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『アール嬢の受難 』
ラン・ファー6224)&橘・沙羅(6232)&橘・エル(6236)&草間・武彦(NPCA001)

【回想、はじめ】

 それは、ある雨の日の事でした…。
 ここはエレベーター無しの四階建てになるとあるビル。その二階、初見ではとてもそうは見えないかもしれませんけれど斡旋業の看板(…?)を掲げている部屋に、かかってきた一本の電話がありました。
 わたくしがゆったりと書籍のページを捲る喜びに浸っている最中、かかってきたその電話の相手は…草間武彦さん。…言わずと知れたあの草間興信所の所長様、『怪奇探偵』の名をほしいままにしている御方で御座います。
 そして受話器を取り上げたのはわたくしこと、橘エルで御座いました。
 電話の内容は何事だったのかと言えば勿論、人材を寄越して欲しいと言う依頼で御座います。
 曰く、出来ればわたくしの妹である橘沙羅を、と。
 依頼の詳細を伺ってみれば、確かに妹の沙羅――アールならば最適そうな依頼です。
 わたくしがそんな電話を受けた時、珍しい事ながら、このビルのオーナーでもあり我らが最愛の主であるラン様が――ラン・ファー様もこの場所にいらっしゃいました。普段ラン様は数多の人々とお会いするのに忙しく、この二階に立ち寄られる事はあまり無いのですが…恐らく今日の場合は雨故に外に行くのも面倒がられて、取り敢えずこの場に留まられ、わたくしの淹れた紅茶を召し上がっていた…と言うところなのでしょう。
 そして、ちょうどわたくしが今受けていました電話。
 きっとラン様には、わたくしの発する草間さんの名は聞こえていたと思います。依頼と言う単語も、アールと言う呼称も。…その時点で、ラン様には何の話かはおわかりの筈です。
 言霊はラン様の分野になりますから。
 思った通り、ラン様は受話器を置いたわたくしをじっと見ています。
 そう、雨故にずっと塞いでらっしゃったラン様のその見目麗しい顔が理知的な緑の瞳が…その日はその時になって初めて、きらきらと興味深げに輝いてらっしゃったのですわ…。

【回想、おしまい】



 …と、そんな訳で。
 四階建てのとあるビル二階。
 斡旋業の看板を一応…あくまで一応それも途轍もなくやる気が無さそうに掲げてあるその場所に、当然の如く橘沙羅が呼び出されていた――と言うか携帯でやんわりと呼び出された時には偶然ながら既に当の部屋の前に居たと言うのが正しかったりするので、呼び出されて一秒の後には沙羅はもう呼び出された場所に到着している事になる。…なので何かお仕事入ったんですか姉さん、と声を掛けつつ何気無くドアを開け足を踏み込み――その時点で部屋の中から唐突に拍手と共に声を掛けられ、沙羅は思わず動きを止めてしまった。
 沙羅をこの部屋に呼び出したのは当の彼女自身の姉、橘エル。そこまでは良いのだが…珍しい事に何故かラン・ファーまでこの部屋に居る。…それはここはラン・ファーの所有するビルでありそもそも斡旋業を始めたのもこのランである。そう考えれば彼女がここに居る事に不思議は無い…確かに不思議は無い筈なのだが、このランの場合は実はそうでもなかったりする。数多の人々の間に――と言うか面白そうな物事があれば何処にでも首を突っ込むのでその身はやたらと忙しく、むしろこの場に留まっている事の方が珍しい。なのに何故今はここに居るのか…沙羅はふと窓の外を見る。先程まではまだこれ程では無かったと思うのだが、雨の降り方が強くなっている。納得。…ランちゃんも外出したがらない訳です。
 …沙羅が思わず動きを止めてしまった理由に戻る。それは――部屋に入った途端、ランから唐突に拍手を浴びせかけられ、呼ばれて飛び出て素晴らしい速さで現れたなさすが忍者め、と褒められているんだか莫迦にされているんだかそれ以外なんだかよくわからない微妙な反応をされてしまったからである。そしてランが居る限りそんな奇天烈な反応はいつもの事でもあり――そして同時に今日の場合ランが大人しく(?)この場に居座っており、沙羅がお仕事ですとこの場所にエルに呼び出された以上、何だか途轍も無く嫌な予感がする訳で。
 用件。エル曰く、草間興信所の草間武彦からこの斡旋所に正式に人材派遣の依頼があったのだと言う。話を持って来る時点で武彦は沙羅が適任ではと零していたらしく、実際に沙羅の身柄も空いていた為にエルの方でも沙羅に白羽の矢を立てたと言うところらしい。

