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『Two Deltas Night 』
和田・京太郎1837)&天波・慎霰(1928)&鈴城・亮吾(7266)&(登場しない)



 蛍光灯の淡い光に照らされて、京太郎と慎霰は無機質な廊下の両端から現れた黒服達を手分けして倒そうと、左右に散った。
 滑りやすいリノリウムの廊下を疾走し、引き金を引く。よく狙って撃っているわけではないので、多少頭の中の狙いとはズレが生じる時もあるが、命を奪うほど危険な部分に弾を打ち込んだと言うことはない。
 凄まじいスピードで迫り来る慎霰に驚いた黒服達が出鱈目に銃を乱射する。
「ヘタな鉄砲は撃たないほうがマシだと思うけどな」
 ニィっと口の端に笑みを浮かべた慎霰が、高く跳躍すると黒服達の真ん中に降り立つ。
 人外の跳躍を見せた慎霰に呆然とする一人の足を払い、転ばせる。後頭部を強打して苦痛に耐える黒服に微かな同情を感じ‥‥‥た、わけではないが、優しい慎霰は彼を痛みから救い出すために、首に手刀を入れると意識を奪った。
 仲間が気を失った事に我を取り戻した黒服達が銃を構える。
 至近距離からの発射は、いくら運動神経の良い慎霰と言えども避ける事は出来ない。咄嗟に羽織っていた外套の中に身体を縮こませ、硬い鉛玉を弾き返す。
 脇に下げていた小太刀を構え、既に弾が尽きた拳銃を未だに構えている黒服に近寄り ――――― ふっと、嫌な気配を感じて足を止めた。
「慎霰!」
 受け持ちの黒服を倒し終わった京太郎が、叫びながらこちらに走ってくる。
 風を纏い、かなりの速度で走る京太郎だったが、彼が慎霰の元にたどり着くことは出来なかった。
 上から下りてきた防火壁が、2人の間を無情に隔てる。
「亮吾、どうなってんだこりゃ! ンで壁が下りてくんだよ!」
「何か策があるのか?」
 慎霰と京太郎が奮闘しているビルから少し離れた場所、ガランとした駐車場に停めてある白のワゴンの車内で、亮吾はパソコンの画面に釘付けになっていた。
 明かりを落とした車内で目に痛いほどに光るパソコンの白い画面には、緑色の文字で次から次に何者かの言葉が打ち出されて来ていた。
「‥‥‥なんだよこれ‥‥‥」
 気づけば声が震えていた。
 亮吾以外に、デルタにアクセスしている者は誰もいないはずだった。そもそも、ここまで来るには幾つもの暗号化されたデータを解読して打ち込まなくてはならず、並大抵のハッカーでは進入することは不可能だ。ハッカーではないとすれば、システムへのアクセスを認められた者だけだが、正規の手続きを踏んで誰かしらがアクセスした場合は、必ず亮吾に分かるようになっている。
「どうしたんだ? 亮吾、大丈夫か?」
「おい! まさか、また誰か近くにいるんじゃないだろうな?」
 インカムから仲間の心配そうな声が流れてくる。
 何か返事をしなくては。 そう思うが、真っ白になった頭には言葉の欠片も見つからないし、粘つく喉は空気を通すだけでやっとだった。
 目を擦り、画面に浮かんでいる文字が幻ではない事を確認する。
『貴方と ゲームをする事を望みます』
 脇に置いてあったペットボトルの緑茶を探し、一口喉に流す。
 不快な粘つきは取れたが、背中を滑る冷や汗は未だに拭えないままだった。
『貴方が 拒否すれば 貴方のお友達の キョウタロウさん と シンザンさん の 命はありません』
 どうして2人の名前まで ―――――
『Yes か No で お答え下さい』
 どうすれば良い?どう答えれば良い‥‥‥?
「おい、亮吾?」
「‥‥‥今、誰かから挑戦状が‥‥」
「挑戦状?」
「そっちは大丈夫なのか?」
 語尾を跳ね上げ、不快さを露にした慎霰の声と、心配そうな京太郎の声に安堵の溜息をつく。あの2人の声を聞いて安心すると言うのもおかしな話だが、今はそんな些細なことで悩んでいても仕方がない。2人の質問に頷き、キーボードに指を滑らせる。
『貴方は誰ですか?』
『Yes か No で お答え下さい』
 先ほどと同じ文章に苛立ちを覚えながら、亮吾は半ばやけくそ気味に『Yes』と打ち込んだ。
『それでは ゲームの時間です。 ルールは簡単 システムに侵入し こちらの仕掛ける攻撃を防ぐこと。 彼らが深部へと行くごとに 解読すべき暗号の難易度は 上がっていきます。 リョウゴさんと 私の 頭脳勝負です』
 ――― 貴方が手間取れば手間取るほど、キョウタロウさんとシンザンさんは危険にさらされる事になります。
 ――― 果たして貴方は彼らを死なせずに深部まで辿りつかせる事が出来るでしょうか‥‥‥‥‥?



