『偶然の偶然の必然の恋 』

藤河・小春（1691）＆御柳・紅麗（1703）＆（登場しない）

　御柳紅麗。
　陽光を受けるときらりと輝く美しい銀髪は長く。その銀色の中から鋭く、またどこか憂いを帯びたように光る赤い瞳がのぞく。
　整った面立ちは、ともすれば彼を冷たく見せた。当然だ、彼は本来死神、それも死神の住まう【廻魂界】の大貴族、御柳家の次期当主なのだ。
　怜悧な空気をまとう一匹狼的な存在――
　けれど彼は、一瞬の隙もなくそんな死神でいたわけではなかった。
　１６歳。子供と大人の揺れ動く感情を心に乗せた、死神と言えど大切な時代……

　今日も学校。どちらかと言えばサボり魔な紅麗だが、まともに授業を受ける気がないわけではない。
（急がなければ遅刻になる……！）
　口に食パンをくわえ、彼は猛然と走っていた。
　慣れた道である。障害物はすいすいと避けて進む。この時間帯、学生以外の人間はあまりいない。
　いない――そう、いない――

　■■■

　藤河小春は２０歳だ。
　だが、誰に言わせても「見えない」と言われる。童顔とは少し違うだろう。全体的に、まとう雰囲気がかわいらしすぎるのだ。
　彼女の正体は龍――
　けれどそうとはとても思えない、その緑の瞳のあどけなさ。
　実は格闘技が大好きだと言っても誰も信じはしない。
　そんな小春は現在大学生、今朝もるんるんとＭＤを聴きながら登校しようとしている最中だった。
　大学生とは１回生をすぎれば、２回生以降は時間に余裕があるものだ。というわけでとっている講義の時間だけには気を付けつつ、小春は毎日気ままな時間に登校していた。
　決まった時間には登校していなかった。
　そう、毎日決まった時間には……

　■■■

　その瞬間。
　派手に頭同士が衝突して２人の脳裏に星が散ったその、瞬間。
　偶然だった。
　偶然でしかありえなかった。
　２人がこの時間この曲がり角で出会い頭にぶつかるなどという偶然の確率、果たして空の星の数で足りるだろうか？
　人と人がぶつかる。それはいつだって偶然でしかない。人はあらゆるところであらゆる人間とぶつかっているものだ。生まれてから何回人とぶつかったかなんて、数えているような変わり者はいないだろう――数えている内に忘れるに決まっているから。

　２人が体ごと飛ばされて地面に尻もちをつくほどの衝撃だったのは、彼が物凄いスピードで走っていたからだ。それだけのことだ。
　たまたま彼がそのスピードで走っていなければ、２人は尻もちをつかなかっただろうし、辺りに２人の荷物が散乱することもなかった。否――
　そもそも、彼が歩いていればぶつかることさえなかっただろうから。
　だから、彼と彼女が相手の顔をしっかり覚えてしまうほどの出会いをしたのは、やっぱり偶然。

