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『『色素の抜けた花』 』
セレスティ・カーニンガム1883)&モーリス・ラジアル(2318)&(登場しない)


 気象庁が発表した予測では東京の梅雨入りは例年よりも幾分かは早いという物ではあったが、それでもまだ東京の街が雨の檻に閉じ込められるにはいささか性急すぎる感もあった。
 今年の四月の終わりはまだ肌寒く、夜はうっかりとすると暖房の電源を入れてしまう事さえあった。
 雨が続くここ最近は特に寒く、
 そして彼女にとっては窓が開けられない事が何にもまして苦痛だった。
 湿気を多分に含んだ空気が澱む締め切られた部屋で彼女は苛ついていた。
 彼女は締め切られた部屋というのが嫌いであったのだ。
 冷房や暖房が効いていても、彼女は同室者や同乗者にどれだけ嫌われようが部屋や車の窓を開けた。空気の流れというモノを肌に感じられないと息苦しさを覚えるのだ。そういう自分の性質を彼女自身もひどく疎ましく思っているのだが、しかしどうしようもなかった。
 彼女が居る場所は銀行の地下だった。
 地下に儲けられた金庫の中で彼女は鞄を両手で抱きしめて座っていた。
 連日降り続ける雨による湿気はこの地下金庫の中の空気にすら含まれていた。それがただただ不愉快だった。
 しかも金庫の中の空気は常に清浄化されているとはいえ、それでも密閉された部屋に自分が閉じ込められているという事は大いに彼女に不安をもたらした。
 不安、焦り、苛立ち、緊張、気がおかしくなりそうだ。
 彼女は金庫の中に椅子を持ち込み、それに座って足踏みしていた。何度も何度も何度も彼女は足踏みする。そのリズムが彼女の内心を表している事は明白だった。
 ひどく乱暴に彼女が足の裏で金庫の床を叩くように踏み鳴らした時、彼女の着ているスーツのポケットに入れられた携帯電話が黒電話のベルを模した電子音を奏で、
 そして彼女はそれをレクイエムに、炎に包まれて死亡した。



 セレスティ・カーニンガムが人伝にそれを聞いたのはその事件が起きてわずか十数分後の事であった。
 リンスター財閥が管理運営するその銀行の頭取からの連絡である。
 電話でまず第一報を入れることの非礼を詫びた頭取は完全に自殺する間際の人間が出すようなひどく絶望した声を出していた。
 しかしその事件の詳細を頭取が説明する前にセレスティは地下金庫が火災の現場である事を聞いただけで、被害は実はそこに居た女性が焼死しただけである事を言い、他には一切の銀行の利益の損失になるような事実が無い事を言ってのけ、さらにはまだ事件現場で発見された女性の現場での鑑識捜査が終了もしていないのに、その彼女が携帯電話を地下金庫に持ち込んでいた事を指摘した。
「彼女だけが地下金庫という密閉された空間で有り得ない位に焼かれていたというのなら、おそらくは彼女は死ぬ間際に誰かから電話をされているはずです。それがこの焼殺事件の鍵でしょうね」
 そう呟き、そして頭取に何ら平素と変わらぬ声でこの失態を財閥総帥である自分は問うつもりの無い事を伝え、この後の対応も彼に一任すると伝えた。
 無論、そういうミスを仕出かした相手に平素と変わらぬ対応をする事の方が相手にとってはプレッシャーとなる事は百も承知の上でだ。
 とはいえ、セレスティ・カーニンガムが頭取に対していつもの涼やかな悠然とした態度を崩さなかったのは、リンスター財閥支配下の銀行のスキャンダルを致命的とは想わぬ余裕に他ならないのだが。
 リンスター財閥の力を持ってすればどのようなスキャンダルでも潰せる。
