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『何となく少し、気がかりな…… 』
望月・健太郎6931)&弓槻・蒲公英(1992)&ユリウス・アレッサンドロ(NPC0006)

 きん、こん、かん……と、帰りの会の始まった合図が聞こえてきた。
「せんせー、そういうのは、いけないと思いまーす!」
 小さな手を天井へと高く伸ばし、言うなり立ち上がった学級代表の少女の声に、隣に座って俯いていた少女が顔を上げた。
 学級代表は、斜め前で頬杖をついて暇そうにしていた少年――いかにも元気ハツラツの少年、といった感じの、望月 健太郎(もちづき けんたろう)を憎々し気に指し示し、声色を強くする。
「健太郎君ったら、今日は給食当番だったのにサボってたんですよ! いっしょに遊んでた男子だって、注意しないのはいけないと思います! みぃちゃんにあやまってよ!!」
 途端、みぃちゃんと呼ばれた少女は、机に顔を伏せ、わーん、と泣き出してしまった。それと同時に、女子達の非難が健太郎に集中した。
 私立学校初等部。私立、とは言っても、一つ一つのクラスは小さいのだ。クラスの全員が、泣き出した少女と健太郎とが、同じ当番日に当っていることを知っていた。
「いいだろ、そのくらい。他の男子だってやってるだろ!」
 仕方無さそうに立ち上がった健太郎が男子に視線を送った瞬間、そうだそうだ! という声があちこちから聞こえてきた。
 男子は無責任だと思います! という買い言葉に、俺達は女子ほどヒマじゃないんだ、という売り言葉。当番は守らなきゃだめだと思います! という女子からの非難に、子供は遊ばなきゃだめだって母さんが言ってたぞ! という男子の言い訳が応戦する。
 狭い教室が、喧騒で満たされる。黙っているのは、教室の真ん中に立つ先生と、窓際の席でじっと俯いている少女――弓槻 蒲公英(ゆづき たんぽぽ)のみであった。
 誰もが知っているはずであった。蒲公英もまた、健太郎のサボりの被害者なのだ。だが、誰もそれに言及しようとはしなかった。
 みぃちゃんがかわいそう!――聞こえてくる女子達の声に、蒲公英は、机の上に置いてある赤いランドセルをぎゅっと抱きしめた。
 ……早く、帰りたい……、です……。
 こうしていると、嫌でも給食の前に、当番の子達と一緒に手を洗っていた時のことを思い出す。水道でサボりを決め込んでいた健太郎とばったり出くわした時、蒲公英はまた、それっ! と勢いよくスカートをめくられていたのだ。今日はピンクのミズタマだぁ!! と笑って逃げ出した健太郎の後姿に、蒲公英は一言も言い返さずに、スカートを押さえたままで俯いて唇を結んでいた。昨日の登校時に擦れ違った時もそうであった。その前の日は、昼休みの下駄箱前で。
 蒲公英が、更に身を小さくする。
 艶やかな黒髪が、セーラー服の襟に滑り落ちた。指先に、ランドセルの横からぶら下がる兎のマスコットがぶつかった。とーさま、と慕う大切な人から、これ、蒲公英と同じ紅い目やで? と渡された、大切な白い雪兎。
 喧騒の中、下校開始のチャイムが鳴るのが聞こえてきた。
 窓の外へと視線を投げれば、誰も居ない校庭の上を、自由に横切る小さな鳩の姿が見えた。
 あの子も……お家に、帰るのでしょうか……。
 わかっている。蒲公英が家に帰っても、誰もおかえり、と声をかけてくれる人などいないのだ。家に帰っても、忙しいとーさまの帰りを待つことしかできない。だが、大好きなとーさまのために、ご飯の準備も、お掃除も、お洗濯も、身の回りのことなら少しくらい、手伝ってあげることができる。
「だいたい、何で俺にばっかり文句言うんだよ! そういうことすることが、ふびょーどーだろ!」
「あんたはじょーしゅーはんじゃない! せんせー、そういうのはよくないと思います!」
「せんせーせんせーって、せんせーがいなきゃあ何もできないのかよ!」
「――はいはいはい、静かに! 静かに!」
 一際大きな声で言い合っていた学級代表と健太郎の言葉に、ぱんぱんっ、と先生が手を叩く。
 一瞬だけ健太郎に視線を戻した蒲公英が、教室の隅っこで誰にも聞こえない溜息を吐いた。
 窓越しの校庭に、ばらばらと小さな人影が集まりだす。高く蹴り上げられたボールに、土の上にたまっていた雀達が逃げ出すのが目に留まった。

