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『【Mercury-colored Memory】 』
アドニス・キャロル4480)&モーリス・ラジアル(2318)&セレスティ・カーニンガム(1883)&(登場しない)

 フロントガラスを大粒の雨が叩き、規則正しく動くワイパーが歪んだ視界を拭う。
 天気予報では数日は夏空が続き、快晴の筈だった。
 だがラジオからは、急激な積乱雲の発達によって、この一帯に大雨注意報が発表されたことを、淡々と気象予報士が告げていた。
 夕暮れの時刻と厚く垂れ込めた鉛色の雲が相まって、視界は暗い。
 ヘッドランプを点灯すると、アドニス・キャロルは細く紫煙を吐いた。
 彼が友人から『招待』された別荘まで、あと僅か。
 ――ぜひ、見て貰いたい物があるんですよ。
 受話器の向こうから、にこやかな声でセレスティ・カーニンガムは彼をそう誘った。
 ――それから、彼も私と一緒に行きますので。庭を見てもらわなければ、なりませんから。
 あえて名を口にしなくても、言わんとすることは判った。リンスター財閥総帥が、自身の所有する庭の管理全般を一任している人物は、彼の恋人ただ一人しかいない。
 そんなセレスティの『悪戯』は、今に始まったことではない……長く生きていると、多少面白いこともなくては、緩慢な時間に埋もれてしまう。そういう意味では、友人のそれは刺激的だった。
 何よりもそれ以上に、恋人に逢えるということが、彼の心をはやらせる。
 その時、空が一瞬白く輝き。
 数秒後に身体の芯まで揺るがす衝撃と化した音が、轟いた。
「まったく……ついていない」
 短くなった煙草を、備え付けに灰皿でもみ消す。
 また、空を閃光が駆け抜け。
 道の先に構えた屋敷と行く手を遮る鉄柵の門を、黒く浮かび上がらせた。

   ○

 車のライトに照らされた両開きの門は、閉ざされている。
 降りて開けねばならないかと、シートベルトを外せば、ヘッドライトの前を黒い傘が横切った。
 土砂降りの雨にもかかわらず、傘をさした相手は門を開いて車が通るスペースを確保する。そして脇に下がって車が中に入るのを待ってから、再び門へ手をかけて。
 ギアをパーキングに入れ、サイドブレーキを引くと、エンジンがかかったままの車からアドニスは雨の中へ飛び出した。そんな彼の姿を見て、傘をさした人影が慌てて駆け寄ってくる。
「濡れますよ」
「もう濡れた。後は俺がやるから、モーリスは車に乗っていろ」
「風邪をひきますから」
 傘をさし掛けるモーリス・ラジアルと、二言三言の押し問答となり。結局、二人は一つの傘の下で雨を避けつつ、鉄の門を閉めた。モーリスが助手席に乗るとアドニスは運転席へ戻り、十数m先にある車寄せへまで車を進め、雨がかからない場所でようやくエンジンを切った。
「車は、このままで構いません……と、セレスティ様からの言伝です」
 それだけ言うと、たたんだ傘を手にしたモーリスが素っ気なく車から降りる。
 キーはそのままに車のドアを閉めたアドニスは、スーツにかかった雨滴を軽く払った。

 別荘……とセレスティは表現していたが、そこにあるのは日本人が別荘と称する少し凝ったコテージとは縁遠い、立派な屋敷だった。
 アドニスが屋敷へ足を踏み入れると、奥からモーリスが駆け戻ってくる。
 それから手にした白いタオルを、彼の頭にふわりとかけた。
 よく乾燥した柔らかな肌触りの生地は、微かに石鹸の香りが漂う。
「あんな雨の中で、傘もささないで……風邪をひいたら、どうするんですか」
 彼の髪からスーツへと、上から順番にモーリスは雨を拭っていく。
「雷が近くで鳴っているのに、傘をさして外へ出てくるのもどうかと思うがな」
 身を屈めた相手の金色のつむじを見下ろしながらアドニスが苦笑すれば、少々不満げな緑の瞳が彼を見上げ。
「いらっしゃい、アドニス。モーリス、彼はあなたを心配しているのですよ」
 少し悪戯っぽいニュアンスを混ぜてたしなめる声に、名を呼ばれた者達が目を向ける。
「濡れた服は置いて、どうぞこちらへ。必要なら、着替えもありますから」
 杖を支えに来客を迎えに出たセレスティは、身振りで二人を部屋へ誘った。

