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『祭囃子の聞こえる夏の杜で。 』
藤井・葛1312)&藍原・和馬(1533)&(登場しない)


 見上げた先が木々に遮られて窺うことの出来なかった石段の、その先で待っているもの。
 闇に慣れた視界をくらませ、夏の夜をめいっぱい明るく照らし出すのは、賑やかに軒を連ねる露店の光と頭上に並ぶ提灯の赤い炎だ。
 さらに、ヨーヨー釣りやくじ引きゲームの他に、アンズ飴、リンゴ飴、わたあめ、フランクフルト、お好み焼きにたこ焼き、焼き鳥、クレープとお約束のメニューがずらりと並んで、漂う香りが鼻先をくすぐる。
 東京からほど近い山陰の小さな集落で催された祭は、満月を背景に、めくるめく色と音と触れ合いを生み出していく。
「ずいぶんと盛況だね」
 思わず、藤井葛は目の前の光景に瞬きを繰り返した。
 田舎にいた頃の懐かしさと、そこで見る事のなかった新鮮さで、それに続く言葉が出て来ない。
 今日のために友人が選んでくれた浴衣は、白地に桔梗の柄が鮮やかなターコイズブルーのグラデーションを描き出し、涼やかな彼女によく似合っていた。
 それを褒める言葉が選びきれず、藍原和馬は照れ隠しにニヤリと笑って彼女と同じように祭の様子に興味深げな視線を向ける。
「まあな、この辺りじゃ年に一度のでっかい祭だし、近隣の住人総出ってヤツじゃねえか?」
 そうして、人込みの中でも頭ひとつ分高い彼は、行き交う人々の流れの中に葛が埋もれてしまわないよう、さりげなく立ちまわるのみだ。
 黒地に植物の蔦をイメージしたデザインの浴衣を着た和馬は、一見して葛と対になっていることが分かる。
 ただしこの演出はふたりの意図したものではない。
 家族ぐるみで付き合いの出来た少女の後見人が見立てたものだ。
 いかにもな『演出』を買って出てくれた相手の客観的美的センスと私的好みが反映されたふたりは、やたらと遠まわしに冷やかされながら送り出されたわけで。
 その時の気恥ずかしさの余韻はかなり尾を長引いた。
 ふわり、ふわり。
 さりげなく指先が触れて、時折浴衣の袖が触れ合って、それだけでも妙に意識してしまうほどに。
 だが。
「一瞬でも気を抜いたら迷子になりそうだな」
「迷子センターの世話にはなりたくないね」
「チビがいれば心置きなくそのワザが使えるんだけどなぁ、さすがに今日は無理だ」
「さすがに、ね」
 くすくすくすくす。
 冗談をかわしあいながら、祭特有の浮き足立った雑踏に紛れ、屋台を冷やかしていくうちに、自然と互いの慣れない緊張と距離感もほぐれていく。
「お、葛、金魚すくいだ」
「え」
 きゅ。
 和馬の大きくてあたたかい、そしていろいろな仕事をこなしてきた力強い手が、葛の白く冷たい手を握った。
 小さく、葛の手首でブレスレットが金属質の軽やかな音をこぼし、彼女の耳元では雫型の翡翠のイヤリングが揺れる。
 冬になれば今度は和馬が、灰色がかった緑のマフラーをするだろう。そうして今この瞬間の自分と同じ気持ちを、次は葛が抱くことになるだろう。
 積み重ねてきた時間とふたりの変化を物語る、ごくささやかだけれど、贈ったものと贈られたものにとっては特別な意味を持つ『アイテム』。
 くすぐったいような不思議な感覚に思わず笑みを浮かべながら、和馬は目当ての露店へと急ぐ。

