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『花芙蓉 』
嘉神・真輝2227)&嘉神・しえる(2617)&綜月漣(NPC3832)


 その日、嘉神真輝は目覚ましが鳴るよりも前に目が覚めた。――暑さで。
 今日も天気が良いのだろう、既に部屋はサウナ状態と化している。真輝は寝返りを打ちながら、枕元に置いてある冷房のリモコンを手に取った。
「日本の夏、再び……暑づぃ」
 ピッという無機質な音と共に、ひんやりとした風が室内を満たしてゆく。寝ている間にかいた汗が冷風で少しづつ冷めてゆくのを感じながら、真輝は寝ぼけ半分に起き上がった。
 窓越しにかけられた遮光カーンを開け放つと、途端に夏独特の眩い朝陽が差し込んできて、真輝は思わず瞳を細める。
「親子連れにとっちゃ絶好の行楽日和なんだろーけどな……」
 軽く溜息をつきながら、真輝はサイドボードに置かれた煙草を一本手に取ると、ライターで火をつけた。
 自分にとって夏の暑さは天敵以外の何ものでもない。じっとりとした湿気にアスファルトからの照り返し。すし詰め状態の海岸などはテレビで見るだけでも眉間に皺を寄せたくなるほどだ。仕事さえなければ、間違いなく夏の間は部屋にこもって冷房三昧の日々を過ごしているだろう。
 真輝は窓から離れると、再びベッドへ座り込んで壁にもたれかかった。
 朝陽の光と冷房の風が心地よい。そんな中、真輝は窓の外へと視線を向けながら、ふと一年前の事を思い出した。
「……そう言や漣に初めて会ってから一年経つって事?」
 一年前の今頃……否。もう少し前だったか。盛夏に入る一歩手前に、不思議な体験をした。
 あの日、あまりの暑さに頭が朦朧としていて、気づけば見知らぬ場所に紛れ込んでいたのだ。そしてそこで夏の神と漣に出会った。
「早いモンだな、季節一廻りか。今頃あいつらどうしてるんだか……」
 今年も夏が来たということは、当然夏の神は健在なのだろう。何処で何をしているのかはわからないが、元気でいれば嬉しいと思う。
 そんな事を考えながら、真輝が大きく息を吸い込んで、煙草の煙を吐き出した、その時。
 突然玄関先からゴン! ゲン! ガコゲン!! というけたたましい音が鳴り響いて、真輝は思わず煙草を口から落としそうになった。
 叩いているというよりはむしろ蹴り飛ばしているようなその音に、真輝は瞬間的に来訪者が誰なのかを悟る。妹だ。
「兄貴! 居るのは分かってるのよ、観念して扉を開けなさい! そして可愛い妹を避暑につれてけー!!」
 案の定、外から聞こえてきたのは馴染みのある声。真輝が慌てて時計を見ると、まだ時計の針は八時前を指していた。マンション住まいだからある程度の防音にはなっていると思うが、流石に朝っぱらからこれはマズイ。
「あんのバカタレ、今何時だと思っとんだ!」
 真輝はそう呟くと、手にしていた煙草を灰皿に押し付けて、玄関へと向った。


