▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『take a likeness 』
宮尾・玄7016)&(登場しない)

 街行く人の、視点が前を向くせいか、立ち並ぶ商店のショウウィンドウや、商品の位置や高く据えられている。
 それだけに、地面に近い場所に目を向けられる事は少なく、路上に商品を並べている者達の前に足を止める者はそう多くなかった。
 しかし、趣味と思しき手作りのシルバーアクセ、色紙一杯に書かれた某かのメッセージ、どう見ても中国製品と思しき腕時計の叩き売り等、店舗を構える程でもない露天売りが姿を消すことはない。
 宮尾玄も、その内の一人だ。
 とはいえ、既存の商品を並び立てるのではなく、玄の商売道具はイーゼルとスケッチブック、それに木炭程度で事足りた。
 即ち、似顔絵描きである。
 半円に歩道に迫り出す形でデザインされた植え込みの脇、その目的で作られたスペースではないのだろうが、煉瓦を階段状に重ねて腰を下ろせる其処が玄の定位置だった。
 角に納まる形で、イーゼルに立てかけたスケッチブック、一番表に『似顔絵一枚500円+オプション応相談』の文字の他は、ありがちな芸能人の似顔絵や、既存の作品の掲示もない。
 しかも、そのイーゼルの向こうでふてぶてしく足を組んで、どうにも眠っている様子で微塵も動かない、玄の姿に人の流れも何処か遠巻きだ。
 褪せた茶髪に、着古したジーンズとシャツ、ノースリーブのジャケット。服装だけを見れば今時のラフな若者に分類されるのみなのだが、それに目元をすっぽりと覆い隠してしまうサングラスを合わせるだけで、途端にチンピラの風情が加わるのは、目の表情が伺えないその所為だけではないだろう。
 道行く人と一線を隔す雰囲気に浮いている玄に、人の目が定まらぬながらもちらちらと投げられるのは、その右腕……シャツの中程で団子に結ばれた袖が、上腕の途中からの欠損を確かにしている為だ。
 その様子で、果たして客がつくのか疑問に思えど、実の所はそうでもない。
 項垂れ気味の体勢を保ったまま、あまりに動かない玄に生死を危ぶんだか。
 人の良さそうな女性が、待っていた信号が青になったにも関わらずそれを無視し、玄の肩を掴まんばかりの勢いで話しかけた。
「ちょっとお兄ちゃん!」
「……あぁ、ハイ」
ぼんやりと、如何にも寝起きですと言ったぼへぼへとした風情で顔を上げて、玄は至近にある女性のふくよかな顔にも動ぜず、欠伸を噛み殺す。
「なんだ、生きてんならちゃんとそう書いときなさいよ、心配しちゃったじゃない!」
カラカラと大きな笑い声を上げ、女性は手に提げたビニール袋の中からたこ焼きのパックを取り出し、玄の膝の上に乗せた。
「ほら、コレ! コレでも食べてがんばんなさいね!」
言いたいことだけ言い置くと、点滅を始めた歩行者用信号に駆けていく背を見送って、玄は軽く頭を下げ、その流れのまま膝の上のパックを見る。
「……どうも」
くれた対象にではなく、貰った物に今更ながらの礼を述べ、玄はサングラスの奥で目を瞬かせた。
 まさしく降って湧く形で入手してしまった遅い昼食に、眠りに誤魔化していた空腹が蘇る。
 香ばしいソース、踊る削り節。更には生地からはみ出る暗褐色のタコの足、と食欲を刺激することこの上ないコンボに、玄は再度の感謝を胸の内に刻むと、パックの蓋を止める輪ゴムを左手で慎重にずらしながら開けようとした。
「みゃーお♪」
その横から伸びた手がゴムを引っ張るのに、玄は思わず手を除ける。
「お昼? おやつ? わ、すごいタコ!」
手はあっさりとタコ焼きを玄の元から奪い去り、難なく蓋を開いてふわりと湯気を立ち上らせた。
「またお前等か」
目の前に立つのは、妙齢の女性ばかりが四人。
「ひっどーいみゃお、お得意様に向かってそれはないんじゃない?」
苗字の宮尾をみゃおと呼び替え、面倒そうな玄の声に不満に頬を膨らませて見せるも、開封したたこ焼きのパックを素直に返す。
「お得意さんも何も、ここに来てだべって帰るだけだろ、お前等」
「やーね、サクラよサクラ。みゃお一人じゃお客さん怖がって近付かないし」
ねー♪ と仲良く顔を見合わせる三人に、敗北を喫した玄は最後の一人に目を向けた。
