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『Trick Candy Game 』
ラン・ファー6224



 柔らかそうなオレンジ色の髪に、時折鋭く光るグリーンの瞳。見た目では性別の判断はつかないが、年齢は12歳くらいだろうか。
 リデルと名乗った彼女、ないし彼は華奢な足を必要以上に大きく上下させながら、左手に持ったお菓子のつまった箱を振り回して歩いていた。
 高い壁に、むせ返るような土の匂い。どこへ続くとも知れぬ道は、複雑に枝分かれしている。リデルと歩き始めてからすでに数十分、自分が今どの辺りを歩いているのか分からない。もっと言ってしまえば、自分がどのように歩いてここまで来たのかすらも思い出せない。
「もうすぐで着くからね」
 のんびりとした声に顔を上げれば、リデルの頬がほんの少し、ピンク色に染まっている。普通の状態では病弱なまでに白い肌をしているリデルは、少々興奮した方が肌に色がさし健康的に見える。
 じっと横顔を見つめていた視線に気づいたのか、リデルが戸惑ったように顔を上げると首を傾げた。
 なんでもないと言う意味を込めて首を振り、視線を前に戻す。細い道は数m先で壁に突き当たっており、道が途切れている。
「こっちだよ」
 数歩前を歩くリデルが興奮したように声を上げ、分かれ道を右に行く。瞬間姿が見えなくなち、心細さが胸を圧迫して慌てて追いかけた先、突然道が開けていた。
 広い空間を暫し無言で眺め回し、中央に聳える豪華な建物に注目する。
 レンガ造りの外壁、中央には高く聳える時計塔、ずらりと並んだ窓にはレースのカーテンがかかっており、建物からは良い香りが漂ってきている。
「これからキミに、ここであるゲームをしてもらいます」
 えへんと咳払いをしてから、急に改まった口調で喋りだすリデルに、こちらも知らずに背筋が伸びる。
「まずはこれに目を通して、必要事項を埋めてください。嘘はついたらダメだからね」
 どこから取り出したのか、数項目の質問が書かれた紙と凝った模様が彫られた万年筆を差し出される。ここで書いてねと指をさされた先には切り株で出来た小さな椅子と、椅子に合う高さの木で出来た机が置かれていた。
 椅子に座り、紙に視線を落とす。

1:貴方の年齢・性別・名前を教えてください

「これはね、今の外見年齢を書いて欲しいんだ」
 簡単に書き進め、次の質問に移る。

2:貴方の性格は簡単に言うと?

「大人しいとか、何があっても動じないとか、計算高いとか、そう言う感じだね。そんなに難しく悩まなくて良いから、素直に書いて」
 少し悩んだものの、嘘はついたらダメと言うリデルの言葉を思い出し、素直に自分を分析して書き記した。
「このゲームでは、キミの性格が重要になるからね」
 いまさらそんな事を言われても、万年筆は消せない。少々恨みがましい視線で攻撃すると、リデルが困ったように唇をすぼめた。
「重要にはなるけど、嘘はついたらダメだから‥‥」
 結果は同じだろうと、そう言うことなのだろう。少し肩を竦めただけで気持ちを切り替えると、万年筆と紙をリデルに返した。質問はその2つだけだった。
「ゲームの説明の前に、まずこの建物なんだけど‥‥ここは学校。って言っても、年齢制限はないから、幅広い年代の人が集まってる。ここで教えているのは、悪戯学とお菓子作り」
 お菓子作りは良いとして、悪戯学なんて聞いた事がない。
「どっちも必修なんだよ」
 こちらの言いたい事を悟り、リデルが悪戯っぽい笑顔でそう囁くと緑色の瞳を細めた。
「ゲームは凄く簡単。制限時間内でどれだけの人に悪戯できるか、それを競うんだ」
 左手に持った箱からキャンディーを3つ取り出すと、こちらに差し出した。
「ルールは3つ。1つ、キミが誰かに悪戯されて、それが成功したら1つキャンディーをあげること。つまり、キミが誰かに悪戯して、それが成功したらその子からキャンディーをもらえるんだ」
 人差し指が天井に向けられ、すぐに中指がそれに続く。
「2つ、人を傷付けるような悪戯はダメ。心も、身体もね。3つ、手持ちのキャンディーがなくなったら、調理室まで来ること。そこでお菓子を作って、ゲームが終わったら皆で食べるんだよ」
 リデルの薬指が天井へと向き、親指と小指だけが合わさった状態になる。
「誰かと組んで悪戯しても良いけど、相手からもらえるキャンディーは1つだよ。制限時間は1時間、一番多くキャンディーを手に入れた人が勝ち」
 楽しんできてね‥‥
 その言葉を最後に、リデルの姿がふわりと消えた。
 音もなく開かれる学校の扉を前に、にぃっと口の端を上げるとキャンディーをポケットの中に滑り込ませた。



