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『 【江戸城】サバイバル鬼ごっこ 』
シオン・レ・ハイ3356



 時間と空間の狭間をうつろう謎の時空艇−江戸。
 彼らの行く先はわからない。彼らの目的もわからない。彼らの存在理由どころか存在価値すらわからない。
 けれど彼らはその狭い挺内に謎の江戸世界を凝縮して、時間を越え、空間をも越え放浪する。
 その先々の住人たちを、何の脈絡もなく時空艇−江戸に引きずりこみながら。


 江戸艇第一階層に広がる江戸城。
 そこにおわす将軍様の独断と偏見で納涼花火大会が催される事になったが、ただ花火を楽しむだけでは面白くない。そんな次第で少し趣向が凝らされて、本丸――一部、中庭なども含む――を舞台に鬼ごっこをする事になった。
 落とし穴をはじめ、いろんなトラップの施された江戸城本丸を生き残りをかけて駆け巡る。
 最初の鬼はばってん羊。
 特殊能力の使用は不可。装備の持ち込みも不可。玄関に用意されたエセ武器だけが頼みの綱となる。但し、城内にある武器は刀でも本でも花火でも自由に使用してよい。
 鬼に攻撃されると手首に付けられたバンドがダメージを記録。これが一定の値を超えると【DEAD】だ。【DEAD】した者は鬼となり、他の生者を襲うもよし。愛する者を守るもよし。
 果たしてこのサバイバル鬼ごっこを制し、豪華和菓子をゲットするのは誰だ!?





 》生存者...12《

 東の空が白み始め、明け六つの鐘と共にその鬼ごっこは始まった。
 最初の鬼であるばってん羊が、江戸城表門でウォーミングアップでもするように屈伸運動をしている。
 参加者は既に城内に散っていた。



 江戸城表向、東側に並ぶ幕閣らの執務室をシュライン・エマは興味深げに覗いていた。人はいないらしい。この鬼ごっこの間、不参加の者たちは出払っているのか。江戸城なんて滅多に来られる場所ではない。誰もいないのをいい事に、シュラインはここぞとばかりに中を物色しながら呟いた。
「飛脚は正解ね。動きやすいかっこで助かったわ」
 これで、花魁や大奥上臈御年寄なんてかっこだったら目も当てられない。

 だが、その花魁姿で参加している者もいた。
 江戸城中奥、御座之間で無駄に煌びやかな内掛けの裾を両手でたくしあげながら、白神空が忌々しげに悪態を吐く。
「動きにくい事、この上ないんだけど」
「本当、それはないよね」
 傍らでリマこと、マリアート・サカが肩を竦めた。丁稚姿が微妙に似合ってるような、似合ってないような。
「でも、リマがお禿さんだったら良かったのに。そしたら帯の端持ってくるくるくる、なんて」
「なっ……何言ってんのよ!」

 そんな二人の会話を聞いている者が一人。正確には聞いているのではなく、聞こえてしまっただけなのであるが。壁一枚挟んだ向こう側に、天下のきつね小僧天波慎霰がいた。
 江戸城内には隠密がいる。どうやら彼らが使う裏通路や隠し部屋があるらしい。彼がいるのもそんな一つだった。ここなら鬼に見つからないだろうし、江戸城探索ついでにせっかくなので一攫千金も狙ってみる。
 だが、そんな慎霰をあざ笑うかのように、何かが彼の前を通り過ぎていった。正に台風一過の勢いで。
 瞬く間の出来事に、何とも楽しそうな高笑いが暫くこだましていた。
「今のは……あわてんぼう将軍?」

 呆気にとられて呟く慎霰の前を、怒涛のように通り過ぎていったのは、間違いなくあわてんぼう将軍、その人だった。
 壊した扉は数知れず。彼の前では隠し扉も壁と大差があるでもなく、彼の行く手を阻む邪魔なもの。
 鬼ごっこの言いだしっぺでありながら、その実、鬼ごっこのルールを全く理解せず―――老中たちが運営にあたったから―――あわてんぼうの名を欲しいままにした男、紫桔梗しずめは、祭りの会場でも探すかのように、目の前の扉を次々に破壊していくのだった。
「祭りはどこかー!!」

 何かが、物凄い勢いで近づいてくる。
 それは彼にとってとても危険なものだった。
 それは脊椎反射である。
 テレビの見すぎというやつである。
 シオン・レ・ハイは、しずめを視認すると同時に廊下に額をくっつけんばかりに平伏していた。
「頭がた〜かいわ〜!!」
 エセ武器らしいハリセンがシオンの後頭部を強打する。
 そのまま床にめり込む勢いのシオンを残してあわてんぼう将軍は走り去った。

「……なんか、変なところに来ちゃったな」
 それを天井裏から覗いていたユーリ・ヴェルトライゼンはほうっと息を吐き出した。藍染の忍者装束に身を包む。膝下まである長い銀髪は、いつもは三つ編みだったが今はポニーテールのように高いところで結い上げられていた。
 彼は元暗殺者である。それ故、滅多な事で人を背後に近寄らせるようなマネはしない。しかし、今回ばかりはあわてんぼう将軍の無茶っぷりに気をとられていたせいか、背後から肩を叩かれるまでその存在に気付かなかった。
 表に出さないまでも一瞬ギクリとして振り返る。
「やぁ、ユーリも来てたのか」
「ヒメ……」
 そこでひらひらと手を振っていたのはヒメこと姫抗であった。
 ユーリはぐったり息を吐く。脱力。気配を消して近づくな、と内心で舌を出した。

「またここかぁぁぁ! 騙されん! 今度こそ、騙されんぞ!!」
 お約束というわけでもないのだろうが、抗の傍らでゼクスが憎々しげに怒声を発した。普段は感情をあまり表に出さないくせに、こういう時は全面だ。
 ニ人とも、綿の入った十手を握っているところを見ると、ゼクスが八丁堀の同心で、抗がその岡っ引きというところらしい。
「ああ、はいはい」
 抗がゼクスを宥めすかす。
「またって、何度も来た事あるのか?」
 ユーリが尋ねた。彼はこんなジャパニメーションに出てきそうな世界は初体験であったのだ。
「ああ。前にな。あの時は確か宝探しだっけ」
「そうだ。あの時はお宝を〜〜〜〜〜」
 正しくは肝試し大会だったのだが。

 ちなみに、その肝試し大会に参加していた者は他にもいた。
「いやぁん。うち、こわぁい」
 廊下でさめざめと泣き濡れている女、繰唐妓音である。
「大丈夫ですか?」
 通りかかった冴島大和が声をかけた。
「鼻緒きれてもぅたぁん」
 鼻にかかる甘い声で妓音がぶりっ子してみせる。しかし色仕掛けが全く通用しないのか、大和は大真面目な顔でこう言った。
「屋内では、履物は脱がないとダメですよ」
「…………」

 そんな二人と壁一枚を挟んだ向こう側。
 達筆で書かれた鬼ごっこルール説明をじっくり読みふける者が一人。トキノ・アイビス。

 <サバイバル鬼ごっこのルール>

 ?@最初の鬼はばってん羊です。
 ?A個人の体力に関係なく、全員HP100からスタートします。
 ?B鬼の攻撃を受け、HPが0になると【DEAD】となります。
 ?C【DEAD】となった者は鬼となりますが、鬼が生者を【DEAD】にしても復活できないため、鬼はどんどん増殖します。
 ?D生者が攻撃をした場合、ダメージは蓄積されますが相手を【DEAD】にする事は出来ません。(HP1で保持されます)
 ?E明け六つからスタートし、暮れ六つの鐘が鳴るまでです。
 ?F最後まで生き残った者が勝者になります。
 ?G勝者には豪華高級和菓子、敗者には冷や水が振舞われます。
 ?H特殊能力は使えません。武器の持ち込みは不可です。
 ?I玄関にてエセ武器が貸し出されますが、城内の武器・防具は全て使用可能です。
 ?J昼食は、鬼ごっこエリア内で各自調達してください。
 ?Kエリアを出ると失格になります。エリア境界付近でリストバンドがアラームを鳴らした際は、速やかに内側へお戻りください。
 ?L全員【DEAD】になった場合敗者復活があります。
 ?M自分が【DEAD】になったら速やかに全員【DEAD】を目指しましょう。
 ?Nばってん羊にダメージを与えて復活になります。
 ?O復活の場合、ばってん羊にダメージを与えた分だけHPが回復されます。

