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『Tree of Life 』
ツヴァイレライ・ピースミリオン0778)&ナンナ・トレーズ(0579)&(登場しない)

 ひとというものは、いつかは死ぬ存在だ。
 それはよく、わかっているけれど――それでもなお、『死』は、自分や、自分の親しいものとは無縁であって欲しいと願うのもまた、ひとであるが故。
 そしてひとは、寿命が来るまえに、突然、命をもぎ取られることがある。病気や天災、人災で。
 残されたものが、身を裂かれるような思いで慟哭し、如何に運命の理不尽さを嘆いても、失ったものは戻らない。
 衝撃が醒めやらぬうちに、煩雑な葬儀を大々的に行い忙しく過ごすのは、空洞になった心に、現実を受け入れる準備をさせるため。
 ナンナ・トレーズの両親が見舞われたのも、いわば、人災であったろう。
 誰を恨むべくもない、不慮の事故だった。知らされたのは、優しかったふたりが、冷たい亡骸になってからのこと。
 ツヴァイレライ・ピースミリオンは、茫然と立ちつくすナンナに代わって、葬儀の一切を取り仕切った。
 死去の知らせと葬儀の日程を、トレーズ家の関係者や友人、知人に交付したのもツヴァイであったし、名士であったナンナの両親にふさわしい、しかるべき人物に世話役を依頼し、葬儀の進行について打ち合わせを行ったのも彼であった。
 ツヴァイにもまた、そういった一連の忙しさは必要だったのだ。幼いころ、家族と離ればなれになった彼を引き取り、惜しみなく愛情を注いでくれたトレーズ家の当主と夫人を、ツヴァイは両親同様に思っていたのだから。
 ふたつ並んだ柩の前に安置された、十字架と蝋燭と遺影。溢れんばかりの白い花。
 参列者たちが聖歌を歌い、聖書を朗読する。神父の言葉を静かに聞いたあと、一同は祈り、献花を行う。
 やがて柩は、運ばれていく。
 故人と親しかったひとびとの涙を見、想い出話を聞いてはうなずいて、葬儀が終わるころには、少しずつ、余裕が生まれてくるのだ。
 ――哀しみに浸る、余裕が。

 † †

 葬儀から、半月あまりが経った。
 ナンナは今日も、居間の窓際で聖書を広げている。
 古い革表紙の聖書は、ナンナの父親が所持していたもので、いわば形見の品だった。
「 ――主なる神は、東の方のエデンに園をもうけ、自ら形づくったひとをそこに置かれた。主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、生命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。 主なる神は人に命じて言われた。『園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう』」
 消え入らんばかりの、かそけき声が響く。それはツヴァイにとって、何よりも心痛むものだった。
 未だにナンナは、哀しみの檻に囚われたままだ。その気持ちはわかる。とてもよくわかる。
 だが、残されたものは、それでも生きていかなければならない。
 生きていかねば、ならないものを――
「ナンナ」
「なんですの?」
「この家の買い手が、決まったよ。それと、財団の、引き受け手もね」
「……そう」
 この半月、ツヴァイは奔走していた。当主夫妻を失った今、ツヴァイとナンナだけが暮らすには、この屋敷は広すぎる。
 屋敷を売却するのならば、それに伴って使用人たちに暇を出さねばならず、新たな就職先の世話も考えねばならなかった。それに加えて、トレーズ家の豊かな財産を、各方面に問題の生じないように、相続手続きを行うこともひと仕事だった。
 ナンナの母親が中心となって運営していた医療財団は、その施設や所有の土地を、運営母体ともども、トレーズ家と懇意にしていた知人に譲渡することになった。幸い、その知人も医療関係の財団法人の代表者であったため、統合する形を取ることができ、専門的業務の引継ぎがスムーズだったのは有り難かった。
「皆、僕たちのことをとても心配してくれてて、この家も、すぐに空け渡す必要はないと言ってもらってる。だけど、そうそうご好意に甘えてもいられないから、別の住まいを見つけないとね。もっと機能的な、小さな家に引っ越そう」
「……そうですわね……」
「執事やメイドや料理人は、わりとすぐに新しい勤め先が見つかりそうだ。トレーズ家で働いてたのなら優秀なひとたちだろうから是非にって、引く手あまただよ。むしろ、断るのが大変だ」
「……良かったですわ……」
 ツヴァイがわざとおどけた調子で言っても、聞こえているのかいないのか、ナンナはずっとこんな調子だ。
 哀しみに目をふさがれたまま、心を閉ざしている。
 願わくば――
 そう、願わくばいつか、あの悲劇が起こる前の明るいナンナに――能天気と言ってもいいほどの、癒しの力を持つ彼女に、戻ってほしいのだけれど。
 もちろん、すぐには難しいにしても。
 大切な、妹のようにも姉のようにも思っている彼女が、地に足をつけて一歩を踏み出せるような、何か――
 何か、熱いものが、見つかったなら。
「生まれ育った家を手放す日がくるなんて、なんだか信じられない。でも、ツヴァイが一緒だから、安心ですわね」
 はかない笑みを見せるナンナに、ツヴァイはゆっくりと、首を横に振る。
「ナンナ、聞いてくれ。僕は、兄さんを探しに行こうと思うんだ」
 それは、葬儀が終わった直後から、考えていたことだった。生き別れになったままの双子の兄に、ツヴァイはとても、会いたかった。
 はっと息を呑み、ナンナは細い指先で顔を覆う。
「……まさか、ひとりで?」
「引っ越し先に落ち着いて、ナンナがそこから動きたくないと言うなら、そうなるね」
「わたくしたち、家族じゃありませんの? 残ったのは、わたくしたちだけですのに。……置いていきますの?」
 すがるような声音が、胸を刺す。ツヴァイとて、ナンナをひとり残していくのはしのびないのだ。
 それでもあえて、ツヴァイは言う。
「僕と二人で暮らしていれば、それなりに平穏な日々はおくれると思う。だけど、きっと幸せにはなれないと思うよ」
 お嬢様育ちで、世間知らずで、それでも本来は、誰よりも暖かく頼もしいはずの、ナンナ。
 彼女に、“何か”を。
 思いは、再び、そこに還る。
 ナンナが、新しい“何か”を見いだすことが出来たなら。
 それは、ツヴァイの救いであるかも知れないのに。