* * * Full Of Vitality Trick * * *



 目にかかる黒髪を指で払いのけ、ラン ファーは詰襟のホックを外した。外見年齢18歳程度、と言うか、実年齢も18歳なのでその部分は変わっていないのだが、今のランには普段とは明らかに違う部分があった。
 すとんと落ちた胸元に視線を落とす。普段ならばそこには豊満な―――と、言うのはあまりにも誇張しすぎだが―――胸があるはずなのに、今はない。金色に輝くボタンがずらりと並ぶ学ランはゴシック調で、学生服のくせに胸元には髑髏、腕や脚には何の意味があるのかは分からないが、ベルトがいくつもついている。
「安心しろ、大して変ってないから」
 ポンと肩を叩かれた先に視線を転じれば、自分と同じ制服に身を包んだ草間 武彦の姿。無論彼は外見年齢もランと同じ程度になっており、学ランを着ていてもなんら違和感はない。
「それは普段の私の胸が貧相だと言いたいのか‥‥?」
 ギロリ。緑色の瞳が鋭くなる。
 今でこそ彼だが、本来ならばランは彼女だ。しかも、18歳の乙女―――胸の事を言われてヘラリと笑っていられるほど天真爛漫な天然癒し系少女ではない。
「いや、そうじゃなくて‥‥。ほら、中性的な外見をしていると言うか‥‥」
 冷や汗を流しながら、ついでに視線も明後日の方向に流しながら、武彦がしどろもどろに言葉を繋ぐ。
 社会と言う名の戦場へと無防備で踏み出した彼は、数歩歩いたところで思い切り地雷を踏んでしまい、挙句乙女と言う名の敵兵に周囲を囲まれてしまった。絶体絶命大ピンチだ。
「武彦さん、セクハラはいけないわ」
 どこからか甲高い子供の声がし、ランは首を左右に振った。
 七色に光る豪華なシャンデリアが重たげに天井からぶら下がっており、見るからに高価そうなアンティークが所狭しと置かれた広間は中世ヨーロッパ風の荘厳な美を誇っている。
 部屋の片隅には花柄のカバーがかけられたソファー、壁際にはフレームに金の薔薇が施された鏡、足元を彩る赤い絨毯は毛足が長く、誰かがこの上を歩行しても音は全て包まれてしまう。無造作に並べられた高価な品と良い、いかにもセキュリティの甘そうな玄関と良い、泥棒の被害に遭わないか心配になってしまう。
 ランは声の主を探して顔を右に左に振ってみた。未だに視線が泳ぎ中の武彦と一瞬だけ目が合いそうになったが、思い切り無視して広間全体を見渡す。一通りグルリと見渡してみたが、声の主は見つからない。空耳かと思いかけた時、ランの脚に何かが当たった。
 足元に視線を転じれば、身長175cmのランの腰元に小さな頭が見えた。
「シュライン‥‥これはセクハラじゃなくてだな‥‥」
 艶やかな黒髪が靡き、少女が顔を上げる。外見年齢は5歳程度、整った顔立ちをした少女の瞳は綺麗な青色で、利口そうな輝きを放っている。
 武彦のしどろもどろの言い訳に、シュライン エマは可愛らしい顔をゆがめると、呆れたような表情で軽く溜息をついた。
 シュラインは実年齢は20を過ぎた立派な大人であり、こう言った表情も良く似合うクールな女性だ。しかし現在は小学校入学前のお子様であり、この年齢の子供にこういった表情をされるとかなり傷つく。自分はダメな大人なんだと、ネガティブな自己暗示に陥ってしまいそうだ。事実武彦も、死んだ魚の目のようにどんよりとした瞳で無意味に足元を凝視している。
「草間さんがセクハラだってー!冬弥ちゃん、どうするー!?」
「どうするもこうするも、本当にセクハラの場合は警察に連行だな」
 広間の奥、アンティークの椅子に座っていた金髪の少年が立ち上がり、明るい声を上げる。
 色白で華奢な彼は綺麗な顔立ちをしており、見た目は16歳程度、服装は学生服だったがラン達とは違い、ブレザーだった。ただ、ゴシック調な部分は変っておらず、彼の脚にも用途不明のベルトがいくつも絡み付いている。
 その隣に立ったのは赤茶色の髪をした20代後半程度の外見の男性で、金髪の少年と並んでいてもなんら違和感を感じない美形だった。
 金髪の少年が桐生 暁、その隣の男性が梶原 冬弥だ。街中でこの2人が並んで歩いたら、嫌でも人目を惹くだろう。
「草間さん、毎日カツ丼差し入れするからね〜!」
「いらんっ!」
 武彦が苦々しく怒鳴り、深い溜息をつく。
 縋るような顔でシュラインを見るが、小さなお嬢様はツンとすましたままだ。
「お前、草間を訴える気はあるのか?あるなら、良い弁護士を紹介するが」
 いつの間に隣に立ったのか、冬弥がランを見下ろしながら首を傾げる。遠くに立っている時はさほど感じなかったが、隣に立たれるとランよりも頭1つ分は高い身長に驚く。美形で高身長で、華奢ながらも筋肉がついているらしい体つきは綺麗だ‥‥人生楽勝と言う4文字が頭に浮かぶ。
 この容姿を武器に非合法な商売などしないで欲しいと、何故か彼の未来を案じてしまうランだった。
「いや。仏の顔も三度まで、私も三度くらいはチャンスをやれる」
「だとよ」
 良かったな草間と続きそうな笑顔で冬弥が武彦の肩をポンと叩く。遠目に見れば良い友情のようにも見えるが、している会話は良い友情など育めそうにないものだ。そんな微妙な2人の背後から暁がスルリと近寄り、冬弥が叩いているのとは反対の肩を叩くと、爽やかな笑顔を浮かべて親指を立てた。
「つまり、あと1回はセクハラしても許してくれるってよ」
「するかっ!」
