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『愛の形 』
クレア・マクドガル3389)&ジュディ・マクドガル(0923)&(登場しない)

「……そろそろお時間になってしまいますが」
  女中の困惑した声は届いたかどうか。一応といった感じで返事はしたものの、ジュディは地面に膝を付いたまま、琥珀色の瞳をした子猫と遊び呆けている。女中から見えるのは後姿だけだけだが、身に付けている服装のせいで身体の輪郭がはっきりと分かる。年頃の娘としてはもう少し肌を隠した方が良いのかもしれない。けれど本人にその気はないようだ。密やかに女中はため息をつく。主人であるクレアに見つかってしまったらと、そのことを考えるだけで頭が痛む。
 ここは屋敷の庭だ。様々な木々や草花が植えられており、春には花が咲き乱れ冬には物悲しい枯れ葉が北風に舞う。緑色の芝生の上、ふわふわと柔らかい猫の毛並みと、素肌に触れる緑色の草の感触がくすぐったい。しなやかな猫の身体は温もりを伴って、時折小さく鳴く姿は実に愛らしく、思わず頬が緩む。
「んー、もう少しだけだから」
 金糸の髪を揺らし、ジュディは子猫をふわりと抱き上げる。この辺りでは見たことがないから、きっと迷い猫なのだろう。
 午後の食事を済ませ、一休みしたらまた勉強の時間。特に今日は外から教師を招いて、特別に授業をしてもらうことになっていた。
「ジュディ様、もう先生がお見えになる時間でございます。どうかお部屋に……」
 女中はポケットから銀色の小さな時計を取り出す。刻まれる時は、約束の時間を十分は過ぎていた。
「明日にはいなくなっちゃうかもしれないし。それにこんなに……」

「ジュディ」
 可愛いんだよ、と続けられるはずの言葉は唐突に途切れてしまった。反射的にびくりと肩を揺らし目を瞑る。いつの間に現れたのだろう。女中の隣にクレアが立っていた。
 耳に馴染む母の声。しかし今は慈愛溢れる母の声ではない。悪戯をした時、勉強をやらずに遊んでいた時、何か悪いことをすると必ず母のクレアはこんな声でジュディを呼ぶ。鞭よりも鋭く心を打つ声に、わざとのろのろとした動きでジュディは立ち上がる。クレアの声を恐ろしいとでも思ったか、それまで楽しげに戯れていた子猫はジュディの身体をするりと抜け出し、何処かへと走って行ってしまった。
「授業場所は庭ではなく部屋のはずですよ。それに猫は必要ありません」
「……でも、お母さまッ」
 ちょうど遊びたい年頃だ。部屋で静かに書物を繰るより、庭で子猫とじゃれ合っていた方が楽しいに決まっている。ジュディの性格を良く知るクレアとて、それは十分に理解していた。
「……、……」


 悪いことをした後は必ず仕置きが待っている。身を隠すスカートと下着を脱ぎ、お尻を叩く。あの痛みと羞恥心が嫌だから、もう悪戯はしないと強く思うのだが、若さゆえの未熟さからか、次の仕置きは大した間を開けずにやってきた。
「……先生はもう部屋にいらっしゃいます。服の埃を払って、準備をしてからおいでなさい」
 沈黙を破ったのはクレアだった。たったそれだけを言うと、背中を向けて屋敷の方へ歩いて行く。残されたジュディは、母の真意を掴めず拍子抜けした様子で母の背中を見送った。いつもなら、すぐに仕置きが待っているはずなのに、と。

「奥様。お茶をお持ちしました」
「ありがとう」
 ジュディが部屋で授業を受けている間、クレアは私室で本を片手に物思いに耽っていた。静かな部屋には時々ページを捲る音が生まれるが、文字を追うだけで中身は入ってこない。
「……私は」
 女中が慣れた手つきで注がれる茶を横目に、ふとクレアの口から零れる言葉があった。
「間違っているのでしょうか。猫と遊ぶ時間も許さずに、勉学を強いて」
 パタン、とクレアは持っていた本を閉じる。
「冒険者は甘い職業ではありません。常に危険が付き纏う。しかし、あの子がそうなりたいと言うなら、母として出来るだけの手助けをしてやりたいのです。多くを知って、多くを身につけて欲しい」
 暖かな湯気と紅茶の香りにを背景に、女中は微笑む。
「奥様は厳しいだけのお人ではありません。ジュディ様を愛していらっしゃるからこそ、厳しくなさるのですわ。冒険者として、一人の女性として立派に成長されるようにと。……お嬢様も、きっとわかってくださいます」

 一方。少々遅刻はあったが、ジュディは無事に授業を終えることができた。いつもならばすぐ遊びに出かけるのだが、今はそんな気分になれない。母に謝りに行かねばならないと思いつつも、足が重い。
「あら、お嬢様。どうなさいましたか」
 屋敷で仲の良い女中と廊下でばったり出会い、ジュディは声をかけられる。よほど深刻な顔をしていたのだろう。心配そうに覗き込んでいるのに、大きげに手を振って返した。
「ううん、何でもないの。……それより、お母さまは何処にいる?」
 恐る恐るといった様子で尋ねてくる様に、女中は小さく微笑む。そして口に乗せたのは、屋敷のある場所だった。

「お入りなさい」
 トントン、と遠慮がちなノックの後、部屋の中から返す声がある。
「母さま。……生意気な娘にきついお仕置きをして下さい」
 一歩、また一歩とジュディは歩いて行き傍に寄る。羞恥に唇を噛みながら着衣に手を掛け、するりと微かな衣擦れの音をさせながらスカートを床に落とす。
 やはり悪いことをしたという意識があった。クレアがあの時すぐに仕置きをしなかったのは、悪を悪として受け止める時間を与えていたのだということ。母が娘に施す尻叩きは、何の見返りもなく正しい道へ引き戻す為に、愛情のみで行われる行為なのだと、そう理解したのだ。
「……ジュディ」
 クレアの目の奥に熱いものが宿る。椅子から立ち上がり、しっかりと強く娘を抱きしめ、お互いの愛情を確かめ合った。

「……97、98……99」
「……、ッ」
 裏に溢れる程の愛情が込められているのだとわかっていても、痛いものは痛い。肉体的な苦痛に眉を寄せ、泣き出す寸前の声を喉の奥で押し殺しながら、それでもジュディは与えられる罰に耐えた。合間に「ごめんなさい」と途切れ途切れに紡ぐ。
 クレアの手も赤く腫れ始めていた。叩かれる方も痛いが、罰を与える方も無傷では済まない。日に焼けていない白い柔肌が今は赤くなっている。
 もう何度繰り返したことだろうか。
「100」
 パン、という音を立てて、罪と罰が終わった。

「廊下は走るものではありません。見なさい。零れた水が器に戻らないように、割れた壷も元には戻りませんよ」
 数日後のこと。食事を終えて外に遊びに出るところ、ジュディは不注意で飾られていた高価な壷を割ってしまった。偶然その場を目撃したクレアに呼び止められ、しゅんと俯く。失敗の繰り返し、またやってしまった。
「はい、お母さま。……ごめんなさい」
 部屋のように仕切られた場所ではなく、玄関に近い。いつ誰が来るかもわからないし、女中以外に客人が来ないとも限らない場所だ。けれどジュディは素直に自分の非を認め、見合うだけの罰を与えられようと自らスカートに手をかける。羞恥を感じる心とそれに勝る母の愛情を、確かに感じながら。それを見たクレアも、そっと淡く微笑むのだった。


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聖獣界ソーン
2007年05月15日

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