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『【言葉遊び〜歳時記〜】 』
空狐・焔樹3484)&露樹・故(0604)&(登場しない)

 時間の流れを一つ、どれでも良い、遡ると必ず一つ穴がある。
 例えばそれが中世ヨーロッパの魔女狩りだったとしても、日本の天下泰平の時代だったにせよだ。
 人間が人間として育ち、育む時代そのものは例え神の時間だとしても長く巨大なのである。

「だが、このような場所にはもう誰も立ち寄らんだろうが…な」
 暖冬と言えどまだ冬のさなか、人の身であれば刺す様な寒さとそれに見合わず甘い色を放つ乳白色の粉雪が天から舞い降りる闇夜の中。
 庭園と言うには程遠く、けれど庭と言うには十分過ぎる広さの空の下、乾いた花々混じった雑草の萎れる中央に相も変わらず黒い中華服と同じ素材で生き生きと咲く煌びやかな彼岸花を彼女自身のように、空狐・焔樹(くうこ・えんじゅ)はまるで生命が宿るかの如き天の恵みと、間逆に地面に平伏すしかないこの場所の花々の一つ一つを眺めた。
「今まで人の心を和ませてきたというのに、の」
 ため息交じりに一言紡げば焔樹の白い吐息と共に彼女の生きている証でもある、白い息吹が花々を慰ようにして舞い落ちる。

 静寂の中儚く地上に散る粉雪は積もる事を知らず、焔樹の吐息と共に黒い地面に、萎れた花々の上に虚しく落ち、それから先は夜闇の如く、無い。
(…慰めにもならぬか)
 長く生きる人の時代。その時代の穴を辿るとそこには必ず人にも、時代にも取り残された場所。所謂、廃虚という穴が存在する。
 特にそれが好き、という事も無かったが神とて時にその時代に取り残され、廃れてゆくものだ。焔樹の足元の花々も元は人間を癒す為と植えられた者達であり、灯りこそ既に無くなってしまった辺りはそれなりの大きさを誇るテーマパークとなっていた。
「虚しいものよ」
 腰を屈め、元は彩り鮮やかであった花を一つ手折ってみても、それは精気の名残すら感じさせずに女性の細い指先にしな垂れかかってくる。これが花の遺体。亡骸というものなのだろうか。
「そう思わぬか? のう――故」
 テーマパークの残骸は酷く悪趣味だ。
 焔樹の周囲に咲き乱れていた花々はきっと生命を取り戻せばさぞ、美しい光景にめぐり合えただろうというのに、辺りの遊具は元が華やかな色で人目を惹いていたせいか気味の悪い血肉の色と、それらが褐色へ移り行く様が見て取れるように暗闇に揺らめいている。
「ああ、気付かれてしまいましたか」
 足元に絡みつく、いつの時代かも分からない新聞を軽やかに交わしながら、彼、露樹・故(つゆき・ゆえ)はこの風景と同化するかのような漆黒の服でもって焔樹の背後に回っていた。
「相変わらずだからな。 そうそういつもだと慣れてしまうぞ」
 そうだ、前にもあったこの風景は場所こそ、空気こそ違えどいつも焔樹と故の出会いの穴であったのだ。
「おや、慣れてしまわれるとそれはそれで寂しいものです。 ――が、こんな寂しい所においでとは」
 乾いた風が矢の様にひと吹き、通り抜ける。それだけで故の足元に絡みついた新聞紙は夜空へと消え、焔樹の摘んだ花があった場からも葉だった物が一陣の闇となって消える。

「寂しい…かの…」

 昔、まだこの地が歴史と共に生きていた頃はこんな寂しいという言葉一つで片付けられる場所ではなかったであろう。けれどもそれが歴史の流れ、哀愁を想うのは焔樹であり、故はどちらかと言えば前を向いて歩む気質なのだろう。けれど。
「こうしてしまえばまだ十分に癒しの庭と言っても良かろう?」
 指先に摘んだ花を一振り、神力の生命を吹き込み、それと同時に他の花々へも精気を蘇らせていく。
「…そうですね」
 世界を飲み込む程大掛かりな事はしていない。けれどテーマパークに咲く花々が今一度色を取り戻すその様を見れば、矢張り焔樹は神に近い存在空狐なのだと思い知る。少女のような顔とはまた違う、女性の憂いを帯びた星色の瞳に故は暗闇のかかった自身の瞳を伏せ、そして空からの贈り物と対照的に明るく輝き始めた生命を眺める。
「理屈抜きに素敵ですよ」
「お主…なにに言うておるか」
 焔樹の力を借りてしても、この花達は明日には枯れ、今度こそは地の下に、また再生の季節が来るまで密やかに眠り続けるのだろう。彼女自身もその場に居た故も分かっている。だからこそ、少しだけ離れた互いの位置を寄せ合うようにして並び、手を取り、言葉を紡ぐ。
「勿論、貴女に」
 軽く片目を閉じた故に、焔樹は肩の力を抜いてため息をつく。
「一枚の柿の落葉にあまねき日…とも言うではないですか、明日にあるかわからぬ花も勿論、魅力的ですけれどね」
「よく言うわ」
 冷え込んだ季節が今にもこのテーマパークの花々の命を連れ去りかねない。ならば共に居る自分が良いと故は言ってくれるのだろうか、覗き込んだ顔にはいつもの笑顔がしっかりとこびりついており、その顔を見る度に、焔樹の心には花々とは違う、今ここに居るもう一つのテーマパーク錆びきったセピアがじわりと染み込んでくる。

