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『■その胸にこそ■ 』
千獣3087)&エスメラルダ(NPCS005)





 祝いの声。感謝の声。舞う花と踊る布。
 華やかな彩りの中で浮き上がる色の二人。
 寄り添い触れ合う姿。笑み交わすそこに満ちる幸福。
 道行く人の面にさえ祝福と歓びの色が写し取られる程のそれ。
 まさしくそれこそが――



「ええ。それは結婚式でしょうね」
 頼み事の期日は先であったのに他所の届け物ついでに寄越してくれた荷を受け取り、手間賃がわりに汁物を小ぶりのうつわに入れてやる。受け取った千獣がそれを両手で持ち上げつつこくりと頷くのを、エスメラルダはカウンタ越しに眺め遣った。
 あどけなさの抜けることのない少女の姿で佇み街中の出来事を眸裏に焼き付けてきて、そうして報告してくれたばかりの言葉。あれが結婚式というものか、と。それを肯定したところで巷のお嬢さん方のように憧れを滲ませる気配もない。
 そう、と器に口をつける前に短く千獣は呟いただけだった。
「――で?」
 けれど見たからと言って理由もなくエスメラルダに語る相手ではなく――千獣が見聞きしたことをまず伝える相手は他に居ると考えていたので、ならば何か関連して話すことがあるのだろうとふんで口角を吊り上げ瞳を細める。特有の艶を刷いて黒山羊亭の踊り子が促せば、ひとしきり器の中身を堪能してからゆったりと少女は首を僅かに傾けた。
「何が気になったのかしら」
「……結婚式、はわかった……けど」
「けど?」
 千獣との対話はときに学びときに教え、エスメラルダからするとベルファ通りのみならずエルザードで日々を送る人間と話すのとはまるで違ったものだ。さて今回はどういった話となるのだろうか。幾許かの期待を抱きすらして先を促したエスメラルダは、しかし続けられた言葉にまばたきを一つ落とした。
「結婚式……って、じゃあ、どういう……もの?」
 なにかそういう話をまさにこの千獣嬢とした気がしないでもないのだけれど。
 思いながら正面のあどけない少女を見る。黒髪が薄暗く造っている灯火に艶を乗せる下の白い肌の中、静かな面差しに浮かぶ赤い双眸。その硬質さを残す瞳を見てエスメラルダは「ああ」となにやら理解した。
 この娘は『どういった事をするのが結婚式』かは解っても『どういった理由で結婚式をするのか』ということは解らないのだ。何の為にするのか。何を思ってするのか。そういった、言葉にし辛い部分が。
「結婚式とはなんぞや、ね」
「……うん」
 苦笑して確かめるように呟くエスメラルダの前でことりと千獣の首が揺れる。
 頷いて、それから彼女はひたと踊り子の顔へ目線を据えた。真っ直ぐな瞳が歓楽街の中で年を重ねる人間にはときに苦しいけれど、今はその正直な色はただ持ち主の心根を感じさせるだけだ。
「結婚式、ねぇ」
 その視線の前でゆったり微笑みながらわざとらしく視線を逃がす。
 駆け引きではなく、実際にどう説明したものかと考えて。
(裏側は理解出来そう)
 千獣はときに稚さを感じさせるが真実幼いわけではない。物事の汚い部分も充分に知っている。むしろそちら側については容易く理解に至りそうだと、このときエスメラルダは考えた。考えて、だから薄暗い精神の果ての華燭については語ることをやめとした。
 だからエスメラルダが語るのは――