 扉を開けると、そこには嘉神しえるが不機嫌さを隠す事もせずに佇んでいた。
 だが、朝っぱらから妹のけたたましい声を聞いた真輝も不機嫌な事極まりない。真輝は戸口にもたれかかると、仏頂面のまま両腕を組んで溜息を零した。
「お前なぁ、ちょっとは周囲に気を使えや……っつーか避暑になんぞ彼氏に連れてってもらえばいーだろ」
「その恋人に会えないから、兄貴のところに来てやったのよ。恋人に会えない淋しさを紛らせてやるのも兄の役目ってモノでしょ!」
「って、そんな役目があるかっ!」
 避暑とはいえ、何故自分が妹の為に外へ出にゃならんのだ、と真輝は呟く。真輝にとって避暑=自宅で涼むが定説だ。しえるの事だから女友達の一人や二人いるだろうに、彼氏に会えないからといって真っ先に兄を誘いに来るのはいかがなものか。――同じマンションに住んでいるから、誘いやすいというのはあるのだろうが――真輝はげんなりしながらしえるへと言葉を放った。
「頼むから無駄な体力使わせるな。ただでさえ暑くて眩暈がするってのに。俺が夏に弱いの知ってるだろうが……」
「私だって暑さは苦手よ。だから『避暑』って言ってるんじゃない。高級リゾートとか言わないから、何処か涼しくて面白い所に連れて行け」
「連れて行ってくださいお兄様、だろーが」
 当然のように命令口調で言ってのけるしえるに、真輝は思わずそう突っ込みを入れた。だが、真輝の言葉をものともせずにしえるは言い張る。
「もうっ。去年は私が避暑に連れて行ってあげたでしょう? だから今年は兄貴の番よ」
「避暑って……お前、俺を盆地に連れて行ったアレの事をいっとんのか?」
「もちろんそうよ。兄貴も綺麗だって言ってたじゃない」
「…………」
 確かに去年の夏、二人して奈良へ行き、そこで燈花会を見た。町中が蝋燭の炎に包まれた光景は幻想的で、今思い出しても綺麗だと思う。だがそこへ到達するまでの道程を考えると、果たしてアレが『避暑』と呼べる代物なのかどうかは疑問である。
 見ればしえるは花柄のワンピースにミュール姿、手にはしっかり外出用のバッグとUVカット仕立ての日傘を持っている。既に出かける準備は万端なようだった。
 妹の性格は熟知しているつもりだ。自分がしえるの誘いを断ろうものなら、後が恐ろしいのは目に見えている。真輝はもう一度深い溜息を零すと、寝癖のついた自分の頭をかきながら、不機嫌そうに呟いた。
「……まぁ、近場で避暑つーたら、一箇所だけ思い当たるが」
 この辺りで涼める場所と言ったら、思い浮かぶ場所はひとつしかない。綜月家だ。
 竹やぶに囲まれた日本家屋。冷房などという文明機器は間違いなく無いだろうが、都会のじっとりとした暑さとは一線を隔した風情があそこにはある。
 涼を感じさせる緑や風は、和を好む妹もきっと気に入るだろう……そして変人と渡り合える度量も持つから大丈夫だろう。
 真輝は考え至ると、「支度するから上がって待っとれ」としえるに告げて、着替えるために奥へと入っていった。


*


 真輝に連れられて来た場所は、都心から少し離れた緑の多い地だった。
 ちょっとした観光地として知られている土地なのに、バス通りから一本道を逸れただけで人の姿はまばらになった。樹木の合間からは五月蝿いほどの蝉の声が降り注いでくる。熟れた葉の香りが周囲に立ち込め、深い青空がパノラマで見渡せる。夏だという事を強く実感することの出来る場所だ。
 やがて真輝の案内で竹林に囲まれた小路を抜けると、しえるの目の前に平屋の日本家屋が姿を現した。
 道すがら、「行くのは綜月邸だ」と真輝から聞かされてはいたが、想像以上にどっしりとした造りの家屋を見ると、しえるは思わず感嘆の溜息を零す。
「画家って貧乏なイメージがあるけれど、それって迷信なのかしら」
「知るか。そーいや俺、漣が仕事してる姿見たことないねーぞ?」
「あら、お客様が来ている時に仕事なんてするわけないじゃない」
「そらまぁ、そうなんだが。変な輩と戯れてる事が多いっつーか、遊んでばかりっつーか……」
 はて? と、漣の自宅を前にして、二人同時に同じ方向へ首を傾げる。だがそれも束の間の事。玄関の呼び鈴を押さず、真輝が壁づたいに中庭の方へ足を進めるのを見たしえるは、思わず真輝を呼び止めた。
「ちょっと! どうして玄関から入らないのよ」
「俺にとっちゃここの玄関は魔の扉だからだ。っつーても、中庭も似たようなもんだが」
 ブツブツと呟きながら自分の先を歩く真輝に、しえるが怪訝そうな顔をする。
「何よそれ。意味が解らないわ」
「解らんでいい。吹雪でも何でもどんときやがれ!」
 今日はどんなお出迎えだ!? と、何故かハイテンションの真輝を見ると、しえるは何とはなしに綜月邸を見上げた。古くはあるが、ただの木造の家に思える。突然動き出すのか、はたまた何か奇妙なからくりがある家なのか。真相は定かではないが、一つだけ解るのは、平然と中庭から入れるほど、真輝がここの主と親しくしているという事だった。

