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『社長と私・2 』
龍宮寺・桜乃7088)&篁雅輝(NPC4309)

 幼い頃、自分の異能が怖くて眠れない時があった。
 忘却とは脳が満杯にならない措置だと聞いて、知識がないなりに考えて、覚えた物を忘れられないままだったら、いつか頭が破裂するんじゃないかって怯えた。
 でも実際は、脳はそんなにヤワじゃなく、一生分以上を楽に記録できる容量があるんだよ。それより睡眠の方が大事だ……雅輝さんは私にそう教えてくれて。
 それを聞いた途端、私は爆睡。
 以来よく眠れるし、感謝してるし、役立ちたいとも思ってるけど……。

「……だからって、これはないと思うんですけど」
 ここは篁コーポレーションの会議室。
 いつもと違うのは、大容量のパソコンが一台据え付けてあって、その隣に膨大な紙の束があること。ある意味部屋半分ぐらいある紙束。
 急に雅輝さんから「桜がこの前していた有給申請、受けてもいいよ。その代わり会議室まで来てくれないか」と笑顔で呼び出されて、のこのこ行ったらこの有様。
 そうよ、雅輝さんがこういう笑顔をしたら、危険が危なくてピンチだって分かってるのに、つい行っちゃうのよね……私も本気で迂闊だわ。
 雅輝さんはまず私に椅子を勧めて、その後で近くに座った。こんな時でも紳士なのがまた恨めしい。
「すまないね、桜。Nightingale用に開発したソフトに致命的なバグが出てね。いつもなら信用している友人に頼むんだけど、今回ちょっと急ぎなんだ」
「バグですか……」
 思い切り遠い目をする私。
 うん、分かってるの。多分面倒で厄介な仕事だって。そんな私に雅輝さんは、笑顔で話を続ける……つか、この爽やかでいつつ、黒い笑顔が憎いわ。
「そうなんだ。社内のプログラム課に開発を任せたんだけど、最後の最後、運用直前で見つかってね。でもそれを見直してる時間も、このソフトを使わないって案もないんだ」
「はい、それで私は何をやればいいんでしょう。単刀直入に言って下さい」
 何だか死刑宣告を待っている、被告の気分。いや、死刑宣告の方が、もしかしたらまだマシかも……だって雅輝さんってば容赦ないんだもの。
 いや、確かに雅輝さんからメールで「任務には容赦はしないよ」って言われたけど、それでも物には限度って物があると思うのよ、うん。
「じゃあ、簡単に言おうか。桜にやって欲しいのは間違い探しだよ」
 げふっ。血吐くかと思った。
 本当に容赦のない仕事だわ。
 私がやるのは、部屋が埋る程積まれたプログラムやフローの紙束と、画面を高速で流れる文字を見比べて違いを見つけろって任務……って、間違い探しにしては、あまりにご無体じゃない?
 えっ?私じゃなきゃ出来ないって。
 いや、それはそうですけど、その信用できるお友達はどうです?はあ、彼には別の仕事を頼んでいるから、今はちょっと無理……と。
「やってられっかー!」
 思わず叫んでみたけれど、雅輝さんは全然驚きもしない。それどころか、軽く溜息なんかつきながらこんな事を言ってのける。
「そうか……桜が無理なら、ソフトをだましだまし使って、友人の手が空くのを待つしかないかな」
「うっ……」
 はーい、今日も私の負けです。
 そんなだましだまし使って、クリティカルヒットでバグが発動したら困るじゃないですか。その時Nightingaleや雅輝さんに何かあったら、下手人は確実に私。そんな恐ろしいことをするぐらいなら、素直に仕事やるわ。
 というか、雅輝さんから直接仕事が来た時点で選択の余地はないのよね。
 私は椅子に座り直して、一番上の紙を手に取る。
「やります。やったろーじゃないのよー!」
 普通こういう作業は、大人数の人を使って通常何ヵ月もかかるのよ。簡単なソフトならともかく、これものすごく情報量多いじゃないですか。
 私は紙を見てはそれを覚えて、どんどん床に捨てていく。知らない人が見たら、次々紙を眺めては捨ててるだけに見えるだろうけど、その間私の頭にはプログラムやフローがどんどん記憶されていく。
「うう、こんなの覚えたくないー」
 でも見た物は、例外なく私の記憶に蓄積される。でもこの記憶、用が済んだら記憶の事典の奥にしまわれるんだろうけど。
 雅輝さんは私が無造作に床に投げ捨てている紙を、立ち上がって拾い集めながら、ごくごく普通に話しかけてくる。
「この仕事が終わったら、いい季節だからビアガーデンに行こうか。前から約束していたし、桜の飲みっぷりも見たいしね」
「無論奢りですよね?」
「そうだね、これだけ仕事をして貰っているから僕が奢ろうか。女の子に割り勘をさせる気もないし」
 やったー、ばんざーい。
 これぐらいの役得がないとやってらんない。それにビアガーデンに行きたいって話は、前々からメールでしていたし。たまには社長と部下じゃなくて、昔みたいに友達の関係で飲みたいわ……って、私はオッサンか。
 ある程度覚えたら、今度は画面に高速で文字を流す。それが紙と同じだったらまた次を覚えて、違っていたらミス指摘。これが結構きつい。紙面も画面も、一度目に写せば読まずとも映像として頭に入るけど、目は普通に疲れるから。ドライアイ用の目薬とかプリーズ。
「頭から数字が飽和するかも知れませんよ。そうなったら雅輝さん、責任取って下さいね」
 そう言うと、雅輝さんは紙を拾い上げながらクスクスと笑う。
「人の脳はそこまでヤワじゃないよ。一生分を楽に記憶して、それをストックできる……確か桜にはそんな話をしたはずだよね」
 うん、ちゃんと覚えてるわ。