 くわっと、般若のような表情で怒鳴り返す武彦。無邪気な高校生の発言に対して大人気ないにも程があるが、現在は武彦も高校生なため、五分五分と言ったところだろうか?
「ようするに、女性に対して発言する時は慎重にねってことね」
 腰に手を当て、人差し指を武彦につきつけたシュラインが上目遣いで睨む。高い位置で結ばれたポニーテールが揺れ、やや膝上のスカートがふわりと広がる。
 先生のような仕草は、普段のシュラインならばキマルのだが、今の彼女がやるとただ可愛らしいだけだ。
 武彦が苦笑しながら「気をつけます」と優等生な返事をし、シュラインの頭を優しく撫ぜる。
 クールビューティーな彼女は可愛らしいと言う自覚がなく、どうして自分が撫ぜられたのか、不思議そうな、それでいてちょっぴり嬉しそうな困った顔をしている。
「お待たせいたしました。なにやら楽しそうな声が聞こえておりましたが‥‥」
 重厚な木の扉を開け、しっとりとした淑女が顔を覗かせる。
 年の頃は40代半ば程、肩下まである髪を一本に緩く結び、左肩に流している。足首まである膨らんだスカートは深緑色で、骨が浮き出た華奢な手には豪華な指輪がいくつも嵌められている。
 マーサと名乗った彼女はこの学校のお菓子作り担当の教師で、今回のゲームの責任者だ。
「あのね、草間さんがセクハラで訴えられるところだったんだ!」
 暁がマーサの袖を引っ張り、自分に注意を向ける。まるでお母さんと息子のような関係だと微笑ましく思ったのも束の間、暁の年齢を思い出して笑顔が凍る。16歳の男の子が母親の袖を引っ張り、無邪気に話しかける―――きっと友達にはマザコンとのレッテルを貼られるだろう。最近の高校生は親子の関係に厳しい。
 小さな時はママと呼び、いつも後ろをついて来ていた可愛い息子はいつしかお袋と投げやりに呼ぶようになり、両親と一緒に歩くのなんて恥ずかしいんだよ!と、シャイなんだか何なんだかよく分からない主張をし、隣を歩くことすらも拒否する。人間の成長とは、斯くも寂しいものなのかなと、遠い昔を振り返っては可愛らしい息子の幻影と戯れる母親。現代社会が生み出した悲しき被害者だ。
「まぁ‥‥」
 目じりに寄っていた皺がなくなり、驚いたように目を見開くマーサ。そうしていると多少若く見える彼女は、綺麗な顔立ちをしている。
「違います!ちょっとした意思疎通の上でのミスと言うか‥‥」
「で、その‥‥誰にセクハラを?」
 上目遣いで尋ねるマーサ。確かに、ぱっと見この場にはセクハラをされて困りそうな可憐なお嬢さんはいない。
 お嬢ちゃんはいるが、まさか5歳の子相手にセクハラは‥‥。
 残った3人は男だ。もしかして本当にこの小さな女の子にセクハラを?マーサの瞳が軽蔑するような色に変わる。
 彼女はリデルが持って行ってしまった紙を見ていないため、誰がなんと言う名前なのかは知っていても、元がどんな人だったのかは知らないのだ。
「私にだ。私は以前は‥‥いや、この言い方は何か間違ってるな。ココに来る前は女だった」
「まぁ、そうなんですか?」
「見た目はあまり変わっていないがな」
 自虐的に呟く。横目でチラリと見るのは武彦の顔だ。武彦の視線が宙を泳ぎ、冷や汗がタラリと頬を滑る。
「‥‥綺麗なお嬢さんだったんですね?」
「うーん、過去形で言われると切なくなるな。心はまだお嬢さんだ」
「お前がお嬢さんな心だった日なんかあるか?」
 ポロリ。またしても武彦がよく考えずに発言してしまう。
「ペナルティ2つめ!」
「たーいへんだー!あと1回でも何かしたら草間さん、連行されちゃう!どーしよー、俺、今からカツ丼の作り方冬弥ちゃんに教えてもらった方が良いかな?」
 ビシリと指差すランと、はしゃいだ声を上げる暁。
 マーサの瞳が「あらあら」と言うように細められ、シュラインが小さく「慎重にって言ったのに」と嘆息する。
「別にカツ丼なんて作らなくても、出前取れば良いだろ。それか、レンジでチンか」
「冷たいぞ梶原!」
「‥‥優しくするだけの価値はない」
「同感だ」
 どうやらスパスパものを言うらしい冬弥に、ランが同じものを敏感に感じ取る。アイコンタクトを交わし、右手を上げる。パンと乾いた音を立てて手が合わさり、ここに草間武彦をからかい隊が目出度く結成されたのだった。
 武彦が何かを言いたげにパクパクと口を開閉しているが、何も言ってはならない。不用意に言葉を発すれば、ペナルティ3つ目となりレッドカード、即退場である。その退場が何処から何処へ退く事を示すのかは―――武彦の精神衛生上、詳しくは明記しないでおく。
「安心してね武彦さん。興信所は私がどうにかするから」
 無邪気な笑顔で残酷な事を言うシュラインは、彼を助ける気ゼロらしい。
 とは言え優しいシュラインのこと、武彦がピンチになれば手を差し伸べるのだろうが‥‥差し伸べた手がまだ届く段階で救うことが出来るかどうかは、草間武彦をからかい隊の手加減の仕方にある。
「お待たせしている間退屈されていないか心配だったのですが、お話が盛り上がっていたようで良かったです」
 クスリと優しい笑顔を浮かべた後で、マーサが入って来た扉を指し示すと胸元にぶら下がる金色の懐中時計の蓋を開けた。金色の蓋に彫られた文様が一瞬ランの視界の端を掠める。どんなものなのかよくは見えなかったが、高価な品だと言うことだけは分かった。
「コチラから先が会場となっています。今から1時間、どうぞお楽しみ下さい」



