけなさを残している。 比較する物が写っていない為、彼の身長がどのくらいなのかは分からないが、さして高くはないだろうと思う。体型は中肉中背よりもやや細身な印象を受ける。
 画面を更に下にスクロールさせる。家族構成は不明、幼少時天狗に攫われた? 普段は普通の人と同様学校に通っている。 所々クエスチョンマークが入っているが、彼の大体の事は分かってきた。
 天狗と言う彼の存在も面白いが、何よりも彼がこれまでに手がけてきた事件 ――― 事件と言っても良いものなのかは不明だが ――― には心動かされるものがあった。
 天狗の妖具を取り戻すためにとある大邸宅に潜入、まんまと相手を出し抜いて目当ての物を持ち帰ったり、妖具に目が眩んだ人間との戦い、妖具を持ち続けたが為に身体を乗っ取られた人間との一進一退の攻防。 小説で読むよりもはるかにリアルで面白い現実がそこにはあった。
 亮吾はたちまち慎霰に興味を抱いた。 彼のような大冒険をしたいとは思わないが、それを安全な位置で見ている分にはとても面白そうだった。
 ――― 明日にでもグレムリンネットワークを通して調べてみるか ‥‥‥
 パソコンを閉じ、枕を頭の位置に戻す。 長時間パソコンの画面を見ていたため目に光りが焼きついており、闇がボンヤリと白んでいる。 亮吾は白濁した闇を見つめながら、退屈な日々を変えてくれそうな人物、天波・慎霰の事について考えた。



 猫の爪のような三日月と、都会の光りの中にいると気づかない無数の星と、強い北風の中、慎霰は小さく息を吐くと足元に転がった人物の首筋に手を当てた。指先を微かに震わせる鼓動、生暖かい体温。 慎霰はほっと安堵の溜息をつくと、強い風に肩を縮めた。
 ――― 派手にやり合ったから少し不安だったけど、生きてたか ‥‥‥
 足元に転がっていた小判を拾い上げる。少し汚れてはいるが、服の裾で拭えば落ちる程度だ。
「こんなの、お前が持ってたって仕方のないものだろ」
 そう声をかけるが、相手に言葉が届いたとは思えない。 小判を仕舞い、この状況をどうしたら良いのか考える。
 青年をこのままここに転がしておいたら、凍死する危険がある。さらには、先ほどの戦闘で怪我を負っているだろう。わき腹から出血していると言うことを慎霰は知っていた。
 まさか普通に119番に通報できるはずもなく ――― 明らかな傷害事件だ ――― かと言って、彼を自宅まで運んで治療する事も出来ない。 こう言う事を頼める人物がいないわけではないのだが、ギブ&テイク、相手から何を要求されるか分かったものではない。こう言った事を引き受けている人物は大抵強かで、意地が悪い。
 慎霰は暫し悩んだ後で、諦めの溜息をついた。 何を要求されるかは分からないが、呑むしかないだろう。
「ったく‥‥‥」
 苦虫を噛み潰したような表情で携帯を引っ張り出し、アドレスを引き出す。往生際悪く尚も数秒躊躇った後に、通話ボタンを押す。
「あぁ、俺だけど‥‥‥ちょっと頼みたい事があるんだ‥‥‥」


* * *


 ネット上にあった画像は鮮度が悪く、黒っぽい制服を着ているとしか分からなかった。 制服から学校を割り出すことは出来ないと感じた亮吾は、自身の能力の一つを使って彼に少しでも近付こうと考えた。
 オレンジ色に染まる空を見上げながら、鞄にこっそり入れておいた携帯を取り出す。 鈴城、またな! 明るい声に一瞬肩をビクリと上下させるが、すぐに笑顔を浮かべると帰路を急ぐ友人の背中に声をかける。
 グレムリンとの半人半精霊である亮吾は、グレムリンネットワークを通して様々な場面を見る事が出来る。 グレムリンネットワークと言われてもいまいちピンと来ないかもしれないが、千里眼と言われれば何となく雰囲気がつかめるかも知れない。
 携帯電話を弄りながら、自身の甘い物好きもグレムリンのせいではないかと考えるが、それは責任転嫁だった。
 低身長で甘いもの好きと来れば可愛がられないはずもなく、マスコット的な弄られ方に不満を持っている亮吾ではあったが、可愛がられないよりはマシではないかと言う大人な考えはまだ出来ない。
 ネットワークを通じて慎霰の現在の様子が伝わって来る。 何処のコンビにかは分からないが、楽しそうに友人と雑誌を立ち読みしている場面が映し出される。監視カメラの記録として残る映像は白黒だが、亮吾の見る映像はカラーだった。
 監視カメラのレンズを通してみる世界は、さして自分のいる所から遠くない場所のようにも思えた。



