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『手を離さずに 』
高峯・燎4584)&高峯・弧呂丸(4583)&(登場しない)


 
 月が満ちる――その波に歩調を合わせるかのように、身を包む闇の気配が色を濃く染めてゆくのが判る。
 古来より、月の満ち欠けは万物あらゆるものの精神に甚大なる影響を及ぼすと言われている。月が満ちれば獣の気性も昂り、人間の気性をも昂らせるのだと。凶悪な犯罪が増えるのも満月の日であると見聞した覚えがある。
 ならば。
 ならば、自身の内に潜み、自身の精神や肉体を嘲り貪り続ける古き魔のものもまた、あるいはそれに呼応しているのだろうか。
 ふとそう考えて、燎は口許にかすかな綻びを浮かべた。

 高峯の血脈が永の歴史を共に在り続けた呪の魔物。高峯の長子に憑き、これを呪い、早死に至らして続けてきているという怨嗟の闇。それは今、高峯の長子に生まれた燎の身の内に宿を定めている。闇は二十数年の時を経る中で、時に緩急をつけながら、宿主を捕食し続けてきているのだ。それは絶後の激痛を伴う、まさに生きながらの地獄そのものだ。
 ――だが、実のところ、この数年の間、呪いはひたりと鳴りを静めていたのだった。
 自身の内の事であるがゆえなのだろう。それが、呪いの立ち消えた結果によるものでは決して無い事は知れていた。呪いは変わらずに燎の内で息を潜め、そして宿主の総てを喰らい尽くす日を心待ちにしているのだから。
 だが、少なくとも、あの耐え難い激痛だけはまるでものの見事にひたりと消え失せていたのだ。
 しかし、それもまた妖の戯れによるものであったのかもしれない。
 春先を前にした頃から、それは何の前触れもなく目を醒ましたのだ。
 連日連夜、突然に身を襲う激痛と怨嗟の唄。
 無二の弟を贄として差し出し、呪いの解呪をせよと蜜を囁く闇の声が、風の吹くたびに耳元で踊る。
 身を襲う痛みは数年前までのそれとはまるで比較にならないほどのものとなっていた。
 時には血痰を吐くほどの日もある。――身体の一部に壊疽の徴候があるのを見た事もあった。
 ――――恐らくは、もうこの身の先もさほどには長く残されてはいないのだ。
 工房を後にして、苦渋に満ちた小さな笑みを頬に乗せる。
 妖の呪いを受けて死期を迎えた者の最期を、前に何度か書物で検めた事があったのを思い出す。
 それは、見る者が直視出来ないほどに壮絶で悲愴であるという。ゆえに、看取る者の無い場所でひとりひっそりと身罷った者も少なくないとも。

 店主の気紛れで早々に看板を降ろしたNEXUSの店内に向かい、カウンターの椅子に腰を落として息を落とす。
(体調が優れないのか?)
 心配げに兄の顔を覗きこんだ弟の顔を思い出す。
 早々に看板を降ろす事を告げた時、店員達はオーナーの気紛れがまた始まったと軽く笑って早々と帰路に着いていった。
 だが、弧呂丸ばかりは、兄の顔を覗きこんで心配げに眉をひそめたのだ。
(顔色が良くないな。……大丈夫か?)
「何て事はねぇよ、コロ助」
 独りごちて低く笑う。
「だから、……ンな顔するなよ」


 ◇


 もうじきに家の門構えが視界に入りそうになった時、カバンの中にしまってあった携帯電話が着信を告げた。
 弧呂丸は弾かれたようにそれを抜き取って発信者の名前を確める。
 もっとも、確めるまでもなく、着信音は発信者の名前を明かしてくれていたのだが、名前を確認すると安堵や焦燥、あらゆる感情が身体中を貫くのだ。
「私だ」
(よう、コロ助。今どの辺りだ)
「間もなく家に着く。――やはり具合が悪いのか?」
(何て事ねぇってさっきも言っただろう。なぁ、コロ助。これから花見にでも行かねぇか)
「花見? でももう桜はほとんど散って、」
(俺らの秘密基地があるだろうがよ)
「――あ」
 思わず足を止めて小さなうなずきを返す。その弧呂丸の横で、一台の車が動きを止めた。
「あそこの桜は遅咲きだったから、今頃が見頃なはずだろ」
 車から顔を覗かせた燎がやんわりと笑う。
「今から行けば、夜桜の前には着けるだろ」
「……私の都合というものを考えてはいないのか」
「都合? なんだ、女でも出来たか?」
 意味ありげに頬を緩めた兄を軽くねめつけて、弧呂丸は小さな息を吐いた。
「まさかこの花見のために店を早く閉めたんじゃないだろうな」
 言いながら助手席側のシートに身を置く。
 燎はわずかに肩を竦めて笑った。
「たまにだし、こういうのも悪かねえだろう?」