 彼はそれを読み終えると、どこで見つけてきたのか釣り道具を手に中庭の池へと歩き出したのだった。



 そんな総勢12名。
 ばってん羊が鉢巻代わりの白い三角布を額に巻いた。鬼の証。そしてDEADの証となる死に装束たる白頭巾を。
 鬼、始動。



 ・:.:*.:.☆:・:..★.:・*.:*・



 江戸城表向の南西に、畳500畳とも言われる大広間がある。そこから中庭を抜けて白書院へ続くL字型の廊下。壁一面に描かれた松の絵から、通称、松の廊下と呼ばれる廊下を、ばってん羊は白書院へ向けて歩いていた。
 全く辺りに注意をはらっている素振りはない。
 中庭の燈篭の影で逃げようとした大和の腕を妓音がしっかと掴みながら。
「うちぃ、動けんようになってもうたぁ」
 などとやっている二人にも、全く気に止める風もなかった。
 松の廊下をさっさと通り過ぎてばってん羊は白書院に入っていく。
 ばってん羊をやり過ごして、ほっと息を吐きながら、大和は抑えていた妓音の口から手を離した。その途端。
「羊はぁん……」
 せっかく通り過ぎた羊を呼び戻さんと声をあげる妓音の口を大和は慌てて塞ぐ。
 彼女はこの鬼ごっこのルールをちゃんと理解しているのか。
 大和とて、やる気満々というわけではない。しかしどうせやるなら負けたくないと思うのが人情。勝者にのみ振舞われるという高級和菓子にも心揺れるのだ。
 ばってん羊の通った後をついていけば、見つけられにくく、攻撃されにくいかもしれない。
 一方妓音である。こちらはやる気満々であった。いっそ、「殺」と書いて「や」る気満々。彼女は鬼になりたいのである。勿論、追いかける方が好きだから。
 そんな次第で、互いの思惑は全く正反対に、ニ人はばってん羊を追いかけたのだった。



 ・:.:*.:.☆:・:..★.:・*.:*・



 鬼ごっこルール『?J昼食は、鬼ごっこエリア内で各自調達すべし』

 とはいえ、その食材が調達できる場所は限られている。
 畳100畳はあろうかという巨大な炊事場の片隅、かまどの前で握り飯など握っている女中を見つけて、シュラインは声をかけた。城内には鬼ごっこに参加していない者は誰もいないのかと思っていたが、そうでもなかったのか。
「あのぉ〜」
「はい」
「…………」
 裏声で振り返った女中にシュラインは言葉を失った。何度も瞬きしてみる。頭の上からつま先までマジマジと凝視する。それから女中の顔を見て言った。
「……シオン…さん?」
「いいえ、今はおしん子です」
「…………そう」
 シュラインは半ば気圧されるように女中、おしん子に扮したシオンから離れた。
 どうやら彼は将軍様用のランチをつまみ食いするため、女中に化けて来たらしい。しかし残念な事に、ここで昼食の準備はされていなかったのである。
 ただ、釜の中にごはんが残っていた。だから自分でおにぎりを作る事にしたのだった。
 見事な三角形ににぎられた塩おむすびをわけてもらって、シュラインは当初の目的を完遂すべく炊事場を漁り始めた。
 ひょうたんに入ったコショウや、唐辛子、油に小麦粉などを風呂敷に包んでいく。
 こんなものか、と思った頃、おしん子が一足先に炊事場を出ていった。
 それとほぼ入れ違いに入ってきた影。
 それにシュラインは目を奪われた。
 白くてふわふわもこもこのウール100%。ふわもこには目がない彼女なのである。
 右目に十字の傷をもつ、が故にばってん羊。その額の白い三角布など気にもならなくて、彼をうっとり見つめていると、ばってん羊はその両手、と呼ぶべきか、両前足で、器用にお茶を淹れ始めた。
 鬼のくせに生者を追う気はないのか。シュラインは恐る恐る近づいた。目と鼻の先に夢にまで見たふわふわのもこもこがある。
 ばってん羊は湯飲みの茶をずずっと啜って人心地ついていた。余裕だ。今なら彼に逃げられる事はないかもしれない。彼女の脳内からは、既に鬼ごっこの文字が消えていた。自分が彼に追われる立場である事など、すっかり失念して、シュラインはドキドキしながらその背中に触れてみた。
 ずずず、と茶を啜る音だけが聞こえてくる。
 次の瞬間、もふっ。
 その大きな背中に抱きついて、ふわふわのうーる100%に顔を埋める。艶やかな毛並みはラビットにもフォックスにも負けない。ばってん羊の前足が動いた。シュラインは動かない。彼の前足がシュラインのリストバンドに触れる。体にダメージを与えず直接リストバンドにダメージを蓄積させているのだろう、瞬く間にHPが0になった。
 シュラインの額にDEADの証たる三角布が巻きついたが、本人は本望であったのか、満足げに笑っていた。

 ―――残る生存者11名。





 ばってん羊が生者を探しに行くでもなく、炊事場でのんびり茶を啜っていたのにはそれなりの理由がある。
 この江戸城内で食糧を調達出来る場所は非常に限られているのだ。多かれ少なかれ、生者たちはここへやって来る。自分たちから足を運んできてくれるのだ。
 そうした何人かをDEADにすれば、後は彼らが他の生者をDEADにしくれるだろう。労少なくして最大の成果を得られるというわけである。
 それに、中にはシュラインのようにふわもこに気をとられてDEADになる者もいれば、妓音のように―――。

「あ〜れ〜」
 炊事場で、妓音はまるでお代官様に帯を解かれくるくると駒のように回る町娘のようにくるくるとまわり、目が回ったのか、或いは回った振りなのか、お茶を啜っているばってん羊に抱きついた。
「うちぃ、こわいわぁ」
 と、ちっとも怖くなさそうな風情である。
 ばってん羊が妓音のリストバンドに前足をそっとのせるのに抵抗などしない。
 瞬く間にHPが0になる。彼女の額にはDEADの証。妓音はペロリと舌を出した。
 鬼に自ら望んでなりがたる者。
 後を追っていた大和がそれを呆然と見守っていた。