 逆にスキャンダルをでっち上げて、内閣総理大臣を失職させる事でさえもリンスターの名を持ってすれば余裕でありもするのだ。
 何なら銀行自体をこの世界から消してしまう方法でさえ選択できる。
 ホワイトハウスを裏から操り、絶える事の無い戦争の陰で暗躍するのがアメリカ武器商人市場であるなら、その武器商人市場でさえどうにでもできるほどの力を持つのがリンスター財閥であるのだから。もはやリンスター財閥こそが世界経済、いや、世界平和でさえも手中に収めていると言っても過言ではなかった。
 しかし世界を揺るがすほどのシステムにまで成長したリンスター財閥でさえもその総帥、セレスティ・カーニンガムがただただ暇であったから、というだけの理由で創設され、育てられた事は人には知られてはいない。
 彼の本性は人魚であり、陸に上がるという欲望を果たした彼はそこでまた己が有能さゆえの退屈を潰す遊びを失い、
 その次なるゲームこそが財閥の創設、及びそれを成長させる事だった。
 そしてそれさえも彼の勝利で終わった今、次なる彼の暇潰しの余興はこの世の不思議探しであり、それの調査、解決である。
 怪異がらみの事件もあれば人間が起こす事件もあり、
 それが構成される感情もその事件の都度違い、
 計算しきれぬ人間の情、興味深い怪異の合理的思考は、未だセレスティ・カーニンガムの有能さを持ってしっても解き解せない絡まった糸である。
 或いは人間の計算できぬその感情こそがこの世界をギリギリの場所で存続させている最後の防波堤であるのかも知れない。
 セレスティ・カーニンガムがこの世界に飽き、これを壊したいと望めば、その望みは余裕で叶えられてしまうのだから。
 リンスター財閥総帥、セレスティ・カーニンガムの屋敷の書庫で本を読んでいた彼は、読んでいた本を閉じると、控えていた執事にこの屋敷の庭師を呼ぶように命じた。
 そしてわずか数分後、彼、モーリス・ラジアルは世界を手中にする主の前に立っていた。



 縁とは不思議な物である。
 類は友を呼ぶと言うが、縁は縁を呼び、不思議と同じ気質の物が集まる。
 その存在性、気質、或いは持って生まれた宿命がその機縁の糸を手繰り寄せるのであろうか?
 モーリス・ラジアル。彼もまた、セレスティ・カーニンガムの信頼を勝ち得るに相応しい優秀な人材であった。
 ガードナーであり、医者であり、また調和者である彼がセレスティに呼ばれた理由は、
「先ほどの銀行の地下金庫で殺人がありました」
 その台詞でモリースは全てを理解した。
 右手を胸に当てて、彼は恭しく主に一礼をする。
 王に忠実である騎士がそうする様に。
「その事件の犯人を捕まえる、それが私のこの度のするべき事なのでしょうか、セレスティ様?」
 それは質問ではなく確認。
 そしてセレスティも王の中の王であり、それを超える神の如き鷹揚さを持って大理石を削って作り上げた精緻な像の様な顔を左右に振った。
「捕まえる前にこの犯人、いえ、クラブに一泡吹かせるという余興を、楽しみましょう、モーリス」



 その役目が自分に与えられた事の意味をモーリスは充分に理解している。
 もちろんそこにあるのはセレスティの自分への信頼である事は間違いない。
 しかしそれだけではない。クラブに一泡吹かせるという事事態はセレスティの足でも充分可能だ。
 本性が人魚である彼は陸に上がる際に尾ひれを足へと変えたが、童話の人魚姫が自分の美しい声を対価に手に入れた足が歩く度に足をナイフで刺し貫かれる痛みを感じたように、その彼の足もまた正常な人間の足とはいささか違う不自由な物となってしまったが、それでも彼の有能さを持ってすればそれは充分にカバーができた。
 ならばこの彼の役回りは?