→ Two Deltas Night START



 凍てつくような寒さの中、和田・京太郎は重たい鞄を引きずるようにして帰路を急いでいた。
 鞄の中には教科書やノート、普段は滅多に持ち帰らない資料集がどっさりと入っている。
 ――― 資料集は必要なかったかもな‥‥‥
 今更ながら後悔するが、わざわざもう一度学校に帰るのも面倒臭い。
 ――― ま、資料集があった方がやり易いか。
 課題を出されたらなるべくその日のうちに片付けておきたいタイプの彼は、今日出た鬼のような課題の数に苦悩していた。提出期限は来週だが、なるべく明日には提出しておきたい。ただ、レポートなどもあるために今日中に終えられるかどうかは不明だ。来週までの課題とは別に、明日までにやっておかなくてはならない英語の本文訳もある。今日の授業で当たった京太郎は、明日の授業では当たらないだろうが、だからと言ってやらなくても良いというわけではない。こういう時に適当な事をしていると、テストの時に痛い目を見る。
 京太郎は今日の授業の内容を思い出しながら、テクテクと歩いていた。
 数学は難しい公式が出たから、帰ってじっくり考えてみよう。古文は現代語訳を見直して、英語は単語を ――――
「おい、京太郎!なーにグズグズしてんだよ!せっかく待っててやったのに、凍えるだろ!」
「‥‥別に待ってて欲しいとは思ってないと思うんだけど」
「あ!? なんか言ったか!?」
 電柱の隣で言い争いをする二人の人影を確認しておきながら、京太郎は無視を決め込んだ。
 あの人達とは関係ありません。俺はただ道を歩いているだけの善良な都民です。そんな雰囲気を全身から滲み出させていたが、残念ながらこの細道には、京太郎以外では彼に声をかけた二人と電柱しかいない。電柱にどんなにアピールをしたところでどうしようもないので、京太郎の迫真の演技は全くの無駄になった。
「京太郎! 京太郎ってば!」
 背中に呼びかける声を無視し続けていると、突然身体が動かなくなった。
 毎回このパターンで無理矢理仲間に引き入れられる京太郎だったが、決して学習能力がないわけではない。
 無視しようが何しようが天狗である彼の前で、人間の ――― 京太郎自身は自分の事を人間だと主張している ――― 京太郎如きがどう足掻こうが、風の前の塵に同じだと言うことは百も承知だ。しかし、あっさりと手を貸してしまっては癪だし、何より今後の人生が思いやられる。
 グリンと180度ターンをさせられ、ギクシャクとぎこちない足取りで黒い髪に黒い瞳の二人の少年の前まで歩くと、ピタリと止まった。襟足の長い髪を下の方で緩く一本に結んでいる、きわめて身長の低い少年が鈴城・亮吾、京太郎とは一歳違いの中学生だ。亮吾の隣、京太郎よりもやや目線が低い少年が天波・慎霰、京太郎とは同い歳で、現在善良な都民である京太郎を操っている張本人だ。
 勿論、本物の善良な都民をこのように弄んでは、いくら慎霰と言えど、上から強烈なお叱りを受けるだろう。この世界に住んでいる限り、何の能力も持たない人々に、悪戯に能力を使ってはいけない。それは慎霰も心の奥深くにシッカリと刻み込んでいる。無用な争いを招いたり、世界を混乱に陥れることは決してしてはいけない。
 それならば何故、善良な都民である京太郎にこのような事をしているのか? それは、京太郎がただの一般人ではないからに他ならない。慎霰の認識では、京太郎はただの人間ではない。そのため、このような事をしても大丈夫だと踏んでいるのだ。
 京太郎にとっては迷惑極まりないが、慎霰と友人としての絆を結んでしまった時点でもう後戻りは出来なくなっているのだ。
「ったく、人の話くらい聞けよなー」
「聞いたところでどうせ厄介ごとの類だろ?」
 綺麗な青色の瞳に鋭さと冷たさを帯びさせる。
 人なみに空気の読める亮吾は、不機嫌そうな京太郎に思わず首を竦めたが、全くもって空気の読めない ――― と言うか、読もうとしない ――― 慎霰はそんな視線も何処吹く風、素直にコクリと頷くと「でもな」と言葉を続けた。
「今回は俺が見つけてきたんじゃなく、コイツが持ってきたんだ」
「ちょっ‥‥‥!」
 不機嫌さを隠そうともしない京太郎の視線に、亮吾の額に嫌な汗が滲んでくる。
「持ってきたとかじゃなく、ただ、ちょっとした噂を聞いたから‥‥‥」
「‥‥‥どんな噂だ?」
 会話のマナーをシッカリ心得ている京太郎は、渋々ながらも先を促した。例えココで何も言わなかったところで亮吾か慎霰が先を言うことは分かっていたが、習慣と言うものは恐ろしい。
「あるビルに、おかしな物があるって‥‥‥」
「おかしな物ォ?」
「俺は天狗の妖具の一つだと睨んでる」
 ふっと京太郎の身体に自由が戻る。
 やっぱり厄介ごとの類だったと、諦め半分呆れ半分で溜息をつくと、斜めにかけていたバッグを足元に下ろし、塀に背中を預けた。
「亮吾の話からじゃ、詳しいことは分からないけど、そのビルの近くまで行った時、コレが反応した」
 腕に巻きついた数珠を指差し、慎霰は顔色を伺うような上目遣いでジッと京太郎を見つめた。
 男に上目遣いで見つめられても嬉しくもなんともない ――― もしもコレが女の子だったとして、嬉しいかどうかと聞かれても返答に困るが ――― そう思いながら、京太郎は深い溜息をついた。
「善は急げって言うだろ? 今夜、そのビルに忍び込んで妖具を奪い返す」
 京太郎も勿論協力してくれるよな? そんな視線を受け、京太郎は喉元まで出かかった拒否の言葉を飲み込んだ。ここで安易に拒否してしまえば、慎霰は実力行使も厭わないだろう。いくら今は人が通っていないとは言え、再び彼の天狗の力に踊らされるのはイヤだった。
「‥‥‥おまえ、明日の英語の授業当たるだろ? 訳、やったのか?」
 慎霰の表情が一瞬だけ曇るが、直ぐになんでもないと言うように表情が変る。
「とにかく、今夜しかないんだって! 亮吾だって、今日の方が良いよな?」
「え、俺も手伝うの?」
 何を馬鹿な事を ――― 慎霰が盛大な溜息をつき、肩を竦める。
「当然だろ。だって、亮吾が言ったんじゃないか、ネットワーク警備がシッカリしてるビルだから、忍び込むのは大変だって。おまえなら、そう言うのも何とかできるだろ?」
「た、確かにそんなようなことは言ったけど‥‥‥」
 情報を伝えた段階でお役御免だと思っていた亮吾は、助けを求めて京太郎を見上げたが、求めた相手が悪かった。既に行く気満々の慎霰を説得するのは無理だと悟った京太郎が、みすみす仲間を解放するわけがない。
「京太郎も亮吾も参加するってことで、んじゃ、喫茶店でも入って作戦立てようぜ」
 一言も参加するとは言っていない京太郎と亮吾だったが、今の慎霰には何を言っても通じそうにない。
「‥‥‥あっ、俺、お金持ってない」
 喫茶店へと歩き出しながら、亮吾がハッと顔を上げる。
 高校生である慎霰と亮吾は当然持っているが ――― お財布を忘れると、お昼時に痛い目を見る ――― 中学生である亮吾は、財布が必要な場面がないため、持ち歩いていない。
「大丈夫だって、そう言うのは、京太郎が払ってくれるから!」
「俺かよ!」
 無責任な慎霰の言葉にツッコミを入れつつ、亮吾の分は払おうとお財布の中身を思い出す。確かお札は入っていたはずだし、小銭もあったはず ――― なかなかリッチだったはずだ。
 ‥‥‥ちなみに、喫茶店に入った後に一応確認しておこうとお財布を広げ、慎霰に中身を見られた京太郎は、支払いの際に何処かへ消えてしまった彼の分も奢るはめになったのだった‥‥‥。



* * *



 満天の星空の下、三日月を視界の端に、闇を進む。
 最低限の明かりしか点っていないビルはまるで巨大な棺のようで、どこか不気味だった。
 ビルの周囲を囲む塀を乗り越え、広い駐車場に降り立った三人は、近くにあった白いワゴンに近寄ると慎霰の力で鍵を開け、乗り込んだ。亮吾が後部座席に座り、背負っていたリュックの中からノートパソコンを取り出すと、電源を入れた。
「しかし、まさかココに忍び込む事になるとはな‥‥‥」
 京太郎が苦々しく呟き、サングラスを取り出すとかける。
「なんだ、ここってそんなに凄い会社なのか?」
「一流企業だ。慎霰だってこの会社のマークの入ってるシャーペン持ってたじゃねぇか」
「マーク?」
「三角形を2つ上下に組み合わせて木に見せかけた下に、地球が描かれてる‥‥‥」
「あぁ、おでんのマークか」
 ポンと手を打って納得の表情を浮かべる慎霰に、京太郎と亮吾がガクリと脱力する。
「あのなぁ、慎霰。アレ、色つきで見てみろ。凄いぞ‥‥赤色の木に、毒々しいまでに真っ青な地球」
「赤いこんにゃくに青い大根なんか、悪夢だな‥‥‥」
 だから、おでんじゃねぇっつてんだろ! そんな京太郎の内心のツッコミは、亮吾の言葉に飲み込まれた。
「流石、ネットワーク警備がシッカリしてる」
「忍び込めるか?」
「お安い御用‥‥‥とは言えないけど、大丈夫だと思う」
「で、妖具はどこにあるんだ?」
「ちょっとコレ見て」
 亮吾が膝の上に乗せていたノートパソコンを、運転席と助手席に座る二人に見せる。幾つもの小さな窓が開いているパソコン画面はゴチャゴチャしていたが、亮吾が手早く右上にあった窓を拡大させた。
「‥‥‥ビルの見取り図か?」
「そう。地下3階から35階まである。じゃぁ、次はコレ」
 一度画面を最小化し、左上に開かれていた窓を拡大する。
「B4にB5‥‥‥地下5階まであるのか? でも、さっきの見取り図には‥‥」
「このビルは、2つのシステムで管理されてる。最初に見せたのは、会社のメインシステムにアクセスして取り出したもの。次に見せたのは、メインシステムの隅っこの方、デルタって項目で、特殊な鍵が施されていたところから取り出したもの」
「特殊な鍵ってことは、やましい物があるってことだな」
 慎霰が表情を引き締め、京太郎も緊張した面持ちで口を開く。
「地下はデルタってシステムが管理してるのか?」
「大当たり。見たところ、このデルタってのが全てのシステムの基礎みたいだ。メインシステムはデルタに干渉が出来ないけれど、逆なら出来る」
「つまり、デルタに進入すれば、メインシステムも同時に制御できるっつーことか?」
「そうだけど‥‥‥デルタに侵入するのは難しそうだ。暗号化されたデータを解読して打ち込んでいくんだけれど、解読するためのキーが二重の暗号で守られてる。解読するための二重の暗号を破り、それでデータを解読していかなくちゃならない」
「まぁ、亮吾なら出来るよな」
 ポムと肩を叩かれ、亮吾は何とも言えない表情を浮かべるとパソコンを引き寄せて膝の上に置いた。
「全力を尽くすけど、期待はしないで欲しいな。‥‥‥とりあえず、メイシステムを押さえるのは約束する」
「それで、地下に行くためにはどうすりゃ良いんだ? 普通に行けるわけじゃねぇんだろ?」
「地下4階に行けるのは、役員専用のエレベーターだけ。そのエレベーターを調べてみたところ、カードキーと暗証番号が必要なんだ」
「カードキーは何処に行けば手に入る?」
「手っ取り早いのは社長室。このビルの25階にある」
「暗証番号は?」
「それが‥‥‥」
 亮吾が表情を曇らせ、口篭ると目を伏せた。
「地下4階に行くためのエレベーターは、カードキーを挿すことによってメインシステムに繋がる。普段はメインシステムの制御下にはないんだ。多分、上が普通の会社だからだと思うんだけど‥‥‥」
「役員以外は真っ当な人が勤めてる会社ってことか?」
「やり辛くなったな、慎霰」
「何でだ?」
「俺らが暴れたところで、相手にやましい事があれば闇に葬られる。でも、やましい事がない相手の場合、躊躇なく警察を呼ぶだろう? 上では派手な行動は出来ない」
「あー‥‥‥面倒だな‥‥‥」
「牢屋にぶち込まれたいのなら勝手にしろ」
「それだけはゼッテーイヤだ!」
 慎霰が叫び、立ち上がろうとして頭頂部を思い切り天井にぶつけ、へたり込む。
「キーを挿せば、こっちで暗証番号を調べられるのか?」
「多分ね‥‥‥よし、メインシステムは粗方押さえた。直ぐに行ける?」
「あぁ。‥‥‥慎霰、お前頭大丈夫か?」
「だ、大丈夫だ。んじゃぁ、とっとと行って妖具取り返して来るか! ‥‥‥あ、そうだ亮吾。もしもの時の為に、コレ置いておくから何かあったら使え」
 亮吾からインカムを受け取る代わりに、慎霰は風呂敷で包まれた何かを手渡した。ノートパソコンくらいの大きさのある風呂敷の中身が何なのかは分からないが、持った感じは柔らかく、軽かった。
「まずは何処から行けば良い? まさか正面玄関から突破は出来ねぇだろ?」
「裏口の鍵を開けておくから、そこから中に入って、直ぐ前にエレベーターがあるから、それ使って上に上がって」
「エレベーター使って良いのか? システムに残るんじゃねぇの?」
「階段の踊り場ごとにつけられてる監視カメラの映像をいちいち取り替えるのと、エレベーターの稼動記録を書き換えるのだったら、後者の方が楽だから」
「んじゃ、サポート頼んだぜ」
 インカムを取り付けた慎霰がそう言って、そっと車から滑り降りる。
「‥‥‥行って来る」
「気をつけて」
 真剣な眼差しを向け、京太郎は車を後にした。
 まさかここに人が来ることはないと思うが、万が一誰か来てしまった場合 ――― それが普通の警備員ならまだセーフだが、もし敵の術者などが来てしまったら ――― 戦闘能力の低い彼は危険だ。直ぐに駆けつける事も出来ない。
「心配か?」
 細い月明かりが照らす地上で、慎霰がシリアスな表情で言葉を紡いだ。
 普段はなんだかんだと慎霰に振り回されてばかりの京太郎だが、決して真剣な話し合いが出来ない仲ではない。慎霰だって、根っから空気の読めないお馬鹿さんではない。
「まぁな。あそこだって、完全に安全だときま‥‥‥‥‥」
「やっぱ、大切な大切な内助の功を一人にしておくのは心配だよなぁー」
 ‥‥‥もう一度言うが、慎霰だって、根っから空気の読めないお馬鹿さんではない。読んでいるからこそ、こうして場の雰囲気を和ませるためにお茶目なジョークを振りまいているのだ。 そう、これはきっと、慎霰なりの気の使い方なのだ ――― 京太郎は必死に自分にそう言い聞かせると、今にも隣を歩く友人の後頭部を殴りそうになる右手を必死に落ち着かせた。