 ―――残る生存者10名。





「俺は必ず勝ぁ〜つ!」
 気合よろしく意気込む抗にユーリは疲れたような息を吐いた。潜伏の予定が余計な荷物をしょいこんだ気分である。勿論本気でそう思っているなら、さっさと撒けばいい話しなのだが。抗はともかくゼクスなら1分とかからず撒けるに違いない。しかしそこはそれ。ものは考えようなのである。
 とかげは尻尾があってこそ、その身を守れる。つまりはそういう事なのだ。
 というわけで。
「腹が減っては戦は出来ぬと言うからな」
 と、まことしやかな顔付きでのたまうゼクスらと共に、ユーリは炊事場へ向かうのだった。正直に言えば、一食ニ食抜いたところで全く動じない彼ではあるのだが。
 武器の持ち込みは禁止されているため、武器を調達したいという思いもあった。下手な武器よりは慣れた武器。しかし城内に全く同じものを見つけられる保障がないなら、類似品で代用するしかない。得意武器、飛針に似た形状のもの。きっと炊事場に行けば金串があるはずだ。
 とは、半ば自分に言い聞かせて。
「いやぁ〜ん。抗はん、お久しゅぅ〜」
 炊事場の引き戸を開けた瞬間、そんな声が聞こえてきた。
 かと思うと、一人の女が抗に抱きつく。というよりは殆どタックルするみたいに飛びついてきた。
 抗がしりもちをつきながら彼女を抱きとめる。
「ぎ…妓音ちゃん!?」
 仰向けになって妓音を支える抗の上に馬のりになった彼女はしななどつくりながら抗を見下ろした。
「いやぁん。うちのこと覚えとってくれはったん? 嬉わぁ」
 首に抱き付いてくる妓音に抗は苦笑を滲ませている。
 そんな二人を見下ろしていたユーリが、そこでハッとしたように顔をあげた。
 炊事場の奥に白いふわもこが見える。紛う事なき最初の鬼。のんびり茶を啜っているようにも見えるのは、こちらを油断させる罠なのか。
 身構えるユーリの足下で抗が突然、悲鳴にも似た声をあげた。
「ぎ…妓音ちゃん!? その額、まさか……」
「うちぃ、鬼はんなんえぇ」
「!?」
 妓音がかわいこぶりっ子に輪をかける。その両手にはどこから取り出したのか、巨大なハリセンが握られていた。
 抗はしっかり妓音に馬乗られ、女に手荒な真似も出来ないのか、ジタバタしている。
「ユーリ!」
 助けを求めるような声にユーリはそっと手を合わせた。
「ヒメ。骨は拾ってやる。成仏……いや、成鬼しろよ」
 言うが早いか踵を返した。
「わ。逃げるなユーリ!!」
 抗の絶叫がユーリの背を叩く。しかしユーリは振り返らなかった。
「なんでやねん!!」
 叩かれるたび、ハリセンが甲高い声で叫ぶ。
 抗を生贄にユーリはさっさとその場を離れようとした。
 しかしそれを阻むものがあった。
「ユーリ・ヴェルトライゼン。俺を忘れるなよ」
 ゼクスが、いつの間に付けたのか、ユーリの帯に鎖を巻いてぶら下がっていた。まるで、タイヤを引く野球少年のように、ユーリはタイヤの代わりにゼクスを引いて走っていたのである。
「……忘れさせてくれないか」
 ぼそりと呟いて鎖を断ち切ろうとするユーリに、しかしゼクスはその足にしがみついて首を振った。
「絶対、離さん!!」
 ユーリは振りほどこうと何度ももがいたが、何故か振りほどけなかった。ゼクスの貧弱この上ない非力を前に、どうした事かと思っていると、しっかり鎖で結び付けられているのに気付く。
「…………」
 それでも無理矢理振り切ろうとしてハッと気付いた。リストバンドのHPが減っている事に。
「なっ!?」
 ゼクスのこれが、攻撃――その結果のダメージとして捕らえられてしまっているのだ。HPは生者同士でも削りあえる。1から0にならないだけだ。つまり、このまま減り続けてHP1になってしまったら、この後鬼に軽くタッチされただけで逝ってしまえるようになるのである。
「わぁ、待て、待て! わかった。連れて行くから」
「うむ」
 ゼクスはやっと手を離した。
 HPの減少が止まる。こんなくだらない事で50Pも失ってしまうとは。忌々しげにゼクスを見下ろしながら、ユーリは内心でここにはいない誰かを罵った。

 ―――ヒメ〜……これのお守はお前の担当だろーが!!

 その頃、抗は妓音の手に落ちていた。

 ―――残る生存者9名。





 昼食調達のために早々に炊事場に訪れる者は、やはり少なくない。しかしその場所は今や、しっかりちゃっかりばってん羊に占拠されていた。
「ちェッ。一足遅かったか」
 慎霰は苦々しげに息を吐いた。こうなっては仕方がない。ばってん羊だけが鬼なら奴が去るのをここで息を殺して待っていてもいいが、見たところ、既に何人かの死亡者が出ている。
 そいつらに見つからないとも限らない。
 慎霰は抜け道を通って炊事場から離れた。しかし、現時点で鬼は何人いて、それらがどこに潜んでいるともわからない。細心の注意を払いながら、迷路のような抜け道を進んで行くと、やがて江戸城の天守閣の屋根の上に辿りついた。
 江戸城天守閣は中奥から更に大奥を抜けた先にある。ここは、エリア内なのか。リストバンドは別段アラームを発するでもないから、一応、エリア内という事なのだろう。
 手が届きそうな空を仰いで外へ出る。
「屋根の上か。意外と見つかりにくいかもな」
 なんて思っていると“それ”と目が合った。
 彼女と呼んでもいいものだろうか。女中の着物を身に纏ってはいるが男のようにも見える。確か少し前、頭が高いとあわてんぼう将軍にハリセンで叩かれていた男だ。
「…………」
 その男は懐から竹の皮の包みを取り出し広げると、その握り飯を1つ掴んで慎霰に差し出した。
「どうぞ」
 にこっと笑う。
 昼にはまだ少し早い。慎霰は一瞬躊躇ってから握り飯を受け取ると彼の隣に腰を下ろした。具のないただの塩むすびだが意外に旨い。
 シオンは、女中に変装して炊事場でおむすびを握ったのだと、お茶のつまみ代わりにそんな話をした。
 二人でおむすびを食べる。
 慎霰はおむすびを頬張りながら空を仰いだ。風が心地よく吹き抜ける。庭の池の袂で誰かが釣りをしているのが見えた。
 鬼ごっこをしている事を忘れそうだ。
 まるで嵐の前の静けさのようだった。
 それは正に、そうだったのだろう。
 塩むすびをわけて貰って慎霰はその屋根を後にした。



 ・:.:*.:.☆:・:..★.:・*.:*・



 正午の鐘が鳴る。
 中向、黒書院。畳約78畳のそこは、通常は日常行事の応接間であった。だが今は戦いの場所である。
「抗が早々にDEADなんて意外ね」
 心底意外そうにリマが言った。彼は敗北を知らない男なのである。空はやれやれと肩を竦めてみせた。抗は、ばきぼきと指を鳴らしながら二人に近づいてくる。それは獲物を狩る時の獅子の目に似ていた。
「俺がDEADになる時は、全員がDEADになる時だ」
 抗が低く呟いた。
 空は舌を出す。友人だからと見逃してくれる気はないらしい。
「女だからと手加減はしない。神妙に縛につけぃ!!」
 抗が畳を蹴る。
 リマを狙うのは、空が花魁姿だからだろう。すばしっこい方を先に仕留めようという事らしい。
 空が動く。リマを庇うように。相手がESPを使えないのは幸いだったのか。とはいえ、体力勝負になれば絶対勝てない。この20kg以上もある着物を着ての大立ち回りにも限度があるのだ。
 抗の掌底を内掛けで避けた。まるで闘牛士のようだ。
「内卦なんてずるいわよ」
 空が舌を出す。
 抗の放ったのは八卦掌だ。気を練り相手の体に叩き込み、相手の気を乱す。内側から相手を壊す技である。まともに喰らったら一撃で逝けるに違いない。
 女でも手加減しないというのは本当なのだろう。空たちは知らなかったが、先ほど、妓音にまんまとしてやられていた抗である。よほどさっきので懲りたのか。
 空は先手必勝とばかりに間合いを詰めた。
 しかし装束が重い。
「リマ! 行って!」
「うん!」
 リマは空に加勢するでもなく部屋を出て行った。こういう時、負けず嫌いの彼女は、いともあっさり勝ちに走る。
 それを追おうとした抗の肘の関節をとって空が言った。
「全員DEADにするんでしょ?」
 艶やかに笑ってみせる。
「…………」
 抗もにやりと笑みを返して再び畳を蹴った。一転して空に取られた関節をはずす。そして、後ろに飛んで間合いをあけようとした空を追った。
 そもそも、花魁姿で動きの制限される空に勝ち目などなかったろう。決着にはさほど時間がかからなかった。
 すぐにリマを追おうとした抗の腕を再び空が掴む。
「ん?」
 抗は目を見張った。
 空が長い銀髪を束ねあげながら笑って言った。
「リマを狩るのは、あ・た・し」