「へえ……金魚ってこんなに種類があるもんなんだね」
 思わず感心して、葛はしげしげと、水で満たされた白い匣の中を覗きこむ。
 絶えず水面に波紋を作り出す水槽では、悠々と赤や金や黒や白の美しいひれが揺れながらこちらを誘っていた。
 優美な金魚のフォルムに魅せられる。
「和金、コメット、琉金、黒出目、ランチュウ、桜東にスケルトン金魚……おい、なんで京桜錦まで泳いでんだ?」
「お、知ってるねぇ、兄さん」
 キツネ面を頭に引っ掛けた主人が、きらりと目を光らせた。
「まあな。しっかし、どういう入手ルートか分かんねえけど、こんな所で難易度激高の貴重種を泳がせておくなよ」
「いやあ、なになに。兄さんみたいな人がいてくれると、こっちも仕込み甲斐があるってもんだよ」
「げ、黒竜まで!」
 ゲームに登場するモンスターか、そうでなければ何かの呪文にしか思えなかったモノまでがどうやら金魚の種類を言い当てているに過ぎないことが葛にも分かった。
「……なんでそこまで知ってるわけ?」
 そこで当然よぎるだろう疑問を思わず口にしたのに対し、
「そりゃ決まってるだろ? 金魚売りのバイトをしていたからだ」
 へらりと笑って、こちらもごく当然のように答える。
「金魚売りって……」
 いつの時代の話だとか言いかけて、やめる。
「見とけよ、葛。この俺がやるからには勝負はあったも同然だ。いけすの金魚総ざらえの瞬間を拝ませてやるぜ?」
 謎の経歴を明かした相手は、子供のように顔を輝かせ、浴衣の袖を肩までまくりあげて、早くも臨戦態勢なのだ。
 微笑ましいというかなんというか。
 その頭をちょっとだけ撫でてみたいと思ったことは、ナイショにしておこう。
「お、威勢がいいネェ。どこまで言うなら、どうだい元金魚売りの兄さん。いっちょ彼女にいいとこ見せてやるかい?」
 ニッと笑って、屋台の主人がモナカの皮を張ったすくい紙を差し出した。
 挑戦的な視線。
 これは絶対何かありそうだ、と葛の勘は告げている。
「どうもこれって上級者向けとみたけど、大丈夫?」
「任せとけ」
 こちらの心配を余所に、子供のように顔を輝かせてしゃがみ込んだ和馬は、思いきり気合を入れて頷きを返す。
「この和馬様にすくえないモノはない!」
 息を詰めて。
 じっと睨み合い。
 勝負の瞬間を見極めて。
 素早く、絶妙の角度で網を水面へ。

