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『鬼の鬼ごっこ 』
神代・晶6596)&(登場しない)

 曇り空に、夜の帳が落ちる。時は九月、妖しく湿った空気の中、どんよりと重い生暖かさが肩に圧し掛かっている。田舎染みた線路沿いに人気はなく、音と言えば囁くように蟲が鳴くのみ。こんな陰湿な夜に『奴ら』がじっとしているはずもない。呪われた鬼の力に誘われて『奴ら』は必ずやってくる。
 神代・晶(かみしろ・あきら)は、眉を寄せて空を見上げた。
 部活で遅くなった。夜には危険が増すだろうとは思っていたが、仕方がない。ある一点を除いて普通の学生である自分が、その生活を満喫しようとして何が悪いのだ。その一点と自分は、本質的には何の関係もないのだから。
 早く帰ろう、急げば、変なものに捕まったりしなくて済むかもしれない。
 不安を振り払って歩き始めたその刹那。今まで存在もしていなかったはず人影が、自殺志願者のように線路の方を眺めながら立っていた。ぞっとして、ぴたりと足が止まる。妖しい気配。歳の頃は自分と同じ十七、八。可愛らしい一人の少女――
「あらもう、お帰り? 気が早いのね。夜はまだ始まったばかりなのに。あたしと、遊ぼうよ」
 線路を眺めたまま、見向きもせずに少女は言った。凛とした、冷たい声音。高飛車な態度。
「……誰?」
「あら、つまんない答え。まともな退魔師だったら、もうちょっと気の利いたお返事をよこすわよ?」
 退魔師……。ということは、聞きなおすまでもない。『奴ら』の一人。否、一匹だ。うんざりしながら、晶は言った。
「つまんなくていいよ。私は、帰りたいんだから。通してくれる?」
 少女はくすくすと笑って、初めてこちらを向いた。口元に、微かに鋭い牙が覗く。
「で、通してあげると言ったら、ここを通ってくれるのかしら? 無防備にあたしに背中を向けて? あたしとしては大歓迎よ?」
 骨を鳴らすような音と、肉が割れるような湿った音が重なった。少女の手から、血に濡れた長い爪が、それ自体生き物のようにゆっくりと伸びる。にやけた口が裂けるように広がり、どす黒い殺気が背筋に走ったのを感じた。
 逃げなければならない。直感的にそう感じた晶は、踵を返して全力疾走した。甲高い奇声が響く。すぐさま、人間のものとは思えない獣染みた足音が、背後に張り付いてきた。



