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『We Wish You A Merry Christmas 』
高山・隆一7030)&ナイトホーク(NPC3829)

 十二月に入ると、街が突然慌ただしくなる。
 それでも日本は、高山 隆一(たかやま・りゅういち)が三年ほど歌の修行に行っていたイギリスと比べると、まだ静かなものだと思う。
 向こうのクリスマスは、家族で過ごすというのがある意味徹底されている。街中がクリスマス一色の慌ただしさになっても、クリスマス当日の夕方は、厳かとも思えるほどの静寂に満たされるのだ。
「……ふぅ」
 レコーディングを終え、エレキギターとミニアンプを抱えた隆一は、溜息をつきながら空を見上げた。クリスマスから一週間ほど前の平日なので、まだ街は浮かれきった様子ではない。東京の空でもシリウスぐらいは見えるようで、それが薄曇りの空に瞬いていた。
「お疲れ様でした」
「ああ、お疲れ」
 時間は、まだ夜の十時過ぎだ。
 玄関口で挨拶をして、何気なく夜の街へと歩き出す。今日は特に打ち上げや、仲間との飲みもないので、家に帰る前にどこかに寄っていこうか……そんな事を思いながら、冷たい風に顔を上げたときだった。
 ふと、忘れていたことを思い出す。
 渡英する三年前に行った店。蔦の絡んだ三階建てのビルと、古めかしい木の看板。そして色黒で長身のマスターが印象的だったバー……蒼月亭。

