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『share an umbrella 』
大矢・葉月5824)&神鳥谷・こう(2217)&宮尾・玄(7016)&(登場しない)

 大気が沈み、空気が重い。
 低い灰色の空を見上げて、大矢葉月は小さく息を吐いた。
「……葉月」
頭上から降り注ぐ平坦な声に、どこか気遣わしげな響きを感じ取り、葉月は笑みを浮かべる。
「なあに? こうちゃん」
雨雲と電線の占める視界に割り込んで、葉月を見下ろす金色の瞳。整った造作は表情に欠け、何処か人形めいた印象を見る者に与えてしまうが、その実、感情豊かなのではないかと葉月は目算していた。
 その上、葉月の学校帰り、わざわざ駅まで迎えに出て買い出しの人手を買って出る、生真面目さを有する下宿人の、名を神鳥谷こうと言う。
 油や卵、お一人様を限りとしたお買い得品の食糧は、頭数を揃えてなんぼである。時に賄いまで面倒を見る下宿、弓月荘のお嬢さん……と言いながら、実質切り盛りしている葉月にとって、経費を如何に安価で抑えるかは最重要課題だ。
 学校帰りに寄ろうと思えば、学校指定の大振りなショルダーバックに物理的に購入を制限され、併せて安値になる事の多いのがこれまた嵩張る紙類の消耗品とくれば、自然に膨らむ荷物の多さに男手が何より有り難い。
 その上、細身の割りに力持ちなこうは、ショッピングバッグを両肩に、ボックスティッシュを右手に二つ提げても全く意に介していないようだ。
 今も優しく……は見えない無表情で、しかし気遣いに顔を覗き込むこうは、葉月の空元気など見透かしているようだ。
「何処か悪いのか」
平坦な声に、葉月は「んーん」と首を左右に振り、再度、こうから空へ視線を戻す。
「雨降りそ」
葉月は新緑の頃の雨、というよりも空気が苦手だ。
 熱を帯び始めた空気は雨に鎮められ、匂い立つように鮮やかな木々の緑は濡れて色を増す。この頃の雨は、少し埃っぽいような独特の香を持ち、季節の推移を明らかにする。
 そのどれもが好ましく、不快に思う要因は見当たらないのに、胸の奥に残るしこりが葉月の気持ちを沈ませた。
「葉月は雨は嫌いか?」
葉月の気鬱を察したこうが、真っ直ぐにぶつけて来る素直な疑問に、葉月は些か怯んで言葉を濁した。
「私? 私は……」
嫌い、と言うネガティブな言葉は、断言に勇気とエネルギーが要る。そうではない、と否定しようとして、葉月は思考の材料を求めて泳ぐ視線を、ふと一点に止める。
「葉月?」
その注視につられてか、こうの眼差しが葉月から外され、同じ方向に向けられた。
 都心のような活気は望むべくもないが、古い住宅街に添い、ほぼ同じ歴史を持つ駅前の商店街は、其処だけで生活するに足りるだけの店が軒を連ねている。
 その内の一軒、本日は商店街の休日の為に営業していない店の前で、佇む人影から葉月は視線を外せなくなった。
 長身の青年……葉月の髪よりも色の薄い、弓月荘に居着いた茶虎の猫の毛色に酷似した髪色に、ジーンズとTシャツは如何にも今時の若者らしく、特別目を引く物ではない。
 が、それが煤に塗れていれば話は別だ。
「どうしたの? 大丈夫?」
引かれるように、思わず駆け出した足につられる形で、葉月は真っ直ぐにその青年に向かっていた。
 凝視とも言うべき視線を受け、流石に二人の存在には気付いてか、こちらに顔を向けていた青年だが、葉月の勢い、及び半拍遅れてだが後に続くこうに虚を突かれた様子で、思わず一歩引く。
 が、その足下に積まれた荷物に阻まれ、それ以上の避難は敵わずに踏鞴を踏んだ。
 荷物を巻き込んで転倒しかける青年に、焦る葉月を追い越したこうが、支えを求めて宙を彷徨う左手を引いて止め、どうにか難を逃れる。
「どうも……」
スミマセンにしろありがとうにしろ、原因を作った人間に手を貸された事実を鑑みれば、どちらも使用にそぐわない。
 それ以上を言い倦ね、曇天であるというのに、目元を隠して濃いサングラスを着けたままでも、青年の煩悶は伺い知れた。
 その間に二人に追い付いた葉月は、卵のパックが入ったビニール袋を抱え直して一息吐く。
「今日、商店街はお休みだよ? 何か困ってる?」