* * *



 ランは性格の欄に、素晴らしいの一言につきるとはっきり、キッパリ、嘘偽りなく書いた。更には名前の欄には、名前はラン、敬って呼ぶように、と矢印を引っ張って小さく書き足した。そのあたり、ランは良い性格をしていると言うことがよく分かる。
 良い性格イコール素晴らしいとも受け取れるため、やはりランは嘘偽りなく書いていたことになる。
 彼女―――今は彼だが―――は一通り校内を見て回ると、ふとある事に気が付いて足を止めた。
 シュラインは武彦と、暁は冬弥とペアを組んでいる。自分は1人だ。‥‥フェアじゃない!
 とは言え、今更そんな事を言ってもどうしようもない。誰か引っ張ってこれる人も思いつかない。2対2対1の勝負になってしまっているが、試合開始前に気づいたならばまだしも、戦いは既に始まっている。これは諦めざるを得ない。
 一瞬で頭を切り替えたランは、ガランとした校内を見渡した。4人は何処へ行ってしまったのか、物音1つ聞こえない廊下はどこかよそよそしい。
『優勝は私がいただいた!』
 と豪語して、どんな悪戯を仕掛けられるか楽しみにしていたまえ!と大見得をきって来たのは良いが、1人ではやはり寂しい。
「ささっと仕掛けをして他の連中を見つけてやるかな」
 あくまでも偉そうなランだったが、他の連中は見つけてほしいとは思っていないだろう。隠れんぼではないのだから‥‥
「しかし、悪戯と言われてもどうしたものか‥‥」
 悪戯と言われて真っ先に思いつくのは、道端にバナナの皮だ。
 それから、扉に仕掛けられた黒板消し、顔に落書き‥‥
「そうだ、バナナに黒板消しに落書き!これぞ王道中の王道だ!」
 王道すぎて引っかかる人がいるかどうかは微妙だが、王道すぎて引っかかると言う人もいるかも知れない。
 まさかそんなことやってないだろうと油断しているところをつく―――完璧な作戦だった。
「まずはバナナだな。マーサに言えばくれるんだろうか?」
 首を傾げながら、ランは厨房へ向かった。何か用があればここにいますからと言っていた通り、マーサは厨房で一生懸命何かを作っていた。
 甘い匂いから察するに、クッキーやケーキの類だろう。思わず口の中に唾液が溜まるが、それを胃に流すと厨房の中へ1歩、足を踏み入れた。
「あら、ランさん。どうしました?」
 白いエプロンの裾で手を拭い、マーサが顔を上げる。
「バナナをもらえないかと思ってな」
「バナナですか?」
 一瞬、それを何に使うのか分からないと言うような顔をしたマーサだったが、すぐに使い道に気が付くと表情を和らげた。
「丁度バナナは使おうと思っていたんですよ。皮で良いんですよね?」
「勿論だ。食べられる部分を粗末に扱うことは許さない」
 食べられるものは食べられるために存在するわけであって、遊ばれるために存在しているわけではない。
 ならば、食べてあげなければ可哀想だと言うのがランの意見であり、食べ物を粗末にするような輩は嫌いだった。1つの命―――例えソレが果物でも野菜でも、1つの命は命だ―――を奪っているのだから感謝をしながら食べなくてはならない。その命のお陰で自分はこうして生きていられるのだから。
「いくつくらい必要ですか?」
「そうだな、100個くらいあれば足りるか?」
「‥‥‥‥‥」
 マーサの手が止まる。
 困惑したような表情が、彼女の内心の葛藤を如実に物語っている。
 ―――100個も何処に仕掛けようと言うのかしら?もしかして、廊下一面にバナナの皮の絨毯を作ろうとしているのかしら‥‥?
 それでは引っかかる引っかからない以前の問題だ。バナナの皮からあふれ出す甘い匂いは校内を包み込み、甘い匂いが苦手な人ならば確実に失神するだろう。万が一その悪戯に引っかかり、バナナの皮の海を滑り渡り、中途半端なところで止まってしまった場合、動くこともままならずにボケっと1時間を過ごさなければならなくなる。
 彼もしくは彼女を救い出したい場合はバナナの皮を避けながら何とか近付くか、バナナの皮を取り除きながら近付くしかない。前者は近付いた後どうやってバナナの皮の海を戻るかが問題になり、後者は単純に面倒臭い。廊下の両端に無造作に押しのける方法もあるが、あまり美しいやり方とは言えない。ここは町内の清掃活動宜しくゴミ袋片手にバナナの皮を集めながら進むのが一番良いが、そんなボランティア精神豊富な人があのメンバーの中にいるだろうか‥‥?
「うん?足りないか?それじゃぁ、大盤振る舞いをして200個でどうだ!?」
 マーサの苦悩を知る由もなく、ランは誇らしげに右手でピースを作った。これが写真撮影ならば格好良く撮れただろうが、残念ながら今はそんな顔とポーズをされても戸惑うだけだ。
「あの、ランさん‥‥その、100個も200個も、何処に仕掛けるんです?」
「廊下か、もしくはどこかの部屋にでも置いておこうかと思うんだ。さり気無くな!」
「‥‥さり気無く、ですか‥‥?」
 100個ものバナナの皮をいかにさり気無く廊下や教室にまき散らかせるか―――そんなの無理だ。
 バナナだらけの教室は扉を開けただけで凄まじい異臭がしそうだし、黄色い絨毯に驚いて誰も部屋に足を踏み入れないだろう。
 廊下にいたっては、100個もばら撒かれていてはそこを通ろうとする気にもなれない。
「100個のバナナを剥いても、全部は使い切れないだろう?使わなかった分は皿の上に乗っけておけば私が食べるぞ」
「はぁ‥‥」
「私も手伝った方が良いか?」
「あの、本当に100個も使うんですか?」
 何を今更当たり前の事をと、キョトンとした顔。マーサは軽く目を瞑ると一呼吸置いてから笑顔を取り戻した。
「ランさん、まだ他の悪戯を仕掛けてないんじゃありませんか?」
「おぉ、よく分かったな」
「また後で来てくだされば用意しておきますよ」
「そうか、助かるぞ。じゃぁ、他の悪戯をセットしてからまた来る」
「えぇ、頑張ってくださいね」
 優しくそう声をかけたマーサだったが、多分一番頑張らなければならないのはランではなく彼女だ。