　紅麗と小春がしっかりと相手の顔を見て「すみません！」と言ったのは、やっぱり偶然。

　けれどこれは偶然になるのだろうか――
　その年齢の割りにはやたら可愛い小春に、紅麗が一目惚れするというその事実は。

　■■■

「本当にごめんなさい。私ＭＤ聴いてたから足音に気づかなかったの」
　謝りながら、小春は自分の荷物を集めていた。
「あ、いや、こちらこそ……ちゃんと見て、いなくて」
　明らかに歳下の少年は、何だかぎこちなく言いながら固まっている。
　心配になった小春は、荷物集めをいったんやめた。
「怪我、ない？　痛いところない？」
　紅麗に近づいて、ちょこんと小首をかしげて訊く。
　紅麗の口が慌てたようにぱくぱくと動いた。
「は、はい、ない……です」
「でも、制服……汚れちゃったね」
「い、いいんですこれくらい」
「物は大切にしなきゃ駄目だよ。でも……そっか、怪我がなくてよかった」
　にこっ。
　無邪気な笑顔を返して、再び荷物集めに集中する。
　地面には半分食べた跡のある食パンが転がっている。どうやら食べながら走ってきたらしい。小春は肩をすぼめて、
「急いで学校に行かなきゃいけなかったんだね。ごめんなさい」
「そ、それは俺の落ち度だから」
　紅麗はようやく動いた。だが散らばっている彼自身の荷物や小春の荷物の上に手をやりながら、集めるでもなくわたわたとしている。
　小春は彼の顔をよく見た。顔が真っ赤になっている。
　――無理もない、自分もまだ頭がぼうっとしている。それくらいの衝撃だったから。
　彼も、まだ朦朧としていて何をしていいのか分からないのだろう。
　幸い自分は龍族で頑丈だ。
　小春は自分の荷物を集め終わった後、紅麗の分も集め始めた。
「あ……」
　と紅麗は声を上げたが、それ以上言葉にならない。小春は気にせず紅麗の荷物も全部集めて学生鞄につめこんだ。
「あー、鞄傷ついちゃったね……かわいそう」
　ぽんぽんと紅麗の鞄を撫でるような力ではたきながら、コンクリートの上を滑ったせいでたくさんかすり傷のできたそれを、目を細めて見つめる。
　小春は大学では考古学部に所属している。だから物を大切にすることをとても大切に思っているのだ。
「ごめんなさい。傷ついちゃったけどこの鞄、よかったらこれからも大切にしてくれる？」
　ついそんなことを少年に向かって言ってしまうと、彼はこくこくとうなずいた。
　いい男の子だ。そう思って小春はにっこり笑う。
「ありがとう」
「―――」
　彼はまた何かを言おうと口を開いて、そしてそのまま言葉が出ずに口をつぐんでしまった。
　小春を見つめたまま、ぼうっとして。
「急いだ方がいいよ？」
　小春は最後に立ち上がり、自分のスカートを払った。そして、
「先に行くね。本当にごめんね？　じゃあ」
　もう一度笑顔を見せ、ＭＤプレイヤーのイヤホンを耳に引っかけて歩き出す。
　尻もちをついたまま、紅麗はその後姿をずっと見送っていた。
　荷物を集める手。小首をかしげる仕種。スカートの裾を払った手。彼女の一挙一動、どうしてここまで鮮明にと思うほどしっかり脳裏に焼きついて離れない。
　何より、その瞳のあどけなさと、可愛らしい笑顔。
　――心臓の奥の奥の大切な場所を、何かでつかまれたかのような。
「何……だ、これは……」
　まだその感情の意味を知らず、紅麗はつぶやいた。
　学校のチャイムがやたらと遠く聞こえる。遅刻決定。
　そんなことなどとうの昔に頭からぬけていたけれど――

　■■■

　その日から、紅麗は傍目に見ておかしくなった。
　あの怜悧な雰囲気が綺麗に吹っ飛んだ。どこにでもいるような普通の少年の雰囲気を身にまとって、窓から外をぼんやり眺めたり、かと思ったら自分の鞄を撫でていたり。
　勉強はもちろん、サボりにまで身が入らなくなった。
「大丈夫か御柳」
　と友達に真剣に心配された。
　紅麗は逆に訊きたかった。この感情は何なのか。
　会いたい、会いたい、会いたい、会いたい。
　もう一度会いたい。
　けれど彼女の緑の瞳を思い出すたび赤面する。
　もう一度会っても、合わす顔がない。きっと自分は変な顔になる。言葉が出なくなる。
　プライド、ではないが、そんな格好の悪いことをしたくない。
　だけど会いたい、会いたい、会いたい、会いたい、
　胸の奥をつかまれたまま。
　……苦しい。
　感情などに支配されて、苦しみを感じるなんて、死神の彼にはおかしなことでしかなかったのに。
　なぜかとてもとても、大切なことに思えて。