 それは雅輝さんが私のじーちゃんの所に来始めて、そんなに経ってない頃。
 覚えたくない記憶や、見たくないもの。それが嫌でも頭に入ってきて、すごく苦しくて、でも誰にも相談できなくて。
 毎晩そんな事を考えて眠れなかった。色々なことを覚えすぎて、頭が飽和してしまったら。それが怖くて仕方がなかった。
 そんなある日、私は泣きそうになりながら高校生の雅輝さんにこう言った。
「私、頭が破裂しちゃうかも知れない。そしたらどうしよう……」
 笑われるかと思った。でも、雅輝さんは私を隣に座らせて、連鶴を作りながらこう言ってくれた。
「人間の脳はそんなにヤワじゃないよ。普段脳の部分で使っているのは、ほんの30%もないって話だし、忘れているようでも、皆しっかりと全てのことを記憶しているって説もある。お年寄りが自分のことを忘れてしまっても、昔のことは鮮やかに話したり出来るのもそんな脳の機能の不思議なところかも知れない……パソコンのセーブとロードみたいなものかな」
 それにきょとんとしていると、雅輝さんは私に連鶴の『村雲』を作ってくれた。大きな鶴の尻尾に小さな鶴がついている鶴。
「本当は人の脳は見たもの全てを記憶できるんだよ。でも、そのぶんの脳を皆使っていないだけなんだ。桜はそれをちゃんと引き出したりしまったりできるだけの違いで、むしろ睡眠で覚えた知識を整理する方が、僕は大事だと思うよ。これはパソコンで言うとデフラグかな……」
 それからあと、雅輝さんが何を言ったのか覚えてない……というか、聞いてないから知らない。だって私、それに安心して、鶴持ったまま寝ちゃったんだもん。
 何だか懐かしくなって、私は紙を見ながら溜息をつく。
「そうでした。私、あれから眠るの大好きなんですよ。毎日すごい熟睡できてるし」
 だから、雅輝さんには感謝してるのよね。
 色々弱みも見せちゃってるけど……その割に、私、雅輝さんがどんな風に育ってたか知らない。じーちゃんの所に来てたときはもう高校生だったし、いいお兄さんって感じだったし。
 私はそれが気になって、ついこんな事を聞く。
「今気になったんですけど、雅輝さんの子供の頃ってどんなだったんですか?」
「うーん、あんまり楽しい思い出はないかな。兄は留学してたし、父は愛人の所に行って家に帰ってこなかったし、母は僕に篁の家を継がせる事を教えるのに必死だったしね。祖父の所が一番落ち着けたと思う」
 うっ、地雷踏んだかしら。
 家族構成も謎だわ。確か雅輝さんのお父さんは婿養子で、篁の血を引いてないのよね。愛人と行った旅行先で行方不明になってるけど。お兄さんはアレだし、お母さんの話はそれこそ多分対戦車地雷並みにまずそう。それぐらい聞かなくたって、何となく分かる。空気ぐらい読むわよ、流石に。
「じーちゃんが好きだってのは、私と同じですね」
「そうだね。桜のお祖父様もいい人だったけれど、祖父が一番僕を気遣っていてくれたかな。兄が日本にいれば、また別だったのかも知れないけど」
「ああー、でも行く学校がないですよね。日本は飛び級ないですし」
 作業は果てしないけど、雅輝さんと話しながらだったら少しは楽かな。何か色々聞いちゃったりして……って、あう、秘書来やがったわ。
「雅輝さん、そろそろお時間です」
「ああ、そうだったね。ついお喋りに夢中になったよ」
 ええー、私をここに残していくの?そりゃないわ。
 拾い集めた紙を持ったまま、雅輝さんは私に向かってにっこり笑った。今までで一番良い笑顔。と言うことは……。
「じゃあ桜、後はよろしく。二日で頼むよ」
 キャー、まさきちの鬼ー!
 ちょっと二日って二日って、この膨大な量をやれって事は、寝るなって事かしら。しかも代わりに諜報部の上司来たし。ううー、流石だわ。私が逆らえない相手を用意してある。
「雅輝さん質問。食事とかは?」
「彼に全て用意させるから、後は指示に従うように。ああ、お手洗いに行く時は席を立っても良いよ」
 それまで禁止されたら暴れるわよ。
 絶対、有給倍貰っちゃるかんね!雅輝さんがいなくなった後、私は猛烈な勢いで紙をめくる。
 プログラムやフローをみて、画面をチェック。ミスがあったら書き直し……誰がこのプログラム組んだのよー!仕様としては間違ってないけど、コードが美しくない。
 こういうの気になるのよ。後から直すときに大変でしょ。バージョンアップしたり、バグ取りするときに困る……って、今困ってるわよこんちきしょー!
「ううっ、酷い……労働監査局に訴えれるわ。過労死したら労災出るかしら」
 紙を散らかしながらそう言うと、上司がコーヒーを入れながらあっさりと言う。
「Nightingaleとして死ぬなら、本望だろう」
 ちょ、待っ。
 いや確かにそうだけど、遠回しに死ねとおっしゃいましたか。悔しいから絶対二日で仕上げちゃる。ついでにコードも書き換えるわ。ソフトの中身は変えないけど、美しいコードを見せてやるわ。
 私は紙を思い切り散らかしては、チェックし、ミスした場所は書き直し、ついでにコードが汚いところも書き直して、黙々と作業を進めた。
 ううっ、目が痛い。目薬も湿布も常備されてるし、飲み物はコーヒーに紅茶、グレープフルーツジュースにハーブティと種類豊富。食事もその場で座って食べられるように、おにぎりとかサンドイッチとか、サラダやフルーツにデザートまで……って、何この間違った方向の優しさは。
「何か無闇に豪華ですね」
「社長が『無理な仕事をさせているから』と、お前に気を使ってくれたんだ」
 もっと別の方向に気を使って欲しいわ。
でも、気を使ってくれなかったらどうなってたのかしら。聞いてみようかと思ったけど、何か切なくなりそうだからやめた。

