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『星狩り 』
シュライン・エマ0086)&草間・武彦(0509)&(登場しない)



 どうして人間は、目標があると頑張れてしまうのだろう。
 『馬の鼻先に人参』とはよく言ったものだとシュライン・エマは思う。
 自分が不在の二週間、所長が不精をしていた証のコンビニ弁当の容器の山。洗わずに繰り返し使ったせいで、底の部分にコーヒーの輪がくっきり残ったカップ。あちこちに脱ぎ捨てたシャツ。毛羽立った毛布と枕代わりの本。それらを掻き分け、ゴミを分別しながら捨て、汚れの頑固な洗い物は浸け置きし、毛布や衣類は洗濯機へ直行。散らかった品々をあるべき場所にしまい、ざっと雑巾がけして掃除機をかける。所要時間一時間弱の記録は我ながら大したものだと思う。お陰で足の踏み場もあやしかった事務所は、依頼人を通せるだけの清潔さを取り戻した。
「そんなに急がなくても、ラストオーダーまでにはかなり余裕があるぞ」
 自分が抱えている仕事の資料を整理しながら、草間武彦はそんな事を言う。シュラインは、てきぱきと掃除道具を片しながら心の中で呟いた。女心の分からない人ね、武彦さん。
「せめて身支度させてちょうだい。折角の機会なのよ」
 一流ホテルの最上階にあるレストランで食事。それだけでも普段着では足を運べないというのに、ましてや草間と一緒なのだ。ドレスアップは無理でも、掃除で埃まみれになった体にシャワーを浴びて、化粧をし直して着替えるくらいはさせてほしい。
「武彦さんは、そのままの格好で行くつもり?」
 あのレストランにはドレスコードは設けられていなかった筈だが、スーツとはいかないまでも、ネクタイくらいはしてほしいところだ。何しろ草間は、レストラン側から招待されているのだから。
「心配しなくても、着替えくらいするさ」
 くわえ煙草で答える草間に肩を竦め、シュラインはバッグを掴んで事務所のドアに手をかけた。
「じゃあ、8時にホテルのロビーで待ち合わせでいいかしら?」
「了解」
 資料に目を落としたまま、草間は片手を上げる。気のない風なのが憎たらしくて、シュラインは内心で彼に向かって舌を出した。



 クローゼットの中から悩みに悩んで引っ張り出した白のスーツと、いつもとは違う纏め方をした髪。自宅を出る前に何度もおかしくないかを確認したのだが、それでもまだ、ロビーの窓に映る自分の姿が気になる。
 あでやかなドレス姿の女性が、男性にエスコートされる優雅なさまを見て、もう少し華やかな服を選べばよかったかも、と後悔した。だがそれでは、草間がいつものジャケット姿に近いくだけた格好で現れた場合、釣り合いがとれなくて彼に恥をかかせてしまう可能性がある。
 何となく溜息をついた時、隣のソファに誰かが腰掛けた。それを何気なく一瞥して、視線を窓の外に戻してから、シュラインは目を瞬かせる。
 隣の誰かはダークスーツ姿の男性だった。まさか、と思いながら再び視線を遣ると、草間が苦笑しながらこちらを見ていた。
「いくら普段着姿とかけ離れてるからって、無視する奴があるか」
 シュラインは口許に手を当てて、目をぱちくりさせる。
「ごめんなさい……。武彦さんの事だから、てっきりもっとラフな格好で来るかと……」
「おまえに恥をかかせない程度にはちゃんとするさ。場所が場所だしな」
 草間は腰を上げ、半ばぶっきらぼうに腕を差し出した。意味が分からずきょとんとしていると、彼は急かすように腕を揺する。
「何だ、エスコートは要らないのか? さっき、腕を引かれて歩いてる他の客を羨ましそうに眺めてたのは誰だ?」
 慌てて立ち上がり、シュラインは草間の腕に手を掛けた。羨んだつもりはないのだが、手を引いて貰えるのは無条件に嬉しい。
 嬉しくてにっこり笑うと、草間は僅かに視線を逸らした。慣れない場所に、慣れない格好で引っ張り出されて照れくさいのは分かるが、もう少し愛想良くしてくれてもいいのに、とシュラインが思った時、彼はぼそりと言った。
「……綺麗、な色だな、そのイヤリング」
「え? そう?」
 シュラインは指先で青いイヤリングに触れる。冬には寒々しい色だと思ったのだが、エレガントなシルエットの服にぴったり合うデザインのものが他に見つからなかったのだ。
