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『first encounter 』
伊葉・勇輔6589)&赤羽根・灯(5251)&田辺聖人(NPC2374)






「知事、知事はどこだ!?」
「おい、君は都知事の秘書だろう? 知事の行動はしっかりと把握していてしかるべきなのじゃないのかね!?」
「あのひとをその辺の知事と一緒くたにされては困る。おい、最後に知事を見たのは誰だ?」
「監視カメラ……っ。……ああっ」
「知事、知事はまた逃走したのか!!」
「どこへ行った!? 追跡はできんのか!?」
「あああああ、この後会見の予定があるのにィィィィ!!」



 飾り気のない黒コートの裾を風に泳がせながら、伊葉勇輔は新宿の街中を歩いていた。
 平日の昼間、オフィスビルの多い通りだというのにも関わらず、新宿はいつだって人通りが多く、排気ガスも多い。
 ビル風は強く吹いて勇輔の黒髪を無遠慮にかき乱していく。勇輔はそれに眉根をしかめて手櫛で撫でつけ、よく晴れた青天に視線を向けた。
 この冬は暖冬だった。雪も降らず、そのためもあって交通やその他もろもろのライフラインにもダメージが無かった。これは知事としては非常に助かる一点だろう。むろん、環境問題云々を掲げる集団を思えば、軽んじた発言は出来ようはずもないのだが。
 伊葉勇輔は三十代という若さで東京都知事の椅子を得た男だ。気風の良さ、若さゆえの行動力。これらは彼に対する評価を高いものとしていたが、中には彼の若さに顔をしかめる者もいる。たかだか三十数年しか生きていない若造が、じつに千万を超える都民たちの生活を満足に支える事が出来るものかと、彼らは軽んじているのだ。
 が、勇輔は、十代の頃には東京最強という呼び名を得た不良少年でもあり(実際、都知事という顔の裏ではIO2の戦力という顔も持っている)、それゆえにあらゆる場面をくぐり抜けてきているという一面をも備えている。少なくとも、彼らが危惧するような『世間を知らない若輩者』でない事は事実でもあるのだ。
 それはともかく、勇輔は都庁の第一本庁舎を抜け出し、目を瞑っても歩けるほどに馴染んだ新宿の街にいる。
 ――今日は確か、どこだかの国の官僚が挨拶に来る日だったか。
 考えながらも勇輔の足は都庁を遠く離れていく。
 ネクタイを緩めながら肩越しに振り向き、遠のいた建物を目線で捉える。今頃は都知事の不在を受けて、右往左往の騒ぎになっている事だろう。
「ま、いっか」
 言いながらタバコを一本口にする。歩きタバコは条例で禁じていたのを思い出し、苦虫をつぶしたような表情を浮かべてそれを箱の中へと戻した。
「ヤニもろくに吸えねえんじゃなあ……」
 ごちながら周りを見渡して、視界の端に大手百貨店の建物を見つける。
 喫煙者には辛い今日この頃だ。むろん、そういった条例を決めたのは都知事である自分自身なのだが、いつでもどこでも気軽にタバコを吸えないという現状は、それなりにキツいものがある。
 勇輔は歩みを百貨店へと向け、タバコの箱をコートのポケットへとねじ込んだ。


 アルバイト先のケーキ屋は大手百貨店のいくつかにも店舗をかまえている。
 赤羽根灯は、今日、いつも働いているのとは違う百貨店へとかりだされた。店長が言うには、その百貨店でスイーツに関わる大きなイベントが行われるのだそうだ。
 日本を代表するパティシエを数人招いて、彼らが腕を揮うための特設店を一時設置する。中にはテイクアウトだけでなくイートイン出来る店もあるというので、来客数はうなぎ登りなのだという。
 必然的に流れてくる客の接客にあたりながら、灯は視線でひとりのパティシエを追った。
 灯の視線の先にいるのは黒衣のパティシエとして名を馳せている田辺聖人。灯にとってはもう馴染みのある人物となった。
 田辺はいつもと変わらず、全身を黒で統一し、無精ひげに仏頂面という、とてもではないが接客態度としては花丸をつけ難い態度でケーキを売りさばいている。
 時折、灯の視線に気付くのか、田辺の視線も灯の方へと向けられた。そのたびに灯は小さくぺこりと一礼して、ショーケースを挟んだ向こうを訪ねて来た来客たちに愛想の良い笑みを見せる。
 願わくば、田辺の作ったケーキが完売するまでにアップできますように。――アップ時間まではあと三十分をきっている。
 そう強く思いながら、ちらりと時計に目を向けて。