 ―――それを説明するにはまずはこの事件の概要を理解してもらう必要がある。
 どの様な世界にも裏の顔がある。
 それは警察組織とて例外ではない。裏金作り、などというのはそんな物は子どもの遊びと言えるほどの事がされている、そんな現実。
 この日本という国を舞台に、組織のトップたちは一つのゲームに興じていた。
 元手は金銭並びに自社の情報(特許なども含まれる)。
 それを元本に企業はプレイヤーと呼ばれる人材をゲームにエントリーさせて、一対一でプレイヤーが所持する金銭と情報とを奪い合いさせる。無論、そのゲーム内での殺人は合法として認められ、罪に問われる事は無い。
 日本警察組織の裏の顔とはこのゲームへの参加及びゲームの審判、事後処理を担当する事であり、もっぱらプレイヤーは公安暗部の殺し屋としても充分に使える警官か、死刑にされた事になっている咎人であった。
 だから今回の地下金庫での殺人も、その犯人が殺人の罪で逮捕される事は無く、
 そしてそのどう見ても原因不明の事故か自殺にしか見えない焼死の殺害方法を知るのも犯人とセレスティ・カーニンガムしかいなかったから、それは自殺として処理される事になる。
 もちろん、モーリスも今はそれを理解している。
 要するに地下金庫の構造が利用され、それが巨大な電子レンジに見立てられたのだ。簡単な科学知識であった。
 地下金庫という密閉された場所で、しかし携帯電話は常時電波を放っているから、そこに溜まった電波が、携帯電話が着信した時に生じた電波をプラスされる事で、金庫内は電子レンジと同じ状態となって、彼女は焼死した。
 簡単であるからこそ、それがわからなかった。
 そしてそれは人の盲点をついていた。
 故にセレスティがモーリスを使い、このクラブを壊滅させるまではそれは自殺として処理されていた。警察上層部がもみ消しにかかるまでもなく。
 その過程をこのゲームのルール、オーナーとプレイヤーという役回りに乗っ取って行ったのは、つまりセレスティ・カーニンガム流のジョークであった。
 銀行で死んだ彼女と、彼女を殺したプレイヤー。両方ともがこの闇のゲームのプレイヤーであり、
 そしてオーナーは双方とも政治家であった。無論、ゲームに参加している政治家が政治家個人というのは表向きで、実際は党である。メール問題とかいったここ一番でのそれぞれの党の躓きは所謂敗者である政治家が背負ったゲームの結果であった。このゲームではそれもありなのである。でなければあのようなあまりにもお粗末な事態などは実際に起こりはしない。起こり様が無い。



 ゲームの参加への方法は誰もが知る有名企業のオーナーである事。もしくは政治家などと言った社会的地位のある者に限られ、
 そしてこのゲーム参加者全員への脅威となる行動を起こした者は日本国を敵に回す事になる。
 これまで多くのこのゲームを告発しようとした者が闇から闇へと消されていった。
 それをセレスティはしようというのだ。
 その意思表明は、
「え? *****様の通話記録ですか?」
 と、モーリスがわざと痕跡が残るように携帯電話会社に起こしたアクションであった。
 そうしてモーリス・ラジアルはゲーム運営本部に消すべき対象として確認された。
 無論、彼がリンスター財閥総帥セレスティ・カーニンガムに繋がる者であるという事は隠されている。それはモーリスの能力を持ってすれば簡単であった。
 ゲームで取り扱うのは、モーリス側のオーナー、即ちセレスティ・カーニンガムの命と、ゲームに参加する人物たちの社会的地位。
 ゲームの方法は、モーリス側はこのゲームを潰す事。
 相手側はモーリスを殺す事。



 リンスター財閥総帥セレスティ・カーニンガム邸の執務室でセレスティは紅茶を楽しんでいた。
 モーリスの動向は彼がつけている高性能カメラとマイクによって常時、把握する事は可能。
 無論、セレスティが指示するまでも無くモーリスならばこのゲーム自力で勝ち残るであろうが、これはオーナーとプレイヤーとが行うゲームであり、プレイヤーを動かす事はオーナーのロールであるのだから、セレスティはそのルールに背く気は無かった。
 ―――それに何よりもこのゲーム、暇潰しにはもってこいなのだし。
 外は変わらずに雨が降っていた。
 その雨音が窓の向こうからとノイズ混じりでスピーカーから聴こえてくる。