 褒めるのはそれだけ? と訊いてやろうかと思ったら、草間がほとんど聞き取れないような小声で呟いた。
「おまえの目と同じ色だ。……似合ってる」
 シュラインは黙って、草間の腕をぎゅっと掴んだ。目を見て、ストレートに「綺麗だ」と言わない、言えない彼がじれったく思える時もあるけれど、今はそれがとてもいとおしく感じられた。



 高級ホテルのエレベーターは、それが高層である事を感じさせない軽やかさとスピードで、二人を最上階まで運んでくれた。
 レストランの入り口で招待状を提示すると、メートル・ド・テルが恭しく席へと案内してくれる。通されたのがそのホテルの海側の窓辺、しかも他の席から離れた個室に近い席なのに驚いたのはシュラインだけではない。草間も驚いたように目配せしてきた。
 照明を抑えた店内には、至極心地よい空気が流れている。キャンドルに照らされた草間の顔には、小さな炎が生む独特の陰影が映し出されていて、何だかいつもよりも渋く見えた。自分の姿も同じように、彼の目に魅力的に映っていればいいのに、とシュラインは思う。
 クリスマスシーズンという事もあって、街のイルミネーションはいっそう華やかだ。窓の外の夜景は光の粒を閉じ込めた箱庭のようで、溜息が出るほど美しかった。とっても綺麗ね、と呟くと、草間が目を細めて笑う。
 草間の笑顔と、星を落としたような夜景を胸に刻み、シュラインは軽く目を閉じる。
 なんて素敵な夜だろう。
 こんな機会は滅多にない。景色は最高。雰囲気は上々。シチュエーションは文句なしだ。おまけに礼装の草間はいつになく男の色香のようなものを漂わせていて、惚れ直したと言ってもいいくらいだ。ここに来るまでの事務所の惨状まで綺麗に忘れ去ってしまいそうなほど。
 だからシュラインは、素晴らしい夜景を映した窓硝子に、草間でも自分でもない謎の人影が浮かんでいるのを完全に黙殺する事にした。フルートグラスに注がれた、黄金色のシャンパンの泡を目で追いながら草間に話しかける。
「ね、乾杯しましょ?」
「え? ああ」
 何だか雲行きが怪しくなってきたぞ、とでも言いたげな顔で窓硝子を見つめていた草間が、我に返ってグラスを手に取る。
「武彦さんと二人きりでこんな素敵なレストランでお食事できるなんて、とっても嬉しいわ」
 二人きり、という言葉を強調してシュラインが言うのに、草間は意を察したのだろう、無理に笑顔を作って答えた。
「喜んで貰えて何よりだ。自腹で連れて来てやれなかったのが残念と言えば残念だがな」
「いいのよ、気持ちだけで充分。折角なんですもの、今日は存分に楽しみましょうね」
 にこやかに言って、シュラインもグラスを掲げた。触れ合った硝子が澄んだ音を立てる。その時、窓に映った謎の影が、まるで手にしたノートに何かを書き付けるような仕草をした。だが、二人はそれを見なかった事にした。
 料理はプリフィクススタイルで、前菜からデザートに至るまで、全てメニューの中から好きに選ぶ事ができた。流石は三ツ星レストランだけあって、どれも申し分のない味で、できる事ならレシピを教えて貰いたいくらいだ。
 二人が料理を堪能し、他愛のない会話を楽しみ、視線を交わして笑い合う間、謎の影は首を傾げたり、こちらに身を乗り出してテーブルを覗き込んで来たり、何かをノートに書き付けたりしていた。それをできる限り意識の外に追い出そうと試みたが、どうしてもその正体が気になって仕方がない。
 やがて、食事を終えた二人のところに支配人がやって来た。彼は物腰柔らかに挨拶してから、少し声をひそめて訊ねてきた。
「ところで草間様、お食事中、何か不都合はございませんでしたか?」
 草間はシュラインの表情を伺うように、僅かに視線を向けてから口を開く。
「それより先にお伺いしたいのですが、私達をこちらに招待して下さったのはどなたですか?」
「私でございます」
 言って、初老の支配人は意味ありげに窓に視線を遣った。
「確か、こちらのレストランの食材管理を担当されている方から、うちの事務所に依頼を頂いた事があると記憶しています。私はてっきり、その方からご招待頂いたものだとばかり思っていたのですが」
