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『奥様は霊能者 』
一条・里子7142)&(登場しない)

 それはまだ三月の、しとしとと糸のように細い雨が降る頃の話。
「やっばり東京は暖かいわ……」
 東京の地に降りたった一条 里子(いちじょう・りこ)が、一番最初に思ったのはそれだった。
 それもそのはず。里子は札幌から東京に来ている。三月の札幌は春の足音が聞こえているとは言えまだ寒く、雪もかなり残っている。なので里子の足下もまだ冬靴だ。しかもちょっとやそっとじゃ滑らない、しっかりした靴底。
「この靴も、東京に住んだらあまり活躍しなくなっちゃうわね」
 今の時期札幌で降るのはまだ雪だ。足下も溶けたり凍ったりの繰り返しで、柔な靴だと五分も歩けない。
 外に出たら、まず傘を買わなくちゃ。出来ればビニール傘じゃなくて、しっかりした物を。
 里子はそんな事を思いながら荷物が出てくるのを待っていた。

「東京の転勤、ほぼ決まりみたいだよ」
 里子の夫がそう言ったのは、札幌ではまだ寒さの残るころだった。まだそうらしいという話なので、もしかしたら突然変わるかも知れないと言うことだったが、東京への出張も増えたし、この辺りで転勤というのは妥当なところだろう。まだ娘が小学生のうちなら、転校先で勉強に着いていけないで困るということもないはずだ。
「じゃあ新居とか、転校先の学校とか探さないといけないわね」
 夕飯の支度をしながら、里子はふと考えた。
 東京には兄と甥が住んでいて、甥の通っている学校には小等部もあるらしい。確か神聖都学園という名前で、自由な校風だと聞いている。娘を転校させるならそこがいいだろう。それなら受験などで悩むこともない。
「甥っ子が通ってる学校があるから、そこに通いやすいところで、交通の便とかも考えて住むところ探しましょう」
「そうだね。出張の時にでも住宅情報誌をもらったりしてくるよ」
 本当はその情報誌を見て、兄や甥に頼んでマンションを選んでもらう気だったのだが、話が変わったのは夫がその出張から帰ってきたときに言った、こんな言葉からだ。
「東京で住むマンション、決めて来ちゃったんだけどいいかな?」
「……え?」
 なんでも無料情報誌を見ていたときに、不動産屋の人に声を掛けられ、条件が良く破格の安さだったと言うことと、その時に言われたこんな言葉からだったらしい。
「こんな良い条件の所、早く決めないとすぐに無くなりますよ」
 里子の夫はボンボン育ちなので、時々心配になるほど人を疑わないところがある。色々言いたい気持ちを抑え、まず肝心なことを確認する。
「その物件、見てきたのよね?」
「ううん、取りあえず判子だけ押して契約してきたよ。まだ結構新しいって話だし、そんな変なところじゃないんじゃないかな。不動産屋の人もいい人だったし」
 あなた、それ絶対騙されてるわ!
 そう思ったが、はっきり言うと悲しい顔をされるのでそこはグッと押さえた。そんなにいい条件のマンションが、何故今の時期に残っているのか。そして、どうしてそんなに早く契約を迫るのか。考えれば考えるほど怪しさ大爆発なのだが、言ったところで仕方がない。この優しくて純真なところに惚れて、専業主婦への道を選んだのだから。
 だが……。
「何か嫌な予感がするのよね」
 マンションの話をした途端、背筋が寒くなったこと。そして夫の後ろに影が見えたこと。
 影はすぐに消えてしまったが、やっぱり気になる。いきなりそんなところに引っ越すのは心配だ。そう思うといてもたってもいられなくなり、里子はついこんな嘘をついた。
「あのね、急な話なんだけど、来週東京で同窓会があるらしくて……行ってもいいかしら」
「いいよ。りっちゃんはいつも家事とかで頑張ってるし、たまには羽を伸ばしておいで」
 本当に人を疑わないんだから……少し心を痛めつつも里子は決心した。
 東京に行って、その新居を見に行こう。
 もしそこがとんでもないところなら、解約して別の所を探そう。これからの幸せな家族生活のためには、安心して住める場所が必要なのだから。