 カップに注がれた紅茶を飲み干したセレスティは軽く吐息を吐くと、
「では始めましょうか、モーリス。ゲームを」
 と、殊更涼やかな声で告げた。
「はい。セレスティ様」
 モーリスが律儀にいつものように胸に右手を置いて一礼したのがパソコンのディスプレイに映し出された映像でわかる。
 セレスティはその忠実な彼の行動にくすりと微笑んだようだった。
「さて、私たちの相手はクラブですが、それを相手にすると言っても何もクラブに属する全員の相手をしてやる必要も、またそのつもりもありません。狙うはヘビの頭です」
 暇潰しと言えどもセレスティは一々クラブのメンバー全員を潰していく暇は避けるつもりらしい。
 しかしその方が彼らしく、またそれをモーリスもわかっていたらしい。
「それではクラブの頭である現内閣総理大臣その人を相手取ってゲームをなさるのですね?」
「ええ。そのつもりです。いかがですか、モーリス?」
 モーリスの言葉は確認であったが、しかしセレスティはそう問い返した。
 これにモーリスはくすりと笑い、言うのだ。
「相手にとって不足はありません。我が主、セレスティ・カーニンガム。私、モーリス・ラジアルはあなたと交わした契約に誠意を持って応え、それを己の存在の誓約とし、成約とし、制約としています。故に私はあなたが望む剣となりましょう。この切っ先を持って、あなたに降りかかるこの災厄、見事に斬り捨てましょう」
 スピーカーから聴こえてくる声にセレスティは頷き、そして傍らのサイドボードの上に乗せられたチェス盤、自身のナイトを一つ前に動かした。「では、ゲーム開始です」、とそうモーリスに、世界に告げるのと同時に。



 モーリス・ラジアル。
 そう名乗る男が自分が殺した相手の事を調べているという情報はすぐさま彼女に届けられた。
 彼女の使用する殺人術自体は簡単である。とはいえ、それを誰もが出来るかと言われればそれはまた難しいであろう、としか言えない。何故なら彼女は相手の隙をつく事ができるのだ。隙をつく、それはひどく単純な能力であり、そして最強の能力であるが、しかし彼女自身が強力な殺人術を有している訳ではない。故に彼女はターゲットが居る場所を利用した隙をつく事でこれまでの殺人を、ゲームを勝利してきた。
 ターゲットが居る場所を実際に目にする事でその居場所の隙をどのように突けばターゲットを殺せるか、そのヴィジョンが彼女の脳裡に浮かぶのである。彼女はそれを忠実に再現するだけで良い。
 そして密かに彼女のクライアントであり、このゲームのオーナーである内閣総理大臣(しかしこれは表向きであって、実際彼女のクライアントであり、オーナーはその内閣総理大臣が属する党であり、その党を裏から支配する人物であった。)によって彼女はモーリス・ラジアルの殺害を命令されており、それがまた内閣総理大臣とクラブ全体とのゲームともなっていた。つまりクライアント料は契約時に交わした二倍もらえるという事である。しかし彼女は舌打ちをした。
 クラブに歯向かうという事はこの日本国を動かすシステムに喧嘩を売るという事であり、そんな事が可能なのはおそらくは世界経済を陰で操れるリンスター財閥総帥セレスティ・カーニンガムぐらいであろう事は周知の事実であり、実際彼女はこれまで数多くのクラブに喧嘩を売ってきた馬鹿を殺害してきたのだが、
 ―――しかしどういう事かこの男、モーリス・ラジアルには隙を見つける事ができない。能力が働かなかった。
 この男、モーリス・ラジアルには隙が無いのか?
 彼女は危機感を感じた。
 モーリスという男の危険性を彼女は本能で感じ取っていたのだ。
 おそらくは大きすぎる怪我をしてしまった場合、もはや痛覚が麻痺してしまうような感覚に彼女は襲われているのだろう。だから能力が働かない。
 しかし彼女はこのゲームから降りる訳にはいかなかった。降りれば次は彼女がターゲットとなり、そして彼女の能力には欠点があり、その欠点というのは偏に彼女の能力は攻撃にしか向かないというモノであった。自身の身を守るにはまったく不向きなのだ。つまり、場所の隙がわかってしまう以上、彼女は自分が逃げる場所の隙もすぐに理解してしまい、そしてその場所の隙を彼女自身がどうにかできるような技量は彼女には無いのだ。彼女自身が攻撃能力を持たない以上、彼女はこのポジションに留まるしかなかった。