 が、ここで一つ問題が。

 ――…当然のように私も行くぞとランが同行を申し出ている。
 肝心の依頼内容は、隠密重視で某ネクロマンサーの術者当人を、術が使えないくらいにまでちょいと叩きのめしてきて欲しいと言う話。…術で操られている死体を相手にせよと言うよりその術者を密かに何とかしてくれと言う方向なので、忍者適任、と言う事らしい。曰く、その手の術は基本的に大掛かりな準備が必要で術自体に即効性はないそうなので、術者当人だけをと考えるなら結構普通の手段の延長で何とかなりそうであるらしい。そして沙羅の場合はそれだけではなく鳥獣の姿を取る炎の使役、と言う少々普通の手段からは逸脱した力をも持っている――つまりは保険まで利く事になるので、なおよし、と言うところらしい。
 但し、そうなると――ランは確かに暇を持て余しているのかもしれないが、同行なんて無茶である。無理である。彼女が居るだけで隠密行動なんて破綻する。勘弁して。と言ってもランは聞き入れてくれる訳はないのでと言うかむしろランに直接訴えると変にやり込められてしまう事は身に沁みてわかっているのでランに対しては何も言えない。だが、だからと言ってエルに訴える事を考えても…エルもエルでエルであるが故にランの行動に反対する訳もないので――沙羅はおもむろに自分の携帯取り出しぴぽぱぽぴ。
 お願いですもう一人雇って下さい! と繋がるなり沙羅は通話先に切々と訴える。
 …勿論通話先は草間興信所。もしもしも挨拶も前置きも何もなしでのその訴えに草間武彦は面食らったようだが――同時にその切実さだけは物凄く伝わってくる訳で。そもそも実際に依頼を受けたエルを通さず武彦宛てに沙羅が直接泣きついてくる時点でかなり切実だ。…だが武彦側でもそう簡単にはいかない。
 電話を掛けてきた沙羅が言って来ているのは、斡旋所に頼んだ依頼の話だと武彦はすぐに理解する。そして恐らくはその斡旋所の主ことラン・ファーが何か無茶を言い出している為に直接こちらに泣きついて来ているのだとも察しが付く。が、依頼で頼んだ標的、その術者をやる為には一人で充分だろうと武彦の方の依頼主、依頼の大元になる先方は言っており実際にそれしか金を出す気はないらしい――勿論、貧乏で有名な草間興信所で立て替えて出せる訳もない。ついでに言うならここで沙羅に下手に同情すると自分の方にも余計な災難が降って来かねないと武彦は承知している。…どう足掻いても却下の方向にしか話の付けようがない。
 結局、通話先、受話器の向こう側武彦は――心の中で済まん成仏(?)しろよと沙羅に謝り手を合わせつつ、それはそちらの都合だからそちらでどうにかしてくれとにかくこちらでは一人雇う分しか金出せんと突き放し…遮るように通話切断。ああ無情。
 途端。
 うわあああああんと携帯放り出し姉のエルに泣きつく沙羅。隠密行動もそうだがそれをさて置いてもランのお守り(?)をしながら戦うなんて無理である。お願いです姉さんも一緒に来て下さいお願いです頼みますと涙で顔をくしゃくしゃにしながら何度も何度もエルに頼み込む。
 そんな妹の姿を見、可愛いお顔が台無しですわとエルは指で沙羅の涙を拭っている。そして、仕方ありませんわねと小さく溜息。親愛なる姉のその態度に、沙羅は希望の光を見た。一緒に行ってくれるんですね! その確認に、エルは静かに微笑んで頷く。…但し眼鏡の奥の目の表情までは見えない。エルも行くのか楽しくなりそうだなと口を挟んでにやりと笑うラン。…誰かさんのその科白だけで沙羅の眦にまた涙がじわり。でも我慢。…姉さんが来てくれるならまだマシ。
 そんな風に思う沙羅の横で。
 エルはにこにこと優しそうに微笑みながら沙羅の頭を撫でている。
 それでもやっぱり眼鏡の奥は相変わらず見えない。…今に始まった事ではないがしみじみ真意が見えない。
 本来なら、その時点で微妙に不安材料を抱きそうなものである。