「山茶花や、かなしきまでに好きになりぬ…のう?」

 花は咲く、今ここにある品種は美しく整列されたものから、ただ植えつけられた物まで全て。焔樹の力で咲いている。手を繋ぎ、近くに故を感じながら歩くこの人間界、全ての世界から見てとても小さく、人の姿としては大きな場所に、一人の心は余りにも窮屈で淋し過ぎた。
「せめて、水仙の花の高さの日影…そのような自分でありたいものだ」
 故の言葉も自分の言葉も、全ては遠い昔の人間が言った言葉の一つを引用したに過ぎない。隠す事も、隠したくもない一つの真実を例えて相手に伝わるか、そうでないかを楽しむ。
 まるで幼い子供が楽しむ伝言遊びのように。
「水仙の花言葉は自己愛、我欲…それにうぬぼれ…」
「む――」
 繋いだ故の手のひらが少しばかり緩んだかと思えばなんとも失礼な言葉が焔樹の耳に痛い、横目でこの空気を汚すなと言ってやれば。
「ですが反面、神秘。 それから…」
 故と共に歩む場所に道は無い。
 元のテーマパークとしては人の通る道と共に花の茎や蔓が刈られていたようだが焔樹の力はその花々のあるべき姿を映し出し、足元には薔薇の蔓、百合の芽と様々な顔が見て取れた。
 そこに覗かせる、水仙もまた白、黄色と二人の歩調か冬の風に頭を垂れる。
「私の愛にこたえて…ですか」
 故の口元に乗せて、呟くように流された言葉が焔樹の心臓の脈を上げた。
 神や仏、空狐に心臓があるのかそんな事はいちいち考えてはいない。ただ、頬に上る人間の娘のような血の暖かさと手を繋ぎ合った男に対するどうして良いか分からぬ初心な感覚、奇妙として片付けられるのならそうしてしまいたい。未知なる戸惑いに指先から共にする体温を引き摺るように早歩きで甘く香る場所を辿る。
「焔樹さん、そんなに早く何処へ行かれるのです?」
「うるさい。 うるさいわ…」
 駄々をこねる子供のように焔樹の足は止まらない。
 だというのに、花のある場所は限られて、テーマパークの外は肌に感じる寒空に相応しいものだというのに、歩む早さも何処へ行くあても無くただ幻想の楽園をぐるぐると回る野生の動物のような焔樹自身。

「お主が妙な事を言うから…だっ…!」

 花弁が、散った。いや、正確に言えば焔樹と故が転んだ場所の花弁が、空へと帰る天女の羽衣のように夜空へと舞い上がったのだ。
「大丈夫ですか?」
 故の声は少し上ずっていて、転ぶ直前に焔樹を庇おうとしたのだろう、腕が女性の細い腰にまわされ、互いが互いを引き寄せている形に収まってしまっている。
「う…っ」
 奇妙な事、五月蝿い、散々と言っておいて故の腕に軽く抱き寄せられている自分に焔樹の言葉は詰まった。恥じらいよりも先に足の先を一度だけ眺め薔薇の蔓で躓いたのだと思えば尚更、自分が情けないと今度はため息が零れ出てしまいそうだ。

「私と…」
「俺と…」

 互いに空を見上げる。
 その仕草はそれこそ視界にすら入らなかったが、力の抜けるようなその腕の空気と、大きく吐いたため息で何がどうなっているのか理解できた。

「したことが…」

 言葉が合わさりそれは旋律になった。世辞にもそれは美しいと言える物ではなかったが、焔樹の高く強い音と故の柔らかく静かな音は花達をまた揺らせる良い材料になったようで、身体も声も力を全て抜いてしまえば自然と天を見上げた互いの額は合わさるようにして着地する。
「ふっ…」
 揺れる、視界。ともすれば地と天が逆さまになったような、考えあぐねて躓いた空狐が一人、それを支えようとして支えきれなかった間抜けな魔物が一人、闇夜の中にあるというのに黄金と翡翠の視線は色を翳らせる事無く合わさり、わけも無くこみ上げてくる可笑しさに肩を揺らせた。
 腹が痛くなってしまう、声を出さずにただ微笑みだけでこの気持ちを放置してしまうなど。
 合わさった視線で故もそう思っているのか、共に同じ考えで居るのならば矢張り可笑しくてたまらない。