 それから、一時間ほど後。
 蒲公英は、校庭の隅にある兎小屋の前で、深々と頭を下げていた。
「よろしく……お願い、します……」
 蒲公英が心配そうに目を上げると、用務員のおじいさんは大丈夫だよ、と笑って手を振った。その手には、小さな茶色の兎が抱かれている。
 何気なく、帰る前に兎の様子を見ていこうと思ったことが切欠となった。蒲公英は兎小屋の中に、一羽だけ隅で震えて動かない兎を見つけた。他の兎が人参を頬張っているのを目の前にして、この兎は、一羽だけ少し苦しそうにして動こうともしなかった。
「この子はこの前もらってきたばかりだから、まだ環境に慣れていないのかも知れないね」
 兎の飼育係は、初等部の中でも上級生にのみ許された係であった。とはいえ、蒲公英には、様子のおかしい兎を放って帰ることはできなかった。
「大丈夫、ちゃんと面倒見ておくからね。毛布でくるんで暖めてあげても元気が出ないようだったら、ちゃんとウサギさんのお医者さんに見せておくから」
「はい……」
 ちら、と自分を見つめてきた兎の上に、バイバイ、の挨拶の代わりに優しくそっと手を置いた。
 用務員のおじいさんにも、さようなら、と言って、もう一度深く頭を下げる。
 はい、さようなら、と返した用務員が立ち去った頃、蒲公英の足元に、サッカーボールが転がってきた。
「おい」
 ボールを手に取った蒲公英を呼ぶ声は、相変わらず堂々としていて偉そうで、元気一杯であった。
 ――健太郎……、様。
 聞き覚えのある声に振り返れば、すぐに目が合った。
「おい、蒲公英」
 ランドセルなど、きっとどこかに放り投げてあるのだろう。頬の上を流れ落ちた汗を拭い、健太郎は両手を差し出してくる。
「早くよこせよ」
「あ……」
「また一人でウサギを見てたのかよ」
「元気の……ない、子が……いて――、それで……」
「元気がない? おい、それって大丈夫だったのか?」
 少し心配そうに兎小屋を見やった健太郎へ、蒲公英は小さく頷いて見せた。
「それで……用務員さんに……、」
 俯き、ゆっくりと話をはじめた蒲公英の言葉は、しかし、あっという間に遮られた。
 健太郎の後ろから、おーい! と健太郎を呼ぶ仲間の声が響き渡る。なんだよー、早くしろよー! と駆けてくる仲間を一瞬だけ振り返ると、健太郎はもう一度両手を差し出した。
「おっと、ほら、早く!」
「あ……、はい……」
 ゆっくりと歩き出し、ボールを手渡ししようとしてきた蒲公英へ、
「バカ! のろまな蒲公英! 投げればいいだろ!」
「あっ……」
 言われた通りに、蒲公英はボールを上へと放り投げた。
 ボールは健太郎の方へ飛んでいくことは無く、後ろから健太郎へと駆け寄ってきていた仲間の方へと転がっていった。
「ご……めんな、なさい……」
 慌てて謝る蒲公英へと、健太郎が近づいてくる。
 おこ……られる……。
 思わず目を閉じて身を小さくしていた蒲公英に、健太郎は一気に手を伸ばすと、懲りずにそのスカートを勢いまかせに捲りあげた。
「おっ、蒲公英のミズタマパンツには、クマのアップリケまでついてらー!」
「おい健太郎、お前なんで弓槻なんでかまってるんだよ! それより早く続きやろーぜ!」
 大声で笑った健太郎は、あっという間に仲間の元へと戻って行く。
 蒲公英はその背中を黙って涙を堪えて見送ると、少しだけ足早に校庭を後にした。