 ◇


 都心から車で数時間を離れた場所にも、高峯が所有する土地がある。
 山間部近くに広がる小さな町を麓に見るなだらかな丘に、別荘とまではいかないものの、寝食を可能とするだけの設備が整った家屋を構えた場所だ。
 丘の上、少なくとも背後にそびえる山のひとつはまるまる高峯の私有地だと聞く。丘を下って麓まで行けば、私有地であるのを示す柵が施してあるのだ。
「まあ、管理を担当してる奴がいるわけでもねえし、食い物の備蓄があるわけでもねえしな」
 人気の無い家屋の前で車を停めて、手にしているビニール袋を足元に下ろす。
「中はホコリなんかで大変なんだろうな」
 車中で渡された鍵をドアにさしいれながら、弧呂丸は深々としたため息を吐いた。
「前もって用意しておけば、布団などの用意も整っていただろうに」
「しょうがねえだろ、いきなり思いついたんだからよ。おまえもヤロウだろ。寝る場所なんざ、その辺に雑魚寝で充分なんだよ」
 言って運転で疲れた身体をほぐしている兄を、弧呂丸は肩越しに振り向きながら呆れたような目で見つめた。

 荷を置いて裏手の山中へと足を踏み入れる。
 陽はまだ高い位置にある。碧空には燦々と陽を降り注ぐ太陽があり、麗らかな陽光が景色を一面に満たしている。ふたりにとってはまさに遊び倒した馴染みの場所だ。むろん、長年の風雨にさらされ、風景はいくらか変わってはいるが、それでも足を止める理由にはなり得ない。
 雑木林の中には懐かしい匂いや気配が立ち込めている。
 やがて程無くして視界が開けた場所には、唐突とも言えるような平原が姿をみせた。
「……もう着いた。……昔はもっと遠くにあったような気がしたが」
 車を離れ、山中に足を入れてからさほどに時間は経っていない。馴染みある場所だとはいえ、それでも子供の時分には数十分の時間を要した場所であったように記憶しているのだが。
「コロ助、あれからどんだけ年取ったんだよ」
 呆気にとられて歩みを止めた弧呂丸の肩を軽く叩き、燎が先に平原に抜ける。
「俺ら、もういい年した大人だろ。ガキの頃とは歩くスピードも体力も違う」
「……そうか」
 そうだよなと呟き、弧呂丸は兄の後に続いた。
 抜け出た平原には桜の木が何本か見かけられる。点在して空を目指し枝葉を伸ばす桜の木は、どれも染井吉野とは異なる遅咲きの種ばかりだ。が、それももう少し散り始めていた。
 穏やかに流れる風に乗って宙を舞う薄墨の花弁に、弧呂丸はしばしの間目を奪われた。
 小高い場所にあるからだろうか。月の姿も幾分か近くに感じられる。
 
 ぼうやりと風景に見とれている弟を横目に見やりながら、燎もまた桜の木々を仰ぎ見る。
 桜が風に散る様はいっそ潔い。過ぎ行く春を名残り惜しんでいるかのような、美しい、そうして儚い風景がそこにある。

 
 ◇

 燎が弟を花見に連れ出そうと思い立ったのは、その日から数日を遡った、ある夜の事だった。
 燎の寝室で穏やかな眠りに沈んでいる弧呂丸を見て、その時にふと思ったのだ。
 
 呪いによって命を落とす者の末期は凄惨なものであるらしい。
 見る者が直視出来ないほどのものならば、それはさぞかし酷いものであるのだろう。
 自身の身が壊疽の徴候を見せ始め、激痛はもはや筆舌に尽くし難い。大した効果のない鎮痛剤をもって無理に痛みを堪え、そして出来る限り平然とした面持ちで弟に向き合う。
 それは、他ならぬ、弧呂丸にこそ自分の悲愴な宿命、その影を感じさせたくないためだ。
 弧呂丸が兄の身を案じ、呪いを解くための術を模索しているのは知っている。
 有りもしない文献をいくつもいくつも、飽くことなく紐解いているのを知っている。
 また、それによって心を痛め、日夜気力を削りながら、それでもどうにか解決の道を見出そうとしているのを知っているのだ。
 弟の横顔は、以前に増してほっそりとやつれているように見える。白々とした面にはどこか疲弊の色が浮かび、それでも、その中には確固たる強い意志のようなものもない交ぜになって浮かんでいるのだ。
 思わず目を逸らし、買ってきたビールを口に運ぶ。
 
