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『雨夜に来たりて 』
一条・里子7142)&(登場しない)

 平日の正午を過ぎたばかりのマンションは、住人の居ない部屋が多いこともあってしんと静まり返っており、厚い雲に覆われた空から降り頻る雨の音をそのままに伝えてくる。
 窓を打ち、アスファルトを濡らし、流れ落ちる水滴。
 日中だと言うのに部屋の明かりをつけなければ暗過ぎて、こんな日が何日も続けば気が滅入るのも当然だと、パソコンの前でマウス片手に息を吐くのは、八年振りに東京の梅雨を実感している一条里子だ。
 東京に戻って来られたのは色々とありがたいのだが、この時期ばかりは梅雨知らずの札幌が恋しくなる。
 春夏の花が一斉に咲き乱れる北の大地は今が最も華やかだ。
 それこそ彼女が現在作成中のドットアイコンのように愛らしい花の精霊達が、今が盛りとばかりに舞い踊っていることだろう。
 夫の仕事の転勤で東京に越して来てから約三ヶ月。
 いろいろとあったものの、住み心地の良い家に家族三人が元気に暮らし、縁あって空いた時間を有効的に使えるパート先も決まり、こうして趣味の素材サイトに上げる新作を作成する事も出来る。
 連日の雨はともかく、彼女の毎日は平和そのものだった。

 この夜、一本の電話が彼女の日常に小石を落とすまでは――。


 ■

「えっ?」
 居間の受話器を握り締めながら思わず大きな声を上げてしまった里子は、ソファでくつろぐ夫と、テレビを観ていた娘から驚きの視線を浴び、慌てて笑顔を作った。
「ごめんなさい、友達が…、その、子供が出来たって言うからびっくりして」
「へぇ、おめでとう」
「男の子? 女の子?」
「聞いてみるわ。――話が長くなりそうだから向こうに行くわね」
 朗らかな笑顔を向けてくる家族に心苦しさを感じながらも、そう誤魔化した里子は電話を子機に持ち替えて寝室に入る。
 扉をしっかりと閉め、なるべく壁から離れた場所に座ると、ようやく電話の相手との会話を再開した。
 相手は高校時代の友人。
 既に結婚もしており、子供が出来たなら何よりの朗報だが、もちろんそれは里子が咄嗟についた嘘だ。
 家族を騙したくなどなかったが、驚かされたのだから仕方が無い。
 それもこれも友人が「霊視をして欲しい」などと言い出したからで。
「どういうこと?」
 家族に聞こえないと知りつつも声を落として問い掛ける。
 自分に霊感があることを知るのが親しい友人だけならば、この電話の主も、里子が本音では霊障の類に関わりたくないと思っていることを承知しているはず。
 それが判っていればこそ友人の現況が気になった。
 しかし話を聞くうち霊視されたいのが本人ではないことが判ってくる。
「つまり、貴女の叔母様を視て欲しいってことね?」
 確認する里子に、相手ははっきりと応えた。
 ここ最近、叔母の自宅近所では小動物の虐待が後を絶たず、酷い時には近所の飼い犬達が一晩中、遠吠えを繰り返す。
 住民は犬が鳴き始めると「現れたか!」と外に飛び出すのだが、誰一人、その犯人と思しき者の姿を見る事が出来ない。
 次第に近隣住民の間には体調を崩し寝込む人が増え、叔母夫婦もすっかり憔悴してしまっていると言う。
 警察に任せるなどして犯人が捕まり、以前の生活が取り戻せるならそれでいい。
 しかし、その話をする叔母夫婦の姿を思うと、根拠のない不安に胸を締め付けられる。
 里子が東京に戻って来たと知っていた友人は、彼女と叔母夫婦の住居が近いことに気付いて相談することにしたのだと。
「そう…」
 一通りの話を聞き終えて、そっと息を吐いた。
 少なからず嫌な予感がする。
 出来れば関わりたくないけれど、ここまで困っている友人を放ってはおけない。
「判ったわ」
 言うと、途端に友人の声が弾み、叔母夫婦の自宅住所を知らせて来ようとするから、それを制した。
「名前と、…そうね…、生年月日が判ればいいわ」
 霊視であれば、本人に会わずともアンテナ代わりになる幾つかの個人情報だけで事足りる。
 そうして霊視に掛かった時間はわずか数秒。
 ほんの少し意識下の目を広げれば必要な情報が流れ込んでくる。
「叔母様のご両親かしら…、あと…真っ白な犬…二メートルくらいありそうな大きな犬よ…」
 電話の向こうから驚きの声が上がる。
 どうやら叔母夫婦の家には一月程前まで里子が言う通りの犬が居たそうだ。
 二十一年という年月を共に過ごし、大往生の末に家族に弔われたという。
 里子はそれを聞いて納得する。
「叔母様達には強い守護霊様がついて下さっているのね。…そう、守護霊。ご両親と、その犬さんが、お二人を見守ってらっしゃるわ」
 言い換えれば、その強い守護のおかげで悪いものは一切近づけない。
 夫婦の周囲には友人が懸念するような霊的原因は全く見当たらなかったのだ。
 嫌な事件に、犬の遠吠え。
 近隣で体調を崩す人が多いのは、寝不足ゆえの精神的なものだろうと考えられた。
 そう告げると、友人は安堵した様子で感謝の言葉を繰り返す。
 里子も、当初の悪い予感が外れ、これで解決なら良かったと胸を撫で下ろした。
 トラブルに発展せずに済むなら何よりだ。
(…あの犬の守護霊様と目が合ったような気がしたのが気になると言えば、なるんだけれど…)
 互いに霊波を飛ばしているのだから、そういうことも無くはない。
 そう自分に言い聞かせる里子だったが、――これで終わるわけがなかった。