 恐らく『そこ』らしいと依頼時点で見当が付けられ予め知らされていた某ネクロマンサーのアジト。
 …どうやら、デフレだ不景気だと言った近年良くある理由で倒産、放置された不遇な食品加工工場であった施設らしい。そしてやっぱり同じような理由で、その後の見通しも立っていないまま見捨てられている土地であり施設。
 もう長年使われていないとの事で、沙羅たちが侵入した時点では――実際に人気など欠片も感じられなかった。

 だが。

 沙羅たち三人が侵入し、行動を開始した途端――事情は一変した。
 それは斥候の為に沙羅一人が侵入した時点では何処にも問題は無かった。
 だが続いて次に入ってきた人物の『全く普段通りの行動』で、隠密行動は当然の如く破綻した。
 そして隠密行動が破綻し誰がどう見てもそこに誰かが侵入――知っているものならその侵入者がラン・ファーであると言う事すら即座にわかってしまいような堂々振りを晒した途端。
 ――…その辺に放置されていた、考えてみればやけにぴっちりと閉められていたコンテナや冷蔵庫の類が――内側から勝手に開き出した。
 何やら不穏な音と共に。

 そして――今の状態に至る。

 裂帛の気合…と言うより素直に聞けば悲鳴。むしろ今にも殺されそうな十八歳と言うお年頃な乙女の絶叫。それと共にやけに的確に小さな弧を描いていたのは沙羅の持つやや短めで反りが浅い日本刀――そんな技術を持つ者にとっては使い回しが良いように作られた、忍者の為の忍者刀の刃。弧を描き閃いた次の瞬間ごとりと重苦しく濡れた音が連続して地に落ちている。…けれど沙羅は自分が今斬ったものの――地に落ちたものの正体を見極めたくない。コンテナや放置された冷蔵庫の中から出て来た『それ』ら。言葉に出したくない考えたくない見たくもない。
 …何故なら『それ』らはまずゾンビだから。死体だから。腐りかけと言うかはっきり腐ってるから。取り敢えず胴体から真っ二つに切断したので今どうにかしたゾンビ(その単語を考えるのも口に出すのも嫌だ)はまずまともに襲い掛かっては来れないと思う。近場に来た数体…数えたくもない。地面に崩れた『それ』――切断した上半身も下半身も、思った通り、特に意味のある動きは出来ないらしい。…けれどゆらゆらわさわさ微妙な動きで足掻くように動いているのが見えるのが凄く嫌だ。怖い怖い怖い気持ち悪い。でも目を背けたら自分だけじゃなくランちゃんも姉さんも危険。でも怖い。やりたくない。でもやらないと危険。うわあああああん。絶叫。
 …何だか置かれた状況がまず間違いなくホラーである。
 そしてそんな半泣きの沙羅の視界の中には、まるでホラーなその惨状を見世物でも見るように喜んでいる人が一人。たった今沙羅が倒した(?)ゆらゆら動いている死体のパーツの傍らに座り込み、興味深そうに扇子の先で突付いて反応を見ようとしていたりする。その傍らではまぁと口許を押さえるような形に本を持ち、相変わらずにこにこ微笑んでらっしゃるおねえさま。自分とランを見ている事に気付いた沙羅に向かい、頑張って下さいねとばかりに小さく手を振っている。…何だか場違い極まりない。
 …その時点で沙羅にとってはまたホラーに近い状況と言える。相乗効果でホラー度合急上昇。
 そう、現実なのに見世物感覚なランと事ここに至っても泰然自若なエルの後ろに――また別のゾンビがのそりと迫っていると思ったら尚更。元々ホラーな状況に青褪めていた顔の血の気が更に引く。顔色が青どころではなく白くなる。
 ランもエルも気付いていない。…それは二人とも全然戦闘向きではない人物なので。
「…まだ動くのかこの死体は。死んでいるのに元気だな。おお突付いたら余計にびくびく動くぞ。…ふむ。アールが切断したところを繋げたらまた普通に歩くようになるかもしれんな? 歩けるようなら持って帰っても面白いかもしれん。…いや持っては帰れんなまず重かろうしやたらと臭いし汚いし飽きた時に困りそうだ――…ってうおっ!」
 ランとエルの背後に迫っていた一体。沙羅が咄嗟に投擲した手裏剣であっさり首が飛ばされ、自分の側に力無くよろめいて来るゾンビを見、思わず声を上げるラン。同刻、持参したハードカバーの本の角でそのゾンビをべしりとぶっ叩いて倒れ込む方向をランから的確に逸らすエル。…ただそれでもまだ微妙に鈍い動きでよろよろしている――それでも結局今にも倒れようとしている事には変わりは無い――ゾンビを見、今度はランが扇子で殴り付けここぞとばかりにそのゾンビを床に叩き伏せた。無駄にとんでもない扇子の重量とランの怪力の相乗効果によるダメージでか、びくびくと痙攣するよう動いてはいるが立ち上がって来ようとはしない――そんな身体をランは遠慮無く踏みつけその場に縫い止めた。そのまま見下ろし、轟然と語りかける。