「で、そちらは?」
既知でない。それを示す言葉に軽く会釈をした女性は、一歩引いた距離に遠慮めいた空気と、触れられることを拒む緊張感を有している。
「そうそう、お客さーん♪」
しかしその空気を解さない人間も居るというもので、女性はずずいと肩を押されて一番前に出された。
「友達の知り合いの彼女のそのまた友達のコでーす。珈琲豆の直売店で事務と仕入れの補佐してるから、ブラジル語もペラペラよ♪」
明るい調子の紹介に、しかし「ん?」と疑問符が会話の流れを滞らせる。
「ブラジル語……ってないだろ」
「アメリカって大陸、だよね?」
「じゃ英語なの?」
「どっかに占領されてなかったっけ」
一般教養として世界地理に親しんだ記憶も遠い、同い年の二十二歳達。一部不登校と謂えど、実の所同じ美大に在籍するという共通点を持つ。
「ポルトガル語です……」
話題の中心から微妙にずれた位置に置かれた当人が、そっと申告しなければ、収拾が付かなかった事請け合いだ。
「……ま、取り敢えず」
話題はそっち置いといて、なニュアンスで場の空気を切り替え、玄は折りたたみ式の小さな椅子を差し出した。
「正面顔が良かったらこっち、斜めのアングルがいいならそこのトコ、適当に座って」
突然の選択肢に、まごついた様子で手を出しかねる女性に、玄は仄かに笑みを刷く。
「似顔絵描きに来たんでしょー、お客サン?」
軽い口調で勧め、笑いを含んだ声の気軽さに、漸く腹を括ったのか、女性は椅子を受け取ると通行人の邪魔にならない位置に落ち着き、同行者達は慣れた様子で、順番待ちを装って煉瓦に腰を下ろした。
 その間、玄はイーゼルの片足を支点に自分の方にくるりと向け、スケッチブックの新たな頁を繰ると、傍らに置いた鞄の中から、細長いアルミの棒を取りだて煉瓦の縁を使ってパキリと二つに折った。
 すると中から出て来たのは細長く黒い、木炭だ。
 使いやすい長さまで、指の腹でアルミを擦るように剥き、玄は左手の人差し指の先を木炭の先端に添え、正面に座る女性に向けた。
「オプション希望、だよな?」
「え、あ、ハイ。指輪を……貰うはずだったんですが」
しゅんと肩を落として顎を引いてしまった彼女に、「前向いて」と玄は短い指示に顔を上げさせる。
 それは恋人から、贈られる筈だった指輪。些細な事でケンカ別れをし、半ば意地になって連絡を取り合わなくなってから三月、そろそろふんぎりも付けなければと思うのだが、誕生日の贈り物にと、二人で選んだ指輪が未だ元カレの手元に残っているのだと言う。
「誕生日に……彼に仕事が入ってしまったのが原因なんですけど」
あー、あるある。判るよねー。男ってそういう事気にしないもんねー、などと野次が飛ぶのは思考の外に置いて、玄は訥々と語る声に耳を傾けつつ、手を休めずにスケッチブックに彼女の姿を写し取る。
「時にあんた、カメラ苦手な方?」
先までは相槌程度を返すのみ、会話と言う形になっていなかった玄からの不意な問いに、女性は目を瞬かせた。
「あ、ハイ……どんな顔をしたらいいのか、よく解らなくて」
「あー、そんなカンジ」
揶揄するではなく、納得、と言った様子で頷く玄の眼差しは、サングラスに覆われて掴めない。
 言われて途端、その無機質さの向こうにある視線を意識したのか、女性は居心地悪げに身動ぎをした。
 それに意を介した風もなく、玄はスケッチブックの新たな頁を繰り、短くなった木炭を脇に置くと、今度は鞄からパステルを取り出す。
「オプションは指輪……と」
呟いて、いい加減に使い込んだ感で潰れかけたパステルの箱を開いた玄は、す、と眉間の辺りに置いた手を止めた。
「……お前等、近い」
その動きにつられるように、女性三人が顔のごく数cm至近まで移動して来ていた。
「だぁって、みゃおの目見れるの久し振りだしー」
突然の奇行とも言うべき行動に、客の女性が軽く引いているのを見て、玄は苦笑混じりに弁護ともつかない言を吐く。
「気にするな、面白がってるだけだから」
仕事中だ、退けとけ、と元の場所に追いやるぞんざいな扱いに女性陣のブーイングを食らいながら、玄は漸くサングラスを取り去った。
 その下から現われるのは、ごく薄い……日本人とは思えない薄い色素に、淡く菫色をした瞳である。