 さすがに場所が場所だけあって、草間の口調も改まっている。だが、その底には微かな棘が感じられた。それを感じ取ったのか、支配人は腰を折る。
「はい。スタッフの名を借り、無理に草間様にこちらへおいで願った事は深くお詫び申し上げます。ですが、スタッフを通じて草間興信所様にご依頼申し上げましたが、どうしても受けて頂けず、さりとて他の方を頼ろうにも、どなたにお願いすればいいのか見当がつきませんで、ほとほと困り果てておりました。どうか当方の事情を汲み、ひとつお力を貸しては頂けないでしょうか?」
 それを聞いて、シュラインはぴくりと眉を動かした。草間が「しまった」とでも言いたげな表情になる。
「……依頼を断ったの? 武彦さん」
 事務所の経営状況を考えれば、それが彼の嫌う怪奇系の依頼であろうと何だろうと選り好みせずに受けて然るべきだ。シュラインは怒りのオーラを漂わせてテーブルナプキンを握りしめながら、それでも笑顔で彼を問い詰める。
「ひょっとして、私が不在の間の出来事なのかしら? ……うちはいつから仕事を選べるほど羽振りが良くなったの?」
「それはだな、その、おまえも零も他の依頼で出払ってたし、俺は俺で片付けなきゃならん仕事があって……」
 おたおたと言い訳する草間の脚を、シュラインはテーブルの下で蹴飛ばす。草間が声を殺して痛がるのを、接客のプロである支配人は見ないふりをしてくれた。
「お困りなのは、妙な影がこのレストランの窓に出没するからでしょうか?」
 シュラインが問うのに、支配人は深く頷く。
「左様でございます。お客様もご覧になったのですね?」
「はい。私はシュライン・エマと申します。草間探偵所の事務員です。……支配人さんは、あの影をご覧になった事が?」
 問いに、支配人は首を横に振る。
「このレストランのスタッフに、その影を見た者はおりません。目撃されるのは専らお客様で、中には『気味が悪い』と席を変更されたり、怒って帰る方もおられました」
 妙な噂が立っては、店の名前に傷がつく。クリスマスを目前に控えて客も増えているようだし、店側としては迅速に対処しておきたい所だろう。シュラインは重ねて訊ねる。
「影の正体にお心当たりは?」
 支配人はゆっくりと首を横に振った。
「最初は所謂、幽霊というものかと思い、霊能者の方をお呼びしてお祓いをして頂いたリも致しました。ですが、あの影は消えませんでした。私共が近づけば逃げていくようなのですが、それではお客様方の折角のお時間の邪魔になりますし……」
 紳士然とした顔を微かに歪めて、支配人は嘆息する。シュラインは彼から聞いた内容を手帳に書き付け、万年筆を唇に当てて考え込む。幽霊でなければ、あの影は一体何なのだろう。
「被害に遭った客に、何か共通点は?」
 諦めたのか、草間が質問を始めた。支配人は頷いて答える。
「ございます。被害に遭われた方は、いずれもお若いカップルの方々でいらっしゃいます」
「……それで、手紙にああ書いたって事か……」
 苦々しい表情で草間が呟く。シュラインは目をぱちくりさせた。
「手紙って何の事?」
「いや、こっちの話だ」
 草間は渋い表情で、支配人を軽く睨むように見る。
「被害の具体的な内容は?」
「お客様のお話では、何やら会話を盗み聞きし、それを記録されているようだという事でございました。中には身を乗り出されたり、手元を覗き込まれたりして、たいそう不快に思われた方もいらっしゃいました」
 シュラインが見た影も確かにそんな感じだった。その影の目的は一体、何なのだろう。
 草間は他にも細々とした質問を重ねたが、特に有力な情報は得られなかった。これでは力を貸してやりたくても、どこからどう切り込んでいいのか分からない。草間とシュラインが同時に小さく唸った時、カーテンの影から声がした。
「お話し中に失礼致します。ディレクトール、厨房までおいで願えませんでしょうか?」
 声の主は、二人を席に案内してくれたメートルだった。『ディレクトール』というのは支配人の事だろう。彼はおっとり振り返る。
「今は大切なお話の最中なのですが、後ではいけませんか?」
「俺達の事なら気にしないで下さい。どうせ正式な客じゃない」