 学校から家まで続く、見慣れた帰り道。
 ばいばぁい! と、あちこちで笑う声が聞こえてくる。上級生から下級生まで、皆が友達と別れ、皆が家族の元へと帰って行く。
 先ほど後にした学校は、もう既に見えなくなって久しかった。ランドセルを背負った子供達の姿も、段々とまばらになってゆく。
「……あ」
 一人ぽっちでゆっくりと歩いていた蒲公英の目の前を、小さな影が横切った。まだ大人になりきっていない白い猫が、蒲公英の方を振り返る。
 ネコ、さん……。
 通学路では、いつも見かける顔であった。今もまだ小さいが、蒲公英がはじめてこの子を見かけた時から比べれば、大分大きくなったのだ。
 少しだけ歩みを速める。近づいて、頭をなでなでしようと思っていた。
 だが、
「あー、見てー、可愛いー!!」
 後ろから駆けてきた上級生達に、蒲公英はあっという間に抜かされてしまった。二人の少女に撫でられて心地よさそうに目を細める白猫を、蒲公英は立ち止まって遠巻きに眺める。
 今日は……きちんと、ご飯を……、もらえたので……しょうか……。
 たまにお腹を空かせて、擦り寄ってくる小さな猫。その度に、こっそり持っているクッキーをあげたりするのだが、
 今日は……大丈夫そう、ですね……。
 小さく笑う。
 猫が気づいていないのにもかかわらず、そちらに向かって小さく手を振ると、蒲公英はまたゆっくりと歩き出す。
 しかしまた、すぐに立ち止まらざるを得なかった。
「こんにちは、蒲公英さん」
 見上げれば、長閑に挨拶をしてくる、金髪碧眼の背の高い男の人の笑顔があった。少しだけ古風なスーツに、長い髪を纏めるリボンと同じ緑色のネクタイを締めた、外国の男の人。
「こん……にちは……」
 蒲公英も慌てて頭を下げる。
 いつもそうであった。この人は時折、唐突に自分の前に現れてはいつも、
「あ、今日はクッキーではないのですけれども、チョコレート、お食べになります? 新作だそうですよ。この前、銀座で見つけたんです」
 ポケットの中からお菓子を出して、自分へと渡してくれる。
「えっと……」
「いけませんよ、子供のうちは、大人に遠慮しちゃあいけないんです。どうせ大人になったら、子供の面倒を見るのは自分達なのですからね」
 情けは人のためならず、って言いますでしょう?
 付け加えられ、
「はい……。いただき……ます……」
 微笑んで、蒲公英は男の手から、緋色の紙に包まれたチョコレートを受け取った。
 男と蒲公英とが、並んで歩き出す。
「――そうだ、今度ご一緒しませんか? 銀座。いいですよ、美味しいチョコレート屋さんも、沢山ありまして」
「銀座……ですか……?」
「ええ。私もよく行くんですねれどもね。キリスト教関係の書籍も豊富でして、そのついでに、お菓子を買って帰るのが楽しみなんですよ」
「おもしろ……そう、ですね……」
「それでは、今度予定を合わせて、」
 皆で、一緒に――。
「蒲公英っ!!」
 言葉の続きは、威勢のよい声に遮られた。
「健……太郎、様……?」
「お前はだれだっ!」
 甲高い少年の声が、二人の間に割って入る。
「はい? ええっと、あなたは――、」
「蒲公英、おやつをくれても、いけない人についてっちゃいけないんだぞ!」
「あの……、」
 強引に手を取られ、蒲公英は戸惑いを隠さぬままに、唐突に現れた同級生――健太郎のことを見やった。
 ――どうして……、ここ、に……?
 友達とのサッカーが終わっているとも思えない。健太郎と別れてからは、まだそれほど時間は経っていないのだ。
「あの……――」
 突然健太郎が現れたことにも驚いたが、蒲公英はすぐに、彼が何か勘違いをしているのであろうということに気がついた。刺々しい敵意が、男へと向けられている。
「俺、見てたんだぞ! 蒲公英におやつ渡して、どっかに連れてこうとしてるんだろ!」
 健太郎は真正面から男をきっと見据えると、更に強く蒲公英の腕を引っ張った。
 男は穏やかに腰を折り、健太郎と真っ直ぐ向き合い、微笑を向ける。
「おや、あなたは蒲公英さんのお知り合いでいらっしゃるのですか? でしたら、」
「そんなことお前にカンケーないだろっ!」
「あの……っ……」
「蒲公英に手を出すやつはゆるさないんだからな!」
 掴まれていない方の手で、蒲公英は何度も健太郎の服を引っ張っていた。事態の急な展開に、蒲公英の遅い喋りでは事情の説明が追いつかない。
 男は決して、健太郎の考えているように、蒲公英を攫おうとしているわけではないのだ。
 蒲公英は、この男のことをよく知っているのだから。
「このヘンシツ者! 蒲公英、逃げるぞ!」
「ち……ちが――、」
 ちが……います……。この人は――……、
 この人は、東京のカトリック教会にいる、少しだけ偉い……らしい神父様だ。今日は珍しくいつもの神父服ではないが、蒲公英は本当に、この人のことをよく知っている。
 ユリウス・アレッサンドロ。とーさま、とも顔見知りで、とーさまの妹とも仲のいい、気さくな聖職者。
「ええっと、私、何か誤解されているみたいなんですけれど……、あの、私はですね、蒲公英さんのお知り合いで、」
「うるさいな! 最近のヘンシツ者はみんなそーやって言うんだってニュースで言ってたぞ!!」
 言うなり、健太郎は蒲公英のランドセルについていた雪兎のキーホールを思い切り引っ張った。
 蒲公英がそれに気づいた瞬間には、けたたましい警報が空をつんざいている。――とーさま、が蒲公英に持たせておいた、非常用の防犯ベルであった。
「いそげ! 蒲公英!!」
「ええっと……」
 説明するよりも前に、蒲公英はおもいきり健太郎に引っ張られ、ユリウスから引き離されてゆく。
 非常事態を察した目つきの悪い警官が、自転車を捨ててユリウスへと駆け寄ってくるのが見えた。
「あっ、おまえ、なんでこんな所で――! 今度は聖職者から変質者に転職かっ?! ええっ?!」
「いや、あなたこそどうしてこんな所に……と言いますか、それは誤解ですってば! 私はただ、知り合いの女の子をですね……!」
「ストーキングしてたってか?! おい子供達、早く逃げろ!!……おまえ、今度こそタイホしてやるからな!」
「いやちょっと、あなたが逮捕するのは人間じゃなくて幽霊の間違え――! あ、ちょっと、蒲公英さんっ……?!」
 振り返る蒲公英には、健太郎に逆らって立ち止まるほどの力があるはずもなかった。