 モーリスに隙が無いとわかりつつも彼女はこれからずっとモーリスの命を狙う行為を続けなければならないのだ。自分の命を守るために。



 つまりそれをセレスティは逆手に取っていたのだった。対戦相手の能力がおそらくは敵の隙及び、その人物が居る空間に存在する隙をつく能力であろう事は予測できていたから。そうでもなければその都度、ゲームの対戦相手が居座る場所を利用した攻撃などできるはずもなく、
 また過去のデーターからこの対戦相手が直接的な攻撃方法や強力な殺人術を有してはいない事は明らかで、
 またそのやり方が注意深すぎるぐらい注意深い事から気の弱い人間である事も見抜く事ができた。
 そしてそういった能力の持ち主であり、性質の人間であるのなら、自分が逃げた場合のシュミレートが絶対に悲劇的な方向にしかいかない事を理解しすぎるぐらいに理解してしまい、結果動けなくなってしまう事はもはや手に取るようにセレスティには想像できた。
 だから今回もこの対戦相手はクラブにゲームを仕掛けた自分のプレイヤーであるモーリスに対して攻撃を仕掛けてくる事は明らかで、
 しかし相手の能力がわかっている以上、セレスティの膨大な情報処理能力を持ってすれば、モーリスが存在する空間の隙を無くす事は可能で、そしてモーリス自身もまた自らの隙を無くす事は造作も無い事であった。



 モーリスは自分が見られている事を承知している。承知している上でそれを放置していた。
 彼の動向を観察するのはいつの間にか東京という街の至る場所に設置にされた監視カメラであり、その追跡を逃れる事は不可能であった。
 だが逆にこの監視カメラで敵がモーリスを監視するという条件こそがセレスティに優位に働いているのだから皮肉な事だ。
 モーリスが訪れたのは宝石商であった。そこは財政会の重鎮たちも贔屓にしている店であり、
 そして内閣総理大臣も贔屓にしている店であった。
「いらっしゃいませ」
 店員は恭しく客であるモーリスに頭を下げ、下げつつこの男は一体何者なのであろうか? と観察していた。
「オーナーはいらっしゃいますか? 実は私は****婦人の代理の者なのですが」
 モーリスが口にした婦人の名前を聞いた店員の顔が変わる。それはこの店では常連中の常連であり、そしてこの店のオーナーが実は店の今後に関わる重大な事柄を頼み込んでいる人物の名前であったからだ。
 店員は先ほどまでとはまた違った緊張の篭った声で言った。
「もう一度お名前をよろしいでしょうか?」
「モーリス・ラジアルです」
「モーリス・ラジアル様。今オーナーに連絡いたしますので、少々こちらでお待ちください」
 モーリスは店のVIP客が案内されるのであろう客室に通され、
 そしてすぐにこの店のオーナーが現れた。
 モーリスは彼から名刺をもらうと共にこう切り出した。
「私は****夫人の代理の者で、****氏がこちらから買い取るはずでした首飾りを内閣総理大臣へと届けるように仰せつかり、参らせていただきました」
「ああ、良かった。やはり****婦人は内閣総理大臣殿に仲介してくださったのですね」
 店主はほっと安堵した様な顔をした。
 首飾りとは先日亡くなった政治家(地下金庫で死んだプレイヤーのオーナーである。)がこの宝石商に注文していた品であるのだが、注文主が亡くなってしまったために契約が立ち消えになってしまい、そのせいでこの宝石商は注文された首飾りを製作した際に請け負った膨大な借金を抱える事になってしまったのだ。
 オーナーはこの首飾りを内閣総理大臣に総理就任を記念して妻に贈ってはどうだろうか? と売りつける事を目論むのだが、
 あまりにその首飾りが高価すぎるために内閣総理大臣は買う事を躊躇っていた。
 そこでオーナーは内閣総理大臣と仲の良い****婦人に総理への仲介を依頼したのであった。
 この情報をセレスティはリンスター財閥総帥の政治力によって入手しており、それを利用したのだ。
「では首飾りの金額をお支払いしますが、しかし少々事情が込み入った方法でのお支払いとなりますが、その点においては黙ってていただけますか?」
 代理人であるモーリスが口にした台詞を聞いてオーナーは一瞬眉間に皺を入れるが、しかしすぐにその皺を弛緩させて頷いた。
 支払い方法が政治家のモラルに反するような事など政治家相手に商売している以上日常茶飯事であり、また相手が内閣総理大臣である以上、その犯罪が露見する事もあるまいという計算が働いた結果だった。