   ○

 天井中央の電灯は消え、代わりにテーブルでは燭台の蝋燭が炎が揺らめかせていた。
 そのほのかな光に、部屋に飾られた調度や数々の美術品の、ぼんやりとした輪郭が浮かび上がる。
「これは、どういう趣向だ?」
「ついさっき、雷が近くに落ちて停電したんですよ。自家発電に切り替えるよう、言っておきましたから」
 モーリスを伴い、杖をつきながら部屋を横断したセレスティは、クッションの置かれたソファへと腰を下ろした。
「それにしても……まだ箱から出してすらいないのに、この雷雨ですか」
 白い手が伸ばされて、ソファの傍らに置かれたティーテーブルの木箱へ触れる。高さは30cm、奥行きと幅は共に20cm程の四角形の箱だ。
「それは?」
「電話でお話しした、『見て貰いたい物』ですよ」
 セレスティが蓋に手をかけると、それを咎めるように雷光が薄暗い世界を裂き。
 部屋の陰影が明確に刻まれてから数瞬遅れて、雷鳴が部屋の空気を震わせた。
「随分と、近いですね」
「はい。夕立にしては、かなり荒れています」
 窓へ目をやった主人に、傍らで控えるように立ったモーリスが答える。大きなガラス窓では、大粒の雨が滝のような流れを作っていた。先ほどアドニスが車を運転していた時と較べると、風も出てきたらしい。斜に降る雨は、激しく窓を叩く。
 外の様子に構わず、震える蝋燭の炎を頼りにセレスティは蓋を外し、モーリスへと手渡した。それから膝の上にいったん箱を置くと、中から柔らかなクリーム色の布に包まれた物を注意深く取り出す。それをそっとテーブルに置くと、彼は空になった木箱をまたモーリスへ預けた。
「これは?」
「私も、何かは知りません。全く、人に隠しごとをするのもお好きなんですから……」
 顔を上げて尋ねるアドニスへ、いささか不機嫌そうなモーリスが木箱の蓋と本体を元通りに戻し、大きなテーブルの上に空き箱を置く。
「第一、このような別荘をお持ちだという話も、聞いていませんでした」
「ここでは、集めたコレクションの多くを保管しているんです。これだけ『入れ物』が大きいと、保管に困らないでしょう?」
 何かとスケールの違う相手に、やれやれとモーリスは頭を振り。
 彼のそんな仕草すらも楽しそうに、セレスティは頬杖を付いて彼を眺める。
「それで、まだ何を隠されているのですか?」
 布に包まれたままのテーブルの物体へ、ちらとモーリスが目をやれば、にっこりと彼の主人は微笑んだ。
「すぐ見せてあげるから、そう拗ねるのではないよ」
 からかうように言いながら、たおやかな手がかかった布を順番に取り払う。
 選び取る臭覚のようなものでもあるのか、彼の蒐集品には何かと珍しい物や、謂れのある一品が多い。
 その純粋な興味から、アドニスも息を潜めて友人の手の動きを見守った。

   ○

 四角い箱の中に収められていたそれは、やはり四角い形をしていた。
 一口で言うなら、それは置時計だ。
 土台と屋根、その天地を繋ぐ四隅の柱は、細かい文様が刻まれた黒柿が使われていた。経年による艶もあり、木の色に混ざって鈍い黒が美しく出ている。
 肝心の中央の時計部分は、面取りされたガラスが四方を覆って保護していた。
 これにより正面から見た時の、文字盤を針が示す時計としての機能と、側面や裏面から見た際の精巧な機械仕掛けの作りや動きを楽しむ、鑑賞品としての趣向も妨げない。
 そして丸い文字盤の下では、変わった形の振り玉が今もなお、右へ左へ絶え間なく揺れ続けている。
「これは……」
「水銀時計です」
 規則正しく動く歯車を覗き込んだアドニスに、セレスティが答えた。

 温度が上がると、規則正しい間隔を刻む為の要であるヒゲゼンマイが伸び、振り子の付け根から振り玉までの距離が長くなる。これが長くなれば重心の位置が下がり、振り子の振れる間隔は長くなり、時計が遅れてしまうことになる。
 そのため、振り玉の部分に水銀を仕込む方法が、1700年代初頭に開発された。温度が高くなると膨張する、水銀の性質を生かしたのである。
 温度が上がるとヒゲゼンマイが伸び、一方で振り玉の筒に仕込んだ水銀の水位が上がる。従ってゼンマイが伸びて時計が遅れた分、振り子の重心の位置を上げ、振り子の振りを早くすることで時計を進め、結果的に両者の差分をプラスマイナスをゼロとなるようにしたのだ。
 この水銀振り子式の時計を、一般に『水銀時計』とも呼ぶ。

 僅かな光を頼りに精巧な作りを覗き込んでいると、パッと部屋に電気が蘇った。
 どうやら、自家発電に切り替わったらしい。
 相変わらず、窓の外は激しい風雨に雷が続いており、荒れ模様は衰える様子がない。
「実はですね……この品物を見ようとすると、必ず嵐が起きるのですよ」
 さも面白そうに、セレスティが打ち明けた。
「……嵐?」
「はい」
「それじゃあこの雨も、この時計が呼んだって言うのか?」
「はい」
 にこにこと笑顔のままで、彼はアドニスの疑問に即答する。
「そもそも、水はセレスティの領分だろう……?」
 やれやれと銀髪を左右に振る友人に、「それとこれとは別です」とセレスティは笑みを崩さない。
「実は、それなりに曰くのある品なんです」
 そうして持ち主は、時計と共に伝わえ聞いた話を説明した。