 あちこちにある細い道を、まるでユリウスをまくかのようにして曲がり続け、人気の無い静かな道へとたどり着いた。
 先ほどよりも長くなった影が、二つ並んでコンクリートの上で肩を上下させていた。
「何とか……逃げ切った、みたい、だな……っ」
 健太郎は、逃げる途中に蒲公英から取り上げたランドセルを蒲公英へと渡し、はぁ、と大きく息を吐く。
「健太郎……様……」
「まったく……!」
 さっきだって、ころんだりして……! 自分の身くらい、自分で守れよっ!
 言葉は、息が切れていて続かなかった。
 いつでもどこでも、人よりも間二つは行動が遅い蒲公英。転校して来てからというもの、動物と一緒にいることはあっても、ほとんど人と一緒にいることのない蒲公英。
 艶やかな黒髪に、赤い瞳。学級の集合写真を見た母親が、おや、清楚な子だね――と蒲公英のことを指して微笑んだことを覚えている。大人になったら、きっと綺麗な子になるわね、と言った母が、なぜか自分の肩を叩いてきたことも覚えている。
 ――でもこんな子だったら、おとなしそうだし、そのうち犯罪にでも巻き込まれちゃうかも知れないわね。
「のろまな蒲公英! どうしてちゃんと逃げなかったんだよ!」
 気がつくと、健太郎は蒲公英の両肩を掴んで、声を荒げていた。
 蒲公英は慌てて目を逸らすと、
「知っている……方……でしたから……」
「へ?」
「ユリウス……様は……わたくしの……知っている、方……です……」
 真相を聞いた瞬間、健太郎の動きが止まった。
 二人の間を、そろそろ紅く染まり始めた風が吹き抜けて行く。
 健太郎は慌てて、蒲公英にかけている手を突き放した。
「なっ!――何で、そういうことを早く言わないんだよ!」
「ユリウス様は……最近……通っている図書館が……ここから、近い、みたい……です……」
 蒲公英は、健太郎を責めることもなく、穏やかに事情の説明を続けた。
 やおら、黙り込んでいた健太郎が背を向ける。
「……悪かったな」
「え……?」
「悪かった、って言ったんだよ!」
 照れを投げ捨てるかのように言い放つと、自分のランドセルを下ろし、そのままかがみこむ。
 ランドセルを胸に負いなおした後、えっと……と、戸惑いを覚えて動けない蒲公英の雰囲気を察し、付け加えた。
「蒲公英、さっきころんだんだろ! おぶってやるから、早く乗れよ」
「健太郎……様……?」
「どーせ蒲公英は道だって覚えてないんだろ! 俺がおくってってやるから、早く乗れよ!」
 促されて、今度は蒲公英が健太郎の肩に手をかけた。
 ふわり、と体ごと持ち上げられ、蒲公英の視界が高くなる。
 ――どう……して……でしょう……。
 黙ったままで、健太郎は黙々と来た道を戻ってゆく。問うことはできなかったが、蒲公英には不思議でならなかった。
 どうして。
 どうして今日、健太郎は、自分のことを守ってくれようとしたというのだろうか。いつもは自分のことをいじめて、からかってばかりいるはずの健太郎が。
 小首をかしげた頃、
「いたくないか?」
 少しだけ、優しい声が聞こえてきた。
 ふわふわと揺れる度に、ランドセルの中でかたかたと筆箱が音を立てるのがわかった。
 蒲公英は少しだけ健太郎に捕まる手の力を強めると、
「……はい……大丈夫、です……」
 いつもより安心した様子で、少しだけ微笑んで見せた。

Finis


2007.3.18
Lina Umizuki
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
海月 里奈 クリエイターズルームへ
東京怪談
2007年03月19日

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