「…ゾンビの癖にこの私に不意打ちとはやるな。さては貴様、近頃のゲームに出て来るゾンビのように無駄に素早い身体能力を持っているクチか。それともまさか私を無理矢理押し倒そうとしたとか言うまいな。…さすがに首無し死体は受け入れられんぞ」
「あああランちゃんそんな事言ってたりやったりしている場合じゃありません!! お願いですからもっと隠れてるとか大人しくしてて下さいっ」
「ん、私は充分大人しくしているだろうが。今だってこうやって首無しゾンビを倒したろうに」
 …当のゾンビの首を斬って八割無効化させたのは沙羅である。
 …そしてべしりと叩いて倒れ込む方向をランから避けさせ、残りの二割を補ったのはエルである。
 …以後、恐らく放っておいても特に問題は無かったようなそのゾンビを、ランがわざわざ扇子でブッ叩いて踏み付けている状況である。
「…。…倒してる時点で大人しくしてませんと言うかそもそもランちゃんが倒す直前の時点で『それ』は殆ど戦力外状態だったんですけどもっ…」
 いやそれ以前に、ここへの潜入時にランが普段通りに堂々としておらず隠密の目的通りにひっそり物事を進められていたら――そもそもこの対ゾンビ戦は無くて済んでるような気もするが事ここに至ってはそこまで突っ込んでいる余裕が無い。…そこまでやっては戦っている自分の手許の方が疎かになると無意識下で判断、口には出してない。
 が、ランは片眉を跳ね上げ沙羅を見る。
「…殆ど、と言う事は完全に戦力外『では無かった』と言う事ではないか? おお、ならば忍びの技を持つお前をして戦いを不得手とする私でもこの場で充分戦いの役に立つと言っている事になるのだな? そうかそうか、良かったなアール。この頼れるラン・ファー様がこの依頼に同行を希望した事を涙を流して感謝するが良い。…ってなんだ、私が許可を与える前にもう涙を流して感謝していたのだな。良い心掛けだ」
「って挙げ足取ってる場合でもないんですっ、それとこれは怖くて泣いてるんですっ!」
「ん? 何が怖い。こんな面白い見世物滅多に見られるモノでもないだろう。…死体が動いているんだぞ?」
「死体が動いたら普通怖いです!!!」
 正論。…但し一般人ならと注釈が付く。まずこの相手には通じない。そしてそもそも今回の仕事の対象がネクロマンサー――死体使いともなれば、この状況は当然、とまでは行くまいが、それでも不測の事態として予想の範疇にあっても良い筈である。…ランが同行すると言うなら尚更。
 ただ、それでもやっぱり沙羅の感覚は普通の――その辺に居る一般人な女の子に近いのである。…貴重な事に。
「ふむ。そうか死体が動いたら普通怖いものなのか。…昨今の近所の状況を考えるとあまり怖くもないと思うがなぁ。例えば探偵の妹みたいなのも動く死体と言えばその通りではないか?」
「それもそうかもしれませんけどそうじゃなくって…あああああっ」
 ランに反応している間にも、凄い勢いで仲間を倒しまくっている沙羅にのったりと迫り来る新たなゾンビ。
 死体が動く=怖いに関しての反論。…こればっかりはランの言う事ももっともな部分があるのだが、それでも怖いものは理屈抜きで怖い。死体差別だぞと言われたとしてもそれでも怖い。いやそれを言うならランこそ死体を身近(?)に感じていながら今ここに居る連中を見世物と判断している時点で差別ではなかろうか。…いやこんな時にランの思考方法を辿ろうと試みてどうするのか。いやそもそもランがそう言うとも限らないもっと突拍子も無い事を言い出すかもしれないそんな事は沙羅には到底計り知れない…!
 恐慌、そして混乱。
 それでも沙羅の動きの一つ一つには狂い無し。…身体に染み付いた忍びの技は危機に瀕して結構勝手に発揮されてくれる。今も実際に迫り来た数体をあっさり切り裂いて倒している。どうやら一体一体はそれ程強くない――と言うか有態に言って弱い。沙羅程度の手腕があれば――本来なら全然問題無しのような相手である。
 が、今の沙羅の表情は憔悴と恐怖に満ちていた。…動きは軽いのに異様に息が荒く顔色が悪い。何だか対ゾンビ戦より対ランへのツッコミにこそ疲れ果てている節もある。
 それでも沙羅たち一行(と言うか殆ど全て沙羅)は、着実にゾンビを撃破し続け、目的の為に建物内を進んでいる。