「あの、田辺さん」
 辛うじて残されていた生菓子のひとつをトレイにのせて、灯は眼前のパティシエを仰ぎみた。
 田辺は一見して不愉快そうな面持ちを浮かべている。
 田辺用に設けられたスペースは他所と比べてもかなりの客入りだったが、多忙であったのがそれほどまでにイヤだったのだろうかと考えながら、灯は小さく首をかしげた。
「ああ? ……ああ、おまえか」
 ちらりと灯を一瞥し、深いため息を吐き出す。
「お疲れですね」
「ああ、おかげさまでな。……でももう店じまいだ。完売だ、完売。アリガトウゴザイマシタってな」
「もう完売ですか?」
 言いながらショーケースをあらため、確かにもう焼き菓子も残されていないのを確める。
「やっぱりすごいなあ。買えただけラッキーって事ですよね」
「おまえは買えたのか? ああ、そりゃ良かった。なにしろオバチャンたちがえらい事になっててなあ。若いネエチャンたちが押し寄せてくれるんだったら歓迎なんだが、熟女には興味ねえんだよな」
 言い捨ててため息を吐いた田辺に、灯は「ああ」とうなずき、笑った。それで不愉快そうにしていたのかと、改めて田辺の顔を見上げる。
 灯の笑みが意味するものを悟ったのか、田辺の仏頂面にもわずかな笑みが滲んだ。
「それで? おまえのバイト先ってここだったか?」
「あ、いいえ。私の働いてるお店はこの百貨店じゃない所なんですけど、今日は手伝いにかりだされて」
「ああ、なるほど、そうか。フェア中はずっとこんなだろうしな」
 灯の言葉にうなずいて、田辺がげんなりとかぶりを振る。
「田辺さんはイベント中はずっとここに?」
「一応、そういう契約になってるがな。でもまあ、俺の作ったケーキがありゃあ、あとは別に文句の言われもねえだろうさ。イートインも俺じゃなくバイトが担当するんだしな」
「そうなんですか」
 言い捨てるような田辺の口調に、灯は思い出したように視線を持ち上げ、田辺を見やる。
「あの、クリスマスの時とか、ご馳走になっちゃって。ありがとうございました。考えてみれば、田辺さんがデコレートしたケーキを食べられるのって、すごい贅沢ですよね」
 自然、目がきらきらと輝く。
 田辺は灯の視線を受けて満足そうに笑い、無精ひげを乱雑に掻いた。
「俺の腕はデセールにいたるまで完璧だからな。で? おまえ、もうアップしたのか?」
「はい、今日は早番で。お手伝いする事があれば言ってください。片付けとかもしますから」
 言って小さなガッツポーズを作った灯に、田辺がふと頬を緩める。
「そうだな、――じゃあ、片付けと、明日の仕込みを少しやってもらうか」


 足を踏み入れた百貨店では、ちょうどイベントが催されていたらしい。
 肩身の狭い喫煙スペースを利用しながら、行き交う、中年女性を中心とした女性客の多さに視線を寄せる。その大半が、何やら洋菓子の箱のようなものを提げ持っていた。
 そういえばと、勇輔は百貨店の入り口にあったボードに書かれた文字を思い出す。確か、洋菓子の職人を集めた催し事だとかなんとか書いてはいなかったか。
 備え付けの灰皿は飾り気もなにも無く、ねじ込まれたタバコが数本突き立っている。
 勇輔もまたその灰皿の中に吸殻を突き立てて、ガラス扉で仕切られたそこを後にした。
 こもるタバコの煙がコートやネクタイに染み付きそうな気がして、軽く片眉を跳ね上げる。
「ティータイムとでもしゃれ込むかな」
 ごちながら進める歩みの先には、イベントが実施されているであろう会場が広がっている。漂うのはタバコのそれとはまるで違う、甘い砂糖とバターの香り。
 つまり、灯や、それに田辺がいる地下の特設場へと向けられたのだ。


 田辺の手伝いを申し出たのはいいものの、灯に出来る事といえば、ケーキを作るために使った道具などの洗浄と片付けを中心としたものだった。
 翌日分のケーキの下準備を整えるため、その手伝いに揚々と勇んでみたはいいが、ものの数分ほどでめげてしまうところとなったのだ。
「……やっぱり難しいなあ」
 ため息まじりにそう落として、灯はとぼとぼと道具を片付けていく。
「ああ、それが済んだらこれをイベントの担当に届けてきてくれるか」
 田辺に声をかけられて、灯は小さくうなずいた。
 プロへの道は遠く険しいものなのだ。そう得心して、預けられたものを両手で抱え持つ。――それは小麦粉やクリームといった、ケーキ作りのための材料の一部だった。
「田辺さんみたいにケーキとか作れたら、自分用にとか作ったりして、楽しいだろうなあ」
 ぼうやりと独りごちながら歩みを進め、少ししたあたりで、灯ははたりと歩みを止めた。

 初めて訪れた百貨店。割と新しい建物であるせいか、構造がいくぶんか珍しいデザインを施されているようだ。
 ショーケースに囲まれた両脇の間にある柱はどれも同一の造りのなされたもので、周りに並ぶのはどこも同じ洋菓子専門店ばかり。
 ――そういえば、イベントの担当が控えている部屋はどこにあっただろうか。
 そう思いついたときには、時すでに遅しだった。
 灯は、百貨店の中ですらも道に迷ってしまったのだった。

