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『懐中時計ノ針 』
十種・巴6494



 ここに、一つの懐中時計がある。
 櫻の木が庭に一本だけある屋敷の二階、その奥の部屋の机の上に……忘れ去られたように置いてある。
 時を刻む役割を持っているはずなのに、『カレ』はその役目をもう果たせない。
 けれどもそう、この時だけは……櫻の見る夢として時計の針を進めてみようか――。

***

 十種巴は大きく両腕を空に伸ばす。届くはずのない青空が目に痛い。
 巴の現在の年齢は18。高校を無事卒業し、今は医学を学ぶ大学一年生だ。大学に入れたのは巴の努力と、彼女を支えてくれた恋人のおかげだろう。
(あれで真面目な顔して「学費全額出してやる」って言うんだからすごい人だよねぇ)
 しみじみ思う巴だった。彼女の恋人はどこかの若手社長でもなければ、大金持ちの一人息子でもない。平凡とは言い難い職業の者で、学校には一切通っていない経歴を持つ。
 彼は世界のあちこちを旅して過ごし、三年前に日本に戻って来た。ちなみに彼は日本人。けれど独学で外国語を喋り、頭の回転も早い。さらに美形。性格も悪くない。ここまでくれば女の子は放っておかない物件だ。
 付け加えると彼はかなりの貯金を持っている。長年こつこつと貯めたお金は、彼自身が万が一を考えていたものだったが今はあまり使い道がないそうだ。
「旅をしてる時はあれこれ考えて、なるべく金を使わねーようにしてたんだよ。ほら、内紛の国もあるし、いつまで生き続けるかわからないしな。偽のパスポートを作るのも、何するにも金は必要だったから」
 その言葉になるほどねと、巴は感心したのだ。
 巴は高校一年の時からその彼と付き合っている。だから三年の付き合いだ。三年の間には様々なことがあった。巴自身にもそれなりに変化はある。髪が伸び、背も少し高くなった。三年前よりは女らしい体つきに……なったと思う。うん……まぁ、胸のサイズは一つはあがったわけだし。
 今日は久々の休日だ。巴の向かっている先はあるマンションで、彼氏の現在の潜伏先、である。
 辿り着いたマンション。合鍵は持っているので目的の部屋までエレベーターで向かう。
 部屋の前まで行き、合鍵で中に入ると彼氏がまだ眠ったままだということに気づいて小さく微笑んだ。



 遠逆陽狩。巴の彼氏。彼は現在、このマンションで暮らしている。職業は退魔士。表向きはフリーターらしい。
 三年前とは髪型が違う。若干ではあるが髪が短くなっている。けれど彼の美貌はそのままで、寝顔は無防備で幼かった。
(かわいい……)
 屈んで見遣る巴は笑いを堪える。頬が緩むのはどうしようもない。
 陽狩は布団の中で眉間に皺を寄せていた。どうやら昨晩は仕事だったようだ。
(そうだよね。陽狩さんは困ってる人を放っておけないもん。少しは自分のことも考えて欲しいけど)
 安い賃金で困っている者を、時には無料で助ける陽狩はいまだに人助けをモットーとしている。それが悪いことだとは思わない。けれどもこうしてせっかくの休日に巴が来るのだから気を利かせて欲しい時もある。
(考えてみれば私と陽狩さんってこれからどうなるのかなぁ)
 高校の頃は「好きな人」というだけで良い。けれども大学生になってくるとそうも言っていられなかった。
 早い者は結婚して子供もいる。将来のことが明確に、けれども不安定に見えてきたのは恐ろしいことだった。
 一緒に暮らすにはお金が必要で、愛だけでは暮らしてはいけない。
(……結婚してって言ったら、陽狩さんはどうするんだろ)
 いいぜ、とさらりと言いそうだ。想像して巴はムッとする。もっとロマンチックな想像をしたい。
 陽狩は相手に遠慮をするところがあるので巴が懇願すれば色々と手を尽くしてくれそうだ。実際今は大学の送り迎えをしてやろうかと言い出している。免許を取得し、車も買う気なのが丸わかりだった。
 こんな陽狩をきっと友人は羨ましがるだろう。だが巴にとっては困るのだ。巴の為に車を購入しようとするなんて! もっと自分の為にお金を使うべきだ!
 結婚するなら好きな人がいい。陽狩が相手なら申し分ないだろう。だが結婚をするには早いような気がする。周囲からどんなことを言われるか……どんな目で見られるか……。
「……そもそもプロポーズというのは男の人からするものよね」
 うん、と小さく呟いた巴はぎくりとした。陽狩の呼吸が変わった。これは起きる寸前ということだ。
 案の定陽狩はもぞもぞと潜ってから起きた。掛け布団が膨らみ、上へと持ち上がる。陽狩が立ち上がったせいだ。
「は〜、よく寝た」
 陽狩は掛け布団を邪魔そうに落とし、それから屈んでいる巴に気づいて無言になる。
 巴が顔を真っ赤にした。陽狩が顔を引きつらせて頬を朱色に染める。
「いやあぁぁあぁぁっ! 陽狩さんのバカぁっ!」
 巴の投げた枕をキャッチし、下着姿の陽狩は何も言わずに洗面所に避難した。