「あたしの『結婚式とはなんぞや』ではないのよ」

 そう前置いて黒山羊亭の踊り子は千獣がまじと見る前でカウンタに身体を預け、覗き込むようにして身を屈める。豊満な胸が視界にどんと主張するのは男性ならば顔が緩むものであるかもしれない。
「まがりなりにも歓楽街の人間だから結婚についても偏るし――ああ、別に何も含んでないわ。心配しないで」
 けれど自身も豊かな肢体を持つ、いやそれ以前に性別云々を超えてその辺りを気に留めない千獣には何の感慨も抱かせなかった。ただ、自分の『なんぞや』を語らないのは理由があるのかと気遣っただけである。
 案じる表情を解りやすく示した千獣に笑ってエスメラルダはかぶりを振ると、その笑みを湛えた顔で千獣の成人女性には届かない瑞々しさの残る顔を眸に映し込んだ。
「ただね」
 薄闇をあえて屋内に残す場所で踊り子は紅の際立つ唇をついと引き上げて。
「あなたが聞くべきはそういう面じゃないと思うから」
 それに綺麗な面ばかりではないとは話すまでもなく知っているでしょう?
 確認の調子で問われて千獣は短い呼吸一つ分だけエスメラルダを見詰めてからひとつ、頷く。生きた時間も環境も多くの人とは異なる千獣だ。汚いものだって世界には多く存在すると当然ながら知っている――同時に綺麗なものも存在すると。
 獣としての力強さを根底に持つ千獣の眼差しを受けて踊り子は笑みを深める。
「きっとあなたが形に拘らないというのも理由なんでしょうね」
「……かた、ち」
「ええ。形。結婚式というものは一つの形」
 深まった笑みはだが対外的な、つまり客に向けるものとはまた違う。
 そこに混ざる感情は多くてたとえば親愛、羨望、慈しみ、悪意はないそれらを読み取りつつ彼女の言葉を千獣は繰り返した。形。たとえば両手に持ったままの器のような。
「こういうことでしょう?好き合っているならそれでいいじゃないか、どうしてわざわざ『結婚式』なんてするのだろう、一緒に居るだけじゃだめなのか」
「そう、理由、は……ある、のかな」
「理屈としての理由じゃないんじゃない?」
「?……え、と」
 ぱちりと瞬いて考えるも噛み砕き辛かった。
 理屈ではない。理屈の理由じゃない。どういうことなのか。
「せいぜいが『そういう慣習だから』程度でしかないと思うわ。それは一番の理由じゃなくて――」
 言葉を探すのか目線が幾度か千獣から逸れて店内を巡る。再び焦点を合わされたところでエスメラルダはそれでもまだ適当な言葉を定めかねているようだった。
「難しい、のかな」
「どうかしら。そうねぇ」
 難しいと言えば難しいし……とひとしきり呟いた踊り子は、更にしばらくそうしてからふと息を吐いてからようやく唇を動かす。正解がこれというのではないけど、と。
「不安になるから、かしら」
 ふあん。一音ずつ辿っても千獣には解らない。
「確かに好きな人と一緒に居られれば幸福でしょうね。でも恋人同士の間って何の証拠もない状態だもの」
「証拠、が必要、なの……?」
「うーん……なんていうか人間て欲張りじゃない?……あなたはそうでもないか」
「?」
 ことりと首を傾げる千獣に「いいのよ」と手入れされた爪も美しく手を振ってエスメラルダが話を流す。人間が欲張り、だったわね。その言葉に頷きながら千獣も考えてみる。どうして不安で証拠が必要で、なのだろう。
「相手と愛し合っているということを周囲に知らせたいとか」
「……堂々としてる、人……よく、見る、よ」
「そこから一歩進んで一緒に暮らしたいから他の人に認めて欲しい――っていうのもあなたにはそうでもないか。それともそうなの?」
「私……?」
「……意識してないのね。とにかくそういう、なんていうのかしら。保証になるものがないとお互いの気持ちだけで安心出来なくなるのよね。それに」
 自身でも言葉を探しながら説明してくれるエスメラルダは、途中で意味ありげに千獣を見るも当人がまるで反応しなかったので突っ込みはせず、そうして続けた言葉をまた切って。
「それに?」
 先を促すように反復した言葉は黒山羊亭の踊り子からまたしても、ちらりと意味ありげな眼差しを頂戴することになった。が軽い溜息だけで彼女は千獣に何も言わない。
「それに、皆に見せたいのよ。自分の好きな人はこんなに素敵なんだぞーって」
 ただ言葉を続けたけれど、その内容に不思議そうにする千獣の姿も予想していたらしかった。見せたい?と頭の上に疑問符でも浮かべそうな素振りで空の器を持っていても、もうやっぱりねとばかりの顔であったから。
「あなたは好きな人を皆に自慢したくならない?」
「……さあ……」
 だからふるふると頭を振ってもエスメラルダは「そう」と短くそれだけだった。
「まあ所詮は『結婚式とは』の上っ面の一部よ」
「一部」
「ええ。人それぞれ。だけど相手との繋がりに保証を求める気持ちがあったりして、何も知らない人がぱっと見たり聞いたりして解る関係にしたくて、そういうものなのじゃないかしら」
「……わからない……」
「そうね」
 うまく話せないわ、とそれから詫びる踊り子に千獣はこちらこそと頭を下げる。
 思った以上にややこしい話であったようだと結論付け、空の器を今更ながら差し出すとここでエスメラルダは受け取りつつ最後の言葉を投げかけて来た。
「でも千獣。あなたが好きな人と一緒に居て、親しい人達に『おめでとう』『よかったね』って言って貰えるのは幸せでしょう?」
「……したしい、ひと、に」
 胸の中に何かコツンと存在するものがある。
 結婚式とはなんぞや。何の為に行うのか。
 親しい人。好きな人。一緒に生きる――あたたかくて、やさしくて。
「それをはっきりと受け取りたくてするのかもね」
「……好きな人、とのこと……」
 じわりと身の内をあたためる心の熱。
 自然に手は胸元にそっと触れて千獣の面は僅かに伏せられた。
 胸の中にあるぬくもりの人を考え、そして生きていく周囲の存在を考え。

