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『『リンク』 』
火宮・翔子3974)&(登場しない)


 さようなら、彼女は笑いながらそう言って、屋上から飛び降りた。


 あたしが彼女と知り合ったのは一年前だった。
 小説家を目指していた彼女はその夢を叶える為にいつも本を読んだり、ラジオやテレビなどで誰かが言った風景や空気の描写、何か心に浮かんだ言葉や、誰かがふいに漏らす感情、新聞や報道番組を賑わす重大事件から地方の小さな記事なんかをメモ帳に書き綴っていた。
 がんばっていた。
 それでいて生きるための仕事もちゃんとこなしている。
 しっかりと眠っているのだろうか? そんな事を心配して訊くと、彼女はよく笑ったものだ。
 ―――小説をがんばりながら日常もがんばるのはさ、日常の事もちゃんとできないのに、夢を叶えれる訳は無い、ってのが私の持論だから。日常だけで手一杯になっちゃって、小説が書けなくなるのは、それは………うん、最初からその程度の事だったんだよ。哀しいけど。だから、私は日常の生活の中にある小説を書ける時間が嬉しいから、がんばれるの。ありがとう、翔子。
 OLをしながら小説を書き続ける彼女の事をあたしは尊敬していた。
 だけど、彼女はあたしたちが知り合って半年後に姿を消した。
 そして再会した彼女は、快楽に耽る人間になっていて、
 あたしの目の前で飛び降り自殺した。
 納得ができなかった。
 何かがあるのだと思った。
 彼女は自制心の強い人だった。
 確かに何かの切欠で物事に耽る人はいるけど、
 自殺だって、そう自殺だってかの文豪のように自殺癖のある人は本当は自殺するつもりなんてこれぽっちも無くて、本当に自殺する人は、ふいに突然にその衝動に襲われて、死ぬ。そういうのはわかるし、心の病は、どんなに強い人にも襲いかかるモノである事も承知している。
 だから彼女がそうなったのだって、確かに有りうる可能性の一つだったのかもしれない。
 それでもあたしは、小説家になるという彼女の夢が忘れられなかった。果たして夢のあった彼女がそんな運命を辿るのだろうか? と。
 人間を人間と認識できる条件は理性だ。
 そしてその理性を支えるのは愛情とか夢とか、絆。
 小説家になりたいという強い夢がある彼女の理性が潰えた事があたしには信じられなかった。
 だからあたしは彼女の事件を調べてみようと思った。理由はそれだけで充分だったから。