「なにもそんな怒ることねーじゃん。何回も見てるくせに」
 ぶつぶつと言う陽狩を巴が睨みつける。
「そういうことじゃないよ! だいたい約束してたじゃない、今日!」
「いやー……うん、ま、それはオレが悪ぃんだけどさ」
 巴が作った昼食を食べながら陽狩は嘆息した。
 巴は目を細める。
「どうせ急なお仕事で呼び出されたんでしょ? で、帰ってきたのは朝方」
「すげーな。超能力か?」
「そんなの誰でもわかるもの! 人助けが悪いとは思わないよ、私も。でも、中々都合がつかない私が陽狩さんに会える貴重な休みなのに……」
 言っていて巴は気づいてしまう。これは自分のワガママだ。自分を優先して欲しいなんて、子供じゃあるまいし!
 陽狩は味噌汁をすすり、巴を眺める。
「まぁ一日中会えるってのはあまりないな。だったら外でデートすれば良かったなぁ」
「い、いいよ外は」
 陽狩が注目されるのは嫌だ。嫉妬もあるし、目立ちたくない。
 巴は唇を尖らせた。
「今日はせっかくだから陽狩さんを甘やかそうって決めてたのに……! もうっ」
「…………甘やかすって、なにすんだよ?」
 怪訝そうにする陽狩の言葉に巴も困ってしまう。
「そ、そうだね……うーんと、膝枕で耳掃除、とか?」
「そんなのいらねー」
 陽狩は面倒そうに言い放つ。
「自分でできることを恋人にしてもらおうとは思わねーよ、オレは」
「膝枕は自分でできないじゃない」
「耳掃除は自分でできる。膝枕は寝る体勢にもよるが、オレは好きじゃない。肩と頭が痛くなる」
「え〜っ!?」
 普通の男は膝枕にロマンを感じるのではないのか? 巴は困り果ててしまった。
「じゃあ何するの?」
「たまにしてることじゃダメなのか?」
 さらっと言われて巴は硬直し、耳まで赤くなってもじもじする。
「せ、せっかくの休日使って?」
「なに顔赤くしてんだよ。ヤラシーな」
 からかうように笑って言う陽狩の声はさっぱりとしていて嫌味がない。自分が苛立たないのは陽狩の性格や喋り方のおかげもある。
「たまにしてることって、それしか思い浮かばないよ私!」
「否定はしねーけどな」
「他に何かあるの?」
「最近の巴の愚痴とか聞いてるだけでもオレはいいんだけどな」
 そういえば勉強が大変だとか、学校が忙しいとか、そういう他愛無い話をすると陽狩が嬉しそうな顔をしていたのを思い出す。
「そんなのでいいの? つまらなくない?」
「つまらないことを聞くほどオレは大人しくないぜ?」
「でも……たいして話すことはないけど……。……うーん」
 いきなり言われても話題など浮かばない。陽狩は苦笑した。
「じゃ、さっき巴が想像したのにするか?」
「え〜?」
「こうして一緒に居るだけで嬉しいよ、オレは」
 にっこりと微笑む陽狩に巴が複雑そうな顔をする。一緒に居るのは嬉しいし幸せだ。だが物足りないと感じる。もっと愛情が欲しい。彼の愛を確かめたい。言葉でも態度でもいい。不安が全てなくなるようにして欲しい。
 ――そう思っているのは私だけ?
 目の前の陽狩をまじまじと見つめると彼は呆れたように溜息を吐く。
「我慢が足りないな、巴は」
「ええっ! 違うよ! なに言うのっ!」
「ここで動揺するからダメなんだ」
 食べ終えた陽狩が食器を片付けるために流しに向かう。巴も慌てて残りを口に運んだ。こうして食べると和食は美味しいが、洋食をもっとうまく作りたい。
「ここでダラダラとレンタルで借りてきたDVDとか観るのか? つまらないだろ。……というか、オレはしたい」
 はっきりと言い放つ陽狩の言葉に、食後のお茶を飲んでいた巴が吹き出しそうになる。あやうくお茶をテーブルに撒き散らすところだった。
 陽狩は巴の背後に立った。
「嫌か? どうする? 嫌なら読書でもするか?」
「陽狩さんそれは……」
 頬を染める巴は俯いた。
「嫌じゃないけど……だって」
「だって?」
「わ、私上手くないかも……」
 ぼそぼそと言う巴は背後をうかがうように見る。陽狩は目を丸くしていた。
「嫌じゃないよ……だって、もう何回かしてるし……だから胸もちょっと大きくなったし……って私なに言ってるんだろ」
 顔をしかめる巴に彼は何度か瞬きしてから笑う。
「何回、じゃない。何十回、の間違い。訂正だ」
「っ、陽狩さん!」
「何回かで胸が大きくなるわけないからな。それに『上手くない』ならこれは練習だ。二人で練習しよう」
 さらりと言うと彼はうやうやしく巴の手をとった。芝居がかった動作に巴は笑いそうになる。
「よし、じゃあ先制をどっちにするか決めようか、巴」
「先制って、なんか遊びみたい」
「遊びも本気でしないとな。オレが『参った』と言えば巴の勝ち」
「無理だよっ! 勝ち目ないじゃない、私!」
「やってみないとわからない」
 いたずらっ子のように笑顔を浮かべる陽狩に、巴は「う〜」と唸ってみせる。巴は頬を膨らませた。
「いいもんっ! やってやるわ!」
 勢いだけで言うと陽狩は吹き出すのを堪えるように「リョーカイ」と軽く応えて巴をイスから立たせた。