 空港内の売店でしっかりとしたワインレッドの傘を買い、里子はJRを利用して最寄りの駅まで行くことにした。ホテルは近くに取ってあるが、一秒でも早く新居を見たい。荷物はコインロッカーに預け、しとしと降る雨の中、傘をさして歩く。
「近所の人に聞いてみたりしようかしら」
 元々東京に住んでいたので乗り換えや地理に困ることはないが、近所の人の評判は聞いておいて損はないだろう。里子は近所の商店街でメモを持ちながら聞いてみることにした。
「あの……この住所にあるマンションなんですけど」
「ああ、あの幽霊マンション?」
 ……最悪だ。
 なんでも自殺者が出たり、幽霊が出るという噂で、家賃を安くしても人が入らないらしい。時々入居者が入っても、半年以上住む強者は少ないという。多分今住んでいる人は、よほど強いか鈍いかのどっちかだという、もっぱらの噂だ。
「まあ、あそこに引っ越してくる人は、安さだけに惹かれたか、不動産屋に騙されたかぐらいだろうね。ベランダの所の窓に柵があるのも、わざわざ遠くから来て飛び降りないようにするためだって話だし」
「………」
 何だかこの噂だけでおなかいっぱいだが、百聞は一見にしかずとも言う。まずは自分の目で見ないことには仕方がない。
「噂が一人歩きしてることもあるし、もしかしたら万が一……いや、億が一ぐらいの確率で間違いって事も」
 そんな上手い話があればいいのだが、そうは問屋が卸さない。少し歩いてマンションの姿が見えた途端、里子の足下から唐突に寒気が上がってきた。
「うっ……!」
 それはもう、マンション自体が幽霊屋敷化しているほど、自殺者や妖怪化した霊団がこびり付いている。
 元々里子は子供の頃から霊感が強く、視えるし聞こえるほうなのだが、まだ離れているのにはっきり分かるなんて異常極まりない。まさしくホーンテッドマンションだ。
「こっ……こんな所、人が住む所じゃありません!!」
 この怒りは誰にぶつければいいのだろう。
 世間知らずの夫か、それとも言葉巧みに契約印を押させた不動産屋か。まだ入居する前で良かった。今ならクーリングオフが利く。
「不動産屋の名刺もあるから、契約解除しましょう」
 色々思うところや言いたいことはあるが、引っ越す前で本当に良かった。里子がハンドバッグから名刺を探そうとしたときだった。
 ピチャン……!
「………?」
 しとしとと降る雨音とは別に、何処かから聞こえる水の音。それに呼ばれたような気がして振り返ると、そこには小さな弁才天の祠があった。
「弁天様だわ」
 きっと商店街の誰かが手入れしているのだろう。花も供えられているし、祠も綺麗だ。そしてその像はマンションのある方向を向いている。
 ぎゅっ。里子は持っていたワインレッドの傘の柄を握った。
「……どうにかなるかも?」
 里子は水系統の力を持つものとの相性が良い。そして幸いにして今は雨だ。里子は財布の中から十円玉一枚と五円玉一枚を取りだし、祠の前に置き手を合わせた。
「充分ご縁がありますように」
 春から始まる新生活を守る為に、里子は祈りを捧げると傘を握りしめマンションへと歩いて行く。
「『霊感主婦りっちゃん』復活です」
 その戦いが今幕を開けようとしていた。