 建物の階を上っても時々ゾンビの姿が見える。元の階から追い縋って来る個体、その辺に放置されているロッカー等から突如現れる個体。…事ここに至っては今更考えても仕方はないが、隠密行動が叶っていたならばどれ程楽だったかとしみじみ思う。ランが同行している以上どう転んでも無理とは承知だが、それでも『もしも』と考えずにはいられない。…いや、かくれんぼだと言い含めてそっち方面から攻めておけば沈黙を通して大人しくしてくれていたかもしれないか? とか考えてもみるがそれでも確実性は望めない。
 ゾンビたちの手応えのなさからして、恐らくは沙羅たちが来たと言うこの緊急事態に、術者は準備が整っていないながらも慌てて待機中のゾンビを起こして沙羅たちを何とかしよう、と思い立ったところなのだろうと察しは付く。
 そろそろ数が少なくなったなとランがきょろきょろ辺りを見回しつつぽつり。さては私に恐れをなして逃げたか、よかったなアール、手間が省けたぞと得意満面で沙羅の肩をばむばむ叩いている。いや手間が省けたどころじゃないんですがとどんより呟く沙羅。そうか、それ程との思いでいてくれたかとランは嬉しそうにまたばむばむ。…何だか致命的に話が食い違っている気もするがそろそろ沙羅には突っ込む気力もない。
 と、またゾンビが現れた――二人の背後斜め後ろ、沙羅から見て、ちょうどランが間に入る位置。咄嗟に忍者刀も揮えず手裏剣やら苦無を投げられる位置でもない――ごく僅かな刹那の間にそう判断すると沙羅はそのまま動く事を躊躇する。その間にもゾンビが近付く。沙羅はランに退いてもらう為声を掛けようと思うが――…。
 …――それより先に、エルが何処からともなくプチケーキの載った小皿をランに見せつけるように取り出していた。上手い具合にそちらにランの注意が向けば、ちょうど沙羅からゾンビへの攻撃が可能になる位置関係。
「ラン様、お菓子でも如何です?」
「…ん、もらおう」
 そろそろ腹も減ってきたしな、とランはエルの持つ小皿につられて位置移動。ランの注意が逸れ位置も動いたと見るや、すかさずゾンビに向け忍者刀を閃かす沙羅。一拍置いて、あっさりと両断された腐った死体がどさりとその場に崩れる。…ランは気付いていないと言うか最早気にせずプチケーキを頬張っている。
 どうやら今のゾンビが最後の一体だったようで、今度は唐突に静寂が訪れる。続いて、プチケーキを頬張りつつランが感嘆。あれだけの群れを成していたゾンビを殲滅するとは素晴らしいぞさすがだアール。…音がよく響く室内で遠慮も何もない隠密行動とは到底思えない大音声。そしてぱちぱちぱちと脳天気にも盛大な拍手。…だから本来の目的は隠密行動あってのものなのですが?
 …。
 …そしてまだ依頼の目的――本命らしい某ネクロマンサーさん当人にはかすりもしてないんですけれど?
 思いはするが言葉にまで出す気力がやはりない。
 と。