 彼女の部屋。
 半年前まではいくどか訪れた事があった。
 時間はまるでその半年前で止まっていた。
 そして、この部屋自体がもう、彼女がこの世には居ない事を知っているかのようだった。
 あたしと友人だった彼女がもうこの世に居ない以上、あたしは余所者だとこの部屋の空気が言っている。
 流れる事無くこの部屋で滞っていた空気は、あたしに息苦しさを感じさせた。
 閉めきられた部屋の温度は高く、それが空気の粘性を高めている。
 あたしはベランダへと続く部屋のガラス戸を開けた。ベランダに置かれていたどの植物も皆、一様に枯れていた。
 住居というものはその住人の人間性をどうしようもなく顕す。
 枯れた植物以外は小説家を夢見て頑張っていた頃の彼女の人となりを感じさせるものばかりだった。
 しかしあたしは何だかよくわからないまでも、直感的におや? と思う事を感じていた。
 何かが変だ。
 この部屋に違和感がある。
 あたしは彼女の部屋を見回す。
 本棚。有名な小説家の文庫本や、各小説出版社の雑誌、世界人名辞典、医学書、建築物の辞典、警察機構の裏マニュアル本、硬派な書物から軟派な書物までカオス的な品揃えのクセにしかし彼女の几帳面さを感じさせる配列でそれらの本が並べられているのはそのまま。本がバラバラなのはそれらが彼女の小説家としての栄養だからだ。好き嫌い無く様々な書物を読み、体験する事で自分の書く小説にリアリティーを注入できるとは彼女がよく言っていた言葉。
 ―――本棚は、違う。彼女の夢の、存在の証拠。昔のまま。
 ビデオラックに並べられているビデオだって彼女らしい。
 くすんだ色のカーテンは、彼女の居なかった時間を顕しているだけ。
 衣装だって、彼女のだ。
 何が違う?
 何がおかしい?
 あたしは部屋を見回し続ける。
 部屋が、
 部屋の風景があたしの周りを回り続ける。
 部屋が回る?
 あたしはその時、初めて自分の精神がおかしくなっている事に気づいた。
 彼女が死んだから?
 ―――まさか。そんな事はもう既に切り捨てている。事件に携わった瞬間にプライベートの一切の事情を切り捨ててクールに思考を展開する術は心にも身体にも刻み付けてある。だから、あたしの精神状態のせいじゃない。
 なら、
「外的要因」
 あたしは鼻と口を押さえた。
 彼女の部屋をおかしいと思った理由、それは匂い。
 ――――匂いだ。
 この栗の花のような、塩素系漂白剤のような、匂いは半年前の彼女とはまるで相容れない匂いだった。
 この匂いは、どこから出ている?
 あたしは匂いを追った。
 そして、ベッドの横の壁にかけられたコルクボードのキーホルダー掛けにかけられた人形を発見する。
 ボージョボ人形にも似たそれは何かの実の殻と皮で作られているようだった。
 あたしはそれに触れる。
 触れた瞬間、あたしの意識は飛んだ。
 どこかの狭い部屋に居た。
 線香から出る煙が部屋を満たしている。彼女の部屋で嗅いだ人形の匂いとそれは一緒だった。
 おそらくはあの人形は呪いの品で、そしてあたしはそれに触れた事で精神だけがここに飛ばされた。
 下手をすればあたしは自分の肉体に戻れなくなる。
 部屋の様相から判断すればここは南国系のシャーマンの部屋と言う事になるのだろう。
「あなたが呪いの主?」
 煙が人の形を成して、シャーマンの装いをした女となる。
 黒いルージュが引かれた口が笑みを形作り、そしてその声が、
「正義の味方は辛いわよね」
 あたしを憐れんだ。
「何を言い出すのかと思えば」
「そうすぐに切り返そうとするのが証拠。何も思っていないのであれば、あなたは何も言い返さない。ただ鼻で笑うだけ。あなたの様に自分に誇りと自信を持つ者だけが持つ事を許される傲慢さで。だけどわかって? その傲慢さこそが、それを持たなければ折れてしまう心を支える自身の殻だって」
「何を好き勝手に。あたしは揺らぐような心は持っていない」
「嘘嘘嘘嘘。泣いているあなたが見えるわ。知ってる? 人間ってね、傷つけられた部分で心が止まるのよ? 幼い時に傷ついた心はそのままその歳で止まっている。私には見える。幼いあなたが泣いている。修行が嫌で泣いている。初めて人を殺したときに泣いている。たくさんたくさん泣いている。傷つく度に心を閉じ込めてあなたはここまで育ってきた。だけどその切り捨てられてきた心はたくさんのあなたとなって、皆今でも泣いている。いえ、火宮翔子。あなた全員が泣いている。だから、私が解放してあげる。あなたを」
 あたしは愕然とする。
 あたしは憤る。
「そうやってあなたは彼女にも、心の弱い部分をついたの?」
 誰だって不安はある。
 けど皆その不安から目を逸らして生きている。
 でもそれは弱いっていう事じゃない。
 それが生きる術なんだ。
 人が生きていく。
「生きるという事は死ぬことよりも難しい。苦しい。それでも人は生きている。明日を夢見て。それを守るのがあたしの役目よ」
「明日? 明日なんて何時来るの? 明日が今日になれば、それはもう今日よ。そしてそれは24時間経てば昨日でしかない。明日なんていつまで経っても来ない。だから、明日の為に閉じ込められている心を、切り捨てられた心を、私は解放してあげるのよ」
「何のために?」
「私はそうやって切り捨てられていったたくさんの心だから」
「      」
 ――――心が敵だと言うの?
「そう。だから誰も私には敵わない。私は誰よりもあなたを理解している。自分の心に目隠ししているあなたよりも火宮翔子を理解してあげている。だから良いのよ、もう。誰かの為にあなたが泣かなくても。あなたは本当はその手で愛を育みたかったのでしょう? 普通に学生生活を送って、恋をして、結婚して、夫と愛し合って、子どもを身篭って、産んで、子どもを育てて、子どもを愛する幸せな母親。そんな家庭。あなたの居場所。ねえ、どうしてあなたひとりが泣いて、あなたひとりが血を被らないといけないの? ねえ、どうして?」
 彼女はあたしの身体に絡みついて、左耳に囁く。
 だからあたしは、彼女の腹を貫手で貫き、彼女の裡に符を植え付けて、彼女を燃やすものとして指定した。
「どうしてそんな嘘をつくの?」
 彼女は優しく囁く。
 だからあたしも微笑んだ。純真無垢に。
「あたしが泣いているのは知っているわ。だけど同時にあたしはあたしが守りたい物を知っている。あなたが本当にあたしを理解しているのなら、あなたもわかっているでしょう? 確かに優しくって温かい家庭を望むあたしも居る。だけど他の人のその夢を守れるのは世界であたしだけ。そして、そのために血を被る覚悟だってあたしはしている。あたし自身の意思で。そんな覚悟もできないようじゃ、物語とは違って、誰も露払いをしてくれない現実世界の正義の味方なんてやれないからね」


 誰に言われたからじゃない。
 これがあたしが望んだ、なりたかったあたし。


「あなたが泣いているあたしと対面させてくれたから、あたしは泣いている他のあたしを抱きしめてあげられる事ができた。あたしはこれからもそうやって泣いているあたしを抱きしめて、生きていくわ」
「誤魔かしながら苦しんでいくのね」
「あたしの人生がどうだったか、それがわかるのはあなたが来ないと言った明日。いつかあたしが死ぬ日。ただその日まであたしは生きていく。生きていけば変わる事もあるから」
「そうやって中途半端に明日を夢見て、苦しんでいきなさい」
「さようなら」
「ざまあみろ」




 気付くとあたしは、火の海の中にいた。
 人形が燃え上がり、その炎が部屋に広がったのだ。
 ―――この炎に焼かれる?
 誰かの甘く囁く声があたしの耳朶を優しくくすぐった。
 あたしはそれに顔を左右に振り、
 炎に包まれた部屋を後にした。
 あたしはこの紅蓮の道を歩むのをやめるつもりはない。
 誰も露払いをしてくれないからこそ、あたしがやらなくっちゃいけないんだから。
 だってあたしは、泣いているあたしを知ってるからこそ、もう誰も泣かせたくなくって、そしてそれで救われた誰かの笑みで泣いているあたしも笑う事が出来るから。



 →closed


PCシチュエーションノベル(シングル) -
草摩一護 クリエイターズルームへ
東京怪談
2007年07月05日

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