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『悠久の子守唄 』
セレスティ・カーニンガム1883)&(登場しない)

 この品の本当の音色を聞かずに落札してしまったのは単なる好奇心かもしれない。
 春もすぐ近くへと忍び寄る東京の町はセレスティ・カーニンガムの体質には幾分か楽ではあったが、時折照る日の光や異常気象による温暖には矢張り苦労をさせられる。
 人がまだ気象について、その殆どが戦争であったり、農作物の心配ばかりをしていた時代から考えれば随分苦労も増えた物だと、近頃は秋と冬の心地良さを感じるリンスター財閥の総帥が一人、リムジンの後部座席でため息にもついた声を上げた。

「カーニンガム様、どういたしました? オークションはお気に召しませんでしたか?」
 本日この日の運転手もそうだ、主人を敬うのは部下として当然とはいえ、親しい友人にはセレスティ。と、気軽に呼ばせている為か奇妙な違和感を覚えている。
「いいえ、なんでもありませんよ」
「…そうですか」
 マイク越しに伝わる運転手の声は良かった、というよりも安堵のため息が詰まっていて、今自分の感じる奇妙、違和感と思える全てをセレスティは手に持った一つの木箱のせいにし、改めてその容貌を眺めた。
(貴方がこんな悪戯をしたのですか?)
 今朝届いた速達の中に紛れた一通はアンティークオークションへとセレスティを招待するそれで、たまたま、それがまだ睡眠中の時間帯に目を覚ました自分の目に止まった。会場も、主催者すらもそれ程有名ではないオークション、そんな場所に財閥の総帥が行くという事は滅多に無い。その筈が、自分でも気付かずに会場へ、しかも落札までしてしまったのだから好奇心を刺激されずにはいられない。
(オルゴールにしては随分と…可愛らしい造りですね)
 通常オルゴールでアンティークの物といえば簡素な作りに木の細工が細かく散りばめられたそれか、或いは柱時計ほど大きなものに現在の一昔前に言うレコードのような盤がはめられている物が多いのだ。が、今セレスティの手の中にすっぽりと納まったオルゴールは脳裏にすぐ浮かぶ、どのオルゴールとも違う。
 浮き彫りにされた天使の造形は細部に至るまで美麗なカーブと何よりその装飾の全てが同じ木材で作られている、小さな点の重なりが何もかも違う風にも見えるのだ。
「道楽で作らせた物にしては随分と…凝り性な子ですね」
 凝り性、それは製作者に向けた言葉か。
 セレスティはこのオルゴールに何らかの念がこもっている事を理解して落札したつもりだ。それが悪い物でも、良い物なら尚更良しとして。会場で録音だけされたこの品の音色は名だたる音楽を知る自分でも全く知らない、ただ子守唄と命名されたオーダーメイドを思わせる因縁。
 手に入れた宝物は屋敷の美術品を好む人間が嬉しそうに保管庫へ持ち去ってしまいそうではあったが、主としてこの美術品を堪能したいと願ったのだ。
「カーニンガム様、そろそろ屋敷に着きます」
「はい、分かりました」
 身支度も早々に出てきてしまったものだからセレスティの格好は申し分無い貴族のそれではあっても、彼にとってはそれ程良い井出たちではなかった。
 シンプルなシャツに柔らかなスーツを着こなして、薄青のスカーフと胸にはブローチ、何より車椅子ではなくアクアマリンをあしらった杖で出かけてしまったのだから、あまり知られぬ会場での移動には流石に苦労させられる。

「有難う御座います」

 リムジンを出ればそこは既にリンスター財閥のシンメトリーに設計された豪邸が何の苦も無く主人を迎え入れる。使用人数人の出迎えと、コートを取りに来た部下に微笑みかけ今日も良い物が出に入りましたよ、と言葉無く言えばセレスティをよく知るこの屋敷の部下だ、少しばかり眉間に皺を寄せたかと思えばすぐにも取り繕い。
「あまり無理はされませんよう」
「わかっています」
 曰く付きの美術品を持ち帰るのがセレスティ、この屋敷の主である事はここで働く者ならば誰でも知っている事だ。数人の部下の心配の声と、無理はしないで欲しいという声に見送られながら重い足を軽くしながら白い扉を開けば丁度夜の七時を回り、柱時計が心地良い音色を響かせたのだった。