 安っぽいアルミ製のドアは、鍵に遮られることなく回ると内側に開いた。監視カメラが目の前に二台あるが、亮吾から何の指示も出ないところを見ると、映像は既に切り替わっているようだ。
 緑色を帯びた非常灯が照らす廊下は無機質で、ヒンヤリとした空気はやはり棺を連想させる。耳を澄ませても、低く唸るモーター音以外は何も聞こえてこない。
 エレベーターに近付き、ボタンを押そうとした時、チンと軽い音がして扉が開いた。
「それに乗って」
 インカムから聞こえる亮吾の声はクリアで、まるで本当に隣にいるかのようだった。
 暗い廊下から明るいエレベーターの箱に乗り込み、暫し眩しさに目を細める。亮吾の操作によって、エレベーターはボタンを押さずとも勝手に25階へと昇って行く。
「エレベーターを降りたら、手前から三つめの右手にある扉に入って。社長室ってプレートが出てるはずだから、間違えないとは思うけど」
「分かった」
 軽く素っ気無い音と共に扉が開き、京太郎が左右を確認してからスルリと抜け出る。慎霰もノンビリとそれに続き、亮吾が監視カメラの映像を切り替えており、なおかつ今現在この映像を見ているだろうと踏んだ慎霰は、天井部分にへばりついている黒いカメラにピースサインを送って見せた。
 ――― ちなみに、なんとかデルタに侵入できないかと苦戦していた亮吾は、慎霰の呑気なピース映像を見てムカッと腹が立ったが、何とか心を落ち着かせた。
「社長室の解除キーは?」
「0529。奥さんの誕生日らしいね」
「‥‥随分分かり易い番号にしてるじゃねぇか」
 こう言った4桁の暗証番号を自分の誕生日や配偶者の誕生日にしてしまうと、簡単に破られてしまう恐れがある。銀行のカードでも、金庫のロックでも、誕生日だけは避けた方が良いのに‥‥‥と、京太郎は内心で思いつつも扉の脇に取り付けられたテンキーに指を滑らせた。
 錠が下りる微かな音が、静まり返った廊下にやけに大きく響く。京太郎は耳を澄ませ、周囲に人の存在のない事を確認すると、社長室の中に入った。カーテンの引かれていない窓からは淡い光が差し込んできており、目が慣れれば何処に何があるのかが分かってくる。
 毛足の長い絨毯は足音を吸収し、革張りのソファーからはまだ新しいにおいがする。壁にかけられた絵は、何が描かれているのか分からない抽象画ではあったが、繊細な彫刻が施された金色の額は一目で高価な物だと分かる。
「で、カードキーはどこにあるんだ?」
「無難なのは、机の中だろうな」
 巨大な窓を背後に扉の真正面にデンと構えるデスクの上には、書類が山積みになっており、パソコンや電話が端っこの方で肩身が狭そうにしている。
 京太郎はグルリとデスクを回ると、革張りの椅子をどけて絨毯に膝をついた。上から引き出しを順番に見ていく。一番上は筆記具、次は小物類、次は帳簿の束、次は書類、その次は‥‥‥ガチンと音が鳴り、引き出しが何かに引っかかった。
「あるとしたらココだな」
「普通引き出しにテンキーつけるか?」
 隣に来ていた慎霰が呆れたように呟くが、京太郎も同感だった。
 人に見られたくないものを隠そうと言う気持ちは分かるが、頑なに隠せば隠すほど、かえって目立ってしまう。
「亮吾、番号分かるか?」
 慎霰が声をかけるが、その口調から期待は感じられない。ダメで元々と言った、諦めを含んだものだったが、インカムの向こうの少年はアッサリと「分かるよ」と答えた。
「パソコンに番号入れておくなんて無用心だな‥‥。番号は、7529」
 7・5・2・9とキーを押しながら、京太郎はこの数字の意味を尋ねた。
「さぁ? ‥‥あ、ちょっと待って。確か社長が7月生まれだったような‥‥? 奥さんの誕生日の0を7に変えただけだね」
「分かり易いんだか、分かり難いんだかいまいちよくわからねぇ番号だな‥‥」
 音もなく引き出しが開き、中に入っていた雑多な物が月光に照らされる。
 書類の束に、お目当てのカードキー、そして ―――――
「銃刀法違反、だな」
「俺らだって人の事言えっかよ」
 黒光りするソレは、やけに威圧的な雰囲気を纏っていた。京太郎は少し考えた後で、手馴れた様子で銃から弾を取り出した。弾をポケットに入れ、カードキーも拝借すると引き出しを閉めて社長室を出る。
 シットリとした静寂に包まれた廊下に、エレベーターが到着した無粋な音が響く。
「地下まで続くエレベーターは、確か正面入り口の所にあったよな? どうやって行けば良い?」
「廊下を道なりに進んでくれれば良い。監視カメラはこっちで何とかするけど‥‥警備室の横を通る時は気をつけた方が良い」
「分かった」
 エレベーターを降りた先、仄かに明るい廊下を警戒しながら歩く。小さな雑音は、ラジオから発せられているらしい。警備室とプレートのかかった扉は薄く開いており、こちらに背を向けて一生懸命監視カメラの映像を凝視する警備員の姿があった。
 物音を立てないようにしてその前を通り過ぎ、指定されたエレベーターに乗り込む。
 B3から35階まであるボタンの下、開閉ボタンの丁度真下に平べったい空洞があった。
 ポケットに入れていたカードキーを差し込めば、右の壁からパネルが出てきた。1から0までの数字の下に並ぶアルファベットは、キーボードと同じ配置になっている。
「‥‥‥ヤバイ。こんな仕掛けがあるなんて‥‥‥」
「どうかしたのか?」
 切羽詰ったような亮吾の声と、キーボードを叩く音。一秒間にどれほどの文字が打ち出されるのか調べてみたくなるほどの、連続した音だった。
「30秒以内に5桁の暗証番号を打ち込まないと、警報が鳴る」
「なんだと!?」
「五月蝿いぞ、慎霰。‥‥‥で、番号は?」
「今解読してるけど、ただ解読するだけじゃダメだ。5桁出揃った後に、並べ替えもしなくちゃならない」
「アナグラムか。こっちでも考えるから、解読できた文字を教えろ」
「えっと、A・L・T‥‥‥次が‥‥‥あと10秒‥‥‥えっと、次が‥‥‥」
 アルファベットを聞いた途端にやる気を失った慎霰と、必死に5つの文字からなり、A・L・Tを使う単語を思い浮かべる京太郎。
 ――― ATLAS、TALIO、LATCH‥‥‥違う、こんなのじゃないはずだ。もっと、この会社に関係のある言葉を入れているはず‥‥‥
「次が、E‥‥‥あと5秒‥‥‥」
「おい、京太郎。ここはひとまず引いた方が‥‥‥」
 ――― 分かった‥‥‥!!
 京太郎の頭の中に閃いた5文字のアルファベットを急いで打ち込む。
 D・E・L・T・A ―――――
「デルタ‥‥‥」
 ガクンとエレベーターが動き出し、京太郎と慎霰はほっと安堵の溜息をついた。
 もし亮吾が解読するのを待っていたとしたならば、確実に警報が鳴っていただろう。
「‥‥ったく、寿命が縮むかと思ったぜ‥‥」
「しかし京太郎、よく思いついたな」
「たまたまだ」
 サングラスを親指で押し上げ、京太郎はエレベーターの壁に背をつけた。目を閉じ、頭の中で渦巻く言葉と真剣に向き合ってみる。 ‥‥‥何かが心に引っかかっていた。何か、重要な何かが ―――
 社長室の鍵、数字、警備室、監視カメラ、棺、夜、星、地球、青い、おでん、赤い、三角 ――― デルタ ――― 会社のロゴは? 確か、2つの‥‥‥
「あっ!」
 インカムからの短い悲鳴に、京太郎と慎霰は顔を見合わせた。
「どうした?」
「誰か来る‥‥‥」
「見つかったのか?」
「分からない。でも‥‥‥」



