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『ターンドロップ〜ときのしずく〜 』
城ヶ崎・由代2839

 三月某日、某研究所会議室。
「今回の新薬投与目的は、外見変化における意識差異、および周囲の反応を調査するものです」
 と、壇上に立った博士は真面目に言った。
 でも長年助手として博士の顔を見ていた僕にはわかる。
 唇の右端が上がってるのは何か企んでる証拠。
 僕が被験者じゃなくて良かった。
「ターンドロップは服用により、外見年齢を変化させる事ができます。
大人は子供に、子供は大人に。
体内での作用原理は……」
 当然のように湧き上がるどよめき。
 作用原理が全っ然理解できなくても、とにかくすごい新薬だって事はわかる。
『クラスの皆に差をつけちゃえ☆ 一足先にO・TO・NA体験v』
『もう一度叶えたいあの夢――有名店お子様ランチ独り占め――』
『失われたあの時を再び……蘇る青春のひととき』
 これは博士が考えたターンドロップの売り出しコピー。
 どんだけ暇なんだあの人。
「今回募集する被験者は四名、実験開始は四月一日を予定しています」
 エイプリル・フールね。
 どうせ実験が一般人にばれても、
「いや〜、だってホラ、エイプリルフールだから!」
でごまかし通すつもりなんだ。
「被験者の選出は……」
 博士の説明は続いてる。
 こんな実験に、参加する物好きっているのかな?


 城ヶ崎由代はパイプ椅子に身を置きながら、革の手帳を開いていた。
 椅子は研究室に置かれた備品で座り心地は良くない。
 が、一旦思考に没頭してしまうとそんな事は気にならない由代だった。
 スケジュールを確認する手に、かさりと乾いた音が重なる。
 手帳に挟んだプリント用紙は茶ばみ、細かな皺が表面に走っていた。
 本棚の整理をしていた時に見つけた紙だ。
 紙が挟まっていた本には、かつて通っていた小学校の蔵書印が色あせた朱色で押されている。
 ――急な転校が決まって、返しそびれていたんだったな……。
 その小学校も既に廃校となり、本は返すべき宛ても無くなって由代の書棚に収まっていた。
 紙には鉛筆で何か文字らしきものが書き付けられているが、由代にはそれがどんな意味を成すのかわかりかねた。
 ――謎掛けのようだ。
 子供の頃は謎々が得意だった。
 思いもかけない答えを見つける度に、単純に知識を得ていくのとは違った喜びを覚えたものだった。
 しかし今の由代には、この文字の意味が全くわからない。
 ――頭が固くなったかな?
 苦笑を頬に乗せる由代に、ドアを開けて白衣姿の女性が声をかけた。
「こちらへどうぞ、城ヶ崎由代さん。
実験を開始致します」


 自宅に戻った由代は早速実験キットを開けた。
 幾つか暗証キーを照合した後、小型のアタッシュケースが開く。
 ケースの中央に赤いキャンディが一粒収められている。
 実験に使われるターンドロップは、拍子抜けする程一見普通のキャンディだった。
 由代が渡されたターンドロップは外見年齢を変化させるという。
「まさか、プラシーボでもないだろう」
 やや小さめの、小指先大のキャンディを陽に透かして由代は呟いた。
 窓から差し込む春の陽光を受けて、それはきらりと赤く光る。
 ――効果は二十四時間だったな。
 由代はベッドサイドに置いた銀の懐中時計で時刻を確かめた。
 懇意にしている女性から贈られた物で、金と銀の歯車の動作が正確に時を刻んでいる。
 細やかな細工が施されているにもかかわらず、それが過剰に華美な印象を与えない所が由代も気に入っていた。
 ターンドロップが効果を現せば、由代は子供の姿へと変化する事になる。
 子供用サイズの服をベッドの上に広げ、由代はターンドロップを舌にのせた。
 どこか懐かしい甘さが広がり、それが溶け切ってしまった時――。
 由代は視界が変化したのを感じた。