■ 響く音の呼び声

 夕食はほんの少しで良い、主の体質と気質をよく知り尽くした者の作る夕食を満面の笑顔で口に運び終わったセレスティは至極ご機嫌で自室の椅子へと腰をかける。
「今日は思いの他、良い一日でしたね」
 睡眠と執務が多い日はセレスティにとってはそれ程良い一日ではないらしい。
 本日一日を杖のみで過ごした主をここまで運んできた部下は酷く眉間に皺を寄せていたがそれはいつもの事であり、限りなく透き通った海のような銀の髪の財閥総帥は、どの部下の声にも耳を傾け、そして結局は懲りない。
(この子は一体どんな音色で私を楽しませてくれるのでしょう?)
 子供のような心と、曰くという大人の探究心をもってセレスティは天使に見守られるオルゴールの蓋を開ける。途中、指に引っかかる感覚でその装飾に聖母の姿がある事を発見し、また心を躍らせながら。
「何方に…向けた子守唄でしょうか…」
 オークション会場で聴いた声とは違う、メロディーこそ同じではあるものの深く、深海の奥へと引きずり込むようなその甘い音はセレスティの意識をも文字通り、子守唄として眠りに誘う。
 椅子に座ったままだというのに、いつもは柔らかなベッドで眠りにつくというのに。
 今日という日は自分にとってこれ程までに充実し、何より良い音楽にめぐり合えたのだと口元を緩め、そのまま寝息が広く、快適な主の寝室を包み込んだ。



「セレスティ様! そんな所でお休みになられてはお身体に障ります!」
「はい…? …ああ、すみません」

 随分と少ない眠りだったように思える。
 例えて言うなら少しばかり疲れて一時間程眠ってしまったような、セレスティ自身にはそんな感覚しか覚えが無かったが目が覚めてみると部下が事もあろうに仁王立ちしながら自分を叱り付けていた。
「今は…」
「夕方の五時ですよ、セレスティ様お身体の方は…」
 大丈夫です。まずは一言それだけを言って、セレスティは心配をする部下を押しのけながら本日の夕飯は自室で一人、静かに食べるとだけを伝える。

(疲れすぎて…いえ…)

 部下には何度も大丈夫か、身体の心配は無いかと聞かれながらもセレスティは、自分は大丈夫であり何よりオルゴールの事など一言も口に出さずに夕食と一度は欠かさぬ水への接触を行ってから再び、曰く付きの品の前についた。
「自分の能力でなんとかなる…と。 流石に甘く見ていましたか」
 椅子に座り背凭れに身体を預けて天井を見る。
 睡眠から目覚めて間もないというのにもう暗い部屋の中は、机に灯された光によって美しく、そして不気味に夜の到来と睡眠の取りすぎによる目のかすみを訴えていた。
(とはいえ、音楽を聴かなければなんとも、言えませんよね)
 確かに、このオルゴールに触れる事でどの年代を生き、そして自分の手元にやってきた物であるか位は分かる。能力を駆使すれば或いはそれ以上の事も。
 けれど、子守唄の秘密だけはどうしてもその耳で触れて感じたくて、神経を研ぎ澄ませながらまた元凶である聖母の微笑みを見つめながら淡く切ない音楽を耳にする。
「…ああ」
 どこかで懐かしいと思う、そんな思いはきっと直に音楽に触れたせいだろう。心の底から全てを奪われるようにして引き込まれながら、セレスティは青く輝く瞳の宝石を曇らせ眠りについた。

■ 別れの言葉を

 瞳の中にまず写ったのは飴色の風景だった。古い写真が焼け、そのまま中の人物像が動いているような、そんな場所をセレスティはただ眺めている。
 ここがあのオルゴールの見てきた風景、触れた場所だと思うとそのままその場所に、セレスティ程ではないが、この歴史背景から察してある程度の階級と財産を築いた場所であるその壁の一つ、調度品の一つに触れてみたくなった。
「旦那様、そろそろお仕度を」
「ああ」
 セレスティの見る瞳は自在に移動するがこの時代の物に触れる事は叶わない。読み取るだけの能力ではあるが、何より触れたくなる心を自分は押し殺しこの行く末を見たいと、心から願ってしまうからだ。今にも焼け崩れそうな写真の動きには初老の紳士と女の使用人が映っており、寝室と思われる場所で紳士は使用人に急かされるように旅支度を始めている。

