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『Crime 』
黒曜・ブラッグァルド5635)&ブラッディ・ドッグ(6127)&(登場しない)


 光の落ちた部屋の中、唯一サングラスを外すことが出来るその場所は、彼女にとっては心底安心できる唯一の場所かもしれない。
 それでも今日の彼女には苦悩が耐えなかった。面倒くさそうに頭をかきながら何かの書類をテーブルに放る。
 そこに書かれていたのは、自らが仕事を斡旋した者に対する報告書。それを見るたびに、彼女はただ顔を顰めることしか出来ない。
 それもしょうがないことだろう。何時も目を通せば同じような言葉だけが並ぶのだから。
 常識の範囲内であるならば問題はない。しかし、自分たちの仕事上それだけはありえない。その中でもその女のやることは飛びぬけている。
「……」
 何も言わずグラスへとブランデーを注ぎ、再び書に目を通す。やはり書かれていることは何も変わらない。
 上等な酒の甘みも、頭を焼いてくれるはずの高いアルコールもその前では何の役にも立ってはくれない。
「…15年か、もう」
 呟いた声に、答える者はいない。





○ago



 生きて時代を重ねてきている以上、誰にでも子供の時代はあるものだ。
 どんな世界でそれは生きていても変わらない。ないとしたら、極一部の例外だけだろう。
 それは、遠い未来に部屋でブランデーを喉に流す女――黒曜・ブラッグァルドとて変わらない。
 例えば彼女が言葉に出した15年前であれば、彼女も大抵のものを見下ろせるそれとは全然違う、小さくて普通の女の子であったりする。
 きっとそれは誰でも変わらない。

 彼女の生まれた家は、裏でそれなりに名の通った家系である。勿論それに伴う弊害は彼女にも例外なく付き纏う。
 簡単に言えば、そういう家であるが故の稽古事であるとか付き合いであるとか訓練であるとか。
 金持ちは皆仲良く、というわけでもないのだろうが、そういうところは表の世界でも裏の世界でもあまり変わらない。
 そしてそれは、得てして子供心に邪魔なものであることも変わらない。

 まだ10歳。やんちゃ盛りの少女である。そんな彼女がただのうのうと親の言うことを聞くはずもない。
 気付けば少女は姿を消し、裏で大騒ぎになった頃には遊ぶためにその足を速めていた。
 少女が自由になれる時間は、子供であろうと短い。そんな彼女が出歩くのだ、何かしら起こらないはずがない。



「〜♪」
 久方ぶりの自由に、自然と鼻歌が漏れる。
 今ブラッグァルドが歩くのは、春の訪れに喜び沸く公園の中。色取り取りの植物たちが少女を迎え入れた。
 普段は煩わしいと感じることもある虫たちも、今日ばかりはそうではなく。自然が見せる表情一つ一つに、少女の心は満たされていた。
 そしてそれは、ブラッグァルドだけではなかったのか。もう一人の訪問客がそこにいた。
「……」
「……」
 自然と目があい、少女たちは自分たちの姿を見詰め合っていた。
 ブラッグァルドの目前には、随分と髪が長い少女。どうやら公園の中で遊んでいたらしい。年のころは自分と同じくらいだろうか。
 少女の脇には一匹の黒い犬。かなり大きく犬種は分からない。あまり見たことのないタイプなので雑種なのかもしれない。
「えと…」
 先に口を開いたのはその少女。少し首を傾げながら、ブラッグァルドの目を見つめる。
「この辺に住んでる人?」
「ぁ、あぁ…そうだけど」
 少女同士だからだろうか。言葉を交わすことに何の抵抗もない。少女はこの辺に住んでいるのか、それとも何処からかやってきたのか。
 そんなことを少し考えるブラッグァルドを見ながら、少女は小さく笑ってまた言葉を続けた。
「そうなんだ。一人?」
「見ての通り。そっちも?」
「うん、一人…って、この子も一緒だけど」
 少女が下を見れば、黒犬が小さく吠えた。特に警戒する様子もなく、安心しきった感じの軽い鳴き声。
 丁度一人と一人、そして一匹。何をしようかと考えていたブラッグァルドは一つの考えに行き着く。
「じゃあ一緒に遊ぶ? どうしようかと考えてたところだし」
 すると、そんな一言が嬉しかったのか。少女は周りの花にも負けない笑顔を満面に咲かせる。
「うん」
 その笑顔が眩しくて、ブラッグァルドは少し頬をかいた。
「んじゃ遊ぼう…と、俺はブラッグァルド…ブラッグァって呼んで」
「私はね――」



 その日はブラッグァルドにとって実に楽しい一日となった。
 そしてそれは、あの少女にとってもきっとそうだっただろう。
 満足気な笑顔を湛えて、少女は厳しい我が家への帰路に着く。またあの少女と会えるだろうか、そんなことを考えながら。