 ぱしゃん。

「な!」
 金魚の逃走を許し、脆く崩れたすくい紙の穴を呆然と見つめる。
「はっはっは、どうだい、兄さん。やっぱりモナカはやめて紙にするかい?」
「いいや、まだ負けが決まったわけじゃねえ」
 再度腕まくりをして、果敢にも二度目の挑戦。
 そして、失敗。
 三度目の挑戦。
 またしても、失敗。
 いつのまにか無残なモナカの骸が足元に山を作りはじめていたが、葛は彼の『戦い』を止めるつもりはなかった。
 ひとつのことに熱中し、ムキになる姿は、彼と向きあうようになってから徐々に見ることが出来るようになったもの。
 熱さと勢いの裏に隠されていながら、それでも時折ふと顔を覗かせていた独特の『諦観』が、いまの彼にはない。
 その変化を明確な言葉に変えて捉えているわけではないけれど、微笑ましく受け止めている葛がいる。
 無性に悲しくなることも、淋しくなることも、不安になることも減ったのは、きっと彼の見せてくれるカオが変わったから。
 そして、破られることはないと信じられるほどに強く、書く実に、彼は約束を重ねていってくれたから。
「オヤジ、これに何か仕込んでんのか?」
「兄さん、勝負がどこから始まってるかって言うとだな、ソレを手にした瞬間からだ」
 ニヤリ。
 男には容赦しないとばかりに笑ってみせた店主に、
「くっそう」
 ようやく彼も、勝ちの見えない無謀な戦いに終止符を打つ気になったらしい。
「和馬、アンタの負けだね」
「言ってくれるな」
 悔しそうな姿もかわいい……などという言葉は軽く飲み込んでくすりと小さく笑う葛に、和馬は唇をとがらせた。
「さあて、根気強くこの彼氏クンの勝負に付き合ってくれたお嬢さんには、はい、これ。おじさんからプレゼント」
 可愛い子には特別サービスしなくちゃね。
 そう笑って差し出されたビニール巾着の中では、長い尾を持つワインのように透き通った紅色の金魚が揺れていた。
「あ、ありがとうございます」
 次の客のために場所を譲り、流れに身を任せるように歩き出しながら、葛は顔の少し上まで掲げて、じっくりと鑑賞してみた。
 花のように可憐で宝石のようにキレイな姿に思わず見入る。
 いわゆるオマケの一匹というヤツだが、それにしてはずいぶんといいモノをくれた気がした。
「和馬、この子はなんて種類?」
「ん? ん…………」
 なぜかすんなり返ってくるはずの答えが来ない。
「どうかした?」
 何故かやけに小難しい顔で巾着の中のオマケを見つめている。
「いや、俺が第一線を退いてからけっこう経つし、その間に新種が生まれたんだと言われたら納得するしかないんだが……なあ、オヤジ。これだけど」
 いったいどこで見つけてきたんだ。
 店主に確かめようと和馬は振り向いたが、先程の金魚すくいの店がどこにあったのかもう分からない。
 絶え間ない流れの中で、掻き消えてしまったのだろうかと思うほど鮮やかに、所在をなくす。
「キツネにつままれた」
「それじゃこの金魚も明日の朝には葉っぱにでも変わってるかもしれないね」
 くすくすくすくす。
 金魚に詳しい和馬には釈然としない出来事でも、葛にとってはキレイなサカナのお土産ができただけの話だ。
 それに。
 この子を見るたび、真剣に金魚すくいに挑んでいた和馬の姿をきっと思い出すだろう。
 むしろ、そちらの方に感謝したくなる。
 だから、まだ少ししょげている彼の背を景気よく叩いて、その腕を取った。
「そうだ、和馬。次はあれにしよう!」
 指差した先には、射的ゲームの屋台が、ずらりと背後に景品を並べて控えていた。
 キャラメルやガムの小さな箱、ミニボトルのウィスキー、それからぬいぐるみや一見するとガラクタとしか思えないオモチャたち。
 だが、ふたりの視線が同時に捉えたのは、その中で最も大物で、かつ最も難易度の高い景品だった。
「……なんなら勝負しようか?」
 そのいくぶん挑戦的な申し出に、捨てられた子犬のように落ち込んでいた和馬の目が、きらりとひかる。
「当然、勝負はどっちがアレを先に落とせるか、だよな」
「当然。狙う獲物はアレのみ」
 どっしりと腰を据えた茶色いクマのぬいぐるみ。
 緑の居候が何度かお邪魔して遊んでもらっている、冷蔵庫の扉の向こう側に住まう『彼』を思わせる。
 これを撃ち取れたら、きっとあの子の満面の笑みが見られるに違いない。
 そう思えば、やる気も増すというものだ。
「それにしてもさ」
「ん?」
「あんたから聞いてたより、この祭ってずっと変わった趣向だと思うよ」
 改めて、ぐるりと周囲を見渡す。
「キャラクターのお面をしてるってのはたまに見かけるけど、ああいう、狂言で使うような能面をかぶって参加してるのを見るのははじめてかも」
 先程の金魚すくいの主人がしていたキツネ面のほかに、ウサギやイノシシ、山犬、トラなど動物面としては少々珍しい類のモノを頭に引っ掛けた者が目に付く。
 もしかすると、面をしていないのは自分と和馬くらいではないだろうか。