「わかりました。当方としましてはお支払いさえしていただければ構いません」
 モーリスは頷き、持参していたノートパソコンを開くと、ネットバンクに回線を繋ぎ、ディスプレイに表示された映像をオーナーに見せた。
「これからアメリカの銀行に架空の会社の口座を開き、この首飾りの金額を入れますが、実はこの首飾りの金額2億円を払う2億円は大臣の妻の母方の叔父が残した遺産となります」
 モーリスは遺産がちょうど2億円なのだ、とオーナーに説明した。
 しかし遺産が2億円ちょうどであり、それで首飾りの代金を払うとなると不都合が出てくる。日本の法律には相続税というモノが存在するのだから。
 しかしオーナーのその主張にモーリスはにやりと悪い笑みを浮かべた。
「ですからお支払方法はアメリカの銀行の口座に振り込むという形になるのです。アメリカの銀行に架空の会社の口座を開き、そこに2億円を振り込みます。そして後はそちらで日本にもこの架空会社の口座を開いていただきます。そうすれば会社内で2億円を動かすだけですから、相続税もかかりませんし、またそちらも2億そのまま手に入る事になります。これは口止め料と、私が架空の会社の口座に2億円を振り込んだ後にその2億をそちらが手に入れるまでのご足労をおかけする迷惑料とが入っての2億となります」
 代理人モーリス・ラジアルが提案してきた首飾りの代金支払い方法はオーナーにも多大な危険な橋を渡らせる方法とはなるが、しかしこれが成功すれば税金で持っていかれる事無く2億を稼げる事になるのだから、オーナーはそれに反対する理由は無かった。何よりも共犯者が内閣総理大臣である以上この事が露見する訳が無いのだ。あまりにも美味しすぎる提案であった。
 しかし宝石商の目の前でモーリスはネットを使い、2億を振り込むのであるが、
 モーリスがオーナーに見せた、2億を持っている証拠として2億円の記載がある通帳は、既にその2億円が振り込まれている通帳の本当の持ち主が担保としてさらに銀行から融資してもらっている都合上、ネットバンクでの手続きが行われたと言っても、実際に動いた金銭は皆無であったのだ。
 完全なる詐欺である。
 かくしてモーリスはタダで2億円の宝石を手に入れ、店を後にした。
『最高の演技でした、モーリス』
 イヤーカフス型のスピーカーから聴こえてくる主の賞賛の声にモーリスは恭しく一礼した。
「全てはセレスティ様の筋書き通りに」
 くすりとスピーカーから悪戯っぽい笑い声が聴こえた後に、
『では次はその宝石を郵便局で箱に包んで、ユニセフに送って下さい』



 平成の首飾り事件と後日、マスコミに称される事になる事件の概要はこの通りであり、しかし実際にはマスコミで取り扱われる事になるそれは実際の事柄とは似ても似つかない事になるのだが、
 事実はこうであった。
 そして、親族の通帳を詐欺行為に使われた内閣総理大臣は宝石商が裏でこれまで行ってきた詐欺行為及び、盗品と知りつつ宝石や古美術を売買していた事を理由にその日の内に検察と警察を動かして全てを知るオーナーと従業員を逮捕させ、自身の身を何とか守ったのだが、
 しかし完全に今自分が敵対している相手への恐怖心が刷り込まれてしまった。
 敵は完全に狂っているとしか思えなかったのだ。内閣総理大臣である自分に、クラブに喧嘩を売る事は日本を敵に回す事に等しいし、そしてまたそれはアメリカなどの世界すらも敵に回してしまう可能性があるのだ。
 自分だけではない、家族すら危険に巻き込んでしまう恐るべき行為であり、
 そして実際、彼が内閣総理大臣となり、このクラブへの参加権を与えられた時に感じたのは紛れもなくそういった恐怖であった。
 内閣総理大臣という立場に自分は居るが、しかし所詮はそれは裸の王様でしかない事を一番理解しているのはその地位に着いた人間である。表向きの日本国総理大臣が背負うプレッシャーと裏の日本国総理大臣が背負うプレッシャー、この二つを背負い生きる事は生き地獄を味わう事に等しかった。
 だからそれまで一切の隙を見せなかったモーリスが見せた隙に、セレスティとモーリスが仕掛けた罠にまんまと誘い込まれた彼女がモーリスによって捕まり、警察に殺人未遂で捕まったという情報と、その彼女がたまたまその警察署に居た薬物中毒患者に殺されてしまったという情報を聞いて、