「いや、だからー! 違うんだって!アレは不可抗力だっつの!」
 必死に訴えるが、友人達は苦笑・爆笑・呆れ、そんな三者三様の表情を浮かべ、同時に首を振った。
「普通、教師に五月蝿いって言うか?」
「慎霰の寝言のがよっぽど五月蝿い」
 溜息混じりに囁かれた言葉に、だーかーらー!と声を荒げる。
 あの“事故”は、五時間目の授業中に起こった。 ただでさえも昨晩は妖具を取り返すために格闘し、さらには処理を頼んだ相手に夜遅くまで延々小言を言われ続けた慎霰は、寝不足な上にクタクタだった。 一時間目の科学と二時間目体育はなんとか頑張れたのだが、三時間目の英語から睡魔が襲いかかってきた。意識朦朧状態でなんとか昼食にこぎつけ、菓子パンを食べて栄養補給をしたのだが、五時間目に来て爆睡してしまった。食後は眠い挙句、教科書と睨めっこをしていなくては何を言われているのか分からない日本史の授業だ。日本史の先生はお経のような抑揚のない発声で何百何年、誰々が何々をしたと、延々繰り返していた。 慎霰でなくとも、誰でも眠くなったはずだが、睡眠不足の彼は特に睡魔の甘い囁きに抵抗が出来なかった。 数秒の格闘の後あっさりKO負けした慎霰は、グーグーいびきをかくだけでは飽き足らず、寝言まで発していたそうだ。
「その、んぐ‥‥‥の、よーぐ、かえせ‥‥‥ってんだ、よー!」
 “んぐのよーぐ”とは一体なんなのか、生徒達の意識が授業から離れていくのを敏感に感じ取った教師が慎霰の机の横に立ち、トントンと肩を叩いた。 普通ならばそこで飛び起きるだろうが、なにしろ慎霰は夢の中で天狗の妖具を奪った人間と格闘している最中だった。右からのパンチを避け、左からの蹴りをかわし‥‥‥トントンと肩を叩かれ振り返る。眼鏡をかけ、髪を七三にキッチリ分けた、日本史の先生に似た男性が顰め面で暴力反対を訴えている。 今はそれどころではないのだと押し返しても、トントンと肩を叩き、同じ説教を繰り返す。危ないからあっちに行っていろと言っても一向に動く様子のない彼に、慎霰はとうとうブチ切れた。
「うるせーーーっ!!!」
 立ち上がり、机がグラリと揺れる。前の席に座っていた生徒が突然の背後からの攻撃に目を見開き、教師が慎霰のヘロヘロのパンチを寸でのところで避けると体勢を崩し、床に尻餅をつく。
 シーンと静まり返った教室内で、自分の声に目を覚ました慎霰は右手を高く突き上げた格好でボンヤリと周囲を見渡した。
「あ‥‥‥あれ?」
 その時の光景を思い出したのか、友人達がゲラゲラと笑い出す。人生で三つの指に入るほど傑作だったと言う彼らにムスっとした顔を向け、口をへの字に歪める。 あの後、実の教え子からのヘロヘロパンチを危うくくらいそうになった教師は数秒のフリーズの後に意識を取り戻し、顔を真っ赤にすると後で職員室に来るようにと告げた。 職員室ではお小言を聞かされ、反省文を書かされ、散々な目に遭った。
 ――― ったく、笑い話になんかしやがって。こっちは笑えないっつー ‥‥‥
 ふと、背後に視線を感じた気がして顔を上げる。 無表情な監視カメラのレンズと目が合い、咄嗟に視線を逸らす。何もやましい事がなくとも、監視カメラと長時間見詰め合っていたいとは思えない。
 慎霰は未だに笑い転げている友人達の声を遠くに聞きながら、何者かの視線を感じていた ―――――



 数日の観察の後、慎霰が通っている学校が掴めた。鏡やガラスに映った慎霰はいつも何かに警戒しているように気を張り巡らせている。 もしかして、観察しているのがバレたのか? 一瞬背中にヒヤリとしたものが流れるが、まさかそんなはずはないと思い直す。
 いくら天狗と言えど、グレムリンネットワークを通じての観察に気づくはずがない。 自分でも、一応“悪い事をしている”と分かっているからそう言う風に思うだけなのだと言い聞かせる。
 ショーウインドウを覗き込む慎霰と目が合う。 深い闇色の瞳は全てを見透かしているかのようで、思わず視線を逸らせる。
 同じ年頃の少年よりやや背の低い慎霰は、遠くから見れば可愛らしい少年に見えるだろう。 けれど近付けば、彼の強い瞳の色に当惑する。身長の低さを補うかのように、意志の強さを滲ませる黒の瞳は真っ直ぐに見つめられれば誰だって目を逸らしたくなるだろう。
 ――― あのくらい眼力があればな
 亮吾はそんな事を思いながら、携帯をバッグに仕舞った。