 † †

 どうすれば、いいのだろう。
『両親』を失った僕は、遠い昔に生き別れになった兄を探すため、旅に出る。
 ――兄?
 そうだ、兄さん!
 ナンナにも、双子の兄がいたはずだ。15年前に家を出たまま、行方知れずの。

 † †

 冬の、ある日。
 どこか切ないほどに晴れたその日も、ナンナは窓際で聖書を開いていた。
 青い瞳はうつろなまま、細い指は力なく、ただ頁を追っている。
 その傍に立ち、ツヴァイは告げる。
 ナンナの瞳に、輝きを取り戻すための、言葉を。
「『セフィロトの塔』を、知ってる?」
「ええ……? それが……?」
 怪訝そうに、ナンナは小首をかしげる。
 それが、ブラジルの北部、アマゾン川の上流域にある、軌道エレベーターの残骸の名であることは知られていた。
 宇宙と地上を結ぶはずだった、今は失われた夢。ジャングルに佇む、巨大な廃墟。
「ナンナの兄さんは、セフィロトにいる」
「――え?」
 どうして、そんなことがわかりますの? と聞き返すナンナの横顔に、揺れたカーテンの隙間から、一条の光が射す。
「僕を誰だと思ってる? 能力とコネをフル動員したに決まってるだろう」
 すまし顔のツヴァイに、ナンナは吹き出す。涙ぐみながら。
「……そうでしたわね。ごめんなさい、ツヴァイ――ありがとう」
 久しぶりの、笑顔だった。

 † †

「ねえ、ツヴァイ。ひとはどうして、エデンの園から追放されたのでしょうか?」
 旅支度をしながら、ナンナは振り返る。形見の聖書は閉じて包まれ、手荷物の中にしまい込んである。
 セフィロトに行くことに、決めたのだ。
 兄を、探すために。
「……それは、知恵の実を、食べたからだろう?」
「そうですわね。アダムとイヴは、『知恵の樹』の実を食べ、神の逆鱗に触れた――いえ、神を恐れさせた」
「……恐れた? 神が?」
「ええ。このままでは、ひとは、『知恵の樹』の実だけでなく、『生命の樹』の実までも食べてしまうかも知れません。だから」
 そうなる前に、追い出したのですわ。ひとが生命の実まで食べられてしまったら、神を凌駕する存在に、なってしまいますでしょう?
 歌うように、ナンナは言う。その瞳は青空を映し、生き生きときらめく。
「ひとの歴史は、神との戦いの歴史ですわ。だけど『審判の日』のあとも、わたくしたちは滅びなかった」

 行きましょう。生命の樹の名を持つ、その塔へ。
 探している運命は、きっとそこで見つかる。
「『生命の実』が、あちこちに転がっているかも知れませんわよ? 食べてくださいと、言わんばかりに」
「タクトニムだって、あちこちにいるぞ?」
「わたくしを誰だと思ってますの? こう見えて、力持ちですのよ?」
 うふふ、とナンナは笑う。
 その足取りは、風のように軽やかだった。
 

 ――Fin.
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
神無月まりばな クリエイターズルームへ
PSYCHO MASTERS アナザー・レポート
2007年03月05日

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