 亮吾は慌ててパソコンを閉じると、息を殺した。淡い黄色の光は、おそらく懐中電灯のものだろう。右へ左へと揺れながら、だんだんこちらに近付いて来ている。
「落ち着け亮吾。とにかく、座席の下にでも隠れろ」
 京太郎の指示通りに身体を丸め、運転席と後部座席の間に丸くなる。いざとなれば瞬間移動も可能だが、この場所で条件が揃うかどうかは微妙だった。
「亮吾、俺が行く前に置いてった風呂敷あけて見ろ」
 ハッと顔を上げ、亮吾は手探りで風呂敷を座席の下に引き摺り下ろした。
 “あの”慎霰が置いていった物なだけに少々不安もあるが、きっと役に立つものだろう、彼はアレでも天狗だし。 と、前向きに考えながら風呂敷を開ける。結び目を解き、ハラリと開けた先 ――― 入っていた物を前に、亮吾は顔を歪ませた。



「何が入ってるんだ?」
 京太郎の問いに、慎霰は不敵な笑みを浮かべて胸を張った。
 何かとてつもなく役に立ちそうな物を置いてきてあげたらしい慎霰を前に、京太郎は彼に対するイメージを大急ぎで書き換えた。悪戯っ子でトラブルメーカーで天狗で ――― いや、事実天狗なのだが ――― けれどもいざと言う時に頼りになる‥‥‥
「カツラと女物の服だ」
 先ほどよりも素早く、京太郎は“けれども”から後の部分を消去した。
「‥‥‥悪ぃ、よく聞こえなかった。何置いて来たって?」
「だから、黒髪ロングのカツラと、女物の服だ。あいつならきっと騙せるだろ?」
 小柄で身長の低い亮吾ならば、何とかなるかも知れない。顔立ちは男の子だが、まだ少年の彼は、女の子だと言い張れば相手だって認めざるを得ないだろう。
 盛大な溜息を吐きつつ、京太郎はまたしても疼く右手を押さえ込んだ。きっと、一発でもあの頭にお見舞いすれば気分はすっきりするだろう。もしかしたら、慎霰の脳内回路が正常になるかも知れない。
「ま、亮吾なら自力で何とかするだろ」
 確かにそうかも知れないが、だからってどうしてカツラなんて置いて来たのか。ただの嫌がらせ目的だとしか思えないのだが‥‥‥。
 京太郎は虚ろな目で慎霰の向こう、何処か遠くを眺めながら、何で俺、こんなことしてるんだっけ。 と、今更ながらの疑問と戦っていた。



 風呂敷から覗く黒髪と可愛らしい水色のワンピースを睨みつけ、ついでに脳内の慎霰も睨みつけ、亮吾は早く警備員が何処かへ行ってくれないかと祈っていた。
 いっそのこと、警報機を鳴らしてやろうか? エレベーターの映像を切り替えてしまえば‥‥‥しかし、そうすると慎霰だけでなく京太郎まで危険にさらされる。あの二人のことだから大丈夫だとは思うが、後が怖い。
 インカムからは慎霰の能天気な言葉が流れてきており、奥歯を噛み締める。
 やっぱり天狗は天狗だった。やっぱり天狗は ―――――
 呪文のように繰り返しながら、一瞬でも慎霰を信用してしまった自分に悪態をつく。
「亮吾なら心配ないとは思うが、でももし術者だったらどうするんだ?」
「大丈夫大丈夫。亮吾は亮吾だぜ?」
「意味が分からねぇ‥‥‥」
「仲間を信用しなくちゃダメだろ、京太郎!」
「‥‥‥俺はお前が仲間だっつー事実を否定してーんだけどよォ」
 ――― 同感
 今回のことだって、京太郎に頼まれなければ意地でも拒否するつもりだった。
 ――― あーあ、損な性格だよな、ホント‥‥‥
 自分の性格について、人生について、ボンヤリと考えを巡らせようとした時、黄色い光りが車内に差し込んできた。どうやらすぐ近くにいるらしい人の気配に息を呑む。
「誰もいないみたいッスけど」
「でも、エレベーターが動いてるって知らせがあったんだぞ?」
「アレじゃないッスか、下に来てる人。何してるのか知らないッスけど、何か今日あるみたいだって言ってたッスから。きっと、遅れてきた客が使ったんスよ」
「いや、でもな‥‥‥もしそうだとしたら、入り口を通るはずだろ?通ればカメラに写るだろうし、扉を開閉すれば警報機が鳴るだろ?」
「社長が何かの対処をしてるんじゃないッスか? もしかしたら、アノ噂が本当だったってことかも知れないッスし」
「アノ噂?」
「人以外の何者かがいるって話ッスよ。先輩、聞いたことないんスか?」
「初耳だな」
「黒いフード被った男が廊下の端にいて、声をかけようとしたら消えたとか、壁をすり抜けていく男の後姿を見たとか、結構目撃談多いんスよ」
「馬鹿馬鹿しい。‥‥‥とにかく、外には誰もいないようだな」
「当たり前ッスよー! 第一、エレベーターが動いてたのにどうして外に人がいるなんて言うんスかね、アレは。見当違いもいいとこッスよ」
「でもなぁ‥‥‥」
 黄色い光りがサッと退き、声と足音が遠ざかっていく。
「見当違いなんてするのかね、アレが」
「するに決まってるじゃないッスか! 所詮は ――――― 」
 声が聞こえなくなる。
 亮吾はほっと息を吐くと、パソコンを開いた。