 ショーウインドウから目を逸らし、慎霰は口元に微かな笑みを浮かべた。
 ――― そろそろ動き出しても構わないかな ‥‥‥
 ヘタなストーカーごっこも終わりにして欲しい。 心の中でそう呟き、前髪を掻きあげると溜息をつく。
 相手は遠くから見つめているだけしか出来ないシャイなヤツらしいから、捕まえるのは容易ではないだろうけれど、きっとまだ自分の存在に気づかれていないだろうと思い込み、油断している。
 相手の能力がどれほどなのか分からない今、下手に動くことが危険なのは十分承知だが、相手に警戒を抱かれていないうちに動いた方が有利だ。
 さあて、どうするかな
 ニヤリと笑いながら、唇だけで言葉を紡ぐ。 ショーウインドウに映った自分の意地の悪い顔と目が合い、慎霰は思わず苦笑した。


* * *


 肩にかけた鞄がズシリと亮吾の身体に負担をかける。 住宅地に囲まれた中にひっそりと口を開けた朱の鳥居を見上げながら、ゴクリと喉を鳴らす。早鐘になった鼓動を押さえるかのように、左胸に手を当てる。
 今日も無事に学校が終わり、日課になっている慎霰の観察をしようと携帯を開いた。 普段ならば友人に囲まれながらコンビニで立ち読みをしたり、お菓子をつついたりしている彼だったが、今日はどこか様子がおかしかった。
 キリリと表情を引き締め、口を真一文字に結んだ慎霰は、周囲を警戒するように視線を素早く左右に振りながら、足早に住宅地に入って行った。 家々の窓ガラスを通して見る彼の表情はいたって真剣で、随分大人びて見えた。
 ――― どうしたんだ?
 あまりに鬼気迫る雰囲気に首を傾げる。 慎霰は信号すらも無視して住宅地の真ん中、古い神社の中へと消えて行った。
 亮吾の頭の中に、見知った神社が浮かび上がる。 周囲の様子からして、きっとあの神社に違いないだろう。
 ――― あそこに何かあるのか?
 きっとある。 慎霰の表情からそう確信する。
 ――― もしかして、また天狗の妖具を取り返そうとして ‥‥‥?
 もしかしたらそうかも知れない。
 ――― どうしよう ‥‥‥
 どんな戦いをしているのか、実際にこの目で見てみたい。 グレムリンネットワークを通じての映像だけでは物足りない。その場にいるからこそ分かる興奮を味わいたい。
 きっとまだ、彼は亮吾がここ数日監視している事を知らない。だから万が一出くわしたとしても、問題はないだろう。
 危険ではないのかと、心の奥底で小さな声が聞こえたが、亮吾は好奇心からそれを押し殺すと慎霰の後を追って朱色の鳥居の前に立った。
 何処にでもある普通の古びた鳥居は、新築の家々の間で窮屈そうに身を縮めている。 信仰する者がいなくなり、神すらも科学の力の前に屈した場合、人々はこの神社をどうするのだろうか? ふとそんな疑問が浮かぶ。 科学に背を向けるような能力がある亮吾から見れば、神も霊も妖怪も世の中にいる事を知っている。けれど、科学によって洗脳された人々には神社はどのように映っているのだろうか?
 首を振って考えを中断させると、亮吾は恐る恐る鳥居をくぐった。 確か、神社の鳥居をくぐる時はお辞儀をしなくてはならないんだっけ。 ふとそんな事を思い出した次の瞬間、グニャリと視界が歪んだ。
 目の前に見えていた景色が変わって行き、軽い浮遊感に膝をつく。 このまま流されたら何処に連れて行かれるか分からない、そう感じた亮吾は携帯を握り締めると電波を介して自身を転送させようとした。
 しかし世界はすでに違う場所へ動いているらしく、電波状況が良くない。 そうこうしているうちに周囲の風景が形を取り戻し、田舎の田園風景が広がっていく。無骨なマンションは高い杉の木に変わり、家々は畑に取って代わる。 霞がかったような都会の空気は浄化され、思い切り肺に吸い込みたくなるような綺麗な空気で満たされている。
「ここは‥‥‥?」
「人が住む代わりに妖怪が住んでる、並行世界ってとこかな?」
 背後から声がし、亮吾はビクリと肩を上下させた。 恐る恐る振り返ってみれば、ここ数日亮吾が必死になって観察していた少年 ――― 天波・慎霰 ――― が立っていた。 品定めするかのように、慎霰の視線が亮吾の頭の先から爪先までを舐めるように滑って行く。
「ようこそ」
 にっこりと友好的な微笑を浮かべる慎霰に、ほっと胸を撫で下ろす。 名前は?ときかれ、素直に鈴城・亮吾と名乗った次の瞬間、亮吾の体が動かなくなった。目だけは左右に動かせるのだが、そのほかの部分は全く動かせない。
「ここ数日、変な気配がしてたんだ。四六時中誰かに見られてるみたいでさ、ストーカーってやつだな、ありゃ」
 ギクリ。 背筋に冷たいものが流れる。
「‥‥‥お前、俺のファンかよ?」
 先ほどの優しい笑顔は何処へやら、目の前にいる少年は残酷な微笑を浮かべ、亮吾ををどう調理してやろうかと考え込むかのように、視線はどこか遠くの宙をフラフラと彷徨っている。
「いやー、まさか男に好かれるとはな。 しっかしお前、背低いな」
 自分だって低いくせに大きなお世話だ! そう言いたかったのだが、口は動かない。代わりに思い切り睨みつけてやるが、眼力で勝負した場合、勝敗は分かりきっている。