 がたり。

 前方の一室から音がする。警戒。するが――ランが堂々と前に出た。かと思ったらこそこそと隠れ――と言うか下手な尾行のように全然隠れられてはいないが本人は隠れているつもりなのだろう様子で――音がした部屋へと続くドアの側へ寄る。そして恐る恐るドアを細く開け、中の様子を探ろうとする。そして早く私に続けとばかりに後ろに手招き。沙羅とエルを呼んでいる――って、中に誰かが居るなら筒抜け間違いなしの行動。がたがたんと部屋の中の様子が少し荒れた。慌ててランがドアを大きく開き突入する。と、そこに居たのはゾンビではなく普通に生きていそうな人間。但し色々と事情はわかっている風であり――即ち目的のネクロマンサーと思しき男が逃げようとあたふたしているところだった。…よく今まで逃げていなかったものである。それ程自分の僕を信じていたのだろうかそれとも単にビビって足が竦んでいたのだろうか?
 ともあれ、そんな姿に、ランは堂々と胸を張って大見得切ろうと閉じた扇子をびしりと男に向けた――が。
 途端。
 ランがそのまま停止した。
 一拍置いて、こてんと倒れる。すかさずその身をエルが受け止め、非力な貴婦人然とした姿からは想像も付かないような怪力を披露し当然のように軽々と肩に担ぐ。
 倒れたランの後ろには、手刀を構えたままの姿で沈黙――肩を上下させやけに息を荒くしている沙羅の姿があった。
 …そろそろこの依頼でランにお付き合いするのにも限界が来たらしい。
 何やら目が据わっている。
 沙羅はそんな目のままで、部屋に居た男をじろりと見た。

 …燃えるような赤い髪と瞳を持つ少女のその妙な気迫に、男は怯えたままで目を見開いた。



 暫し後。
 携帯に電話がかかってくる――着信音からしてランの物。エルは失礼しますわと意識喪失状態のまま膝枕で寝かせていたランの携帯を取り出しひとまず相手を確認。草間武彦。…ならば自分が出ても良いかと思う――が、思ったところでランがいきなり目覚めて飛び起きる。そして当然の如く貸せとエルに。エルも勿論ランが起きたのならば否やはないのですぐ携帯を返す。返すとランはすぐに電話に出た。まずこちらが何を言うより先に耳に届いたのは武彦の声。
(やってくれたみたいだな)
「ん? …ああ、やったぞ。襲い来るゾンビを片っ端から倒してやった。探偵にも見せてやりたかったぞこの私の勇姿を」
(…。…ああ、そっちも結局そうなったか。ゾンビの方はこっちで別の奴で受け持つから元を叩いて欲しいと思ってお前らに依頼してたんだが…すまんな。結果としてこちらが楽をしたようだ)
「いや、なに、気にするな。色々面白かったしな。何ならまたいつでも依頼してくれ。こういう仕事なら我が斡旋所は大歓迎だ」
(…。沙羅も気の毒にな)
「ん? 何か言ったか? アールの名が聞こえたようだったがあいつに何か言伝か? 特別に伝えてやってもいいぞ?」
(いや。何でもない――また何かあったらその時は頼む)

「…」
 無言のまま脱力している沙羅の姿がネクロマンサーの男の前でへたり込んでいる。
 ネクロマンサーの男は、気絶している上、縄でぐるぐる巻きにされて床に放り出されている。
 当然、それをやってのけたのは沙羅。
 いいかげん限界でランを強制的に黙らせてからの事。沙羅は秒速であっさり依頼を完遂している。だが疲れた。本気で疲れた。どうしようもないくらい疲れた。…身体的にではなく精神的に。
 そしてランの携帯に掛かってきたと思しき電話も――やけにタイミングよく目覚めたランが受け答えている電話も――辺りが静寂に包まれているが故か結構普通に通話相手の声や会話内容が聞こえる。聞こえてしまうと更にどっと疲れた。…本当ならランの話すその内容にも色々と訂正を入れたいところだが何だか最早そこまでの気力がない。
 ただ、とにかく早く帰りたいとだけ思う。
 沙羅の肩にぽむと手が乗せられる。エルの優しい掌。相変わらず何故か光が反射して眼鏡の奥の瞳は見えない――故に何を考えているのか不明だが、それでも微笑み掛けられている事には変わりなく。
 そんなエルにお疲れ様でした、アールと優しく労いの声を掛けられ、沙羅は一気に安堵する。

 ――…これでやっと本当に、今回のお仕事、終わったんですよね? と。

【了】
PCシチュエーションノベル(グループ3) -
深海残月 クリエイターズルームへ
東京怪談
2007年08月13日

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