 そしてその情報を伝えてきた電話の受話器を置いた自分の前にサイレンサーを付けた拳銃を手にした男が立っているのを見て、
 しかし彼が浮かべた表情は安堵の表情であった。
 男はトリガーを引き、
 銃口から発射されたBB弾は総理大臣の眉間に当たり、転瞬、そのBB弾に込められていた能力を体内に押し込まれた彼は脳の血管が切れて、病院送りとなり、一命を取り留めたものの、政治の世界からは引退を余儀なくされた。



 春眠暁を覚えず、そんな言葉がまだ似合う季節であった。四月の終わり、ゴールデンウイークの始まりの頃であった。
 雨は未だ降っていた。
 しかし梅雨にはまだまだ早いのだ。
 藤の花が美しく咲いていた。
 豊かな花を咲かせるその藤の木の下で、
「ようこそいらっしゃいました」
 屋敷の主人であるセレスティが雨が降る庭で出迎えたのは****婦人であった。
「美しいお庭ね」
「ええ。私の自慢の庭師である彼が育て、管理してくれている庭です」
 セレスティの傍らに立ち、傘をさすモーリスはその場で優雅にお辞儀をし、
 ****婦人は彼を見る双眸を細めた。それは降る雨よりも冷たい目であった。
「私がゲームの黒幕であるという事は隠してあったし、それに何よりも私の父ではなく、私こそが真の黒幕であるという事をどうして見抜く事ができたのかしら、セレスティ・カーニンガム?」
 セレスティは肩を竦めた。そろそろ憂鬱ささえも感じさせる連日降り続ける雨の中であってさえもそうした彼の行為は美しかったが、しかし****婦人は小さく鼻を鳴らした。それは彼女の三十代前半の容姿とは似ても似つかぬ、老獪さ極まる行為であった。
「****婦人。御隠居様と呼ばれる貴女のお父上が第二次世界大戦が行われていた日本でいつの間にか暗躍し出し、戦後にいたっては率先してそのリーダーシップを発揮して、決して歴史の表舞台に立つ事無くこの日本を動かし続けてきた事は有名です。この国が今現在南北に境界線を引かれ、二つの国として存在していないのは彼のおかげと言っても過言では無いでしょう。それはこの国の政財界に身を置く人間であるのであれば誰もが承知している事であり、そしてその権力は今もってまだ尚、健在である事も知られている事です。しかしそうした伝説の裏、そのカリスマ性を発揮して行ってきた数々の政治的采配を取り仕切る彼の傍らに常に存在した女性が居た事はまったく知られてはいません。その女性は彼が若い時には妻であり、中年になってからは妹であり、そして今現在は娘である女性です。驚くべき事にその女性は同一人物だと言われる程に姿形が一緒。しかし、おそらくその女性たちは同一人物であるのでしょう。そうですよね、****婦人」
 微笑んだセレスティの目の前で、****婦人は顔に貼り付けた特殊メイクを剥がし、まだ十代後半の少女の容貌を曝した。
 しかし、その少女の容貌に浮かぶ表情は紛れも無く何十年も生きた人間だけが持つ事の出来るひどく老獪なモノだった。
「そうね。その通り。別に隠してはいないのだけど、それでもそれを戯言だと称して口にしても、事実として口にする人間はいなかった。人間の常識からでは私のような存在が実在するとは信じられないのでしょうね。ではどうしてあなたはそれをそうも臆面無く口にできたのかしら?」
「それは私も貴女と同じ時を過ごした者であるからですよ。私はずっと貴女を見ていた。今はもう老人となった彼の生来のカリスマを見抜き、人間では無い自分の傀儡として彼を利用してこの国をゲーム盤に見立てて遊んでいた貴女を。貴女はこの国で遊ぶ事に飽きて、そしてゲームを始めたのですね?」
 ゲームが始まって以来、この国の政治も経済も歯車が狂い、日本の迷走は始まった。
「ええ。だってこの国の戦後の平和があるのは私のおかげですもの。ならばその平和を維持する権利も、逆に壊す権利も私にあるとは思われない?」
「思いませんね」
「そう。それは残念ね。セレスティ・カーニンガム。あなたからは美味しそうな匂いがするから、だからあなたを美味しく頂くために、あなたとは私との感性の調和を図りたかったのだけど」
 くすりと笑いながら婦人は少女のように小首を傾げた。
「ねえあなた、人魚でしょう? かつて幕末の動乱期、あの八尾比丘尼のようになりたくって私が食べた人魚、それと同じ匂いが、するわ、あなた。ずっと思ってた。美味しそうだって。だけどあなたは私を相手にはしてはくれなかった。ようやっと相手にしてくれたと思ったら、こんな、真似」
