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『ターンドロップ〜ときのしずく〜 』
シュライン・エマ0086

 三月某日、某研究所会議室。
「今回の新薬投与目的は、外見変化における意識差異、および周囲の反応を調査するものです」
 と、壇上に立った博士は真面目に言った。
 でも長年助手として博士の顔を見ていた僕にはわかる。
 唇の右端が上がってるのは何か企んでる証拠。
 僕が被験者じゃなくて良かった。
「ターンドロップは服用により、外見年齢を変化させる事ができます。
大人は子供に、子供は大人に。
体内での作用原理は……」
 当然のように湧き上がるどよめき。
 作用原理が全っ然理解できなくても、とにかくすごい新薬だって事はわかる。
『クラスの皆に差をつけちゃえ☆ 一足先にO・TO・NA体験v』
『もう一度叶えたいあの夢――有名店お子様ランチ独り占め――』
『失われたあの時を再び……蘇る青春のひととき』
 これは博士が考えたターンドロップの売り出しコピー。
 どんだけ暇なんだあの人。
「今回募集する被験者は四名、実験開始は四月一日を予定しています」
 エイプリル・フールね。
 どうせ実験が一般人にばれても、
「いや〜、だってホラ、エイプリルフールだから!」
でごまかし通すつもりなんだ。
「被験者の選出は……」
 博士の説明は続いてる。
 こんな実験に、参加する物好きっているのかな?


 拍子抜けしてしまう程簡単に手渡されたターンドロップは、一応ものものしくアタッシュケースに収められていた。
 小型の金属性アタッシュケースを幾つかの暗証キーでシュライン・エマが開けると、中央に一粒だけ、ガラスケースに入ったドロップがある。
「……これが?」
 どう見てもありふれたドロップで、シュラインは『自分の方が担がれているのでは』と疑ってしまった。
 効果が現れれば、シュラインは子供の姿へと変化するはずだ。
 あらかじめ行動に必要な物は全て揃えてある。
 携帯電話や財布、筆記用具にハンカチ。
 それを入れる小さめの鞄。
 ベッドの上には子供服もある。
 シュラインはつまんだドロップを日にかざした。
 春の霞んだ空を映したような青。
「ま、いくら何でも毒じゃないでしょ」
 思い切って口にしたターンドロップは、やはりありふれた甘い味が付けられていた。
 けれどどこか懐かしい甘さが舌の上で広がると――。


「……うーん、結構子供視点って低いものなのね」
 電車の改札口に立ってシュラインは呟いた。
 ――保護者同伴じゃないと乗り物も乗れないのかしら。
 子供料金を見ながらシュラインは思う。
 今の彼女は五歳前後、幼稚園児といった姿に変化している。
 シュラインらしさを特徴付けている首にかけた眼鏡、チョーカー、指輪なども外しているので本人と知れる事はないだろう。
 切れ長の瞳は大きく零れそうで、それだけでも印象が随分変わるものだ。
 髪の長さは背中辺りまであるが、今回はまとめずにそのまま下ろしている。
 シュラインの面影もなくはない、が、まさか本人とは。
 ――親戚の子供、くらいには見えるかしらね。
 いつまでも一人改札口に立っていると駅員が来そうで、シュラインは一旦駅から離れた。
 子供一人、というのは案外目立つものなのだ。
 ――声かけてくる大人が善意の人ばかりとは限らないし。
 犯罪に巻き込まれ痛ましい姿になる子供たちのニュースが、近年は特に多いようにシュラインは感じる。
 中身は大人の判断を備えたシュラインだが、襲われた場合体格の差はどうしようもない。
 人通りの多い道へと出たシュラインは気を取り直し、草間興信所へと向かう。 
 のんびり春の日差しを浴びながらシュラインは興信所へと歩いた。
 何もかもが大きく見え、今まで見過ごしてきた物も新鮮に映る。
 ほぼ毎日歩いていた道の思いがけない所に猫の集会場があったり、菜の花がひとかたまり黄色い光を放っていたりする。
 ――毎日せわしなく過ごしているものね。
 常に時計で時刻を確認し、携帯電話のメールをチェックする日々。
 ――今日一日はそれも忘れて過ごそう。
 んー、と小さな腕をのばしてシュラインは思った。