 どこか投げやりに聞こえる口調で草間がそう言うと、メートルは一礼して支配人に駆け寄った。
「アルバイトのプロンジュールが突然倒れまして、救急車を呼ぼうかと思ったのですが、本人が目を覚まして大丈夫だと言い張るんです。ですが一応、病院に運んだ方がいいかと思いまして……」
 草間が小声で問いかけてくる。
「なあ、プロンジュールってのは何だ?」
「皿洗いの事よ。……倒れただなんて気になるわね」
 シュラインは立ち上がった。仕事柄、急病人への応急処置には慣れているし、そこそこの知識もある。乗りかかった船なのだから、この際、彼らの為に一肌脱ぐべきだろう。
「念の為、そのバイトの方に会わせて頂けませんか? ひょっとしたらここに何か良くないものが取り憑いていて、従業員の人達にまで影響が出た可能性も考えられますし」
 正直、あのどことなく間の抜けた影にそこまでの力はなさそうに思うのだが、用心するに越した事はない。
 支配人の案内で、従業員の控え室に通される。長椅子の上に青白い顔の少年が横たえられていて、彼が皿洗いのバイト君だとすぐに分かった。だがその姿を見て、草間もシュラインも一瞬言葉を飲む。
 寝転んだ彼の後ろ頭には、おそらくはジェルやワックスを使っても直らないのであろう、頑固な寝癖があった。あの、ぴょこんとはねた特徴的なヘアスタイルには見覚えがある。──ついさっき、窓の中で。
 草間とシュラインは顔を見合わせて頷いた。草間が大股に少年に歩み寄り、その腕を掴む。彼はぎょっとしたように草間の顔を見た。
「これはいけない。やはり彼はあの影の犠牲者です」
「然るべき処置をします。どこかにスペースをお借りできますか?」
 畳み掛けるように、シュラインも少年の腕を掴んで支配人を振り返った。支配人は心得たように頷く。
 二人にがっちりと腕を捕えられ、皿洗いの少年はますます青くなった。



 用意されたのは、レストランの真下に位置するツインルームだった。顔面蒼白になった少年をベッドに座らせ、例の影の正体について訊ねると、彼は震える唇を開いた。
「やっぱり……犯人は僕だったんですね」
 今はじめて確信した、という口調だった。草間が面白くもなさそうに問いかける。
「って事は、おまえにも一応の自覚はあったんだな?」
「……はい。僕、ここの所しょっちゅう白昼夢みたいなのを見てて……」
 少年は疲れたように、視線を虚空に向けた。
「いつも、あの店でカップルを観察してたんです。だから影の話を聞かされた時はドキッとしました」
 シュラインが思うに、あの影は少年の生霊だったのだろう。本人も無意識のうちに生霊を飛ばしていて、そのせいで疲弊して倒れてしまった、という所ではないだろうか。
「どうして観察してたのか、訊いてもいいかしら?」
 問うと、少年はこくんと頷く。
「実は僕、今年のクリスマスに、あの店で彼女と初デートをする事になったんです。でも、一体何を話せばいいのか、どういう風に振る舞えばかっこよく見えるのか、全然分からなくって……」
「それで他のカップルを覗き見か」
 草間の口調は切って捨てるような冷たさだ。まんまと餌にかかって不承不承受ける事になった依頼とはいえ、そこまでつけつけした態度をとる事はないのにと思っていたら、彼はソファに身を沈めてボヤいた。
「見た所、大学生かそこらだろう。それがあんな高級レストランでデートとは、いいご身分だな」
 どうやら不興の原因はその辺りにもあるらしい。シュラインは苦笑を噛み殺しながら言った。
「支配人に聞いたんだけど、皿洗い君はその為に、あのお店でアルバイトしてたのよね?」
 少年の身上については、ぬかりなく支配人から聞き出してある。彼はそこそこ名前の通った企業の御曹司で、アルバイトをする必要など皆無なのだ。なのに、彼は自分の稼いだお金で彼女をあの店に招待しようと考え、社会勉強も兼ねて皿洗いのバイトを始めたのだという。
 それを説明すると、草間は少しは彼を見直したのか、仏頂面を崩した。
「それはなかなか偉いな。だが何で他のカップルを観察する必要がある?」
「だって、何年もかけてようやく口説き落とした初恋の相手なんです。アルバイトを始めたのだって、彼女が『お坊ちゃんがパパの脛を齧って連れて行ってくれるデートになんて興味ない』って言うからなんです。デートの費用を稼ぐのに一年もかかったんですよ! 絶対に失敗なんかできないんです!」