 眩しそうに一、二度瞬きをして、玄は漸く確とした眼差しを女性に向けた。
「オプションは出来上がりで値をつけてくれる? 最低価格500円からで」
それに慌てた女性が、記憶に曖昧な指輪の詳細を告げようとするのを、玄は左手で制した。
「大丈夫、多分あんたより俺の方がよく解ってる」
言って、手は直ぐにスケッチブックの上を走り出す。
 指輪だけ、を描くには大きな動きと、パステルと木炭とを交互に使う流れに迷いはなく、サングラスに隠されていた先までと違って、イーゼル越しに確かな視線が注がれる。
 眩しげに細められた不思議な色をした瞳が、果たして自分の何を捉えているのか見当がつかず、女性は不安に身を縮めた。
「怖がらないでいいよー、取って食われたりしないからねー」
「食・べ・て♪ って言わない限りねー」
その様子に、安心を促すには役不足な声援が観客から飛んで、玄はそちらに顔を向ける。
「誰か、口紅持ってるか? 真っ赤なヤツ」
「新色あるよー。塗りたいの? やったげようか?」
「誰がだ」
軽口を叩きながら差し出された紅を、玄は拭うように親指で取り、小指の先を小さく押し付けて適宜を紙の上に乗せて行く。
「こんなもんかな」
それが最後の作業だったようで、玄は袖の垂れる右腕の先でスケッチブックを押さえると、ピッと音を立てて左手で一息に二枚を引き千切った。
「はい、お待たせ。気に入らなかったら破って良いよ……気に入ったら定着液使うけど、どうかな?」
表をこちらに向けて手渡された絵、最後の是非を問う短い言葉が妙に子供っぽさを感じさせて、女性は短い笑いに緊張を解きながら受け取った。
 一枚目は、今の顔。モノトーンの線と影とで表現された顔は、笑っているわけでも泣いているわけでもなくただ固いばかりで、硬直しているようにも見えるそれは、しばしば写真に残る自分の表情と同じものだ。
 やはり人の目を通しても、自分は固く見えてるのだろうと彼女は内心に溜息を吐く。
 そうして続いた二枚目に、彼女は動きを止めた。
 全体にパステルで淡く彩られた色合いは、朧な想い出に相応しい……その中で、左手の薬指に嵌った指輪に使われた赤い宝石だけが、鮮烈な色を有している。
 台座は金、丸いルビーを実生に見立て、ゆらゆらと揺れる葉を添えたデザインのそれが、珈琲豆みたいで面白いんじゃない? と彼の方が気に入っていたのだ。赤い石の印象ばかりが強く、その葉と、台座は樹皮を思わせて表に凹凸をつけていた、というのを絵を目にして初めて思い出した。
 まるで見てきたような詳細さを訝しむ気持ちを、それ以上に絵の中で最も印象強い自分の表情が打ち消す。
 困ったような、はにかむような、それでいて満面の笑みを、浮かべているのだ。
 目に見える形で残る、どんな写真にもない、自身で全く知らない表情である。
「え〜、可愛いー、いいないいなみゃおあたしもこんなの描いてー」
「元が違うから無理!」
カチカチとスプレー缶を上下に振りながら、友人同士の気の置けない会話をしている玄に、彼女は二枚とも絵を差し出した。
「両方下さい」
きっぱりと言い切った声の強さに、玄は「毎度あり」ときょとんと目を瞬かせながら、スプレー缶の中身を絵に吹き付けた。
 指に擦っただけで落ちてしまう画材の為に、保護と退色防止を兼ねた素材の入った言わば糊のようなものである。
 春の気温に直ぐ乾いたそれを受け取り、彼女は代わって五千円札を一枚、差し出した。
「……破りたくなったとしても、惜しくて出来ない金額です」
果たして相場が解らないながら、自分の価値観を基準にした値段を、玄はごく自然に受け取る。
 それに笑みを……満面の笑顔を見せて、彼女は胸の前に片握り拳を作った。
「破りたくないから、今から指輪を貰いに行ってきます!」
何やら、色々とふっきれたらしい。
 来たときとは打って変わって颯爽と、人波の中に紛れて消える背を、取り残された面々は言葉もなく見送った。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
北斗玻璃 クリエイターズルームへ
東京怪談
2007年04月19日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.