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『あなたに頬笑む 』
芳賀・百合子5976)&深海・志保(6683)&(登場しない)

「ふぅ……」
 時は春。ドトールの二階席にある窓から見下ろす風景には、咲き始めた桜が見えていた。心なし、街も何だかほのかに色付いているような気さえする。
 だが、窓際の席に座っている芳賀 百合子(ほうが・ゆりこ)の心は、窓から見える風景に反して暗く沈んでいる。
 テーブルの上にはホットのカフェ・モカ。そして広げられた数学の教科書。
「勉強なんかして、何の役に立つのかな……」
 今、百合子の心を暗くしているもの。
 それは春休みを目前に行われた、期末テストのことだった。
『再試をするから、その時までにもう一度やったところを見直してやって来なさい。テストは期末と同じ問題を出すから』
 期末テストの点数は、どれも最悪だった。
 特に苦手な数学は、見直すのも億劫なぐらいだ。それでも勉強しようと思ったのは、皆を心配させたくないからだ。
 兄たちに聞けば勉強を教えてくれたりするのだろうが、ただでさえ心配を掛け気味なところに、これ以上自分のことで迷惑は掛けたくない。ここは少し騒がしいが、知っている人と顔を合わせることもない。
「勉強、しなくちゃ」
 百合子は仕方なく数学の教科書と、テストの問題用紙を開く。だが公式や数学記号を見ているだけで、もう目眩がしそうだ。国語なら誰か何を考えていたとか、そんな感覚でテストが出来るのに、どうして数学はこんなにきっちりとした公式があるんだろう。
「………」
 何だかそう思うと、急にやる気がなくなってきた。
 覚えようと思っているのに、するっと手からこぼれ落ちてしまう公式。語呂合わせにされても、その意味が全然掴めない化学記号。
「ここにいる人たちも、私みたいに公式に悩んだりしたのかな」
 そう思い、何気なく辺りを見たときだった。
 買い物帰りなのか、荷物を足下に置いて仲良く話している女の人がいる。一人、文庫本を真剣に読んでいる男の人は大学生だろうか。そして……。
「わー……勉強家さんなのかな」
 百合子の隣の席に座っている女子高生が、教科書を広げてガリガリと勉強をしている。多分百合子がここに来る前から、ずっと勉強をしていたのだろう。捨てやすいように紙ナプキンの上に消しゴムのかすがまとめてある。
 ちょっと、羨ましい。
 きっとこれだけ一生懸命勉強してるなら、自分のようにテストの再試で悩んだりしないだろう。それぐらいその少女の勉強振りは真剣だった。
 ブレザーにチェックのスカート。この辺りで可愛いと評判の高校の制服。自分とあまり学年は違わないように見えるけど、何だか高校生と言うだけで妙に大人っぽい。
 そんな事を百合子が思っていたときだった。
「………!」
 唐突に少女が頬杖をついて、辺りをきょろきょろと観察し始める。そしてカバンの中から携帯を取り出し、勉強していたのと同じぐらいの勢いでメールを打つ。時々メールチェックをしているのか、指の動きが止まると画面を見て笑ったり、眉間に皺を寄せたりと忙しい。
「勉強はどうしたのかな……」
 何だかその挙動が面白くて、目が離せない。シャープペンシルを持ったまま、百合子は少女をじっと見つめている。すると少女はその視線に気付いたのか、百合子を見てにこっと笑った。
「同じだね」
「えっ?」
 急に「同じ」と言われ、話しかけられたことに戸惑っていると、少女はもう一度笑ってテーブルの上を指さした。
「数学の教科書。私、深海 志保(ふかみ・しほ)。あなたの名前は?」
「芳賀 百合子……」
 おずおずと自分の名前を告げると、志保はテーブルの上に置いてあった教科書を閉じ、百合子の教科書が置いてあるテーブルを指さす。
「じゃあ、百合ちゃんって呼んでいい?私のことは志保ちゃんって呼んでいいから」
 百合ちゃん。
 何だかそう呼ばれたのが嬉しくて、百合子はこくっと頷く。
 今初めて会ったばかりなのに、志保はすんなりと百合子の心に入ってきた。普段どちらかというと内向的で、学校でも大人しく、あまり必要以上に人と親しくすることもないのだが、志保はそんな事を全く感じさせない。
「じゃ、一人で勉強して席占領してるのも何だから、百合ちゃんの所に移っちゃおうっと。百合ちゃんは、どうしてこんな所で勉強してるの?」
「あっ、えっと……期末テストの再試で……」
 こんな事を言ったら笑われるだろうか。でも、嘘はつきたくない。
 だが志保はそれを聞くと、自分が持っていた教科書からテスト用紙を取り出した。点数の所は折って隠してあるが答案用紙にはバツの数が圧倒的に多い。
「それも私と同じだー。私も数学のテストの再試があって、ここで勉強してたんだ。こんなに同じだと何か嬉しくならない?」
「う、うん……」
 自分と同じ。
 学年も学校も違うけど、同じと言われたことが嬉しい。はにかむように笑った百合子は、志保が持っている教科書を覗き見る。
「高校の勉強って、何か難しそう」
「難しいよー。再試通らなかったら進級も出来ないし……あー、勉強してないのがいけなかった」
「でも、さっき志保ちゃん一生懸命ノートに何か書いて、勉強してたよね」
 その様子に百合子は、志保がものすごい勉強家だと思ったのだが、悪戯っぽく見せられたノートには数学の公式っぽいものだけが書いてある。無論解かれたあとはない。
「取りあえず公式だけは書こうかなって。でも集中力が続かなくて……あ、百合ちゃん甘い物好き?」
「うん。だから飲み物も、カフェ・モカにしてるの」
「じゃあ私奢るから、一緒にミルクレープ食べよ。脳はブドウ糖しか栄養に出来ないから、勉強の時に甘い物は大事なんだよ」
 そう言うと志保は百合子が止める間もなく、財布を持って一階に行ってしまった。
 勉強していたと思ったらメールを打ち始めたり、突然自分に声をかけたりと、何だか志保はくるくると表情が変わる猫のようだ。今まで百合子の近くにいる人とは全然違い、その様子が何だか面白い。
「志保ちゃんって、面白いかも……」
 でも全然嫌じゃない。かえってそうやって引っ張ってくれるのが、百合子はとても心地よい。
 カフェ・モカを一口飲み、百合子は志保が帰ってくるのを、黙ってじっと待っていた。