 息を切らしながら駆け込んだ、人気のない公園。たむろする不良さえいない。晶は周囲を見回し、何もいないことを確認した。
 心臓の跳ねる感覚が胸に痛い。背筋にへばりつくような執拗さで追跡してきた足音は、いつの間にか消えていた。上手く撒けたのなら良いのだが。一抹の不安は拭いきれない。
「なんにせよ、早めにうちにもど――」
「つーかまーえた……」
 一瞬の硬直。振り返る。裂けた口でにんまりと笑って、ザトウムシの足のように長い爪を大きく広げて、あの少女が立っていた。
「『鬼』ごっこにも飽きたからさァ。先回りしたんだけど、待ちくたびれちゃったよォ」
「どうしても、喧嘩したいわけね……」
「喧嘩ァ? あたしはただ、アンタをずったずたにして、その魂、喰べちゃいたいだけェ……さあ、次はアンタが『鬼』だよぉ?」
「あんまり使いたくない力だけど、そこまで舐められちゃ腹も立つわね……私は、あんたに喰われるためにいるんじゃない!」
 晶が叫ぶと同時に、その右腕が変質した。地面まで届くかという長大な黒腕。開放された鬼の腕が振り下ろされ、少女が立っていた地面を抉る。普段の自分の力とは比べ物にならぬ衝撃が肩に走った。普通の人間ならば一撃で死ぬほどの一撃。ただし、標的は舞うように上空へと跳んでいた。
「アハハ! ほら、『鬼』さんこちら」
 自分の上に圧し掛かるように飛び掛ってきた少女が、長い爪でわき腹を抉る。内臓に届くほどではなく、しかし激しい痛みを感じる程度に。熱が走り、痛みが湧き、晶は歯を食いしばりながらも、それを牙に変えた。
「舐めるなって、言ってんでしょ!」
 喰らい付こうとした一撃を、少女はふっと首を捻ってかわす。直後、平手打ちが頬に当たり、自分を突き飛ばした。
「あらあら、自分の力の使い方も知らない相手に、舐めるなって言う方が無理あるんじゃないのぉ? ほら、捕まえてごらんなさーい」
「……くっ!」
 振り払った右手は、跳び避けられた。転がり込むように少女の影が脇を通り過ぎたかと思うと、右肩に灼熱の裂傷が走る。思わず、声を上げた。
「にっぶい、反応ォ。そっちこそ舐めてないで、真面目にやってよぅ」
「私だって……望んでこんな力、手に入れたわけじゃない!」
 一撃は、再び空を切った。背中に紅い筋が刻まれる。痛みが、走る。
「あはは、そーなの。逃げ回る子猫を捕まえられない『鬼』さんもいるのねえ? 舐めてるわけじゃなかったのねぇ? ごめんねぇ?」
 右腕が大地を抉る。当たらない。相手の蹴りが胴体を捉える。胃が詰まる感覚がして、地面に叩きつけられる。
「ぐ……ふっ!」
 どうして、こんな?
「……望んだ、わけじゃない、のに」
 どうしてこんな連中を相手にしなければならないのか。こんなことをされなければならないのか。こんな理不尽に耐えなければならないのか。
「うふふ、うぶね、可愛らしい。申し訳ないけど、あたしにとっては、あなたの都合なんかカンケーないのよねぇ」
 がむしゃらに手を振り回す。相手がどこにいるのかもわからないうちに、右の腿を裂かれた。スカートの破片が舞い散る。桜の花びらのように。
「い、っ! ……あああっ!」
「大丈夫よぉ。あなたの背負った運命……永遠に続く鬼ごっこも、今夜でおしまい。あたしがしっかり、喰べてあげるから、ね」
 痛い……痛い……酷い、酷い、酷い。理不尽だ。どうして? 納得がいかない。許容できない。理不尽が憎い。理不尽をもたらす奴が憎い。
 血だまりに膝を付く。再び背中に、血飛沫が飛ぶ。遠くで上がった悲鳴。それが自分のものであることに気付くまで、数秒掛かる。
 憎い、憎い。コイツが……――憎い。
 晶の意識はゆっくりと薄れつつあった。



 暗い視界。心地よい、暖かな暗闇。それがゆっくりと覚醒して、薄らぼんやりとした感覚が五感を呼び覚ます。
 どこかの場所、どこかの風景。記憶にない。それなのに、私はここを知っている。
 ――……憎ければ、殺してしまえばいい。
 逃げ惑う人々。その躯が、吹き飛び、弾け、血飛沫が舞う。炎が揺らめき、血潮を舐める。見えるものと言えば、ひたすら紅。
 ――気に喰わなければ、壊してしまえばいい。
 何者かが頭の中に語りかけてくる。記憶の中、聞こえるものは悲鳴と怒号、鳴き声とうめき声。雄叫び、断末魔。
 ――生きたいなら、叩き潰せばいい!
 殺戮の風景。その真ん中に嬉々として立つ、黒い鬼。これは私。あれは私。
 私は憎い。私は気に喰わない。私は……生きたい。
 ――ならば、目を覚ますがいい!
 鬼の声が言った。