* * *



 扉が開き、長い廊下が現れる。床も壁も天井もコンクリートの打ちっぱなしのそこは、廊下と言うよりはもっと重苦しい雰囲気が漂ってきていた。
「それで、天狗の妖具って、どんなものなんだ?」
「多分だけど‥‥‥壷だな。異界から来訪神を召喚する入り口だ」
「そんなもので何をしようってんだ?」
「さぁな‥‥‥」
 暫く歩いた先、冷たい廊下に響いた硬い足音に、京太郎と慎霰は神経を集中させた。
「やっとデルタに進入できた‥‥‥。そのすぐ近くに、人がいる。 ‥‥‥って、それだけ近付けば分かるか。多分そっちに行くと思うけど、残念ながら隠れられそうなところはない」
「今デルタに進入できたっつってたよな?」
「ってことは?」
「俺らの行動は筒抜けってことか? でも、監視カメラの類があった覚えはねぇ」
「地下のいたるところにセンサーがついてるんだ。人の体温に反応する」
「それ、切れねぇのか?」
「切ったら警報が鳴り響く仕掛けになってる。コレを解除するのは至難の業だ。デルタの中枢に組み込まれてるから」
「コソコソしてても意味ないってことだよな?」
 慎霰が心底楽しそうな笑顔で立ち上がる。
 なるべく穏便に済ませられるのならばそっちの方が良かった京太郎だったが、こうなってしまっては仕方ない。銃を取り出し、構える。
「敵の情報は、詳しく分かるか?」
「えーっと‥‥‥前方から5人。後方から3人」
「後方? 一本道だったじゃねぇか」
「隠し扉があるんだけど、一方通行みたいだ」
「手っ取り早く、別れて倒すか」
「俺が前から来るヤツを倒す」
 慎霰よりも接近戦を得意としている京太郎が、自分から損な役を買って出る。
 蛍光灯の淡い光に照らされて、京太郎と慎霰は無機質な廊下の両端から現れた黒服達の姿を目に留めると、左右に散った。



 亮吾は待機車両の中から、2人の奮闘振りを眺めていた。
 インカムからは臨場感溢れる音が聞こえ、ノートパソコンでは人型の赤い光りが動いている。
 靴の音、発砲音 ―――
「ヘタな鉄砲は撃たないほうがマシだと思うけどな」
 亮吾の頭の中に、ニィっと口の端を上げ、不敵な笑みを浮かべる慎霰の顔が思う浮かぶ。
 何か重たいものが床に叩きつけられる音、発砲音と、何か硬い物同士がぶつかり合う音 ――― ふっと、新しいウィンドウが開かれると映像の上に被った。真っ白な画面の左上では、短い縦のバーが点滅している。
 ――― これは一体‥‥‥?
 窓を閉じようとマウスを動かした時、バーが右にスライドして文字を吐き出した。
「慎霰!」
 インカムから京太郎の叫び声が聞こえる。
『貴方と ゲームを』
 ドンと鈍い音が聞こえ、すぐに画面を確認しなくてはと思うのだが、マウスに乗せられたままの手は動かなかった。白い画面に吐き出される緑色の文字から目が離せなかった。
「亮吾、どうなってんだこりゃ! ンで壁が下りてくんだよ!」
「何か策があるのか?」



 巨大な壁の向こう側にいる慎霰を心配しつつも、京太郎はインカムに耳を済ませた。
「‥‥‥なんだよこれ‥‥‥」
 弱々しく震える亮吾の声に、背筋を冷たいものが滑り落ちる。
「どうしたんだ? 亮吾、大丈夫か?」
「おい! まさか、また誰か近くにいるんじゃないだろうな?」
 インカムの向こうで、亮吾が何かを飲む音が聞こえる。ゴクリと、小さくも重たい音の後、再び沈黙する。
「おい、亮吾?」
「‥‥‥今、誰かから挑戦状が‥‥」
「挑戦状?」
「そっちは大丈夫なのか?」
「あぁ」
 どちらに対しての返答なのかは分からなかったが、声は先ほどよりも冷静さを取り戻しているように思えた。パチパチとキーを打つ音に被せて、亮吾が言葉を紡ぐ。
「それでは、ゲームの時間です。ルールは簡単、システムに侵入し、こちらの仕掛ける攻撃を防ぐこと。彼らが深部へと行くごとに、解読すべき暗号の難易度は上がっていきます。亮吾さんと私との頭脳勝負です」
 棒読みのソレは、画面に映し出されている文字をただ声に出しているだけなのだろう。
「貴方が手間取れば手間取るほど、京太郎さんと慎霰さんは危険にさらされる事になります。果たして貴方は彼らを死なせずに深部まで辿りつかせる事が出来るでしょうか」
「‥‥‥誰がそんなくだらねぇこと‥‥‥」
「分からない。システムに侵入している人はいないはずなんだ。それなのに、どうして‥‥‥」
「とにかく、グチグチ言ってても仕方ない。京太郎、先に進め」
「それは良いけど、お前はどうすんだ?」
「他の道を探すか、亮吾の所まで戻る」
「分かった‥‥‥」



* * *



 廊下の突き当たりの扉を押し開け、広間へと出た京太郎は太い柱に身を隠すと小さく舌打ちをした。
 広間の奥にある階段を使えば下に行けけれど、そこには敵が沢山いる。 亮吾のそんな報告を聞きながら、それでも他に道はないんだろう? と、アッサリと言ってのけた京太郎は、他の道を探してもらえば良かったとここに来て後悔していた。
 柱から顔を出せば雨のように鉛玉が飛んでくる。敵が何処にいるのかは分かっていた京太郎だったが、分かっていても攻撃する隙はなかった。
 ――― どうすっかなぁ‥‥‥
 息遣いと衣擦れの音が小さく聞こえる広間で、京太郎は床に膝をつけ、隙さえあればいつでも射撃できる体勢を整えていた。一瞬でもあちらの気が緩めば攻撃出来るが、その隙に倒せる人数はたかが知れている。
 ――― そんなん待ってたら、夜が明けるっつーの
 天井から降り注ぐ温かみのない蛍光灯の光りを見上げ、京太郎は目を閉じた。
 ――― ソレが一番手っ取り早いよな
 サングラスをかけなおし、銃を持つ手に力を入れる。
 チャンスは一度。ヘマをすれば蜂の巣になる可能性が高い。
 京太郎は頭の中でどのように動けば良いのかを綿密に練ると、感覚を研ぎ澄ませた。
 ピンと張り詰めていた緊張の糸が緩む瞬間。緊張はそう長くは続かない。特に、相手が人数で勝っており、多少の油断がある場合は ――――― 緊張し、ギリギリまで張り詰めていた空気がほんの少しだけ揺れる。常人では感じもしない微かな気の流れを敏感に感じ取った京太郎は、目を開けると床を蹴った。
 柱から飛び出し、右肩を床に着けて転がる。その際に京太郎は、天井で輝く蛍光灯を二つ三つ撃った。隣にあった柱の影に入り、様子を伺う。広間の3分の1が暗くなり、京太郎の姿を見失って慌てている様子がありありと伝わってくる。
 呼吸を整え、柱から飛び出す。相手がコチラを見つけるより早く、京太郎は全ての蛍光灯を壊すと、シットリと濡れた闇の中に立った。
 暗闇に驚き、焦る黒服達。ライターでもないかとポケットを漁っている人、京太郎が立てる微かな物音を聞き取ろうとでもするかのように、息を詰めて様子を伺っている人 ――― 彼ら達の様子が、闇の中でもよく分かった。
 風が伝えてくる情報は正確で、京太郎は足音を忍ばせて敵の直ぐ傍まで来ると、近くにいた一人を銃のグリップで殴り倒し、鈍い物音に気づいて慌てる人々の脚や手を狙って撃った。
 次々に倒れ、低い呻き声を上げる黒服達を足元に、京太郎はサングラスを取り、目頭を押さえると、奥にあった階段を下りた。
「今から下に行く」
「うん、見てた。ご苦労様」
 亮吾の声は、やや心ここに在らずと言った様子だった。
「そっちはどうだ?」
「‥‥ノーコメントで」
 どうやら状況はあまり良くないらしい。
「慎霰の方はどうなんだ?」
「ちょっと待って」
 カチカチとキーボードを打つ音を聞きながら、京太郎は階段の終わりにあった扉を押し開けた。洪水のように溢れ出す光りに目を細めた時、廊下の端にヒラリと見たことのある布が通り過ぎた。
 ――― アレは確か、慎霰の‥‥‥
 思わず走り出しそうになった足を止め、京太郎はインカムの向こうで奮闘している仲間に声をかけた。
「亮吾、慎霰の様子は‥‥‥」
「あ、うん。えっと‥‥‥隠し扉内の通路にいるよ」
 ――― やっぱりな。アレはただの映像か‥‥‥
 風が伝えてこなかった動きを敏感に察知した京太郎は、彼を追って変な部屋に入らなくて良かったと安堵しつつ、深部へと向けて歩き出した。