 ―――残る生存者8名。





 江戸城内で危険なものは、鬼だけではない。勿論、危険なトラップもあるが他にももっと危険なものがあった。
 その名は、あわてんぼう将軍。
 彼に遭遇したら、どんな理不尽な仕打ちを受けても、余程の勝算がなければ挑まない方がいい。君子危うきに近寄らず、なのである。
 相変わらずルールは全く理解していなかったが、敵を叩きのめせばいいと解釈しているのか。行く手を阻む襖をぶち破り、時々勢いで壁を突きぬけ、視界に入ったものがあれば鬼でも生者でも攻撃する。はた迷惑を通り越した主催者であった。
 彼に最初に見つかった不幸な犠牲者はシオンである。今は女中おしん子か。
 しずめは彼を見つけるや否や、カウボーイよろしくロープを振り回しながら猪突猛進した。
 車は急には止まれない。走りだしたしずめも止まれない。上様に傅くシオンをうっかり蹴飛ばしてやっと止まったしずめがロープを投げる。そこにあった、高そうな壷に引っかかったかと思われた瞬間、それが派手な音をたてて粉々になった。壁に飾られていた刀に引っかかる。ロープの巻きついた鞘だけが持ち上がり、刀が落ちて畳に突き刺さった。
 それは、畳の下を這っていた慎霰の目の前であった。
「…………!?」
 慎霰が反射的に畳を跳ね上げ立ち上がる。
「何しやがんだ、危ねェなッ!」
「むぅっ。小童がぁ〜!!」
 しずめのターゲットが慎霰にロックオンされた。再びロープが宙に弧を描く。
 はなたれたロープに慎霰は飛び上がった。背には黒い翼―――彼は天狗である。しかし、翼が現れない。ともすれば、飛べない慎霰の足にロープが絡み付いていた。
「!?」
 そうなのだ。この鬼ごっこでは江戸城内に特殊な結界が張られており、全ての特殊能力を封じられていたのだ。妖術も使えないのに、超危険人物にうっかり挑んでしまったのである。
「おぉぉりゃぁぁぁ〜〜〜〜〜!!」
 しずめが吼えた。
「なッ!?」
 しずめの振り回したロープに引き摺られるように慎霰の体が持ち上がる。
「なんてバカ力だッ……」
「男なら、バンジーじゃぁー!!」
 どこかで見たらしい。一度やってみたかった。自分が、ではないところがはた迷惑である。
 そんなしずめの掛け声と共に、慎霰の体が窓を突き破っていた。
「嘘だろォォォ〜〜〜〜〜!?」
 果たしてここは何階なのか。ロープの長さは窓の高さより短いのだろうか。考えてもわからない。
 慎霰は思わず目を閉じる。
 万事休すか。
 だが、地面は割りと近かった。
 どうやら1階だったらしい。
 顔をあげると庭で釣りをしていた男と目があった。
「鯉の洗いなどいかがですか?」
 リストバンドを付けているところをみると彼も鬼ごっこ参加者のはずだった。額に白い三角布はない。
「た……助かった」
 ―――たぶん。
 慎霰の残りHPは実際の体力とは無関係に、奇跡的にも78で止まっていた。





 状況を全く理解していなかったトキノはオールサイバーであるが故に、別段腹が減るわけでもなかったが、ランチにと中庭の池で暢気に錦鯉を釣っていた。
 そこへ突然慎霰が城内から飛んできたのである。果たして何が起こっているのか。半ば気を失いかけている慎霰の傍に、獲れたてピッチピチの錦鯉を一匹残してトキノは城内へと入っていった。遠くの方で、襖をぶち破る音がかすかに響いていた。
 それには近寄らないように選んで廊下を進んで行く。
 廊下の向こうで、1人の女がさめざめと泣いているのが見えた。
「…………」
 近寄ると女が言った。
「うちぃ、お腹すいてもうてかなんのぉ」
 めそめそと顔を袖で覆う女にトキノは桶の中の錦鯉を見やって言った。
「食べますか?」
「えぇのん?」
「ええ。私は必要ではありませんから」
 そんなこんなで妓音が桶を手に、炊事場へ向かうのを見送り、トキノは律儀に、彼女の作りかけの落とし穴――竹槍つき――を完成させると、満足げにその部屋を訪れた。
 そこに茶道の道具箱を見つける。
 トキノは座を正すとそれを手に取り、1つ1つ畳に並べていった。
 風炉に炭を焚き水を張った釜をかけると、湯が沸くのをのんびり待つ。
 そうしてトキノはお茶を点てた。
 庭先からししおどしの小気味いい音がカコーンと響いている。外の殺伐とした世界からは、完全に切り離されているかのように、そこには穏やかな時間だけが刻まれていた。
 その襖が慌しく開かれるまで。



 抗はリマの追走を空に任せ、自らは自分をDEADに追い込んだユーリを探していた。
 その頃、空から逃げるリマは表向大広間にいた。そこから白書院へ続く松の廊下を、辺りに気を配りながら進む。壁面には見事な松の絵が……松の絵が……松の絵が……。
「!?」
 何か得たいの知れないものに描き換わっていて思わずリマはぎょっとした。絵の端に達筆で『紫苑・礼・拝』と書かれているのに気付く余裕もなく、よろけた足が突然沈んだ。
「キャッ!?」
 小さな悲鳴と共に重力を感じる。
 それが落とし穴だと認識した時には、最早戻れないところまで体が沈んでいた。思った以上に底は深いのか。
 その体が底に敷き詰められた竹槍と紙一重で止まる。
「…………」
 呆然と竹槍を見下ろした。もし本当に落ちていたらと思うとぞっとする。絵に気を取られさえしなければ、うっかり落ちる事もなかったに違いない、と思うとあの絵を描いた人間を呪わずにはいられなかった。
「ってく、何なのよ」
「大丈夫ですか?」
 頭上から声が降って来た。顔をあげると、自分と同い歳くらいの男が自分の腕をしっかり掴んでくれていた。大和である。彼のおかげでリマは助かったのだった。
「……うん」
 頷くリマに大和は柔らかい笑みを返した。
「今、引き上げますね」
 そう言って両手を伸ばすとリマの腕を引っ張りあげる。
「リマ!?」
 別の声が大和の背後からした。
 空が駆けつけたのである。彼女の動きを鈍らせていた花魁装束はどこへやら、何とも身軽なくのいち姿で、空は素早く二人に駆け寄った。
 リマを引き上げるのを手伝ってくれるのか、と振り返った大和が思わず目を見開く。
「げっ……鬼……」
 呻くように呟いた大和を、空は「何してんのよ!」と切れ気味に力いっぱい押しのけるようにして、彼からリマの腕を奪い取った。
 呆然としている大和を他所に空は一人でリマを助けあげるとリマをしっかと抱きしめる。
「大丈夫?」
 これは、大和の知った話しではなかったが。
 せっかくリマを庇ってポイントアップという空の大作戦が、彼のせいでおじゃんになるところだったのである。勿論、彼が捕まえていなければリマは竹槍に串刺しになっていたかもしれない。しかし、そんなの関係ないのである。
「この仇は必ずとるから」
 そう言って空は大和を振り返った。その目が、美味しいところを持っていきやがって、と語っていた。時に人はそれを、逆恨みと呼ぶ。
「えぇ!? それ、俺のせい!?」
 大和は後退った。
 空はリマを解放するとその背に庇うようにして、ゆっくり彼に近づいた。
 大和は助けを求めるようにリマを見やる。
「……ごめんね」
 空の背後で、リマは手を合わせてペロリと舌を出すと、さっさと踵を返してしまった。
「えぇぇぇぇぇぇぇ!?」
 ―――世の中、理不尽なことばかりじゃない……よね?
 大和は心の中で誰にともなく呟いた。