 真輝が中庭へと続く木戸を開く。それと同時に、しえるの頬を冷涼な風が撫でていった。
 何気なくしえるが前方を眺めると、中庭に和服を着た一人の男が立っているのが見えた。男は蛇口につないだホースを手に持ち、庭に咲き乱れる草木へと水をやっている。ホースから流れ出る水は大きく弧を描いて木々を濡らし、光の加減で空には小さな虹が出来ていた。なんとものどかな光景だ。
「おーい漣。避暑に来たぞー」
 しえるの前を歩いていた真輝が、おもむろに男へと声をかける。
 土産もあるぞーと言いながら、真輝が手にしていた袋をずいっと前方へ掲げると、その声に気付いた男は、ホースを片手にゆっくりとこちらへ視線を向けてきた。
「おや、真輝君じゃないですか。お久しぶりですねぇ」
 こちらの気が抜けてしまいそうなほど、のほほんとした口調だった。
「幽霊画家というから、もっと軟弱で青白い顔をしているのかと思ったけれど……実物はそうでもないみたいね」
 漣の顔を見たしえるは、独り言のようにそう呟いた。
 のほほんとしてはいるが、こちらを眺めている瞳はどこか鋭さを含んでいるように思えた。敵視や嫌悪といったものではない。底知れない闇を心の内に秘めているような、長い刻を見続けてきた者だけが持っているような、どこか冷めた雰囲気。
 一般人から見れば自分や真輝もかなりの特異体質だとは思うが、漣はまた違った意味で異質な存在であるように、しえるには思えた。
 そんなしえるに、漣が視線を向けてくる。束の間二人の間に緊張が走ったが、程なくして漣の方から表情を和らげた。
「そちらのお嬢さんは真輝君の恋人ですか?」
 悪戯をしかける子供のような笑顔を真輝としえるに向けて、漣はそんな爆弾発言をしたのだった。


*


 案内された場所は客間ではなく、中庭を臨む縁側だった。冷房は付いていないが、漣が水を撒いていた所為か、中庭から心地よい風が流れ込んでくる。遮光用に簾が掛けられ、軒下に吊るされた風鈴が、時折風にゆられて涼しげな音を奏でていた。どこからともなく漂ってくるのは、懐かしの蚊取り線香の香り。しえるはそれらを眺めながら、「確かに『近場で避暑』といえば思い浮かびそうな場所ね」とそんな事を思い、ふと視界に入った床の間に首を傾げた。
 そこには、何も描かれていない軸が飾られていた。
 何故絵の無い軸が置かれているのか解らず、しえるが思わず瞳を瞬かせた時。
「……なるほど。それで、お二人そろって僕の所へ避暑に来たわけですか」
 真輝から今朝のやり取りを聞いた漣が、二人へ麦茶を差し出しながらそんな風に切り出し始めた。