 聞けば少年の『彼女』は、かなりの難物であるらしい。この少年はなかなか可愛い顔立ちをしているし、中堅企業の御曹司という事もあって、女の子にはそこそこ人気がありそうだ。だが『彼女』は少年のそんなステータスには目もくれないばかりか、彼がどんなに目もくらむような贈り物をしようが、けんもほろろに突き返してくるのだという。
「何度も何度も玉砕しながら、ようやく『食事だけなら』ってOKを貰ったんですよ。初デートが成功すれば、彼女は僕の正式な恋人になってくれるかもしれないんです。でももし失敗したら、二度と相手にして貰えないかもしれないんです!」
 興奮のせいか、少年の青い顔が血の気を取り戻す。成程、彼の意気込みは理解できたが、だからと言って他のカップルのデートを覗き見していいとは思わないし、他人の行動が参考になるとはもっと思えなかった。同じ事を思ったのか、草間がしみじみと溜息を落とす。
「言っとくが、他人の猿真似で彼女が喜ぶと思ったら大間違いだぞ」
「そうよ。自分達に合ったデートをするのが一番だと思うわ」
 少年は大きな目をぱちくりさせた。
「え、じゃあ、どうすればいいんですか?」
 シュラインはちらりと草間を見遣る。彼は咳払いをすると、少年に向けて顎をしゃくった。
「その前に、おまえが他人のデートを覗き見してまで考えたデートプランってのを聞かせろ」
「はい!」
 皿洗いの少年は、目を輝かせて頷く。
「まずは、彼女をブティックに連れていきます。で、ドレスを買ってあげるんです。いま流行ってるドラマで、人気女優が着て有名になったドレスです。すごく人気があるんでなかなか手に入らないらしいんですよ! 店のお客さんも何人か着てましたし、彼女もきっと喜んでくれると思うんです!」
 早くもシュラインは天を仰いだ。支配人曰く、少年は仕事熱心でいい子なのだが、大学に入るまで勉強一辺倒の生活を送っていたせいか、世間知らずな所が多々あるらしい。本人にも多少の自覚はあるからこそ、生霊を飛ばしてまで他人を参考に『勉強』したのだろうが、あまり成果は上がらなかったようだ。
「そのドレスなら私も知ってるわ。……かなり胸元を強調してて、背中も大胆にあいてたような気がするんだけど」
 端的に言って、万人に似合うドレスではない。自分のスタイルに自信がないと着られないのも勿論だが、それを初デートに贈られて喜ぶ女性が何人くらいいるのかは、同じ女性であるシュラインにも見当がつかない。ただ、そう多くはないのは確かだ。
「あのな少年。男が女性に服を贈る時は、着せる為じゃなく脱がせるのが目的だ、って言葉を聞いた事はあるか?」
 頭が痛い、という表情で草間が言う。少年は耳まで赤くして首をぶんぶんと横に振った。
「世の中の男性全部がそうだとは言わないけど、相手にそう思われる可能性も皆無じゃないわね。ましてやあんな大胆なデザインのドレスじゃ、彼女が警戒しても無理はないと思うの」
 シュラインが苦笑気味に言うと、少年は途方に暮れたような顔をする。
「じゃあ、どうすればいいんですか?」
「人に訊いてばっかりじゃなく、自分の頭で考えるんだな」
 草間は煙草を取り出しながら、投げやりに答えた。それができれば苦労しません、と言う少年を、彼は突っぱねる。
「大体な、こういうのに正道も王道もないんだ。他人を参考にしてもどうにもならんし、絶対に失敗しないコースやプランなんてのもない。おまえは欲張りすぎなんだよ。彼女にいい所を見せたいっていう欲だけが先走って、相手の事情や都合なんか少しも考えちゃいない。そんなんじゃ、フラれても文句は言えんぞ」
 少年はみるみるしょげていく。何だか可哀想になってきて、シュラインは優しく言った。
「失敗して元々、くらいの気持ちでもう一度プランを練り直してみた方がいいと思うわ。相手の事を思い浮かべながら、彼女が一番喜んでくれそうなデートプランをじっくり考えてみて」
「でも、僕、本当にどうしていいのかさっぱり……」
「どうしても思いつかないなら彼女に直接訊いてみるのもいいし、彼女の友達に力を貸して貰うという手もあるわね。とにかく御仕着せじゃ駄目。自分が心を尽くさなきゃ、相手も心を開いてはくれないわよ」