　そんな彼に寄り添うのは、学生鞄。

　大切にしてね――
　彼女に撫でられていた、鞄のかすり傷が妙に羨ましく思えた。

　■■■

　ため息をつく日が多くなった。
　死神の士官大学校、統霊院をとっくに卒業している彼にしてみれば退屈この上ない勉強に励もうと無理やり思考を切り替えようとしてみた。
　しかし学校に行くためには必ず鞄が必要で、鞄を見るたび彼女を思い出して、苦しくなってでも鞄を手放せなくて――
　……ため息をつく日が、多くなった。
　会いたくて会いたくなくて、苦しくてそんな自分が分からなくて、紅麗は途方に暮れていた。

　ある日友人に頼まれて、とあるバンドのライブ予定をネットで調べようと紅麗はネットカフェに立ち寄った。
　オープンなネットカフェだ。隣同士のしきりがないが、その分安いので紅麗は大して気にせずにまっすぐ歩いて目についた席に向かった。

　思えばここでも偶然の続き。
　あるいは必然だったのか――

　紅麗は座ろうとしながら、ふと横を見た。自分の左側。意味はない。右側にも人間がいたのに左側を向いたのも偶然。
　最近の疲れでぼんやりとしていたのだろう。あるいはありえないと思っていたのかもしれない。最初の数秒はまったく気づかなかった。
　しかし見つめられていることに気づいた相手の方がこちらを向いて――

「あら」

　見覚えのある緑の瞳。
　可愛らしい笑顔。
　決して忘れられない女性の姿が。
　急に鮮明に、目に飛び込んできた。

　■■■

　気づくと同時、紅麗は謝っていた。
「す、すみません！　この間はろくにお詫びもせずに……！」
　椅子にも座らずにひたすら頭を下げる紅麗の顔は、耳まで真っ赤に染まっていた。
　――会えた会えた会えた会えた
　――会いたくなかった会いたくなかった会いたくなかった会いたくなかった
　顔が熱い。ほらみろやっぱり自分は変な顔になっているに決まってる。駄目だ顔を上げられない――
「落ち着いて、ねえ」
　柔らかい声が聞こえた。「とりあえず、座ろうよ」
「すみませ――」
「座ろう？」
　さら……と、まるで耳を優しく撫でるような声だった。
　その瞬間。
　出会った時につかまれたままだった胸の奥の奥の大切な部分が、すっとさらわれた。
　――紅麗はすとんと椅子に座った。
　つっかえていた何かが一気にあふれ出した。
　会いたくなかった？　まさか！　なあ何を格好つけていたんだ？　こんなにこんなにこんなに、
　こんなに会いたくて仕方なかったのに！
　ああ早く顔を上げて彼女の顔を見なければ、見たかったはずだ、あの緑の瞳、あの笑顔……
　顔を赤くしてうつむいたまま、膝の上で拳を作って身を固くしている紅麗の様子に、小春は小首をかしげた。
「大丈夫？　私はあのときのこと気にしていないからね？」
「そ……うです……か」
　――俺のことを覚えてくれていた。
　見せてしまったのはみっともない姿だったけれど。
　嬉しい。素直にそう思った。
　だけどまだ顔を上げられ――っ！？

　小春はうつむいたままの紅麗の顔を、優しく両手ではさんで上向かせた。
　そして、こつんと彼の額と自分の額を合わせる。
「熱……？　あるのかな？　顔が赤いよ」
　うん、少し熱い。そう思いながら、小春はそんな間近な距離で改めて少年の顔を見る。
　綺麗な赤い瞳だ。吸い込まれそうな――真紅だ。
「瞳の色、綺麗だね」
　思わず微笑んで言った。すると彼の額はますます熱くなった。
　額を合わせている間、ずっと視線を下にさまよわせていた彼。おそるおそる上に上げて小春と目を合わせると、
「あの、緑……綺麗、だと」
「緑……」
　小春はぽかんとした。緑？　緑……
「あ、私の瞳のこと？」
　ワンテンポ遅れて気づいた彼女は、額をあわせたままにっこり笑った。
「ありがとね」