* * *



 教室から持ってきた黒板消しを扉の上部にさり気無く挟むと、ランは満足げに微笑んだ。その際、腕で額を拭くまねをしてみたが、汗など出ているはずもなく、やった後に妙な寂しさが胸に広がった。
「バナナの皮はまだ出来てないだろうし‥‥ふむ、どうするか‥‥」
 考え込むランの視界の端に、チラリと何かが映る。薄いガラスの向こうで話をしている2人組には見覚えがあり、ランは外に出る扉を見つけると足早にそちらに向かった。
「そっちはどうだ?」
「どうもこうもねぇよ。草間んとこは?」
「まぁまぁかな」
「お前ら、こんな所で何をしてるんだ?」
 煙草の箱を手に持った武彦が顔を上げ、その隣に座る冬弥も目を丸くする。
 外は風が冷たく、思わず男で良かったと安堵する。もしもランが通常通り女子高生の姿だったとしたならば、下はズボンではなくスカートを穿いていただろう。両脚を包み込む布があるのとないのとでは、体感温度はかなり違う。
「お前こそどうしたんだ?」
「不良2人組を見つけてな、来てみたんだ」
「不良って‥‥」
 困惑する2人の手には、細い煙草がまだ火をつけられていない状態で握られている。
「お前ら未成年だろうが!」
「いや、俺は成人してるし」
 そう言うのは武彦だ。優越感の入った視線を冬弥に向け、お前は?と尋ねるように口元を上げる。
「今は成人してる。草間は今は学生だろ?」
 優越感の入った視線を返す冬弥。過去なんて問題ではない、俺は今を生きているんだと、ちょっとハードボイルドな横顔ではあったが、ただの言い訳、もしくはただの揚げ足取りだろう。
「そうだぞ!お前は未成年だ!未成年の飲酒、喫煙はいけないんだぞ!」
「なら梶原はどうなんだよ、こいつはまだ未成年で‥‥」
「今は成人してるんだろ?」
 コクリと頷く冬弥。
 本来ならばどちらもダメだと言いたい所ではあるが、ランは草間武彦をからかい隊の一員だ。2人グループの内の1人を窮地に立たせるような酷いことは出来ない!‥‥身内に甘く他人に厳しい典型的な例だが、相手はなにせ草間武彦、隊名の通りからかえればそんな些細なことはどうでも良いのだ。
「なら問題ないだろう。草間は煙草禁止!そもそも、制服で吸おうというのが間違えてる!この‥‥風紀委員長のラン様の前で!」
 突然風紀委員になったランに、武彦がポカンと口をあけて固まる。
 間抜けな顔で止まる武彦に、内心の苦笑を悟られないように無表情を装いながら煙草を取り上げた瞬間、何かが背中に抱きついた。
「ねー、風紀委員サマ」
 柔らかな男の子の声に振り返れば、暁が媚びるような上目遣いでランを見上げている。
 160cmない彼と、175cmはあるランとでは目線の位置が大分違う。
 金色の髪をさらりと靡かせ、赤い瞳を細めながら、淡く色づいた唇を窄める暁。
 遠くで見ていても綺麗な顔立ちだと思っていたが、近くで見るとキメの細かい肌と良い、大きな瞳と良い、女心に複雑な気持ちを抱いてしまう。自身も十分整った顔立ちだが、性格面を含めると綺麗属性に分類されないランは、人から綺麗だと言われることは滅多にない。まして可愛いなどと言われようならば‥‥‥もしかしたら、鳥肌が立つかもしれないなどと乙女らしからぬ想像をしてしまう。
「ボタンって、いくつまで開けていーんですかぁ?」
 ランに巻きつけていた腕を放し、白い指が細い首筋を滑り、胸元をすっと撫ぜる。ボタンの開いたシャツから、白い肌が見える。
 1つめ、2つめ、3つめ‥‥
「そ‥‥そんなに開けてどうする馬鹿者めっ!」
 小悪魔系の男子高校生暁に、思わずたじたじになるラン。
 常に偉そうで常識と言うものがいまいちよく分かっていないランながらも、やたら官能的な彼の上半身をマジマジと見つめて、冷静に「ボタンは普通は1つまでだろう」などとツッコめなかった。
 思わず1歩引いてしまう。顔こそ赤くならなかったものの、何処を見て良いのか分からない。
 女の子がそうしているよりもよっぽど色気がある―――と思った瞬間、自分が女だという事を思い出し、妙な敗北感に奥歯を噛み締める。今現在が男だと言うのがせめてもの救いだ。
「えー、でも、ボク、いくつまで開けて良いのか分からなくってー」
 1歩下がればにじり寄ってくる暁に、変な汗が流れそうになる。
 助けを求めて武彦と冬弥を見れば、2人とも我関せずな様子で明後日の方角に視線を向けている。
 冬弥に対して、裏切り者!と内心で叫んでみるが、考えてみれば冬弥と暁はパートナーだ。武彦をからかう事に関しては同盟を結んでいるが、悪戯に関しては敵同士だ。
「1つまでだろ、普通!」
 声が上ずらないように注意しながら、暁を押し返す。
「で、なんでフーキイインチョーサマ、離れて行ってるんですかぁ〜?」
「ボタンを留めろ!話はそれからだ!」
「あれあれ?」
 暁がランの腕を振り払い、不意に顔を近づける。色っぽい紅の瞳がランの緑色の瞳をまじまじと覗き込む。
 長い睫は薄っすらと頬に影を落としており、薄く開いた唇からは真っ白が歯が見える。瞳を見ているのが耐えられなくて視線を下げたランだったが、瞳の下には形の良い鼻に柔らかそうな唇、その下には白い胸、更にその下は華奢な脚だ。自分の足元まで視線を落とさない限り、目の前の少年から目を逸らすことは出来ない。
 そんなに下を向いては首が痛くなってしまう。上を向けば良かったと、ランは途中で気がついた。
「な、何だ‥‥?」
「結構美形だね、フーキイインチョーサマ」
 視線を素早く上に滑らせる。青い空を見ようと思ったのだが、視線はにっこりと可愛らしい笑顔を浮かべる暁の顔で止まった。
 邪気のない笑顔はこちらも思わず微笑んでしまいそうで―――ふっと口元が緩むのが分かった次の瞬間、暁の瞳が悪戯っ子のものに取って代わった。
「ボクとイ・イ・コ・ト♪しない?」
「〜〜〜〜っ!!!なっ!!!」
 クネンとしなりながら顔を近づけてくる暁に、ランが思わず顔を引く。大げさに上半身をそらせた結果、足元がふらつき、後ろへ倒れこみそうになる。うわっと、声には出さないながらも心の中で叫んだ時、ポスリと温かい何かが背中に当たった。
「大丈夫か?」
「梶原か‥‥助かった‥‥」
「‥‥桐生は酒でも飲んでるのか?」
 安堵するランから少し離れた場所で、成り行きを見守っていた武彦が思わず言葉を挟む。
「ヤっだなー!草間さん、ボクまだミセーネン!」
「コイツは常にこのテンションだ。酒いらず、便利だろ?」
「冬弥ちゃん‥‥それは俺に対しての挑戦状と受け取っていーの?」
「何の挑戦もしてねぇだろーがよー!」
 溜息をつく冬弥から身体を引き離し、不毛な言い争いを続ける2人を尻目にそっと額に浮かんだ冷や汗を拭った。
「久しぶりに冷や汗をかいた‥‥。まさかこの私が悪戯にひっかかるとはな」
 苦笑しながらキャンディーを1つ暁に渡す。水色のセロファンに包まれているそれを受け取ると、暁がにっこりと純粋な笑顔を浮かべた。
「まさか本当にイーコトするわけないっしょ?だって、ランちゃん今は男の子だけど、女の子だしー。こんな人前で‥‥ねぇ?」
「人前だろうが人がいなかろうが、私は‥‥おい、ちょっと待て。ラン“ちゃん”とは何だ“ちゃん”とは!もっと敬って呼べ!私のが年上だろ?」
 クエスチョンを飛ばす先は武彦だ。ランは暁の本当の年齢を知らない。
「えーっと、確か桐生は17だったよな?なら、お前のが年上だ」
「そうなんだ!?えーっと、じゃぁランさん?」
「ラン様と呼べ!敬え!神の如く敬いたまえ!毎日私の幸せを10時間祈れ!」
「ンな無茶な‥‥」
 冬弥が遠い目をしながら首を振るが、ランはあえて視界から彼を排除した。
「んー、ラン様でもいーんだけど‥‥。‥‥‥にゃんとかの方が可愛い気がしない?ランにゃん」
 突然の切り返しに、目が点になるラン。どうも暁とは意思疎通が上手く行かない。
「お‥‥‥お前は人から“にゃん”をつけて呼んでもらって嬉しいと思うか?」
「えー、桐生にゃん?‥‥言い難いな。きりにゃん?‥‥それだと、キリ持って走ってる猫みたいでチョッピシ怖いよねー。あ!そうか、下の名前でもいーんだから、暁にゃん?結構いーじゃん!冬弥ちゃん、これから暁にゃんって呼んでくれる〜?」
「誰が呼ぶか阿呆」
「‥‥草間、私は桐生のテンションにいまいちついていけないんだが、何故だろう?」
「テンションの種類が違うんじゃないか?」
 スパーと、いつの間にやら煙草をふかしている武彦。
 色々な意味で妙な敗北感を感じながら、ランはそろそろ厨房に行ってみようとその場を後にした。