 ―――残る生存者7名。





 江戸城内は思った以上に広かった。
 相変わらず台所でのんびりしているばってん羊に、ついつい時間も忘れてもふもふを堪能していたシュラインが、漸く炊事場を出たのは、ばってん羊との楽しい昼食をとった後の事である。鬼ごっこに負けても彼女的には既にびくとりーであった。
 だが、ここまできたらせっかくだから、ここは勝利して豪華和菓子をゲットし、またもやばってん羊と楽しく花火大会を楽しみたい。そんな新しい野望も生まれて、炊事場を後にしたのである。
 何としても全員DEADにして敗者復活の道を切り開く。
 しかし、江戸城内は意外に広かった。
 なかなか人に出くわさない。生者どころか、鬼にも出くわさないのである。
 そんな次第でシュラインは床にコップをあてて足音などで、誰かの所在を確認する事にした。
 だが程なくして、そんな必要もない巨大な足音が、襖を蹴破る音と共に聞こえてきた。
「…………」
 生者か鬼かを確認する事は現時点で難しいが、それが誰であるかは、想像が付く。シュラインの脳裏に1人の名前が浮かび上がっていた。―――あわてんぼう将軍。
 シュラインは身構えた。
 どちらにしても危険である。
 しかし、彼が生者なら誰かが彼をDEADにしなければ、敗者復活にはならないのだ。シュラインは意を決した。
 直進あるのみのあわてんぼう将軍の、予測軌道上にある小部屋に入って、背負っていた風呂敷包みを開ける。
 「殺」と書いて「や」るには、これしかない。たとえそれが上様であっても。これはサバイバル、生き残りをかけた戦いなのだ。
 足音が近づいてくる。
 シュラインは手ぬぐいをマスク代わりに後頭部で結ぶと、炊事場で手に入れた小麦粉を部屋いっぱいにぶちまけた。
 そして、火打石を扉に仕込む。
 勢いよく蹴破れば、火打石がぶつかり火花が散るだろう。濃密度の粉塵に火花が引火し爆発が起こる。いわゆる粉塵爆発というやつだ。普通なら怪我人も出るかもしれないが、相手があのあわてんぼう将軍なら問題もあるまい。実は既に鬼だったら、ごめんなさい、だが。
 そんなこんなでシュラインは罠を仕掛け終えると外で待つ事にした。
 足音は更に迫る。
 程なくして―――。
 鼓膜を破る大音響と共に小部屋が吹っ飛んだ。
 両手で耳を覆って尚、シュラインの耳の奥では暫く轟音がこだまするほどだ。
 それとほぼ同時、彼女の前に爆風に飛ばされるようにしてそれが降って来た。
 それは残念ながらあわてんぼう将軍ではなかった。
 実はしずめは小部屋の手前で妓音が作り始めてトキノが完成させた落とし穴にはまって竹槍を全部へし折っていたのである。
 不幸にも小部屋の扉を蹴破ったのは。
「いッてェ〜……くそッ。何だ、ありャ」
 慎霰は悪態を吐きながら、うった尻をさすった。扉を蹴破るつもりなどなかったが、入口にまかれた油にうっかり足をとられしまったのだ。またもや、妖術を使えない事を失念して、いろいろ後手にまわってしまった、のが敗因でもある。
 そして扉を蹴破ったら、いきなり小部屋が爆発した。
 あれよあれよという間に吹っ飛ばされ、現状に至るのである。
 その頭上でシュラインが呟いた。
「ま、いっか。生者みたいだし」
 その声に、慎霰は顔をあげた。シュラインの額には鬼をあらわす白い三角布。
「げッ……」
 慎霰が喉の奥で厭そうな嗚咽を漏らした。
「ふっふっふっ」
「うっ……!!」
 相手が女でなかったら、容赦なんてしなかったのに。

 ―――残る生存者6名。





 時々、あっちやそっちから悲鳴が聞こえてくるものの、目指せ逃げ切りで距離をとっていたのが功を奏したのか、生者にも鬼にも出くわすことのないユーリであった。
 同行のゼクスなどが。
「いざ、ばってん羊!!」
 とルールを理解していないのか、何としても羊をぎゃふんと言わせたいとのたまっていたが、それを適当にあしらって避け続けたのである。
 正直に言えば、ゼクスがいるから距離をとり続けた節もある。おかげで今、どれくらいが鬼と化したのかすらわからなかった。
「情報収集もままならないな」
 苦笑を滲ませつつ、ユーリはその襖を開いた。
 そこは畳20畳ほどの、江戸城内の中では比較的狭い部屋であった。誰もいないかと思っていたら、床の間の前に一人の男が静かに正座をしていた。
「…………!?」
 そこだけがまるで切り取られたかのような異空間である。おかげで全く気付かなかった。
「お前も来てたのか」
 ゼクスがふてぶてしくそう言って中へ入っていく。そこにいたのはトキノだった。額に白い三角布がないところを見ると鬼ではないのだろう。しかし、鬼ごっこの最中にこんなところでのんびりしている場合なのだろうか。
「どうぞ」
 と座布団を並べて促すトキノに一瞬ためらいつつも、場の雰囲気に呑まれるようにして、或いは、何らかの情報が得られるかもしれないと、勧められるままにユーリは座布団に腰をおろした。
 トキノが茶筅で茶を泡点てる音。
 庭先からはししおどしの小気味いい音。
 そこには、どこか厳かで犯し難い世界が広がっていた。
 点てられたお茶が、ユーリとゼクスの前にそれぞれ置かれる。
「作法などは気になさらずお召し上がりください」
 そう言われてもユーリは躊躇わずにはいられなかった。
「うむ。喉が渇いていたのだ」
 隣でゼクスが抹茶をガブガブと飲み干している。
「ちょっと苦いな」
 などと文句をつけながら。
 そこへ襖が慌しく開けられた。
「ゼクス……トキノ? っと……」
 そんな声に振り返る。
 入ってきたのは美少年然とした丁稚奉公の子どもだった。だが声のトーンは変声期前のボーイソプラノというよりは少女のそれに近い。
「何だ、マリアートか」
 ゼクスが言った。名前からして少女だったようである。
 ニ人が、いや、そこにいる三人が誰も額に白い布を付けていないのに、彼女はホッとしたように座り込んだ。
 ずっと走って逃げまわっていたようである。無理もない。
 トキノがそつなく座布団を用意して、そこへリマを促した。
 リマが座布団に座る。茶が点てられ彼女の前に置かれた。
「苦……」
 と呟きながら、それでも人心地ついたようにリマはお茶を飲み干した。
「先ほどから外が騒がしいようですね。何かあったのですか?」
 落ち着いたらしいリマにトキノが尋ねた。
 実は全く鬼ごっこを理解していなかったトキノなのである。
「…………」
 この期に及んでユーリもリマも、半ば呆気にとられてトキノを見返した。
 その時、再び襖が荒々しく開かれた。
「ふふ。逃げられないわよ、リマ」
「鬼か!?」
 ユーリが腰を浮かす。逃げる体勢に反対側の襖が開いた。
「自分だけ脱落なんて寂しいですから、宜しければ皆さんもご一緒に」
 そう言って入ってきたのは大和である。
 そんな二人にトキノはゆっくり立ちあがった。
 そつなく二つの座布団を並べてみせる。
「どうぞ」
 トキノは二人を促した。
「…………」





