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『てのひらで雨宿り 』
シュライン・エマ0086)&草間・武彦(0509)&碧摩・蓮(NPCA009)



 雨が降っている事にも気が付いていなかった。
 シュライン・エマの瞳は、硝子越しに、店番をしている碧摩蓮の姿を映しているだけ。
 自分は誰かに話を聞いてほしくてここまで来たのだ。分かっているのに、ドアに手を掛けるのをためらう。
 人に話して、一体何になるというのだろう。蓮の手を煩わせ、気を揉ませるだけだ。そう思い直して、のろのろと踵を返す。
 ヒールの爪先が水溜りを蹴って、ようやく雨に気付いた。髪を伝った雫が目の縁に落ち、涙のように頬を伝って落ちる。
 ずぶ濡れのまま、わざと水溜りの中を歩き始めると、ドアベルの音がした。振り返ると、蓮がびっくりしたような顔をしてこっちを見ていた。
「ちょっと、一体どうしたんだい?」
 言い繕わなければと思った。蓮を心配させてしまわないように、笑顔を浮かべて。
「雨宿りできる所を探してたんだけど……」
 声がひどくか細くなってしまった。失敗した、と思いながらも唇の端を引き上げて、無理に笑みの形を作る。
「手遅れ、みたい」
 蓮は軽く眉根を寄せたが、詮索はしないでいてくれた。ただシュラインの腕を掴み、強く引く。
「とにかくお入り。そのままだと風邪をひいちまう」
 導かれて店の奥に入り、勧められるままシャワーを借りて、蓮が用意してくれた服に袖を通した。温かいココアをシュラインに手渡しながら蓮は言う。
「何があったのか知らないけど、びっくりさせないでおくれよ」
「……ごめんなさい」
 甘いココアが胸に染みた。その熱で、喉の奥につかえていたものが徐々に溶け出すようだった。
「調査から、外されたの」
 ぽつりと言葉を吐きだすと、ほんの少し心が軽くなる。
「手を出すなって言われたわ。……所長命令で」
 蓮は小首を傾げただけで、続きを促すでもなく黙って聞いてくれていた。シュラインは静かに息を吸い、訥々と話す。
 草間興信所に舞い込んできたとある依頼。シュラインだけがその仔細を知らされず、草間武彦に問うても何も教えてもらえなかった。
 草間が探偵として一歩を踏み出した時から、シュラインは彼のサポートを続けてきた。それはシュラインにとって、ささやかな誇りだった。草間の支えでいられる事が喜びだった。
 単なるスタッフの一員でも良かった。草間の傍にいられるのなら。なのに彼は、シュラインに知らせずにいる理由すら教えてくれなかった。それどころか、所長命令などという大仰な名目まで持ち出してシュラインを蚊帳の外に置いた。それがひどく悲しい。
 探偵としての草間に寄り添う事すらできない自分は、彼にとってどういう存在なのだろう。
 シュラインがそう呟くと、蓮は何かを思いついたように椅子から立ち上がった。
「ちょっと待ってな」
 店の方に消えた蓮は、小さな木箱を手に戻ってきた。彼女はシュラインの真向かいに座り、その蓋を開けて差し出して見せる。
 シュラインが覗き込むと、小箱の中は鏡で細かく仕切られていた。複雑な迷路のように入り組んだそれは、遊園地のミラーハウスのミニチュアみたいに見える。
 手をかざしてみると、鏡は像を乱反射させて不思議な図を描いた。風変わりな万華鏡のようだ。シュラインは蓮を見上げる。
「……これは?」
「迷いの小箱って呼ばれてる。悩みを抱えた人間がこの鏡の迷路を抜けると、真実に辿り着けるって話だ。もっとも、試した奴はまだいないんだけどね」
 蓮はそう言って蓋を閉じ、また開いた。シュラインはその中身を見て呆然とする。
「……さっきとは違う形の迷路になってるわ」
「そう。これはね、蓋を開け閉めする度に造りが変わるのさ。だから、外側から見た図形を憶えて挑戦するってのは不可能なんだ。……どうだい、試してみるかい?」
 シュラインは暫し悩んだあと、意を決してゆっくりと頷いた。