 亮吾の言っていた隠し通路を見つけた慎霰は、壁に入った不自然な切れ目に指を這わせると押してみた。力の限り押してみるものの、扉はびくともしない。恐らく、一方通行と言っていたのはこのためなのだろう。
 こちらに引けば開くのかもしれないが、取っ手も何もない壁を引くなんて、到底出来そうにない。
「亮吾、今良いか?」
「なに?」
「敵をこっちにおびき寄せることって出来ないか? 扉を向こうから開けさせれば通れるんだろ?」
「出来ないことはないけど、危ないと思うよ」
「平気だって」
 俺は知らないからなと呟き、亮吾がキーボードを打つ。
「出来た‥‥これで大丈夫だと思うけど‥‥」
「何したんだ?」
「緊急警報ジャック」
「何だソレ」
「火事ですとか、そう言う警報あるでしょ? それを、特定の部屋にだけ流したんだ」
「そんな事も出来るのか」
「デルタが部屋単位でシステムを作ってなかったら無理だったかもだけど、一つに纏められてない分、ハッキングするのには時間がかかる。よく作られてるよ、このシステム」
「それ、感心して良いところか? ‥‥それで、そっちはどうだ?」
「どうもこうもないよ。今必死に頑張ってるとこ」
「俺と京太郎の命はお前に預けてるようなもんなんだからな」
「分かってるって」
 亮吾が溜息混じりに呟いた時、突然目の前の壁がこちら側に開いた。中から出てきたスーツ姿の男の鳩尾に鞘に収めたままの小太刀をぶつけ、男性を押し飛ばすようにして中に入る。
 圧迫感のある細い通路は薄暗く、上を見ればはるか頭上にポツリと蛍光灯が並んでいるだけだった。
「さぁて、いっちょ準備運動でもすっかなー」
 薄暗い廊下にいた黒服が身構える。チラリと見やれば、黒服達の後ろには術者らしき者の姿も見える。身に纏う威圧感は、チンピラに高級なスーツを着せただけのボディーガード達よりも数倍は強い。
 銃を構える黒服達に、慎霰は一瞬だけ考えを巡らせた。一気に間合いを詰めて小太刀で倒していくと言う手もあるが、この場所からでは廊下の端は見えない。薄暗いからなのか、それとも単に廊下が長いからなのか、先は黒く塗りつぶされ、扉が何処にあるのかも分からない。
 羽織っていた外套を脱ぎ、盾のように前に翳す。鉛球が跳ね返されて飛んでいく音を聞きながら、慎霰は外套に力を込めると手を離した。
 支えを失った外套は重力にしたがって落ち、床に触れる寸前に弾け飛ぶと、黒い塊となって廊下中に広がった。
 耳障りな羽の音、低く嗄れた鳴き声 ――― 鴉の大群は真っ直ぐに黒服達に飛びつくと、目の前でやかましく鳴き喚いた。
「黒いモン同士、仲良くなー!」
「クソッ‥‥‥!!」
 ヒラリと身を翻し、通路の奥へと向かおうとしていた慎霰の手を、誰かが掴んだ。
 小さく舌打ちをし、乱暴に手を振り解いた瞬間‥‥‥目の前に赤い揺らめきが現れた。
 紅の影は熱く道を閉ざしている。赤い壁の向こうで、仮面をつけた術者がニヤリと笑った気がした。
 ――― 術者が出したモンなら、幻かもしれない。でも‥‥‥
 ただ熱いだけのまやかしならば良いが、本物の可能性もある。むしろ、あの勝ち誇ったような表情を見るに、本物の可能性のほうが高い。
「亮吾!」
「分かってる。‥‥けど、多少覚悟しておいた方が良いかも」
「は? 覚悟って、いったいなにするつもり‥‥‥」
 ポタンと、天井から大粒の雫が慎霰の頭に落ちた。
 ――― 亮吾のやつ‥‥‥!
 何をするのか分かった慎霰は、次に来るであろう冷たい衝撃に耐えるべく、肩に力を入れた。
 天井に埋め込まれていたスプリンクラーが、一気に放水を開始する。水はシャワー状に降ってきていたが、呑気に浴びていようとは思えないほどの水圧だ。水の力で火を消すためには必要な威力なのかも知れないが、その真下にい人々は悲惨だ。
 チラリと目を開け、火が消えているのを確認してから一気に突っ走る。鴉となって黒服を襲っていた外套は既に元の形に戻り、慎霰の肩にフワリとかけられている。
「そこの壁が通路の終わりだから」
 亮吾のノンビリとした言葉を聞き終わらないうちに、慎霰は勢い余って隠し扉を押し、廊下にベシャリと転んだ。京太郎と別れた廊下と同じリノリウムの床は冷たかったが、それでもスプリンクラーの水よりは大分温かかった。
「ったく、お湯にしとけってんだよな」
「そんな無茶苦茶な‥‥‥それより、すぐ近くに誰かいるよ」
 戦うか隠れるかならば、体力的にも時間的にも後者の方が楽なのだが、慎霰は自身の姿を見下ろすと深い溜息をついた。濡れた髪からは雫が落ち、重くなった衣服からはポタポタと水が垂れている。川にでも落ちたかのような悲惨さだ。
 ――― どうすっかなぁ‥‥‥
 冷たい廊下は容赦なく慎霰の体温を奪って行く。早急に何処か暖かい部屋に入らなくてはと思い、インカムの向こうで必死にパソコンを打っている友人に声をかけようと口を開いた時、隠し扉がこちら側に開いた。
 怒りの形相で廊下になだれ込んでくるずぶ濡れの黒服達に、慎霰は複雑な表情で彼らを見つめた。
「怒っても仕方ないじゃん。だって、火出したの俺じゃねーし。火事になればスプリンクラーが作動するのは普通だろ?」
「戯けた事を! 仲間に指示してただろ!」
 ‥‥‥高級黒スーツを脱げばただのチンピラにしか見えない一人に“戯けたこと”と言うやや古めかしい言い回しをされ、思わず面食らう。
「空耳じゃん?」
「 ――――― ッこの、クソガキがっ!」
 “古風なチンピラ”の背後にいた男が銃を取り出し、真っ直ぐに慎霰に銃口を向ける。外套を盾にして防いでも良いが、背後は壁だ。今守りに回り、銃弾が撃ち込まれはじめてから動くのでは遅すぎる。
「亮吾、階段はどっちだ?」
「敵の後ろ」
 即答された声は、やや硬くなっていた。
 すっと息を吸い込み、集中する。黒服が動く寸前に外套を脱ぎ、目の前に投げつける。突然の行動に驚いた黒服が銃を放ち外套を狙うが、弾が当たった瞬間、再び鴉の大群へと変化する。
 混乱の隙に敵の間を駆け抜け、近くにいた一人の首に手刀を入れると、意識を飛ばす。
 躍起になって鴉の大群を追い払おうとしていた黒服達が、滅茶苦茶に銃を撃つ。
「だから、ヘタな鉄砲は撃たない方がマシだっつの」
 弾の無駄だし、何より壁中穴だらけになってしまう。別にこの会社の地下が蜂の巣になろうが構わないが、そう乱射されては掠らないとも限らない。当てようとして乱射しても当たらない場合がほとんどだが、当てるつもりもなく乱射をして当ててしまう場合はよく聞く。狙わない方が命中率が良いと言う稀有な才能の持ち主だって、世の中にはいる。
 慎霰はグッタリとした男性から手を離し、懐から笛を出すと唇に当てた。
 か細くも力強い笛の音に、男性が立ち上がり、おもむろにスーツの上を脱いだ。突然仲間が始めたストリップに面食らう黒服達と術者。ネクタイを解き、頭に結ぶとズボンに入っていたシャツを引っ張り出し、ボタンを外して奇妙に腰をくねらせ始める。
 ゆらゆらと揺れる上半身に、奇妙な調子で突き出される腰。見ようによっては腹芸に見えない事もないが、もっと気持ちが悪くて品性を欠いた踊りだった。
 黒服達が乱射していた銃を収めた事を確認すると、慎霰は笛を吹きながら後退し始めた。敵はすっかり戦意を喪失したようで、仲間とアイコンタクトを交わしては困ったように眉を顰めている。
 トンと背中に壁が当たり、慎霰は手探りでドアノブを探すと一気に押し開けた。笛を唇から離し、背後で男性が倒れこんだ音を聞いた後で駆け出す。
「亮吾、こっからどう行けば良い?」
「そのまま真っ直ぐ行って‥‥‥」
 ふっと、慎霰の視界の端に見慣れた姿が映った。
 廊下の端近く、ズラリと並んだ扉の中に入って行った後姿は、確かに京太郎のものだった。
「京太郎!?」
 声を上げ、走り出す。何かがおかしいと心の隅で思いながら、それでも彼が消えた扉の前に立ち、押し開けた。室内は暗く、廊下から差し込む光を持ってしても部屋全体を見渡すことは出来ない。
 無意識に壁に手を這わせれば、スイッチらしきものが指先に触れ、慎霰は躊躇なくソレを押し込んだ。カチッと言う微かな音と共に電気がつき、背後で勢い良く扉が閉まる。
 ガランとした部屋には無数の人形が飾られており、虚ろなガラスの瞳は一斉に慎霰の事を見つめていた。感情のない瞳はどこまでも透き通っており、ゾクリと背中に寒気が走る。ヒンヤリとした室内を見渡してみるが、京太郎の姿は見えない。
 ――― 確かにアレは京太郎だった‥‥‥
 けれども、現に今この部屋の中には誰もいない。扉も、今しがた入って来た背後にあるもの一つだけで、他は見当たらない。
 ――― それならアレは誰だったんだ?
「つーか、気持ち悪いなコレ」
 苦々しく呟き、手前にあった金色の髪の少女に手を伸ばす。ツルリとした白い頬に、藍色の瞳、可愛らしいフリルのドレスを着た人形は、慎霰の指先が髪に触れるか触れないかのうちに、突然立ち上がった。
「うわっ!!」
 驚いて手を引っ込め、高鳴る心臓を押さえるように左手を胸に当てる。
 立つと1mくらいある人形は、カクカクと顎を動かすと腕を持ち上げた。
「敵発見、敵発見、直チニ戦闘ニ入ル」
 硬く耳障りな声に反応するかのように、座っていた人形達が次から次に立ち上がる。青色の瞳の少年、栗色の髪の少女、褐色の肌の少年、着物を着た少女、黒い髪の少年 ――― 彼・彼女達は透き通った瞳を慎霰に固定しながら、カクカクと顎を鳴らし、腕を上げ、先ほど金髪の少女人形が言ったのと同じセリフを呟くと、突然回転し始めた。
 クルクルと回る人形達に、慎霰は部屋を出ようと振り返ったのだが、いつの間にか扉はなくなり、ツツリとした茶色の壁があるだけだった。
「亮吾!」
「戦闘ニ入ル、戦闘ニ入ル、戦闘ニ入ル‥‥‥‥‥」
 頭痛とめまいが襲ってきそうな甲高い声の渦に、慎霰は耳を塞いだ。