   ○

 ――昔、それなりに地位の或る家に、一人の赤ん坊が生を受けた。
 その誕生を祝う為に作られ、赤ん坊へと贈られたのが、この水銀時計なのだ。
 赤ん坊はすくすくと成長し、順調な成長に合わせるように時計も共に時を刻んだ。
 しかし不運なことに、時計の持ち主は若くして命を落としてしまう。
 それと時を同じくして何故か時計も時を刻むのをやめ、いくら修理しても動かなくなった。
 ……まるで、短い生命の時間を刻むことしか出来なかった主を、悼むように。
 しかし主の葬儀が終わり、喪が明けた後。
 誰も何もしていないにもかかわらず、突然に時計は再び動き始めた。
 それから止まることなく、時計はただ針を進め続けている。
 ただ静かに、まるで主が生きることの出来なかった時間の分まで、時を刻もうとするかのように。
 そしていつの頃からか、箱から時計を取り出すと、何故か激しい雨に見舞われるようになったという――。

   ○

「まるで、時計が『静かに時を刻むのを、邪魔するな』と言っているような……そんな気がしませんか?」
 止む気配のない雨音を聞きながら、セレスティはガラス張りの置時計を覗き込んだ。
「だとすると、はた迷惑な話でもありますけどね。それで、セレスティ様はその話をご存知で……時計を見せようと?」
 溜め息混じりにモーリスが聞けば、顔を上げたセレスティは笑顔をみせる。
「ええ。とても綺麗な時計ですから、つい見てみたくなるんですよね」
「早く、仕舞って下さい」
「もう少し、いいじゃないですか。せっかく出したんですし」
 言い合うセレスティとモーリスに、つられるようにくつくつとアドニスが笑った。
「とんだ、とばっちりという訳だな」
「笑っていないで、キャロルからも言ってやって下さい。明日もこんな雨では、庭の手入れが滞ります」
 自分へ向けられた矛先に、アドニスは友人と視線を交わし、肩を竦める。
「という訳だから、勤勉な彼の為にも時計見物は今日だけにしてもらえるだろうか?」
「仕方ありませんね。では、今夜はゆっくりと時計を眺める予定ですので、彼には泊まっていただきましょうか」
 悪戯めいた表情のセレスティが、モーリスへ視線を移した。
「マスターベッドルームが二部屋ありますので、片方を使って下さい」
「セレスティ様。せっかくですが、それは……」
「ほぅ、嫌なのか」
 断ろうとするモーリスの言葉を、アドニスが遮る。
「そうしたければ、いいさ。俺は構わない。濡れた冷たい身体で一人寝も、こんな夜には良さそうだ」
「う……」
 まだ少し湿り気を帯びた銀の髪を指で梳くアドニスの仕草に、言葉に詰まるモーリス。
「断るからって拗ねないで下さい、キャロル。大人気ない」
「大人気ないとは、心外だな」
「いけませんね。こんな嵐に出くわしても、君がここにいると知っているからこそ、彼は来てくれたんですよ」
 アドニスに続いて、更にセレスティが逃げ道を塞ぐ。
 二人の顔を順番に見て、『抵抗』は無意味と悟ったモーリスは肩を落とした。
「ここは、有り難く使わせて頂きます……と言わないと、駄目なようですね」
 嘆息しながら答えると、アドニスの腕を掴んでぐぃと引っ張る。
「身体が冷えているなら、まずシャワーでも浴びて暖まって下さい」
「なんだ……暖めてくれないのか」
「知りませんっ」
「ああ、そうだ。モーリス」
 主に呼び止められて、退室しようとしたモーリスは足を止めた。
 振り返った相手に、セレスティはにっこりと微笑んで。
「この激しい雨と風の音では、多少の事は聞こえませんから。安心して下さいね」
 からかう彼の言葉に、モーリスの頬が紅潮する。
「いいですか。服を着たままシャワールームに引っ張り込むとか、ナシですから」
 ムキになる恋人の反応に、アドニスは思わず笑みを零す。
 それでも退室の際にはちゃんと頭を下げて、モーリスは扉を閉めた。
「遺物の曰くも面白いものですが、やはり……生きている者が、見ていて一番楽しいですね」
 ゆったりとソファに寛いだ屋敷の主の傍らで、水銀時計は動き続ける。

 雨の音は、全てを――ささやかな隠し事も、恋人達の秘め事も――覆い隠すように、響いていた。
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東京怪談
2007年08月10日

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