 盆に載せられた葛餅は真輝お手製のもの。漣の自宅へ辿り着く前に、暑さで少し氷が解けてしまったようだが、その半溶け具合が庭の風情にはよく合っていた。
 漣は三人分の葛餅と麦茶を縁側へ置くと、さりげなく盆を己の背後に隠して、にこやかな笑顔を向けてくる。
「いやはや。僕はてっきり、真輝君が彼女を連れて挨拶に来たのかと思ったのですがねぇ」
 冗談なのか本気なのか、腹の内がよく解らない調子で漣が笑う。するとそれを聞いた真輝が、飲んでいた麦茶を噴出しかねない勢いで漣へと返した。
「んなわけあるか! 妹だ妹! 嘉神しえる!」
 どうしてこいつはいつもマイペースなんだ、と真輝はブツブツ呟く。その隣で、しえるは社交辞令の入り混じった笑顔を向けて、漣へと挨拶をする。
「初めまして。お名前だけは兄から何度か伺っています」
「んぁ? 言った事あったか?」
「あるわよ。去年の今頃だったかしら? 『綜月漣のプロフィールを教えろ』って兄貴が言ってきたのは」
 しえるの言葉に真輝は麦茶を飲みながら思案し、やがて口を開いた。
「あー……そういやそんな事もあったか」
 初めて漣と出会ったのは、夢か現かわからない状況だった。歩くデータベースの妹に漣の存在の有無を聞くと、即座に「いるわよ」と言って、漣のプロフィールを教えてくれた事を真輝は思い出す。座右の銘が「人生適当」というのがかなり印象的だったが、漣の性格を知った今ではかなり納得がいく。
 二人のやりとりを聞いていた漣が、紫の瞳を細めながらおもむろに口を開いた。
「いやはや照れますねぇ。真輝君はそんなに僕のことを知りたかったんですか」
 人に聞かずとも言ってくれれば教えて差し上げますよ、などとほざきながら呑気に笑う漣を見て、真輝は再び麦茶を噴出しそうになる。
「照れるなそこで! っつーか、あん時は漣がほんとに居るかどうか解らんかったんだよ!」
「……まぁ、確かに面白い出会い方ではありましたからねぇ。真輝君が僕の知り合いに迫っていましたし」
「迫ったって、兄貴が?」
 真輝の隣に座っていたしえるが、ずいっと身を乗り出す。
「ええそれはもう。押し倒しかねない程の素晴らしい気迫でしたねぇ。あの時はお邪魔してしまって本当に申し訳なかったと思っておりますよ。ねぇ真輝君」
 しえると漣が同時に真輝へと視線を向ける。漣のこの言い方だと、現場に居合わせていないしえるは、相手を一般女性だと勘違いしているだろう――実際は夏の神なのだが――。真輝は嫌な予感を覚えてチラとしえるを眺めた。案の定、しえるは兄貴を苛めるネタが出来たとでも言わんばかりの笑顔を浮かべている。
「……殴られるなら、グーとパーとどっちがいいか選べや、漣」
「ははははは。去年も同じことをおっしゃっていましたよ、真輝君。庭でも眺めて心を落ち着かせたらどうです?」
 怒ると体力を消耗しますからねぇ、と言いながら、漣はのんびりと視線を庭先へ向けた。


 つい先ほど漣が水をやったばかりだというのに、既に地面は乾いていた。
 あと少しで昼になるという時分だ。日差しは強く、その分中庭に落ちる影の色も濃い。そんな中、庭の左方で一際艶やかに咲き誇る花が視界に入ると、しえるは思わず縁側から降りて歩み寄った。
「珍しい。まだ夏の盛りだというのに花芙蓉?」
「ええ。どういうわけか今年は少し早咲きでしてねぇ。初秋を待てなかったようですよ」
 赤紫とも淡紅色ともつかない花を幾重にも咲かせて、花芙蓉が盛夏の中庭を彩る。朝に咲き、同日の夕刻に萎れてしまうのは花芙蓉の特徴だが、その一瞬をここで見る事が出来るとは思わなかった。しえるは束の間花に見惚れ、やがてゆっくりと周囲に視線を向けた。
 縁側からでは気付かなかったが、綜月邸の庭は四季折々の草花を見る事が出来るよう、さりげなく趣向が凝らされていた。
 夏の季節は撫子に百日紅。秋の萩や冬の沈丁花も、今はまだ緑の葉を茂らせているだけだが、それぞれの季節になれば可憐な花をつけるのだろう。そして春。この庭で一体どんな草花が芽吹きを迎えるのか――。
 庭の情緒に触れて巡る季節を想い、しえるはしなやかな腕を動かしながら、ふわりと舞いを舞い始めた。