「あらあら、もう動けなくなっちゃったの……じゃあ、そろそろ終わりにしてあげる」
 少女はへたり込んだ晶の後ろに回ると裂けた口を元に戻し、艶然と微笑んで言った。
「良かったわねぇ。これでもう自分の運命を嘆かなくてもいいわ。それじゃあ、さようなら……」
 そう言って、少女が腕を振り下ろす。その一撃は確実に晶の首を捉え、脈は愚かそれ自体を胴体と切り離した……はずだった。
「……なっ?」
 切られる寸前、血まみれの顔を上げて、晶が咆哮していた。生え揃った牙の間から、腹の底まで痺れるような叫びが、少女の躯の自由を奪う。鋭利な爪は、晶の首元に僅かに触れたまま、動きを止めていた。一筋の血が垂れて、落ちる。しかし、どんなに力を込めても、躯がぶるぶると震えるばかりで、それ以上先に腕が行かない。
 ……う、動けない?
 困惑する少女を尻目に、晶が立ち上がった。ゆっくりと振り返る。縦に裂けた瞳孔が曇り、まるで感情の所在を感じさせない。
「ア、アンタ、何をし――」
 いい終わる前に、躯が引き千切れるような衝撃が走り、少女は弾き飛ばされていた。胃の内容物が逆流し、飛びながら吐く。地面を転がり、何が何だかわからぬまま動きを止めたときには、最初に立っていた場所から十メートル近く吹き飛ばされていた。
「『鬼』ごっこ、とか言ってたよね……」
 冷たい声で、晶が言う。背筋に冷たいものを感じて、少女は地面を這うように後ろに下がった。すぐさま、血を吐いた。腹部にあの右腕の一撃をもらったのだ。内臓の多くを破壊され、まともに動くことも出来ない。逃げられない。
「だったら、終わりにしてあげるよ」
「ま、待って……やめて。あ、あたしの負け。悪かった、悪かったから」
 せせら笑うような笑みを浮かべて、晶が歩み寄る。縦に開いた瞳孔の奥に、ちろちろと憎悪の火が灯っていた。その右腕が、ゆっくりと振り上げられる。
「あ、お……お願い、やめて。ゆ、許して、お願――」
「つーかまーえた」
「やめてぇぇぇぇ――!」
 腹の底まで冷えるような響き。晶の目が笑い、腕が落ちる。絶叫は、濁った音でかき消された。



 肉の裂けるべとついた音。骨の砕ける鈍い音。苦悶の呻き、苦痛の悲鳴。全てが交じり合い、溶けて合わさる。後に残ったのは、紅い色をした何かと、人間を形作っていたような残骸。そして、高笑いに息を切らせる、黒い影。晶という少女の形をした、鬼の姿。
 ひとしきり笑った後、鬼の気配はゆっくりと薄れ、晶としての意識が戻ってくる。
 そのはずが、酔っ払ったようにぼうっとして、目の前の惨状を見ても何も感じない。いや、むしろ、恍惚とした妖しい魅力を感じる。血の臭い。血の匂い。かぐわしい、血の――
「違う……私は、まだ――」
 頭を振って、妖しい誘惑を振り払うと、晶はふらふらと公園を後にした。
 私は、まだ、人間だ。
 痺れたような心に、虚ろに響く。しかし、まだ信じられる。いずれ、自分がしたことに対する嫌悪も、戻ってくるだろう。その時には、酷い思いをするに違いない。それでも、いや、だからこそ私は人間。人間だ――



 ――……まだ。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【6596/神代・晶(かみしろ・あきら)/女性/17歳/高校生】



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■         ライター通信          ■
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 晶様、ノミネートありがとうございます。一年ほど前に体調を崩してから、ここしばらくこちらの仕事は休養していたのですが、ご依頼が魅力的な内容だったこともあり、久しぶりにこちらで筆を取らせていただきました。

 今回はダークに戦闘重視、とのことでしたので、弄り弄られる攻防に心情描写を織り交ぜながら、重い雰囲気で描いてみました。非常にストーリー性の高い受注内容でしたし、短くまとめられるようにも作って頂いていたので、構成は上手く行ったかなと思っております。

 心残りは、晶様自身の口調や物腰がわかりづらく、台詞回しや行動の大部分をこちらのイメージのみで作成することになってしまった点です。お客様のイメージに沿えたかどうか、少々不安を残してしまいました。以後、精進してまいります。

 気に入っていただけましたら幸いです。それでは、また別の依頼で会えますことを、心よりお待ち申し上げております。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
ケエ クリエイターズルームへ
東京怪談
2007年09月18日

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