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『流れ行く灯火は祈りを乗せて 』
藤野 羽月1989)&リラ・サファト(1879)&(登場しない)


 見上げれば、暮れかけた色に染まる空に一番星が輝いていた。
しかし、それは幼い日に見慣れたそれではない。季節や空気の汚れや街の明るさとありふれた問題以前の話だ。
幼い日を過ごした場所とこの場所はあまりにも違い過ぎた。鎌倉と呼ばれる羽月の故郷がこの世界にあるのかすら、青年は知らない。日本からの移住者が多いこの土地ではそれなりに故郷の息吹を感じる事が出来る為、普段は思い出さない日も多かったが、それでも懐かしく思い出す日もある。――例えば今日のように。
つい先日まで飾られていた七夕飾りのせいだろうか。どこかの風習だとかで川に流された小振りの笹の事を思い起こし、羽月は目を細めた。
 ここが故郷だったのならば、あの光景は見られないものだっただろう。
 それは、日本の川の問題でもあるが、何よりも側にいるその人の為でもあった。
 柔らかくウェーブする髪を揺らしてこちらを見上げる華奢な人――愛する妻。
 リラも、そして友人達も探し人であった親族も。今の羽月にこの上ない幸せをもたらしてくれる。
 勿論、それまで歩んできた道にも大切な人は何人もいた。様々な出会いを経ての今の幸せに、時折羽月はとてつもない幸福感を覚える。そして、別れた人の幸せを祈るのだ。ともすれば、軟弱なと思われかねない感傷だが嫌いではなかった。
 ここと故郷は遠い――おそらくは二度と戻れぬ程に。
 二度とわたれぬ境の向うにいる、幼い頃から愛しんできた場所、人達。
 そして流れ着いたこの世界で出逢い、別れた人達。
 願わくば、彼らが幸せであるように。願わくば、苦難の日々が訪れないように。
 しかし幸せを祈りようもない人もいる。二度と逢えぬ旅路に向かう人々に手向ける思いはなんであるべきだろう。
 取り留めもない思いを馳せていた羽月は控えめな足音が近付く事に気付き、振り返った。
「足元に気を付けて」
「大丈夫、灯りを持っていますから」
 鈴のような声がすぐに返る。振り向けば、手に小さなランプを持った妻がこちらへと向かってくる所だった。
 リラの手にした灯りが池の水面にきらきらと映える。その光景に羽月は何かが記憶をかすめたのを感じた。
「ああ。そうか。そうすればよかったのか」
「羽月さん?」
 唐突な言葉にことりと少女のように首を傾げたリラに羽月は小さく頷いた。
「少し買い物にいってくる。それから出かけようと思うのだが、構わないか?」
 羽月の言葉はたずねたかった事ではないだろう。不思議そうに目を瞬かせながらもリラは素直に頷いた。
「はい。じゃあ、出掛ける用意をしておきますね」
「頼む。ああ、でも、着替えは私が帰った後からにしよう」
 やはり意図の見えない夫の応えにリラはそれでもこくりと頷いた。


 リラがさほど待つほどの時間を経ずに、羽月は小さな舟を片手に戻った。
 片手で持てる程に小さな舟には、紙と木で組み立てられたらしい小さな箱が乗っている。上から覗き込めば小さなロウソクがその中央に座しているのが判る。ランプにしては舟の上に乗っている理由が判らないし、羽月がわざわざこれを買いに出かけた事を考慮すればただの灯りであろう筈もない。
興味津々にひとしきり覗き込むと、リラは不思議な舟の持ち主を見上げた。
「羽月さん、これは?」
「灯篭だ。これから精霊流しに行こうと思って」
「しょうろう、ながし?」
 聞きなれない単語に、リラがきょとんとするのを見て羽月はさて、どこから説明したものか、と僅かに悩んだ。
「日本では彼岸と盆には死者の魂が戻って来ると言われている」
「ぼんとひがん?」
「盆が夏で春と秋に彼岸がある」
 少し考えてからリラはにこりと笑った。
「じゃあ、今は盆、なんですね」
「そう、、そして盆の終わりに迎えた魂を送り出す送り火をする。こんな灯篭を川に流して死者達を黄泉の国へ送るんだ」
 手元の舟を示して羽月はとりあえずの説明を終える。リラは飲み込みがいい。だから、言葉が足りなければ彼女から尋ねてきてくれる。それが羽月には少しありがたい。
実際リラは説明の内容を吟味するように頬に手をあてしばし考え込むと嬉しげに頬を綻ばせた。わぁ、とため息のような嬉しげな声さえ落とす。
「じゃあ大切な人たちを送れるんですね。素敵ですね……」
「ああ」
 素直に喜ぶリラに嬉しさを感じながら頷くと、羽月は奥を示した。
「せっかくだから、浴衣を着ていこうか」
「はい! あ、でも少し待って。いえ、羽月さん、先に着替えていてください」
「どうした?」
 不思議そうに首を傾げた夫が手にした灯篭に手を伸ばしながら、リラは柔らかい笑顔を浮かべた。
「せっかくですから、お土産を持って帰って貰わなくちゃ。お花とお菓子と……ああ、果物は重すぎてダメかしら」
「舟が沈まない程度に頼む」
 困ったわとそれでも楽しげな妻に羽月は小さく笑いつつそう釘をさした。