「貴女は私のリンスター財閥支配下の銀行で遊んでくれましたからね。それがいけなかった」
「あら、あんな銀行の一つや二つ、リンスター財閥にとっては潰れようがどうなろうが痛くは無いでしょう?」
「その銀行で働く銀行員は私の財産であり、私は私の物を私の意を考えずに他人にどうにかされそうになるのがひどく嫌でしてね」
「そう。それは知らなかったわ。あなたの目を私に向けさせる方法はそんなにもシンプルだったのね。いえ、人の目を自分に向けさせる方法はいつだって二つだけよね。自分に愛情を抱かせるか、それとも憎しみを抱かせるか。かくしてあなたは私にラブレーターをくれた。内閣総理大臣を潰すにいたって、私の名を使う事で、私が全ての黒幕であると知っていると、言ってきた。ぞくぞくとしたわ。その時にわかったの。ああ、人魚を喰らって、人外の者となった私は人魚の匂いがするセレスティ・カーニンガムと恋をしたかった訳でも、ただ性欲を満たしたかった訳でもなく、あのとても美味しかった人魚の肉を食べたかったのだって。これで食べれると思った時に口に溢れてきた唾液、空腹感、食欲が満たされるかもしれないとわかった時の感動、衝動、あなたにわかって?」
「わかりたくもないですね」
「そう」
 にやりと笑った彼女は、自分の傍らに立つ男に顎をしゃくった。
「あの女はまったく隙を見せないあなたの駒に追い詰められ、殺人術を持たぬくせに仕掛けられた策にも気付かずに、直接でしか殺せないから、といってナイフで殺しにかかり、挙句返り討ちとされたまったく使えない駒であったけど、でもこの駒は違う。強力な殺人能力を持つ、私の優秀な駒よ」
 彼女の言葉が終わるか終わらぬかの内に彼はいつの間にか手にしていた拳銃の銃口をモーリスに向けていた。
 セレスティとモーリスは彼女の殺人スタイルを崩してやる事で、ずっと彼女が隠れていた絶対的に安全な核シェルターから引っ張り出してやって、これを撃退したが、この彼はどうやらモーリスと面と向かって殺し合いをできるだけの自信を持った敵であるらしい。
 そしてトリガーは引かれた。
 発射されたのは拳銃の実弾であった。BB弾ですらその能力でコーティングされたそれは絶大なる力を持っていたのだ。実弾という殺傷能力を持つそれがさらに能力でコーティングされている。果たしてそれはいかなる力を持っているというのであろうか?
 しかし、結局のところそれがわかる機会は永遠に失われた。
「なっ――――」
 婦人は言葉を失った。
 何故なら雨が降り続ける世界の空間に切り離されたかのように異質な光景が生まれたのだから。空中で浮かんだまま止まっている拳銃の実弾。それを囲う水の檻。
「アーク。それが私の能力です。私の視界内にあるのであれば、私はそれを檻に閉じ込める事ができる」
 鉛筆は手で折れる、そう告げるようにモーリスはそう言い、事実、解明不明な能力でコーティングされた実弾はモーリスの能力、アークによって無力化され、
 婦人は何事かを言いながら自身の駒を見るが、しかしその彼の拳銃を持つ右手は拳銃ごと檻に閉じ込められ、さらにその彼自身もまたさらに檻に閉じ込められていた。
 セレスティは、ようやく雨が止んだ世界で、言った。
「チェックメイト」
 婦人は何事かを言いかけて、しかし疲れたように苦笑してため息を吐くと、改めてセレスティの自慢である庭を眺めた。
「本当に美しい庭ですこと。私が作り上げた日本国という箱庭はどうしたって醜かったのに」
 セレスティは雨に濡れる薔薇を一輪摘むと、それを婦人の胸元に飾り、そして、
「本当にできる存在の下にはできる存在が集まる。ただそれだけの事です」
 その言葉に婦人はわずかに口を開き、そして再度、今度は先ほどのただただ憂鬱であっただけの物とは違う、何かが完全に吹っ切れたため息を吐いた。
「あなたが羨ましいわ。セレスティ・カーニンガム。優秀な人たちに恵まれたあなたが」
 モーリスは主の傍らで、胸に右手を当てて優雅に一礼した。



 →closed
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東京怪談
2007年05月01日

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