気まずい空気に気付かぬふりで、葉月はこうに手首を握られたままの青年に、再度気遣いの声をかけた。
「……いや」
お使い帰りの中学生にそう聞かれて、大人が正直に助けを請う事が出来るのは、道に迷った時くらいだろう。
 どう言えば納得して貰えるのか、思案の……とはいえ、スポーツタイプのサングラスに顔の上半分を隠されて表情を伺いにくくしているが、青年はそれでも十二分に困惑の伝わる表情を浮かべて見せた。
「うん、まぁ困ってると言えばそうだけど」
言葉を選びかねている青年に、こうが不意に問いを重ねる。
「腕は痛くないのか?」
腕、と言われて葉月は思わずこうが相変わらず握り締めている左手を見たが、その視界の端で、ひらひらと頼りなく揺れる片袖の存在に初めて気付く。
 その、上腕の半ばで固く結ばれた袖は、あるべき部位……肘から手までの欠損を明らかにしていた。
「痛くない、けど」
前置きもない唐突な質問に、半ば呆然と答えて青年は、ふ、と肩の力を抜いた。
「痛くないんだ、大丈夫。大分前の怪我だから」
葉月とこうとを順に眺めて、青年は苦い笑いを口の端に刻む。
「答えたんだから、教えてくれよ。あんた、人形だよな? お嬢ちゃんの?」
青年の不意の指摘に、葉月は目をぱちくりと瞬かせた。
 人形、と青年はこうを称して言うが、彼は何処からどう見ても人間である。
 全体的に白っぽい印象はあり、表情に乏しくはあるものの、時に同級生に『下宿のカッコイイお兄さん』と呼ばれるこうは、葉月の目から見て、何処にもおかしな所はない。
「そうだ、傀儡だ。だが、葉月の物ではない」
「え」
けれど本人があっさりと認める肯定と否定に、葉月は思わず驚きの声を上げた。
「ええぇぇぇっ?!」
その声の調子に驚いたのは男二人である。
「あ、ゴメン。もしかして隠してた?」
「いや、初めて聞かれただけだ……が、葉月、どうかしたのか?」
衝撃、と呼べる事実を告げた告げられた当人達は、主たる問題については些かの驚愕を覚えもしていない。
 ただ初めてこうの正体を知った彼女の反応を気遣う素振りに、けれど葉月の反応は彼等の懸念を上回っていた。
「すごーい、こうちゃんって、人形だったんだね〜! 全然気付かなかったよ!」
紛れもない賞賛の声を上げただけに留まらず、葉月はその場でぴょんと跳ねた。
「言った方が良い事だったのか?」
全く持って、隠すという意識がなかった事を言外に示すこうに、葉月は感心に目を輝かせたまま、首を横に振った。
「え、だって人形でも人間でも、こうちゃんはこうちゃんでしょ?」
「……大物だな」
あんたら、と意識せずに暴露してしまった青年は、罪悪感に駆られる必要のなさに、一つ息を吐いて話を変えた。
「問題ないんなら、ここら辺にビジネスホテルかなんかないか教えてくれないかな。取り敢えず一泊しのげたらどうにかなんだけど……アパートから焼け出されたトコで」
青年が足を止めていたのは不動産屋。言われて初めて、硝子戸とカーテンの間に貼り付けられた、色あせた住宅情報を眺めて足を止めていたのだと知れた。
 それならば煤まみれの姿も荷物も……何故だか、これだけは無事なイーゼルの他は、青年の告げた言葉が、見舞われた災厄が真実なのだと告げている。
 そうと察した時の、葉月に走った衝撃と懊悩は表面からは伺い知れなかった。
「ホテル……」
傍らでは、こうが馴染みの薄い施設の名称を噛んで含むように繰り返している。
 古くからの住宅街だが、近隣に宿泊施設がなくもない。が、煤まみれの様相と大荷物では、宿泊を渋られるのは必至だろう。
 家が下宿であり、空き部屋があり。なまじっか、ある条件を満たさないと住人として認める事が出来ない為、埋まり切らない部屋に万年下宿人募集中である。
 そんな好条件が道端に転がっていたと言うのに、下宿のお嬢さんとして大いに悩んでしまうのは、頻繁に犬猫人間を拾ってくる父の存在がかなり大きい。
 面倒も見ない癖に手当たり次第に拾ってくる煽りを受け、みーみーとミルクを求めて泣く子猫やら、家の中を駆け回る子犬やらの世話に翻弄されざるを得ない葉月は、自分で世話の適わない生き物を拾うことだけはすまいと強く自分を律していた。
(あぁ〜どうしよっ、今月ちょっと家計苦しいしっ、もしかしたらまた家に何か増えてるかもだしっ!)