 ■

 その夜、熟睡していたはずの里子は急激な寒気に襲われて飛び起きた。
「ん…っ」
「ぁ…」
 その反動で隣に眠る夫が身動ぎ、低い声を漏らしたが、その眠りを妨げるには至らなかったようだ。
 ほっとした里子は、それも束の間。
 背後の霊気に緊張しつつ振り返った。
「…あなた…」
 ベッドの向こうに無邪気な表情で座っていたのは、大きく真っ白な犬の霊。
 先刻の霊視で友人の叔母夫婦の守護霊に視た姿だ。
 里子がそれを認識するのを待っていたように、白い犬は立ち上がって踵を返す。
 まるで「付いて来て」と訴えるように何度もこちらを振り返る仕草は、…何と言おうか、無邪気で愛らしい。
(ちょっと待って…)
 来てくれるものと信じて疑わない視線は、子供のものによく似ていて、里子はがっくりと肩を落とした。
 飼い主の守護霊となった犬が自分の元に現れ、付いて来て欲しいと訴える。
 やはり霊視の際に視線が合ったと思ったのは気のせいではなく、この犬には能力を持つ人間の助けが必要なのだ。
 それが何を意味するのか。
(そういうことなのね…)
 関わりたくないなどと言ってはいられないと察した里子は、夫を起こさないようそっとベッドを下り、仕度する。
 窓を打つ雨の音。
 玄関でワインレッドの傘を手にし、犬の案内のもと“霊感主婦りっちゃん”出陣となるのだった。


 闇夜に降り頻る雨は、里子の傘にも容赦なく打ち付ける。
 それでも犬に導かれるまま歩き続けた彼女は、目的地を確信した。
 かくして開いた第六感に異様な気配が伝わってくる。
(これは…)
 里子は察した。
 叔母夫婦を霊視しても悪いものが視えなかった理由。

 ――アァ…ウルサイ……

 雨音の中でも鮮明に聞こえるのは憎悪に満ちた呻きとも取れる言葉。

 ――…ウルサイシ…汚イシ……アァ…邪魔ナ…

 近隣の住民が体調を崩したのは、やはり寝不足による精神的なものであって、悪霊が及ぼす副作用に過ぎなかったのだ。
 …犬の遠吠えが止まない。
 猫も、鳥も。
 人間よりもよほど感覚の優れた動物達だからこそ察する悪意。

 ――…ァアアアッ…ウルサイ……!