「おいおい、それが好きなやつに向ける視線か〜? 見つめてるだけで言葉が通じるなんて、乙女な考えでも持ってるわけ?」
 罵詈雑言が喉までせりあがってくるが、そこから先に出すことは出来ない。
「まぁ、物陰から見るだけしか出来なかった乙女が、アコガレの人の前に出てあがるのは分かるけどさー」
 パチンと言う乾いた指の音に、亮吾の身体を縛り付けていた力がなくなる。ガクンとその場に膝を着いた亮吾は、キッと慎霰を見上げると口を開いた。そこから今にもあふれ出しそうになっていた言葉が、顔にへばりついた何かによって遮られる。
「どうして俺のこと見てたわけ?」
 天狗の面で口を塞がれた亮吾に顔を近づける。何とか面を剥がそうと苦戦していた亮吾が、すぐ近くに迫った敵に手を振り上げるが、その手は途中でピキリと止まると阿波踊りを踊りだした。
「俺もさ、気が長い方じゃないから、そうやってダンマリしてると、何すっか分かんないよー?」
 ニヤニヤ笑いながら、慎霰の手が亮吾のわき腹をなぞる。 ゾワリと背中に走った不快感に、亮吾が呻き声を上げる。
 彼のそんな態度を見てくすぐりが有効だと言うことに気づいた慎霰は、目を細めると首筋や脇をくすぐりだした。
 逃げようとすればするほど、体がこんがらがる様な錯覚を受ける。手は相変わらず阿波踊りを踊っており、足は中途半端に曲げられたまま固まっている。魔の手から逃れようと体を捻っても、直ぐにもとの場所に戻ってしまう。
「ん〜、んんーっ!!!」
 笑っているはずなのに、声はこんがらがってしまっている。息が詰まり、目に涙が浮かんでくる。 国語の時間に習った有り難い先人からの言葉を胸に、亮吾は酸欠でボンヤリしてくる意識を何とか繋ぎとめていた。
「これでも口を割らないとは、強情だな」
 呆れたように呟かれた言葉には、含み笑いが込められている。
「それじゃぁ、俺ももっと本気で行かないとな」
 ニヤリ ――― 悪魔だってもっとマシな笑いをするだろうと思うほど、慎霰の笑顔は邪悪そのものだった。 黒い瞳が輝き、少し長めの前髪が睫に引っかかって不自然に揺れる。
 何でこんなヤツに関わろうなんて思ったんだろう。 今更ながらの後悔を胸に、亮吾の頭をガシリと掴んで白い歯を見せて笑っている“悪魔”を真正面から見つめる。睨むだけの気力はもうなかった。
「さぁて、どうしてやろうかな?」
「んっ‥‥‥ンんんっ、んんーーーーっ!!!!」
 幾ら声を上げようとも、言葉は全て天狗の面が吸い取ってしまっている。 逃げ出そうにも体の自由は奪われているし、抗議の声は届かない。亮吾は絶体絶命の大ピンチだった。
「そう言えばお前、危険な物持ってないだろうな? ナイフとか銃とか、持ってたら‥‥どうなるか分かってるだろうな?」
 持ってるわけない。俺はお前に危害を与えようとしていたわけじゃないんだから!
 慎霰が手早く亮吾のシャツのボタンを外す。 野郎に服を脱がされるなんて嫌な経験だと、遠くで思う。一層強く身動ぎするが、慎霰は無視しているし、体は亮吾の言う事を聞いてくれない。
 知らない人が見たならば絶対に警察に連れて行かれるであろう光景だったが、残念ながら今現在この場には慎霰と亮吾しかいない。もしかしたら妖怪が遠くからこの光景を見ているかも知れないが、彼らが警察に連絡をしてくれるとは思えない。
「危険物は持ってないようだな。 ならお前、何のために俺のことつけてたんだ?やっぱ、一目惚れとか?」
 んなわけあるか!
「‥‥はぁー、あのさぁ、さっきから黙り込んでるけど‥‥いい加減喋れよ」
 ならこの面を取れよ!
「早く喋らないと、またさっきのやるぞ?」
 再びくすぐられれば、確実に意識が飛びそうだ。 激しく頭を振る亮吾を、慎霰が意地悪な笑顔で見下ろす。
「なら、早く言えよ」
 だから、言えないんじゃないか‥‥‥!
「ほらほら、さっさと言わないと、こうだぜ?」
 わき腹をくすぐられ、止まっていた涙が溢れ出す。息が苦しくなり、白んでくる意識の中、慎霰が「そろそろ良いかな」と呟く声が聞こえてきた。 天狗の面が外れ、喘ぐように空気を吸い込み、吐き出す。激しくむせる亮吾を足元に、慎霰がグイと髪の毛を掴んだ。
「で? おまえ、なんなわけ?」
「わ‥‥‥悪気は、なか‥‥‥ったん、だ‥‥‥」
 未だに整わない呼吸の中、亮吾は必死に今までの事を説明した。 ネットから慎霰の情報を見つけたこと、天狗の妖具を取り返したり、人間と戦ったりした記録を見ているうちに興味を抱いたこと、包み隠さず全てを語った。
「‥‥‥つまり、俺のファンってことだな?」
「なんでそうなるんだよ!」
「ストーカーより、ファンのが良いだろ?」
 ぐっと言葉を飲み込む。 確かに、ストーカーと言われても仕方のないような事をしてきたとは思う。でも、何でよりにもよってこんな性格の悪いやつのファンになんてなんなきゃいけないんだ?
「まぁ、そんなに俺のこと尊敬してるなら、舎弟にしてやろう」
「尊敬なんてして‥‥‥」
 もがっと、再び天狗の面がつけられる。
「尊敬してるんだろ?」
 わき腹をコショコショとくすぐられ、亮吾が身を捩る。 悪魔の指先から逃れるために大きく首を縦に動かし、尊敬しているのだと言うことを必死になって訴える。
「よーし、ならお前は今日から俺の舎弟第一号だ!」