「だがこれで良いのだろうか」
 紳士は一度だけ天を見た。
 まるでそれはセレスティが眠りに疲れ、自室の天を仰いだように。静かではあるが祈りを込めたような、手に一つの木箱を持って紳士は膨れ上がったベッドのサイドテーブルにその木箱。
 天使の愛らしい祝福に微笑む聖母をあしらった、あのオルゴールを開け、蓋を開けた。
「旦那様、そんな事では新しい奥様に失礼にあたります」
 オルゴールの音色が響き始める。それはまるで使用人の言葉を阻むように、セレスティの聴いた音楽とはまた違う、はっきりとした音色が木製の調度品、銀の食器に反射して鈍い光のように輝きだすのだ。
「…そう、…そうだな」
 その言葉が何かの別れを意味するものだという事はすぐに理解できた。罪を隠すように帽子を被った白髪交じりの頭は使用人と共に部屋を出て行く。

 すぐ側に、ベッドに居るのだ。
「さようなら、奥様」
 使用人の声が古い天蓋のついたベッドに伏せるオルゴールを贈られた者への最後の言葉。
 心無く放たれた言葉と共に寝室と思われるこの場所の鍵を閉める音が鳴る。外から、もうこの部屋には誰も入れぬと言わんばかりに。ベッドの膨らみは視界に入らずただ布きれを被ったままで。
(見捨てられてしまったのですね…)
 なんとも言えぬ苦い気持ちがセレスティの心を濁す。紳士の妻と思われるベッドの女性は、この誰も来ぬ部屋で生涯を終える事になるのだろう。

 このまま自らも彼女の死の中へ引きずり込まれてしまうのだろうか。
 そう、セレスティの意識が危険信号を発したところで、ベッドから青白く斑点のついた手が伸びた。
 死へのカウントダウンを奏でるこの曲を、怨んでいるのか、紳士への愛を惜しんでいるのか。手はそのまま木箱だけを手繰り寄せ。

 音は消えた。

■ 歴史に消えて

「セレスティ様! 起きてください! セレスティ様!」

 意識というよりはただ、耳によく聞く声だと、そう考えた時、セレスティは濁らせたままの青い瞳を開いた。景色は木製、木の暖かな色と見慣れた天蓋。何より屋敷の使用人が何人も自分を取り囲んでいるのだから。
「ああ、おはようございます」
 何故か分からずとも、口元が微笑んだ。
「おはようございます。 ではないのです、何故こんな…」
 オルゴールを落札した事、そしてその物品が曰く付きであった事、何よりその危険な曰くに主が犠牲になるかもしれなかった事。責められるべき事は山ほどあり、数人の部下には言いたい放題責められる。
「…すみません」
 もうしないでしょうね、セレスティ様。幾度目かのそんな言葉に謝る言葉と切なげに伏せたアクアマリンで部下はため息混じりに口を閉じる。どうせ後からまたこの事件を言われるのだろう、死へ誘うメロディーは屋敷に居る幾人もの使用人の手によって止められたのだから、これは自分自身の誠意をこめて、礼を言わなければならないと、口元を緩めた。

「また、何か考えておりますね…?」
 当然だ。部下に何を言われようとも、この楽しみだけは変わらない。
「いいえ、この件については手を引きますよ」
 オルゴールはセレスティのベッドのサイドテーブルではなく机の上に、蓋を閉じられその天使達の顔も今は見る事が敵わない。
「でしたらこのオルゴールは預からせて頂きますね」
「それは…」
 部下にももうセレスティの身体の異常が何処からやってきているのか、分かりきっている事実なのだ。一人の部下に抱えられたオルゴールの天使達、何より聖母の顔が自身の心に音色を響かせる。
「そう、ですね。 ですが、素敵でしょう?」
 自分を慕う怖い部下達に睨まれては、流石のセレスティ・カーニンガムも手元に置きたいと我侭も言ってはいられない。
 きっと、次にこのオルゴールに出会う時はあの女性の想いにも、そして色褪せた世界とも会えぬであろう事に別れを告げて。

 部下の優しい睨みに微笑みを返し、セレスティは自分の手にではなく改めて他人の手によって抱き上げられた聖母へと祈るのだ。
(貴女ももう、天国へ行けたのでしょう?)
 あの女性とおぼしき手の持ち主がもうこの世に居ないのは明白であり、ただセレスティよりも白く、生きる者とは思えぬ手がまた愛しい人の元へ行けるように。
「セレスティ様…?」
 少しだけ瞳を閉じた事を部下が体調の為かと訝しげに覗きこんでいる。変わらぬ日常を過ごすセレスティはただそれに少しばかりの感謝を抱いて。

 後日、また何処の物とも知らぬオークションに出向くのだ。


END

PCシチュエーションノベル(シングル) -
クリエイターズルームへ
東京怪談
2007年03月22日

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