 草間興信所は残念ながら無人だった。
 ノックしても、中から所長の草間武彦が姿を見せる様子はない。
 ――合鍵あって良かったわ。
 シュラインはハミング混じりでバッグから鍵を取り出し、差し込もうとしたのだが……。
「……と、届かない……!」
 予想外に子供の身長は低いのだとシュラインは思い知らされた。
 ジャンプして鍵穴に鍵を差し込む、という難度高い業に挑戦するも、あえなく失敗した。
 あたりを見渡して足場になりそうな物を探すが、なかなか都合良くそういった物はない。
「……どうしよう」
「何だ? お客さん?」
 むー、とドアの前で唸るシュラインの背後から、聞きなれた声が響いた。
 草間がコンビニエンスストアの白いビニールバッグを片手に立っている。
「客……の割に小さいな」
 シュラインの目線まで膝を折った草間が言った。
 ――何て言えば興信所に入れるかしら……そうだ!
「私、シュラインお姉ちゃんに用があったの!」
 草間は立て付けの悪い扉の鍵を開けて振り返る。
「ん? シュラインに用か。
今日は休みだぞ」
 ――そうだったわ……!
 うかつな己の発言に、心の中でだらだら冷や汗を流すシュラインだった。
「まぁ、子供一人じゃ危ないし、後で送ってやるよ。
とりあえず入れ」
 通された事務所は見慣れた佇まいだったが、やはり今のシュラインには大き過ぎた。
 ソファに座るのも苦労する有様だ。
 それに、視線が低くなったせいで普段見落としがちな汚れが目に付く。
 ――明日からお掃除頑張らないと。
 小姑のように埃をチェックする人間はいないが、気付いてしまった汚れをそのままにしておけるはずもない。
 一方、草間は奥の冷蔵庫を漁っている。
 ――一応、子供に気を遣ってくれてるのね。
 グラスに注がれたアップルジュースに、シュラインはふむふむと頷いた。
 いつもなら切らさない煙草も、火を着けられずデスクに載せられたままだ。
「シュラインとは知り合いなのか?」
 自分にはコーヒーを淹れた草間が聞いてきた。
「あ、うんっ!
遠い親戚でね、こっちに来たついでに会おうと思って」
「親御さんは?」
 ――やっぱりその質問するのね武彦さん!
「わ、私ってしっかりしてるから、一人でも大丈夫だって言われてるの!」
 『我ながら苦しい』と、シュラインは思った。
「ふーん。
年の割にしっかりしてそうだけど……でも子供一人でって、なぁ」
 釈然としないそぶりの草間に、シュラインは言った。
「それじゃ、武彦さ……じゃない、武彦おじさんが東京案内して」
「え?」
 子供の特権をフルに生かした仕草で、シュラインは草間の腕を取って引っ張った。
「シュラインに会いに行かないのか?」
「だっておなか空いたんだもの!
ね、いいでしょ?」
 今までの経験から、草間が子供には案外甘いのをシュラインは知っている。
「案内って言っても、そう遠くには行けないぞ」
 やれやれ、といったポーズを取っているが、草間の瞳は嫌がっているように見えない 
「じゃ、散歩にでも行くか」
「うんっ!」
 当然のように差し出される草間の手に、シュラインはにっこり笑って小さな自分の手を重ねた。
 春という季節柄、カフェの前には苺を使ったスイーツの看板が目立つ。
 数歩歩く度にそれらの前で立ち止まるシュラインに、草間は首の後ろをかきながら苦笑した。
「そういえば、お前腹減ってたんだっけな」
 ――ついじっくり見てしまってた……子供に戻ると、その辺自制できなくなってしまうのかしら。
 しかも追い討ちをかけるようにお腹が鳴った。
 ――欲求に忠実すぎるわお子様!
 赤面するシュライン。
「子供は我慢なんかしなくていいんだぞ」
 シュラインが躊躇する間もなく、そう言って草間はカフェのドアを開けた。
 ビオラの花が鮮やかな彩りを添えるオープンカフェの席に二人は座った。
 ――どう考えても、私たち親子よね……。
 できれば普段から、こんな場所で草間と過ごせたら嬉しいのだけれど。
 ひそかにため息をつくシュラインだったが、苺のあしらわれた桜色のモンブランケーキを目にした途端それに目を奪われた。
 やわらかめのクリームに隠されているのは、苺のムースと歯ざわりの良いタルト生地である。
「美味しい〜」
「良かったな」
 向かいに座る草間はコーヒーを飲みながらシュラインを見守っている。
 身体が小さくなったせいか、心なしか一皿が多く感じられる。
 ――すぐにお腹膨れてきたし……ちょっとお得よね。
 大事に一口ずつ食べたケーキがなくなると、言いようのない幸福感が胸を満たす。
「これからどうする?
天気も良いし、ボートにでも乗せてやろうか」
 ――それも良いわね……。
 近所の公園は池のほとりに桜が植えられており、池に散った花びらをボートから見るのがこの季節の楽しいデートになっている。
 ――でもそれは次でも良いわよね。
 子供の身体の今だからできる事をしたい。
 恋心は大人の私に任せて。
「ううん。
お腹いっぱいになったし、今日はもう帰るわ!」
「おい、まだ来たばっかりじゃ……」
 席から弾みをつけて降りたシュラインは、「お代、後でシュラインお姉ちゃんにもらってね」と言いながら駆け出した。
 呆気に取られる草間を残して。


 日が落ちるまで、シュラインは外で過ごした。
 陽だまりで仲良くなった猫の後ろを歩いて、子供でなければ通れないような隙間を潜り抜けた。
 家に戻って脱いだ服は所々土が着いていたけれど、それが懐かしい記憶を思い起こさせてくれる。
 当たり前だけれど、大人になった自分が確かにあの頃子供だった自分から繋がっているのだと、今は思える。
 次の朝が来る頃には、再び大人になった自分が待っているだろう。
 ――夢の続きみたい……。
 夢の中でなら、大人は子供に、子供は大人になれるのだから。
 とろりとした睡魔に身を任せながら、シュラインは眠りに落ちていった。


(終)


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【 0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員 】


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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こんにちは、追軌真弓です。
エイプリルフールなのですが、あまり『嘘』という内容でもないですね。
草間を騙しちゃって(?)ますが……。
振り回される草間が書いていて楽しかったですよ。
ご意見・ご感想などありましたらブログのメールフォームからお寄せ下さいね。
今回はご参加ありがとうございました。
また機会がありましたら、宜しくお願いします!


【弓曳‐ゆみひき‐】
http://yumihiki.jugem.jp/
エイプリルフール・愉快な物語2007 -
追軌真弓 クリエイターズルームへ
東京怪談
2007年05月02日

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