 慎霰はふらふらとした足取りで隠し通路を歩いていた。額には屈辱の三角布。相手が女でなかったら容赦なんてしなかったのに。勝利の女神が女でなかったら、もっと仲良くなれたかもしれないのに。どうも昔から、女は苦手な慎霰なのである。
 しかし鬼になった以上は敗者復活を目指す。相手が女でなかったら―――以下略。
 だが、その前に腹ごしらえをしておこうと慎霰は天守閣の屋根の上へ顔を出した。
 陽が傾いて朝よりも長い影が落ちている。もうすぐ陽は西の大地に沈むだろう。そうしたら、この鬼ごっこも終わってしまう。今、生存者はどのくらいいるのだろうか。
 屋根の上に腰を下ろし、おむすびを取り出した慎霰の元へ一羽の雀が飛んできた。
「しょうがねェなァ」
 なんて呟きながら、おむすびのかけらを人差し指にのせて翳してみせる。
 雀がご飯粒をつっついた。目を細めつつ、自分もおむすびに齧りつく。
 チュン、チュン、チュン。
 雀の鳴き声に他にもいるのかと振り返った。
 目が合った。
 ずっとここにいたわけでもないのだろうが、彼は最初にここで会った時と同じ女中姿だった。
 両手の平にご飯をくっつけて、満面の笑顔で雀と戯れている。
「ああ!!」
 思わず慎霰は立ち上がってシオンを指差していた。
「人を指差したらダメですよ」
 と、のんびり言うシオンを無視する。シオンの額には三角布がないのだ。
 たとえ相手が女の姿であったとしても、相手が女でない限り、そこに手加減する理由などないのである。
 いや、おむすびをわけて貰った恩はあるが、これは生き残りをかけた戦いなのであった。
 慎霰は力いっぱい瓦を蹴った。
 ところで、よく失念されることなのだが、この世界は江戸艇と呼ばれる時空艇の中に存在していた。天井には3Dホログラムが映写され、天高い空があるように見えるが実際には10mしかない。
 そして極稀に、こういう事故が起こるのだった。
 ―――ごいん!!
「ッツーーーーーーーッッ!!」
 慎霰は頭を抱えてうずくまった。投げる予定だった小石がパラパラと足下に転がる。
 シオンが目を丸くして慎霰に駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
「…………」
 慎霰はジロリとシオンを見上げた。
 それは殆ど八つ当たりだった。

 ―――残る生存者5名。





 その頃。
 炊事場に、何かが近づいていた。
 ばってん羊の勘が何かを発していた。予感めいた何かである。
 彼はゆっくり湯飲みを置くと炊事場を出た。
 ばってん羊。バイオテクノロジーによる遺伝子組み換え実験の成れの果て。見た目は巨大な羊である。
 二足歩行し、普段は背中にバズーカー、両前足には二挺のリボルバーを持ち歩く。単独行動を好みつるむ事を嫌う孤高の羊。一匹狼されど羊。
 見た目は可愛い草食獣。だがその実体は肉食獣。
 右目は戦いの中で失ったのか十字の傷を持ち、残る左目は眼光鋭く。そんな彼が求めているのは獲物なのか、それとも好敵手なのか。
 そう。
 恐らくそれは好敵手の気配。
 ばってん羊は炊事場を出ると廊下を走って庭に出た。
 廊下に面した襖が一斉にぶち破られる。
「何!? 羊か!?」
 あわてんぼう将軍こと、しずめがばってん羊を視界に捕らえた。思えば彼は朝から飲まず食わずで襖を破り続けていたのである。時空艇江戸では時間がねじれているので、壊しても壊しても、時間が経つと自動修復される。そのため、半永久的に襖を破り続ける事が出来たのだ。と、それはさておき。
 彼は自分が空腹である事を思い出したのだ。
 今日のお昼は。
「ジーーーーーン!!」
 しずめは縁側の縁を力いっぱい蹴って飛び上がった。
「ギーーーーース!!」
 掛け声よろしく宙に舞うと握り合わせた両手を頭上に高々と振り上げる。
「カーーーーーンじゃ!!」
 勢いよく両手をばってん羊の脳天へ振り下ろした。
「…………」
「おっ……」
 風が吹いて砂埃が舞った。ばってん羊がしずめの拳をしっかりと受け止めている。
 しずめが飛び退った。
「お主…やるな……」
「…………」
 ばってん羊の知能は高いが言葉を話すことは出来ない。
 しかしそんなものは必要なかっただろう。今、互いが好敵手になりうると、心で感じたのである。





「ユーリ! 俺から逃げられると思うなよ」
 抗がユーリの逃げ道を塞ぐように立ちはだかった。
「ヒメ……それよりこれを何とかしてくれ!!」
 ユーリはゼクスの羽織を引っ張り突き出すようにして抗に訴えた。お荷物。正にそれはお荷物以外の何者でもない。
「あー……それは、何て言うか……しょうがない」
 抗が困ったように視線を彷徨わせて頭を掻く。ゼクスは抗を見やって言った。
「抗! 完璧な作戦を考えたぞ。奴は俺を知っている。つまり俺がたまに抗に抱えられて移動しているという事を知っているわけだ」
 ゼクス言うところの奴とは、勿論ばってん羊の事である。彼も全く鬼ごっこを理解していなかったのだ。
「たまに?」
 思わず抗が突っ込んだが、ゼクスは聞こえぬ顔で力説を続けた。
「ならば、ここは一つ俺の身代わりを立てるというのはどうだ? 抗が俺っぽいカカシを持って、これ見よがしにうろつく。それに狙いをつけた羊めを、ユーリが叩くのだ!!」
 ゼクスはどうだとばかりに言い放った。彼言うところの完璧な作戦らしい。
「……いやぁ、今は、俺も鬼なんだけどねぇ」
 抗が頬を引き攣らせる。
「鬼ごっこの何たるかをわかってないようだからな」
 ユーリが溜息を吐き出した。ずっとここまでゼクスのこんな完璧な計画を聞かされ続けてきたユーリである。辟易していてもしょうがないのであった。
「行くぞ。目指すはにっくきばってん羊!!」
「というわけで、後よろしく」
 ゼクスを抗に押し付けるようにして、ユーリはさっさと逃げに転じた。
「何!? ユーリ!? 貴様、逃げる気か!?」
 慌てて追おうとした抗の腕をゼクスが掴む。
「何をしている抗。行くぞ!」
「ずるいだろ、それ!!」
 ゼクスを振り切って抗はユーリの後を追いかける。
 ここでゼクスを先にDEADにしないのは、ゼクスが一人で長生き出来るとは思っていないせいもある。そしてそれよりも、ユーリを見失う方が手間だったからだ。
 しかしユーリが逃げ込んだ先、間髪いれずに飛び込んだその部屋に、既にユーリの姿は見当たらなかった。
「ちっ……」