 小箱の蓋の裏に書かれた鏡文字を読まされ、蓮に言われた通りに目を閉じ、十を数える。
 目を開けると、シュラインはあの小箱の中にいた。床が淡く光って足元を照らしてくれているのが、外観とは違っている。
 天井──蓋はきっちりと閉じられ、微かな光も漏れ入ってはこない。
 シュラインは片手を壁に沿わせて進んでいく。この方法なら、遠回りながら確実に出口に辿り着ける。無論、例外もあるけれど、その場合は違う方法を試せばいい。とにかく出口に──真実に辿り着きたかった。
 だが、進めど進めど出口らしきものは見当たらない。目に映るのは、鏡の中の自分だけ。改めて見ると、我ながら迷子みたいに不安げな顔をしている。それに気付いてシュラインは思わず笑みを零した。これでは蓮も心配する筈だ。
「無事に、この迷路を抜けなきゃ、ね」
 けれどその笑顔も、二度目に出発点に戻った所で陰った。どうもこの迷路は、一筋縄ではいかないようだ。シュラインは分岐点ごとに、行き止まりに通じる道に目印を置く方法で、正しい道筋を確保する事にした。
 最初の行き止まりには髪留めを、次はネックレスを。更に眼鏡を手放した。最後には、ヒールを脱いでぺたぺたと歩き回る破目になってしまった。
「……これ、本当に出口はあるのよね……?」
 箱を覗いた時は小さな迷路に見えたのだが、実際に入ってみると全く感触が違う。これは手を焼きそうだと思い直した時、
「シュライン?」
出し抜けに名前を呼ばれ、シュラインは驚いて辺りを見回した。──何故、この迷路の中に草間の声が?
「どこだ? 返事をしろ!」
「武彦さん、ここよ!」
 大声で答える。だが、草間の耳には届いていないらしく、彼は何度もシュラインの名前を呼んだ。どうして自分の声は届かないのだろう、そう訝るシュラインの目の前の鏡がぼんやりと光り、草間の姿を映し出す。
 彼は血相を変えて、シュラインを探していた。声が割れるほどにその名を叫んでいた。やがて彼は、シュラインが目印に置いた髪飾りを見つけ、その場に膝をつく。
「……シュライン?」
 囁くように呼んで、草間は髪留めを拾い上げた。祈る形に指を組み、両手で包み込む。
「武彦さん……」
 シュラインは、鏡に映る草間の姿を指でなぞる。
 どうして彼がここにいるのかは分からなかったけれど、いなくなった自分を、草間はこんなにも必死に探してくれている。それを知る事ができただけで充分だという気がした。
 草間はすぐに立ち上がり、またシュラインの名を呼び始める。けして諦めないという強い光が、その目には宿っていた。彼はシュラインがしていたのと同じように、行き止まりに目印を置くという方法で道を探し始める。サングラスを置き、ジャケットを手放し、愛用のライターとなけなしの煙草を手放した。それでも彼は、シュラインの髪留めを握りしめて離さなかった。
 やがて草間は疲れたように、鏡に背を預けて呟く。
「……頼む。無事でいてくれ……」
「無事よ。ここにいるわ」
 シュラインは囁く。答える声は届かないと知っている。それでも口にしておきたかった。
「私はずっと、武彦さんのあとをついていくわ……」
 鏡に映った草間の背中に、コツンと額を押し当てる。
 その途端、鏡の迷路は銀色の光に溶けて消えた。