 うおぉぉぉ……。
 誰もいないエントランスに立つ里子の耳に、怨嗟の声が聞こえる。うめき声だけではない。心の弱い人を同じ場所に引きずり込もうと死へと誘う声や、何かを嘲笑っているようにケタケタと響き渡る声。
「私をそんなもので惑わそうとしても無駄です」
 白く光る人魂が、里子へと真っ直ぐ向かってくる。おそらく威嚇のつもりなのだろう。だがそれは里子まで近づけず、何かに弾かれたようにパシッと光って消えた。
 ここにはびこる悪霊を何とかしなければ、明るい新生活は送れない。里子は大事な夫と娘の顔を思い浮かべ、すうっと深呼吸をした。
「行きます!」
 ワインレッドの傘を竹刀代わりにして、里子は悪霊の中へと飛び込んだ。
 目で見える物に惑わされてはいけない。生きている者が、死者や悪霊、妖怪に惑わされてはいけない。
「一緒に死にましょうよ……」
 頭から血を流した少女の霊が、里子の手を掴もうとする。
「断ります!私には生きて守らなければならないものがありますから」
 小手の要領で手の甲を叩くと、少女が自分の手を押さえる。里子は飛びかかってくる餓鬼や死霊を叩き落としながら、少女にはっきりこう言った。
「ここは貴女のいる場所じゃありません。その痛みは、貴女を思う人たちの痛みです」
 マンションの庭の片隅にあった花束と線香。雨に濡れていたが、ここで死んだ誰かを悼むためのものだろう。
 この地に縛られて欲しいのではなく、安らかに眠って欲しいという祈り。少女は手を押さえたまま、戦っている里子を見る。
「痛い事なんて、忘れてた……」
「それが分かれば、行かなきゃならないところに行けるはずです。今ならちゃんとあがれますから」
 本当に悪霊に変わってしまう前に。人の心を持っているうちに。
 どうして死を選んだのか、それが何を引き起こすのかを語っても仕方がないだろう。たとえそれが間違いだったとしても、時間は元に戻せない。里子はそれが痛いほど分かっている。だからこそ、それしか言えなかった。
「ありがとう……ごめんなさい」
 凛とした里子の言葉に、次々と霊達が天へ登っていく。
 まだ雨は降り続いている。
「さあ、もうこれで終わりですか?」
 どれぐらい戦っていたのだろうか。気が付くとあれほどまでこびりつき、固まっていた悪霊達がほとんどいなくなっていた。自ら枷を解き登っていった者達もいる。きっとこの場所に囚われ正気を失っていたのだろう。
 きっとこの霊団の中に、禍々しいものを引きつけていた存在がある。
 傘を構え直し、里子は辺りに気を張り巡らせる。すると奥の方からずるりと何かが動く気配がした。
「折角集めたものを……だが、貴様を取り込みまた増やせばいいだけのこと」
 ボロボロに朽ちた軍服に、落ちくぼんだ目。昔の兵隊のようだが、全身が総毛立つほどの悪意と狂気。心が弱っていれば、きっとその隙に滑り込まれてしまうだろう。
 憎い。生きてる者が皆憎い。
 その健康な魂が憎い、強い心が憎い。生きているだけで憎い。何もかもが憎い。
 もはや恩讐とも言える憎悪が、里子に襲いかかる。
「………」
 里子は正眼の構えを取ったまま、じっと真っ直ぐ相手を見ていた。その真剣な目が相手を射抜く。
 襲いかかっているのは全て妄執だ。
 何もかも既に終わっていること。誰かを恨んでもそれは覆らない。しかしそれに囚われ、罪のない人を死に誘ったり、住む人たちに霊障を与えていたことは許せない。
 キッ、と里子は顔を上げるとそのまま前に踏み出し一閃!
「面!」
 パーン!
 ワインレッドの傘が思い切り揺れた。だが骨が曲がったりした様子はない。そのまま里子は振り返り、また構えを取り直す。
「ぐっ……」
 渾身の気を籠めただけではなく、鮮やかに面が入り兵隊姿の霊がゆらりとよろめく。
「ま、待て、その力なら、霊を従えることも出来よう。何なら小生がその手足となっても……」
 弱り切った霊が、手のひらに収まるほどの霊魂となった。里子はそれを手に持ち厳しい表情で一言。
「問答無用です!!」
 そのまま霊魂を握りつぶすと、降っていた雨はいつの間にかやみ、雲の切れ目から光が差し込んできていた。

「こんないいところ、札幌並みの家賃だなんて得しちゃったね」
 三月末。
 正式に転勤が決まった里子達は、家族でこのマンションに引っ越してきていた。弁天様との縁も出来たし、悪霊達もいなくなったので今は普通のマンションだ。
「そうね。いいところ見つけてもらって良かったわ」
 ここは夫を立てておこう。確かに霊がいなくなれば、なかなか間取りや立地も良い所だ。
 しかし……。
「油断はしてられないのよね」
 そう。ここは魔都東京。
 ひとまずマンションの霊は祓ったが、いつどこでまた同じようなことが起きるか。埃を払う振りをして、里子は夫の肩に乗ろうとしていた霊を祓い落とす。
「まあ、何とかなるでしょう。商店街も近いし、交通の便も良いし、後は私がしっかりすれば」
 東京での新しい生活と共に、『霊感主婦りっちゃん』の活躍も増えそうだ。
 新しい生活に思いを馳せながら、里子は肩をすくめながら溜息をついた。

fin

◆ライター通信◆
こちらのキャラでは初めまして、水月小織です。
札幌ではまだ雪が残る三月に、東京の新居にはびこる霊を退治するため「霊感主婦りっちゃん」が立ち上がるというプレイングから、このような話を書かせて頂きました。
ワインレッドの傘を持ち悪霊達をなぎ払ったりしつつも、普段は優しい奥様というのが素敵すぎです。午前パートさんという設定がありましたので、商店街も出させて頂きました。
魔都東京では色々大変そうですが、乗り越えながらも幸せな家庭生活を送るのでしょう。
リテイク、ご意見は遠慮なく言って下さい。
また機会がありましたら、よろしくお願いします。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
水月小織 クリエイターズルームへ
東京怪談
2007年07月13日

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