* * *



 長い廊下には相変わらず人影はなく―――校内にはシュラインがいるはずだが、見つからない―――ランは静寂に包まれた廊下を足早に歩いていた。タイル張りのそこは磨き上げられており、薄っすらと天井の様子が映っている。
「ここにバナナをばら撒くのは少々胸が痛いが‥‥まぁ、何とかなるだろう」
 キュッキュと上履きのゴムを鳴らしながら歩いている時、ふと教室内に人影を見つけ、立ち止まった。小さな人影は子供のもので、ランの知る限りそれはシュライン以外にはありえない。
 一生懸命何かを施しているらしい影は無防備で、ランはにぃっと口の端を上げると気配を消した。
 突然扉を開けて驚かすのも、王道中の王道だ。唐突に開いた扉に驚き、ビクリと震える小さな肩を思い、ランはそっとドアに近付くと一気に開けた。
 わっ!と声をかけようと息を吸い込んだ時、爆発音が室内に轟いた。咄嗟に身体を引き、室内から脱出する。
「一体何が‥‥」
 室内を眺め回しても爆発物はありそうにない。どこかが壊れたと言う事もなさそうだ。そもそも煙すら立っていないと言うのはどういうことなのだろうか?
 困惑するランの耳にクスクスと、小さな子供の笑い声が響く。すぐ近くで発せられているらしい声を頼りに、ランは振り返った。
 足元にちょこんと立っていたシュラインが、ごめんなさいねと大人びた顔で言うと柔らかく微笑む。
「あれは私の声。何も爆発なんてしていないから、心配しないで」
 小首を傾げ、上目遣いでランを見上げるシュライン。子供は好きでも嫌いでもないが、彼女は可愛らしいと素直に思う。
「‥‥そうか‥‥またしても引っかかってしまったな‥‥」
「あら?誰かの悪戯に引っかかったの?」
「桐生だ。予想外の展開だったと言うか、なんと言うか―――」
 ランの言葉を遮るように、ガラガラガッシャンと、どこかで盛大な音が響く。
 何か硬いものが床を跳ねる音と、大量の何かが床にぶちまけられる音に顔を見合わせるランとシュライン。
「何かしら‥‥?私、あんな音の鳴るものは仕掛けてないけれど‥‥」
「―――あっ、もしかして‥‥!」
 ふと思い当たることがあり、ランは走り出した。歩幅が狭いながらもシュラインが懸命について来る。
 廊下の突き当りを右に曲がった先、手前から数えて3つ目の教室の前で呆然と立ち尽くす武彦の姿があった。
 足元には無数の黒板消しが転がっており、銀色のバケツも1つ落ちている。手は扉にかけられたままの不自然な位置で止まっており、俯いた顔からは表情はうかがえない。
「これは一体‥‥」
「ふはは!引っかかったな草間武彦!さぁ、キャンディーをよこせ!」
「‥‥やっぱりお前が仕掛けたのか、コレ」
 怒りと諦め、複雑に絡み合った表情で武彦がキャンディーを1つランに差し出す。
「バケツの中に黒板消しを入れて落としたのね‥‥。それにしても、凄い数ね」
「いくつバケツの中に入れられるか、限界にチャレンジしてみたんだ」
「そんなチャレンジ精神は必要ない!」
「何を言うか。チャレンジ精神こそ大切なんじゃないか。人間、挑戦しなければ堕落する一方だぞ」
「だからってなぁ‥‥」
「まぁまぁ、そのことは今は置いといて、コレどうしましょう。このままにしておくのも邪魔よね」
 盛大な溜息とともに始まりそうなお説教をシュラインが直前で押し止める。3人の視線が廊下にばら撒かれた黒板消しとバケツに向けられる。
 悪戯を仕掛けたのはランだが、引っかかってぶちまけたのは武彦だ。どちらが片付けをするべきか、2人が言い争いを始める前に割って入ったのは、この中で最年少のシュラインだった。
 どうせ自分達の仕掛けは終わったのだからと、優しいシュラインが片付けを引き受けてくれる。現在は最年少だが、本当ならば彼女はランよりも年上だ。そして、精神年齢は確実に武彦よりも上だろう。
 ランはシュラインに“ダケ”簡単に礼の言葉を述べると厨房まで行き、マーサから袋一杯に詰まったバナナの皮を受け取った。
 厨房の片隅にバナナの実が山盛りに乗せられたお皿がいくつもあり、ランのお腹が空腹を訴えて鳴いた。
 時計を見ればあと少しでタイムリミットの時間だ。急がなければ、折角のバナナの皮が台無しになってしまう。
 お腹を優しく撫ぜて黙らせると、ランは人がいないのを確認してから袋に入ったバナナを盛大に巻き散らかした。
 むせ返るようなバナナ臭が廊下を包み、綺麗なタイル張りの廊下が黄色い絨毯で埋め尽くされる。バサバサと豪快にバナナを敷き詰め終えると、ランは満足そうに廊下を見渡した。
 右を見ても左を見てもバナナの皮だらけの廊下には、甘い匂いが漂っている。
「よし、これで終わり―――――だ、な?」
 ふとある事に気づき、足元を見つめる。自分の周り、半径1mほどは磨き上げられたタイルが見えているが、そこから先はバナナの皮の領域になっている。右を見ても左を見ても黄色い海が広がっており―――バナナの皮の孤島に1人取り残されたラン。
「ど‥‥‥どうなってるんだーーーっ!!」
 思わず叫んでしまう。これでは何も出来ない。自分が仕掛けた悪戯に自分がはまってどうするのか‥‥。
「どうしたの!?」
 パタパタと足音が聞こえ、シュラインが顔を覗かせる。バナナの皮に気づいて急ブレーキを踏み、その背中に激突する武彦。バランスを崩した2人がバナナの皮にダイブし、その直後に現れた冬弥はブレーキが間に合わずに突っ込んでしまう。派手な音を立てて転んだ3人が、自分の身に何が起こったのか瞬時に理解できずにジっとバナナの皮を見つめる。
「ちょっと、凄い音したけど、何があったん―――」
「うわっ!馬鹿!」
 走って来た暁がバナナの皮に滑り、武彦が慌ててシュラインを庇い、冬弥が倒れる身体を受け止める。見事な連係プレーだと、思わず内心で拍手を送ってしまうのは、一連のプレーに関係のないところで身動きがとれずにじっとしていたランただ1人だ。
「え?これ、バナナの皮?何でこんな沢山‥‥‥」
「で、ランさんはそこで何をしているの?」
 キョトンとする暁と同じく、未だに状況を飲み込めていないらしい武彦と冬弥が複雑な表情でランを見つめる。
 シュラインだけが、全ての物事を正しく理解し、そしてあえてランに質問をすると目を細めた。
「み‥‥‥皆が引っかかるのを待っていたんだ!」
「そんな、動けなさそうなところでか?」
 冬弥の鋭い突っ込みに、ランが明後日の方に視線を流す。武彦のマネではないが、視線の流し方と良いタイミングと良い、そっくりだ。
「てか、凄い量だよねコレ!中身はどうしたわけ?」
「厨房に置いてある。後で食べるか?」
「あはは!凄い量のバナナがありそうだー!楽しみ〜!」
「‥‥ま、一番インパクトのある悪戯だな」
 暁の明るい声をバックに、武彦がキャンディーを1つランに放り投げる。弧を描いて落ちてきたキャンディーを受け取れば、冬弥からも同じようにして投げられ、暁がシュラインと自分の分を2つ一緒にしてランに投げる。
「一番驚いた悪戯であることも確かね」
「まさかこんな撒くとは誰も思わねぇもんな」
「‥‥‥バナナってお肌に良いかな?」
「暁君、こんな所でパックなんてしないでね?」
 慎重に立ち上がり、バナナの海から抜けた4人が皮を左右に散らし、ランのために道を作っていく。あまり美しいやり方ではないが、まずは孤島に取り残されたランを救う事が大事だ。廊下清掃ボランティアは、マーサから袋を貰ってからやれば良い。引っかかった手前、皆協力してくれるだろう。
 無事に道が孤島と繋がった時、古めかしいチャイムの音が柔らかく廊下に響き渡った。