　彼女が言葉を唇に乗せるたびに、息が届く気がする。
　どっどっどっどっ
　自分の心臓の音が信じられないほど大きく聞こえる。
　紅麗はその音を心底邪魔だと思った。これでは彼女の声が聞こえない。
　彼女の優しい声が聞こえない。
　どっどっどっどっ
　ああもう、どうしてだ。心臓なんかさっき彼女に奪われたはずじゃないか――

　違う。まだ残っているんだ。
　心が。
　会いたかった嬉しい恥ずかしい何をしているんだ俺はこの先どうしたらいい――

　小春がようやく額を離す。
　途端に心が寂しくなった。――離れてほしくなかったのに。
　そしてそう思った自分に驚いた。――あんな恥ずかしいことをされて？
「熱……少しあるみたいだけど大丈夫なのかな。家に帰ったらあったかくして寝てね？」
「は、はい……あの、お名前聞かせてくれませんか？」
　なぜか突然、言葉が口をついて出た。
　唐突すぎると、言ってしまってから口を押さえた。なんてぶしつけな、こんな急に、ああでももう取り消せない。
　優しい声はなんと応えるだろう。
　どっどっどっどっ心臓の音がうるさいありがたいうるさいああ――
「ほへ？」
　彼女はちょこんと首をかしげて、「私？」
「は……はい」
　紅麗は覚悟を決めて、顔を上げた。
　まっすぐと目の前の女性を見つめる。
　彼女はにっこりと笑って――

「藤河小春です」

「藤河……小春、さん」
「はい」
　にこにこ、にこにこと。小春は笑っていた。
　可愛らしく笑っていた。
　藤河、小春。
　小春。小春。小春……
「お似合いの……名前ですね」
　紅麗はつぶやいた。耳に聞こえる響きが優しい。彼女にぴったりだ。
「あの、あなたは？」
　小春に尋ねられ、紅麗は慌てて名乗った。
「くれい？　どんな字を書くの？」
「くれないの紅に、麗しいの麗で……」
「わあっ」
　小春は楽しそうに両手を合わせた。
「あなたこそ、お名前お似合いね」
　柄にもなく紅麗は照れた。
　彼女の前だったから照れた。彼女の言葉だったから照れた。
「紅麗クンかあ」
　小春はふふっといたずらっぽく笑って、
「あんまり、遅刻ぎりぎりに家を出ちゃだめだよ？」
「はい」
　――いいえ。
　あの時だけは、遅刻してよかったと思います。
　貴女に会えた、あの時だけは……

　そして貴女にもう一度会いたかった。会いたかった。会いたかった。
　こうして会えた。会えた。会えた。――……。

　紅麗の心の中を、熱くする何かがこみあげる。
　彼はその熱さを噛みしめた。決して失ってはいけない気がしたから。

　■■■

　偶然と偶然と偶然と偶然と……
　一体どれが偶然だったのだろう？
　必然と必然と必然と必然と……
　結局すべてが必然になった。

　突然現れた２人をつなぐ糸。元からつながっていたのかどうかなんてどうでもいい。
　その糸がもしも目に見えるなら、紅麗は口付けを落としただろう。
　彼女に出会わせてくれた。心からの感謝をこめて……


　＜了＞




ライターより--------------
こんにちは、笠城夢斗です。このたびはシチュエーションノベルのご発注ありがとうございました。
お届けが大変遅れて申し訳ございません。
恋愛ものが書けてとても嬉しいです！今回は出会いなのであまり甘々にはなりませんでしたが……；
よろしければまたお会いできますよう……

PCシチュエーションノベル（ツイン）

笠城夢斗

東京怪談

2007年12月17日