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『a rainy day 』
千獣3087)&ズィーグ(NPC0711)

 ぽつりと落ちてきた雨は、あっという間に本降りとなった。
 昼日中のこととて往来は大慌てだ。買い物客は散り散りとなり、露店はたたまれ屋台は走り去り、開け放たれていた戸や窓は競うように閉められて、賑やかだった通りはしぶく水音に満たされた。
 千獣(せんじゅ)は目についた商家の軒先に駆け込んでいた。幸い買い出しの荷は濡らさずに済んだが、暫く動けそうにない。
 と、
「……あ、れ?」
 彼方から、妙な形の笠をかぶった細長い影がひょいひょいと近づいてくる。
 四角い“笠”が藤のバスケットだと見分けた時には、ぐっしょり濡れてもなおかさのあるエプロンドレスをまとった影は彼女の隣にいた。
「はいご免なさいよ、ちょいと私も雨宿りさせてくださいな」
「ズィー、グ……?」
「かような折に我が名を呼ばわるはたれぞ、って、あらら、千獣さんじゃありませんか、こりゃどうも」
 芝居じみた所作でバスケットを小脇に抱え、顔見知りのゴーストイーターが気安げににかりと笑う。
「あめ売り娘の姿でお会いするのは初めてですねえ、惜しいなあ、売り切れてなけりゃ是非とも召し上がっていただきたかったのに――はい?」
 軽い挨拶の後もじぃっと見つめ続ける千獣に、ズィーグは首をかしげた。
「あめについてご質問ですか? 成分製法は明かせないあたりがあやしいあめたる所以なんでひとつご勘弁――って、違うみたいですね」  
「……ねぇ、ズィーグが、食べて、いたのは……幽、霊……だよね……?」
「へ? ええまあ、私そういう生き物なんで」
「……幽、霊って……何……?」
 ぽつりと落とされた問いに軽く目を眇め、
「またいきなり核心に攻め込みますねえ。一体どうなさったんです? こないだ幽霊屋敷にご一緒したじゃありませんか」
「え、と……」
 言いよどむ千獣の言葉をさらうように、ざぁっと風が鳴り、ひときわ雨足が強くなった。
 
 幽霊屋敷――そう呼ばれる場所を、先日、彼女達は訪れた。
 屋敷を相続した青年の窮状を救うためであり、首尾は上々であった。
 ただ千獣としては困っている人がいたから助けたまでであり、『“幽霊”というものが屋敷にいて、どういったものかわからないけれど、とりあえず“それ”を追い出せばいい』程度の認識であったので、結局自分達が退治した、あるいは保護したのは如何なる存在だったのか、という謎は残っていた。
 ズィーグとの再会が、日常に取り紛れ遠ざかっていたその疑問を意識の表面に浮上させたのである。