◇ ◆ ◇ ◆ ◇



「……ぁ…」
 再会の日は、意外にもすぐにやってきた。

「嘘、だろ…」
 ガラス越しに見たその姿が、どうしても信じられなくて。ブラッグァルドは絞るようにしか唸れない。
「やめろよ、こんなことやめてくれよ!」
 悲痛な叫びは、しかし周りにいた誰にも届きはしない。
「なぁ、やめてよ、やめてよ!!」
 そんな少女を、ここへ連れてきた両親は一切無視して周囲の研究員へと指示を飛ばす。
 まるで見せ付けるように。自分たちのしていることを教え込むように。

 ブラッグァルドの家系が裏で動いている以上、それ相応の『何か』を持っている。
 例えばそれは、ここにあるような研究所で。当の昔に人道などというものを忘れた彼らは、そこで色々なものを研究していた。
 非人道的、などという言葉は彼らにはない。だから、人体実験程度ならまだマシな方だったのかもしれない。

「ぁ…っ…」
 ブラッグァルドにはただ涙を流しながらそれを見ることしか出来なかった。
 あの日、楽しい一日をくれたはずの少女がそこにいたから。
 長く綺麗だった髪は無残に切り裂かれ、少女らしく何の傷もなかった華奢な体からは血が溢れている。まるで何かの事故にでもあったかのような有様は、少女には似合いもしない。
 その傷の所々からは何か金属的な部品が顔を出し、まるで機械が少女を侵食し自らの一部に為そうとしている、というイメージを与える。
 苦しげに顔を歪め、光のない瞳がただただ中空を彷徨っていた。

 別に、自分の親が何をしていたか知らなかったわけではない。
 ただ、それが自分の範囲に及ぶとなれば話は別である。

「ッ!!」
 一瞬、少女とブラッグァルドの視線が交差したような錯覚に襲われる。ミラーガラスであるためそれは真実ありえないはずだが、それでもブラッグァルドは確かに感じたのだ。
 そして、その瞳は確かに自分に呟きかける。
「……無理、だよ…!」
 搾り出すようにそれだけ言い残し、ブラッグァルドは走り出した。



 走っても走っても、どんなに体力が尽きて思考が尽きても消えてくれることはなかった。
 少女の助けてというその言葉が。まるで脳髄に焼き付いたかのように。





◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 少女との次なる再会は、また程なくして訪れた。
 どうやらただの実験道具では終わらせるつもりもないらしく、少女にはある一つのことが延々と教え込まれていた。
 裏の世界であれば、やることは大体が知れている。
 死の商人であったり、暗殺であったり。要は命のやり取り。
 その中でも、少女には特に殺すということだけが教え込まれていく。

 果てのない苦痛の中で、最早その気はどうかしてしまったのか。少女はただ従順に教えられることを吸収し、それを反復していく。
 そしてそれを、ブラッグァルドは何もできずに見つめていた。

 ブラッグァルドは少しずつ不安定になり、引き篭りがちになっていた。
 少女と度々目が合う度、ブラッグァルドはただ自分の瞳を逸らすことしか出来なかった。
 少女の瞳は、ブラッグァルドを見つける度にその昏さを増していく。
 まるで深い闇の中に囚われたそれから、ブラッグァルドは何度逃げ出したいと思っただろうか。。
 あんなにも輝いていたのに。今は光すらない。
 自分の親がそうしてしまったのだ。まだ小さな少女には、それを認めることが出来ない。
 自分の胸を締め付ける痛み。しかし、そんなものはきっとあの少女に比べれば何でもない。そう思うことでしか、ブラッグァルドは自分を保てなくなっていた。

「ブラッディ。ブラッディ・ドッグ」
 何時の間にか、機械仕掛けとなった少女はそう呼ばれるようになっていた。
 もう、少女の本当の名前も思い出せない。

 犬と名づけられた少女は、名前の通りただただ従順に。しかし、己が内の牙を確かに磨いていた。
 何か言われる度に、言われるがままに動き。その度に少し笑っていたことを、ブラッグァルドは知っている。
 あの笑いの意味は、何だったのだろうか。





 そうして数ヶ月。新しい空気を求め、偶々部屋を出ていたブラッグァルドの耳に何かが聞こえてきた。
 騒ぎ声ではない。ただ、小さく何かを連絡しあっている。
 何か嫌なものを感じた少女は、そっと耳を立てる。そして、
「犬が逃げ出したそうだ」
 そんな言葉がはっきりと聞こえた。

 今、ここで犬といえばあの少女のことしかない。普段からそう呼ばれているのだから間違えようがない。
 それは駄目だ、絶対に駄目だ。あの子が勝手なことをすれば、きっと躊躇なく消されてしまうから。
 せめて、せめて彼女を生かすことだけが自分の罪滅ぼしだと。ブラッグァルドは勝手にそう決めて走り出した。

 しかし、闇雲に探したところで少女が見つかるわけもなく。ただ疲労に身を任せ、ブラッグァルドは座り込んでいた。
 何処を探しても見つからない。一体何処へ?
 そんな時、あの少女の昏い笑みが脳裏を過る。あの笑みの意味は?