 あわあわとした思考のあまりに無言になる葉月だが、心配しなくとも、相手は立派な成人男子、葉月の世話を必要とする事態はそうないだろう。
 その実。何某か、連れ帰ってはならない理由を見つけようとしているのだと、葉月は自分で自分の心情を冷静に判断していた。
 拾わないのではなく、拾えないのだ。
 起因するのはあまりに遠すぎて曖昧な記憶。雨を厭う気持ちに重なって確かな形になろうとする、遠い想い出。
 それは、手の中で徐々に温度を失って行く命の気配。大切な、何か。
 冷たい雨は、葉月の祈りと願いを挫いて降り注ぎ、力のなさが切なく、苦しく、暖かな家に帰り着きさえすれば、大丈夫だと信じた想いは、結局叶わなくて。
 その時のことを、思い出したくない。
 なのに、掌に包み込んでいた小さな命の温もりだけは、いつまでも残っている。
 無意識に広げた自分の両手を、見下ろした葉月の額にぽつりと冷たい雫が落ちた。
「雨だ」
こうの声につられて、葉月は空を見上げた。
 黒く低い雲が風に流され、次々と雨粒を落としていくその手前、狭間を縫うようにすいと燕が行き過ぎた。
(……でも)
決意に唇を横に引き、開いた手をぐっと握り締める。
(やっぱり放っておけない! ……よねぇ)
葉月はショルダーバックの中から折りたたみ傘を取り出すと、ポン! と軽い音を立てて開いて青年の手を引く。
「うち、来る?」
「へ?」
唐突な葉月の申し出に真意を汲む間もなく、葉月は赤い傘の中に青年を引き入れた。
「私、大矢葉月。家が弓月荘って下宿なの……といっても最終決定権は私になかったりするの〜。家の門が潜れるなら合格なんだけど」
突然の客引きに戸惑ってか、はたまた傘の赤い生地を透過した光を受けてか、心なしか青年の頬が紅潮している。
「多分大丈夫だと思う。私が保証するから♪」
有無を言わさず葉月が握り締める左手を、青年は振り解けない間に、こうがイーゼルや何やかや、を一息に肩に担ぎ上げて、なけなしの家財を人質に取られる形に、青年は逃亡を阻まれる。
「こうちゃんはこうちゃん。こうちゃんもうちの下宿人なの」
お名前は? とにこやかに聞かれた青年は思わず、と言った様子で、短く「宮尾、玄」と答えた。
「宮尾……玄ちゃんだねヨロシクー」
交渉成立とばかりに、握った手をぶんぶんと振られて、それでも一応辞退の意を見せようとした青年……玄が辞意を言葉にしようとする先手を打って、葉月は上背のある玄の頭までカバーしようと、懸命に傘の柄を掴んだ腕を伸ばして笑みかけた。
「今ならお部屋は空いてるし、お家賃も落ち着くまでは待ってあげられるよ?」
明確な実力者の発言力は、実際の経営者の権限を上回って余りある。
 大家のお嬢さん、という形ばかりの地位に甘んじてられない葉月が力を込めて請け負ったそれは、現在進行形で困窮している玄のハートを経済的魅力で貫いた。
「先ずは見てみて……からでも、いい?」
途端に下手にでる玄に、葉月は大きく頷いた。
「家の門潜れたなら決定ね! そしたら家来てね!」
満面の笑みを浮かべた葉月への返答としてか、玄はゆっくりと握られたままだった手を外すと、腕を限界まで伸ばして頭上に掲げられた傘を受け取る。
「まいっか。そっちの……こうちゃん? にも興味あるしな」
「神鳥谷こう」
葉月の勧誘に自己紹介の機会を奪われていたこうが、漸くフルネームを告げるのに、玄が軽く眉を上げたのがサングラスの端から覗いた。
 その反応に無言で頷くこうに何かを感じ取ってか、葉月は傘を持つ玄の左腕に右手を、大荷物を抱えたこうの右腕に左手を添えて両者を交互に見て笑みを浮かべる。
 高い位置で重なるように、葉月を守る傘からぽつぽつと雨を受けてリズミカルな音を立てる。
「……なんか、思い出すな〜」
呟いて葉月は小さく吹き出した。
 こんな雨の日に、葉月はこうと出会ったのだ……行き場もなく途方に暮れた子犬のような表情をした青年を見るに見かねて傘を差し出した。
 生き物を拾う事をしないと決めたのは雨の日、それを覆してしまったのも、同じ雨の日。
 笑いの意味を図れず、顔を見合わせる青年達の片方に、葉月は顔を向けた。
「こうちゃん、さっきの質問だけどね〜」
「さっきの?」
こうは、玄に関わる寸前までに交わしていた会話に思い及ばないようで、大きく首を傾げた。
「私、やっぱり雨の日って大好き♪」
雨は、何かをもたらしてくれる……出会いも別れも、哀しみも、そして喜びも。
 こうはしばし首を傾げたままで居たが、葉月の答えに得心が行ったのか、小さく「そうか」と頷いた。
PCシチュエーションノベル(グループ3) -
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東京怪談
2007年05月07日

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