 今にも泣き出しそうな面持ちでうろうろとしている少女を視線の端に止め、勇輔はふつりと目を細ませる。
 勇輔の手には、ケーキが入った箱がふたつほどあった。それぞれ異なる店舗で購入したものだ。むろん、自分用にと買い求めたものばかり。
 パンフレットを確認する限り、目指す先には黒衣のパティシエとして名を馳せている田辺聖人の店舗もあるはずだ。
 田辺の顔写真と一緒に映された新作の生菓子に頬を緩めていた勇輔だったが、右に曲がっては戻り、左に曲がっては戻りを繰り返している少女の姿から目が離せなくなってしまった。
 おそらく、道に迷っているのだろう。――決して狭くはないが、それにしても百貨店の地下という、いわば閉鎖された空間の中にあって。
 少女が勇輔の方に歩いて来たのを目にとめて、勇輔は深々とした息を吐き出した。
「放っておくわけにもいかねえしなあ」
 呟き、横をすり抜けていこうとする少女の腕を軽く掴む。
「おい、おまえ」
「え? わわ」
 少女は勇輔の顔を見上げて吃驚したように目をしばたかせた。
「ちが、違うんです。私、田辺さんにお使いを頼まれて」
 慌ててかぶりを振る少女を見据えて、勇輔はすいと視線を細くする。
「いや、別に補導ってわけじゃねえし、エンコーとかを求めてるわけでもねえから安心しろ。おまえ、道に迷ったんだろ」
「え? あ、ええ、……ええ? なんでわかっちゃったんですか!?」
 吐き捨てるように述べた勇輔の言に、灯は再び目をしばたかせた。
「見りゃ分かる。パンフレットを持ってるわけでもなし、かといってこの場所に馴染んであるような様子でもなし」
「あ、」
 灯の頬が見る間に赤く染まった。
「ええ、……私、イベントの担当さんに渡さなくちゃいけないものがあって。でも、控え室ってどこにあるのか、忘れちゃって」
 気恥ずかしそうに小さく笑う。
「なるほどな。……んなの、パンフレットでも見りゃどうにかなるだろ。インフォメーションまで行って訊くなりすりゃいいんだし」
「あ、そうですよね!」
 たちどころに表情を明るくした灯を見下ろして、勇輔は肩を大きく上下させて息を吐いた。
「俺のパンフレットだ。持ってきな」
 言って、ポケットにねじ込んでいたパンフレットを少女が抱えている荷物の上に置く。
 少女は満面の笑みを浮かべて会釈をし、次いで勇輔を仰ぎ見て眩しそうに目を細ませた。
「私、赤羽根灯っていいます。あの、伊葉さん、ですよね。都知事の。お仕事大変でしょうけど、がんばってください! 応援してますから!」
 言い置いて、灯は最後にぺこりと腰を折り曲げて、勇輔がよこしたパンフレットを頼りにインフォメーションへと歩みを進めた。
 勇輔はしばしその背中を見送って、そこではたりとアゴを撫でる。
「……赤羽根……灯?」
 少女が名乗っていったその名前を反復し、アゴを撫でていた手の動きをひたりと止めた。
「赤羽根って……あれ?」


 伊葉勇輔という男は、かつては東京最強という呼び名を得た事もある不良少年だった。
 放蕩無頼の生活を送っていた彼だったが、やがて退魔に関与する事件に巻き込まれ、闇に潜む異形というものの存在があるのを知るところとなった。
 その後、ある老人から四神『白虎』の力を会得して、後にIO2に加わる事となったのだ。
 それから数年。勇輔が二十歳のおり、事件を発端にしてひとりの女と知り合い、娘をもうけた。だが後にその女とも別れ、以降は娘との面識を得た事はないままだった。
 ――あの女の苗字は赤羽根というものではなかったか。

 再び、急いで灯が去って行った方に視線を向ける。が、少女の姿はもう見えなくなっていた。
 少女は、年の頃は十五、六ほどに見えた。勇輔が娘をもうけたのも、それぐらい前の事だ。

「赤羽根……灯……って」
 ぼうやりと呟き、なぜか意味もなくタバコの箱を探る。
「俺の娘じゃねえか!」
 ごちた勇輔に驚いたのか、周りを行く中年女性の何人かが足を止めて勇輔を仰ぐ。注がれる視線は、しかし、勇輔にとってはどうでもいいものばかりだ。
「さっきの娘、……あれが……!」


 無事にお使いを終えて、灯は満足そうに笑みを浮かべて控え室を後にした。
 アパートの部屋に戻り、田辺が作ったケーキをゆっくりと味わいながら楽しむのだ。それが今から待ち遠しい。
「お手伝いとかもしたし、もしかしたらなんかもっと貰えちゃうかもしれないしね」
 ごち、田辺の元へと足を速める。
 スキップすら踏みそうな足取りはひどくのんきだ。
 今ほどあった出会いが意味するそれを、何も知らないまま。

 


Thank you for an order.
Moreover, I am waiting for the day which can meet.

2007 March 5
MR
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
エム・リー クリエイターズルームへ
東京怪談
2007年03月05日

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