* * *



 マーサのお菓子作りを手伝いに4人が厨房へ入ってから20分ほど。ランは出されたクッキーを食べ、紅茶を飲み干すと、柔らかなソファーから立ち上がった。
 豪華な広間に置かれたいかにも高そうな小物を慎重に手にとって見ているうちに、重厚な木のドアが開いてポットの乗ったトレーを手にしたマーサが入って来た。
「出来上がりましたよ」
 マーサの後ろには山盛りのバナナが乗ったお皿を持った冬弥と暁の姿があり、武彦が丸いケーキを持って入ってくる。扉を押さえていたシュラインが厨房にとって返し、人数分のカップを持ってくるとマーサの前に置く。
「俺と冬弥ちゃんで残りのお菓子持ってくるから、マーサさん達は準備お願いしていー?」
「お願いね、暁君に冬弥君」
 アイアイサー♪と可愛く敬礼して出て行く暁の後を、冬弥が溜息まじりで追う。
 着々と準備が進められていく中、ランは所在無さ気に皆の周りをウロウロしていた。
 ジャック・オ・ランタンに見せかけた砂糖菓子が乗ったケーキは生クリームたっぷりで、等間隔に並んだイチゴもジャック・オ・ランタン風に目と鼻と口がつけられている。真ん中には『Trick and Treat!』とチョコレートの筆記体で流れるように書かれている。
 お菓子を取りに行っていた暁と冬弥が、マフィンとクッキーの乗ったお皿を持って帰って来る。
「今日の優勝は、ランさんです」
 マーサの穏やかな声がランの名を告げ、ランをケーキの前に立たせると暁とシュラインがその隣に、冬弥と武彦が更にその隣に、一列に並ぶ。
 ケーキナイフを持ったマーサがケーキに切り込みを入れようとして、ふと何かに気づくと顔を上げる。
「折角ですから、記念撮影でもしましょうか‥‥」
「マーサも入れば良い。バナナの皮を手伝ってくれたのはマーサだしな」
 ランの言葉に、マーサがポケットから鈴を取り出すとリンと1回だけ振った。パタパタと誰かが走ってくる音がして、木の扉が開かれる。そこには高校生くらいのメイド服姿の少女が立っていた。
「何か御用ですか?」
「写真を撮って欲しいの。お願いできるかしら?」
「分かりました」
 コクリと頷いた彼女は、手をパチンと叩くとゆっくりと開いた。チューリップが開花するように開かれる手の中に、無骨な黒いカメラが現れる。
「魔法か?」
「手品ってことはなさそうだよね‥‥」
 少女の手の大きさとカメラの大きさを交互に見比べ、暁がポツリとランの質問に答える。
「じゃぁ、皆さん撮りますよ」
 微笑めば可愛らしいだろう彼女は、無表情でそう言うとカメラを構えた。
 ランを真ん中にした一同が、思い思いのポーズをとって微笑む。おすまし顔でカメラを見つめるシュラインと、ピースサインを突き出して元気に微笑む暁。両サイドの正反対とも思えるポーズを横目に、ランは親指を立てると反対の腕を腰に当てた。
「はい、チーズ」
 カシャリ、聞きなれた音がする前に、何かがケーキの真ん中から飛び出してきた。
 七色の洋服を着た小さなそれは小人にしか見えない。しかしその顔はジャック・オ・ランタンとしか思えないようなものだった。
 不気味なジャック・オ・小人は元気良くケーキから飛び出すと、真っ直ぐにランの顔に向かって来た―――
「うわぁっ!!」
 驚いたランが目を見開き、1歩後ろに下がった瞬間、カメラのフラッシュが瞬いた。
「い‥‥今のはなんだ!?」
 眩しさに目を瞑り、開く。そこにはすで小人の姿はなく、ケーキにも何の異常も見られない。跳ね上がったランの心臓だけが、今しがた起こった信じられない光景を肯定するかのように勢い良く全身に血液を送り届けている。
「Trick and Treat!」
 明るい声に顔を上げてみれば、シュラインが、暁が、マーサが、武彦が、冬弥が、したり顔で笑っている。悪戯をされたんだと気づいた時には既に遅く、ポラロイドカメラは出来上がった写真を吐き出している。
「な‥‥な‥‥っ!!」
「よく写ってます」
 思いのほか低い声で少女が写真を手渡し、マーサに頭を下げると出て行ってしまう。
 木の扉を通り抜ける際にちらりと見えた横顔は、微かに口角が上がっており、やはり笑った方が可愛らしいなとしみじみ思ってしまう。
「あら、本当だわ。綺麗に写ってますよ」
「綺麗に写っている必要はない!おまえら、このラン様を騙したな!」
「騙したと言うか‥‥Trick and Treat!だ」
 武彦がしれっとした顔で呟く。が、横顔には押し殺したような微かな笑みがへばりついている。不自然な真一文字に引き結ばれた唇が震えている事からも、笑いを必死になって殺しているのは明白だ。
「‥‥草間武彦!絶対リベンジしてやるからな!首を洗って待っていろ!」
「何で俺を名指しなんだ‥‥」
「Trick and Trick!だからな!」
 ビシリ、ランの人差し指が武彦の胸に突きつけられた。



