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『春来たり 桜ほころぶ 』
江戸崎・満1300)&弓槻・冬子(3769)&(登場しない)


 江戸崎満は、砂利道をゆっくりと歩いていた。
 時々頬を撫でる風は、優しさを暖かさを含んでおり、春の訪れを肌に感じさせてくれる。
 満の視線の先には、白樺療養所が建っていた。
 一歩、今一歩、満の足は療養所に近づいていく。

「こんにちは」
 通い慣れた療養所。看護士達は満に笑みを浮かべて、今お部屋にいらっしゃいますよ、と告げた。
 それに軽く頭をさげると、満は再び歩き出す。
 部屋の入り口にある名札『弓槻冬子』を確認して、ドアをノックする。
「どうぞ」
 優しい声音が室内から返ってくる。
「こんちは」
「こんにちは」
 部屋の中に入ると、冬子が微笑む。
 満はお見舞いの品をベッドの横のテーブルの上に置く。
 そして慣れた様子でその横にあるイスに腰をおろした。
 少しだけ開け放たれた窓から、春を告げる風が時折二人の間に割って駆け抜けていく。
「この間なんだけど……」
 満は土産話を話して聞かせる。それに冬子は時に笑い、時には悲しげな表情を浮かべる。
「弓槻さん、検温ですよー」
 くすくす笑いながら看護士の一人が部屋へと入ってくる。
 その間、満は手持ちぶさたそうに部屋の外で真っ白い壁を見つめていた。
「終わりましたよ」
 気安い声かけに、満は会釈して室内に戻る。
 そして穏やかな風を感じつつ、春の訪れの話を冬子とかわす。
「もうすぐ、花が咲きそうですね」
 ふと、冬子が窓から見える桜の木へと視線を移した。
「そうですね」
 短く答えて、満も桜を見る。
 いくつもの芽が枝についている。
 そしてその中の一つが、今にも咲きそうな蕾になっていた。
「満開になったら、綺麗でしょうね」
「お花見ができますよ」
 ここで? と問い返す言葉を、冬子は飲み込んだ。
 しばしの沈黙が流れた後、再び他愛のない話をして過ごす。
 気が付けば、のぞき見のようにくすくすと笑いながら訪れていた看護士の姿は消え、二人きり。
 窓の外は夕暮れを迎え、まだ灯りをつけていない室内に、赤い影をおとしていた。
 再度訪れた沈黙。
 そして次ぎに紡がれるはずの言葉は、冬子の中にある。
 しかしそれをなかなか口に出して満告げる事ができない。
 満の喉が音をたてて、わずかな唾を飲み込んだ。
「そろそろ、あのときの答えを教えて頂けませんか?」
 満の言葉に、冬子は一瞬瞳を伏せ、しかしすぐにまっすぐと満を見つめた。
 そして微笑む。
「あなたの方が、押しつぶされてしまいそうな顔、してますね」
 現在とても死に近い位置にいる冬子。
 そこから救う術を、満は持っている。しかしそれは、秘術を行う満にではなく、秘術される側、冬子に絶大な苦痛をもたらす。
 それが故に、満は最終的な決断を冬子にゆだねた。

「その苦しみまでを取り除くことは出来ない。でも、それでもそれさえ克服すれば確実に治してあげることも可能なんです」
「少し、考えさせてください」

 あの日、粉雪がはらはらと降るあの日、交わした言葉。
 あれからしばらくの月日を経た。
 あの日以来、そのことについてはお互いに言葉を交わすことなく過ごしてきたが、とうとう、それの答えが出るときがきた。

「苦痛は、あなたではなくて、私にあるものなのに」
 冬子はそっと手を伸ばし、満の手を握る。
「きっと、その苦痛も、江戸崎さん……満さんと一緒なら、耐えることもできると思います」
「そ、それじゃあ」
 満の双眸が、これ以上になく見開かれる。
 それに冬子は小さく頷いた。
「ありがとう。ありがとう冬子さん。俺が絶対に守ります」
「よろしくお願いしますね。満さん」
 ありがとう、というのはこちらの方なのに、と冬子は静かに笑った。
 そして、冬子の顔にかかる赤い闇を、満の影が消していく。
 軽くふれあった唇と唇。
 しかしそこだけ熱を帯びたように熱い。
 それはほんの5秒ほどだったのか、30秒だったのか。はたまた何分も経っていたのか、わからない。
 唇が離れたあと、見つめ合い、そしてファーストキスだったかのように、照れ笑いを浮かべ、お互いにうつむいた。
 それでも、つないだ手は離れていない。
 ふと、病室に吹き込んできた風が、まだ春でも日が暮れると寒くなるのだ、と教えるかのように二人の熱を奪い取る。
「さ…寒くなってきましたね」
 冬子は桜色によく似た、パステルピンクのカーディガンを羽織ると、そっと満の手を放し窓を閉める。
「……満さん……」
「あ、はいっ」
 名前を呼ばれて、満は敬礼よろしくピン、と立ち直す。
 800年生きてきて、こんなに緊張する瞬間はなかったように思われる。
「桜が……」
 言われて窓の外をみれば、先程までほころびかけていた桜が、咲いていた。
 夕闇の中、艶やかにはえる桜色。
 今度は満が手を伸ばし、冬子の手を優しく握った。
 冬子は嬉しそうに微笑むと、今、咲き始めたばかりの桜を、満とともに静かに見守った。
「……来年の春、一緒にお花見しましょう」
「それじゃ、私、お弁当作りますね」
 微笑んで、満を見上げる。
 そしてその日、二度目の口づけを交わした。
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夜来聖 クリエイターズルームへ
東京怪談
2007年04月02日

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