(何をやっておるのだか)
 息を吐く頻度がようやく収まってきた所で焔樹は丸まった背を元に戻す。そこにはただ空気があり、自分の背中を何もなしに受け入れてくれると思った。が。
「…故」
 背中に地面が当っている。焔樹は合わさったままの翡翠に言葉ではなく視線だけで言葉を語る。
 空を見上げ、どうしょうもないと笑いあうその前に力を抜いてしまったのがいけなかったのだろうか、ただ抱き合うようなあの体勢ではなく焔樹の細い腰の上には故が、さも当たり前のように乗っていて。
「……――」
 黄金に見つめられ、暫し何かと自分に問うた翡翠は視線を何度も別の所へと彷徨わせ、焔樹以外の場所を見てようやく、事の重大さに気付いたように瞼で瞳の色を翳らせ、まるで躓く前の彼女のように何かを問いかける仕草を見せた。
 気まずい沈黙か、はたまた嬉しい沈黙か。
「…故。 起こしてはくれぬのか?」
 静寂の中に響くのは風の音色と、次には焔樹の珍しく落ち着いた声であった。故の表情に出る困惑の色が自分を冷静にしたのだろう。こうして一人、顔色こそいつもの自分を保っているように見せ、口元が笑うべきか否かと当惑している彼こそ見た事が無い。
 だからこそ、焔樹はいつも彼をからかう時のそれとは別に静かに口の端を上げ、眉を細めて故の肩に手を回す。
「失礼しました」
 また片手を腰に回され、宝物を扱うように焔樹に触れる。故はいつも通り紳士的だ。
 ただ、彼らしくもない微笑みを持たぬ顔で、機嫌を害したとも思えない静かな愛情を持った手つきで女性のしなやかな腰を持ち上げ、その足が地に立つように極力理性的な動きを見せる。けれど焔樹という女もそうそうお淑やかな女ではない、半ば助けられるそぶりを見せながら自らの足で立ち上がるとまた、故の翡翠色が水面のように揺れる。
「ふふ…」
 故の仕草はいつも通りだというのに、焔樹の口からは静かな笑みが零れた。決して嘲笑うでもない、花の葉から朝露が零れるが如くゆったりとした声が。
「まるでいつもとは逆になってしまったの?」
 相手の言葉や言動に翻弄されて、慌て、そして極力いつもの自分を演じて見せようとする。
 それはどちらかと言うと焔樹が翻弄された時の方が激しくはあったが、故とて内心は同じ事であるのだろう。勝ち誇ったような、それでいてどこか気遣わしげな女性の声に整った漆黒の眉に皺を寄せ、声を出さずに首を捻り、微笑む。
「気分を害してしまいましたか?」
 柔らかい声と裏腹に叱られた子犬のようないつもの故ではない、だがこれも一つの彼の仕草。
「いや…」
 奇妙。そう言える程焔樹の心は冴え渡り、辺りの幻を見渡した。
 一面に見えるは焔樹自身の力で出来たテーマパークの残骸にある、ある筈の無い庭園。大きさもそれ程は無い筈だというのにまるで何処までも続いているように見える、遊具に遮られ、見えぬ地平線に二人きり、これだけは嘘でも幻でもない、互いの暖かさと見た事も無い故の心が自分の心を清々しい物にさせている。

「お主のそんな顔を見られただけでも満足だ」
 指に絡まる花の精気は力によって保たれている。この彩りに満ち溢れた花を一振りするだけで、この庭園は消え、そしてそれが力を使用した者の仕来り。自然も歴史も、あるべき場所へ戻さなければならない。
「そう…ですか」
 気分を害していないだけ良かった、紡ぎたい言葉は故にも沢山あっただろう。幻想的なこの庭園が、落ち着きを取り戻した焔樹によって消えていく様を見つめながら、初めてここまで自分を取り乱させた女性が現実の世界へ戻っていくと気付く。
 消え行く精気、暖かな香りは焔樹の元から静かに去っていき、残った残骸が黒い雪となってあたりに降り注いだ。
「また、こうして会えると良いな」
 いつものように、変わりない出会いと変化のある彩りを添えて。例え辺りが幻であったとしても、二人の逢瀬が幻ではないと焔樹は言葉で告げる。
「ええ、いつでも…」
 同意の証である言葉と、そう告げる瞳で故は焔樹を見た。漆黒の服装には闇夜がよく似合う、男の服の硬質さとは違う、女性の美しさと妖艶な香りはまだ幻の庭園に居るかのような錯覚を覚えさせ。

(愛嬌、ですか)

 今まで山茶花の花言葉のように少女のような気持ちであやしていた焔樹は、まるで多彩な庭園のような彩をしている。
 瞳を見ずにただ満足げに頷いた焔樹の後姿と、それになびく青銀の長い髪は愛嬌よりは大人の女性の彩りを放ってい、既に故の想像の範疇を超えてしまったかのようにも見えてしまう。

(ですがまだ…)

 少女から女と化した空狐に自分は、魔物は負けてはいないのだ。小波を立てる心に笑みを浮かべ、故はまた静かに、抵抗をしない艶やかな焔樹の手を取るのだった。




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2007年02月07日

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