 結婚式という約束事の意味はなんだろう。

「――」
 吐息のような声が綴った言葉は千獣自身にしか解らない。



 ――だからエスメラルダが語るのは表面的な綺麗事だけだ。
 真実を言うならばそれも本当は必要ない。
(だって知っているみたいだもの)
 己の胸に手を当てて沈黙する千獣の姿に黒山羊亭の踊り子は思う。
 彼女は気付いていない。僅かに伏せた面を彩る感情の様を。
 それを生み出す源を知らぬわけではないエスメラルダからすれば、実際には『結婚式』云々などというものは今更に過ぎた。千獣は自分の中に既に問いの答えを持っている。それが言葉にならないから見つけ出せないだけで。
「いくらでも考えてくれていいわよ。まだしばらくはお客もそれなりだし」
「うん……ありがとう」
「――ああ、でも」
 かけた声に律儀に応じる生真面目な相手にいいえと笑う。それから立ち去りかけたエスメラルダはふと振り返ると僅かに悪戯っぽく、千獣を呼んだ。顔を上げた少女の風貌をした相手に艶を乗せた声で促したのは、身の内の解答を探す為に使えるかもしれないから。
「でも帰った方が『結婚式とはなんぞや』の答えは出て来ると思うけど」
 言葉として輪郭をはっきりさせて理解しようとするよりも、心に一つ大きく衝撃を与えて動かす方がきっと確実だ。だってエスメラルダの知る千獣という人物は、自身の内側にある数多の情動を枠にはめなければ気付けないと思わせるだけのカチカチとした少女であるので。
 帰ったら答え。それの含みなんて千獣はだから当然気付かなくて、顔を戻る先の方角へ動かしてそれがせいぜいだった。

「だいたい、結婚式なんて話題は酒場の踊り子とするものじゃないのよ」

 そうして、エスメラルダはそれきり構わずひとりごち、千獣が帰路の先を想って表情を和らげるのだけ確認しただけだ。
 あとはもう踊り子の関わるところではないのであるからして。





 結婚式とはなんぞや。何の為?
 自分の心を覗けばそれはきっと解るのに。





end.
PCシチュエーションノベル(シングル) -
珠洲 クリエイターズルームへ
聖獣界ソーン
2007年06月27日

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