 一方。リマは空の隙間を縫うように駆け抜けると、トキノの茶室を出て全力で逃亡中であった。
 手近にあった部屋に駆け込むと、はぁはぁと切れる息を飲み込んで息を潜める。
 だが空は、くのいちよろしく天井板を開け、その背後にひらりと音も無く舞い降りる。
「!?」
 背中から抱きしめた。
「くーーーーっ!!」
 リマが彼女の腕の中で悔しそうな声をあげる。じわじわと削られた彼女のHPは0になっていた。
「よく逃げたわね」
 俯きリマの頭をポンポンと優しく叩くと、リマはすっと顔を上げた。あれだけ息を切らしていたのにもう元気になったのか。
「しょうがない。敗者復活にかける!」
 まだ、やる気まんまんらしい。
 でも、その前に、腹ごしらえである。ここまで殆ど何も食べていなかったのだ。今は二人とも鬼になってしまったので、何憚るものもない。
 そうして炊事場に向かいかけた時、二人は彼に出くわした。
「なんてことだっ」
 ゼクスが地団駄を踏んでいた。抗がゼクスを振りきりユーリを追っていってしまったのである。
「何? 二人に捨てられたんだ?」
 空が言うと、ゼクスは嫌そうに空を睨んだ。
「……捨てられた、とか言うな」
「これから炊事場に海老を探しに行くんだけど」
 リマが笑って声をかける。
「何!? 海老だと!?」
 ゼクスの目の色が変わった。
「うん」
「よし行こう、すぐ行こう!」
 それから思い出したようにゼクスは右の掌を左手の拳でポンっと打った。
「そうだ。炊事場にはにっくきばってん羊がいるんだ。何としてもきゃつめを潰さねば」
 断固とした決意を込めるゼクスに、空が頷いた。
「あ、それは同感」
「え?」
 リマが空をマジマジと見返す。ばってん羊は鬼なのだ。勿論、敗者復活になれば攻撃対象になるのだが。
「ウール100%の毛皮をゲットするわよ」
 空が浮かれたようにどこからともなく剃刀を取り出した。
「うむ。ジンギスカンだ!」
 ゼクスも拳を握り締めている。
「ま、花火見ながらそれもありか」
 リマが肩を竦めながら賛同した。
「これでビールでもあれば、高級和菓子よりいいかもね」





 ゼクスはユーリと、リマは空から逃げるようにして、出て行ったその部屋で、トキノは相変わらずのんびりと自ら点てたお茶をいただいていた。騒がしいことよ、とその眉尻が語っている。けもじきかな。
「…………」
 出された座布団に正座しながら大和は、何故自分が今、こんな事をしているのかを、そこはかとなく考えてみた。
 トキノはお茶を置いて再びお茶を点てている。やがて茶筅を置き。
「どうぞ」
 大和の前にお茶が押し出された。
 大和はそれに一礼して取り上げる。器を二回まわして口をつけた。二口。なかなかのものである。干菓子が欲しいな、などとぼんやり思いながら器を戻してトキノに返した。
「結構なお点前で」
 深々と頭を下げると、トキノも深々と頭を下げた。やっぱりこの部屋の中だけどこかおかしい。
「…………」
「しかし、一体この騒ぎは何なんでしょう」
 トキノがのんびりと襖の向こうに視線を馳せながら言った。外からは悲鳴だの、爆音だのが響いてくる。
 大和は何とも微妙な苦笑を滲ませてから、傍と気づいた。トキノが鬼ではないことに。
 いや、よくよく考えてみればここに来たリマは少なくとも生者だ。それがのんびり人心地ついていたのである。ならば、ここにいた全員が生者と考えるべきだ。
 大和は静かに立ち上がってトキノに近づいた。
 トキノは別段気にした風も無く、大和を見ている。全く逃げる素振りもない。本当に鬼ごっこを理解していなかったのだ。
「御免!!」
 言うが早いか大和は城内で見つけた刀を鞘走らせた。
 居合い抜き、一本。
 トキノの大和の動きに対する反応はほぼ互角。
 だが。
 大和の刀を受け止めたトキノの柄杓は綺麗に真っ二つに裂けていた。
 カコーンとししおどしが鳴った。

 ―――残る生存者3名。





 陽は、随分と西へ傾きかけていた。
 妓音はトキノに貰った錦鯉を調理できる人材を求め、9割以上は先天性の方向音痴という持病をフルに活用して江戸城内を徘徊していた。
 米蔵でも襲撃して、大炊き出しも考えたが、そもそも彼女にはそこへ辿り着く事自体、偶然を待たねばならなかったのである。
 そして。
「あ、ええ男はん見ぃつけたぁ」
 妓音はユーリを呼び止めた。お腹がすいているので、追いかけたり抱きついたりする気力はない。
「どうした?」
 声をかけるユーリを妓音は涙をたっぷり浮かべて上目遣いに見上げた。
「うちぃ、もう歩かれへん」
「そう……」
 警戒気味にユーリは距離を取っている。午前中、抗を仕留めたのは何を隠そう彼女なのだ。
 そこへユーリの耳に自分を呼ぶ声が届く。
 ユーリはにっこり笑って妓音に言った。
「大丈夫。もうすぐ彼が来るから。彼が何とかしてくれるよ」
 そう言って、ビシリと指を差す。
 妓音がそちらを振り返った。その隙にユーリはさっさと踵を返す。
 廊下の向こうに“彼”が現れた。
「ユーリ! 待てぃ!!」
 抗が駆けてくる。
「抗はぁん」
 語尾にハートマークを付けて妓音が抗を呼んだ。
「げっ……」
 思わず抗が足を止める。まるで条件反射のようである。パブロフの犬のようでもあった。
「妓音…ちゃん……」
 どこか諦めたように抗は溜息を吐き出した。
「うちぃ、お腹すいてもうて、かなんのぉ。鯉はんもろたんやけどぉ」
「あぁ、はいはい」
 どうやら彼は、押しの強い人間に弱いらしい。
 そうして二人は炊事場に向かったのだった。





 リマと空がゼクスと共に炊事場に訪れると、ばってん羊の姿はなく、代わりに、妓音が鯉の洗いに舌鼓を打っていた。
「何だそれは!? ……美味しそうだな」
 今にも涎を垂らさん勢いでゼクスが妓音の皿を覗き込む。
「抗はんが作ってくれはったんぇ」
「何、抗だと!? くそっ。あいつめ。俺の分はどこだ!?」
 しかしそこにはゼクスの分も、抗の姿もなかった。彼は妓音の鯉を調理すると再びユーリを探して出て行ってしまったのである。
 リマがお釜からごはんをよそって空と二人、妓音と席を並べた。
「ぎょーさんで食べた方が美味しのんぇ」
 妓音が鯉の洗いを二人に勧める。
 そうして三人は仲睦まじく鯉の洗いを食べ始めた。
「おっ、貴様ら!?」
 ゼクスが腹立たしげに声をあげる。
「ゼクスも食べる?」
 リマが聞いた。
「うむ、頂こう」
 マイお箸を手にゼクスがその輪に加わった。





「絶対捕まえる!」
 走るユーリを追いかける面々は、いつの間にか増えていた。抗だけではない。
 シュラインが敷いた油の廊下にユーリは本物の忍者にも負けない壁走りを披露した。
 それを待ってましたとばかりに慎霰が捕縛網を投げる。
 ユーリは壁を力いっぱい蹴って、捕縛網を逃れるように天井板を破ると天井裏へあがった。
「いらっしゃ〜い」
 抗が待ち構えている。
 ユーリは天井板を力いっぱい踏み込んだ。板が跳ね上がって抗の一撃を防ぐ。
 ユーリの目くらまし用の火薬球とシュラインのコショウ爆弾とは、どちらが先に放たれたのか。
「はっくしゅーん! はっ…はっ…はっくしゅん! くしゅん」
 煙幕の中で、最早くしゃみが止まらない抗とユーリであったか。
 目くらましに乗じて戦線離脱を試みたユーリだが、とにかくくしゃみが止まらなくて、すぐに居場所が知られてしまう。
「くしゅんっ…逃が…くしゅんっ」
 抗がユーリのいると思しき方へタックルを仕掛けてきた。
 ユーリのリストバンドは、最初にゼクスから受けたダメージもあって、既に10も残っていない。
 慎霰が手ぬぐいをマスク代わりに天井へあがってくる。
「くそっ…はっくしゅ……」
 抗に羽交い絞めにされたユーリがもがくのを止めた。下手な抵抗はHPを減らすだけだ。それに。
「多勢に無勢。悪く思うなよ」
 ゆっくりと煙幕は拡散し薄らいだそこに慎霰が立っていた。
「くっ……ここまで……っくっしゅん…か……」