 よく目を凝らせば、他にもちらほらといるにはいるが、面を被るか、あるいは額や首、腕などに引っ掛けた者たちの方が断然多い。
「あの動物面は、この地域独特の風習らしいんだ。住民のほとんどは生まれた時に自分専用のモノを作って贈られるって話だしな」
「へえ、そうなんだ……」
 軒を連ねる出店者たちは自分の屋台の自慢を声高に語り、客たちは自身の戦果を称えあう。
 ソレはどこの祭でも見る光景だ。
 馴染みすぎて違和感など入り込む隙もない。
 なのにどうしても不可思議な感覚がつきまとうのは、夜を包む熱気と神社という場所が持つ神聖のためだろうか。
 時に、面と呼応する動物たちの鳴き声が、呼び込みに混じりこんでいるように錯覚することすら、この特別な時間に呑まれている証拠だろうか。
「あれ」
 不意に、それまで聞こえていた祭囃子の音色が変わる。
 スピーカーから流れていた、ダビングを繰り返してノイズ混じりとなったテープの音とは明らかに違う。
 笛や太鼓に鈴の音が混ざりあい、雅楽のみやびで風流な演奏が、一帯の空気を振るわせ、遠い夜の向こう側から延々と連なりながらやってくる。
 きらびやかというよりは厳粛な雰囲気に辺りが包まれていくのを肌で感じた。
「おう、はじまったなぁ」
 誰かがそう声をあげる。
 始まったか、始まったな、始まったのね……
 その言葉は、まるで漣のように人々の間に広がっていくのだ。
 何かが起ころうとしている。
 でもなんだろう。
 奇妙な胸の高鳴り。
 そして。
 空気の色すらも変えてしまった『祭囃子』の姿を、葛は目の当たりにする。
 動物面を被った狂言師のような格好の者たちが、思い思いの楽器や神具を手にし、神輿を担いで森の向こう側から練り歩いてくるのが見えた。
 木々の合間からチラチラと揺れて見え隠れしているのは、松明の炎などではなく、どうやら正真正銘の狐火らしい。
 青白く、あるいは赤く、時にふぅっと透き通りながら、揺らめき踊る美しい色彩。
 そして。
 一際丁寧に飾られた神輿の上には、十二単と思しき着物をまとった少女が鎮座し、凛とした横顔を見せていた。
 彼女は狼の面を胸に抱いている。
 ほう…と、誰かが感嘆の溜息をつく。
「なるほどな、盛況なわけだ。1年に1回どころじゃねえわ。十年に1回の祭だ。そっか、今夜だったか」
 疑問ばかりが浮かぶ葛の隣で、和馬は得心がいったという顔で何度も頷いている。
「どういうこと? さっぱり話が見えないんだけど?」
「俺も師匠から噂ってことで聞いたことがあるだけだし、ホンモノを見るのは初めてなんだけどな」
 そう言って、彼はゆっくりと昔話を語って聞かせるように静かに、けれど臨場感たっぷりに言葉を紡ぐ。
 山のモノと空のモノが縁を結び、海の神へと婚姻の見届けをしてもらうことで理の均衡を保つという、古い言い伝えに則った古い儀式。
 清浄なる場を守るため、遠い遠い昔から交わされてきた契り。
「つまりな、いくつかの位相の違う世界で交流があるんだよ。キツネの嫁入りみたいなもんだが、それよりかなり規模はでかい」
 彼が説明する間も、この世ならざる世界の境界を越え、祭囃子の行列は足を止める人々の間を厳かに進んで行く。
「……キレイだ……」
 文字通り、息を呑む。
 目を奪われ、心を奪われ、ひたすらに魅入ってしまう。
 だが。
 一瞬。
 ほんの一瞬、少女の視線が葛を捕えた。
 まばたきの瞬間、ごくわずかの時間だけ、通じ合った心。
 彼女がこれから嫁ぐのは、お伽噺のように折り重なる別の位相。
 その口元に小さく小さく浮かんだ穏やかな笑みが、何故か、自分のあとに続く者への激励に思えて。
 理由は分からない。
 けれど確かに、彼女は自分を認めていた。しかもそれをごく自然に受け止めている自分がいる。
 いつか。
 ソレはけして遠くはないだろう未来の出来事、なのかもしれない。
「……和馬」
「ん?」
「いや、なんでもない……」
 ひっそりと芽生えた予感を胸に抱いて、けれどそれを彼に告げることなく葛は微笑み、和馬の腕を引く。
 飲み込んだ言葉を、彼はけして深追いしない。
 深追いしない変わりに、何かを感じ取って淡く微笑んで返すから。
 だから……
「さ、勝負はこれからだ。負ける気がしないから覚悟しな!」
「それはこっちの台詞だぜ」
 じゃれあい、はしゃいで、再び賑やかな喧騒を取り戻した祭会場で、ふたりは同時に店主の声を掛けて射的の銃を手に取った。


 頭上で赤い提灯が揺れて、ヒトとモノノケとイニシエの影を躍らせる。
 そして月の光は、それより更なる高みから、やわらかく、優しく、闇の色に染まる男と翡翠の色を持つ彼女と、そして紅色の小さな金魚を照らし見守っていた――



END
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
高槻ひかる クリエイターズルームへ
東京怪談
2007年06月13日

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