「なるほど、だから食べていた、って過去形だったわけですね」
 訥々と語った千獣に、合点のいった顔でズィーグが頷く。ところが、次に出てきた言葉は予想外のものであった。
「正直、私にもよくわかんないんですよねえ。なにしろ幽(かす)かなみ霊(たま)と書いて幽霊ってなもんで。冥府のお役人あたりならきっちり説明できるんでしょうけど」
「冥、府って……それ、お芝居……だよ、ね?」
「すみません、昨日観たばっかりなんで、つい」
 はぐらかすつもりはないんですよ、とズィーグが頭をかいた。次いでうぅんと唸ると、足の間にスカートを挟んで地べたにしゃがみ、両肘を膝に置いて頬杖をつく。しばらくしてからもう一度唸り、ようやく言った。
「わかる範囲で言うならば、先だっての場合はそう……亡くなった――死んだ人間の中味、ですかね」
「……死んだ、人……」
「それも、本来行くべき場所に行かず、あるいは行けずにこの世に留まる“強い想い”でしょうか。そういう意味ではあなたが見つけてくだすったご先祖様の坊やも、私が食べちまった奥方様も等しくユーレイ、ですね。で、たちのよくない事をしかけてくる場合は特に悪霊と括る、と」
「……死んだ、人……」
 千獣は繰り返した。そして、ズィーグの答えがしみ込んだ後に残ったものを、再度言葉に直して問うた。
「じゃあ、私も、死んだら、ああ、いう、風に、なるの……?」
「さて、それは。“そのとき”にならなきゃわかりませんねえ。実際、守護聖人に出世するこそ泥もいれば、お化けになっちまう高僧もいますし」
「なりたく、なく、ても……なる、かも、しれない……? 私達……私が、たくさん、追い、出した、みたいな、もの、にも……?」
 ズィーグの沈黙は、肯定を表していた。
 誰もが悪霊となりうる――?
 背筋を氷の欠片が滑り落ちるような感触に慄然とした。
 幽霊屋敷に巣食っていた“悪霊”が脳裏に閃く。もつれとろけて個々の形すら定かでなくなった塊、腐れ崩れて漂う男、貴婦人たる生前とはかけ離れた姿で吼え猛る女――彼らの“強い想い”とはなんだったのだろう。ただ害意を発散するだけの存在に好んでなる者などいるだろうか。
 傍らにしゃがみ込んでいるゴーストイーターの表情は、頬に添えられた手に隠され、伺い知ることができない。千獣は彼女の銀色の頭、それから彼女が熱心に見ている無人の往来に目をやった。
 雨は地を潤し生命を育むが、ときに牙を剥くこともある。たとえば山を崩し川を溢れさせ――篠突く雨が敷石を洗い、あるいは隙間から土中に沈み、あるいは側溝で泡立ち流れゆく様を眺めながら、記憶の淵から蘇る彼女自身には覚えのない体験をごく自然に受け入れ、新たに得た知識に当てはめ理解した千獣は、不意に結論に至った。
 守りたい人達を守るためなら、いつなりとも。
 なおも守る必要があるならば、いつまででも。
 けれど、誰を守ろうとしていたのか、何のために散ったのか、それすらも忘れて、ただ眼前の生者を憎むのであれば――
「……もし、ああ、いう、風に、なる、の、なら……その、ときは……ズィーグ、食べて、くれる……?」
 肘のあたりで、はっと息を飲む音がした。
 ややあって発せられた声は別人のように暗く、低かった。
「……あなた、ご自分の仰ってる意味がおわかりですか……?」
 千獣もまた沈黙によって返答に代え、まっすぐに前を見据える。
「千獣さん――」
「死ぬ、こと、自体は……いい、けど……死んだ、あと、誰か、に、悪さ、する、ようなの、は、嫌、だから……」
 迷いのない、きっぱりとした口調に、ああ、この娘には本当に愛しい人が、大切な人々がいるのだな、とズィーグは思った。
 さもなくば、成れの果てとはいえ己の同胞を喜々として食らった自分にこんな頼み事はできまい。
 最初に出会ったときから、たった一つの身の内に信じ難いほど数多の命が渦巻きせめぎあう“匂い”は嗅ぎ取れていた。捕える檻でありながら囚われたものと同根であり、単なる器のように見えてその実、千の魂を統べる王でもある。
 彼女のゴーストはどんな味がするのだろう……
 一度たりとも考えなかったと言ったら嘘になる。なにしろ同族の誰もが満たされる量の糧では耐え切れずに共同体を離れて以来、あらゆる生命のおこぼれを求めてさまよい続けている身だ。かほど密にひしめく意識をまとめるたがが外れ砕けたならさぞかし、との夢想を浅ましいとは思わないが、厄介ではある。
 先程から見つめている先には、向かいの店の者がしまい忘れた樽があった。これだけ降っているのに、開いた口からいっこう溢れる様子がない。
 ……ありゃァあなたですか、それとも私でしょうかね?
 ズィーグは、傍らの知人を見上げた。
 千獣は、傍らの気配に視線を戻した。 
 色味の異なる二組の赤い瞳――躍動する生命の群れを宿した千獣のそれと、底なしに取り込む闇にも似たズィーグのそれが、かちりと合う。
「そのとき、は、よろしく、ね……」
「願わくは遥か未来のことなれど――御用命、確かに承りました」
 立ち上がったズィーグが、またしても芝居がかった仕草で深々と頭を下げた。
 幾分穏やかになった雨音に包まれながら、千獣は微かに口元をほころばせた。
 

PCシチュエーションノベル(シングル) -
三芭ロウ クリエイターズルームへ
聖獣界ソーン
2007年11月13日

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