 ――弧呂丸は、怒るだろうか。
 
 恐らく、自分の死期は間もなく訪れるだろう。それがどのように訪れるのかは判らない。だが、ただ漠然と、しかし確信に近いものが頭の端でもたげている。
 そして、その死に目には弟を立ち合わせたくはない。
 兄の身を案じ、自分の心身を削ってでも解決の道を見出そうとしている弟。――他ならぬ、自分こそがその解決のための鍵となり得る存在であるのを知らない弧呂丸。
 
 この花見を最後に、燎は弟の前から姿を消そうと考えている。
 それを知れば、今この目の前で風景の美しさに心を和ませている弟は、果たして怒るだろうか。それとも絶望するのだろうか。

「なあ、コロ助」
 弟を呼ぶ。
 弧呂丸はすっかりと機嫌を良くした顔で兄の声に応え、喜色を浮かべた表情でうなずいた。
「最近、仕事はどうだ」
「仕事?」
「高峯の家業だよ。相変わらず忙しいのか」
 訊ねると、弧呂丸は小さく呻いて思案顔を浮かべた。
「それなりに、といったところかな」
「それでこっちの店の手伝いもしてくれてんじゃ大変だな」
「他人事のように言うな」
「いや、そうじゃなくてさ」
 言を切って、わずかの間桜の木に視線を寄せる。
 この平原の端には、ふたりが子供の時分にこっそりと築き上げた秘密基地がある。――とは言え、子供ふたりだけで作り上げた小さなものだ。今となってはもう影も形も残されてはいないかもしれない。
「……いつも悪ぃな」
 間を開けてぽつりと落とした燎の言葉に、弧呂丸は驚いたように目を瞬かせた。
「おまえの口からも、そんな殊勝な言葉が出るんだな」
「たまにはな」
 感心したように告げた弟の応えに笑みを返し、燎は飲み終えたビールの空き缶をビニール袋に放りやる。
「コロ助、基地を見に行ってみるか」
「! 懐かしいな!」
 弧呂丸は再び喜色を満面に浮かべ、そして兄を越して先んじて走り出した。
 弧呂丸の背中を見つめながら、燎はやんわりとした笑みを浮かべて空を仰ぐ。


 ――この弟は、日頃は毅然として地を踏みしめている。が、その内実はとても脆くて弱い。それを知るのは自分だけだろう。兄だけにはそれを隠す事なく見せてくれているのだ。
 が、それは裏を返せば、弧呂丸にとり真実甘えられる相手は兄である燎より他にいないという事になる。
 もしも燎が姿を消せば、以降、弧呂丸が素の自分を曝け出せる相手は長く不在となるのだろう。いずれはそれを支えるだけの存在が現れるのかもしれないが、少なくとも今は、その位置にあたる者がいなくなるのだ。
 考えながら弟の後を追う。
 ――――いや、違う。
 はたりと足を止めて思いつき、燎は思わず小さく笑った。
 そうではない。
 自分こそが、弟という存在を無くしては立っていられないのではないか。
 
 それほどに、燎にとり、弧呂丸の存在は大きいのではないだろうか。そしてそれゆえに、妖は弟を贄に差し出せと笑いさざめくのだろう。

「燎、見えたぞ。まだどうにか残っていたようだ」
 振り向いて手を振った弧呂丸の声に気がつき、燎もまた小さく手を振って応える。
「今行く」

 そうだ、結局、手を離せずにいるのは自分の方なのだ。
 苦笑しながら弧呂丸を追って走り出す。
 それを追って桜の花弁もまた風に乗り宙を流れていった。





Thank you for an order.
Moreover, I am waiting for the day which can meet.

2007 April 17
MR
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
エム・リー クリエイターズルームへ
東京怪談
2007年04月17日

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