 ハーフパンツにパーカーを羽織った由代は、サンダル履きで最寄のショッピングセンターへと歩いていた。
 物事の準備に関しては念入りで周到な部類だと由代は自負していたのだが、今回は違ったようだ。
 小さな足に余るサンダルを履いた由代少年が歩く様子は、さながら初めてお使いに出された子供のように見える。
 お使いの品物は丁度良いサイズのスニーカーだ。
 大きなサンダルは多少歩きにくいが、ちょっと庭先に出る為家族の物を借りたような錯覚を覚える。
 そんな事が実際あったように由代は思った。
 由代の視界は低くなったが、自分が小さくなったという客観的な感想しか沸かなかった。
 ただ、低い目線だからこそ見えてくる物もある。
 植え込みの先、猫の親子が日差しの中丸くなっている様子を見つけたり、水溜りに映る雲の流れが意外と速くて空を見上げたり。
 大人になった由代が見過ごしていた風景は、今でも自分のすぐ傍に寄り添っている。
 そう、子供の瞳が気付かせてくれる。 
 ――僕の心が大人だから、そう感じるのか。
 子供の頃に、何気ない日常の風景を愛しく感じる事などなかった。
 風景はただ次々と新しく目まぐるしく移り変わり、それを振り返るなど思いもよらなかった。
 ただ、先だけを見ていたのだ。
 輝ける行く末の予感を信じて。
 成長し、新しい靴を買い換える度に感じた鼓動が由代の胸に宿る。
 ――いや、これは今の僕が感じている事かな。
 由代は知らず知らず微笑んでいた。
 靴売り場に現れた一人の少年に、店員は家族の姿を探した。
 まだ小学校に上がるか上がらないか、といった年齢に今の由代は見える。
 低年齢の子供が犯罪に巻き込まれるケースも多い昨今、店員が不安を感じるのも仕方ない。
 店員の視線の先、何足かスニーカーに足を入れてサイズを確かめると、由代はレジの前に立った。
「これを下さい。
すぐに履きますので、値札を取ってもらえますか?」
「あ、はい」
 カウンターよりも背の低い由代の言葉に一瞬店員は戸惑ったが、すぐにレジを打った。
「そちらのサンダル、代わりにバッグにお入れしましょうか?」
「ええ、お願いします」
 由代の落ち着いた物腰と返答に店員は更に困惑したが、軽く会釈して売り場を出る後姿を引きとめる事はできなかった。


 真新しいスニーカーは由代の足取りを軽くしてくれた。
 ――さて、昼食はどうしようか。
 自宅で何か作っても良かったのだが、なにぶん背の高さが足りない。
 調理台に向かうのも子供の背では困難なのだ。
 ――外で食べるのも良いな。
 通りがかった公園の開放的な光の中、桜が淡い紅色の花を散らしていた。
 まだ日中の早い時間のせいか酒宴に羽目を外す者もいなく、思い思いの場所で人々は寛いでいた。
 たまに寄る総菜屋で筑前煮やインゲンの胡麻和え、甘めの玉子焼き、天むす等を詰めてもらい、由代は公園のベンチに座った。
 子供一人の買い物に総菜屋のおかみさんも不思議に感じたようだったが、由代の面影には気付かなかったようだ。
 もしかしたら親戚筋の子供だと思ったかもしれない。
 ――まさか、僕の子供とは思わないよな。
 実際子供がいてもおかしくない年齢に由代は達している。
 ――僕の子供、ね。
 子供の姿で考える内容でもない気がしたが、細く頼りない身体につい未来の息子を重ねてしまう。
 それから、家族となる人の姿も。
 ――……身体はすっかり子供のはずなのに、考える事はまるで変わらないな。
 つい大人の胃に合わせて買ってしまったお弁当を半分残し、由代はそんな自分を笑う。
 ふと思いついて、手帳に挟んだプリント用紙を由代は取り出した。
 するとターンドロップを舐める前まではわからなかった文字の羅列が、意味を持って由代の目に映ってきた。
『よざくらのはなみかい 
まんげつのよる 
どんぐりさんこもってつきのしたでおまちください
むかえがゆきます』
 ――招待状……夜桜の花見会……。
 その言葉は記憶の隅をかすかに照らしたが、はっきりとした形にならないまま消えて行った。