 そして今、悪意の渦中に小さな命。
 生まれて間もない仔猫が鳴いていた。
 闇夜に煌くは包丁の刃。
「っ!」
 里子は傘を閉じて駆ける。
 柄を握り、脇構えに似た姿勢を取り、下から上へ描かれる軌跡。
「お止めなさい!」
 傘が相手の獲物を捕らえ、押し込む。

 ――…ッ……!

 こけた顔に、頬骨が不気味に浮き上がり、目は眼球が落ちるのではないかと疑いたくなるほど白目が大きく、身体つきは七十代前半の老女のものだったが、その腕力に風貌は正しく悪鬼。
 キイイィィ…ンと金属のぶつかり合う音が響き、それは恐ろしい面立ちを向けてくる。

 ――…貴様…何モノ……邪魔ヲ…スルナ……ッ…!

「いいえ退けません!」
 里子は強く言い切る。
 決して眼光を逸らさずに。
「動物さん達の命を何だと思っているんですか」

 ――…何ガ命…畜生ドモ…ッ…

「どんなに小さくても亡くなったら悲しむ人がいます」
 告げる彼方に、白い犬。
 二十一年を人間と共に生きたと聞いた。
 この土地で、二十一年だ。
 生じた縁は数知れず、出逢った命は限りない。
 もはやこの土地の“主”と呼ばれてもおかしくないほど土地に根付いた白犬は、主人と同様に、この地の仲間を守りたかったのだ。
 だが警察や国は、動物の死には無関心であることがほとんどで、だからこそ白犬には里子の力が必要だった。
「もうこの子達の命は奪わせません!」

 ――……!!

 里子の思いに応えるように、雨の下、傘から立ち上る霊気は神気に近しい荘厳さを帯びていた。

 ――…ナゼ……ッ…タカガ犬畜生…!
 ――……獣ゴトキガ可愛ガラレテ……私ハ独リで死ナナケレバナラナカッタノニ…!

 老女には老女の悲しみがあって。
 悪霊に変じたほどの苦しみがあった。
 それが彼女にとっての真実でも。
「問答無用です!」
 里子の手が悪魂を引き出し、握り潰す。
 いつしか老女の姿は降り続く雨に流されるように掻き消され。
 その向こうには白犬が深々と頭を下げる姿が在った。


 ■

「っくしゅん!」
「大丈夫かい?」
「お母さん、風邪?」
 やはり灰色の厚い雲に覆われた梅雨の朝。
 家族を見送りながら大きなくしゃみをした里子に、夫と娘が心配そうに声を掛けてきてくれる。
 昨夜、あの後に帰宅してすぐ風呂に入り直したのだが、長く雨に打たれたのは、やはり良くなかったらしい。
 だが大切な家族に心配を掛けまいと彼女は笑う。
「平気よ。それよりほら、二人とも遅刻しちゃう」
 仕事へ、学校へと急かされて、二人は靴を履き家を出る。
 その時だ。
「何、これ」
 娘の声に、何事かと里子も玄関から顔を出した。
「あら…」
 そうして目にしたのは片手に乗る大きさの瓶に入ったハーブの葉。
 里子は匂いを確かめ、その独特の香りからエキナセアだと気付いた。
 薬効は――確か風邪への免疫力を高めるというものだったはず。

 家族を見送り、ハーブを手に部屋に戻った里子は微笑う。
 置手紙などなかったけれど、白犬の「ありがとう」という声が聴こえて来る気がした。




 ―了―

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【登場人物】
・整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業 /
・7142 / 一条里子様 / 女性 / 34歳 / 霊感主婦 /

【ライター通信】
こんにちは、ご依頼ありがとうございます。
「友人からの口コミで霊視することになりトラブルに巻き込まれる話」ということで今回の物語をお届けすることとなりましたが、如何でしたでしょうか。
動物に対する里子さんの反応ですとか、リテイク等ありましたら何なりとお申し立て下さい。

季節の移り変わり、気温差も大きくなります。
どうぞくれぐれもお体ご自愛下さいませ。
またいつかお逢い出来ます事を祈って――。


月原みなみ拝

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PCシチュエーションノベル(シングル) -
月原みなみ クリエイターズルームへ
東京怪談
2007年09月07日

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