「最初に言っておいた筈だよ」
 シュラインが目覚めると、突き放すような蓮の声が聞こえてきた。
「この小箱の中には先にシュラインが入ってる。割り込みのあんたは二時間しか中を探索できないって。時間切れなんだから、いい加減諦めな」
「だから、もう一度入れてくれと言ってる」
 蓮と言い合っているのは草間だ。シュラインはゆっくりと身を起こす。自分は店の奥のソファに寝かされており、その傍らには迷路の中に置いてきたはずの品が置かれていた。ただ、髪留めだけがない。
「駄目だ。おとなしく、シュラインが自力で出てくるのを待つんだね」
「そう言ったって、もう深夜だぞ。他にあいつを助け出す方法はないのか?」
「ないね」
 あっさりと言い切る蓮に、草間がくってかかる。
「何だってこんな怪しい商品をシュラインに薦めた? もしもあいつが戻って来なかったらどうする気だ?」
「あたしは見せただけ。中に入ると言い出したのはあの子さ。責任転嫁はやめな、武彦。そもそもあんたがシュラインを爪弾きにしたからこうなったんだ。ちっとは反省するんだね」
 蓮の言葉はますます鋭く、そして冷たくなっていく。
「どんな事情があるのか知らないがね、あんなに尽くしてるシュラインを蔑ろにして、何の不利益も被らないとは思うんじゃないよ。あーあ、いっその事、あんたみたいな朴念仁、あの子に愛想尽かされちまえば愉快なのに」
「蔑ろにしたわけじゃない!」
 草間が激昂して机を叩いたのだろう、鈍い音がした。
「じゃあ、どうしてシュラインはあんなに落ち込んでたのさ。それこそ、こんな怪しい商品に頼りたくなるくらいに」
 草間の返答はない。
「あたしんとこへ来た時のあの子の顔、あんたにも見せてやりたかったよ。可哀想に、自分の存在意義が分からなくなったみたいに暗い顔してさ。あんたの今の苦悩なんざ、あたしから言わせりゃ当然の報いだね」
 暫くの間、重い沈黙が続いた。それを破ったのは草間の溜息だった。
「……それは本当に、自力で脱出可能な迷路なんだな?」
「少なくともあたしは、中に入って酷い目に遭った奴がいるなんて話は聞いちゃいない」
「おい、蓮。おまえ最初は、誰かが助けに行かないと、無事に出てくるのは難しいって言わなかったか?」
 シュラインは目を丸くして二人のやりとりを聞いていた。蓮がしれっと答える声がする。
「そんな事言ったっけねえ? とんと記憶にないけど」
「……さては、俺をハメたな?」
「さて、ね。さあ、うちももう店じまいの時間だ。とっとと帰んな」
 何やらガタガタと押し合うような気配がドアの方に遠ざかっていく。シュラインは店の中をそっと覗き込んだ。
「……蓮さん」
「おや、お目覚めかい?」
 蓮はニヤリと笑い、小箱を手にシュラインの前までやって来た。
「これは一体、どういう事?」
 答えずに、蓮は箱をひっくり返して見せた。そこには磁石らしきものが幾つかくっついている。
 続いて蓮は箱の側面を指さす。そこにうっすらと線が見える。そうして小箱は、線の所でぱっくりと開いた。
「……二段あるのね?」
「そう。あんたが入ったのは下の段。武彦が入ったのは上の段」
 言いながら、蓮は箱の裏の磁石を動かして見せた。それと連動して、下の段の迷路が作り変えられていく。
「……道理で出口が見つからない筈だわ」
「悪かったね。武彦が来るまで、あんたにはこの中で迷ってて貰わなきゃならなかったんだ」
 パタンと箱の蓋を閉じながら、蓮は言う。
「さっきまでの話はほとんど嘘さ。これは人間が出入りできるだけの、ただのミニチュア迷路なんだ。ただ幾つか仕掛けがある。下段はご覧の通り、外から手を加えりゃ、中の奴を一生閉じ込め続ける事もできる。上段は下段を鏡に映したものだから、中の奴の動きに合わせて作り変える事はできないけど、代わりに……」
 蓮が示す箱の背を見ると、僅かな隙間があった。彼女はそこから紙を取り出して見せる。
「ここに紙を一枚放り込んでやりゃ、下の迷路が上に映らなくなるから、好きな時に迷路の中から放り出してやれるのさ」
 言って、蓮は愉快そうに笑う。
「鏡の前に立った奴は、鏡の中の自分を意識するだろ? だけど、鏡の中に映る像には意識なんてないから、視線は合ってもこっちの事なんか見てやしない。だからかねえ、この小箱の下に入った奴には上の様子が見えるけど、上にいる奴から下は見えないらしい。……武彦の奴、相当慌ててたろ?」
「そうみたい」
 シュラインは小さく笑って答えた。それから、ふと疑問に思って訊ねる。
「ねえ、私の髪留めは、ひょっとして蓮さんが?」
「そう。ちょっとくすねて、武彦の所に放り込んでやったのさ。……見たかい? 随分と大事そうに握りしめてたじゃないか」
 揶揄するように言われて、ちょっと頬が熱くなるのを感じた。照れ隠しに笑って見せ、シュラインは言う。
「蓮さん、それ、やっぱり『迷いの小箱』よ。少なくとも、私の迷いは晴れたもの」
「へえ?」
 猫のような目を興味深げに光らせて、蓮はシュラインを眺める。
「私が分からなくなってたのは、武彦さんの考えじゃなくて、自分の気持ちだったような気がするの。たとえ報われなかったとしても、ずっと武彦さんの事を好きでいられるか、自信がなくなってたみたい」
 シュラインは小箱を愛しげに撫でた。
「でも、やっぱりどうしても好きなんだって再認識できたわ。……ありがと、蓮さん」
「あたしは何にもしちゃいないよ。そら、武彦の奴が待ってる。早く帰ってやりな」
 半ば追い出される形で、シュラインも店をあとにした。