「……あれは日本舞踊ですか?」
 縁側でしえるの様子を眺めていた漣が、前に座っていた真輝へ問いかける。真輝は持参した葛餅を頬張りながら、一度しえるへと視線を向けて頷いた。
「ああ。あれで日舞の腕前は大したもんだからな。人ん家で舞うってことは、それだけ興が乗ってんだろ」
「優美ですねぇ。では僕も少し……」
 その言葉に、真輝は驚いて漣の顔を凝視する。
「漣も踊れるんか?」
「流石に僕は踊れませんねぇ。ですので変わりに舞庭を作ってさしあげようかと」
「舞庭?」
 漣は言葉のかわりに真輝へ笑顔を返すと、床の間に飾られた真白の軸を見つめながらトントンと縁側を軽く叩いた。
 すっと一筋の風が、床の間から庭先で舞うしえるへと吹きぬけてゆく。いつもの事だが、今日は一体何がみられるのかと、真輝は風を追ってしえるの方を眺めた。


 しえるの舞に併せて、場の空気が変わってゆく。
 どこまでも優しく、穏やかに。まるで庭の草木が、しえるの来訪に喜んでいるかのような気にさえなってくる。いや、確実に何かが変わっていた。
 舞っているのは花扇。その舞の流れと共に、しえるの眼前に様々な景色が現れては消えて行くのだ。
 つと指を浮かせたその先に、春の花が咲き零れる。やがてそれは、夏の川縁に咲く宵待草へと姿を変えた。しえるが繊細な動きでゆるりと舞うと、季節は秋へと移り変わる。黄菊の野辺は美しく艶やかに。そして雪にたゆむ寒牡丹が台頭する。
 舞と共に四季を巡ってゆくような、季節に抱かれているような、そんな錯覚に捉われる。
 春夏秋冬、その全てを手中に抱いて花扇を舞うことが出来る幸運を、しえるはかみ締めていた。
 やがて舞の終わりと共に訪れたのは、庭先に誇る花芙蓉――。
 立ち尽くすしえるの前で、花芙蓉はただ静かに風に揺らいでいた。


*


「お見事ですねぇ。真輝君のご兄弟に、舞踊を嗜んでいる方がおられるとは思いませんでしたよ」
 舞を終えて縁側へ戻ったしえるを、漣は拍手と賛辞で迎えた。しえるはそれに笑顔で返すと、円座に座り込んで漣を見据える。
 恐らくあの舞庭は漣が視せたものだろう。何者かということはわからないけれど、初めて会ったときに感じた異質な空気からも、それは容易に想像が出来る。
「お粗末様。廻る四季、きっと貴方は何度も見てきたのでしょうけど……美しいわよね、この国は」
「少なくとも25年は見続けていますからねぇ。日本の四季の美しさは、絵に閉じ込める事が出来ないほどに優美なものです」
 しえるの言葉に、漣はのほほんとした笑顔を浮かべながらそう返してきた。微かに含みを込めた言い方をしてみたのだが、さらりと漣にかわされてしまったようだ。
 それにしても四季を絵に閉じ込めるとは、なんとも面白い言い方をする。そう思いながら、しえるはふと床の間に飾られた軸を見つめ、やがて軸を指差しながら漣へと問いを投げかけた。
「……ねえ。来た時から不思議だったのだけれど、もしかしてあの真白のお軸は四季を表しているのかしら?」
 一見すればただの白紙。けれど、漣の言葉を拝借すれば、『閉じ込められないから何も描かなかった。故にあの軸は白紙』なのではないかと、そんな想像がしえるの脳裏を巡ってゆく。
 案の定、しえるの言葉に漣は茶目っ気たっぷりに頷いた。
「元は夏を描こうとしていたのですがねぇ。妙案が思い浮かばず、いっそ何も描かずにおいた方が潔いかと思いまして」
 以外と絵が描かれていない方が人目を惹くでしょう? そう言って、漣はのほほんとした笑顔を浮かべる。
「面白い人ね、綜月さんって」
「漣で構いませんよ。真輝君にはお世話になっていますからねぇ」
「……ああ、そういえば兄貴も居たのよね」
 見ると、真輝はしえると漣の会話に一人だけ取り残されているような、所在無さげな様子で葛餅をつついている。
 しえるはそんな真輝に一度微笑むと、やがてゆっくりと中庭へ視線を向けた。
 巡る季節に抱かれながら、色とりどりの様相を呈する美しい中庭に――。




<了>


PCシチュエーションノベル(ツイン) -
綾塚るい クリエイターズルームへ
東京怪談
2007年08月13日

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