 悩み顔をしながらも、少年は素直に頷いてくれた。



 事実は伏せ、おそらくもうあの影は現れまい事を支配人に告げると、彼は丁寧に感謝の辞を述べた。そればかりか、今日はもう遅いので、そのままこの部屋に宿泊するよう勧めてくれる。二人は赤くなってそれを断った。
 支配人は不思議そうに首を傾げてから、シングルの部屋を二つ用意してくれた。その窓から、庭に飾られた大きなツリーが見える。シュラインは窓辺に寄ってそれを眺めた。
 草間も今、これを見ているだろうか。
 ツリーのてっぺんにある星を見て、シュラインは微笑む。そういえば子供の頃、あれが欲しいとだだをこねて大人を困らせた記憶がある。子供というのはそういうものなのかもしれないけれど、子供の頃の自分が欲しがったものは、単なる『大きなお星様』ではなく、『手の届かない場所にある唯一のもの』に象徴される『何か』なのかもしれないと、ふと思った。
 そう考えてしまうのは、先程の少年がそんな風に見えたからだろうか。
 高い所にある星を落とそうと必死に足掻いていた彼。そこに、ほんの少し自分の姿が重なる。慕う相手を振り向かせたくて、美しく装おうとした自分が。
 子供っぽかったかしら、と苦笑混じりに呟いた時、ルームサービスが運ばれてきた。ワインと洒落たおつまみの横には二つのグラス、そして支配人からの手紙が添えられていた。開いて読むと、改めて謝辞を述べたあとにこう書かれていた。
『草間様宛ての招待状に『大切な人とご一緒にお越し下さい』と記した所、エマ様を同伴していらしたものですから、お二人が恋人同士であると、つい勘違いを致しました。誠に申し訳ない事でございます』
 シュラインは瞬きする。では、草間が先程口走った『手紙』というのがこの事なのだろう。
 思わず、シュラインは白い便箋を抱いていた。大切な人、と示され、草間は他の誰でもなく自分を誘ってくれた。それが、何よりも嬉しい。
 手紙には、まだ何かが記されていた。老紳士は『僭越ながら申し添えさせて頂くならば』と前置きしてから綴る。
『本日、当店にお越し下さったお客様の中でも、草間様とエマ様は特に似合いのお二人でございました。もしもエマ様に、草間様を憎からず思う気持ちがおありならば、今日のご来店を機に、お二人がますます親しくなられる事をお祈り致します。ご用意した心ばかりの酒肴が、そのお役に立ちましたならば幸いでございます』
 顔を上げると、少し赤い自分の頬が窓硝子に映っている。シュラインは両手でぴたぴたとそれを叩いた。視線の先では、ツリーのお星様がきらきらしている。
 もうすぐ、年に一度の聖夜がやって来る。たまには昔を思い出して童心に返り、星に向かって手を伸ばしてみるのも悪くない。
 意を決して、シュラインは鏡に向かって口紅を塗り直す。姿勢を正して気合いを入れた時、部屋に備え付けられた電話が鳴り出した。草間からだった。
『折角だからラウンジで何か軽く飲むか? それくらいなら何とか奢ってやれるんだが』
 何気ない風を装ってはいるが、長年の付き合いで、彼が少しばかり緊張しているのが分かる。シュラインはそれに、少女のように無邪気に答えた。
「それよりも武彦さん、こっちに来ない? 支配人さんからお酒とおつまみの差し入れが届いてるの。とってもおいしそうよ」
 僅かな沈黙のあと、行く、と短い返事が返ってくる。シュラインは電話を切り、草間がドアをノックするのをわくわくしながら待った。
 一筋縄ではいかないあの星をどうやって落とそうかと、微笑を浮かべて思案しながら。





■登場人物(この物語に登場した人物の一覧)■

【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】
【0086/シュライン・エマ(しゅらいん・えま)/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
結城 菜野 クリエイターズルームへ
東京怪談
2007年12月21日

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