 事務所に戻ると、草間はまだシュラインを待ってくれていた。
「……無事だな?」
「お陰様で」
 ドアをくぐった所で立ち止まり、シュラインは壁に肩をもたせかける。
「ねえ、まだ教えてくれる気はないの?」
 髪留めを片手に隠したまま、草間はだんまりをきめこんでいる。嘆息しながらシュラインは言う。
「私だってプロよ。れっきとした草間興信所の一員の筈だわ。なのにどうして何も知らせて貰えないの?」
 草間は頑として答えない。意固地なんだから、とシュラインは心の中で呟き、つかつかと草間に歩み寄る。
 椅子に腰掛けた草間の脚の間に膝をついて、その両肩を背もたれに押さえつけ、シュラインは正面から彼を見据えた。無表情を保っていた草間の顔に、困惑の色が浮かぶ。
「シュライン?」
 呼びかけに反応する代わりに、シュラインはぐんと胸を逸らし、その反動で草間の額めがけて思いっきり頭突きを喰らわせた。
「……っ!」
 痛みのあまり声も出ず、そのまま机に突っ伏す草間を見下ろし、腕組みしながらシュラインは言い放つ。
「手を出すなっていう所長命令だったから、頭を出してみたわ」
 自分もかなり痛かったのだが、それを悟らせない平然とした口調で言えた。
「武彦さんの、石頭」
「……おまえを煩わせるほどの依頼じゃないだけだ。頼むから何も訊くな」
「いつもなら迷子猫の捜索にだって駆り出すくせに。説得力ないわ」
 丸め込められてやる気などさらさらない。シュラインは畳み掛けるように問う。
「私はそんなに信用ない? もう武彦さんの力にはなれないの? だったらはっきりそう言って貰ったほうがよっぽど楽よ。どうなの?」
 互いにじりじりと沈黙を戦わせるうち、草間が音を上げたように溜息をついた。
「……分かった。話す。だが、手を出さないと誓えるか?」
「内容によるわ。下手にごまかしたりしたら、今度は脚が出るかもよ」
 射殺すような視線に気圧されたのか、草間は軽く肩を引き、諦めたように机に片肘を突く。
「依頼人は老夫婦。事故に遭って両親を亡くし、重傷を負って大手術を控えた孫娘を励ましてやって欲しいそうだ」
 シュラインは小首を傾げた。どうしてこの依頼の話を、草間が頑なに伏せようとしたのかが分からなかったからだ。
「方法は簡単。霊媒師に両親の霊を降ろし、二人の言葉を孫娘に伝えるだけ……だったんだがな」
「何か問題があるの?」
「母親の霊が、どうしても霊媒師の体に降りてこられないんだ」
 草間は机の上で指を組んだ。その手の中にはシュラインの髪留めが握られたままだ。彼は暫く黙り込んだあと、何か繊細なものを扱うような口調で言った。
「母親は──失語症だったらしい」
 その一言で、シュラインは全てを悟った。草間は自分の事を心配してくれていたのだ。
 その気持ちはとても嬉しい。けれど、心配の仕方を間違えている。シュラインは毅然と顔を上げて言った。
「私の体に降ろせばいいわ」
「言うと思った。俺は反対だ。おまえは霊媒師じゃないし、何より……」
「母親と同調する事で、私がまた言葉を失うかもしれないって考えてるのね」
「……そうだ」
 草間は手に力を込める。迷路の中で、必死の形相で自分を探してくれていた彼の姿が思い出され、シュラインは微笑む。
「大丈夫よ。試すだけでも試させて。きっとうまくいく気がするの」
「危険すぎる。分かってるのか? うまくいったとしても、おまえは辛い過去を生々しく思い出す事になるんだぞ」
「いいの。私はもう乗り越えたもの。平気よ」
 それは半分嘘だ。言葉を失う辛さも、世界から隔絶されたような孤独感も、きっと一生忘れられない。それでも。
「母親の霊が降りてこられないのは、霊媒師が『霊の言葉を生者に伝える存在』だからよ。言葉を失った人は、きっと気後れして降りてこられないんだわ。その点、私なら絶対にうまくやれると思うの」
 草間は渋い顔をしたまま答えない。シュラインは彼に迫り、言葉を重ねる。
「心配しないで。それに、私はちゃんと知ってるもの。たとえ言葉を失くしたとしても」
 胸に手を置き、片手で草間の指に触れた。縋るように髪留めを握りしめた指に。
「心は消えたりしないって。だからお願い。私を信じて」
 草間は眉間にしわを寄せたまま目を閉じ、やがて諦めたように溜息をついた。
「分かった。おまえに任せる。だが、無茶はしてくれるなよ」
「ええ!」
 シュラインは輝かんばかりの笑顔で答えた。草間はそれを見て、ちょっと眩しそうに笑って、シュラインの手に髪留めを握らせた。