 慎霰が妙な部屋に入ってしまった事を察知した亮吾は、同じ階にいる京太郎に場所を告げると向かってもらうように頼み、彼が行く先に仕掛けられているであろうトラップを解除すべくキーボードに指を滑らせた。
 地下には沢山の罠が仕掛けられており、京太郎や慎霰の動きを察知して巧妙に仕掛けを展開してくる謎の挑戦者に、亮吾は歯を食いしばってついて行っていた。指がつりそうになり、画面を見続けていた目は痛くなってきていたが、ここで休憩を入れるわけには行かない。
 ――― きっと、あの部屋の仕掛けが最後だ‥‥‥
 地下に張り巡らされた複雑な隠し通路、隠し部屋の全てを見つけ出したわけではない亮吾だったが、おそらく慎霰のいる部屋の何処かの壁が隠し通路、または隠し部屋であり、その先に天狗の妖具が収められているのだろう。
 謎の挑戦者の言葉が全て真実だとすれば、仕掛けの解除は深部に行くにしたがって難しくなる。着実にレベルアップしていく解除の難易度を前に、二人が向かう先が間違いではないと確信していた。
 三つの暗号化されたデータを打ち込み、さらにもう三つ解読したデータを打ち込む。そうする事によって解除するために必要な暗号化されたデータが出てくるはずなのだが ――― 突然画面に浮かんだ質問に、亮吾は目を丸くした。
「私は どこから システムに アクセス しているの でしょう?」
 画面の右端に、時計の表示が出る。30秒から徐々に減っていく数字を前に、亮吾は目まぐるしく思考を繋ぎ始めた。
 この質問は、最初から不思議に思っていたことだった。並大抵のハッカーでは入り込めない複雑なシステム、正規のアクセス権を持つ者が入り込んだ様子はない。
 10秒を切った数字を見ながら、亮吾は一か八かで言葉を打ち込んだ。時計の表示が0になり、次に新しい質問が浮かび上がる。
「それは なぜ?」
 キーボードに指を滑らせる。疑問は推測へとかわり、確信に変わった。
 タンと、エンターキーを押した瞬間、それまで画面に出ていた複雑なタグの羅列が一瞬消え、代わりに赤い文字が現れた。
「リョウゴさん の 勝ちです」
 素っ気無い判定の言葉を前に、亮吾は深い溜息をつくと背もたれにもたれかかった。
 鈍く痛む指に、霞む目。張り詰めていた緊張が途切れたせいで感じ始めた肩や腰の痛みに耐えながら、インカムの向こうにいる仲間に声をかける。
「終わったよ‥‥‥」
 目をゴシゴシと擦った亮吾の脳裏に、ここまで見回りに来た警備員の言葉が蘇った。
『するに決まってるじゃないッスか! 所詮は ―――――』
 所詮は、ただのシステムなんですから‥‥‥‥‥