 覚えてチェックして、コードを書き直して。
 眠気はドリンク剤とかコーヒーで何とか吹き飛ばして、全部終わったのは二日後の早朝だった。
「お、終わった……」
 もう大体の仕様どころか、ソフトがすっ飛んでもまるっと打ち込みが出来そう。でもその時は、私一人でコードとか書かなきゃならないと思うと吐きそうになるから、勘弁願いたいわ。プログラムとかフローとかコードとか、もうしばらく見たくない。つか、パソコンの画面はおなかいっぱいよ。
 もう目がチカチカして限界。開けてるだけでも目が痛い。
 私は薄目のまま部屋の椅子をガチャガチャ並べ始めた。
「目が死ぬ……眠すぎ……」
 床で寝てもいいんだけど、紙が散乱してるところで寝るのは嫌。簡易ベッドでいいからとにかく寝たい。
「終わったのか?」
 上司の声が遠いー。そっちは交代だけど、私は一人なのよ。でも、適当な話し相手になるだけで、やることないのも辛いわよね。一番大変なのは私だけど。
「終わりました……報告はお願いします。ダメ、寝る」
 バタンキュー。
 私は椅子を並べた上に倒れるように横になると、そのまま眠りの国へ超特急で落ちていった。

「すみません、社長。起こしても起きないようでして」
 それから十分後。
 雅輝はタオルケットを持って会議室に入ってきていた。眠っている桜は何だか頬笑んでいるようにも見える。
「いいよ、寝かせておいて。起きたら仮眠室か、自宅に送ってあげてくれればいいから」
 持って来たタオルケットをそっと掛け、雅輝は床に落ちていた紙を拾い上げる。
「お疲れ様、桜」
 幸せそうに眠っている桜にそう言うと、雅輝は静かに会議室を後にした。

fin

◆ライター通信◆
ありがとうございます、水月小織です。
交流メールで「任務には容赦しない」と雅輝が言った通り、容赦ない任務を書かせて頂きました。過去の話は、連鶴にも繋がっています。
実際人間の脳はほとんど使われていないようなものなので、そのあたりの不安を雅輝が払拭したという感じになっています。でも、プログラムと見比べて…と言うのは大変そうな仕事です。ゲームを運営していたので、デバッグ作業に参加したことがありますが、テストプログラムで人海戦術だったなぁという思い出があります。
リテイク、ご意見は遠慮なく言って下さい。
またよろしくお願いいたします。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
水月小織 クリエイターズルームへ
東京怪談
2007年08月06日

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