「隆一の渡英を祝って、乾杯!」
 それは三年前に渡英するとき、バンドの先輩達が壮行会を開いてくれた場所だった。
 カウンター席が九つ、四人がけのテーブル席が二つという割と小さめの店で、カラオケがなくて店のBGMはジャズのレコードというのが、珍しいなと思った事を覚えている。
「へぇ、イギリスか。若いうちにあちこち行けるのは良いことだよな」
 ちょっとした洒落たつまみと、たくさんの種類のカクテル。あの頃は未成年で飲めなかったのと、店に連れてきてもらったのが初めてだったということで、緊張しながらマスターと先輩達の話を聞いていた。
「こいつ、ギターと歌はすごい才能あるんですよ。だから日本にいるよりは、あっちで色々修行してきた方が良いって勧めて……な?」
「あ、はい……」
 何を話して良いのか分からずに、曖昧に相づちを打った隆一に、マスターは人懐っこく笑いシェーカーを用意する。
「未成年だったら、ノンアルコールカクテルでも作ろうか。禁酒法時代に作られたカクテルだから、それっぽい雰囲気味わえるし、ここでジュースってのも味気ないだろ」
 そうやって目の前に出されたのは『フロリダ』と言う名の、オレンジのカクテルだった。
 レモンジュースも入っているので、さっぱりとしているのにほんのりと苦みがあり、何となく皆と一緒に飲んでいるという気分になる。
「どう? 美味い?」
「はい、美味しいです」
 何を話していいか分からず、ぶっきらぼうに返した隆一に、マスターは満足そうに頷いた。
「今は未成年だからノンアルコールカクテルだけど、次に日本に帰ってきた時はちゃんとしたカクテル作れるかな。その時は一杯奢るよ。待ってるから」
 待ってるから。
 それに自分はなんと言って返したのだろう。何分昔のことなので、思い出の細かい部分が抜けている。ただ、たくさんの種類のカクテルと、先輩達とマスターの会話が楽しかったことだけは覚えている。
 憧れというか、羨ましかった。
 自分も二十歳を過ぎたら、先輩達のような会話や飲み方が出来るようになるのだろうか。
 先輩とマスターの話は、黙って聞いているだけでも楽しかった。お酒の話題や、音楽の話。イギリスの郷土料理には、トード・イン・ザ・ホールと言う「穴の中のひきがえる」という料理があって、名前を聞くとびっくりするが、実はヨークシャープティングの中にソーセージが入っているのをそう呼ぶと教わったのそこでだった。
「………」
 蒼月亭は、東京の中で転々と場所を変えると聞いたことがある。
 それでも、まだあの場所にあるだろうか。あの場所で、マスターはまだ待っていてくれるだろうか。
 アンプを抱えたまま、隆一は蒼月亭へと足を向けた。三年前だから、道を忘れてしまっているかも知れないと思ったが、足は何かに引き寄せられるように前へ進む。
 大通りから一本裏に入り、小路を曲がった時だった。
「あった……」
 あの時と全く変わっていない、蔦の絡んだビルに木の看板。そこに黄色みがかった淡い色の照明がついていた。何もかもが、あの壮行会を開いてもらった時と変わっていなかったので、隆一は思わず立ち止まる。
 まだ、あのマスターはいるだろうか。
 ギターを肩に抱え直し、ドアを開ける。するとドアベルの音と共に、声が掛けられた。
「いらっしゃいませ、蒼月亭へようこそ」
「こんばんは」
 店の中は丁度客が引けたところなのか、誰もいなかった。思わず入り口に立ったまま中を見つめていると、マスターが嬉しそうに目を細める。
「おかえり。日本に帰ってきてたんだな」
 おかえり。
 そう言われ、隆一は驚きに目を丸くする。
「もしかして、俺のこと覚えててくれたんですか?」
「当たり前だろ。これでも客商売長いんだし、印象的な客は忘れない。そんなとこ突っ立ってないで、カウンター来いよ。外寒かっただろ」
 隆一からコートを預かると、マスターはまず店の名刺を差し出した。そこにはナイトホークという名前が書かれている。
「それ、俺の名前。マスターでもナイトホークでも、呼びやすいので呼んでくれていいよ」
「あ、俺も名刺……」
 それに返すように、隆一も名刺を出した。あの頃は肩書きがないどころか、名刺を持つような身分でもなかったのだが、今ではギタリストとしてちゃんと仕事をしている。それを見たナイトホークは、嬉しそうに笑った。
「へぇ……ギタリストか。すごいな」
「いえ、まだまだ修行中です」
 目の前にカクテルグラスに入った、チキンと卵のサラダが差し出された。そしてそのままナイトホークは、取っ手のついたホットドリンク用のタンブラーを用意する。
「じゃあ、約束通り一杯目は俺からのサービスだ」
 卵と砂糖、ラムとブランデーが混ぜられたグラスに熱湯が満たされた。それを二人分用意すると、ナイトホークはグラスの一つを隆一にそっと出す。
「はい。アメリカ南部に伝わるクリスマスカクテルの『トム・アンド・ジェリー』……どっかの猫とネズミと同じ名前だけど、カクテルの方が元ネタな。これで乾杯するにはちょっと暖かすぎるけど、時期的にも丁度いいし、体も温まるだろ」
 そっと傾けられたナイトホークのグラスのと、隆一のグラスが乾杯の音を立てる。湯気の立つグラスからそっと一口飲むと、ほんのりと甘いカクテルが、冷えた体を温めた。
「ありがとうございます、美味しいです」
 三年振りの場所のはずなのに、ここはそんな時間を全く感じさせなかった。全く変わらない場所、音楽。ナイトホークがふと顔を上げ、隆一を見る。
「あ、煙草大丈夫?」
「マスターの店なんだから、遠慮しなくてもいいですよ」
「いや、それでも一応な。これで喉痛めたら申し訳ないし」
 煙草を吸う場所にいるぐらいで痛むような繊細な喉なら、ミュージシャンとしては繊細すぎだろう。それでも、その気遣いが嬉しかった。ナイトホークはシガレットケースから煙草を出すと、近くにあったマッチで火を付ける。
「……にしても、店のこと覚えててくれて嬉しいよ。今までずっとイギリスに?」
「はい。弦楽器と、歌の修行を」
「声いいもんな。俺はどうも歌苦手でね……カラオケとか、いまだにダメだ」
 ナイトホークが、カラオケで熱唱しているところが想像できない。グラスを置いた隆一は、少し笑って息を吐いた。
「いや、俺もカラオケは苦手です。人に聞かせる程上手くないですから」
 ギターに関しては職業にしているぐらいだが、歌に関してはあまり自信がない。それは年の割に声が渋いせいというのもあるのだが、日本の歌があまり得意ではないのだ。
 だが、それを聞いたナイトホークは、困ったように眉間に皺を寄せる。
「隆一が上手くないって言うのなら、その辺で歌ってるのほとんど下手になりそうだ。まあ、でも普通に歌うのとカラオケはやっぱ違うよな」
「そうですね。普通に歌うなら、まだ少しは」
「じゃあ、一曲何か歌ってよ。イギリス土産代わりにさ」
 突然そんな事を言われるとは思っていなかった。ナイトホークはかかっているレコードをそっと止める。隆一はしばし考え、イギリスのクリスマスキャロルである『We Wish You A Merry Christmas』をアカペラで歌うことにした。
 クリスマスが来るという知らせを告げる歌。
 それが店の中に響くと、隆一の歌声にナイトホークが小さな声で合わせる。
「We wish you a merry Christmas. And a happy New Year」
 静かだけど、楽しかった。
 三年前は飲めなかったカクテルが飲めて、カウンターで一緒に話をしたり歌を歌ったりしている。
 そしてもう一つ、隆一には嬉しいことがあった。
「おかえり」
 そう言ってもらったこと。
 家族がいない隆一が日本に帰ってきて、おかえりと言ってもらえる場所があった。無論先輩達や、ギタリスト仲間にもちゃんと「おかえり」は言ってもらったが、自分が考えてもいなかった場所で、ちゃんと待っていてくれる人がいた。
 やっぱり、ここに来て良かった。
 ここに蒼月亭が残っていて良かった。
 そんな気持ちで歌を歌い終えると、ナイトホークが拍手をする。
「ありがとう。やっぱり上手いな……思わず混ざったけど、邪魔してた気がする」
「マスターも上手でしたよ。一緒に歌えて良かったです」
「ん、お世辞でも喜んどく」
 少し照れくさそうに笑ったナイトホークは、冷凍庫からビーフィーターというジンを取りだした。それをグラスに注ぐと、周りに付いた霜が白く凍る。
「今日は飲もう。なんかすげー楽しいし」
「俺も楽しいです。ここに蒼月亭があって、良かったって」
「あー……それ言うなら、隆一がこの店のこと覚えててくれて、良かったかな、俺は」
 霜の付いたグラスを持ち、隆一とナイトホークは二度目の乾杯をした。

「また、飲みに来いよ」
 楽しく話をしてそろそろ帰ろうとした隆一に、ナイトホークが手を振った。それに少し振り返り、隆一も目を細める。
「また来ます」
 次に来る時はまた一人なのか、それとも誰かと一緒なのかは分からない。だけど、ここは変わらずに、自分を迎えてくれるだろう。
 自分には、帰る場所がある。それが一番嬉しくて。
「じゃあ、また」
「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
 カラン、とドアベルが鳴る。外は一層冷え込んでいる。
 だが隆一の心は温かいまま、家路へと足を運んでいった。

fin 
PCシチュエーションノベル(シングル) -
水月小織 クリエイターズルームへ
東京怪談
2008年01月07日

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