* * * その後 * * *



 よく沈むソファーで安らかな睡眠を貪っている草間武彦―――はたから見たらそう見えるだろうが、現在の武彦は強制的な睡眠に陥っているため、安らかかどうかは微妙なところであるが―――の隣に跪いたランは、悪戯っ子特有の無邪気で少し残酷な笑顔を浮かべると、何処からともなくマジックを取り出した。
 先ほどの少女には負ける手さばきではあったが、もしも見ている人がいたならば拍手を送ったことだろう。そのくらい、鮮やかな手さばきだった。もっとも、どこからマジックを出したのかは不明だが‥‥。
「有言実行、リベンジすると言っただろう、草間?」
 きゅっきゅとマジックが小気味良い音を立てながら、武彦の頬に渦巻きを、瞼に目を、額にカツ丼の文字を描く。
「ふむ、よく考えればコレも王道だな」
 満足げに自分のした仕事を見ると、汗も出ていないのに腕で額を拭った。こういうことは気分が大事なわけであって、この動作をする事によって心地良い達成感を味わえる‥‥気がする。もっとも、先ほどは妙な虚しさに胸を痛めたのだが‥‥。
 ガチャリとドアノブが回る音に顔を上げれば、冬弥がジャック・オ・ランタンを2つ抱えて入って来た。
「これ、お土産だとよ」
 ジャック・オ・ランタンはプラスチックで出来ており、ヘタの部分をパカリと開ければキャンディーやクッキー、金平糖が小さな袋に詰まっている。
「ふむ、美味そうだ。これもマーサが作ったのか?」
「そうみたいだ。シュラインと暁が詰めるのを手伝っていたぞ。‥‥それで?」
 眠っている武彦は良いとして、起きている自分は手伝わなくても良かったのだろうかと、妙な罪悪感が芽生える。しかし今日の優勝者はラン、つまりは主役だ。それに加え、武彦に悪戯をするという壮大な計画を成功させるためと思えば、少々の罪悪感はすぐに消え去ってしまう。
「それで、とは何だ?」
「どうして草間はそんな悲惨な顔してるんだ?」
「普段から比べれば大分男前になったと思わないか?」
「‥‥目も瞑れない男前がいるか?」
「瞼の上に目があるんだ、仕方がないだろう?」
 冬弥から受け取ったお菓子入れを脇に置き、もう1つを武彦の顔の横に置く。
「それにしても、よく寝てるな‥‥。俺だったら、顔に落書きされそうになった時点で起きるけどな。近くに人がいるとよく眠れねぇ」
「何を軟弱な事を‥‥。日本男児たるもの、道路の真ん中だろうが富士山の山頂だろうが、堂々と寝ろ!」
「どっちも死ぬじゃねぇか‥‥」
 冬弥が苦笑し、赤茶色の髪をかき乱す。
「まぁ、草間の場合は‥‥アレだ。少々眠りが深くなる秘密の魔法をかけておいたのでな」
「睡眠薬か‥‥」
 ズバリと物を言い当てた冬弥に、ランが唇を尖らせる。
「秘密の魔法だと言っているだろうが!夢のないやつだな」
「何でそんなの持ってたんだ?」
「偶々ポケットに入っていてな」
「偶々?」
 冬弥の茶色い瞳から視線を逸らす。またしても武彦と同じような誤魔化し方だと内心で苦笑してしまうが、武彦風でない誤魔化し方が思いつかないため、今のところ取れる術はない。
「‥‥ひ、秘密の魔法だと言っているだろうが!」
「秘密の魔法がポケットに入ってたまるか」
「いちいち細かい事にツッコミをいれるヤツだ。小姑か?」
 うっと胸を押さえて俯く冬弥。どうやら、触れてはならない傷口に触れてしまったらしい。
「‥‥ま、草間だしいーか。コレ、水性だろ?」
「勿論だ。悪戯は限度をわきまえねばな」
 得意げにドンと胸を叩いた時、武彦が小さく呻いた。ゴロリと寝返りを打ち、眉を顰めると薄く開いた唇から言葉にならない声を発する。
「コレ、草間が見たらどう言うんだろうな‥‥」
「あまりの男前さに泣いて喜ぶかもな」
「あまりの悲惨さにパニクると思うけど‥‥賭けるか?」
「勝算のない勝負はしない主義だ」
 ニヤリ、同士の笑みを浮かべると、ランと冬弥は武彦が目覚めるのを待った。
 ―――武彦が鏡を見てなんと言うのか、色々と想像をめぐらせながら―――



━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


 6224 / ラン・ファー / 女性 / 18歳 / 斡旋業


 0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員

 4782 / 桐生・暁 / 男性 / 17歳 / 学生アルバイト・トランスメンバー・劇団員


 NPC / 草間・武彦
 NPC / 梶原・冬弥


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 長らくお待たせいたしました!そして、かなりの長文になってしまいました‥‥すみません‥‥
 相変わらず可愛らしく豪快なランちゃんにどのように動いていただこうか、必死に悩んだ結果このようになりました。
 ランちゃんと冬弥はさり気無く同じものを持っているかなー?と、武彦さんからかい隊を結成していただきました!
 ヘタレな冬弥と豪快なランちゃんにからかわれる武彦さん‥‥ゴメンナサイと思いつつ、思いっきり遊んでしまいました。
 シュラインさんとのツインはほのぼのとした雰囲気で、暁君とのツインはちょっとランちゃんが押され気味になってます。
 押され気味なランちゃんは可愛らしくなるようにー!と念じながら書きました。
 全体的に明るく楽しげな雰囲気が出せていればと思います。
 ご参加いただきまして、まことに有難う御座いました!
Trick and Treat!・PCゲームノベル -
雨音響希 クリエイターズルームへ
東京怪談
2007年12月03日

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