 考えた瞬間、彼女の足はある方向へと向いていた。
 あの少女は憎んでいる、あんな境遇にあわせた者達を。それは当然といえる思考の帰結だ。
 そんな人間が、ただ従順に言うことを聞くはずがない。聞くとしたらそれは何故?

 簡単なことだった。力がないのなら、力を手に入れればいい。
 それはもっとも単純で、もっとも簡単で、もっとも確実な方法。
 そう、それだけの話だ。ならばあの少女が行く先など、すぐに知れるというもの。
「ハッハッハッハッ――」
 息が弾む。肺と心臓が新しい酸素を求めて、急速に動き始める。
 苦しい、しかし今そんなことに構っている暇はない。
 ふと、ブラッグァルドは今の自分がまるで犬のようだと思った。そうして、すぐにあの少女を思い出す。

 それは、それだけは――!!



 不気味なほどに静まり返った屋敷。その中、奥底から確かに何かが聞こえてくる。
 まるで笑っているような。いや、啼いている様な。
 酸欠寸前の体に鞭を打ち、ブラッグァルドは声に導かれるまま奥を目指す。そして、程なくして一つの扉が彼女の前に立った。
 何時もは通ることのない扉。通ってはいけないと言われていた扉。
 躊躇することなくその扉を開ける。同時に溢れ出す、咽びそうなほどに濃厚な何かの匂い。

 息を呑んだ。その空気にではなく、その中に広がっていた光景に。
 出来の悪いB級映画のように、部屋中には真っ赤な何かがぶちまけられている。
 薄暗いのは、ライトがその何かで汚れて光が遮られているからだろう。その中にあって、足元に幾つか転がっているのがはっきりと分かる。
 何かが焦げるような匂い。そう、丁度生肉を焼いたときのようなすえた匂いが漂い、そちらを見れば、何かから煙が上がっている。
 ブラッグァルドには、それらが何であるか不思議とよく分かった。いや、分かってしまった。
 多分、転がっている部品たちは彼女の父親で。焦げた生肉は母親なのだろう。

 しかし、そんな凄惨な光景であっても、ブラッグァルドの意識は両親ではなくその中心にいるものに向けられていた。
「ギャハッ、ギャハハハハハハハハッッ!!」
 ずっと止まらない笑い声。そこには、自らの体も赤く染めた少女。

 何がそんなにおかしいのか。
 何でそんなに啼きたいのか。
 分からない。分からないが、それはきっとブラッグァルドの責任だ。
 たとえ直接手を下したのは彼女の両親であってもそれは変わらない。

 笑い声は止まらない。ただただ吠えるように少女は笑い続けた。
 血に濡れたその体を、ふっと何かが包み込む。ブラッグァルドの腕が少女の体を包み込む。
 笑い声は止まらない。それでもなお、ただ強く抱きしめる。

 情けなかった。それを止められない自分が。
 恨めしかった。少女をそうしてしまった自分が。
 守りたかった。きっとこの少女は脆いから。
 だから誓った。この少女を守ると。もう二度と、誰にも手を出させないと。



 血の海の中、少女は少女を抱きながら誓う。自らの罪を背負うと。
 それは、少女が少女であることに決別した瞬間だった。





○later



 珍しく酔いが回ったのだろうか。随分と昔のことを思い出して、ブラッグァルドは小さく顔を顰めた。
 兎にも角にも、報告書のことには手を回しておかなければならないだろう。そうしなければ後々厄介なことになるのは目に見えている。
 小さく溜息をついて、またブランデーをグラスに注ぐ。

 既にあれから15年。ブラッディは数え切れないほど殺しを求め、そしてそれを実行していた。
 そしてブラッグァルドは、あの日からずっとその少女に仕事を斡旋し続けた。
 あの性格、あの凶行…利用し続けることだけが、ブラッディを生かすことに繋がっていた。
 仕事がなくなってしまえば、ブラッディはただ人を殺すだけの狂人という扱いになる。そうなれば、彼女がどうなるかなど自明の理である。
 それだけは絶対に駄目だ。それはあの日の誓いに反することだから。

 分かっている。そのたびにまた誰かの命が失われていくことも。
 それでも彼女はそれを続ける。誰かを生かすために、誰かの命をなくしても。
「…所詮俺もこの家の人間、か」
 自重交じりの言葉に、グラスだけが答えてくれた。

 今日は不思議とアルコールが体中に回る。とめどない想いだけが、アルコールと一緒に体の中を駆け巡っていくようだった。
 こんな夜は祈らずにいられない。あの日のように、ただ切々と。
 狂犬となってしまった少女が何時かまた人間に戻れるように。
 狂犬となってしまった少女にまた幸福が訪れるように。

 祈る。酔いに任せて祈り続ける。
 気付けば溢れ出したものをそのままに。





 あの日出会った少女と少女に幸福が訪れますように。神などいないと分かっていながら、それでも祈り続ける今年か出来なかった。
 少女たちの心は、きっとあの日のまま縛られ続けているから。
 深い深い眠りに落ちるそのときまで、祈らずにはいられなかった――。





<END>
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2008年02月22日

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