* * *


 舎弟とはすなわち、弟分と言うことであって、可愛がられる存在のはずだ。 それなのに今、亮吾は舎兄の鞄を持ち、トボトボと夕暮れの街を彼の後に続いて歩いている。
 ――― 舎弟とパシリを勘違いしてないか ‥‥‥?
 そうは思うものの、先日のくすぐり刑を思い出しては寸でのところで言葉を飲み込む。再びあの地獄に落とされるのは嫌だ。
「あー、なんか喉渇いたな。亮吾、何か買って来いよ」
「買って来いって言ったって、俺金持ってないし」
 中学生は財布は持たない。 何故なら、持つ必要がないからに他ならない。お昼になれば自動的に給食が盛られ、目の前に出されるのだから。
「はぁ、役にたたねぇなぁ。なんのための舎弟だよ」
 ――― だから、舎弟とパシリは別物だっつの ‥‥‥
 ズシリと重い鞄を手に、亮吾の中に微かな殺意が湧き上がる。 そんな亮吾の些細な気持ちなど知る由もなく、のんびりと無邪気に前を歩く慎霰。 腹減ったなぁ、などと呑気に呟いているところがまた腹が立つ。
 ――― いつか絶対、ぎゃふんと言わせてやる
 下克上の日を夢に見つつ、亮吾は今日も舎兄と言う名の暴君の指示に素直に従うのだった ‥‥‥。



END
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
雨音響希 クリエイターズルームへ
東京怪談
2008年02月25日

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