 数日後、シュラインはケーキを三つ焼いた。ひとつは無事に手術を終え、退院を待つばかりの依頼人の孫娘の為。もうひとつは世話を焼いてくれた蓮の為。最後のひとつは勿論、依頼遂行祝いである。
「心配してくれるのは嬉しいけど、もう二度と、私を任務から外したりしないでね」
 切り分けたケーキと、特別丁寧に入れたコーヒーの乗ったトレイを片手にシュラインが言うと、草間は苦笑混じりに答えた。
「そうだな。また頭を出されちゃかなわん。……効いたぞ、あれは」
 シュラインは澄ました顔で、彼の前にお皿を並べる。
「武彦さんが悪いのよ。所長命令なんてお題目までつけて、手を出すなって言うんだもの。反撃のひとつもしたくなるのが人情だと思わない?」
「分かってる。悪かった。誓って言うが、おまえを信用してなかったわけじゃないんだ」
 草間は珍しく口ごもった。
「……何と言えばいいんだろうな。その、……つまりだな」
 言いあぐねて考え込んでしまった草間に向かって、シュラインは笑う。
「いいのよ。何も言ってくれなくても」
 そうしてくるりと背中を見せて、艶やかな黒髪を束ねた髪留めを指さす。
「武彦さんの本心は、この子がちゃんと知ってるもの」
 あの迷路の中、最後まで手放さず、ずっと手の中で大切に守ってくれていたもの。草間はそれから視線を逸らした。そうして赤い顔で毒づく。
「くそ、蓮、あの女狐め……」
「私にとっては恩人よ。そんな言い方しないであげて。それに蓮さん、武彦さんに謝ってたわ」
 意外だったのだろう、草間は目を瞬かせた。
「騙し討ちにあわせた事をか?」
「ううん。愛想尽かされちまえ、なんて言って悪かったって」
 だって、シュラインに愛想尽かされちまったら、武彦みたいに生活能力のない奴、野垂れ死ぬのがオチだよねえ──蓮はそう言って、高らかに笑ったのである。
 それを聞いた草間は顔をしかめたが、すぐに真顔になって呟く。
「まあ、確かにそうかもしれんな」
「そう? そんな事ないと思うけど」
「いや、というよりも、いつも隣にいる筈のおまえがいないと、やっぱり俺も落ち着かないらしい」
 言って、草間は右手を差し出した。握手を求められているのだと気付き、シュラインはそれを握る。あの時、彼の手の中で守られていた髪留めと同じ温度の。
「頼りにしてる。改めてよろしく、相棒殿」
 その言葉に、シュラインは迷いのない、晴れやかな笑みで答えた。




■登場人物(この物語に登場した人物の一覧)■

【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】

【0086/シュライン・エマ(しゅらいん・えま)/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
結城 菜野 クリエイターズルームへ
東京怪談
2007年09月28日

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