 庭には丹精をこめた花々が月の光の下でささやかに咲き誇っている。さて、どれが良いだろうかと見回しながら歩くリラは、ふと、胸を抑えた。
 冷たい、体。人とは違う体。
 幸せで忘れてしまいそうになるけれど、リラは完全な意味で人ではなかった。かつては人ではあったのだけれど、最早違う。流れる時間すらも違う。
 だからこそ、今の幸せが愛しくて、切ない。涙がこぼれそうな程に幸せすぎて切なくなる時もある。そして胸の奥で父を思う。孤独を癒してくれた人を思う。
 ありがとう、と。
 今ある幸せはあなた達が導いてくれたもの。
 辛くて、苦しくて恨む思いもあったかもしれない。
 失う不安に、恐怖に、嘆く日もあったかもしれない。
 けれど、その苦しみの果てに今の幸せがある。
 例え、同じ時を生きることが出来なくとも、いずれ、定められた別れの日が訪れるとしても。
 後悔しないだけの幸せがここにある。
 それが切ない程、嬉しい。
 二度と逢う事が叶わぬ人達に心からの感謝を。
 ――そして。
 今隣にいてくれる、幸せをくれる人に、想う心の全てを。
 今日また一つ、リラは幸せを覚えた。
 もし、死が別つ日があったとしても、あなたはきっと私を迎えて送ってくれるでしょう。
 もし、死が別つ日があったとしても、私はきっとあなたを迎えて送るでしょう。
 人と違う時間を生きるのではない。例えその流れの早さが違うとしても、寄り添える。その幸せに。
 寄り添ってくれる人と出会えた幸運を、運命に。
 リラは心から感謝していた。今を構成する全てに。それまでの苦難の日々にさえ。
「だから、送らせて下さいね」
 私という時間が流れつづける限り。夏を迎える度に。
 灯篭に感謝の花を乗せて――。


 からからと軽い音を下駄が鳴らす。それにあわせるように、結い上げた髪から解けた青く細い後れ毛がゆらゆら揺れる。とても楽しげに。リラの心を映しているかのようだ。
 羽月さんとのお出かけはいつも幸せ。
 それはリラの常であるけれど。今日はそれにもう一つ。
 華奢な身を包むのはクリーム色の浴衣だ。あつらえたばかりの浴衣の上で可憐な紅型模様の柄が踊っている。
 初めて着る浴衣に心踊らぬ女性というのはまずいないだろう。リラもまた、嬉しげな笑みを自然に浮かべていた。
 嬉しげな笑みを淡くとも浮かべているのは傍らの青年も同じだ。
 妻の手を引き、ゆっくりと彼女のペースにあわせて歩く。そのリズムは淀みなく穏やかだ。身のこなしは武人ならではの隙のないものだが、不安にさせる何かなど欠片も感じさせない。
 時折、極自然に視線を交わし、笑みを浮かべあう二人の距離は極近い。しかしとても自然な距離だった。
 川べりに向かう二人に時折声がかかる。リラは笑顔を浮かべて。羽月はただ穏やかに。挨拶を返し歩く様はまるで昔からこの地にいたようだ。最早二人は異邦人ではなかった。この街の大切な住人、それが今の二人。
「ここから下に降りるか」
 リラの足元を気遣いながら、羽月が先に立って川に下りる。
 羽月が手にした灯篭は今やシンプルなそれではなく、花に飾られ、花に隠れるように可愛らしい形の焼き菓子が見え隠れする。リラお手製の灯篭となっていた。
 それを二人の手でそっと水面に降ろすと、羽月はそっと中央へ向けて舟を押し出した。
 リラは手をあわせて目を閉じている。それに習うように羽月もまた手を合わせた。
 揺れる灯りが川を下る。遠いどこかに灯りを運ぶ。
 この流れはどこへ行くのだろう。川を下り海に至り、想いは遠い人に届くだろうか。
 ――きっと届くだろう。見上げる空が違っても、想う心を忘れなければ、きっと。
「ありがとう。どうか、幸せに」
 囁き声のような願いの声が落ちる。
 遠い人には願いを。還らぬ人には感謝を捧げる。
「私達はとても幸せです。幸せに出会いました」
 愛しい人は勿論、愛すべき友人達にも、慈しみたい全てのものにも。
 出会えた幸せを、心から感謝して。
 二人は寄り添って手を合わせる。その顔はどこまでも穏やかで幸せで。
 降りてきた闇の帳さえ、二人を別つ事なく。
 ただ、祈りを捧げる。
 これまでの全てに。
 これからの全てに。
 静かで清らかなその光景を控えめに蛍が照らしている。
 ゆらりゆらりと頼りなくも消えそうな光が踊る。
 淡い余韻を残して消えた光は、祈りを終えて微笑みあった二人の姿をそっと闇に隠した。
 或いは何にも勝る輝きに負けを認めたのかもしれない。


fin.

 
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
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聖獣界ソーン
2007年10月19日

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