 
 何かの偶然がもたらしたものか、その晩は満月だった。
 由代は公園でどんぐりを探し出し、自室で『迎え』を待っていた。
 たった三個、まだ堅いままの物を見つけた頃には陽が傾いていた。
 すでに芽吹く季節を迎え、もうほとんどのどんぐりは緑の新芽をその身体から伸ばしていたのだ。
 ――そうだ、この紙は本棚の後ろに落ちてた本に……。
 どんぐりと招待状、それらがきっかけとなって由代の記憶がはっきり思い出されてゆく。
 小学校時代の由代は友人とかくれんぼをしていて、本棚の後ろの空間に気が付いた。
 図書室の本棚の裏、そこには棚から落ちた本がそのまま残されていた。
 由代が生まれるよりもずっと以前に発行された本は所々虫食いが進んで読みにくかったが、同級生の誰も見ていない世界を自分だけが知っている優越感をもたらした。
 そんな本の中に、『よざくらのはなみかい』と記された一冊があった、
 文庫程度の大きさで、ページも少ない薄い本だった。
 内容は何故か全てひらがなで記されていて、挿絵も無い。
 ページも幾つか抜け落ちていて、特に最後、何が記されているのかわからない。
 しかし漠然と掴んだ内容は、満月の晩にどんぐりを集めた子供たちに招待状が届き、そっと大人の目を盗んで集まった子供たちは夜桜を眺め楽しく過ごすという物だった。
 その招待状は子供だけに配られ、大人では招待状の文字が読めないのだという。
「これが?」
 思わず疑問が口から出てしまったが、事実大人の由代には読めなかった。
 その時。
 かつん、と窓を何かが叩く音が響いた。
「どんぐり三個、お持ちですか?」
 まだあどけない問いかけが、窓の外から聞こえる。
「お迎えに、参りました」
 満月に照らされた窓辺から、子リスが顔を覗かせていた。
 小さな爪で窓ガラスを叩き、子リスは小首を傾げて由代を見つめている。
「花見会の誘いですか?」
 懐中時計をスタンドから懐に忍ばせ、窓辺に立った由代の問いに子リスは頷いた。


 どんぐりのから かたいなら
 わたしがわります
 こんこんこん

 はやくふたばが めをだすように
 はやくおおきな きになるように
 
 こんこんこん
 もうはるですよ

 こんこんこん
 もうおきて 

 リスが弾むように歌いながら前を歩いている。
 連れ出された満月の夜は、由代の見慣れた公園の景色を別の世界に変えていた。
 ――それともやはり、子供の瞳がそう見させているのか?
 一際大きな桜の下に、子供たちが集まっていた。
 その輪に入った由代はお饅頭を差し出した。
「おいしそうだね!」
「僕の持ってきたお団子もどうぞ」
 持ち寄ったお菓子を食べながら、打ち解けた子供たちと共に由代は夜桜を見上げた。
 満月にかかる桜が、子供たちを包み込むように枝を枝垂れさせている。
「ねぇ、どうしてどんぐりを持ってこなきゃならないの?」
 つい口調まで子供に戻った由代が子リスに尋ねた。
 桜の木の根元には由代を案内した子リスの他にも数匹が姿を見せ、他の子供たちの肩に乗って遊んでいる。
「私たちはどんぐりに感謝しています。
冬の間、私たちの命を繋いでくれますから。
でも、どんぐりの中には硬い殻が割れなくて、芽を出せない者もいます。
そんなどんぐりを集めて、芽を出すお手伝いをするのがこの、夜のお花見会なんです」
 子リスの言葉を聞いた子供が言った。
「なんで、僕らが集めなきゃならないの?」
「人間の子供が動物の中で一番、楽しい大人の自分を想像できるからです」
 大人になった自分、周りの人々を幸せにしている自分。
 そうはっきり思い描けるその力を、小さな芽吹きの助力に換えるのだ。
 豊穣を願う原初の神事は、いつも子供が執り行ってきた。
「ほんの少し、力を貸してもらう代わりに。
きれいな夜桜を楽しんで下さい」
 子リスはそう言って、小さな灯篭を手に桜の枝に登った。
 たくさんのリスが夜桜に無数の光を灯す。
 その光に眼を奪われながらも、由代は仮初の姿を取っている自分を忘れていない。
 懐から出した銀の懐中時計は、まだ夜明けまで時間があると告げていた。
 ――もう少し、夜桜を楽しんでいられるな……。
 明け方の光が辺りを桜色に染める時まで、由代は子供だけの夜桜花見会を楽しんだ。


(終)


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【 2839 / 城ヶ崎・由代 / 男性 / 42歳 / 魔術師 】


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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こんにちは、追軌真弓です。
エイプリルフールという事でコメディっぽく始まった物語でしたが、最後はほのぼのに……なってますでしょうか?
ほのぼの路線はあまり普段書かせて頂く機会がないので、楽しく書きながらもどきどきします。
ご意見・ご感想などありましたらブログのメールフォームからお寄せ下さいね。
今回はご参加ありがとうございました。
また機会がありましたら、宜しくお願いします!


【弓曳‐ゆみひき‐】
http://yumihiki.jugem.jp/
エイプリルフール・愉快な物語2007 -
追軌真弓 クリエイターズルームへ
東京怪談
2007年04月27日

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