* * *



 今にも爆発しそうな人形達がピタリと動きを止めた次の瞬間、壁だと思っていた部分が内側に開き、驚きに目を丸くした京太郎が顔を覗かせた。
「大丈夫か、慎霰」
「なんとかな‥‥‥」
「それにしても、コレは何だ?」
「あっ ――― 触らない方が‥‥‥!」
 人形に手を伸ばしかけた京太郎を制し、慎霰は先ほど体験した恐怖の人形回転談を語ると肩を竦めた。
「もしかしてコレ、軍事目的の人形か?」
「終わったよ‥‥‥」
 インカムから疲れたような亮吾の声が流れてくる。溜息混じりの声はやや色っぽかったが、それを聞くのは男子高校生二名だ。色っぽいなどとは微塵も思わなかったであろう。
「勝ったのか?」
「うーん、勝ったと言われれば勝ったんだけど‥‥」
「何があったのか教えてくれ。 それから天狗の妖具だけど、どこにあるか分かるか?」
「多分その部屋のどこかに隠し扉があると思うんだけど、ない?」
 キョロキョロと視線を彷徨わせる京太郎の隣で、数珠を手に巻きつけた慎霰がジッと光りを見つめている。少し右に行けば光りが微かに弱くなり、戻れば再び強くなる。
「ここだな、きっと」
 慎霰が手を着いた場所を強く押し込めば、扉が反転して先に細い通路が見えた。
「今から奥に向かう。 それで、結局アレは誰だったんだ?」
「誰って、言われても、アレは人がやったことじゃないから。 ‥‥‥まぁ、人が作り上げたものなんだろうけどさ」
「‥‥‥ちょっと待て、もしかして‥‥‥」
「多分ソレで合ってると思う。アレは全て、プログラムされたことだったんだ」
「プログラム?」
 慎霰が眉を跳ね上げ、京太郎が「あぁ、やっぱり」と呟くとこめかみを押さえる。
「煙を感知したら火災報知器が鳴ってスプリンクラーが作動する、センサーの前を誰かが横切ったら警報が鳴る、そう言うのと同じように、誰かがデルタに侵入した場合は‥‥」
「でもさ、俺達の名前まで知ってたわけだろ? それもプログラムに組み込まれてたのか?」
「カタカナだったんだよ、名前は」
「‥‥声に反応したってわけか?」
「そう。 ‥‥はっきり言って、凄いよ。ハッカーが侵入した場合に作動するシステム、人が入り込んだ時に作動するシステム‥‥もしこうなった場合はこう作動するって言うのが、凄く細かくプログラムされてるんだ。それぞれのシステムはリンクしていて、総合的な判断で動く事が出来る」
「まるで人間みたいだな‥‥」
「凄い情報量を詰め込んであるはずだから、恐らくマシンは巨大になってるだろうね」
「それ専用の部屋がありそうだな。 それで、そっちの様子はどうなんだ? また何か仕掛けてきそうな様子は?」
「ないよ。俺の勝ちだって出た後は、沈黙してる」
「それも妙だな。 ‥‥そのプログラムを組んだのは、この会社の人間じゃねぇな」
 それなら一体誰が‥‥‥? その質問の答えは、考えても見つからない。
 細い通路の先には、細かい装飾の彫られた豪華な扉があった。金色のドアノブを掴もうとしていた慎霰がふと手を止め、扉に耳をつけると唇に人差し指を当ててコチラを振り返った。一緒になって扉に耳をつければ、低く男の声が聞こえてきている。何を喋っているのかは分からないが、声の調子からして呪文の類のようだった。
「召喚の最中のようだな。邪魔したら怒られるぞー。 亮吾、風呂敷の中にCDが入ってるから」
 悪戯っぽい瞳で囁いた天狗の子の言葉に、ハッカー少年が不満げな声を上げる。女装セットの入っている風呂敷に手を触れるだけでも嫌だと言った調子の声だったが、慎霰の「早くしろ」と言う命令に渋々従う。
「これ、かければ良いの?」
 頷いた慎霰が、扉を開け放つ。
 頭が痛くなりそうなほど甘い匂いに、ムッとした熱気。高炉から立ち上る白い煙は天井付近に充満し、渦を巻いていた。地鳴りのような声が止まり、その場にいた全員の視線がこちらに集まる。
「お前達はいったい‥‥‥!」
 禿頭の男性が立ち上がり、たるんだお腹を揺らしながらドスドスと近付いてくる。男性の胸に光る、不思議な形のペンダントに目が引き寄せられる。菱形にリボンが巻きついたようなその形は ――――― 迫ってきた男性を前に、慎霰が高く飛び、彼の頭に手をついて軽く飛び越えると、人々の中心に置かれていた壷に手を伸ばした。
「それは‥‥‥!」
 男性が懐から何かを取り出し、腕を伸ばす。不安げなオレンジ色の光りに照らされて光るソレに、京太郎が反射的に飛びつこうとするが、彼が引き金に指をかけるほうが早かった。一瞬唇を噛み締めた京太郎は、握られた拳銃を見てハッと動きを止めた。
 壷を手にこちらを振り向いた慎霰が、男性を見て不敵に微笑むと両手を広げた。
 カチリと音が鳴ったきり、銃は沈黙した。慌てる男性を可笑しそうに眺めながら、慎霰が何かを京太郎に向かって投げた。
「それ、入れといた方が良いかもな」
 掌を広げればコロンとした耳栓が二つ乗っており、京太郎は先ほどの慎霰と亮吾の会話を思い出し、急いで小さなソレを耳に詰めた。突然奪われる聴覚、目の前で銃を落とし、妙な動きを見せる男性。慎霰がパクパクと口を動かし ――― 唇から何を言っているのか読み取る。
「銃を使う前には、ちゃんと弾が入ってるかどうか確認しとかないとな」
 人様には見せられないような奇妙なダンスを繰り広げる人々。突然肩を組んでラインダンスをしだし、次に体格の良い男性が四つん這いになるとその上に次々と人が乗っていく。学生以来だろう組み体操のピラミッドを作り上げた大人達は、ピッ!と顔を上げると数秒間そのポーズのまま止まった。学生ならば誇らしそうに上げられる顔だが、彼らは羞恥や怒りで赤く染まっていた。
「慎霰、さっさと逃げるぞ」
「いや、でもさ、こんな面白いモン普通あんま見られないじゃん?」
「‥‥面白いっつーか、気持ち悪ぃだろ、コレ」
 お腹を抱え、涙目になりながら組み体操を見ていた慎霰を引きずるようにして外に出る。どうやら地下中に鳴り響いているらしい笛の音は、廊下ですれ違う人々を陽気な踊りの渦に巻き込んでいた。
 ――― まるで酔っ払いの踊りだ‥‥‥
 来た時と同じルートを辿って外に出た京太郎と慎霰は、亮吾が待機している車のドアを開けた。明るいパソコンの画面に照らされた亮吾の顔は、何とも言えない表情のまま止まっていた。覗き込んでみれば、赤い色をした人型のモノがうねうねと奇妙な動きをしている。
「センサーの映像なんて見てないで、さっさと行くぞ」
 慎霰が後部座席に置いてあった風呂敷を引き摺り下ろし、亮吾がパソコンを持って下りてくる。京太郎は耳栓を外すと、ポケットに入ったままだったカードキーをポイとその場に捨てた。
「弾は貰ってくぜ」
 誰に言うともなく呟き、暗がりに紛れて脱出しようとしている友人の後を追う。
「それにしても、この会社が地下であんな事をやってたとはな」
「あんなこと?」
「慎霰だって見ただろ? あの人形」
「あぁ、あの気味の悪い‥‥‥」
「システムのことといい、人形のことといい、裏で何かありそうな会社だ」
「‥‥‥まぁ、良いんじゃね? 天狗の妖具も取り返したんだ。こんな会社にもう用はない」
「でも、どうしてそんなものが欲しかったんだろう」
 亮吾の疑問に、慎霰が「そんな物とは何だ!」と食って掛かる。寝静まった町に響く喧しい言い争いの声をよそに、京太郎は男性のしていたペンダントを思い出し、直ぐに頭を振ると夜空を見上げた。



* * *



 太陽の光りがさんさんと降り注ぐ教室内、丁度真ん中の席に腰を下ろしていた亮吾は、国語科教師の催眠術に負け、ぐっすりと眠り込んでいた。
 あれから家に帰りついた時はもう明け方近くで、寝たと思った瞬間、目覚ましの音が鳴り響いた。
 学生は眠い。どれだけ寝ても、常に睡魔はジッとコチラの様子を伺っており、隙さえあれば襲い掛かってくる。
 夢の中で亮吾は、モデルなみの身長になっており、慎霰を見下ろしながら女の子の服とカツラを突きつけていた。
「‥‥‥これでも‥‥‥着てろ、ってんだ‥‥‥よー‥‥‥」
「‥‥‥しろ君? ‥‥‥鈴城君? ‥‥‥鈴城亮吾っ!!!」
「ふわいっ!!?」
 突然夢の中に割って入って来た大声に、亮吾は目を覚ますと立ち上がった。
 ガタリと机が揺れ、椅子が後ろの席の子の机に当たる。
「お早う御座います、鈴城君。良く寝ていたようですが、次の文を読んでくれますか?」
 引き攣ったような教師の笑顔に、亮吾は慌てて口元を拭うと教科書を広げた。



 英語科教師の綺麗な発音の上に、雑音がかぶさる。
 板書をしていた教師が振り返り、後ろの席で気持ち良さそうに眠っている慎霰を見つけ、苦笑するとチョークを置いた。
「天波君は昨日、徹夜で勉強でもしていたのかしら?」
 慎霰の前の席に座っていた京太郎は、必死に慎霰を起こそうと足で机を蹴るが、熟睡中らしい彼は一向に起きる気配はない。
 ――― 欠席にされても知らねぇからな
 心の中で釘を刺しておくが、伝わったとは到底思えない。
「うーん、次は天波君に答えてもらおうと思ってたところなんだけど‥‥まぁ、徹夜で勉強してたんだと思うし、起こすのも可哀想なので‥‥和田君! ちゃんと課題、やって来た?」
 悪戯っぽい教師の瞳に、京太郎はコクリと頷いた。
 明け方頃へとへとになって家にたどり着いた京太郎は、英語の課題をやっていない事に気づき、散々悩んだ後で睡眠を放棄した。
 立ち上がって訳を読み上げ、優しい教師から“ very good ”の評価を貰うと腰を下ろした。後ろでは慎霰が気持ち良さそうに寝息を立てている。
 ――― ったく、良い気なもんだぜ。‥‥まぁ、学校に来ただけでも良しってとこなんだろうけどよ
 もしかしたら来ていないのではないかと思っていたのだが、予想に反して慎霰は朝から眠そうな顔で教室に現れると、一時間目からぶっ通しで眠り続けている。
 来た意味ねぇじゃん。 そう思っていたところ、昼食の時間にはちゃっかり起き出して学食まで着いて来ると無理矢理京太郎に奢ってもらい、再び授業が始まると爆睡し始める‥‥‥。
 英語教師が板書を再開し、真面目に授業を受けている生徒がノートにペンを走らせる。
 京太郎は教科書で顔を隠すと、小さく欠伸をしてから他の生徒同様、英文をノートに写し始めた。



END
PCシチュエーションノベル(グループ3) -
雨音響希 クリエイターズルームへ
東京怪談
2008年01月17日

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