**

 ぼーっとする巴は、何度か瞬きをした。気づけばそこは自分の部屋だった。ゆっくりと布団から起き上がる。
 跳ねた髪を手で直しながら巴は「あぁ」と小さく洩らした。そして慌てて顔を真っ赤にしてうめく。布団に戻ってしまった。
「なんて夢みてんのー!」
 うーうー唸る巴はそこで動きを止め、パジャマを少しだけ脱ぐ。ない。やはりキスマークはない。
 巴は引きつった笑みを浮かべた。
「だよね……ふふっ。あるわけないかぁ」
 そうだよね……。
 でも。
(惜しい〜……! どうせならプロポーズされる夢が良かったかも)
 けれども先ほどの夢は夢で……捨て難かったわけだが。
 外では桜の花びらが舞っていた。きっと今日は快晴だろう。



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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【6494/十種・巴(とぐさ・ともえ)/女/15/高校生・治癒術の術師】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 ご参加ありがとうございます、十種様。ライターのともやいずみです。
 陽狩との三年後の未来の夢……いかがでしたでしょうか?
 少しでも楽しんで読んでいただければ幸いです。

 今回は本当にありがとうございました! 書かせていただき、大感謝です!
PCゲームノベル・櫻ノ夢2007 -
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東京怪談
2007年04月11日

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