 ユーリがDEADの直後。
「あわてんぼう将軍は!?」
 シュラインが窓の外を覗いた。残りの生者はどうなったのか。
 この鬼ごっこ最大の難敵ともいえる歩く大迷惑。
 中庭は赤く染まっていた。
 勿論、血の色で、などではない。間もなく陽が沈むのだ。茜色に染まった西の空の色がそのまま映っているのである。
 そこで、ばってん羊としずめが対峙していた。
 しずめが庭の木を振り回している。特殊能力が抑制されるこの中にあって、ありえないほどのバカ力を披露していた。それをばってん羊が軽やかにかわしている。
 それはまるで五条の橋で出会った牛若丸と弁慶のようであった。
 ともすれば、猪突猛進、力で押すだけのしずめに勝ち目などなかったのかもしれない。
 ばってん羊がひらりと立ったのは、しずめの振り回す木の上だった。
 とても羊とは思えない身のこなしで、しずめのリストバンドを急襲する。
 暮れ六つの鐘が鳴り始めたのと、それはどちらが早かったのか。
「もしかして、これで全員DEAD?」
 シュラインが振り返った。
「って事は、勝者なしか?」
 鬼としては嬉しいような、しかしどこか拍子抜けしたような、そんな気分で慎霰が肩を竦めてみせた。
 そうして、この鬼ごっこの参加者と鬼になっている人間を互いに言い合って確認し合う。
 それを見ていたユーリがふと、傍らの抗に言った。
「そういえば、お前ちゃんと、とどめは刺したんだろうな」
「とどめ? 誰の? …………!?」





「あら、終わったみたいね」
 空が食後のお茶を啜りながら言った。ついつい、鯉の洗いに夢中になって、生者狩りを忘れていた鬼どもである。空のみに関して言うなら、リマを狩った時点でこのゲームはほぼ終了していたわけだが。
「敗者復活のアナウンスもなかったし、まだ生存者がいるのかな」
「うむ」
 鯉の洗いのあらなどを漁っていたゼクスが、顔をあげて振り返った。
「あ……」
 妓音が呟いた。
 空とリマがゼクスを指差す。
「ああ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!??」
「うん?」
「ナチュラルに気付かなかった……」
 大穴といえば大穴だっただろう。彼は鬼ごっこ参加者の中で一番真っ先にDEADになりそうな人物だったのである。更に言えば、彼は鬼になっても生者を追いかける余力のない貧弱さを備えているので、危険指数は皆無。それゆえに、生者であっても鬼であっても、周囲の人間にとって、彼に対する意識は全く変わらない相手だったのである。



 サバイバル鬼ごっこ優勝者―――ゼクス・エーレンベルク。



 ・:.:*.:.☆:・:..★.:・*.:*・



 天守閣の屋根の上。
 茣蓙を敷いて、そこに鬼ごっこ参加者全員が会した。
 ゼクスは高級和菓子を独り占めに狂喜乱舞で、わき目もふらず食べている。
 それを横目に空が言った。
「大体さぁ、保護者が早々にDEADしているのに、まさか、と思うじゃない」
「そうよねぇ」
 敗者に振舞われる冷や水を空に渡しながら、リマがその隣に腰をおろす。最後の瞬間まで、一緒にいたのに気付かなかった彼女らも彼女らであるが。
「いやはや、面目ない」
 頭をさげつつ、抗は冷や水をユーリに手渡した。
「まぁ、俺は高級和菓子を手に入れても、甘いものは苦手だからな。こっちの方がいい」
 ユーリが冷や水を軽く掲げて言った。
「負け惜しみか?」
「負けたのはヒメもだろ」
「俺は負けてない!!」
 抗はきっぱりと言い切った。この期に及んできっぱりと。負けを認めない男。或いは負けた事を忘れる男。
「……そうか」
 ユーリは肩を竦めて冷や水を煽る。
「!? なんだ……これ……」
 今にも噴出しそうになるのを堪えてユーリは冷や水の入っていた器を見た。
「冷や水だ」
 抗の即答にユーリはそれを手渡した相手をキッと睨みつける。
「これ、甘いぞ」
「ああ、冷や水ってのは、冷やした砂糖水のことだからな」
 冷や水を配りながら慎霰が言った。
「京都の冷や水には白玉はんは入ってへんのんぇ」
 妓音が付け加える。
「……ヒメ。何故これには白玉が入っていない?」
 ユーリがぷるわなと震える声で尋ねた。
 抗がユーリの前にVサインを作る。
「ふっ。勝利」
「……お茶……ある?」
 ユーリはふらふらとトキノの元へ歩み寄った。
「点てましょうか」
 トキノが茶箱を開けて、野点でもするかのように茶を点てる準備を始めた。
「こんなところまで持ってきてたんですね」
 呆れつつ大和も冷や水を飲む。
「私も点てていいですか?」
 シオンがトキノの傍に擦り寄った。
 シュラインは全員に冷や水が行き渡ったのを確認して、庭に向かって手をあげた。
「上様ー!! 準備OKでーす!!」
 庭先で、打ち上げ花火を仕込んでいたしずめが、それに応えるように腕をあげた。
「おーっ!」
 慎霰が目を丸くする。
「おい、ちょっと待て、ここ天井……」
 慎霰は、少し前。力いっぱいここで頭をぶつけたのだ。
 しかしシュラインは「大丈夫」と笑って飛び上がった。
 あるはずの天井にぶつかるでもなく、シュラインは両手を頭上に高々と伸ばしてジャンプした。
「なっ……」
 陽が沈んで、いつの間にか時空艇のハッチが開いていたのだ。
 そこにあるのは天然ものの夜空。
 そこに、打ち上げ花火があがる。

 体を震わす大きな爆発音と共に咲くのは牡丹に紫陽花。

「よっ! たーまやー!!」

「かーぎやー!」

 やがて大きなしだれ柳がそれぞれの胸に余韻を刻んで夜の闇に消える頃。
 白い光が彼らを包んだ。







 夢か現か現が夢か。

 時間と空間の狭間をうつろう謎の時空艇。
 彼らの行く先はわからない。
 彼らの目的もわからない。
 彼らの存在理由どころか存在価値さえわからない。
 だけど彼らは時間を越え、空間をも越え放浪する。
 その先々の人々を、何の脈絡もなく巻き込みながら。






 ■大団円■


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
★   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ★
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業・クラス】


飛脚:
 【TK0086/シュライン・エマ/女/26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
きつね小僧:
 【TK1928/天波・慎霰/男/15/天狗・高校生】
遊び人の絵師:
 【TK3356/シオン・レ・ハイ/男/42/紳士きどりの内職人+高校生?+α】
あわてん坊将軍:
 【TK4621/紫桔梗・しずめ/男/69/天狗・高校生】
遊び人の妓音ちゃん:
 【TK5151/繰唐・妓音/女/27/人畜有害な遊び人】
大身旗本の惣領息子:
 【TK7087/冴島・大和/男/17/高校生】


忍者:
 【PM0204/ユーリ・ヴェルトライゼン/男性/19/エスパー】
花魁(時々くのいち):
 【PM0233/白神・空/女/24/エスパー】
(たぶん)忠義の厚い侍:
 【PM0289/トキノ・アイビス/男/99/迷子の迷子のお爺さん?】
八丁堀の旦那(同心):
 【PM0641/ゼクス・エーレンベルク/男/22/エスパー】
岡っ引きの抗ちゃん:
 【PM0644/姫・抗/男/17/エスパー】


 TK:東京階段 / PM:サイコマスターズ / 整理番号順

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

 ありがとうございました、斎藤晃です。
 楽しんでいただけていれば幸いです。
 ご意見、ご感想などあればお聞かせ下さい。

PCゲームノベル・星の彼方 -
斎藤晃 クリエイターズルームへ
東京怪談
2007年09月18日

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