「勉強してるのを、いつの間にか忘れてるんだよね」
 食べかけのミルクレープを横に、志保は器用にシャープペンシルをくるくると手で回し、あまり進んでいないノートに目を落とした。百合子もその真似をしてみるが、どうも上手く行かない。それに気付いた志保が、ゆっくりとお手本を見せるように回し方を教えてくれる。
「こうやってくるくるーって」
「こう?」
 何度か練習しているうちに、一回転ぐらいなら百合子にも出来るようになってきた。それに二人で笑うと、志保は何かを思い出したように頭を抱える。
「うーっ、やっぱり全然勉強が進んでない。百合ちゃん、勉強の邪魔になってない?」
「そんな事ない。一緒に話してると楽しいもの」
 数学の再試も確かに気になるが、それよりも百合子は志保と話しているのが楽しい。授業をさぼって屋上で寝ていた話や、休み時間に早弁をして、その後四時間目が終わったら購買に走ってパンを買いに行く話など、志保の高校生活は百合子の想像が付かない話ばかりだ。
「志保ちゃん。高校って、楽しい?」
 百合子の問いかけに、志保が笑って頷きミルクレープに手を伸ばす。
「楽しいよ。でも、テストの結果によっては夏休み中も学校に行かなきゃならないし、今みたいに進級スレスレって事もあるけどね」
 進級……。それを聞き、百合子の心が暗くなる。
 どうして勉強なんかしなきゃならないんだろう。今こうやって覚えた公式は、いつかこの先役に立つのだろうか。そう思うと、勉強する気がなくなる。国語だって、登場人物が何を思っていたかテストで分かっても、それがどうだというのか。
「どうしたの、百合ちゃん?」
 志保が俯いた百合子の顔を見る。
 この気持ちを、志保なら分かってくれるだろうか。カフェ・モカの入ったコップを両手で持ち、一つだけ溜息。
「……どうして、テストなんてあるのかな」
 沈黙。
 店内にかかる音楽が、周りの話し声にかき消される。志保は百合子の言葉を聞くと、ぴっと右手の人差し指を立てた。
「それはね、学生の本分は勉強だから!」
「えっ……?」
「勉強しないと、やることなくなっちゃうでしょ。頭の柔らかいうちに、たくさん色んなこと覚えないと……って、私いい事言った!」
 くすっ。
 志保の言ったことが、何だかとてもおかしかった。さっきまで「勉強してることを忘れる」とか言っていたのに「学生の本分は勉強」と言った表情は真剣だ。
 多分志保は本当に、勉強が大事だとは思っているのだ。だがそれ以上に色々なことが目について、いつの間にかそれを忘れてしまうだけで……。
「じゃあ、志保ちゃん私に数学教えてくれる?」
 開いた教科書を指さすと、志保は外人のように大げさなアクションで首を横に振った。
「数学はダメ。数字見るとじんましんが……」
「じゃあ英語は?」
「コミュニケーションは笑顔と度胸で……っていうか、中学校の英語の教科書って変じゃない?一番最初に習う『This is a pen……これはペンです』って、そんなのわざわざ言わなくても、誰だって見ればペンって分かるって」
「あ、それ私も同じ事思った」
 そのうち、教科書のここがおかしいと言う話で盛り上がってしまった。そしてどちらとも言わず、何となくお互いの教科書に目を落とす。
「百合ちゃん、勉強しよう」
「う、うん」
 やっぱり、志保は面白い人かも知れない。そんな事を思いながら、百合子は教科書の公式をノートに書き写す。学生の本分は勉強……そう言った志保の表情を思い出すと、何だか少しは楽しくなってくるから不思議だ。
 この先、この勉強が役に立つことはないのかも知れない。
 でも今日ここで勉強しようと思わなかったら、多分志保とは出会えなかった。再試がなければ、ここに来ようとは思わなかった。それだけでも、勉強しようと思っただけの価値はある。
「あー、進級したい。後輩と同じ学年は嫌だー」
「私も。頑張って進級しないと」
 いつの間にかシャープペンシルの動きが止まっている。志保はまたくるくると手の上でシャープペンシルを回す。
「でも百合ちゃんは中学生だから、黙ってても進級出来るでしょ?」
「そうなんだけど……でも、春休み明けにまた学力テストもあるし、志保ちゃんの話聞いたら勉強しなくちゃって気持ちになったの」
「え?私何か言ったっけ?」
「学生の本分は勉強……って。今日勉強しに来たから、志保ちゃんと出会えたし……その……」
 学校も学年も違うけど、出来れば一緒に進級して、またここで一緒に話がしたい。
 小さな声で百合子がそう言うと、志保はぎゅっと百合子の手を握った。
「そうだよね。一緒に進級して、またここでミルクレープ食べよう。百合ちゃん、約束の指切りね」
 約束の指切り。
 誰かとそんな事をしたのはずいぶん久しぶりだ。そっと百合子が小指を差し出すと、志保もにこっと笑い小指を絡める。
「一緒に進級しようね!」
「うん、またここでお茶しよう……」
 二人でにこっと笑って指を放す。それで俄然気合いが入ったのか、志保は教科書をめくり、公式に蛍光ペンで線を引き始めた。
「うん、全部やろうとするから行き詰まるんだよね。取りあえず、大事なところだけ線引こう……あー、教科書が白いー」
「私もそうしようかな。気分だけでも春っぽく、ピンクで」
 そう言いながら、百合子もペンケースから蛍光ピンクのペンと定規を取り出す。すると志保はそのペンと窓の外に咲いている桜を見て、こう言った。
「あ、そうだ。百合ちゃん、枝垂れ桜の花言葉って知ってる?」
 急にそんな事を聞かれ、百合子はふるふると首を横に振った。それを見た志保がにこっと頬笑む。
「あのね、独立とか色々あるんだけど、私が好きなのはね『あなたに頬笑む』ってやつ。何か枝垂れ桜って見返り美人っぽくない?」
 その微笑みが、志保と重なる。
「素敵だね。志保ちゃんたくさん色んなこと知ってて、すごいな」
 学校の勉強は苦手なのかも知れないけれど、自分が知らないことをたくさん知っている志保が羨ましい。それに少し頬笑むと、志保はやっぱり笑顔のままで言葉を続ける。
「そんな事ないよ。百合ちゃん、春休みの予定とかある?」
「ううん、別に……そんなに期間もないし」
 公式に線を引きながら答える百合子に、志保はぱっと顔を上げた。
「じゃあさ、進級出来たら、一緒に美術館行こうよ?百合ちゃん美術館とか好き?」
「ううん、行ったことないから行ってみたい」
 行きたい。
 学校の勉強は難しいけど、友達と一緒ならきっと楽しいはずだ。今まであまり外に興味はなかったが、志保と一緒なら、きっとたくさん色々なことを知ることが出来る。
「よし、じゃあ決まりね。頑張ろうね、百合ちゃん」
「うん、私も頑張る。数学だけじゃなくて、英語も科学も頑張らなきゃ……」
「私はそこに古典も入るなぁー」
「あり、おり、はべり、いまそかり……」
「知るかー!って感じになれるけど、百合ちゃんと美術館行きたいから、進級するぞっと」
 話をしては手が止まり、その度にお互い気持ちを新たにして。
 さて、こんな調子で百合子と志保は仲良く進級出来るのか。ちょっと不安になって、その度に目の前で頑張っている姿を見て、気持ちを入れ直して……。
「よーし、調子出てきた。やれば出来る子、頑張れ私ー」
 教科書の問題を解き、答え合わせをした志保が小さくガッツポーズをする。百合子もその仕草を見て、一緒に小さく手を叩いて喜ぶ。
「私も少し分かった気がしてきた。私もやれば出来る子かな?」
「出来るよ。百合ちゃんは頑張る子だよ」
 やれば出来る。だからきっと頑張れる。
 窓の外に吹く暖かい風に、桜の花がそっと頬笑んでいた。

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
5976/芳賀・百合子/女性/15歳/中学生兼神事の巫女
6683/深海・志保/女性/16歳/高校生

◆ライター通信◆
初めまして、水月小織です。そしてありがとうございます。
再試のために勉強をしてる二人の出会いということで、このようなお話を書かせていただきました。学生時代数学が苦手だったので、どうして勉強しなきゃならないかという悩みなど、何だか懐かしく思いました。
そんな悩みと共に、ここで勉強しようと思ったからこそ出会えたという嬉しさが書けていると良いなと思っています。
リテイク、ご意見は遠慮なく言って下さい。
また機会がありましたら、よろしくお願いいたします。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
水月小織 クリエイターズルームへ
東京怪談
2007年03月26日

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